VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2017年01月

生きなければわからないことがありました。
八十歳を越えてから、やっといまわかったということが、たくさんありました。
        宮崎かづゑ(「長い道」から)


十歳で瀬戸内のハンセン病療養所に入園した彼女は、後遺症で苦しむなか、八十歳近くになってはじめて幸せだったとの思いを得たといいます。

経験を正面から受けとめるのに人はこれほどの長い時間を要するのだという証。


母は生前、「この年になってみないとわからない」と周囲の安易な共感を時として退けていましたが、想像力だけでは近づくことすらできない境域がある、というのが年齢と共にひしひしと理解できるようになりました。


「人の身になる」という言葉が世の中で氾濫しています。


長く「いのちの電話」の相談員をしていたということもあって、他者のさまざまな境遇を受けとめる許容範囲はかなり広く、相手の身になる、というトレーニングも積んだつもりでしたが、いざ自分の身に起こるとそういったトレーニングも粉々となることをいくつか経験して、未熟な自分を度々見せつけられています。


自分の人生の幸不幸を知るのもこれほどの年月を要するのだから、他者の身になる、などの言葉は安易そのものと思いますが、それでもほんの少し相手の身になれば、人間関係は少しなめらかになると信じます。


スタートしたばかりのトランプ氏の指弾というべき言動を見ているとそんなことを思ってしまいました。






さて本日はアンソニー・ドーア氏著『すべて見えない光』をご紹介したいと思います。

「孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。
パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。
戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。
そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド―。
時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描き出す。
ピュリツァー賞受賞の感動巨篇。
ピュリツァー賞受賞(小説部門)、カーネギー・メダル・フォー・エクセレンス受賞(小説部門)、オーストラリア国際書籍賞受賞、全米図書賞最終候補作」


ほんとうに美しい小説。

500ページを超す作品を通して、1ページずつ惜しむように読みすすみ、終わるのを惜しんだ久しぶりの作品でした。

2015年度ピュリツァー賞受賞作。


舞台はフランスの観光地モン・サン・ミッシェルの西40キロにある港町サン・マロ。

主人公はフランスの盲目の少女マリー=ロールとドイツの少年兵ヴェルナー。

一生を交わることのないような遠く隔たった二人がまるで見えない糸に手繰られるように短い縁を結びます。


時代背景は第二次世界大戦末期。

ドイツ軍と連合国の交戦に巻き込まれて壊滅したサン・マロ。

年月日が章立てとなっている本書は時間を交互に重ねるように物語を展開させています。


章の中でも際立っているのが、大戦下のサン・マロの町での数日間。

二人の短い邂逅。


その日々を軸として現在と過去が放射状に交差します。


ひとつの章はとても短く、しかしひとつひとつの章の密度の濃さが際立っています。


二人を取り巻く環境や人々が極め細やかに描かれていて、知らず知らず遠い二人の魂が響きあう音に揺さぶられている錯覚さえ覚えるような文章のつらなり。


とても音楽性のある作品だと思いました。


人と人とは互いに見ることができない光でつながっている

この物語のテーマを簡素に表現するとこのようです。


私の拙い言葉を重ねれば重ねるほどこの物語の美しさから離れていくような・・・


どうぞ読んでください。


余談ですが、日本版である本書の表紙にはロバート・キャパによる少年と少女の写真が使われています。

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幼いころから本を読むことが好きだった私は中学生の頃から読む本の量が加速して学校図書館や市の図書館を利用してたくさんの本を読んできました。


ヘッセが大好きだった5歳上の姉が大学生活を京都で送っていたとき、帰省の折々お土産にヘッセやバイロン、ハイネの詩集を買って帰ってくれるのを首を長くして待っていた中高生時代。


ちくま書房の世界の文学、日本の文学を読み漁ったのもこの頃。


そんな山ほど読んだ本の読書記録を残そう、と思い立ってホームページを作ったのがこのブログの始まり。


今から15年ほど前のことです。


その後ブログという簡単なツールが登場したのでブログに移行して11年になります。



今ではエンタメ専門のような読書歴となってしまっていますが、これからはますます気楽に読める本を求めて、ブログに残すこともしなくなりそうな予感がします。



NHK全国短歌大会の歌の続きですが、一首勝負のほかに近藤芳美賞という近代短歌の礎を築かれた歌人の名を戴いた15首連作の賞があります。


連作となると15首を流れるひとつのテーマが必要になります。


時事詠、旅行詠、それとも大切な人の死をテーマのものなど多種多様ですが、自分自身にいちばん合うテーマは、と考えて「本」についてまとめたのが今回入選したものです。


記録としてアップしておきます。


「ふろふきのやうに」

光射す図書館の奥黄ばみゐしわが青春の『三太郎の日記』

そこだけが時が止まりしままのやうちくま全集の小暗き書棚

本棚の奥へ奥へと埋もれゆく『されど われらが日々―』捨てられずゐる

亡き人らの言葉に埋もるる図書館は生者と死者の行き交ふところ

図書館で読みし『水葬物語』新たなわれの旅となりたり

春の宵 中也の詩集を開くとき刹那に灯るわが恋のあり

窓の辺の風鈴の下揺り椅子に埋もれて読みぬ中也の失意

映像化してほしくない幾ひらの本を心に隠してをりぬ

原爆忌巡りくるたび浮かびこしわがまなうらの『五十鈴川の鴨』

八月の卓に並べる『戦中派不戦日記』とチーズ肉トロ

響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

大いなる時の隔たりなきごとし陽だまりで読むラ・ロシュフコー

花(はな)布(ぎれ)はヒユウガミズキの淡き色 漱石全集書架にまどろむ

一冊を抜けば漱石寄りかかる時代を超へて羽田圭介に

煮つめられ深み増したるふろふきのやうに生きよと長田弘は








さて本日は吉田修一氏『怒り』のご紹介です。 
「若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。
犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。
そして事件から一年後の夏―。
房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。
山神一也は整形手術を受け逃亡している、と警察は発表した。
洋平は一緒に働く田代が偽名だと知り、優馬は同居を始めた直人が女といるところを目撃し、泉は気に掛けていた田中が住む無人島であるものを見てしまう。
日常をともに過ごす相手に対し芽生える疑い。
三人のなかに、山神はいるのか?犯人を追う刑事が見た衝撃の結末とは!」


昨年映画化されて話題になった作品。


著者によると、平成19年英国人の英会話講師を殺害遺棄した容疑で指名手配され、2年後逮捕された市橋達也の事件に材を得て執筆されたそうです。


市橋達也の逃亡中、警察に多くの情報が寄せられ、その大半が別人だったという内容にインスピレーションを得たという著者。


本書でも東京、千葉、沖縄と3つの舞台を設定し、それぞれに前歴不詳の3人の男を配置、疑心暗鬼の人間の心の葛藤を描いています。


東京郊外で夫婦二人が惨殺され惨殺現場に「怒」という血文字を残して逃走した殺人事件から1年後の夏。

房総の漁港で暮らす洋平・愛子親子の前に現れた田代。

大手企業に勤めるゲイの優馬の前に現れた直人。

母と沖縄の離島へ引っ越した女子高生・泉の前に現れた田中。


それぞれに公にできない事情を抱えながら、周囲の環境に徐々に溶け込んで生活の基盤を築きつつあった、そんなとき、指名手配されている山神一也の情報をテレビで知った周囲の人々がそれぞれ3人を疑い始めるところから、さまざまな物語が生まれます。


本書はそういった状況の下、身元不明の3人と彼らを取り巻く周囲の人々との間で起こる軋轢を描いています。


山神一也はだれか?という謎解きはラストで解決しますが、本書で著者が描きたかったことはそんなミステリーの常套的な展開ではなく、「人は何をもって他者を信頼信用するのか」ということではないでしょうか。


このテーマについて、自分なりに考えてみると・・・

少なくとも人の言葉によって、というよりその人の行動、それも少なくとも今を遡る過去の行動に信用の重きを置いているような気がします。

そして風通しのいい人。

言動が一致する人。


わたし自身は人を疑わない性格が危険を孕んでいるということをかねがね注意されていますが、やはり人を疑わない、というスタンスはこれからもずっと保っていきたいと思います。


本書にはこのようなテーマを軸として、同性愛者、母子家庭、発達障害など、社会で生きづらい人々の生活が淡々とした筆致で描かれています。


かなりの長編、全編を通してエネルギーがなければ読めないような内容で彩られていますが、読み応えはありました。

よかったらどうぞ。

上京のつづき。

NHK全国短歌大会では特選者の付き添いというか観覧者に前列の席が用意されるので、寒い中長蛇の列に並んで整理券を調達しなくていいという特典があり、今回は当地から卓球&絵の友人3人と夫、そして現地で子どもたちが合流しました。


せっかくの東京、NHKホールだけでは、ということで汐留にあるパナソニックミュージアムで開催されている「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密 」を観てきました。


「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密 」汐留パナソニックミュージアム

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フランスの巨匠のふたりが生涯を親友として支え合ったという事実。

1890年代のパリ、国立美術学校・ギュスターヴ・モローの指導する教室で知り合ったふたり。



マティス

ルオー

ふたりの間で交わされた1906年~1953年までの長きにわたる手紙の数々が作品とともに展示されていて胸を打ちました。


その後長男の家に一泊して帰宅、途上冠雪の富士山の威風堂々!

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長男宅で

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久しぶりの駅弁




さて今回は天童荒太氏著『ムーンナイト・ダイバー』をご紹介したいと思います。

「ダイビングのインストラクターをつとめる舟作は、秘密の依頼者グループの命をうけて、亡父の親友である文平とともに立入禁止の海域で引き揚げを行っていた。
光源は月光だけ――ふたりが《光のエリア》と呼ぶ、建屋周辺地域を抜けた先の海底には「あの日」がまだそのまま残されていた。
依頼者グループの会が決めたルールにそむき、直接舟作とコンタクトをとった眞部透子は、行方不明者である夫のしていた指輪を探さないでほしいと告げるのだが…
311後のフクシマを舞台に、鎮魂と生への祈りをこめた著者の新たな代表作誕生」


3・11から5年目となるフクシマを舞台に鎮魂と生への祈りを込めて描いた作品。


「オール讀物」に掲載したものを書籍化しました。


「小説『悼む人』を書いた者として、表現者として震災にどう向き合うかずっと考えてきた」と天童氏。

「津波で海に多くのものがさらわれ、多くのものが海にある」と考えたのがきっかけと語る著者。


震災後立ち入り禁止区域となった東京電力福島第1原発の周辺海域の海へ非合法に潜り、海の底から見つけた遺品を持ち帰るというダイバーを主人公に、との構想。


津波で父と兄を失った過去をもち、ダイビングのインストラクターとして働く瀬奈舟作。


違法と知りながら人目を避けて月明かりのある夜中に海に潜り遺品を持ち帰る舟作。


「なぜ生き残ってしまったのか」

「なぜ駆られるように潜るのか」


九死に一生をえて生き残った人々の抱える罪悪感ーサバイバーギルトーという命題とともに未だ復興という言葉とは遠いところにある被災地の現状を伝えるというテーマが柱となっています。


違法と知りながら、一瞬にして海の底に沈んでしまったあの日以前の日々を取り戻すために悪戦苦闘する主人公の姿は『悼む人』の主人公とどこか同じ根っこを持っているように思います。


テーマはずばり「贖罪」。


おそらく著者の永遠のテーマの根がそこにあるからでしょう。


並行して家族や夫婦、男と女の愛がさまざまな形で描かれているのも読みどころのひとつです。


好き嫌いがあるかとは思いますが、読み応えのある作品でした。

大寒波が押し寄せるという予報の20日から22日にかけて上京していました。


たくさんの作品の中からふとした気まぐれで予選を通過し、そしてまたひとりの選者の先生の気まぐれで選んでいただけたようなわたしの短歌が思いがけず特選に選ばれNHK全国短歌大会に参加しました。


年末に紅白歌合戦が行われるNHKホールの壇上に選者の方々と隣り合わせに並ぶという晴れがましい祭典。


3年ほど前まではこのような祭典があることすら知らなかったので自分のことながらびっくり。


地元で所属している歌会の先生の勧めで昨年より少しずついくつかの大会に出詠していました。


このNHK全国短歌大会には2度目。


この大会の内容は「題詠」「自由詠」、そして15首連作の「近藤芳美賞」からなっています。


昨年は大胆にも初めての出詠で15首連作に挑んで当たり前ながら落選、「題詠」のみ一首が佳作となっただけでした。


そして2度目の今年、「題詠」が特選と入選、「自由詠」2首が入選、そして「近藤芳美賞」が入選となりました。


15首連作にもっとも力を入れていたので、1首勝負はわたしにはおまけという感じでしたが、やはり特選は特別なので面映くも嬉しいです。


舞台でアナウンサーの方が自作を読んでくださることすら恥ずかしいような歌でしたが、記念に挙げておきます。


採ってくださった選者の方は短歌界の大御所・岡井隆氏でしたが、体調を崩されて大会を欠席されて同席することができず残念でした。


お題は「風」、昨年の参院選の折投票所への道すがら詠んだ一首です。



一票を持ちて行かむかこの国の明日に少し風入れるため


ゆらゆらと夜風に揺れをりベランダに並べて干さるる一塩の鯵


長い長い手紙に添へし追伸でほんたうのこと一気に記せり


ささやかな奇跡と思ふ朝採りの露をくトマトの完熟の味







さて本日は佐々木譲氏著『密売人』を少し。  


「十月下旬の北海道で、ほぼ同時期に三つの死体が発見された。
函館で転落死体、釧路で溺死体、小樽で焼死体。
それぞれ事件性があると判断され、津久井卓は小樽の事件を追っていた。
一方、小島百合は札幌で女子児童が何者かに車で連れ去られたとの通報を受け、捜査に向った。
偶然とは思えない三つの不審死と誘拐。
次は自分の協力者が殺人の標的になると直感した佐伯宏一は、一人裏捜査をはじめるのだが・・・・・・。
道警シリーズ第五弾、待望の文庫化!」


『うたう警官』から続く道警シリーズの5作目。

すでに7作まで刊行されています。


『うたう警官(文庫改題:笑う警官)』『警察庁から来た男』『警官の紋章』『巡査の休日』→『密売人』→ 『人質』
『憂いなき街』という時系列。

抜けていた5作目の本書を読了して、シリーズすべてをアップしたことになります。

6作目、7作目が少しマンネリ化していると感じていましたが、本書の読後感はよかったです。


佐伯を筆頭に津久井、小島、新宮のおなじみの面々がそれぞれの部署から集い、バラバラに起きた事件のつながりを追うという内容。


道警シリーズで著者が一貫して描いているテーマは警察という巨大な組織の中の腐敗との戦い。

個人の正義vs組織の腐敗という構図。


組織が膨らめば膨らむほど、組織ぐるみの企みが育つというのは警察に限らず大企業においても同じですが、警察という特殊な組織においては、暴力団がらみの不祥事も多々あることは想像に難くありません。


そのような反社会勢力を追い詰めるためにマルボウ対策の刑事たちはS(情報提供者)を操って不穏な情報をいち早くキャッチするといいます。

そういった過程で逆に反社会勢力に取り込まれる刑事もいて然り。

本書はそのSたちの相次ぐ不審死が発端の事件を描いています。


警察組織の中で「正しい警察官」を全うすることの難しさも描かれていて秀作でした。

寒波が押し寄せて寒さの底のような気温になりました。

「晴れの国」といわれている当地の市中も先日、初の粉雪が少し・・・すぐに消えてしまいましたけど。


当地の市街地は高い中国山脈に遮られて雪が積もることがほとんどありませんが、隣の広島市街地は山脈が低く、今回も相当な積雪というニュースも流れて・・・。


SNSで親しくしていただいている長野のおかんさん、新潟のrunrunさんのご自宅も雪に埋もれていてさぞたいへんだろうなぁとため息がでます。

どうか雪害がでませんように!



京都・舞鶴出身の夫は雪に悩まされて育ったようですが、雪というと少年心が刺激されてわくわくするといいます。

苦労されている雪国の方々には不謹慎極まりない言葉ですが、今朝も崩れない雪だるまの作り方を今更必要のないわたしに伝授してくれました^^;



以下の写真はお正月に子どもたち、娘の親友たちが我が家に集まって昼間から夜更けまで宴会をしたときの写真。

日記代わりに遅ればせながら・・・。

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たくさんのご馳走を前にしても小春は分をわきまえているのか?・・・ドッグフード以外を禁止しているので興味を示すことなく、いい子にしていてみんなに時折撫でられていました(^.^)

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さて本日は中島たい子氏著『院内カフェ』をご紹介します。

「受診するほど病気じゃない。
入院するほど病んでない。
けれど、どこか不安な私たちは、あのカフェで、病院の傍らにいることで、癒されている。
過去にあそこで「何かが良くなった」経験があるからだ。
『漢方小説』から10年。
新たな舞台は総合病院のカフェ。ふた組の中年夫婦のこころと身体と病をえがく、カフェの醸し出す温かさが流れる長編小説」


著者の作品は以前このブログでも二点ご紹介しています。


紹介文にある『漢方小説』と、それに続く『結婚小説』、よかったら読んでください。 


『漢方小説』でデビューした著者、デビュー作もよかったですが、本書は小説家としての円熟味が感じられてほんのり温かい読後感を得られた作品でした。



7つの章立てとなっていますが、章ごとに登場人物の核が変わり、そしてその各々が思いがけない繋がりをみせる、そんな構成になっています。


舞台は病院内にあるカフェ。

最近は大きな病院には必ずといっていいほど外部からのカフェが併設されていて見舞い客や通院患者、または入院患者たちの一時的な憩いの場となっています。


閉塞感のある病院内という場にありながら、ちょっぴり医療から遠ざかることのできる空間。


そこに集う人々は当然、さまざまな問題を抱えていると想像できます。


本書はそんな院内カフェで土日だけ働く売れない小説家の主人公を軸にカフェの店長、カフェに集う常連さんたちの奇跡の物語。


自然酵母のパン職人の夫と幸せな夫婦生活を送っていながら不妊という問題を抱えている主人公の亮子をはじめ、難病に見舞われた夫との夫婦生活を通してわだかまりを抱えた中年夫婦、存在感をひけらかすように白衣をまとった医師、心身に問題のある患者など、さまざまな問題を抱えながら、日々を過ごしている人々の陽だまりのようなカフェでの数日間の出来事。

寒い夜のホットココアのような小説。


ぜひどうぞ。

年末年始の最大のイベントは小春の帰省。

満1歳と8ヶ月の小春。

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人間で言うと20歳くらい・・・でもまだまだ幼さが残っていて可愛い♪

どうやら家族の中で私の地位が同等か少し下くらいの扱い。

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朝起きると私に向かって跳びあがって甘噛みを繰り返してエンドレスにジャレる小春。


次男のしつけが厳しいせいか、食卓にどんなおいしそうな食べ物が並んでいてもぜったい手を出さないし、部屋で放していても排泄しないのがすごいし、まったく鳴かない。

首輪とリードを装着して外に出たら排泄するものと認識しているらしく、散歩と散歩の期間がどんなに長くても、ずっと我慢しているのがいじらしくて切ない小春。

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独身でサラリーマンの次男恃みの散歩なので我慢強くなったのか。。


思いっきり撫で撫でして甘噛みの相手をして別れました。


淋しい・・・小春ロス中です。







さて本日は中勘助氏著『銀の匙』のレビューです。


永遠の名作、皆さんも一度は読まれたことがある上、心に残っている一冊であろうと思います。


「なかなか開かなかった茶箪笥の抽匣(ひきだし)からみつけた銀の匙。
伯母さんの無限の愛情に包まれて過ごした日々。
少年時代の思い出を中勘助(1885-1965)が自伝風に綴ったこの作品には,子ども自身の感情世界が,子どもが感じ体験したままに素直に描き出されている。
漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作・改版(解説=和辻哲郎)」



新潮社や岩波書店、小学館など名だたる出版社から刊行されている一家に一冊の名作。


一昨年は中勘助生誕130年、没後50年にあたった年。

本書はそれを記念して初版本の装丁のままに復刻したものだそうです。


1910年(明治43年)に執筆した前編と1913年(大正2年)に執筆した後編を夏目漱石に送って閲読を乞うたところ絶賛され、漱石の強い後押しによって1913年~1915年にかけて東京朝日新聞で連載されました。

その後岩波書店などから続々刊行されたのは前述の通りです。


『銀の匙』といえば、連動して思い出すのが灘中学校において半世紀にわたって国語教諭をされていた橋本武氏のこと。

2013年に101歳で天寿を全うされた名物教師・橋本武氏。


軍国主義的な記述を黒塗りした教科書に嫌気がさし、『銀の匙』だけを授業に用い3年間かけて読み込む「スローリーディング」の授業を行っていたことで有名です。


あまりに深い掘り下げ方に物語は遅々として進まず、生徒から「この進捗では200ページを3年で消化できないのでは」という声が度々あがったそうですが、橋本氏は「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」とし、テーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか“学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう教鞭を取り続けたといいます。


自らの手作りのプリントのみを使って、生徒自身に調べさせ、考えさせる授業。

教材中の章のタイトルを自分で考えさせたり、言葉の意味を自分で調べさせたり、ときには中勘助さんに直接、質問の手紙を書かせたりといった特殊な授業。


『銀の匙』で学んだ初代生徒たちは6年後に15名が東大合格。

その6年後、2代目は京大合格者数では日本一に。

そして1968(昭和43)年に灘校はついに東大合格者数日本一という快挙を成し遂げたそうです。
『銀の匙』の授業を始める前には5%しかいなかった国語好きの生徒が95%にまで増えたというアンケート調査結果が出たそうです。


さて前置きはこれくらいにして本書に移ります。


本書は著者・中勘助氏の自伝的要素の強い作品といわれています。


幼少期から10代後半までの物語。


著者は27歳から28歳にかけて本書を執筆したそうですが、幼年時代の回想を中心のこの物語。


大人になった著者が執筆したとは思えないほど、子ども時代のあるがままの感情が瑞々しく綴られているところ、本書の最大の魅力といえます。


引き出しに銀の匙を見つけたことから記憶の糸を手繰り寄せるように子ども時代に戻っていきます。


その銀の匙は、母親代わりに庇護してくれた伯母が体の弱かった「私」の口へ薬を入れるために使ったもの。


愛する伯母に最大限に護られていた穏やかな日々や優秀な兄との相克、消極的だった子ども時代が感受性豊かに綴られています。


「私は常に子どもらしい驚嘆を持って自分の周囲を眺めたいと思う。
人々は多くのことを見慣れるにつけただそれが見慣れたことであるというばかりにそのままに見過ごしてしまう」と著者。


どんな大人も経験がある子どもであった時代に置き忘れてしまった感受性を、そのままストレートに描いているからこそ、本書が永遠のロングセラーといわれる所以であろうと思われます。


大人の視線を通して描いた子どもの姿、というのではなく、子どもそのものの心で描いているからこそ、私たち読者に懐かしさを蘇らせてくれるのではないでしょうか。


繊細で清冽な描写の数々、ぜひ再読をどうぞ!

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