VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2018年01月

日本の上空に数年に一度のレベルの寒気が流れ込んできているというニュース。

このところ各地で雪の被害で大変そうですね。


その上、群馬県の草津本白根山が予期せぬ噴火で死者や怪我人が出たという報道に驚いています。


死者は自衛隊員で訓練中だったそう・・・


なんと不運な・・・言葉がありません。


予期せぬ、というか予測不能なことがこの世に満ちていること、しみじみ感じます。


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雪の兼六園

アスカの雪だるま

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娘の雪だるま

当地は粉雪がパラパラと降った程度・・・上の写真は関東方面の子どもたちから送られたものです。

私の好きな雪の短歌をひとつ。

地に降りて水へと戻る束の間の白きひかりを「雪」と呼び合う 
本川克幸(「羅針盤」より)







さて今日は湊かなえ氏著『山女日記』のレビューです。

「私の選択は、間違っていたのですか。
真面目に、正直に、懸命に生きてきたのに…。
誰にも言えない苦い思いを抱いて、女たちは、一歩一歩、頂きを目指す。
新しい景色が、小さな答えをくれる。
感動の連作長篇」


◆このまま結婚していいのだろうかーーその答えを出すため、「妙高山」で初めての登山をする百貨店勤めの律子。
一緒に登る同僚の由美は仲人である部長と不倫中だ。由美の言動が何もかも気に入らない律子は、つい彼女に厳しく当たってしまう・・・

◆医者の妻である姉から「利尻山」に誘われた希美。
翻訳家の仕事がうまくいかず、親の脛をかじる希美は、雨の登山中、ずっと姉から見下されているという思いが拭えない・・・

◆「トンガリロ」トレッキングツアーに参加した帽子デザイナーの柚月。
前にきたときは、吉田くんとの自由旅行だった。
彼と結婚するつもりだったのに、どうして、今、私は一人なんだろうか・・・


北は利尻山から南はニュージーランド北島のトンガリロまで、30代~40代の女性を主人公とする山ガールたちがそれぞれの屈託を心に抱えながら登る7篇の連作短篇集。


妙高山・火打山・槍ヶ岳・利尻岳・白馬岳・金時山・トンガリロ


恋愛や結婚生活、家族関係や仕事などについてのそれぞれの悩みや苛立ちを抱えて山に向かう主人公たちの前に無言で立ちはだかる山々。


『告白』で衝撃的なデビューをした著者の作品とは思えないようなイヤミスの要素のない作品。


著者の作品はいままで何作も読んできましたが、本書がいちばん好きです。


7篇はそれぞれ脈絡がないようで、登場人物が微妙に交差しているところも著者の構成力を感じさせます。


文章力、構成力ともさすがベストセラー作家さんだなぁと。


登山途中に主人公たちの目を通して楽しませてくれる高山植物や雪渓、遠い山並み・・・どれもが主人公たちの心象と重なってそのコントラストの描写がすてきでした。


山が好きな方だけでなく、興味のない方にもお勧めの作品、ぜひどうぞ!

先週の土曜日、NHK全国短歌大会が開催されました。


昨年は幸運にも岡井隆先生に特選に選んでいただいて、初めてNHKの舞台に上がるという経験をしましたが、さすが今年は二匹目のどじょうはいなくて、特選には選ばれませんでした。


今年も題詠と自由詠とあわせて二万数千首の中から19名の選者の方々がそれぞれ特選、秀作、佳作を選びます。


特選は題詠一首、自由詠二首、秀作は題詠七首、自由詠十八首、佳作は題詠十五首、自由詠四十首がそれぞれ19名の選者によって選ばれ、あとは都道府県別に題詠、自由詠別に入選が決まります。


特選、秀作、佳作、入選を含めると四千首ほどなので約5倍率ということになります。



そのほか平成25年から新設された近藤芳美賞というのがあり、新作十五首で応募。

私は短歌を始めて2年目から応募して今年で三回目。


最初は選外でしたが、昨年は入選、今年も入選をいただきました。


近藤芳美賞の選者は3名、それぞれ選者賞、奨励賞を1名ずつ選び、その中から大賞を1名選出します。


自分的にはこれがいちばん名誉ある賞と思っている賞。


そして入選は40名ほど。


近藤芳美賞は十五首連作ということもあり、十五首全体を流れる主題が必要なので、私の周りでは応募している人はいませんが、私は毎年一首勝負より力を入れているので、入選でもとても嬉しい。


昨年は趣味の読書のつれづれを主題にしましたが、今年は昨今の内外の様々な情勢に対してレジスタンス的な見方を主題にしています。


で今年選ばれた短歌を記録しておこうと思います。



[近藤芳美賞] 入選

いまだパラドックスの中」

権力といふは眩しく哀しくて皇帝ダリアのくれなゐ淡し

風に押されし雲の流れの速きかな強きにおもねて時は流るる

〈為政者〉をつひ〈偽政者〉と読みちがふまぶしき陽の射す活字の中に

おのが名を冠せむ欲の果てもなし〈カール・ビンソン〉〈ロナルド・レーガン〉

八月の白き陽浴びて永遠の『ヒロシマノート』『ナガサキノート』

白日を咲き登りゆくタチアオイ 日本はいまだパラドックスの中

核兵器禁止条約交渉の日本の空席に折鶴の黙(もだ)

疫病のやうに伝はる狂気あり例へばルワンダの悲劇のやうに

言霊の幸(さきは)ふ国のことなりや国会答弁かほどに貧し

闇の中にうごめく無数の言葉たち信じたときだけ光る幾ひら

憲法に護られてゐたはず されどいま法治と人治の境目おぼろ

幼かりし夫の泳ぎし高浜の海に迫りて巨き原発

オンカロの十万年の慟哭を地球のマグマに乗せて伝へよ

正論を語りて淋しき口の端(は)を慰むるごと犬が舐めたり

戦ひはかくあるべしと思ふなりマオリのハカとウオークライ愛しも



[題詠・山] 秀作

ペシャワールの山野に育つ一玉のスイカとなれかしわたしの募金


[題詠・山] 佳作

どれほどの生死を見つめてきたのだらう富士山(ふじ)は樹海を腕(かひな)に抱く


[題詠・山] 入選

山裾にけぶるがごとき蕎麦の花 蒜山(ひるぜん)三座にひとときの雨


[自由詠]入選


スーパーの通路で始まる立ち話 献立・ミサイル・パンダの赤ちゃん



来年がんばるエネルギーがあるかどうかわからないので、記録として残しておきます。

拙い趣味に付き合ってくださりありがとうございました。

今日のレビューはこれで。

数日前、山形から縦長の大きな箱が届いて、、、開けてびっくり。

送り主は次男。


枝先に固い蕾をいっぱいつけた桜の枝が現れました。


真冬に鑑賞できる桜・・「啓翁桜」・・支那桜桃と彼岸桜を交配したもの・・・だそうです。


一日に必ず霧吹きで枝々の蕾に水をあげること。


届いて二日ほどリビングの暖かい場所に置いていましたが、徐々に咲いてきたので、これは長くもたないな、と思い、北側の玄関に移動。

早咲きの桜一枝届きこし百の蕾の春待つこころ


今日で4日目、すでに七分咲きになりました。



桃の花より小さめなかわいらしい桜花です。

夫が4日後の油彩画教室までもたせたいと言っていますが・・・

どうか、散りませんように!






さて本日は宮下奈都氏著『羊と鋼の森』のレビューを少し。

「ゆるされている。
世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説」





著者について
1967年福井県生まれ
2004年『静かな雨』で第98回文學界新人賞佳作
2010年『よろこびの歌』で第26回坪田譲治文学賞候補
2012年『誰かが足りない』で第9回本屋大賞で第7位
2016年『羊と鋼の森』で第154回直木三十五賞候補&第13回本屋大賞受賞


「優れた作品は読み手にいく種もの想像を許し、促していくものだと思う。
そして本作はそうした作品に他ならないのだ」(大矢靖之:書店員)

「自然の描写や音楽の表現がとてもきれいで、美しい・・・
音楽の描写、外村の心情、周囲の人々との会話、なにげない比喩。
どれもが丁寧に選ばれた言葉で表現されており、心にしみ込んでくる」(瀧井朝世:書評家)

静寂の森にひとり佇んで木々の戦ぎに耳を傾けているような小説。


北海道の小さな町の高校の体育館のピアノを調律する板鳥さんとの偶然の出会いによってひとりの17歳の少年・外村がピアノの音に魅せられ、調律を天職として歩んでいくという成長譚。

放課後のひとけのない体育館でピアノを調律する板鳥さんと初めての会話・・・

「ここのピアノは古くてね・・・
とてもやさしい音がするんです・・・
昔は山も野原もよかったから・・・
昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね。
いい草を食べて育った羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトをつくっていたんですね。
今じゃこんなにいいハンマーはつくれません」

「ハンマーってピアノと関係があるんですか」
「ピアノの中にハンマーがあるんです・・・
こうして鍵盤を叩くと・・・
ほら、この弦を、ハンマーが叩いているでしょう。
このハンマーはフェルトでできているんです」


このときの運命的な板鳥さんとピアノの音との出会いが外村は音の神秘な森に入るきっかけになります。


周りの先輩たちやお客である双子の姉妹などを通して不器用ながら決して諦めず、試行錯誤を続けて自分の求める音へと一歩一歩近づいていく外村。

「才能があるから生きていくんじゃない。
そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。
あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。
もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない」

「本当に素晴らしい音、心が震えるような音と出会う可能性。
こちらがそれを提供できるとは限らない。
だけど、そこを目指していかなければ、永遠にたどり着けないだろう」


外村の愚直ともいえる音に向き合う真摯な姿に胸を打たれます。


特別な才能を持たないけれど夢に向かってコツコツと頑張れば道が拓ける、そんな外村の姿をこれから巣立つ人たちにも読んでほしいと思える作品。


静かで美しい文体、決して華やかではないけど深みがある文章。


久しぶりにあざとさのない、予定調和的なラストの用意されていない純な作品に触れることができました。

スーパーを覗いたら鶏レバーが半額だったので1kgほど買って、久しぶりに「鶏レバー甘辛煮」を作りました。

以前、ブロ友のしおんさんの日記で拝見して以来、新鮮な鶏レバーが手に入ると思い出したように作ります。


冷凍保存も冷蔵保存も長くできるので、ご飯や酒肴として重宝しています。


しおんさんが小料理屋の料理人の方から教えてもらったというもの。


以前にもここに載せましたが、再度簡単なレシピを・・・


―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
「鶏レバー甘辛煮」

下拵え: 鶏レバーは洗わず、白い脂肪は切り捨てる。
心臓は切り離して半分に切り、ひも状の血の塊は捨てる。
レバーは一口大に切る。
ショウガは千切り。
調味料:醤油:酒+みりん=1:1 これに砂糖を加える
すべての材料を鍋に入れてひたひたくらいの分量の調味料を入れる。
落し蓋をして時間をかけて煮詰める。
出来上がりは焦げる寸前、煮汁が煮詰まるまで煮ると、レバーがコリコリになって 臭みが消える。



―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――






さて本日は原田マハ氏著『暗幕のゲルニカ』をご紹介します。 

「反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。
国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した――誰が〈ゲルニカ〉を隠したのか? 
ベストセラー『楽園のカンヴァス』から4年。
現代のニューヨーク、スペインと大戦前のパリが交錯する、知的スリルにあふれた長編小説」


原田マハ氏の待望の美術シリーズ。


大学で美術史を専攻されたあと、マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル、都市開発企業美術館準備室を経て、2002年にニューヨーク近代美術館(MoMA)に半年間派遣されたという経歴の持ち主、その後フリーのキュレーターとして独立、多くの小説を執筆されている著者。


『楽園のカンヴァス』を読んで以来、彼女の美術シリーズの大ファンとなりました。

その後、『ジヴェルニーの食卓』『モダン』と続いての本書、図書館で見つけたときのときめき。


第25回山本周五郎賞を受賞し、絵画ミステリーとしての地位を確立した『楽園のカンヴァス』の姉妹編に当たる本書。


『楽園のカンヴァス』ではアンリ・ルソーに焦点を当てていましたが、本書ではピカソを通してピカソの大作〈ゲルニカ〉に焦点を当てた物語。



二十世紀のパートと二十一世紀のパートがそれぞれの主人公の視点で交互に語られるという構成。


前者は1930年代のフランスでの出来事。

ピカソの愛人で写真家のドラ・マールの視点。


後者は現代のアメリカ合衆国。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)においてピカソ研究の第一人者にしてキュレ―タ―を務める日本人・瑤子の視点。


1937年4月29日、パリのグランゾーギュスタン通りにあるピカソのアトリエ兼住居でのピカソと愛人ドラ・マールの会話から物語が始まります。

ピカソの何番目かの愛人といわれるドラ。

妻オルガ、ピカソとの間に子をなしたマリーテレーズ。

そしてドラ・マール。

〈泣く女〉など多くのピカソの作品のモデルをつとめたことでも知られる写真家のドラ・マールはのちに〈ゲルニカ〉制作過程の写真を撮影し、後世に貴重な記録を残します。


スペイン第二共和国政府に対してフランコ将軍率いる反乱軍がクーデターを起こしたことにより始まったスペイン国内の内戦最中、スペイン共和国政府の依頼を受け、その年の5月に開幕するパリ万国博覧会のスペイン館のために壁を埋めつくすほどの巨大な新作を依頼されたピカソ。


アトリエに届けられた約3m×8mの巨大なキャンバスの前でピカソが思い悩んでいたそのとき。

「ゲルニカ 空爆される/スペイン内戦始まって以来もっとも悲惨な爆撃」という新聞の見出しがピカソの目を射抜きます。


そこから物語は一気に2001年9月11日のニューヨークの朝に飛びます。

主人公は日本出身のピカソ研究者である瑤子。

ニューヨーク大学で美術史修士、コロンビア大学で美術史博士号を取得し、35歳でニューヨーク近代美術館(MoMA)に採用され花形部門である絵画・彫刻部門でアジア人初のキュレーターとなるという華々しい経歴の持ち主として描かれています。


その日ワールド・トレード・センターを襲った二機の旅客機により愛する夫・イーサンを喪うという悲劇に見舞われます。


時代を超えて、ゲルニカ空爆と9・11テロという2つの出来事が交差する瞬間の始まり。


タイトルにある「暗幕のゲルニカ」とはニューヨークの国連本部、国連安全保障理事会の入口に飾られている〈ゲルニカ〉のタペストリー。


2003年2月の国連安保理会議場のロビーでのパウエル米国務長官のイラク空爆を示唆する演説の際、背景にあるタペストリーの〈ゲルニカ〉がなぜか青いカーテンと国旗で隠されていたという。

この事実に触発された著者が紡いだ壮大な物語。

フィクション部分が10%、史実に基づいた部分が90%と著者にいわしめた本書。


導入部分の書き出し以降は皆さんに読んでいただきたいと思いますが、私の感じたことを言わせてもらえば、二十一世紀編の主人公・瑤子への著者の肩入れが半端なく、前へ前へと押し出しているものの無理やりなゲルニカへの導入やピカソ研究の世界的権威的な扱いに興ざめしました。


この物語に瑤子は必要ないのでは、と思うほど。


加えて飾り描写があまりにもくどく、読後のすっきり感が得られませんでした。

ピカソを初め、美術界の大御所が出てくるたび、これでもかというほどの美辞麗句が幾度も同じ表現で記されているところ、せっかくの構成のすばらしさが台無しになっている感を受けてしまいました。


とはいえ、全体的に斬新な発想で興味深い作品です。


美術関係に興味ある方はぜひ一読してほしいと思います。

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今年も無事に新年を迎えられました。


年末から年始にかけて長男一家を除いて子どもたちがいて、小春がいて、幸せな新春。


小春は一年でいちばん脱毛が少なく冬毛がつややかで、そして少し太って逞しくなっています。






相変わらず彼女にとって私は最下位の人で、私の脚に挑んでは甘噛みを繰り返すことで愛情表現をしてくれますが、痛い(ーー;)


他の人たちには決して歯を見せないのに。



みんなで思いっきり可愛がりまくりました。






さて本日は柚木麻子氏著『ナイルパーチの女子会』をご紹介します。


「ブログがきっかけで偶然出会った大手商社につとめる栄利子と専業主婦の翔子。
互いによい友達になれそうと思ったふたりだったが、あることが原因でその関係は思いもよらぬ方向に―。
女同士の関係の極北を描く傑作長編小説。
第28回山本周五郎賞受賞作」

著者について
1981年東京都生まれ
2008年『フォーゲットミー、ノットブルー』で第88回オール讀物新人賞受賞
2011年『あまからカルテット』 
2013年『伊藤くん A to E』で第150回直木三十五賞候補
2013年『ランチのアッコちゃん』 
2014年『本屋さんのダイアナ』で第151回直木三十五賞候補
2014年『3時のアッコちゃん』
2015年『ナイルパーチの女子会』で第28回山本周五郎賞受賞&第153回直木三十五賞候補
2016年『ナイルパーチの女子会』で第3回高校生直木賞受賞
2017年『BUTTER』で第157回直木三十五賞候補



「ここ数年のあいだに、女同士が仲良くすることに対してなぜか「心をざらつかせる」人がいることに気が付くようになったんです。
いわゆる「女子会」をするような人々に敵意のようなものを抱く人がいる。
女のコミュニティなんて面倒だと思っているのに何故か目が離せなくて、疎外感を覚える人がいる。
そのことについて考えてみたい、ということがまず最初にありました」と著者。


主人公は30歳の女性2人。


丸の内の大手商社に勤める容姿端麗のキャリアウーマン・志村栄利子と人気主婦ブログ『おひょうのダメ奥さん日記』の書き手である主婦・丸尾翔子。


育った環境も現在もまったく共通点のない2人の女性がブログの書き手と読み手という接点を通して接近していくことで狂気に似た関係が結ばれていくというもの。


独特の価値観で肩肘を張らずひょうひょうと過ごす翔子にブログを通して癒され魅了されていく栄利子。


同姓の友人ができないという苦悩を抱えた2人はあることがきっかけで急速に接近していきます。


人気ブロガーとその愛読者という関係から理想的な友人関係を構築できそうな予感を抱く2人でしたが、徐々に思わぬ方向に破綻していくというもの。


タイトルにある「ナイルパーチ」は一つの生態系を壊すこともある凶暴な性質の食用の淡水魚。


凶暴な性質といわれるけど、それは人間が提供した環境のせいであって、ナイルパーチ自体に罪はない、と著者はいいます。


そのナイルパーチをタイトルに用いて、その存在が2人のヒロインの関係性に微妙に照射するという難しい編成に巧みに挑んで秀作です。


私自身もささやかではありますがブログの書き手として、また他の方々のブログを楽しみにしている読み手でもある者として、考えさせられる作品でした。


現実の友人関係でさえ、距離の置き方の難しさを度々経験していますが、ネット上の友人たちとの関係も心しなければならないと思わせる作品です。


女同士の駆け引きの極まった内容ではありますが、興味あり方はどうぞ。

年末年始の多忙に取り紛れてパソコンを開かないでいたところ、いざブログを書こうとwordを開いたら不穏なメッセージ。

ためしにexcelを開いてみても同じ。


ブログの下書きや短歌関係の作歌などすべてwordで作業して保存しているのでお手上げ状態になりました。


yahoo知恵袋や、IT企業にいる娘の電話での誘導などでさまざまに修復作業をしてみたのですが出来ず・・・仕方なく年初のブログはメモ帳で下書きしてやっとアップしましたが、いちばん困ったのが短歌関係。


紙に書いて残していれば問題はないのですが、思いついた歌はほとんどwordに書いて推敲を繰り返しているので、記憶を呼び戻して紙に書くということが困難ということがわかって猛反省。


どうやらMicrosoft Office関係の破損か、2003年ものだったのでとっくにサポートが終ったのか?


ということでついに新しいMicrosoft Officeを購入することでやっと解決しました。


歌会が近づいていて提出歌を送らなければならないので気が急いていましたが、やっと送ることができてホッ。



つくづく便利な機器に足を取られている自分を省みた新春でした。

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小春とスーパームーン







さて本日は大塚勇三氏著&赤羽末吉氏絵『スーホの白い馬』で2018年を始めます。

  
「淡い、水彩のような絵で描かれた、モンゴルの民話。あまりなじみのない馬頭琴という楽器ができた、そのわけが語られる。
 スーホというのは、昔、モンゴルに住んでいた羊飼いの少年の名前。
貧しいけれど、よく働き、美しい声をした少年だった。
そのスーホがある日つれて帰ってきた白い子馬は、だんだんと大きくなり、スーホととても仲良くなった。
スーホは白い馬のために、白い馬はスーホのために一生懸命だった。
ところが…。
見知らぬ国モンゴルにノスタルジーさえ感じさせる絵の色彩とトーンが、悲しくも美しいストーリーにいっそうの深みを加えている」

2014年12月発行、131刷。

永遠のロングセラー。


著者の大塚勇三氏が1967年に中国語のテキストから採話し、その物語に赤羽末吉氏が挿絵を描き、福音館書店から絵本として出版したのが最初。


出版とほぼ同時期に光村図書出版の小学校2年生の国語教科書に採録されたそうです。


もともと現在の内モンゴル自治区のシリンゴル盟を中心に語られてきた民話でしたが、モンゴル国では「スーホの白い馬」は日本人から聞いて初めて知るほど知名度は低いそうです。


羊飼いの少年・スーホと白い馬の物語。


皆さん、内容はご存知でしょうが、簡単なあらすじを・・・


道で倒れていた白い子馬を拾ったスーホはその子馬を大切に育てます。

数年後、領主が自分の娘の結婚相手を探すため開いた競馬大会で、立派に成長した白い馬に乗って優勝したスーホ。

しかし領主は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホにわずかな銀貨を渡し、さらに白い馬を自分に渡すよう命令します。

スーホはその命令を拒否しましたが領主の家来たちに暴行され白い馬を奪われてしまいます。


白い馬は領主が宴会をしている隙を突いて逃げ出しましたが、領主の家来たちが放った矢で体中を射られたため、瀕死の状態でスーホの元に戻ります。


スーホの必死の看病にもかかわらず翌日白い馬は死んでしまいます。


悲しみにくれるスーホの夢の中に白い馬が現れ、自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残します。
そうして出来上がったのが一台のモリンホール(馬頭琴)でした。


「馬頭琴」の由来となった切ない物語。


モンゴルの大平原を吹き渡る風の中、駆ける白い馬とスーホの姿が目に浮かびます。


初めて読んだとき、権力者の不条理な仕打ちに怒りが抑えられませんでしたが、年を重ねた現在、どのような理不尽な事柄でも受け入れるしか選択肢がない、ということが多々あるとわかります。


動物は私たち人間よりずっとずっと自然に自分の運命を受容しているよう。


諦めが悪く死ぬまであがき続ける人間の姿は一概に悪いとは決められませんが、どんな運命でも時として受容しなければならないということをしっかり受け止めていきたいと思いました。

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