VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2016年09月

友人に誘われて今ホットなイケメン憲法学者・木村草太氏の講演会に行きました。

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姿勢のいいイケメンぶりをしっかり拝見^_^

現職は首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部都市教養学科法学系教授・・・ちょっと長いですけど。

東京大学法学部生時代には長谷部恭男氏のゼミにも属しておられていたそうです。

長谷部恭男氏は樋口陽一氏とともに「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人でもあり、小林節氏とともに木村草太氏もメンバーとなっていらっしゃいます。

「立憲デモクラシーの会」は安倍政権になって以来、立憲主義の擁護を標榜し、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認などに反対を表明しているのでご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。


講演は「立憲主義を守る」を基盤に、改憲派の主張の一部である押し付け憲法といわれるものが出来上がるまでのGHQと日本政府の折衝から可決までを時代を遡って示すことから、クローズアップされている憲法第九条および第十三条について述べておられました。

加えて今月半ば、福岡高裁那覇支部で判決があった「辺野古埋立承認取消違法確認訴訟について言及。

被告である沖縄県知事・翁長氏の主張(本件新施設等建設は、国政の重要事項であるとともに自治権を大幅に制限するものであるにもかかわらず、具体的な根拠となる法律がないので、憲法41条及び92条に違反している)に対し、本件施設等の建設及びこれに伴って生じる自治権の制限は、日米安全保障条約及び日米地位協定に基くものであり、憲法41条に違反するとはいえず、さらに、本件新施設等が設置されるのはキャンプ・シュワブの米軍使用水域内に本件埋立事業によって作り出される本件埋立地であって、その規模は、普天間飛行場の施設の半分以下の面積であり、かつ、普天間飛行場が返還されることに照らせば、新施設等建設が自治権侵害として憲法92条に反するとはいえない、というのが判決の主旨。

ところが沖縄県側の憲法上の主張は、「憲法92条及び41条より、米軍新基地建設には、根拠となる法律が必要である」が、「辺野古新基地建設は、それを定めた具体的な根拠法が存在しない」ため、仮に埋立を行っても、米軍基地として運用できないのだから、埋立承認は合理性に欠き、それを取り消す処分は適法である」というもの。

これを享けての上述のあまりにも論点を外した判決には開いた口が塞がらないというか、、司法のレベルを疑わざるを得ないというのに言及。


とても勉強になりました。


木村氏の講演の前にフォークシンガー・野田淳子さんのギター弾き語りがありました。

懐かしい童謡をはじめ、いくつかの歌を披露されましたが、そのうちの1つが心を揺さぶりました。

「死んだ男の残したものは」
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

谷川俊太郎氏の作詞、武満徹氏の作曲によるもの。

ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、オペラ歌手・友竹正則氏によって披露されたそうです。






さて本日は林真理子氏著『ビューティキャンプ』のご紹介です。

「苛酷で熾烈。
嫉妬に悶え、男に騙され、女に裏切られ。
ここは、美を磨くだけじゃない、人生を変える場所よ。
並河由希の転職先はミス・ユニバース日本事務局。
ボスは、NYの本部から送り込まれたエルザ・コーエン。
ブロンドに10センチヒール、愛車ジャガーで都内を飛び回り、美の伝道師としてメディアでひっぱりだこの美のカリスマだ。
彼女の元に選りすぐりの美女12名が集結し、いよいよキャンプ開始。
たった一人が選ばれるまで、運命の2週間。
小説ミス・ユニバース」


ミス・ユニバース地方予選から勝ち上がってきた12名の美女たちが集結し、ミス・ユニバースジャパンを決める大会までの2週間の「ビューティーキャンプ」と銘打った合宿の物語。


ミス・ユニバースNY本部から送り込まれ、日本のミス・ユニバース選をプロデュースするフランス人のエルザの通訳兼スタッフとしてミス・ユニバース日本事務局に転職した並河由希の視点を通してその楽屋裏が描かれています。


物語は12名の選りすぐりの美女たちが合宿の舞台となるホテルに集結するところからスタート、ラストは日本での本選でミスと準ミスが決まる瞬間で終ります。


私生活においても美への並々ならぬ関心を持ち続けていらっしゃるという著者ならではのテーマ。


12名の女の戦い、と思いきや、そういった陰湿な人間関係はほとんど描かれることなく、日本における美人の視点と海外での視点の相違、外見の美しさを当人の自信にさせないような日本独特の風土など、なるほどと思わせる個所はありましたが、概して「それが?」と思わせる内容。

しかし美の伝道師として12名をグレードアップさせるエルザの説得力には脱帽する個所が多々ありました。

あなたはもっと賢いと思ってたけど、ケンソンとやらが大好きなジャパニーズ・ガールの一人だったのね。
あなたね、モデルとして成功するのと、ミス・ユニバースになることとはまるで違うことなの。
いい、モデルは服をひきたてるのがお仕事なの。
ミス・ユニバースは、自分を自分自身でひきたててやるのが使命なのよ。
あなたは今までまるで正反対のことをしていたのよ、わかる?


ミス・ユニバースが決まるまでの舞台裏、興味がある方はどうぞ。

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雨雲が陽を遮りて暗き午後ゆふがほ三輪迷ひて咲けり
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1週間前の今日は私の誕生日。

ずっと「敬老の日」だったので、父母義母たちが生存中はプレゼント選びでそれどころではありませんでしたが、いつしか「敬老の日」も別のところに移動し、その前にすべての人がだんだん亡くなり、ついに私がいちばん先頭に立ってしまいました。

今は夫との2人暮らし、朝から寝るまでがバースディなので、短気な夫も穏やかだという安心感からゆったり過ごせました。

寝るとき、味を占めて、1週間ほどのバースディ延期をお願いしたのですが、あと1日なら、と長期は却下されたので、その翌日にマッサージをお願いしました^_^


夫の作ってくれたバースディディナーは「冷奴」「豚汁」「茄子の生姜焼き」「秋刀魚の塩焼き」「大根おろし」。


写真を撮り忘れましたがおいしくいただきました^_^

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さて本日は下村敦志史氏著『生還者』をご紹介します。 


「ヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで大規模な雪崩が発生、4年前に登山をやめたはずの兄が34歳の若さで命を落とした。
同じ山岳部出身の増田直志は、兄の遺品のザイルが何者かによって切断されていたことに気付く。
兄は事故死ではなく何者かによって殺されたのか―?
相次いで二人の男が奇跡の生還を果たすが、全く逆の証言をする。
どちらの生還者が真実を語っているのか?兄の死の真相を突き止めるため、増田は高峰に隠された謎に挑む!
新乱歩賞作家、3作目の山岳ミステリー!」


著者の作品は第60回江戸川乱歩賞&「週刊文春2014ミステリーベスト10」国内部門 第2位&
「このミステリーがすごい!2015年版」国内編 第3位と3冠を達成して話題になった『闇に香る嘘』を読んで以来。  


『闇に香る嘘』でも見られた、1つのテーマを柱に詳細なディテールを緻密に張り巡らせて破綻の少ないミステリーを構築するという手法が本書でも全篇を通して見られました。


本書の舞台は世界第三位の高峰・ヒマラヤのカンチェンジュンガ。


雪のカンチで雪崩死亡事故が起き4人が死亡、行方不明者1人、そして奇跡の生還者が2人。

その生還者2人の帰国後の証言が真っ向から対立。


どちらが嘘をついているのか、なにを隠すための嘘なのか。


その事故で亡くなった兄の遺品を調べた主人公である弟・増田直志はザイルに不自然な切断の跡を発見して殺人を疑い始めるところから深みに入っていきます。


事故に疑問を抱いた女性記者とともに真実に到達するために最後にはカンチに向かうという筋立てにはかなりの強引さを感じてしまいましたが、最後まで飽きさせることなく、読者を導く筆力には感服しました。


サスペンス小説としてご都合主義的な展開には納得できない部分もありましたが、とにかく山の描写がすごい!


著者は凄腕の登山家なのか、と思わせるほど。


山好きな方はぜひどうぞ!

大阪市立美術館で開催されている「デトロイト美術展」の開催期間が終わりに近づいたので行ってきました。

久しぶりの大阪。

新大阪から地下鉄御堂筋線に乗り換えて天王寺で下りて公園を横切って美術館。

近くのあべのハルカスで昼食をとってゆっくり観て廻りました。

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開催終了が近づいているせいか目玉のゴッホの自画像の前には半端ない人、人、人。

生涯にわたって約40点の自画像を描いたといわれるゴッホの自画像。

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束の間の平安ありや自画像のゴッホの眼に宿るやすらぎ

有名なのはゴーギャンとの諍いで耳を切り落としたあとの耳に包帯を巻いたものですが、今回の自画像はその2年前に描いたもの。

パリに移住し弟・テオとの共同生活をスタートしたときで、当時時代の最先端を走っていた印象派の画家たちーピサロやスーラ、ドガらーとの親睦を深めた時期に描かれたものだそうです。

キャンバスの下方に指を使って塗りこめたらしいゴッホの指の跡が見られて彼の制作の様子が目に浮かぶようです。


モディリアーニの首長の女性像も1点。

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当時交際中でのちに妻となる画学生のジャンヌ・エビュテルヌの肖像画、悲劇的な結末を予想させるような哀しげなジャンヌです。

セザンヌ

セザンヌの妻オルタンス。

裕福な父の援助のもと、売れない絵を描き続けていて貧しいお針子だったオルタンスとの間に息子をもうけながらも父に長く打ち明けられなかったセザンヌ。

その葛藤が表れているようなオルタンスの表情。

せめて生前に少しでも今日の盛況を垣間見せてあげたかったと思われる画家たちです。





さて本日は坂根真実氏著『エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記 解毒』をご紹介します。 

「幼少時から家族でエホバの証人に入信した女性の苦悩に満ちた半生と洗脳が解けるまでを描くノンフィクション。
DV、2度の離婚、自殺未遂、家族との断絶を経て、どん底から彼女はアイデンティティを確立していく」


エホバ・・・ものみの塔・・・というのはキリスト教の分派のカルト集団、時々来たるハルマゲドンについて書かれた小さな福音冊子がポストに入れられていたり、という貧しい知識しか持ち合わせていませんが、息子の輸血を拒否して死なせた信者である両親の記事はある種の驚愕をもって思い出されます。


著者は幼少の頃、信者であった親の意向のもと、入信を余儀なくされた「二世信者」だったそうです。


本書では前述の輸血拒否事件にも言及。

1985年に起きた「大ちゃん事件」。

日本でもエホバの証人の教義と洗脳の恐ろしさが知れ渡ったのはこの事件が報道されたことに端を発していますが、本書を通してさまざまな実態を知るにつけ、こじ付けとしか考えられない教義に縋る洗脳の怖ろしさに愕然としてしまいました。

「間もなく世界の70億人の人類は、ほとんどの人がハルマゲドンで滅ぼされ、たった数百万人のエホバの証人だけが世の終わりを生き残る」


教義の核になるものを簡素に記すとこうなるのでしょうが、幾たびも来たるべきハルマゲドンの予言を外しているにもかかわらず、上述の教義をやみくもに信じている人々がいる、ということが外の世界からみると信じられませんが、本書を通して巧妙に編みこまれたくもの巣のような組織にがんじがらめにされて身動きならない状態で自ら考える力を放棄せざるを得ない環境を構築している・・・過去に問題を起したカルト集団となんら変わらないと思ってしまいました。

元オウムの信者の中には囚人になってさえまだ麻原を偉大な師と讃えて生きるよすがにしている人もいると聞きます。


些細な「洗脳」は誰にもあると思いますが、「洗脳」というものの奥深さ、幅の広さを心して省みるということは大切な作業だと自分にも言い聞かせたことでした。

先日当地のミニシアターに「太陽の蓋」を観にいきました。

以前チェックして観たいリストに入れていましたが、タイミングよく友人が声をかけてくれて同行できました。

7月中旬より東京を皮切りに各地で順次公開されていてやっと当地に。

巨大地震と津波、そして福島原発の事故をもたらした東日本大震災が起きた3月11日からの5日間を、原発事故の真相を追う新聞記者を中心に、当時の政権や官邸内部、東京や福島で暮らす市井の人の姿を対比させて描いています。

2011年3月11日午後2時46分。
東日本大震災が発生し、福島第一原発は全電源喪失という事態に陥った。
冷却装置を失った原子炉は温度が上がり続け、チェルノブイリに匹敵する最悪の事態が迫っていた。
想定外の状況と情報不足で官邸は混乱を極め、市民たちは故郷から避難を余儀なくされていく。
震災当時の菅内閣の政治家を全て実名で登場させ、当時の状況をリアルに再現する。


当地の県議だった橘民義氏が、この世界的にも未曾有の事態を決して風化させてはならないという使命感から私財を投げうって制作されたという思い入れの深い作品。


上映後、橘氏が壇上で上映に至る道のりやご自身の思い入れを語られました。

それと共に、先ごろ40年にわたる国政活動に終止符を打たれた江田五月氏と奥様が観客の一員として来館されていて、映画終了後に橘氏から壇上に呼ばれて、大震災&原発事故当時の官邸や国会での混乱の様子を再現されました。

当時の政権の中核におられた方の生の声が聞けたのはとても有意義でした。


事前にこの映画について書かれたツイッターなどによると、映画の中核となる当時の民主党政権寄りの描き方という批判が多くを占めていましたが、いかんせんこの映画は民主党の政治家に近い立場の人たちが企画した映画だからというのも否めません。

しかし、多くの事象は丹念な記録へのアプローチとともに、資金も制作者周辺が準備した手作りのものとして様々な権力や圧力に屈することなく生み出された貴重な作品であることは重要なポイントだと思います。


当時の錯綜した情報を通して、東電の隠蔽体質が浮き彫りになったり、官邸が即座に得なければならない情報が素通りしてマスコミのニュースソースにキャッチされたりと、時の政府の面目丸つぶれという異常な事態をつぶさに目にして怒りに燃えた当時の私の記憶からしてもかなりの真実をついた作品であるというのは間違いないと思いました。


当時の首相であった管直人氏や枝野幸男官房長官などの官邸の中核はすべて実名でしたが、東京電力だけは「東日電力」という仮名とすることにより敢えてフィクションとして世に出したようです。


もし、あの時、民主党政権ではなく自民党政権だったらどうだったのか。

このような仮定は多くの人々に去来したと思われますが、結果的には原子炉の電源喪失という事態は起こっていたであろうし、情報が東電からいち早く官邸に上がっていたとしてもどのような打つ手があったか・・・という虚しい思いに至ります。

例え東電と親密な関係を結んでいた自民党が政権を担っていたいたとしても。


その後政権交代が行われ、自民党政権になってからの原子力政策はご存知の通りです。


タイトルの「太陽の蓋」というのは、おおまかにいうと「見下ろせないはずの太陽(エネルギー)を見下ろして蓋をしようとする人間」という意味が含まれているそうですが、いまいち理解しにくいと感じたのは私だけだったのでしょうか。


映画のラストに映されたフレーズが強力パンチとなって私たちに迫っています。

原子力は明るい未来のエネルギー


観られる機会があればぜひご覧ください。





さて今回は朝井まかて氏著『阿蘭陀西鶴』のご紹介です。


「『好色一代男』『世間胸算用』などの浮世草子で知られる井原西鶴は寛永19年(1642)生まれで、松尾芭蕉や近松門左衛門と同時代を生きた俳諧師でもあり浄瑠璃作者でもあった。
俳諧師としては、一昼夜に多数の句を吟ずる矢数俳諧を創始し、2万3500句を休みなく発する興行を打ったこともあるが、その異端ぶりから、『阿蘭陀流』とも呼ばれた。
若くして妻を亡くし、盲目の娘と大坂に暮らしながら、全身全霊をこめて創作に打ち込んだ西鶴。 
人間大好き、世間に興味津々、数多の騒動を引き起こしつつ、新しいジャンルの作品を次々と発表して300年前のベストセラー作家となった阿蘭陀西鶴の姿を描く、書き下ろし長編時代小説。
芭蕉との確執、近松との交流。
娘と二人の奇妙な暮らし。
創作に一切妥協なし。
傍迷惑な天才作家・井原西鶴とは何者か?」


朝井まかて氏の作品については2013年第150回直木賞を受賞された『恋歌』を読んだだけですが、とても感銘を受けたのを覚えています。

本書も『恋歌』と同様、史実を丹念に調べあげた痕跡が作品全体に散りばめられていて誠実な作品という印象でした。


そういった史実に忠実な上に堅牢な物語を構築するという力量には感嘆するばかり。


西鶴に関しては高校時代に習った『好色一代男』『世間胸算用』などの著者という域を出ない知識のみでしたが、本書を通して人間・西鶴の姿を垣間見ることができました。


自己顕示欲、出世欲が異常に強く、文芸に魅せられた放蕩息子、世に出るためには手段を選ばない男・・・本書の中ごろまではこんな悪印象をほしいままに展開していきますが、後半になると徐々に人間・西鶴の優しさが淡く漂ってきて、ラストに向かっていきます。

私が驚いたのは、西鶴が俳諧からスタートしたということです。

15歳で俳諧を始め、21歳の頃にはすでに京の貞門派という本流の点者になっていたという西鶴。


その後、いつまでも芽が出ないことにいらだち、貞門派を出て大坂・天満天神宮に設けられた連歌所の宗匠・西山宗因に師事、名を売ることに悪戦苦闘、住吉社の神前で大矢数俳諧を興行、夜を徹して二万三千五百句を詠むという記録を打ちたて、江戸の俳諧師として名高い松尾芭蕉への対抗意識をむき出しにします。

その実、一昼夜に二万三千五百句を吟じたとなれば、一句を考えて口に出すのに三呼吸ほどの間しかないという内容の貧弱さを免れない句の数々。

終って家に辿り着いた西鶴がつぶやいた「射てみたが何の根もない大矢数」という言葉に自らの行動の空しさが籠っていて、ここでも憎みきれない西鶴が浮き彫りになっています。


俳諧の世界では勝ち目がないとみた西鶴が手がけた『好色一代男』・・・これが後世まで西鶴の名を知らしめることになりますが、自身はきっと芭蕉を超える俳諧師でありたかったのではないでしょうか。


これらの物語は西鶴の盲目の娘・おあいを通して描かれています。

「手前勝ってでええ格好しぃで、自慢たれの阿蘭陀西鶴。
都合が悪くなったら開き直って、しぶとうなる。
洒落臭いことが好きで、人が好きで、そして書くことが好きだ・・・
お父はんのお蔭で、私はすこぶる面白かった」

上述の言葉を遺しておあいは26歳で夭折。

西鶴はおあいのあとを追うようにその翌年旅立ったそうです。


機会があればぜひどうぞ!

修理に出していたPCが思わぬ長く戻ってこなくて、その間iPadで凌いでいましたが、片手打ちでは時間がかかりすぎるので短いコメント以外はできないでいました。

その間に嬉しかったことが2つありました。

1つはNHKのEテレの坂井修一選で私の短歌を採ってもらいたこと、そしてもう1つは毎日新聞歌壇の伊藤一彦選で選んでいただけたことです。


我が家は朝日新聞を購読していますが、朝日歌壇への投稿はハガキに書いて投函しなければならず、面倒臭がりの私はそれが億劫で過去に2回ほど投稿したことはありますが長続きせず、NHKのEテレと毎日新聞はインターネット上で投稿できるというのを最近知って、NHKには3度、毎日新聞には2度投稿しただけだったので、ほぼビギナーズラックのような感じ^_^;


NHKから私の歌が放映されるというお知らせの電話があったのは1ヶ月ほど前。

投稿歌は放映が終るまでくれぐれもネット上に出さないことと注意を受けていたので事前にブログにアップすることは控えていました。


歌友の先輩の方々や先生を通して、過去にブログやネットを通して出した短歌は公の歌壇などに出すことは許されないというのを知って以来、ブログに載せる短歌は将来どこへも出さないと思える歌のみと決めていて、短歌生活を送っている昨今、ちょっと不便といえば不便な。


すでに発表されたものはアップしてもいいということなので、恥ずかしいですが記念に掲載しておきます。


透明の膜を纏ひて死者のこゑ聴きゐるやうに本を読むひと(NHK Eテレ)

検診を終へたる夫のこゑ届き祈りは瞬時に感謝となりぬ(毎日新聞)


年に何度かがんのその後検診をしている夫ですが、結果を聞くまでのドキドキに慣れることがありません。

というのも今までやっと安心、と気を緩めたときに必ず次の大きな試練が待っている状況だったので、気を許してはいけないと自分に言い聞かせて弦を担いでいる感じ。

いつかは幸運にピリオドが来ることは承知してはいますが、いま少し、と願っています。






さて本日は小池真理子氏著『沈黙のひと』をご紹介したいと思います。


「両親の離婚によってほとんど関わりあうことなく生きてきた父が、難病を患った末に亡くなった。
衿子は遺品のワープロを持ち帰るが、そこには口を利くこともできなくなっていた父の心の叫び―後妻家族との相克、衿子へのあふれる想い、そして秘めたる恋が綴られていた。
吉川英治文学賞受賞、魂を揺さぶる傑作」


著者についての私の印象は恋愛小説の名手というくらいしかなく、恋愛小説をあまり読まない私は過去にほんの2、3冊を流し読みしただけですが、図書館の棚にあった本書を何気なく手にしたのが運命の出合い・・・とまではいいませんが、心に深く染み入る内容で、これは手元に置いておきたいと思い、読後amazonで購入しました。


著者・小池真理子氏は本書執筆の動機を文藝春秋のウェブ上で語っていらっしゃるので、興味がある方は読んでいただけたらと思います。



タイトルの「沈黙のひと」というのはパーキンソン病によって体が不自由になり、言葉も思うようにしゃべれない、 伝えたいことがあるのに伝えることができないもどかしさがいつしかあきらめの気持ちとなりダルマのように沈黙の人となってしまった、そんな父親を指しています。


私の周りにもパーキンソン病を発症して半年の歳若い友人がいるのでとても他人事と思えず読了。

彼女はまだほんの初期で発見され、動作にほとんど限定するようなものは見当たりませんが、これから徐々に起こるであろう不自由を思うと言葉が見つかりません。


さて本書に戻って・・・

本書は父親が亡くなった10日後に父親の遺品を整理するために訪れた施設での異母姉妹とのやり取りの場面からスタートします。


言葉を発することも歩くことも指先を使って何かをすることもできない父の遺品に見つかった性具とアダルトビデオ。

死に向かってただ息をしていただけのような父親の中に性への渇望があったことに、主人公である娘の「わたし」は深く深く救われます。


父親の死を契機に自分の知り得なかった父親の足跡を辿るために遺品のワープロのハードデスクから父親の生前の交友関係や手紙などを再現する過程で、自分がいかに父親に愛されていたかを知ります。


父の人生と私の人生は、これまで交わったことがなかったのではないか。
私の線と父の線は、一度も交錯しなかったのではないか。
その二本の線は、しかし、なだらかな放物線を描きながら、父の人生が終わりに向かう途中、思いがけずふわりと近づき合ったのだ・・・
いい気なものだ、と自分でも思う。
父がまだ元気だったころ、仕事が忙しいこと、自分と母を捨てた男は拒絶すべきだという信念を理由に、私はめったに父とかかわろうとしなかった・・・
私は長い長い間、親のことをまともには考えなかった。



上述の回想場面は私の中で深い共感を呼び、取り返しのつかない父母との関係を戻そうにも致命的な手遅れを感じて呆然としてしまいました。


私も著者と同じ・・・両親とは人並みに温かい交流もありましたが、若い自分は人生を背負った親を丸ごと知ろうという気もなく、というより知りたいとも思わず、ありきたりの交流でお茶を濁していたような気がします。


本書を通して「家族」とは、「肉親」とは、「夫婦」とはなんだろうと振り返りを余儀なくさせられました。


また生きながらにしてしゃべることも食べることもできず、徐々に徐々に心身の自由を奪われていく病と向き合わなければならない、そして命が尽きるまでいき続けなければならない残酷な生についても深く考えさせられる物語でした。


 「親のことは振り返らない人生を生きてきたものですから、最後の何年かを立ち会って、父が遺したものを目にして、ほんとに作家としてひとりの娘として思うこと感じることがまさに洪水のようにあふれてきたんです。
自分でも収拾がつかないような感情の群れみたいなものをなにか形にしないと自分自身が救われないというところまで行ってしまいました」

 ワープロで書かれた手紙の下書き、会社員時代の手帳、父親が遺した「文字」や「言葉」を傍らに置き読み返した。

 「泣いたこともあります。
父の85年の歳月が一挙に私の中に再現されるわけです。
それを受け取って自分や母と照らし合わせたり、あるいは人が生きて死んでいくとはこういうことかということも含めて、ものすごく深淵な穴を覗き込んでいる感じになってしまったからなんです」


吉川英冶文学賞受賞の発表があった3月4日は奇しくも85年の生を全うされたお父さまの命日だったそうです。

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