ここ数年高齢運転者による事故が多発していて他人事とは思えなくなりました。
そうかと思えば認知症の特集に広く紙面を割いたり・・・。
厚労省の試算によれば2025年には700万人に達するだろうという認知症患者の推計値。
65歳以上の5人に1人が罹患するといわれて、これも他人事とは思えない・・・
昭和16年に老健局が「痴呆」に替わる用語として選定した複数の候補例から「認知症」を選んだそうですが、この言葉もなんだかね~。
アメリカでは「認知症」のことを“long goodbye”「長いお別れ」というそうですが、少しずつ少しずつ記憶を失くしてゆっくりゆっくり遠ざかっていくロング・グッドバイ、いい言葉だなあと思います、医学用語は別でしょうけど。
遠ざかっていくのは・・・いま置かれている現実や、人間関係とそれらにまつわる事象、そしてなにより自分自身・・・との決別。
アメリカの小説家レイモンド・チャンドラーの作品に同名のものがありますが、このタイトルで認知症をテーマに作品を上梓された中島京子氏。
認知症の実父と10年目に死別された中島氏の実体験をもとに書かれたそうです。
中島京子氏著『長いお別れ』
「“少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く”といわれる認知症。
ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう。
迷子になって遊園地へまよいこむ。
入れ歯の頻繁な紛失と出現。
記憶の混濁--日々起きる不測の事態に右往左往するひとつの家族の姿を通じて、終末のひとつの幸福が描き出される。
著者独特のやわらかなユーモアが光る傑作連作集」
1964年東京生まれ
父はフランス文学者で中央大学名誉教授の中島昭和
母はフランス文学者で明治大学元教授の中島公子
姉はエッセイストの中島さおり
東京女子大学文理学部史学科卒業後出版社勤務を経て渡米、帰国後ライターとなる
2003年『FUTON』で第25回野間文芸新人賞候補
2006年『イトウの恋』で第27回吉川英治文学新人賞候補
2007年『均ちゃんの失踪』で第28回吉川英治文学新人賞候補
2008年『冠・婚・葬・祭』で第29回吉川英治文学新人賞候補
2010年『小さいおうち』で第143回直木三十五賞受賞
2014年『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞
2015年『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞・第4回歴史時代作家クラブ作品賞・第28回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞
2015年『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞・第5回日本医療小説大賞をそれぞれ受賞
映画でも話題になった直木賞受賞作『小さいおうち』のレビューはこのブログでもアップしていますのでよかったら読んでください。
父・昇平がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。
老夫婦と3人の娘とその家族の日常を8篇の連作で描いています。
母・曜子から呼びつけられ東京郊外の実家に姉妹が久々に集うところから物語がスタート。
元中学の国語教師で校長職や図書館長を歴任して今は悠々自適という設定の昇平。
長女・茉莉は夫の赴任先のアメリカ西海岸から、東京都内に住む次女・菜奈は8歳の息子・将太を連れて、フードコーディネーターで気ままな独身の三女・芙美は手料理を持参してそれぞれ駆けつけます。
そこで娘たちは久しぶりに会う父親の異様な言動に直面して驚くのです。
手土産のタルトの中身より包み紙に興味を示し、丁寧に皺を伸ばし泉屋のクッキーの缶に仕舞う、タバコの空箱を捨てずに飾る、町内の将棋大会4位の賞状や遥か昔の大学の卒業証書を飾る・・・過去数十年にわたって二年に一回、同じ場所で行われている高校の同窓会が催されていた場所に昇平が辿り着けなかったことを発端に妻・曜子とともに“ものわすれ外来”を受診して初期のアルツハイマー型認知症と診断された昇平。
「物を溜めこむのは認知症の典型的症状らしいですね。
一昨年亡くなった私の父も煙草の空箱とか喫茶店のお砂糖なんかをやたら集めていて、私たちが捨てようとすると『こんなに大事なものを』って怒るんです・・・
父の思いの真相はわかりませんが、父が記憶や言葉を失っていく過程では結構笑っちゃう話も多くて(笑い)。
私たち家族にとってはそれも日常ですから、そういう面白い出来事もたくさんある長いお別れを、できれば明るく書いてみたかった」
著者はこのようなスタンスで自らの10年にわたる実体験を、オロオロしながらも家族一丸となり、そして時には認知症を俯瞰しながらユーモアを交えて描いています。
ストレートに記せば悲惨になりがちの内容ですが、著者の俯瞰力と筆力とそして資質が相まってとてもいい小説になっています。
読んだ後、しみじみとした温かい、何かに満たされたようなほのぼの感をも感じてしまいました。
何より、母である妻の夫に対する一途な思いが娘たちを揺り動かす原動力となって・・・
そして家族それぞれにそれぞれの事情があり、日常生活がありながら、主人公の昇平を真ん中にして、自分たちの出来うる限りの手を差し伸べようとする昇平に対する気持ちの温かさが伝わってきての読後感のよさであろうと思われました。
優しさ、温かさにはほどよい知性が土台になっていると思わせる物語でした。
そうかと思えば認知症の特集に広く紙面を割いたり・・・。
厚労省の試算によれば2025年には700万人に達するだろうという認知症患者の推計値。
65歳以上の5人に1人が罹患するといわれて、これも他人事とは思えない・・・
昭和16年に老健局が「痴呆」に替わる用語として選定した複数の候補例から「認知症」を選んだそうですが、この言葉もなんだかね~。
アメリカでは「認知症」のことを“long goodbye”「長いお別れ」というそうですが、少しずつ少しずつ記憶を失くしてゆっくりゆっくり遠ざかっていくロング・グッドバイ、いい言葉だなあと思います、医学用語は別でしょうけど。
遠ざかっていくのは・・・いま置かれている現実や、人間関係とそれらにまつわる事象、そしてなにより自分自身・・・との決別。
アメリカの小説家レイモンド・チャンドラーの作品に同名のものがありますが、このタイトルで認知症をテーマに作品を上梓された中島京子氏。
認知症の実父と10年目に死別された中島氏の実体験をもとに書かれたそうです。

「“少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く”といわれる認知症。
ある言葉が予想もつかない別の言葉と入れ替わってしまう。
迷子になって遊園地へまよいこむ。
入れ歯の頻繁な紛失と出現。
記憶の混濁--日々起きる不測の事態に右往左往するひとつの家族の姿を通じて、終末のひとつの幸福が描き出される。
著者独特のやわらかなユーモアが光る傑作連作集」
1964年東京生まれ
父はフランス文学者で中央大学名誉教授の中島昭和
母はフランス文学者で明治大学元教授の中島公子
姉はエッセイストの中島さおり
東京女子大学文理学部史学科卒業後出版社勤務を経て渡米、帰国後ライターとなる
2003年『FUTON』で第25回野間文芸新人賞候補
2006年『イトウの恋』で第27回吉川英治文学新人賞候補
2007年『均ちゃんの失踪』で第28回吉川英治文学新人賞候補
2008年『冠・婚・葬・祭』で第29回吉川英治文学新人賞候補
2010年『小さいおうち』で第143回直木三十五賞受賞
2014年『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞
2015年『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞・第4回歴史時代作家クラブ作品賞・第28回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞
2015年『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞・第5回日本医療小説大賞をそれぞれ受賞
映画でも話題になった直木賞受賞作『小さいおうち』のレビューはこのブログでもアップしていますのでよかったら読んでください。
父・昇平がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。
老夫婦と3人の娘とその家族の日常を8篇の連作で描いています。
母・曜子から呼びつけられ東京郊外の実家に姉妹が久々に集うところから物語がスタート。
元中学の国語教師で校長職や図書館長を歴任して今は悠々自適という設定の昇平。
長女・茉莉は夫の赴任先のアメリカ西海岸から、東京都内に住む次女・菜奈は8歳の息子・将太を連れて、フードコーディネーターで気ままな独身の三女・芙美は手料理を持参してそれぞれ駆けつけます。
そこで娘たちは久しぶりに会う父親の異様な言動に直面して驚くのです。
手土産のタルトの中身より包み紙に興味を示し、丁寧に皺を伸ばし泉屋のクッキーの缶に仕舞う、タバコの空箱を捨てずに飾る、町内の将棋大会4位の賞状や遥か昔の大学の卒業証書を飾る・・・過去数十年にわたって二年に一回、同じ場所で行われている高校の同窓会が催されていた場所に昇平が辿り着けなかったことを発端に妻・曜子とともに“ものわすれ外来”を受診して初期のアルツハイマー型認知症と診断された昇平。
「物を溜めこむのは認知症の典型的症状らしいですね。
一昨年亡くなった私の父も煙草の空箱とか喫茶店のお砂糖なんかをやたら集めていて、私たちが捨てようとすると『こんなに大事なものを』って怒るんです・・・
父の思いの真相はわかりませんが、父が記憶や言葉を失っていく過程では結構笑っちゃう話も多くて(笑い)。
私たち家族にとってはそれも日常ですから、そういう面白い出来事もたくさんある長いお別れを、できれば明るく書いてみたかった」
著者はこのようなスタンスで自らの10年にわたる実体験を、オロオロしながらも家族一丸となり、そして時には認知症を俯瞰しながらユーモアを交えて描いています。
ストレートに記せば悲惨になりがちの内容ですが、著者の俯瞰力と筆力とそして資質が相まってとてもいい小説になっています。
読んだ後、しみじみとした温かい、何かに満たされたようなほのぼの感をも感じてしまいました。
何より、母である妻の夫に対する一途な思いが娘たちを揺り動かす原動力となって・・・
そして家族それぞれにそれぞれの事情があり、日常生活がありながら、主人公の昇平を真ん中にして、自分たちの出来うる限りの手を差し伸べようとする昇平に対する気持ちの温かさが伝わってきての読後感のよさであろうと思われました。
優しさ、温かさにはほどよい知性が土台になっていると思わせる物語でした。