川島なお美さんが亡くなられましたね。
美しいままあっという間に駆け抜けて逝った死でした。
ドラマも映画も舞台も観たことはなく関心もありませんでしたが、最期となったマスコミ登場の激やせのショットがとても痛々しく、そんなになっても笑顔でいなければならない女優魂に胸が痛みました。
舞台を降板してから数日後の死。
どんなことより女優優先というスタンスで気力のみで演じていらっしゃったと想像するとどんなに不安で辛かっただろうと切なくなります。
渡辺淳一氏に自ら売り込んでテレビでの『失楽園』のヒロインを勝ち取って以来、渡辺作品に次々抜擢されていたというのを読んだことがあります。
話題になった『失楽園』も『くれなゐ』も観ていないし原作も読んでいませんが、一つの死の形を示してくれたように思いました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
今日ご紹介する作品はそんな渡辺淳一氏つながりの古い作品、再読のものです。
渡辺淳一氏著『冬の花火』
「かつて著者が勤めた札幌医科大学病院に入院しながら、『短歌研究』第一回五十首詠募集の特選となり、颯爽と中央歌壇に現れた新星・中城ふみ子。
歌集『乳房喪失』は大反響を呼び、昭和短歌史にその名を刻むが、すでに乳癌で両方の乳房を切除していた彼女は死の床にあった。
それでも恋に堕ち、性の深みに堕ちてゆく。
美貌と才能に恵まれ、短くも激しい生命を燃やして31歳で夭折した歌人の愛と生の遍歴」
随分昔に読んだときはまだ短歌に関心もなかった時代でしたが、その濃縮したような生き様に衝撃を受けました。
著者の渡辺淳一氏も官能小説を次々発表される前の作品でかなりの充実感がありました。
氏の作品は評伝に限り読んでいますが、取材が行き届いていてどの作品も読み応えがあってお勧めです。
さて本書に移ります。
帯広の裕福な呉服屋の長女として生まれ、東京遊学中に短歌を始めたものの卒業後帰省して結婚し3人の子どもを授かった前後は中断、その後離婚と並行して帯広の短歌結社をスタートに再び詠みはじめました。
離婚が正式に決まった1年後左乳房に乳がんを発症し地元で切除の直後右乳房に転移がわかり続いて切除するも全身転移で放射線治療のため札幌医大病院に入院、その後数ヶ月を経て31歳の生涯を閉じました。
当時同大学の医学生だったという著者・渡辺氏によって没後20余年を経て蘇ったのが本書です。
北国の野に、街に、そして死の迫る癌病棟に、美貌と天才に恵まれながら、短く激しいい生命の炎を燃やし尽し、夭折した女流歌人の奔放華麗な愛の遍歴と、死に至るドラマをその折々の短歌を交えながら描ききって秀作です。
冬の皺寄せゐる海よ今少し生きて己の無残を見むか
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
癌病棟に入院中の1954年に第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作「冬の花火―ある乳癌患者のうた」が当時の編集者・中井英夫氏に見出され特選となったことをきっかけに歌集を刊行する機運が高まり、第一歌集『乳房喪失』が生まれます。
北海道の片田舎の名もない女性の第一歌集はそれまでふみ子に関わりのあった短歌会の面々によって病室で編纂されましたが、序文をだれに頼むかという段になってふみ子の口から突如文学界の重鎮・川端康成氏の名前が出たことに周囲は驚きますが、ふみ子の依頼の手紙によって川端氏が心を動かされ序文を引き受けるという異例の事態に発展、それを機に中城ふみ子の名は全国区へと広がっていきます。
昭和29年8月3日、31歳で永眠するまで・・本格的に歌を詠むようになってからわずか3年余という短い魂の輝きでした。
死に到る病床にいる美貌の女性
離婚を経験した薄幸の人
自らの男遍歴を臆することなく大胆に詠んだ短歌の数々
どれをとっても興味を曳き入れられる要素満載、ましてふみ子と接した男性のほとんどがその魅力の虜になるという天性のものをもっていたようです。
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給(たま)へ
陽にすきて流らふ雪は春近し噂の我は「やすやす堕つ」と
燃えむとするかれの素直を阻むもの彼の内なるサルトル・カミユ氏
音高く夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
もっとも単に恋愛を楽しんでいたというより、死の恐怖から逃げるための自己の存在を確認するための恋愛というような見方もあるでしょう。
母親ならば子どもというのが一般的な見方でしょうが、ふみ子の求める対象は常に自分に興味を持つ男性でした。
子どもへの愛を詠った短歌もありますが、ほとんどが男性との愛恋の短歌。
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如く今は狎(な)らしつ
死後のわれは身かろくどこへも現はれむたとえばきみの肩にも乗りて
灯を消してしのびやかに隣に来るものに快楽の如くに今は狎らしつ
現代ですら衝撃的な内容の短歌の数々、噂も批判も恐れない一貫した姿勢は昭和20年後半にはとうてい受け入れがたいという負の反響が多かったのは当然の反応だったといえると思います。
しかし注視せずにはいられない短歌の数々。
よかったら味わってみてください。
われに似しひとりの女不倫にて乳削(ちそ)ぎの刑に遭はざりしや古代に
魚とも鳥とも乳房なき吾を写して容赦せざる鏡か
生きてゐてさへくれたらと彼は言ふ切られ与三(よさ)のごとき傷痕を知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
年々に滅びて且つは鮮(あたら)しき花の原型はわがうちにあり
美しいままあっという間に駆け抜けて逝った死でした。
ドラマも映画も舞台も観たことはなく関心もありませんでしたが、最期となったマスコミ登場の激やせのショットがとても痛々しく、そんなになっても笑顔でいなければならない女優魂に胸が痛みました。
舞台を降板してから数日後の死。
どんなことより女優優先というスタンスで気力のみで演じていらっしゃったと想像するとどんなに不安で辛かっただろうと切なくなります。
渡辺淳一氏に自ら売り込んでテレビでの『失楽園』のヒロインを勝ち取って以来、渡辺作品に次々抜擢されていたというのを読んだことがあります。
話題になった『失楽園』も『くれなゐ』も観ていないし原作も読んでいませんが、一つの死の形を示してくれたように思いました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
今日ご紹介する作品はそんな渡辺淳一氏つながりの古い作品、再読のものです。

「かつて著者が勤めた札幌医科大学病院に入院しながら、『短歌研究』第一回五十首詠募集の特選となり、颯爽と中央歌壇に現れた新星・中城ふみ子。
歌集『乳房喪失』は大反響を呼び、昭和短歌史にその名を刻むが、すでに乳癌で両方の乳房を切除していた彼女は死の床にあった。
それでも恋に堕ち、性の深みに堕ちてゆく。
美貌と才能に恵まれ、短くも激しい生命を燃やして31歳で夭折した歌人の愛と生の遍歴」
随分昔に読んだときはまだ短歌に関心もなかった時代でしたが、その濃縮したような生き様に衝撃を受けました。
著者の渡辺淳一氏も官能小説を次々発表される前の作品でかなりの充実感がありました。
氏の作品は評伝に限り読んでいますが、取材が行き届いていてどの作品も読み応えがあってお勧めです。
さて本書に移ります。
帯広の裕福な呉服屋の長女として生まれ、東京遊学中に短歌を始めたものの卒業後帰省して結婚し3人の子どもを授かった前後は中断、その後離婚と並行して帯広の短歌結社をスタートに再び詠みはじめました。
離婚が正式に決まった1年後左乳房に乳がんを発症し地元で切除の直後右乳房に転移がわかり続いて切除するも全身転移で放射線治療のため札幌医大病院に入院、その後数ヶ月を経て31歳の生涯を閉じました。
当時同大学の医学生だったという著者・渡辺氏によって没後20余年を経て蘇ったのが本書です。
北国の野に、街に、そして死の迫る癌病棟に、美貌と天才に恵まれながら、短く激しいい生命の炎を燃やし尽し、夭折した女流歌人の奔放華麗な愛の遍歴と、死に至るドラマをその折々の短歌を交えながら描ききって秀作です。
冬の皺寄せゐる海よ今少し生きて己の無残を見むか
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
癌病棟に入院中の1954年に第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作「冬の花火―ある乳癌患者のうた」が当時の編集者・中井英夫氏に見出され特選となったことをきっかけに歌集を刊行する機運が高まり、第一歌集『乳房喪失』が生まれます。
北海道の片田舎の名もない女性の第一歌集はそれまでふみ子に関わりのあった短歌会の面々によって病室で編纂されましたが、序文をだれに頼むかという段になってふみ子の口から突如文学界の重鎮・川端康成氏の名前が出たことに周囲は驚きますが、ふみ子の依頼の手紙によって川端氏が心を動かされ序文を引き受けるという異例の事態に発展、それを機に中城ふみ子の名は全国区へと広がっていきます。
昭和29年8月3日、31歳で永眠するまで・・本格的に歌を詠むようになってからわずか3年余という短い魂の輝きでした。
死に到る病床にいる美貌の女性
離婚を経験した薄幸の人
自らの男遍歴を臆することなく大胆に詠んだ短歌の数々
どれをとっても興味を曳き入れられる要素満載、ましてふみ子と接した男性のほとんどがその魅力の虜になるという天性のものをもっていたようです。
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給(たま)へ
陽にすきて流らふ雪は春近し噂の我は「やすやす堕つ」と
燃えむとするかれの素直を阻むもの彼の内なるサルトル・カミユ氏
音高く夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
もっとも単に恋愛を楽しんでいたというより、死の恐怖から逃げるための自己の存在を確認するための恋愛というような見方もあるでしょう。
母親ならば子どもというのが一般的な見方でしょうが、ふみ子の求める対象は常に自分に興味を持つ男性でした。
子どもへの愛を詠った短歌もありますが、ほとんどが男性との愛恋の短歌。
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如く今は狎(な)らしつ
死後のわれは身かろくどこへも現はれむたとえばきみの肩にも乗りて
灯を消してしのびやかに隣に来るものに快楽の如くに今は狎らしつ
現代ですら衝撃的な内容の短歌の数々、噂も批判も恐れない一貫した姿勢は昭和20年後半にはとうてい受け入れがたいという負の反響が多かったのは当然の反応だったといえると思います。
しかし注視せずにはいられない短歌の数々。
よかったら味わってみてください。
われに似しひとりの女不倫にて乳削(ちそ)ぎの刑に遭はざりしや古代に
魚とも鳥とも乳房なき吾を写して容赦せざる鏡か
生きてゐてさへくれたらと彼は言ふ切られ与三(よさ)のごとき傷痕を知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
年々に滅びて且つは鮮(あたら)しき花の原型はわがうちにあり