VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2017年10月

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新聞に出ていた小さな記事。


9割超の病院や施設で利用者に身元保証人を求めているという結果が東京・弁護士会の調査で明らかになったそうです。


親族や民間事業者が担う保証人がいない場合、入院や入所を拒否するケースもあったそうです。


身元保証人を求める理由は「支払いの保証や担保」「遺体の引き取りや部屋の明け渡し業務」などらしいですが、未婚率が大幅にアップしたり、少子化、高齢化が加速している昨今、家族や親戚がいなかったり、あるいは遠方で保証人が頼めなかったりするケースは増加の一途ではないでしょうか。


調査を担当された弁護士は「身元保証人がいなくても安心して老後の生活を送ることができるシステムが必要だ」と指摘されていますが、その通りだと思います。



先日救急外来で受診後、急性腎盂腎炎の診断が下り一週間ほど入院していました。


幸い夫との2人暮らし、夫が保証人として印鑑を押してくれたからよかったものの、1人暮らしで近くに身内がいない人はどうするのだろう、とそんな機会に直面するたびに疑問や不安が過ぎります。


今回の病院では連帯保証人が1人でしたが、2人求める病院もあります。


私のようなシニアに限らず、若い人々でも他人事ではないような気がします。


身元保証人を請け負う団体があるのは知っていますが、なけなしのお金を払って生涯の保証を買ったと思ったのも束の間その団体が破綻したというニュースが出たばかり。


一刻も早く国にシステム作りを検討してほしいと願います。



さて携える本を吟味する間もなくの緊急入院だったので、夫に本棚から適当に抜き出してもらった本・・・昔夢中になって読んでいた作家のシリーズ。


もちろん再読であるのはわかっていたのですが、最初から最後までドキドキが止まらないほど面白く読了。


いったい私の記憶力はどうなっているの???


これでは新しい本をわざわざ購入する必要は皆無と思えるくらい新鮮な気持ちで読みました(――;)


ということで、退院後もしばらくメアリ・ヒギンズ クラークのミステリにのめり込んでいます。




メアリ・ヒギンズ クラーク氏著&宇佐川晶子氏訳『20年目のクラスメート』 (新潮文庫)

「ベストセラー作家のジーニーは、20年ぶりのクラス会出席のため故郷を訪れた。
そして知った衝撃の事実―いつも一緒にランチを囲んだ7人の級友のうち、すでに5人が亡くなったという。
稀に見る不運なクラスなのか、それとも別の魔の手が?
一番仲の良いローラも姿を消し、不気味な脅迫状が届く…
巧みに読者を惑わす“サスペンスの女王”のテクニックを、じっくりお楽しみ下さい」




かつてサスペンスの女王といわれたメアリ・ヒギンズ クラークも当年とって90歳。


現在は作家の地位を娘さんのキャロルに譲られたようですが、調べてみると本書は日本で翻訳された最後の作品でした。


著者の作品の特徴はほとんどがアメリカの都会が舞台。

ヒロインはたいてい人も羨む頭脳明晰、人柄がよくとびきりの美人でしかもキャリアウーマン。

そんなヒロインがふとしたことから事件に巻き込まれて危機や窮地に陥ります。

そんな中すてきな男性が現れ、窮地を救う手助けをするだけでなく2人の間に愛情が生まれ・・・これが定型化したあらすじというのはわかっているのに、新刊が出たら読まずにいられない・・・そんな魅力を湛えた作品群なのです。



今回も歴史学者で作家として成功したヒロイン・ジーニーが20年目の同窓会に行くところから物語がスタートします。


背景にあるのはかつてランチテーブルを囲んだ親友7人のうち4人が不慮の事故、また自殺、または殺された疑いで死亡しています。


そのクラス会直前に5人目がプールで溺死するというアクシデントがあり、ほぼ同時に誰も知らないはずのジーニーの過去が何者かによって暴かれるという不気味な展開になります。


物語は同窓会に出席したジーニーと深い心の闇を持つ殺人鬼との交互の視点で展開、刑事も加わり、それぞれいわくありげな同窓会出席者同士が疑心暗鬼で疑いあうという絡まりに陥りながら、じわじわ捜査網を駆使して犯人を追い詰めていくというもの。


再読であるにもかかわらず、ラストで目星をつけていた男とは異なる犯人の自殺で決着をみるというスリリングな物語展開に驚くとともに最後までハラハラが止まりませんでした。



今次の作品をやはりドキドキしながら読んでいる最中、どうなっているの??私の記憶力?

そっち系で今度は入院かも。

人間の人生のライフサイクルを表す言い方はいろいろあるようですね。


古代中国の五行思想では、「春」には「青(緑)」、「夏」を「朱(赤)」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」に当てて、それぞれ「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」というそうです。

「青春」は16歳~30代前半、「朱夏」は30代前半~50代後半、「白秋」は50代後半~60代後半、そして「玄冬」は60代後半~。


また古代インドで上層階級であるバラモンのあいだでは、理想的な人生観として四住期(マヌ法典)という考え方があり、人生の段階を4つに区分しています。


「学生期」は、子供のころから青少年にかけて、「家住期」は、一人前になって、仕事に就き、結婚して子供もでき一家を構えるころ、「林住期」は職業や家庭、世間の付き合いなどから自由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期、そして最後の「遊行期」は人生の最後の締めくくりである「死」に向かって帰ってゆく時期で、成長する中で身につけた知識と記憶を少しづつ世間に返しながら子供に還り、誕生した場所に還るということを意味しているそうです。


現在の私の立ち位置は中国の五行思想でいえば「玄冬」、インドのマヌ法典でいえば「遊行期」らしいですが、世間に返すためになる知識もほとんどなく、独りよがりの思考の中でただくるくる舞いをしているような時期、また「玄冬」というにはほろほろと過ごしているのでさほど暗いイメージでもないような・・・。


でも残り少なくなっているのは確実なので一日をこれまで以上に大切に過ごしたいとは思っています。







さて本日は佐藤愛子氏著『これでおしまい―我が老後』のご紹介です。 

「皆さん、さようなら!?
好評エッセイ20年目!
タイガー・ウッズ、知的人間、嘘つきについて。20年間「悟る」ことなき爽快な愛子節が炸裂。
元気になる大人気エッセイ集」


オール讀物で「我が老後」と題するエッセイがスタートしたのが1990年、67歳のとき。


そして刊行された『我が老後』を筆頭に、『なんでこうなるの』『だからこうなるの』『そして、こうなった』『それからどうなる』『まだ生きている』と続き、老後シリーズのとどめとして出されたのが本書『これでおしまい――我が老後』です。


本書の冒頭にある著者の愛子節・・・健在です。


「本当は連載十年、2000年を区切りに終わらせるつもりだったが、その後もうっかり2冊も出してしまい、この段階で『断乎』『やめた』。
しかし、連載やめても老後は終わらず・・・
85歳で、いよいよ『ケリをつけたくなった』」



そのあと 2014年、長い作家生活の集大成として二度目の夫・田畑麦彦氏を描いた大作『晩鐘』、2016年『九十歳。何がめでたい』を刊行。

ファンとしては嬉しいかぎりです。


愛子さん がんばれ!!


さて本書・・・

日常の暮らしぶりやエピソードなど、過去の作品で読んだ覚えがあるものが多く、繰り返し聞く昔話のような感は否めませんが、それでも何度読んでも愛子さんの男前の態度や生き方は爽快で胸が透きます。

決断力といい一本気な前進力といい、自分にないものを持ち続けてしっかり大地に足を踏ん張っていらっしゃる著者に感動を覚えます。


各章立てのタイトルにすべて「とりとめもなく」をつけ、例えば「とりとめもなくけったいな話」や「とりとめもなく笑い虫』など、著者の本領を発揮した内容で思わず笑ってしまいました。


「とりとめもなく嘘について」も痛快です。

冗談が大好きだった遠藤周作氏からの遠い昔の電話を回想したり、広島への原爆投下直後、生前嘘をつき続けてお金をせびっていた次兄の死を知らせる電報に、父・紅緑が「まだこんな嘘をつくか!」と怒鳴ったという話など、ちょっぴりの哀愁を込めて故人を偲んだ話も多く、込み入った小説や評伝を読むのとはまた違った脱力読書という感じで楽しめました♪

今年8月16日、国際的な水銀規制のルールを定めた「水俣条約」が発効したという記事が出ていたのを記憶されている方もいらっしゃると思います。


水銀による環境汚染や健康被害を防ぐため、採掘や使用に加え、輸出入なども含めた包括的な管理に取り組むことを日本やアメリカ、中国、EUなど74カ国と地域が終結したものです。


メチル水銀によって深刻な神経障害を引き起こした水俣病のような健康被害を二度と繰り返してはならないという決意が込められての条約名。


水俣病の元凶となった不知火海に面した水俣湾の奥部は埋立地となり、「エコパーク水俣」という市民の憩いの場となっていますが、その地下には水銀を含む汚泥が今も眠っているそうです。


全体で約58ヘクタールもの場所を1982年から3年をかけて鋼板を設け、1990年に埋め立てが完成したそうですが、鋼板の耐用年数は約50年とされ、2050年ごろまで性能を維持できるとしていますが、その後の方針は決まっていないそうです。


将来的に大きな地震などが起きて埋立地が阪神淡路大震災のときのように液状化したら再び水銀を含む水が地表に噴出すことを憂慮する科学者がたくさんいらっしゃいます。


福島の原発事故後の核処理の問題のみならず、ここでも後世に大きな負の遺産を残したまま、と考えれば水俣条約に課せられた課題はとても大きなものだと思います。


日本の「公害の原点」と言われる水俣病の公式確認から昨年で60年を迎えたそうですが、今なお多くの被害者の方々がさまざまな症状に苦しんでおられるようです。



1956年、日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場の付属病院長が、「原因不明の脳症状の患者が発生した」と県水俣保健所に届け出たのが公式確認とされている水俣病。


当時、大量に生産していた合成繊維、合成樹脂などの原料の製造過程で生成されるメチル水銀を何の処理もせずに海に排出していた日本窒素肥料(株)。


脳症状の原因が水俣湾産の魚介類であることを突き止めた熊本大学医学部研究班は1957年に県を通して国に食品衛生法の適用による漁獲禁止措置を強く要求しましたが、「原因物質が特定できないので漁獲禁止にはできない」との当時の厚生省の回答によって、県も漁業者に漁獲・販売を禁止せず、自粛するよう指導するに留まりました。


またチッソ側もすでに自社内の実験で工場廃液を与えたネコに水俣病と同様の症状が表れたことを確認していたにもかかわらずこの事実を隠ぺい。


厚生省も水俣病の原因がメチル水銀であることは認めながら、発生源の追究はせず、チッソに対する排水規制なども行わなかったという杜撰。

なにやら脈々と続いている隠蔽体質・・・現代にもここかしこで・・・。


戦後の日本の高度経済成長の一角を担う企業であった新日本窒素肥料の規制に当初から消極的だった政府がチッソの責任を認めたのはそれから12年後でした。


国が実態調査などを怠ってきたために熊本、鹿児島、新潟の3県へと大きな広がりをみせた水銀被害。


責任の所在が明らかになったあとも患者への救済措置は遅々として進まず、厳しい認定基準をクリアして認定された患者は半数止まりといわれています。


2016年現在、救済策などで一時金や医療費などの救済を受けた人は約7万人いますが、認定患者は現在2280人(うち死亡1879人)のみ。

一方で、今も2100人余りの人々が患者認定を約1300人が裁判で損害賠償などを求めているそうです。


福島と同様、患者を切り捨てる道具となってきた認定基準。



特措法で救済対象外となった1000人以上の人たちが国などを相手取って損害賠償請求訴訟を起こした経緯の裏にはそのような現実があります。


「水俣病とは、伝統的なくらしを大切にしてきた水俣の人々と近代化を象徴するチッソという大資本との圧倒的な力の差がもたらした"支配構造の問題"である」と指摘されたのはある知識人の方。


前置きが長くなりましたが、本日のレビューへ



米本浩二氏著『評伝 石牟礼道子―渚に立つひと―』 



「『苦海浄土 わが水俣病』の発表以来、文学界でも反対闘争の場においても類なき存在でありつづける詩人にして作家・石牟礼道子。
恵み豊かな海に育まれた幼年時代から、文学的彷徨、盟友・渡辺京二との出会い、闘争の日々、知識人と交流のたえない現在まで。
知られざる創造の源泉と90年の豊饒を描き切る、初の本格評伝」


池澤夏樹氏をして「戦後文学最大の傑作」と言わしめた『苦海浄土』を読まれた方も多いと思います。


また『苦海浄土』を読まれてなくてもその著者である石牟礼道子氏の名前を知らない方はいないのではないでしょうか。


本書は現在90歳の石牟礼道子氏の生きてこられた軌跡を、400時間以上のご本人への膨大なインタビューも含め、誠実にトレイスして完成した唯一無二のすばらしい評伝です。


著者・米本浩二氏は毎日新聞の西部本社勤務の記者。


長年公私にわたり石牟礼道子氏のサポートを努められている渡辺京二氏に会って評伝を書くことを勧められたことをきっかけにこの石牟礼道子という巨大な山に一歩ずつ一歩ずつ踏み込んでいくという気の遠くなるような作業を命を削りながらやったといいます。


道子氏ご自身にはもちろん、ご夫君、ご子息などの親族、渡辺京二氏など濃密に関わった関係者たちにも取材を重ねて、石牟礼道子という1人の人間を多面的に浮き彫りにするという努力の結果の本書。


こうして2014年から3年をかけて石牟礼道子氏と二人三脚の350頁に及ぶ本書が完成したのでした。


石牟礼道子というとらえどころのない魅力を貧しい私の文で書くことができないのがもどかしいですが、現在の石牟礼道子の根幹を作った幼少時代の家庭環境から、長じて気の進まぬ結婚のこと、理解ある夫に乗じて主婦としての役割を放棄して文学にのめり込み、果ては水俣病闘争に没頭、「サークル村」での高群逸枝・橋本文三夫妻との出会い、渡辺京二氏との関係など丁寧に丁寧に紐解いて、読者が少しずつ少しずつ彼女の実像に近づけるような工夫をされています。


生きることへの嫌悪感は物心ついたころから彼女を捉えて離さず、何度か自殺を試みるが未遂に終わった経緯など、幼いころ気狂いの祖母と魂を通い合わせることで現実とあの世の水際で生きてきた軌跡に深く惹かれます。


本書の副題となっている「渚に立つひと」というのは著者が彼女を通して感じた生の危うさを称して表したものであろうと思います。

「石牟礼道子は渚に立つ人である・・・
あらゆる相反するもののはざまに佇んでいる・・・
半分無意識に渚にいる・・・
境界が定かならぬ渚でなくて、海か陸かどちらかに安住できたらどんなに楽だったろう」と米本氏は書きます。


「海から上がってきた生類が最初の姿をまだ保っている海。
それが渚です・・・
人間が最初に境界というものを意識した、その原点が渚です」と彼女。


プレモダンからの呪術師または巫女となって語ることを旨とした石牟礼道子氏は『苦海浄土』を語りの場として土地の言葉で思う存分語っておられます。



巫女というと『死の棘』に登場する島尾ミホ氏のことを思い浮かべますが、ミホ氏がそのエネルギーを内に向かって放たれた人というなら、対照的に道子氏は外界に向かって放たれた人という印象です。


幼少時祖母と魂を通わせたように、水俣病で苦しむ患者たちに命をもって向き合い、その患者に憑依しながら外に向かって持てるエネルギーすべてを放って闘争した道子氏に圧倒されながら読了しました。


もっともっと書きたいことは山のようにありますが、この辺で終わります。


パーキンソン病を患われて久しい道子氏、容態は難しい局面を迎えられているようですが、現在も失っていない魂の輝きでまだまだ解決の道に遠い水俣病患者たちを照らしてほしいと願っています。


興味ある方はぜひご一読を!

最近、服用している薬の副作用が徐々にきつくなって週のうち二日はノックダウン状態です。

一日中ムカムカが治まらず、その二日間は食べ物の嗜好があっちにいったりこっちにきたり。

味の濃いものがほしいときもあれば、酢の物だけのときもあり・・・大好きな緑茶が飲みたくなくなります。

白いごはんもしかり・・・こう書いて何だか大昔に経験したつわりのようだなぁと。


抗がん剤治療中の方々の何百分の一だと思うので、甘えられないのはわかっているのですが、何かを前向きにしようという気持ちに大きなエネルギーがいります。


一日中ぼぅっとしているのがいやで絵を描いてみたり、ブログの下書きをしたり、工夫してみるものの長続きしません。

ちなみに今日の工夫は↓

北海道ニセコの宿からの風景

花が終わるのを待って作った紫蘇の実の醤油漬け

周りの友人たちも私の特別の二日間は避けて誘ってくださいますが、どうしても外出しなければならないときもあり、それはそれで人と会ったりしていると、元気をもらえたりするので不思議です。


やはり緊張が足らないのか、思い過ごしなのか、などと内省したり・・・


また憂鬱な二日間が始まります。






さて本日は近藤史恵氏著『スティグマータ』のレビューです。

   
「黒い噂が絶えない、堕ちたカリスマの復活。
選手やファンに動揺が広がる中、今年も世界最高の舞台(ツール・ド・フランス)が幕を開ける。
かつての英雄の真の目的、選手をつけ狙う影、不穏なレースの行方――。
それでもぼくの手は、ハンドルを離さない。
チカと伊庭がツールを走る! 
新たな興奮と感動を呼び起こす、「サクリファイス」シリーズ最新長編」



私の大好きなロードバイクシリーズ第五弾!


『サクリファイス』から始まり、『エデン』、『サヴァイヴ』、『キアズマ』に続きます。


このブログでも『サクリファイス』『エデン』『サヴァイヴ』 のレビューをアップしていますので読んでいただけたらと思います。


とにかくおもしろい!


この作家さんは他の分野、例えばレストランシリーズなどもありますが、このロードバイクシリーズはぶっちぎりでお勧めです(^.^)


ちなみに時系列に読むのがお勧めですが、シリーズのファンはもちろんですが、初めて読まれる方も、ツール・ド・フランスという世界最高峰のロードレースの風を存分に味わえること受け合いです。


主人公は白石誓ことチカ、30歳。


アシスト専門のロードレーサー。


常にエースを優勝させるためのアシストを第一義としながらも、脚光を浴びることへの憧れとの狭間で葛藤しながら結局はアシストとしての立場を護り抜くチカに毎回胸が熱くなります。


3週間にも及ぶ過酷なツール・ド・フランス。


表舞台の華やかさとは裏腹にその過酷さや冷徹さ、各チームの選手たちの勝利への火のような執念が胸に迫ります。


レース途中の心理戦というか駆け引きも息づまるようなリアルさ!

ツール・ド・フランスの舞台となる山岳地帯や平原の景色や風がまるで目の前に迫るよう。


一応ミステリ形式になっていますが、それに重きを置いて読むと期待はずれかも。


過去の物語に出てきたお馴染みのミッコやニコラなどの顔ぶれとの交流も懐かしく楽しい♪


ちなみにタイトルになっている「スティグマータ」は日本語に訳すと「聖痕」、イエスが磔刑になったときについた傷のことを指し、カトリック教会では奇跡の顕現とされているそうです。

ある登場人物そのものを指して、あるいは彼の過去の栄光と挫折を指して使われている、というのは私の想像。


ノーベル文学賞の季節がまたやってきました。

毎年毎年、村上春樹氏への受賞期待が高まっては沈みますが今年も同じ・・・

カズオ・イシグロ氏に決定しましたね。


「偉大な感情の力を持つ数々の作品において世界と結び付く、われわれの幻想的感覚を深い根底から見つけ出してきた」というのが受賞理由だそうです。


私の好きな作家さん・・・ほとんどの作品を読んでいます。


映画化されたのもいくつかあり、きっと原作を読まれてない方でも「日の名残り」や「わたしを離さないで」は当時話題になったので観られた方も多いでしょう。


ご自身にとって偉大な現代作家だと思っている3人のうちの1人に村上春樹氏を挙げていらっしゃるカズオ・イシグロ氏。

 「村上さんは現実と微妙に違う『もうひとつの世界』を描きながら、読む人に親近感を抱かせる稀有な才能を持っています。
驚くのは、世界のどこへ行っても村上さんの作品がよく読まれていること。
英国でも翻訳文学は人気がないのに、唯一の例外が村上さんです。
世界の人々は日本に関心があるからではなく、村上さんを身近に感じるから読んでいる」


残念ながら私は村上氏の作品をそういうふうに読めなくて、途中挫折ばかりしていますが、来年はやはり村上氏に是非!!


カズオ・イシグロ氏の作家歴について少し

1982年『遠い山なみの光』で王立文学協会賞受賞 
1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞受賞
1989年『日の名残り』でブッカー賞受賞 
2000年『わたしたちが孤児だったころ』
2005年『わたしを離さないで』でブッカー賞最終候補  
2009年『夜想曲集:音楽と夕暮れを巡る五つの物語』  


最初の作品である『遠い山なみの光』は5歳まで育った長崎を舞台に、幼いころの徐々に薄れていく記憶を呼び戻すという意味も含めて執筆されたそうです。

また『日の名残り』も老執事の回想という形で描かれています。


著者にとって「記憶」というのがとても重要な小説の核となっているようです。

「ただ、『わたしを離さないで』の中の記憶は、他の作品とは別の機能を持つ。
死と戦う武器ということです。
キャシーは友人や恋人らをすべて失うが、記憶だけは誰にも奪われなかった。
彼女を最後まで支えたのが、幸せな記憶です。
記憶があれば、死に対して、ある部分では勝ったといえると思う」 と著者。


『わたしを離さないで』はほんとうに哀しい物語、今でも読後の切なさを思い出します。







さて本日は新美南吉氏著黒井健氏絵『ごんぎつね』です。


「兵十が病気の母親のためにとったウナギを、いたずら心から奪ってしまった狐のごん。
名作の世界を格調高い絵画で再現した絵本」
1913年愛知県半田市に生まれる
1932年『ごん狐』
1935年『デンデンムシノカナシミ』
1942年『おぢいさんのランプ』
1943年『牛をつないだ椿の木』
1943年『手袋を買いに』
1943年結核のため29歳で逝去


本書を直接読まれた方、教科書に載ったのを読まれた方、育児中子どもに読んであげた方など、内容を知らない人はほとんどいないだろうほど有名な童話です。


主な登場人物はいつもひとりぼっちの孤独な狐・ごんと猟師の兵十。


ひとりぼっちでいたずら好きのごんは兵十に近寄りたくて、兵十が仕留めたうなぎを盗みますが、それは病の床にいた兵十の母親への食べ物だったことを、まもなく兵十の母親の死によって知ることになります。


ごんは自分の愚かな行為の罪滅ぼしをしようと野山で取った栗などを兵十の家にこっそり投げ込むことを続けます。


結局最後、兵十に姿を見つけられたごんは銃で撃たれてしまいます。

「・・・兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうをとって、火薬をつめました。
そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口をでようとするごんを、ドンとうちました。
ごんは、ばたりとたおれました。
兵十はかけよってきました。
うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。
「おや。」と兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。
青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」



あっけないほど短いこの童話、何度読んでも胸に深く沁みこむものがあります。


運命の力が災いして幸福な関係をもてなかったごんと兵十。


お互い悪意は欠片もないのに、自分の大切なものを葬ってしまう・・・


自分の身に置き換えて、こんなことを思いながら・・・今回も悲しみがこみ上げました。


透明感のある文章、絵担当の黒井健氏の挿絵がとても温かくすてきです。

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