VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2016年01月

夫と私の数少ない共通点のひとつ。

それは寝る前に本を読むこと。

図らずも結婚当初から同じようだったので当たり前のように思っていましたが、友人知人の夫婦の形態を通して知ったのは、寝る前に本を読むという習慣がない人のほうが多いらしいということ。


夫も私に勝るとも劣らないほど本好きですが、私と違って図書館派ではなく、積読本がなくなったら、「麻薬が切れた!」と本屋へ直行するので駄本がたまるたまる(――;)


それに加えて悲しいことに2人の読書傾向は水と油で一致することが全くないという不幸。


夫がいくら本を溜めても私は読まないし、私の感動本に手を出すことのない夫。


不経済な夫婦です。


こんな親を見てかどうかわかりませんが、子どもたちもある程度本を読むようですが、それぞれ多忙の年代なので暇がなさそう。


中でも次男がいちばん本が好きそうですが、今は読む暇は皆無とか。


先日1泊した次男の狭いマンションはものに溢れていて、足の踏み場がなく、友人知人から汚部屋といわれているそうですが、小春のゲージの周り、ところかまわずあちらにもこちらにも本と衣服の山。

崩れそう・・・というかもう崩れています。

その他テレビがなく、DVDで映画を観るのが癒しとかで特注のDVD専用の棚。

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いやはや・・・というほどの雑然ぶりでした(――;)

片付けるなということで我慢しました・・・けど・・・。





本日は田辺聖子氏著『おいしいものと恋のはなし』のレビューです。


「見ないようにしていた、心の奥のせつない気持ち。
そばにいても気づかなかった、好きなひとの意外な表情・・・・・・恋するときの様々な感情を思い起こさせる、珠玉の作品9編を収録。恋人たちの食卓に並ぶのは、ねぎ焼きやぶどう、深夜に食べる禁断のステーキなど。
読むだけで心も満たされる“おいしいもの”がもりだくさん。
恋にまつわるあれこれと、“おいしいもの”がギュッとつまった、田辺聖子アンソロジー」



お聖さんの独壇場ともいえる大阪を舞台の1975年~1998年までに出版された短編集の中から選ばれた9編。


「ハイミス」や「お見合い」など今や死語となったフレーズが登場してさすが時代を感じさせる内容でしたが、いつの時代にも変わらない女心を描いてしみじみとした雰囲気を醸し出しています。


登場人物たちが使う関西弁の放恣な中にあるあたたか味に心が癒されます。


お聖さんの筆にかかると、失恋も恋の争奪戦もなんだか芯に温かい人間味が感じられて心にポッとささやかな灯がともるような読後感です。


ただタイトルに期待したほど「おいしいもの」のお話があまり出てこなかったのが残念といえば残念でしたが、それは著者の別の作品に有り余るほど描かれているのでよしとしましょう。


最後に「担当編集者からオススメの一言」

「恋にまつわるあれこれと“おいしいもん”がギュッとつまった短編集。せつない大人の片思いから、夫婦のてんやわんや、ユーモラスな生活ぶりまで、様々な“恋のかたち”がここにあります! 
彩りを添えるのは、大阪らしいねぎ焼きから、夜中に食べる禁断のステーキ、ほんのり苦いチョコレートまで。読むだけで心いっぱい、恋する気持ちで満たされる、そんな1冊です」

お知らせです! 「吉備野庵」再開されています! → 

日本列島が寒波に覆われています。

九州以南に大雪!

ブロ友のお住まいの福岡近辺も大雪に見舞われている映像に息をのむほど!

しおんさん大丈夫でしたか?

奄美大島は115年ぶりの大雪とのこと・・・何だか地球の警告のような最近の天変地異です。


そんな中3泊で上京していました。

新幹線の行き帰り、米原~岐阜羽島あたりでいつも足止めにあうので周りは心配していましたが時間通りの発着でした~。

帰ってニュースを観ていると運行中の列車からの雪の落下で新岩国駅構内のポイントが故障、その影響で新幹線がストップしたため、JR岡山駅で関西へ向かう新幹線の車内で113人の乗客が一夜を過ごしていたそうです。

幸運だった小さな旅。

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富士山は雪にふかぶか覆はれて日本列島寒波に溺る


初日は新丸ビルのオフィスに勤める次男と東京駅で待ち合わせ~茗荷谷の次男の家に1泊。

翌日は休みを取ってくれていた次男と小春を連れて散策。

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文京区は明治時代活躍した文豪たちの旧居跡や終焉の地などがたくさんあります。


樋口一葉、木下順二、谷崎潤一郎、坪内逍遥、石川啄木など。


石川啄木終焉の地の碑の前で小春と写真を撮ったり、思いっ切り小春をかわいがって今回の旅の目的のひとつが達成できました~。

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その夜は長女と目黒の「ホテルクラスカ」に1泊。

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たいへん多忙な時期とぶつかり、長女が会社からホテルに直行したのが夜の11時。

一度泊まってみたかったというデザイナーズホテルだったのに当の本人の滞在時間は短く、その間もパソコンと電話で仕事・・・何のために来たのか(――;)


翌朝は長男一家が車でホテルに迎えに来てくれ、渋谷のNHKホールへ。

午後から開かれる全国短歌大会を覗くのが今回の上京の目的のひとつ。

昨年初めて投稿していた1首が佳作になった機会に有名な歌人の方々の生の声を聞いてみようと思い立ちました。

歌集でお馴染みの佐左木幸綱氏、岡井隆氏、三枝�メ之氏、永田和宏氏、玉井清弘氏、馬場あき子氏、栗木京子氏、小島ゆかり氏などなど。

当地で私が所属している歌会の歌友の先輩の中には過去に入選の中でもトップの特選を獲られていて舞台に上がって歌人の方々の講評を受けられた方が数名いらっしゃって地方の小さな歌会にしてはすばらしいメンバーの集まりです!


その他おおぜいの私は物見遊山で長女と孫のアスカと共に見学、ジュニアの部の特選短歌を見た小五のアスカはちょうど学校で五七五七七を習ったとかで、その場で即興短歌を2つ作ってノートに書き込んでいました~。


その日は迎えにきてくれた長男夫婦とともにアスカの家に1泊、アスカとお風呂に入り、トランプをし、アスカと寝ました^_^

これも今回の目的のひとつ。


日記を書く習慣のアスカのその日の日記を覗いてみると・・・

「・・・今日はMMとおねえちゃんとNHK短歌大会に行きました。
短歌がうまい人は舞台に上がって賞状をもらっていましたが、MMは客席でただ見ているだけでした・・・」

事実はその通りですけど・・・ね(――;)


実は近藤芳美賞という15首を1組とした賞があり、今回はそれを目標に密かに推敲を重ねて応募していました。

15首にあまりに力を入れていたので、別にいいかげんに提出していた単独1首の佳作に喜びはなく、入選できなかった15首に未練が残っていましたが、まだ初心者の私が選ばれるはずもないというのは後で冷静になって納得できることでした。


そしてこの年末年始にも仕事の都合で帰省しなかった長女が品川から乗車し、私は新横浜から・・・新幹線の車内で待ち合わせ、いっしょに帰ってきましたが、車内でもずっと仕事、里帰りした我が家でも食事以外、朝から夜中までパソコンと電話で仕事、2泊をずっと仕事に没頭して帰っていきました。

いったい何のために帰ってきたのか???


こんなにハードな仕事、心身にどんな影響を及ぼすのかと思うと・・・心配です。





さて今回は堀川惠子氏著『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』のご紹介です。 

「高村薫氏推薦 〈彼ははたして死に値する極悪人だったのか。40年目の疑問が私たちに襲いかかる。〉
忘れられた死刑事件が、人が人を裁くことの意味を問いかける。

1966年(昭和41年)、東京・国分寺市で一人の主婦が被害者となった強盗殺人事件が発生した。
4日後に逮捕された22歳の犯人・長谷川武は、裁判でさしたる弁明もせず、半年後に死刑判決をうけ、5年後には刑が執行された。
その長谷川死刑囚が、独房から関係者に送っていた手紙が残されていた。
とくに事件の捜査検事だった土本武司は、当時、手紙に激しく心を揺さぶられ恩赦へと動き出そうとしたほどだった。
昨年、NHK-ETV特集で放送され大反響を得た内容に、その後の継続取材で判明した新事実を積み重ねた長編ノンフィクション。
裁判員裁判のもと、誰もが死刑事件と向き合う可能性があるいま、必読の一冊。
講談社ノンフィクション賞受賞後第一作」


事件は昭和41年に起きた強盗殺人。

当時22歳だった犯人はその後死刑が確定。

当時彼を取り調べた検事の言葉。

「死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。
それなら単なる謝罪を超えた最大の償いなんです。
命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」


次に記すのは一審死刑判決の後の控訴審で弁護を担当した弁護士に届いた被告・長谷川武からの控訴趣意書。

「今の私は控訴している自分が恥ずかしく後悔しています。
本当に被害者に済まないことをした、被害者の家族の皆さんに申し訳ないと思ったら控訴を取り下げてもらって此のまま服役するのが本当と思って取り下げの手続きをしようと思いました。
そして自分の考えを私のお袋宛に手紙に差し出しました。
『母さん、僕のことはあきらめてくれ』とそんな内容の手紙でした。
すると私が控訴しないと母は生きていないと言われ、私が一度に目が覚めたようで控訴を取下げる気力と言うものを失しなってしまい今日に至っているのです。
お願いがあるのですが聞いて下さい。
私はもう裁判なんか開かなくても充分納得しています。
ですが母に望みと言うのではなく徐々に私をあきらめさせるようにしてもらえないでしょうか。
裁判を形だけでいいのです。
開いてみて最後まで行けばお袋もあきらめられると思うのです。
私の母には何の罪もないのです。
虫のいいことをと御叱りを受けるかもしれませんが最後のお願いを聞いてもらえませんでしょうか」


そして処刑直前に弁護士に送った手紙。

「先生、ぼくはこういった最後の手紙は一切書かない積りでいたのですが、世話になった方々へ何だかんだと30通ばかり一睡もせず書かせて頂いたのですが母への手紙だけは涙無く書くことができませんでした。
涙が出て、出て、止まらないのです。
こうやって“母”と言う字を書いただけで、涙が出て来るのです。
そんな訳で最後のご挨拶も満足に出来ませんが、ご勘弁の程を。
それにペン持つ指が疲れました。
先程、一番電車も通りました。そして今、一番鶏も鳴きました。
それでは先生お元気で」


元検事へのインタビューから始まった本書。

事件の捜査検事だった土本武司は当時、手紙に激しく心を揺さぶられ恩赦へと動き出そうとしたほどだったといいます。

刑が執行されたあとも元死刑囚から届いた手紙のことが頭から離れないという元検事。


その他、弁護士、証言に立った知人、親戚など、長谷川死刑囚に関わった周辺の人々に対して入念な取材を重ねながら死刑という問題を提起している本書。


本書の最後を著者はこのように締めくくっていらっしゃいます。

「罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。
しかし、人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。
私たちはいつ被害者になるか分からないし、それと同じようにいつ加害者になるかもしれません。
被害者や加害者の家族にもなりえます。
たとえ人の命を奪わないまでも、相手の心に生涯消えない傷を負わせることもあるでしょうし、たとえ自ら手を下さなくても、傍観や無知を通して加害の側に立っていることも少なくありません。
死刑という問題に向き合うとき、いったいどれほどの人間が、同じ人間に対してその命を奪う宣告をすることが出来るほどに正しく、間違いなく生きているのかと思うことがあります。
そして、その執行の現場に立ち会う人間の苦しみも想像を超えるものがあります。
もし裁判が単なる制裁の場ではなく、不幸にも生み出された犠牲の上により良き社会を生み出していくための険しい道を目指すのであるならば、過ちを犯した人間を裁く法廷は、一方的に敗者を裁く場であってはならないと感じています」

共感に心を揺さぶられる内容です。


当時小泉内閣の下、裁判員法が成立し、2009年より裁判員制度が施行されて7年がたちますが、選ばれた裁判員への心身への負担が時に話題になっている日本。

先進国の中では少数派に属する死刑存置国である日本は、死刑への支持率が85%とも言われる国として、裁判員制度も含めてもっともっと死刑への考察を深めなければならないのではないかという著者の真摯な問いかけがストレートに伝わる作品でした。

ぜひどうぞ!

昨日スーパーの中の魚屋さんを覗いたらトロ箱に6尾で398円のちょうどいい大きさのカマスがあったので購入しました。

さっそく背開きにして夜干しにあわせて時間を調整、寝る前の1時間前から8%の塩水に漬けて、寝るときベランダに干しておきました。

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とても風が強かったので、朝取り入れたらかなり乾燥していました。


当地の魚屋さんでは生のカマスを目にすることがあまりなく、目にしてもかなり高価なので、高松の友人が時々干物にして持ってきてくれるのを楽しみにしていましたが、数年前、香川漁連加入の魚卸店が当地に支店を出して以来、こちらでも安価に買うことができて楽しみが増えました。


カマスは一塩の干物がいちばんおいしく、いま適度にあぶらが乗っていて旬です。


旬といえば鯛も鰆も塩焼きに最高の季節となりました。


夫が魚料理の中ではシンプルな塩焼きがいちばん好きなので、今の時期になるといつも冷凍しています。


昨夜は鰆の塩焼きだったので、今晩の夕食にはカマスの一夜干を食べる予定。



東京に住んでいたときに魚の種類の貧しさに閉口していましたが、そういった意味でいまは感謝です。




さて本日は佐藤泰志氏著『海炭市叙景』をご紹介します。


「海に囲まれた地方都市「海炭市」に生きる「普通のひとびと」たちが織りなす十八の人生。
炭鉱を解雇された青年とその妹、首都から故郷に戻った若夫婦、家庭に問題を抱えるガス店の若社長、あと二年で停年を迎える路面電車運転手、職業訓練校に通う中年男、競馬にいれこむサラリーマン、妻との不和に悩むプラネタリウム職員、海炭市の別荘に滞在する青年…。
季節は冬、春、夏。
北国の雪、風、淡い光、海の匂いと共に淡々と綴られる、ひとびとの悩み、苦しみ、悲しみ、喜び、絶望そして希望。才能を高く評価されながら自死を遂げた作家の幻の遺作が、待望の文庫化」


北海道を舞台にした小説はどうしてこうも切ないものが多いのでしょう。

古くは三浦綾子氏の『氷点』を初め、最近では桜木紫乃氏の作品など、北国の厳しい自然と立ち向かう人々に一貫して貫いている哀切というものが色濃く反映されていて、本書も例外ではありません。


まず冒頭から私の心を射抜く文章。

「待った。
ただひたすら兄の下山を待ち続けた。
まるでそれが、私の人生の唯一の目的のように。
今となっては、そう、いうべきだろう」


舞台は「海炭市」という架空の町。

著者のふるさとであった函館市をモデルにしているそうです。

「海炭市」から髣髴とさせるのはかつて石炭で栄えた街、そして今は地の底に沈んでいるような街。


ここを舞台に描かれた18の小さな小さな物語がまるで小さな数珠珠のように連なった連作短篇集。


18の物語の底流には失われていくものに対する哀しみのようなものが流れていて切ない。


著者はこの物語を執筆中に41歳という若さで自死してしまいます。


中学生の頃から文筆の才能を開花させ、それぞれ27歳と31歳の時に北方文芸賞と作家賞受賞をしたのち、文学界新人賞・新潮新人賞・三島由紀夫賞・芥川龍之介賞5回の候補になりながら選に漏れた著者は失意のうちに妻子を遺して縊死を選びますが、彼が生きて執筆を継続していれば36篇になっていたという本書。


死後すべての著書が絶版となり、ひとりの熱心な評論家の存在がなければ、いまだに埋もれたままだったかもしれないといいます。


炭鉱が斜陽産業になり、炭鉱をリストラされた兄と妹、都会から故郷に帰ってきた若い夫婦、定年を間近かに控えた路面電車の運転手、ストレスを競馬で紛らわすサラリーマンなどどこの町の片隅にもいるような普通の暮らしの普通の人々の平凡な日常の哀切の物語。


もし著者が賞を受賞して文壇で陽のあたる場所に立てていたなら、本書の未完に終った物語はどのような展開を見せていたのでしょうか。


残念な作家さんを失いました。

おススメの作品です。

空気が乾燥して、風邪やインフルエンザに要注意の季節です。

けっこう強い免疫抑制剤を2種類服用していて敢えてウイルスに対抗する免疫細胞の数値を低下させているので風邪などに気を遣っています。

白血球の中のリンパ球が低い状態。


服用している薬の副作用でいちばん恐いのが日和見の肺炎とか間質性肺炎なので、外出から帰っての手洗いとうがいは欠かせません。


医師からは外出にはマスクをと言われていていますがなかなかうっとうしくて。



市販薬嫌いだった私の影響でいまでも続けていますが、風邪かなと思ったときは早めに飲む「板藍茶」と直接のどに流し込むリキッドの「プロポリス」が我が家の必須アイテム。


これで何とかウイルスの侵入と増殖を防いでいます・・・というか防いでいるつもり。


「板藍茶」は板藍根というアブラナ科の植物「菘藍」の根を乾燥させたもので「東洋医学の抗生物質」といわれているもの。

お湯に溶かして飲みますが、飲みやすい味。

でも身体を冷やす作用もあるので、あまり大量に飲むのはよくないかも。


そしてもう1つの「プロポリス」、これも抗ウイルス、抗菌、抗がん作用があるのは広く知られていますが、慣れないととても生では飲みにくい液体。


プロポリスはさまざまなメーカーから販売されているのでメーカーを特化しなければ薬局やスーパーなどで簡単に手に入ります。


我が家は夫がガンに罹患したあと大量に使い始めて、いまはもっぱら風邪対策のみの出番待ちです。


その「プロポリス」の製造元が本日ご紹介する作品の著者の在籍されていた会社です。






林原靖氏著『破綻──バイオ企業・林原の真実』



「岡山の世界的優良企業『林原』は、なぜ潰されたのか!?
弁済率93%の倒産の不可思議!?敗軍の将、兵を語る」


1883年水あめ製造業としてスタート、3代目社長に就任した林原一郎氏が研究開発や経営多角化を推進し、現在複合施設として誕生したイオンモールのある広大な土地を購入し事業を拡大したのち、急死によって当時大学生だった4代目長男・健氏が社長に就任したのが1961年。


その後自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立するとともに、林原美術館開館、備中漆復興事業、古生物学(恐竜発掘)調査、類人猿研究などメセナ事業も積極展開。


1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し世界市場に販売網を広げ、世界の林原となります。


当地の企業「林原」の名前を知らない方でも「トレハロース」や「インターフェロン」を知らない方はいらっしゃらないと思うほど、食品業界や医薬業界では広く使われています。


そんな地元きっての超優良地場企業に破綻の激震が走ったのが今から5年前。


2011年2月2日、林原、林原生物化学研究所、林原商事、のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請。

2012年2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、2月3日に合併後の株式会社林原が100%減資して長瀬産業の完全子会社になりました。


長瀬産業からの出融資700億円やJR岡山駅南土地の売却(イオングループへの)などにより、負債総額約1400億円に対し弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準で会社更生計画が終結しました。


本書は、専務として管理、生産、営業、国際、関連子会社もあわせて管掌されていた前社長の弟・靖氏によって上梓された林原グループの経営破綻顛末記です。


本書はあくまでも弟の目を通して描かれたものであり、翌年社長であった兄・健氏が別の出版社から上梓された『林原家‐同族経営への警鐘』と併せて読むとまた違った角度から迫ることができると思います。


かくいう私はまだ健氏の著書は読んでいませんが、その著書の中で弟・靖氏に対して健氏が絶縁を言い渡したという一文があるというのをあるコラムで知りました。


健氏の著書のタイトルからもわかるように林原グループは典型的な株式非公開の同族経営の企業。


株式非公開ということは経営がオープンでなく閉じられているということから破綻の原因である20数年間にも及んでいた粉飾決算を見抜けなかったというのが多くの人々の見解といわれています。


研究一筋の学者肌の健氏は上場によって株主利益に気をとられていたら長期戦略の研究、経営ができない、という戦略のもと、株式公開に否定的だったそうです。


金喰い虫の研究グループを支えるためには金融機関の融資が必須条件ですが、今回破綻した直接のきっかけは、複数の金融機関に申し込んでいた追加融資を、検討のため金融機関同士がお互いに照らしあった結果、各行の融資残高がそれぞれに違っていたことが判明したことを発端に融資を断られたこと。


驚いたことに前社長であった健氏はその長年の粉飾決算についてまったく知らなかったそうです。

弟である靖前専務は関与は否定しているものの、銀行に報告する借入残高が実際の残高と異なることを承知していたそう。

ならば犯人は・・という問いは虚しく、やはり全責任は経営者にあります。



結果的に弁済率93%という驚異的な弁済を行った優良企業がこのように会社更生法下に入ったこと自体、当地在住の私たちも狐につままれたような違和感を覚えたものです。


これほどの規模の企業でありながら、公認会計士による会計監査も受けていなかったというのは驚きですが、同族会社の古い体質を受け継いでいたのでしょう。


主婦である私が、地元とはいえ、一企業の破綻に並ならぬ興味を抱いたというのも、そのあと少しして実父が興した会社が破綻したということが大きかったと思います。


原因はまったく違いますが、同族会社の悲劇がしみじみと身に沁みました。


話は戻って実父の会社と取引があり、林原のプロポリスもそこを通して購入していましたが、それも叶わなくなって・・・今ではネットを通して購入しています。


プロポリスを見ると思い出す出来事でした。

今年は暖冬とはいえこの2、3日暖房の部屋にいても寒さを感じます。

東京では初雪が降ったとか、当地の県境にあるスキー場・蒜山(ひるせん)でも待ちに待った雪が数cm積もったそうです。

このところ我が家の夕食は鍋の連続。

おでんに始まって、すき焼き、寄せ鍋、水炊き、しゃぶしゃぶ、かにすき、豆乳鍋、そして昨夜は牡蠣の土手鍋。


家族が多かった頃の鍋ものは作り甲斐があったけど、1人減り、2人減りして夫婦2人きりになってしばらくはご無沙汰でしたが、これからはずっと2人・・と考えて以来、気持ちを切り替えて、夫と2人でも鉄板で焼肉もすればお好み焼きや焼きそばもしたりと、できるだけ食生活を充実させるのを心がけている毎日。


山田風太郎氏ではありませんが、あと何回おいしく食事が食べられる?・・・なんて・・・思いながら。


殻つき牡蠣が大好きでシーズンにはよく食べていましたが、ずっと前牡蠣にあたった経験とここ最近友人があたったのを目の当たりにして、よ~く火を通したもの以外の料理法は敬遠。

ほんとは酢牡蠣が大好きなんですけどね。

加熱用牡蠣は陸から近いところで育ち、えさが豊富なため身がふっくらと大ぶりでおいしそうですが、陸から近いだけに雑菌が多いと聞きます。


で、土手鍋でもかなり牡蠣を煮て・・・でもやはりおいしかった!






さて今日は長岡弘樹氏著『波形の声』のレビューを少し。


「小学校四年生の中尾文吾が自宅で襲われた。
補助教員の谷村梢は文吾から、スーパーで教師の万引きを目撃したと聞いていた。
だが襲われる直前、梢の名前を呼ぶ声を近所の人が聞いていたという。
疑惑の目を向けられた梢は……。
人間の悪意をとことん見据えたまなざし、心温まるどんでん返し、そして切なさはビターに!奥の深い長岡ミステリー最新作7篇!」


2009年~2012年にかけて「問題小説」などの雑誌に掲載した7篇の短篇小説を一冊にまとめたのが本書です。


著者の作品は『傍聞き』『教場』をアップしていますが、レビュー作『傍聞き』が清清しい余韻を残していたのに反して、『教場』も本書も計算し尽くされたプロットを構築する才能を感じるものの、ざらりとした読後感の残る作品となっています。


本書の収録された7篇にはどれも人間の内部に秘めている澱のようなものを引きだして衆目に晒していて目を覆いたくなるのもしばしば。


それぞれに著者独特のひねりがあるので、読むのに気が抜けない感じですが、それがおもしろいと思われる方も多いでしょう。


タイトルになっている「波形の声」のあらすじの導入部分は上述のデータベースの通りですが、「波形」という言葉に秘められたトリックが一般的ではなく作為的な感が免れない結末。


筆力のある著者ですが、好き嫌いの評価が大きく分かれる作品だと思いました。

年賀状の行き来も終結というところでしょうか。

夫の転勤で岡山を皮切りに広島、鳥取、神戸、大阪、名古屋、東京と宿替えを重ねてきたので各地に会社関係の人々や知人、友人がいます。

夫がリタイアした時点でだいぶスリムにしたつもりですが、まだまだ年1度だけの交流が続いている方々がたくさんいて・・・賀状の内容もたいてい「お元気ですか?」「またお会いしたいですね」という定型になって・・・これ必要?と度々思っては・・・それでも・・・と惰性で続けているのもあります。

皆さんはどうでしょうか?


携帯やネットですぐに繋がれる環境になっている昨今、だからこそ賀状が大切という意見もありますが・・・。

我が家の年賀状は夫がリタイア後に始めた油彩画作品を貼っていて、それが夫の元気の証拠というゲン担ぎ的な感じで続けているので、止めてしまうのもなんだかなあと思ったり。

細々とながら相手方がお元気な様子に安堵したり、というのを通してやはりもう少し続けようかなと思っています。







さて本日はジュンパ・ラヒリ氏著『べつの言葉で』をご紹介したいと思います。

「「わたしにとってイタリア語は救いだった」ローマでの暮らしをイタリア語で綴るエッセイ。
子供時代から、家では両親の話すベンガル語、外では英語と、相容れない二つのことばを使い分けて育ったラヒリ。
第三の言語、イタリア語と出会ってから二十余年。
ついにラヒリは家族を伴いローマに移住する。
初めての異国暮らしを、イタリア語と格闘しながら綴ったひたむきなエッセイ。
イタリア語で書かれた掌篇二篇も付す」


1967年ロンドン生まれ。両親ともカルカッタ出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。
1999年『病気の通訳』でO・ヘンリー賞
同作収録のデビュー短篇集『停電の夜に』でニューヨーカー新人賞&ピュリツァー賞
2003年『その名にちなんで』
2008年『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞
2013年『低地』
本書『べつの言葉で』は夫と二人の息子とともに移住したローマで、イタリア語で書かれた初のエッセイ集。


ジュンパ・ラヒリの作品は『停電の夜に』と『見知らぬ場所』を読んでいますが、このブログでは『停電の夜に』のみをアップしています。


オー・ヘンリー賞、ピュリツァー賞を受賞されたときは若干30歳前半の目を瞠るほど美しい女性でしたが、本書を上梓したのは47歳のとき。


ベンガル系アメリカ人として生きてきたラヒリがベンガル語でも英語でもない言語で創作活動を始めようとしたのはなぜか、という問いに対して、ラヒリは繰り返し自問自答しています。


安住を避けるという困難な選択を敢えて選ぶところにラヒリのラヒリたる所以がある、というのを確認するのが本書。


 「もしすべてが可能だったら、人生に何の意味や楽しさがあるだろうか?・・・
不完全さは構想、想像、創造性に手がかりを与えてくれる。刺激してくれる。不完全であると感じれば感じるほど、私は生きていると実感する」

この作品の中でラヒリは上述の決意を自分に言い聞かせるごとく繰り返しています。

母国語でない、しかも学習を始めて年数の浅いイタリア語にトライすること自体、驚きに値しますが、ただ本書は日本語訳者を通してのものなので、そのたどたどしさとか驚異的な上手さといったものを知りようがないのが残念といえば残念なこと。


少女時代のラヒリは、家庭ではベンガル語を、外では英語を、という生活の中でどちらの言語も自分の存在基盤としての言語とはなり得なかったといいます。

3つの言語を三角形になぞらえ、底辺はペンでしっかり描かれた英語であり、他の2辺は鉛筆で描かれているものの長さが定かでないベンガル語とイタリア語であるというラヒリ。

そのため、三角形の鏡に映る自分自身の自画像は不安定に歪んでいるといいます。

この不安定な歪みのある自分から明確な自分を探求し、描くことが彼女の創作の目的でもあろうと思われます。


日本語のみで育った典型的な単一民族の私には到底計り知れない世界ですが、ただエッセイとして読むと、もがきながらも前へ前へと進むラヒリの純粋性がそこここに溢れていて模索することへのたゆたいすらも美しく描かれています。

『停電の夜に』の行間に滲んでいたラヒリの若い頃の瑞々しい感性が健在です。

ぜひどうぞ。

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