私が所属している歌会の冊子の冬号ができあがりました。
7月と12月の年に2回刊行されています。
隔週で開かれている歌会。
市街地でありながら緑に囲まれたすてきな場所にあります。

大きく開いた窓からは背の高いプラタナスの樹林が広がり、さまざまな鳥が憩ったり飛び立ったり。
西も東もわからないまま、ドキドキしながら初めて参加した昨年の4月、初めて提出した短歌。
さみどりの光あふるる教室ではじめましての〈短歌のはじめ〉
はじめの一歩は勇気が必要でしたが、先生や先輩たちに恵まれて今も続けられています。
10人ほどの小さな歌会ですが、毎年二万人以上が応募するNHK全国短歌大会で数少ない特選に選ばれて選者の方たちと舞台にたった先輩たちや、岡山市民文芸祭で市長賞に輝いた先輩たちなどがおられてとても充実しています。
ちなみに今年もメンバーのおひとりが岡山市文芸祭・市長賞を受賞されました。
とねりこの花の白きを揺らしをり二十グラムの雀の重さ 竹原省三
鳥のことならどんなことでもお答えになられる鳥博士といわれている竹原省三さん。
頼もしい先輩です。
とねりこの白い花から五十円玉二つほどの雀の重さにズームするなんてすごいな、と感嘆しました。
さて本日は角田光代氏著『坂の途中の家』をご紹介したいと思います。
「2007年『八日目の蝉』、2012年『紙の月』、
そして2016年――著者の新たな代表作が誕生する!
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない――。
虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていくのだった。
社会を震撼させた乳幼児虐待事件と〈家族〉であることの光と闇に迫る心理サスペンス。
感情移入度100パーセントの社会派エンターテインメント!
私は、果たして、文香を愛しているんだろうか。
もちろん愛していると思っている。
いなくなったらと考えただけで胸がふさがる思いがする・・・
それでも、文香を自分より大切なものと思えるだろうか。
かわいい、かけがえのない子どもと思えるだろうか」
角田氏の作品はほとんど網羅するほどのファンですが、本書も重い主題の作品です。
著者の作品でいちばん心を奪われた『八日目の蝉』は不倫相手の嬰児を連れ去り、逃亡しながら育てるという女性を描いていましたが、本書の主人公はどこにでもいるような、2歳の娘を抱えた専業主婦の女性・山咲理沙子。
ある日理沙子が裁判員裁判の補充裁判員に選ばれたところからこの物語がスタートします。
都内に住む30代の主婦・水穂が浴槽で8ヶ月になる長女を故意に水死させたという事件。
裁判の期間中、理解ある夫の実家に子どもを預け、毎日裁判所に通いながら、水穂に関わる人々の証言に
耳を傾けるうち、徐々に水穂の境遇に自分自身を重ね、いままで深く考えなかった自分と夫の関係、子どもとの関係、義父母や実父母との関係に不安を抱くようになっていきます。
主人公の母、妻、嫁として過去に交わした会話やふるまいを通して、だんだん深みに入って追い詰められていく心情を、これでもか、というほどトレースする著者。
プライベートでは子どもを持っていない著者の、これほどまでに母親としての心理の移り変わりを丹念に描けることに今回も舌を巻く思いでした。
きっと子どもを持っていたら理性的で愛情溢れた母親になっていたはず、とどんな作品を読んでもそこに行き着きます。
横道に反れましたが・・・
本書の主人公の心理状態を追っていると・・・息苦しくなって・・・自分の夫婦関係においても子どもとの関係においても、ここまで深堀すれば、もう進退窮まるだろうという感じ。
世に言うモラルハラスメントもかくあるかなと思えて・・・。
どんな言動も受け手の受け取り方によってはどのような形にも変容するという危うさを孕んでいることを痛感させられた作品でした。
角田氏の筆力&想像力がいかんなく発揮された作品。
とにかく著者の感性がすごい!

7月と12月の年に2回刊行されています。
隔週で開かれている歌会。
市街地でありながら緑に囲まれたすてきな場所にあります。

大きく開いた窓からは背の高いプラタナスの樹林が広がり、さまざまな鳥が憩ったり飛び立ったり。
西も東もわからないまま、ドキドキしながら初めて参加した昨年の4月、初めて提出した短歌。
さみどりの光あふるる教室ではじめましての〈短歌のはじめ〉
はじめの一歩は勇気が必要でしたが、先生や先輩たちに恵まれて今も続けられています。
10人ほどの小さな歌会ですが、毎年二万人以上が応募するNHK全国短歌大会で数少ない特選に選ばれて選者の方たちと舞台にたった先輩たちや、岡山市民文芸祭で市長賞に輝いた先輩たちなどがおられてとても充実しています。
ちなみに今年もメンバーのおひとりが岡山市文芸祭・市長賞を受賞されました。
とねりこの花の白きを揺らしをり二十グラムの雀の重さ 竹原省三
鳥のことならどんなことでもお答えになられる鳥博士といわれている竹原省三さん。
頼もしい先輩です。
とねりこの白い花から五十円玉二つほどの雀の重さにズームするなんてすごいな、と感嘆しました。

「2007年『八日目の蝉』、2012年『紙の月』、
そして2016年――著者の新たな代表作が誕生する!
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない――。
虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていくのだった。
社会を震撼させた乳幼児虐待事件と〈家族〉であることの光と闇に迫る心理サスペンス。
感情移入度100パーセントの社会派エンターテインメント!
私は、果たして、文香を愛しているんだろうか。
もちろん愛していると思っている。
いなくなったらと考えただけで胸がふさがる思いがする・・・
それでも、文香を自分より大切なものと思えるだろうか。
かわいい、かけがえのない子どもと思えるだろうか」
角田氏の作品はほとんど網羅するほどのファンですが、本書も重い主題の作品です。
著者の作品でいちばん心を奪われた『八日目の蝉』は不倫相手の嬰児を連れ去り、逃亡しながら育てるという女性を描いていましたが、本書の主人公はどこにでもいるような、2歳の娘を抱えた専業主婦の女性・山咲理沙子。
ある日理沙子が裁判員裁判の補充裁判員に選ばれたところからこの物語がスタートします。
都内に住む30代の主婦・水穂が浴槽で8ヶ月になる長女を故意に水死させたという事件。
裁判の期間中、理解ある夫の実家に子どもを預け、毎日裁判所に通いながら、水穂に関わる人々の証言に
耳を傾けるうち、徐々に水穂の境遇に自分自身を重ね、いままで深く考えなかった自分と夫の関係、子どもとの関係、義父母や実父母との関係に不安を抱くようになっていきます。
主人公の母、妻、嫁として過去に交わした会話やふるまいを通して、だんだん深みに入って追い詰められていく心情を、これでもか、というほどトレースする著者。
プライベートでは子どもを持っていない著者の、これほどまでに母親としての心理の移り変わりを丹念に描けることに今回も舌を巻く思いでした。
きっと子どもを持っていたら理性的で愛情溢れた母親になっていたはず、とどんな作品を読んでもそこに行き着きます。
横道に反れましたが・・・
本書の主人公の心理状態を追っていると・・・息苦しくなって・・・自分の夫婦関係においても子どもとの関係においても、ここまで深堀すれば、もう進退窮まるだろうという感じ。
世に言うモラルハラスメントもかくあるかなと思えて・・・。
どんな言動も受け手の受け取り方によってはどのような形にも変容するという危うさを孕んでいることを痛感させられた作品でした。
角田氏の筆力&想像力がいかんなく発揮された作品。
とにかく著者の感性がすごい!