
先日「スポットライト 世紀のスクープ」を観に行きました。
第88回アカデミー賞作品賞&脚本賞ダブル受賞作。
2002年にボストンの小さな新聞社「ボストン・グローブ」が「SPOTLIGHT」と名づけた新聞一面に掲載して全米を揺るがす極秘スキャンダルを暴露した事件・・・神父による性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたというスキャンダルに材を取った実録映画。
実際のモデルとなったボストン・グローブの2人の記者が1ヶ月ほど前の朝日新聞の土曜版に登場して、カトリック教会という堅牢な砦を取材によって穿っていった困難な過程について語っていらっしゃいました。
昨今芸能人の不倫問題や政治家の不祥事などを次々スクープして話題になっている週刊文春、辣腕編集長の存在がクローズアップされているようですが、その裏には調査や聞き取りなどの取材を積み重ね、念には念を入れた裏取り調査を繰り返して確かだと思える事実のみをピックアップしていく・・・週刊誌や新聞のみならずノンフィクションを書かれる作家の方たちも同様の手順を踏んで世に出していらっしゃると思いますが、そういった舞台裏にスポットライトを当てていてとても興味深い映画でした。
今月半ば国連特別報告者デービッド・ケイ氏が来日、日本の報道に関して「報道の独立性が重大な脅威に直面している」とスピーチされていたのを観られた方も多いでしょう。
それと前後して国際NGO「国境なき記者団(RSF)」が2016年の報道の自由度ランキングを発表しました。
日本は対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位。
特定秘密保護法の施行から1年余りを経て、「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」とこれまた指摘されました。
2010年には11位だった日本は年々順位を下げ、2014年59位、2015年は61位。
ちなみに180位中1位から4位までを北欧の国々・・・フィンランド・オランダ・ノルウェー・デンマーク・・・が占め、アメリカ41位、韓国70位、ロシア148位、中国176位、北朝鮮179位、最下位はエリトリア。
RSFの調査がすべてとはいえませんが、政府による報道への抑圧と取れる言動などもあり、窮屈になりつつあると肌で感じるときが多々あります。
戦後コツコツ積上げてきた自由主義立憲主義日本の基礎が壊れませんように。

「勤務中の吉永のもとに警察がやってきた。
元妻が引き取った息子の翼が、死体遺棄容疑で逮捕されたという。
しかし翼は弁護士に何も話さない。
吉永は少年が罪を犯した場合、保護者自らが弁護士に代わり話を聞ける『付添人制度』を知る。
なぜ何も話さないのか。
翼は本当に犯人なのか。
自分のせいなのか。
生活が混乱を極めるなか真相を探る吉永に、刻一刻と少年審判の日が迫る」
殺人者は極刑に処すべきだ。
親は子の罪の責任を負うべきだ。
周囲は変調に気づくべきだ。
自分の子供が人を殺してしまってもそう言えるのだろうか。
読み進めるのが怖い。
だけど読まずにはいられない。
この小説が現実になる前に読んでほしい。
デビューから10年間、少年事件を描き続けてきた薬丸岳があなたの代わりに悩み、苦しみ、書いた。
この小説が、答えだ。
先日アップした『ローマの哲人 セネカの言葉』の中にも記されているように、この世の誰かに起こったことは誰にでも起こりうること・・・この世界で起こっている数々の悲劇を自分のこととして捉えることの大切さについて考えさせられた作品でした。
著者・薬丸氏は少年犯罪に関する作品をたくさん上梓されていてこのブログでもたくさん取り上げていますが、本書は被害者側ではなく、加害者側の親に焦点を当てて描いて秀作です。
社会的にも働き盛りの有能なサラリーマンの主人公・吉永圭一が離婚した元妻との間にできた中学生の息子・翼の殺人事件を知ることから物語がスタートします。
仕事にかこつけて息子との距離が徐々に遠ざかっていた主人公に突然突きつけられた事件。
自分の息子が突然少年Aになってしまった男の深い苦悩が伝わってきて苦しいほど。
自分の子どもが人を殺してしまったら?
また逆に自分の子どもが誰かに殺されてしまったら?
繰り返し繰り返し頭の隅に置きながら読み進みました。
殺人者は極刑に処すべきだ。
親は子の罪の責任を負うべきだ。
こんなストレートな思いだけではとても言い表せない深い思いを抱かされた作品。
吉永の息子・翼は14歳。
2000年に少年法が改正され、14歳以上は刑事罰の対象となっています。
本書では加害者の父・吉永の苦悩とともに、被害者の父親・藤井の苦悩の姿も描かれています。
どちらの保護者も警察などを通して事件の真実を知ることができないという現実やマスコミの報道から知るということの理不尽にも触れています。
警察にも面会した父親にも差し向けた弁護士にも何も語らない息子に苦悶する吉永はついに「付添人」という道を選択します。
―◆少年及び保護者は、家庭裁判所の許可を受けて、付添人を選任することができる。ただし、弁護士を付添人に選任するには、家庭裁判所の許可を要しない。(少年法10条1項)保護者は、家庭裁判所の許可を受けて、付添人となることができる。(少年法10条2項)◆―
自分のせいなのか。
翼が人を殺してしまったのは
父親である自分の責任なのか。
付添人として認められ、審判を見守りながら自分なりに息子の心に寄り添う努力をする吉永。
命について考えてほしい。
その命がなくなったとき、そばにいる人がどんな気持ちになるのか・・・・・考え続けながら過ごしてほしい。
吉永がもがき苦しみながら翼と真っ向から向かい合おうとする真摯な姿によって徐々に徐々に重い口を開いていきく翼。
「心を殺されるのは許されて身体を殺されるのは何故許されないの?」
「動物を殺すのは許されて何故人を殺すのは許されないの?」
翼の問いかけに対してとっさに答えることができない吉永。
この重い問いかけに吉永が答えるのは翼が自由の身になってしばらくしてある出来事が起こってからです。
それらを含め機会があれば読んでほしい作品です。