月に2回の歌会を楽しんでいます。
いまのところネットを介して師にほぼ連日見ていただくというのを習慣として作歌しているので歌会に提出する5首に困ったことはないのですが、眺めれば眺めるほど自信喪失するような稚拙な短歌ばかり・・・果たしてこれが短歌と言えるのか・・・などと考え出すと提出するのが怖くなります。
説明的だったり、感情過多だったり、何が言いたいのかわかってもらえそうになかったり、時制や言葉遣いに不備があったり。。。
詠みたい事象はたくさんあるのに語彙がついていかない、常時そんなまどろっこしい感じ。
ここ数ヶ月はなるべく削って簡素にしようと心がけています。
心がけすぎてまるで小学生の作った歌のようになったり・・・つくづくと難しい。
その歌会では年に2回「樹林」という会誌を発行していてもうすぐ後半期の発行時期。
主宰していらっしゃる先生の短歌をはじめ、私たち歌友の短歌10首ずつ、それぞれの短歌の感想文、歌人の歌集の紹介文、当地の文化人への先生のインタビュー記事など、薄い冊子ながら内容はかなり充実しています。
私は今年の春から参加しているので2度目。
前回は初心者だからと外されていた歌集の紹介を今回は課せられているのでその原稿と短歌10首。
そろそろ仕上げないと。
長い歌歴の先輩の方々の中でまだまだ小さくなっている私です。
さて今回は北野武氏著『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』をご紹介します。
「二〇一八年、道徳を教科化? だけど、その前に……、
『日本人にとって、「道徳」とは何か?』
この問いに答えられる、親や教師はいるのだろうか。
まず最初に大人たちが、真面目に考えた方がいい。
稀代の天才が現代の核心をえぐる、未だ嘗てない道徳論!」
時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。
誰かに押しつけられた道徳ではなく、自分なりの道徳で生きた方がよほど格好いい。
自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。
今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。
それは、自分の人生を人まかせにするってことだと思う。
たけし独特のデカダニズムを醸し出していながらその実真面目な共感満載の内容です。
「人生をこれから始める子供に、人生を見つめさて、何の意味があるのか?」
「夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ」
「なぜ、本を読みながら歩いた二宮金次郎が銅像になって、スマホを片手に歩いている女子高生が目の敵にさらえるのか」
道徳はそもそも社会秩序を守るために作られた、つまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたもの、その時代時代で「道徳」というものの指標はいともあっさりと変わる、ということを土台に、支配者や国への依存心を捨てて自分の頭で則を構築せよ、というのが本書のあらましです。
子どものけんかがよくないというなら国の戦争も正しくないというべきだ、と言います。
妙に納得できるかたちで説いている本書。
文科省が2年後に「道徳」を教科の1つに加えようとする動きがあるそうですが、どのような内容なのか見てみたい気がします。
一定の価値観や規範意識を一方的にさし示す以外のどんな道徳教育を国は考えているのか。
戦前教育の一環として行われていた「修身」がGHQによって軍国主義的だという理由で強制的に止めさせられた経緯があり、その後週1時間の「道徳の時間」が設けられたそうですが、私の小中学校時代を振り返っても何を学んだのかまったく覚えていないほど影が薄い。
せっかく時間を設けるなら、教科とは関係のない、ゆとりのある時間として映画や読書を取り入れたり、戦争体験者のお話の時間を設けたり、幼児や高齢者との交流をしたり・・・そんな中で個々に自分の道徳を構築してもらえたらいいなと思えます。
道徳は時間が経てば変わりますが、その中でも他者に思いをはせる、ということができる人になればもうそれだけでもうけもの・・・たけしの言葉を借りれば。
いまのところネットを介して師にほぼ連日見ていただくというのを習慣として作歌しているので歌会に提出する5首に困ったことはないのですが、眺めれば眺めるほど自信喪失するような稚拙な短歌ばかり・・・果たしてこれが短歌と言えるのか・・・などと考え出すと提出するのが怖くなります。
説明的だったり、感情過多だったり、何が言いたいのかわかってもらえそうになかったり、時制や言葉遣いに不備があったり。。。
詠みたい事象はたくさんあるのに語彙がついていかない、常時そんなまどろっこしい感じ。
ここ数ヶ月はなるべく削って簡素にしようと心がけています。
心がけすぎてまるで小学生の作った歌のようになったり・・・つくづくと難しい。
その歌会では年に2回「樹林」という会誌を発行していてもうすぐ後半期の発行時期。
主宰していらっしゃる先生の短歌をはじめ、私たち歌友の短歌10首ずつ、それぞれの短歌の感想文、歌人の歌集の紹介文、当地の文化人への先生のインタビュー記事など、薄い冊子ながら内容はかなり充実しています。
私は今年の春から参加しているので2度目。
前回は初心者だからと外されていた歌集の紹介を今回は課せられているのでその原稿と短歌10首。
そろそろ仕上げないと。
長い歌歴の先輩の方々の中でまだまだ小さくなっている私です。

「二〇一八年、道徳を教科化? だけど、その前に……、
『日本人にとって、「道徳」とは何か?』
この問いに答えられる、親や教師はいるのだろうか。
まず最初に大人たちが、真面目に考えた方がいい。
稀代の天才が現代の核心をえぐる、未だ嘗てない道徳論!」
時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。
誰かに押しつけられた道徳ではなく、自分なりの道徳で生きた方がよほど格好いい。
自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。
今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。
それは、自分の人生を人まかせにするってことだと思う。
たけし独特のデカダニズムを醸し出していながらその実真面目な共感満載の内容です。
「人生をこれから始める子供に、人生を見つめさて、何の意味があるのか?」
「夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ」
「なぜ、本を読みながら歩いた二宮金次郎が銅像になって、スマホを片手に歩いている女子高生が目の敵にさらえるのか」
道徳はそもそも社会秩序を守るために作られた、つまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたもの、その時代時代で「道徳」というものの指標はいともあっさりと変わる、ということを土台に、支配者や国への依存心を捨てて自分の頭で則を構築せよ、というのが本書のあらましです。
子どものけんかがよくないというなら国の戦争も正しくないというべきだ、と言います。
妙に納得できるかたちで説いている本書。
文科省が2年後に「道徳」を教科の1つに加えようとする動きがあるそうですが、どのような内容なのか見てみたい気がします。
一定の価値観や規範意識を一方的にさし示す以外のどんな道徳教育を国は考えているのか。
戦前教育の一環として行われていた「修身」がGHQによって軍国主義的だという理由で強制的に止めさせられた経緯があり、その後週1時間の「道徳の時間」が設けられたそうですが、私の小中学校時代を振り返っても何を学んだのかまったく覚えていないほど影が薄い。
せっかく時間を設けるなら、教科とは関係のない、ゆとりのある時間として映画や読書を取り入れたり、戦争体験者のお話の時間を設けたり、幼児や高齢者との交流をしたり・・・そんな中で個々に自分の道徳を構築してもらえたらいいなと思えます。
道徳は時間が経てば変わりますが、その中でも他者に思いをはせる、ということができる人になればもうそれだけでもうけもの・・・たけしの言葉を借りれば。