VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2019年01月

先ごろ恒例の終末時計が「地球最後の日」までの残り時間2分を指した写真と記事が発表されていましたね。

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(以下出典:AFP BB NEWS より引用)


米科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミックサイエンティスツ」が毎号表紙に掲げている「地球最後の日」までの時間を表示する時計がそれ。


この雑誌は原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」に参加した物理学者・ユージン・ラビノビッチらによって1945年に設立されたそうです。


終末時計は米国と旧ソビエト連邦が冷戦状態にあった1947年に残り7分で誕生。



人類が滅亡する「地球最後の日」を午前零時としてそれまでの残り時間を示す時計。


核戦争の脅威を警告するために作ったそうです。


針は情勢によって進んだり、戻ったり。
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核戦争などの危機が高まると針が進み、遠のくと戻る。


これまでに22回修正され、直近では2017年1月、残り2分半まで進みました。


核戦力の増強を唱えるトランプ米大統領就任や北朝鮮の核実験などが理由。


米ソの対立が激化した84年には破滅3分前に迫りました。


これまでで世界滅亡までの残り時間がいちばん長かったのは1991年。


米ソが軍縮条約に調印するという画期的な出来事で17分も針が戻されました。


その後はインドやパキスタンの核実験、北朝鮮やイランの核開発問題、オバマ元米大統領による核廃絶運動、更には日本の福島原発事故、ウクライナ危機などで行きつ戻りつしながら、終末へと近づいています。



加えて気候変動の危機も考慮に入れての残り2分。


昨年と同じ据え置きには各方面からさまざまな意見があるようですが、関係者は最も憂慮すべき事態であるというコメントを出していらっしゃいます。






さて本日は中山七里氏著『さよならドビュッシー』のレビューです。 


「祖父と従姉妹とともに火事に遭い、全身大火傷の大怪我を負いながらも、ピアニストになることを誓う遥。
コンクール優勝を目指して猛レッスンに励むが、不吉な出来事が次々と起こり、ついに殺人事件まで発生する……。
ドビュッシーの調べも美しい、第8回『このミス』大賞大賞受賞作」


2010年の第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作品。



何で今頃?

時代遅れも甚だしいとお思いの皆さま、その通りです。



本書をスタートに多くの作品を発表していらっしゃる中山七里氏。


著者の作品を読むのは初めて(ーー;)




趣味でピアノを再開している娘に先週与えられた練習曲がたまたまドビュッシーの「アラベスク」だったのがきっかけ・・・ちょうど図書館の返却棚にドビュッシーの名前を見つけて手に取ったらこれだった・・・という単純な理由。



「このミス」大賞作品ということで期待感大。


感想はというと・・・


ミステリ部分よりヒロインの弾くピアノ曲の表現部分がとても巧みでメロディが立ち上がって迫ってくるようでした。


著者は多分にクラシック愛好家なんだろうなと思わせる表現。



以前ベストセラーになった『蜜蜂と遠雷』を読んで以来の充実した音楽小説でした。


ミステリとしては・・・謎解きに岬洋介という絵に描いたような容姿端麗頭脳明晰のピアニストを登場させたところ・・・劇画として描けそうなイメージ。


不幸な事故で全身やけどを負ったヒロインが艱難辛苦を乗り越えて目指していたピアノコンクールで優勝。



それも身体の一部が炭化するほどの大やけどを負って日が浅い16歳の少女が短期間でここまで快復できるか、という医学的な疑問は大いに残りますが、著者のクラシック楽曲に対する精緻な分析力とピアノ演奏の描写力のすごさに感服した作品でした。

くじ運がないのか、過去にめぼしい当たりの記憶に乏しい私。


なので宝くじも買わず・・・その分を年末募金。



一昨年亡くなった姉とは帰省の度に会っては通りすがりの駅前の宝くじ売り場でスクラッチを購入してはその場で削り、当たるとその金額を再び投入しては削る・・・を繰り返すというバカな行為をしては遊んでいたことを思い出します。


3000円ほどですが、今から考えるとそれも何かに募金すればよかった・・・。


姉はバングラディシュ、私はエチオピアの子どものサポーター会員で、それぞれの子どもからの手紙を見せ合いっこをしていたこともあった・・・懐かしい思い出。



さて今年の年賀状、切手シートが5枚も当たりびっくり。


昨年から断捨離の一環として3分の1ほどの方々に賀状をやめる旨送っていたので徐々に少なくなった年賀状。



夫の転勤で日本各地をウロウロしていた30年ほどの間に会社関係や、私の関係の友人知人たちとの形式的な賀状交換が増えていたので、夫の喜寿を機に残す人とやめる人というふうに交友関係を分けて思いきりました。


ところが断捨離分の賀状の相手から察知したように、今までにない丁寧な自筆の賀状が続々・・(ーー;)


中には数十年間ずっと簡素な印刷だけだった賀状に初めてびっしりの添え書き・・・こんな字を書く人だったんだ・・・と夫と驚いたり。


心理的にも断捨離はなかなかに困難な我が家の年賀状事情でした。





さて本日は桜木紫乃氏著『砂上』のご紹介です。 


「直木賞作家の新たな到達点!
空が色をなくした冬の北海道・江別。
柊令央は、ビストロ勤務で得る数万円の月収と、元夫から振り込まれる慰謝料で細々と暮らしていた。
いつか作家になりたい。そう思ってきたものの、夢に近づく日はこないまま、気づけば四十代に突入していた。
ある日、令央の前に一人の編集者が現れる。
「あなた今後、なにがしたいんですか」
責めるように問う小川乙三との出会いを機に、令央は母が墓場へと持っていったある秘密を書く決心をする。
だがそれは、母親との暮らしを、そして他人任せだった自分のこれまでを直視する日々の始まりだった。
自分は母親の人生を肯定できるのか。
そして小説を書き始めたことで変わっていく人間関係。
書くことに取り憑かれた女はどこへ向かうのか」


本書の主人公は母娘エッセイに応募して優秀賞をもらった柊令央。


舞台はもちろん北の大地・江別。


幼なじみが開いているピストロでアルバイターとして得たささやかな賃金と元夫からの月々のわずかな慰謝料で生活しながら当てのない文章を書いている40歳の令央と、彼女に会いに東京から来たという女性編集者・小川乙三との出会いからこの物語がスタート。


まずこの段階で登場人物のネーミングに違和感。


柊令央(ひいらぎれお)

小川乙三(おがわおとみ)

柊ミオ

柊美利


せっかくの筋立てにこれでもかというように出てくる宝塚顔負けの名前。


それもペンネームでなくすべて本名という設定に思わず引きそうになりました。



著者渾身の作品という前触れに期待しましたが、本書のヒロインに容易に感情移入できないまま読了しました。


いつもの著者の作品らしくない・・・


編集者と作家との関係性を描きたかったのか?


厳しい編集者にダメ出しされて何度も何度も改稿を求められる・・・そうして一冊の作品が世に出るというのは理解の範疇にありますが、ヒロインである作家のなかに気骨というものが感じられず・・・いつもの桜木作品のヒロインの造形の巧みさに欠けていたように感じられて・・・私の中で残念な作品のひとつとなりました。

先週はNHK全国短歌大会に出席するため上京していました。


2年ぶりの舞台。


2年前は題詠一首で特選になり、同じく特選に選ばれた人々とともにひな壇でそれぞれの選者の方々の横に座っていましたが、今回は十五首連作で近藤芳美賞をいただいたので、加賀美アナウンサーによって十五首が読みあげられる間舞台中央に棒立ち、そのあとインタビューがあるというプログラム。


脚光を浴びるのがとても苦手で、隅っこが大好きという自分なので、欠席したかったのですがNHKの係の方にぜひ、といわれ出席しました。


ただただ早く終って、翌日次男のところのコハルに会えるのを心の支えにやり過ごしました。


NHKも素人相手のインタビュー、失敗があってはということで歴代・近藤芳美賞受賞者の方々には事前にリハーサルを行うという念の入れようで、本番前にリハーサルを行ってもらいましたが、それはそれでとても緊張。


声を大きく、緊張を解いて・・・といわれても・・・(ーー;)


結果は散々でしたが、ひとまず気の重かった行事が終了。


閉会後、選者の方々と近藤芳美賞&選者賞受賞者の5人とその家族のみの立食懇親会があり、著名な歌人の方々とお話をする機会に恵まれました。


多くの歌人の方々に私の作品の感想などのお言葉をいただいて貴重な時を過ごせました。


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もうこれだけの大きな賞をいただくことはないと思うとやはり出席してよかったと思いました。



翌日は新婚家庭の次男の新居を訪問。


お嫁ちゃんのサオリちゃんの手料理のご馳走をいただきながらコハルと遊ぶという至福のときを過ごしました。
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以下は近藤芳美賞受賞作・・・記録のためにアップしておきます。

『空のたまゆら』 

何ごともなかつたやうに木々は萌え原発つぎつぎ再稼動する

七年を経ても廃炉の目途たたず八百八十トンのデブリのゆくへ

大暑近き知覧特攻観音堂かたわらに添ふ褪せしあぢさゐ

永遠に若きままなる特攻兵 千三十七名の生の眩しき

一国を率ゐる人よ願はくば戦ひの野の前線に立て

「ひもじい」が死語となりゆく炎天の七十三年目の夏蝉時雨

黙祷と『ヒロシマ・ノート』の再読を捧げて炎暑の八月を終ふ

おほどかな「なんくるないさ」の民にして「みるく世がやゆら」と問ふは悲しき

ウチナーンチュのために削りし命なり翁長氏に捧ぐ無数の黙祷

ガンジーのごとき痩せたる奄美人(しまんちゅう)の六十五年を眩しみて見つ

ホノホシの波に洗はれ玉石は基地なき平和の徴となれり

暗黙のヒエラルキーの満ち満ちてこの世は狭く狭くなりゆく

シャガールと魁偉の馬が天駆ける国境のなき空のたまゆら

不条理も条理も丸ごとこの世なり土手に赤白曼珠紗華の群

幾重にもかさなる雲の間より射し入る光を希望と呼ばむ





さて本日はアーサー・ビナード氏著『日々の非常口』のご紹介です。 


「日本人より日本通の詩人、アーサーさんの日常とは?
「月極」の読み方に悩み、「ほかほか」の英訳を工夫する。
謡いの会では羽織を纏い、クリスマスにはサンタの扮装を。
旅先では愛猫に手紙を出そうとし、鈴虫に夏を感じる。
「酔っ払う」の英語表現の多さに赤面し、戦争続きの母国を憂う。
言葉のフシギから、社会、政治問題まで。
日々の鮮やかさに気づかされる愉快で豊かなエッセイ集」


著者・アーサー・ビナード氏について

1967年アメリカ合衆国、ミシガン州生まれの詩人・俳人、随筆家、翻訳家
1990年来日
2001年詩集『釣り上げては』で中原中也賞受賞
2005年エッセイ『日本語ぽこりぽこり』で講談社エッセイ賞受賞
2007年絵本『ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸』で日本絵本賞受賞
2008年詩集『左右の安全』で山本健吉文学賞(詩部門)受賞
2012年ひろしま文化振興財団、第33回広島文化賞(個人の部)受賞
2013年絵本『さがしています』で第44回講談社出版文化賞絵本賞&第60回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞
2017年第6回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞
2018年絵本『ドームがたり』で日本絵本賞受賞
現在、広島市在住、妻は詩人の木坂涼、9条の会会員



本書は朝日新聞紙上で2004年から2006年の2年間に連載された随想を集めたものです。


本書はビナード氏から直接購入し、サインをいただいています。



昨年ビナード氏が当地に講演に来られたときのものですが、講演の内容についてはこのブログにアップしていますのでよかったら読んでください。→  


さて本書について

本書にはビナード氏の日々の暮らしの中で感じた日米における違いや違和感、嬉しかったこと、怒りなどが68篇のエッセイ形式で描かれています。


見開きに1篇ずつという小さなエッセイなので手軽に読める作品集となっています。


そして何より文章が珠玉のような輝きと味わいを放っていてすばらしいの一語に尽きます。


生粋の日本人のエッセイは山ほど読んでいますが、本書はずっと手元において読み返したいと思えるほど。


1990年に来日・・・という刷り込みがあったので期待せずに読んだためか驚嘆!


生まれ育ったアメリカのみならず日本への造詣の深さも只者ならず、誠実なお人柄も伝わってきます。


昨年ビナード氏とは少し会話をしたので、事前に読んで感想を伝えればよかった!


なまじの日本人より日本語を大切に慈しんでいるのが文章から伝わってきます。


さすが中也賞ほか講談社エッセイ賞など名誉ある賞の受賞者!


日本語の「残雪」はドンピシャリ。
その端正な二字には無駄がない。
響きも引き締まって、かといってきれいすぎず、濁音のラフなざらつきも残る。
そこにぼくは、一種の悲壮美さえ感じる。


なんて繊細な言葉に関する感覚なんでしょう。

日本人である私が恥ずかしくなるほどの深さで日本語を受け取っている・・・。


また九条の会員である氏は日本の当時の現状についても次のように書いていらっしゃいます。

今、日本の国会では、憲法改正が必要という意見が多数を占めているようだ。
国内外を取り巻く情勢が、憲法制定時と違ってきたからだという。
戦争体験をもつ国民が少数になあったことは、確かに前とは大きく違う。
しかし、ほぼノンストップに戦争を繰り広げる米国で生まれ育ったぼくには、日本の平和憲法がとても貴重なものに思える。
当然、改憲を主張する側は、「戦争放棄を堅持しつつ、武力行使を抑制的かつ最小限に」などと口約束はするだろうが、そんなものはドッボーンのあとの、船の横っ腹の×印にすぎない。



日本人でさえ見落としっぱなしのような日本語の美しさや日本国憲法のすばらしさ、そしてアメリカの危うい現状―執筆当時はブッシュ政権時代の対イラク戦争中―に目を逸らすことなく異を唱える潔さ。


ご紹介したい箇所があまりにもたくさんありすぎて、丸ごと写したいくらいですがこの辺でやめます。

あとはどうぞ読んでいただきたいと思います。

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幾百万の巡る季節を樹に刻みメタセコイアの芽吹きふたたび
先日このサイトでご紹介した「ヘレン・ケラーの愛した日本~没後50年 奇跡の人の知られざる真実~」を観ました。


ヘレン・ケラーと日本の深い関わりなど知らなかったことが多く、深く感動しました。


25歳のとき毎日新聞の記者として、大阪を訪れたヘレン・ケラー氏に随行取材をされた銭本氏へのインタビュー。


以前アップされていたブログで若かりし頃ヘレン・ケラーに随行されたことは知ってはいましたが、半世紀以上前の出会いを鮮明に覚えておられて的確にインタビューに応じておられた銭本氏にさすがと思いました。


現在も毎日日本語と英語で日記を記していらっしゃるという銭本氏。



ときどきお目にかかる機会がありますが、幅広い知識の宝庫のような方、貴重な数々の言葉をもっと真剣に受け止めなければと思いながら、ついつい魅力的な銭ママとのおしゃべりに傾いてしまう私です。



「ほとんどの人は人生の途上のどこかで障碍者を経験するのだから、障碍者を自分のこととして受け止める気持ちを持たなければならない」とおっしゃる銭本氏の言葉はいつも私の内にありますが、現在の自分とは距離のあることについてはついつい素通りしてしまう愚かさをしっかり戒めるきっかけになりました。



それにしても私を代表とする健常者というのはなんと傲慢なことでしょう。


五体満足を当たり前として過ごし、時として体に不具合が生じたら初めて自分のこととして受け止め大騒ぎする・・・弱い心を少しでも改めなければ。


たまたま目が見えているだけなのに・・・もっと今ある幸運を大切にしなければ。






さて本日は本城雅人氏著『英雄の条件』のレビューです。


「メジャーでも活躍した日本球界の至宝に、ドーピングの嫌疑がかけられた。
男は、日米メディアの執拗な取材にも、最愛の妻にも沈黙を守り続けたまま、渡米する。
薬で圧倒的な力が得られ、絶対に発覚しないと言われたら? 
勝利への欲望、裏切りの連鎖、保身と隠蔽、嘘の境界――。
人間の強さと弱さを描き切った、哀切のエンタメ巨編!」


舞台はロサンゼルス。


有名な元スポーツドクター・マンジー・グレノン宅の解体現場から見つかったノート。


そこには2005年にロサンゼルス・ブルックスで活躍したスター選手らの名前とある数値データが記されていて、解体業者がそのノートを新聞に売ったことで全米を揺るがす薬物事件へと発展します。


ドーピング疑惑の対象になったのはブルックスの現役である中心打者ジェイ・オブライエンと当時ブルックスの四番打者で現在は引退して日本で暮らしている津久見浩生、そして2005年前後、グレノンから実際にドーピングを受けていてた現神戸ブルズの二軍投手・武藤勉。


この3人を軸にジェイの代理人のエイミーや、津久見の妻・恭子、ドーピング疑惑を追い続けている雑誌記者・安達などの視線を通してドーピング疑惑を中心に過去に遡った物語が描かれています。


スポーツ界とドーピングは切っても切れない関係・・・といえば御幣がありますが、国を挙げてのドーピング推奨と見紛う事件もあって、スポーツ界で一流を維持することの難しさを見せつけられるような作品となっています。


スポーツ記者出身の本城氏でなければ書けなかったような球界に関しての緻密な描写や、追い詰められた選手たちの心の動きなどが描かれていて完成度の高い作品となっています。



「ドーピングは悪なのか?」という問いかけが文中に何度か提示されていますが、改めて突きつけられたこの命題を選手側に立って考えたとき果たして悪といいきれるか・・・という問題提起も試みられています。


薬物を提供していたという医師・グレノンは能力向上のための薬物使用を不道徳としたのは〈キリスト教徒〉だと作中で語っています。



著者はある紙面で次のように記していらっしゃいます。

「メジャーの最高峰を目指す選手であれば、全員が同じジレンマに悩むと僕は思っています。
そもそも我々は『絶対に勝て』と言う一方で『清く正しく戦え』と矛盾したことを選手に求めている。
それは観る側の理想の押し付けに過ぎないのです」



現在では、昔は禁止薬物ではなかったグリーニーなどの興奮剤や風邪薬でも検査で陽性と出てしまうほど複雑化して厳しくなっている規定。



生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた現場での厳しい戦いに日々挑んでいる選手たちにとって薬物は善悪問題の範疇ではなく、ルールに違反したかどうかの範疇に入るのではないかと著者はいいます。



少し物語から逸脱しましたが、メジャーリーガー時代のある時点で起こったことに関して苦悩し続ける津久見の姿と、それを支える恭子の夫婦の堅い絆も描かれていてすばらしい恋愛小説といっても過言ではないと思えるほどでした。


おススメです。


「大切なものが近くにあってもそれに気付くのはずっと後、ということが私には往々にしてある」

美術家・鴻池朋子さんの言葉です。


鴻池さんだけではない、私も同じ。


気付いたときはそれを失った後、もう取り返しがつかなくなってから・・・。


その大切なものが「もの」だったらそれに近いものを買うこともできるけど、それが「ひと」や「動物」だともう二度と手の内に戻すことができない・・・


そんな後悔を繰り返しながら過ごすのが人生だといえばそれまでですが、深い後悔をしたくないために逆引きのように「今」を大切にしよう・・・浅はかな私は日々自分に言い聞かせています。





さて本日は近藤史恵氏著『胡蝶殺し』です。


「歌舞伎子役と親同士の確執を描くミステリー
「美しい夢ならば、夢の中でも生きる価値がある」
『サクリファイス』で大藪春彦賞、第5回本屋大賞2位を獲得した、近藤史恵氏が長年温めてきた、歌舞伎の子役を主人公にしたミステリー。
市川萩太郎は、蘇芳屋を率いる歌舞伎役者。
花田屋の中村竜胆の急逝に伴い、その息子、秋司の後見人になる。
同学年の自分の息子・俊介よりも秋司に才能を感じた萩太郎は、ふたりの初共演「重の井子別れ」で、三吉役を秋司に、台詞の少ない調姫(しらべひめ)役を俊介にやらせることにする。
しかし、初日前日に秋司のおたふく風邪が発覚。
急遽、三吉は俊介にやらせる。
そこから、秋司とその母親由香利との関係がこじれていく。
さらに、秋司を突然の難聴が襲う。
ふたりの夢である「春鏡鏡獅子」の「胡蝶」を、ふたりは舞うことが出来るのか…? 」


よい意味でこれほどタイトルに裏切られた作品はありませんでした。


なぜタイトルに「・・・殺し」とつけたのか?

しかもミステリーのフィールドで売り出しているのはなぜ?


もっと違ったタイトルにすれば躊躇なく手に取れたのに・・・。



ツール・ド・フランスを舞台の「サクリファイス」シリーズの大ファンである私は著者の作品を目にするとつい手を伸ばしたくなりますが、本書は何度か図書館の棚で見たものの素通りしていたのでした。



本書に触れて近藤史恵氏の引き出しの多さに感嘆!



歌舞伎界の子役を巡る物語。


物語を引っ張るのは梨園の世界に生きる女形の歌舞伎役者・市川萩太郎37歳。


同じく歌舞伎役者である花田屋の中村竜胆が49歳の若さで急死したことから物語は急な展開を見せます。


萩太郎の母が竜胆の父と従兄弟同士という関係からか興行会社の社長から竜胆の遺児となった秋司の後見人になってほしいとの依頼が舞い込みます。


14歳のとき父を亡くした萩太郎なら、親を亡くして途方に暮れている秋司の気持ちがわかるだろうという意向。


秋司とほぼ同年の実息・俊介を持つ萩太郎は一瞬躊躇したものの、後見人を引き受けることになりました。


秋司7歳
俊介6歳


どう贔屓目にみても天与の才があるのは秋司。


分け隔てなく才を育てようと努める萩太郎ですが、秋司の母である由香里の思いつめたような秋司への過度なガードと期待に振り回されます。



上述の内容はほぼ導入部分ですが、それぞれ際立った個性を持つ2人の子どもの成長譚として含蓄のある作品でした。



歌舞伎界に不案内な私ですが、梨園の約束事や慣習、他の宗家との関係、世襲というものの難しさなどとても読み応えがありました。



折りしも市川海老蔵のブログでかわいらしい勸玄くんのお稽古の様子などを見たことがあるので2人の少年とダブってイメージしながら読了。


幼いながら天与の才があり、役者としての意識も抜群に高かった秋司の身に不測の事態が降りかかり、その後の展開には紆余曲折がありましたが、終盤で著者はすばらしい収束を用意したことで久しぶりの感動的な物語となりました。


「春鏡鏡獅子」の「胡蝶」をふたりで舞うという幼いころからの夢が実現しそうな予感を感じさせて幕が閉じます。


2人のこれからの切磋琢磨も読んでみたい・・・そんなことを感じさせる作品でした。

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お知らせです。

1月13日(日曜日) BS11にて19時~21時 
「ヘレン・ケラーの愛した日本~没後50年 奇跡の人の知られざる真実~」
に当地の大先輩のzensanこと銭本三千年氏が出演されます。

25歳のとき、毎日新聞の記者として大阪を訪れたヘレン・ケラー氏に随行取材をされたという銭本氏。
実際にヘレン・ケラーに会われた方で現存していらっしゃる方としてテレビクルーがご自宅を訪れインタビューされたそうです。
どのような内容か私もとても楽しみにしています。
興味がある方、ごらんくださればと思います。


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松の内も終わり、やっと通常の生活が戻ってきました。


年末から年始にかけて長男一家と娘が帰ってきましたが、娘が先に引いていた風邪がお嫁さんのユカちゃんに移り、2人ともずっと咳と熱で半病人と化していました。


お互いマスクでガードして、空気清浄機をずっとつけっぱなしにして、手洗い、うがい、マヌカハニーを舐め続けたり、プロポリスを飲んだり・・・あらゆる手を尽くしたお陰で帰るころには2人ともよくなり、私たちもどうにか感染せずに済みました~。


使いモノにならない2人に代わって長男とアスカがよく働いてくれて大いに助かりました。


家ではな~んにもしないという長男ですが、買出しにカニ料理、ペペロンチーノや炊き込みおこわを作ってくれて・・・そのおいしかったこと!


我が家は料理男子を推奨しているせいか、男たちは全員料理をします。



今回次男夫婦は年明けの引越し作業のため帰省しませんでしたが、次男もよく料理を作っているようです。



家事や料理の合間を縫って、初詣や卓球場に行ったり、ウノや花札、ふくわらいをしたり。


お正月行事はほとんどこなしました。
  

  



卓球部で日々練習に励んでいる中二のアスカの目覚しいレベルアップには目を見張るばかり・・・もはやラリーが続かない(ーー;)


ネットすれすれのドライブサーブでごまかしていましたが、すぐ会得したようで打ち返せるようになって点数を取られっぱなしでした。


そんなアスカですが、いまだ反抗期ゼロというものに一抹の不安があるものの、毎晩いっしょにお風呂に入るのを楽しみにしているなど幼児と見紛う部分にはかわいいのでみんな目を瞑って楽しみました。


これから一挙に反抗期、思春期が来るのだろうか??


それはそれで本来の成長の途上の姿なのですが。


どちらにしろ親やジジババの心配は果てしないのです。





さて今年の第一弾はエーリヒ・ケストナー氏著&池田香代子氏訳『点子ちゃんとアントン』のご紹介です。 


ケストナーといえば一昨年亡くなった姉の好きだった作家さん。


特に本書はお互いの子どもたちが小さかった頃、読み聞かせの必須アイテムでした。


本が大好きだった姉の影響をもろに受けて育った5歳年少の私。


いまだにヘッセやモーム、堀辰雄などの名前を聞いたり見たりしただけで姉を思い出して胸キュンとなります。


さて本書に戻って・・・


「お金持ちの両親の目を盗んで,夜おそく街角でマッチ売りをするおちゃめな点子ちゃんと,おかあさん思いの貧しいアントン少年。
それぞれ悩みをかかえながら,大人たちと鋭く対決します―
つぎつぎと思いがけない展開で,ケストナーがすべての人たちをあたたかく描きながらユーモラスに人生を語る物語」


懐かしい物語・・・何十年ぶりだろう・・・


でも子どもたちが小さい頃読んだときとはちょっと違った読後感を抱いたかも。


本書はこんな書き出しで始まります。

「なんの話だったっけ? ああ、そうそう思い出した。これからみんなにしようと思っている話ときたら、じつにへんてこなのだ。まず第一に、へんてこだから、へんてこだ」



お金持ちの点子ちゃんと病気のお母さんを持つ貧しくも心優しい少年・アントンの友情の物語・・・2人のちょっと羽目を外したような日々の事柄が章立てとなって描かれているのですが、それぞれの章の終わりにケストナーの注釈が入るという構成になっています。


その「立ち止まって考えたこと」という注釈がまことにためになる道徳的な内容なのです。


例えば勇気と蛮勇の違いとは?について・・・

「ここでは、勇気について、ちょっと話をしよう。アントンは、自分よりも大きな男の子に、パンチを二発、くらわした。アントンは、勇気のあるところを見せた、と考える人がいるかもしれない。でも、これは勇気ではない。蛮勇だ。このふたつは、ひと文字ちがうだけでなく、ちょっと別の物だ」


道徳の教科書そのものを物語にはめ込んだような構成になっているところ、あまりにも教訓に満ちていてちょっと引いてしまいました。


長い長い歳月は私から〈純粋〉とか〈純真〉というものを奪ってしまったのでしょうか・・・。


そんな自分に一抹の寂しさを覚えた作品でした。

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