VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2019年02月

今年に入ってから梅原猛氏、直木孝次郎氏、そしてドナルド・キーン氏・・・日本の平和を思想的に支えてくださった気骨のある方々が立て続けに泉下に入られました。


お三方とも憲法九条を日本の宝と言い切られていた方々。


悲しくも心細いことであります。



昨日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を問う県民投票の結果が開票され、反対票が七割強となったことに一瞬安堵しましたが、結果に法的拘束力はなく政府の移設を進める考えは微動だにしないことを思うと空疎な気持ちになります。


もうすぐ退位を迎えられる天皇陛下が戦争のなかった平成にしみじみ安堵されても、戦争を経験された高齢の方々が九条の大切さを語られても、真摯に言葉を受け取ることなく巧みにかわす術のみどんどん長けてくる政府の長にはただ失望します。



2月2日に百歳で天寿を全うされた直木氏は、古墳時代に大阪の河内平野に台頭した勢力が奈良の大和政権を倒し、新たな政権を打ち立てたとする「河内政権論」を提唱された古代史の大家として著名な方ですが、万葉集にも造詣が深く、ご自身も歌集を編まれたほどの歌人でもあられました。


私が毎週楽しみにしている朝日歌壇でも度々投稿、入選されています。


「奈良市 直木孝次郎」という名前で投稿歌が掲載されるのを楽しみにしていた読者のひとりでした。


四人の子つぎつぎ戦死せしという無残なるかないくさというもの

わが伯母は戦死の公報さしおきてわが子孤島に住まうと思いき

死ねと言う訓話を聞きし夜を思ふ72年前の雨の夜なりき

特攻は命じたものは安全で命じられたる者だけが死ぬ

大国のうしろにつけば安全かおまえ前行けといはれたらどうする



氏の反戦歌はとても簡素でまっすぐ、だからこそ読み手の胸に深く突き刺さります。


ご冥福を深くお祈りいたします。







さて本日はジョン・ゴールズワージー氏著&三浦新市氏訳『リンゴの木』のご紹介です。 


「銀婚式の日に妻と英国南西部の田園を車で旅する上流階級出身のアシャーストは、途中ある村に立ち寄る。
そこは26年前、彼が村娘ミーガンと恋に落ちた場所だった。
当時は駆け落ちまで企てながら、結局身分差を理由に彼女の元から逃げ去ったのだった…。
甘い感傷で彼女との思い出に浸る彼は、地元の農民から、かつて自分が行った無慈悲な行為の結末を初めて知らされる…。
ノーベル文学賞作家による名作」


初出1916年・・・今からほぼ100年前の作品です。


しかし現在でもこのような身分に対する考え方は密かに踏襲されていると想像します。



イギリスの上流階級の青年アシャーストが旅先の田園で美しい娘ミーガンと出会い、愛し合い、駆け落ちの約束をします。


その約束の前日街へ出かけたとき学生時代の友人兄妹に出会い、海で溺れそうになった友人を助けたことで自分と同じ上流階級の美しい姉妹の信頼を勝ち取り、急激に友人の妹ステラに気持ちが傾き、田舎娘ミーガンとの約束を破ってしまいます。


「彼の情熱は、ただ感覚的なものにすぎず、やがては消えてしまうだろう。
そして、ロンドンでは、彼女が実に単純で、知性に欠けているということで、彼女を自分のかくれた慰みものにしてしまうだろうーそれだけのものだ」


それから25年の歳月が流れ、銀婚式を迎えたアシャーストとステラは記念の旅行で偶然その地を訪れます。


ミーガンとの美しい思い出に浸るアシャーストの目にひとつのみすぼらしい墓が止まったことから自分がこの地を去ったあとに起こったミーガンの悲劇を知ることになります。


著者は主人公であるアシャーストの特権階級意識をこれでもかというほど描いていますが、アシャーストの心理描写が細密であればあるほど起こったことの残酷性が際立ってアシャーストへの憎悪が高まるといういうのは読者に向けての著者の意図であろうかと思えました。


その残酷性は著者がイギリスの田園風景を美しく描けば描くほどあからさまになるというもの。


「うす紅の蕾の中に、ただ一つ星のように真白いリンゴの花が咲き匂っていた・・・」


ミーガンの自殺を知ったアシャーストの心境やいかに・・・

「彼の節操は報いられ、恋の女神シィプリアンに復讐されてしまったのだ!」

アシャーストは四半世紀前の自分の不誠実さを深く内省することもなく、妻と寄り道の場を去るという結末。


佐藤優氏は解説で次のように記していらっしゃいます。

「この作品は、19世紀から20世紀にかけてのイギリスのブルジョワジーに鋭い批判をなしたものであり、作者の意図するところはヴィクトリァニイズムの唯物主義と形式主義との批判、人間の自由精神の高揚にあった・・・
作品の根底をなしているものは、人道主義的社会意識と抒情的美意識であることは明らかである・・・」

「ヨーロッパ人の内在的論理を学ぶ本」として読むこともひとつの読み方であるという学び。



最後に男女の恋愛感の相違について・・・


歌人・栗木京子の有名な代表歌に次のような歌があります。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)



この歌のようにアシャーストにとってはミーガンとのひとときは「埋もれていた思い出、忽ち消え去ってしまった狂おしい甘いひと時」に過ぎかったのでしょう。


時には男女の恋愛感が逆転することもあるようですが・・・。


朝の某情報番組のコメンテーターの方がテレビとしての情報の提供の仕方と視聴者としての情報の捉え方について問題提起をされていました。


マスコミは視聴率という命題の下に番組や情報を提供するのを旨としているのは周知の事実。


背後に控えているスポンサーといわれる企業なしでは民放の経営は成立たちませんが、受け取る側の視聴者の興味に阿るやり方がほぼ提供の多くを占めているという指摘には私たち視聴者の受け取る姿勢にも反省の余地があると認めざるを得ないなあと思いました。


テレビや新聞の報道を受け取る私たちも目や耳や脳をもっともっと成熟させて視野を広げる必要があるのではないかと思ったこと。



自分や自分を取り巻く狭い狭い範囲にだけ想像力を広げるのは努力しなくてもできると思いますが、さしずめ今は自分とはかけ離れていて関わりがない、これからもなさそうだという事柄にも想像力を広げてみるという努力が大切かな~と反省。





さて本日は久しぶりに私の尊敬する作家の作品を挙げてみます。



吉村昭氏著『深海の使者』

「太平洋戦争が勃発して間もない昭和17年4月22日未明、一隻の大型潜水艦がひそかにマレー半島のペナンを出港した。
3万キロも彼方のドイツをめざして…。
大戦中、杜絶した日独両国を結ぶ連絡路を求めて、連合国の封鎖下にあった大西洋に、数次にわたって潜入した日本潜水艦の決死の苦闘を描いた力作長篇。
昭和17年秋、新聞に大本営発表として一隻の日本潜水艦が訪独したという記事が掲載された。
当時中学生であった著者は、それを読み、苛酷な戦局の中、遥かドイツにどのようにして赴くことができたか、夢物語のように感じたという。
時を経て、記事の裏面にひそむ史実を調査することを思い立った著者は、その潜水艦の行動を追うが……
戦史にあらわれることのなかった新たなる史実に迫る」


第二次世界大戦中、日独伊三国同盟を結んでいた日本。



三国同盟とはいうものの、海図を見ればわかるように日独と日伊を結ぶ距離は果てしなく遠く密なる連携を取ることが至難の業という状態だった中、日独間の唯一の連絡手段だった潜水艦で片道3ヶ月かけて行われました。



本書は死と隣り合わせの無謀とも思える航海の困難と苦闘を描いた記録です。


書き手は吉村昭氏。


終戦後、潜水艦の乗組員のなかのわずかな生存者やその関係者たちを探し出し、乏しい資料と著者ご自身の足と目で得た証言を照らし合わせるという緻密なトレースの結果生み出された、著者でなければ書けなかったであろう作品です。



貧しい想像力だけでは読みきることのできない作品。


本書の見開きに第二次世界大戦当時の世界の海図が掲載されています。


それを見ると・・・ただでさえ英米と独伊の間には海軍力に格段の差がある上に、連合国の封鎖下にあった大西洋が広がり、距離的にあまりにも遠すぎて日常的に必要な物資を送るということの困難さは想像を超えたもの。


さまざまな試行錯誤をするもほとんどすべて失敗の連続だったようです。


どれだけ人命を失ったことか・・・


本書は三国同盟を維持するための試行錯誤の連絡の手段として使われた潜水艦の辿った壮絶な実話です。



本書でも吉村昭氏の史実を突き詰める取材力のすさまじさとともに、無謀な日独の軍上層部の使命に殉じた乗組員やその家族の様子など淡々として事実を述べる筆致にはただ敬服するのみでした。



どんなに考えても無理な同盟が引き起こした悲劇。


無理な開戦が引き起こした悲劇。



特に日独を隔てるインド洋から喜望峰を大きく迂回して2か月以上の航海を続けなければならなかった閉鎖状態の艦内の描写はあまりにも息苦しく、本を閉じてやっと呼吸が楽になるのを実感したほどでした。


ぜひ、とお勧めしたいところですけど興味ある方はどうぞ。

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらい
さくらをみるのかしら
ものごころつくのが10歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なり合い霞立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
    
春が一歩一歩近づいています。


3月ももうすぐ。


春が怒涛のように押し寄せてきて、日本中が待ちに待った桜の季節となるのも間近か。


上に挙げたのは2006年に亡くなられた茨木のり子氏の有名な詩「さくら」。


読むたびにすべての生き物に平等に訪れる死のことを思います。


〈メメント・モリ〉は「死を想え」という直訳で広く捉えられていますが、古代ローマの将軍による「人は何時かは必ず死ぬ。その時を思い、生きている今を大いに楽しみなさい」という意味合いが含まれているというのを聞いたことがあります。



私がはじめてこの言葉に出合ったのは藤原新也氏の写真集『メメント・モリ』によって。


私にとって衝撃的な写真集でした。


以後藤原新也氏の作品を読み漁った時期があります。



藤原新也氏著『メメント・モリ』



 「生と死を謳う現代の聖典、メメント・モリ、大刷新!
一瞬で情報の入れ替わるこのむなしい時代を、25年間の長きにわたって読みつがれてきたロングセラー。
いま、絶望の時代を生き抜くべく、新たな言葉と写真の牙を研ぎ澄まし、新登場!」


1983年に刊行されて以来27版を数え、2008年には改訂版が刊行されるなど、いまもなお多くの人々に読み継がれているロングセラー書。


インドを中心としたアジアやアメリカなど世界を漂流してきた写真家・藤原新也氏ならではの臨場感あふれる写真集。


「生と死」をテーマに怯むことなく生死を超えた人間にファインダーを向けてシャッターを押した写真に自らの言葉を添えた作品です。



私の貧しい言葉では感想を表すことができない、お手上げである、と思える作品。



ぜひ皆さんの五感で受け取ってほしい一冊です。



インドで写した死者の数枚。


死者が焼かれるのを遠巻きに生前親しかった人々が眺めている写真には「死というものは、なしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最期のときの何時かの瞬間を、ヒトは決断し、選びとるのです。だから、生きているあいだに、あなたが死ぬときのための決断力をやしなっておきなさい」という文章が添えられています。


死体の足を犬が咥えている写真には「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」の言葉。



「眠りは、成仏の日のための練磨のようなもの」


なるほど・・・少しずつ少しずつ日々の眠りによって死が近づいている・・・



昨今不穏な流れになりつつあるとはいうものの、まだまだ平和な日本にいて「死」というものがどれほど日常に根づいているだろうかと思うとき、きれいごとの上滑りで「死」について考えることはあっても深い考察にはほど遠いと思える現状。



この世で唯一揺らぎなきものとしての「死」について想うとき、その対極にある「生」を与えられている限り大切に誠実に生きなければと言い聞かせています。


常時言い聞かせないとともすれば疎かにしがちな凡人たる私です。



以前にも書いたような記憶がありますが、最後に藤原氏に関する豆知識。


現在の藤原氏がこの習慣を続けておられるかどうかはさだかではありませんが、壮年期の藤原氏には「冬眠」という習慣がありました。

冬眠!@@!


著者によると冬眠への導入は次の通り。

「ある薬草を加え四年間以上熟成した蜂の子入りの蜂蜜をたらふく食う。
この蜂の子には微量の睡眠薬に似た成分(非常に良質な漢方)が発生していて、何日かかけて五キログラムぐらい食うとある臨界点で、徐々に眠気を催してくる。
その日から五日間断食を挙行。
排便排尿し、余分なものを体外に出す。
それが終わった次の日ヨガのサマダイ手法に則して数時間かけ、呼吸と脈拍を徐々に落としていく。
意識が下降する寸前で温度湿度をしっかりと管理した薄暗い部屋(真っ暗ではいけない)に用意しておいた布団にすべり込む。
最低三週間は眠り続けるので、その間に連絡しておかなくてはならないところには連絡をとっておく。
素人は真似しない方がいい。
そのまま眠り続け、永眠という事態にもなりかねないからだ・・・
熊の場合は自然の食糧の粗密のサイクルにあわせた身体生理現象だが、俺の場合は心身の再生の儀式である」

昨年の終わりころからピアノを始めています。


まったくのゼロからの独学のスタート。



娘が習っていたときは、横に立ちはだかって・・・

「指を立てて」だの「そこはクレッシェンド」だの知ったかぶりの言いたい放題でしたが、今は深く深く反省(ーー;)



少し仕事に余裕がある部署に異動した娘が半年ほど前から高校卒業以来のピアノを再開、おさらい用のショパンのさまざまなワルツを仕上げる度にlineで送ってくれるようになって・・・私もやってみようかな、とふと魔がさしたのがきっかけ。


ネット検索して電子キーボード三点セットで11500円という安価に惹かれてエイッと購入してしまいました。


同時にAmazonで購入した「はじめてのピアノ」に載っていた超簡単ワークの「エリーゼのために」・・・伴奏も超簡素になっているのを手始めに・・・


それでも譜も読めない・・・特にへ音記号が??


鍵盤の中央のドに印をつけて・・・楽譜にカタカナのルビをふって・・などなど工夫を凝らして、いざ始めていたら、年末に帰省した娘が省略なしの〈エリーゼのために〉の古い楽譜を探し出して持ってきて・・・小学4年で仕上げたらしい・・・要らないお世話


これをやるように、という宿題を残して去りました(ーー;)
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そんなこといったって・・・やっとひらがなが読めだした幼稚園児に漢詩を読めというようなもの・・・例えれば・・・ですけど。

ムリムリムリ・・・


と思いつつ、毎日いつ投げ出そうかと思いつつ少しずつ少しずつやっています、娘に過去の私の叱咤の仕返しを倍返しされながら(泣)





さて本日は本城雅人氏著『紙の城』をご紹介します。 


「新聞社が消滅する――。
東洋新聞はIT企業から買収宣告を受けた。経営権が移れば、宅配数の少ない営業所は閉鎖、ニュースはウェブファーストに移行し、海外特派員制度もなくなる。
しかし日刊新聞法に守られた新聞社は世論を味方につけられない。
東洋新聞社会部デスクの安芸は、昔ながらの記者だ。
パソコン音痴で、飲み会の店も足で探す。
IT企業を裏から操るのは、かつて東洋新聞の記者だった権藤だ。
時代の流れは止められないのか。
旧いものは悪なのか?
安芸とともに働く者達の、記者魂を懸けた攻防戦が始まる。
発売後、続々重版出来!」



シニアが多い歌会でもほとんどの人が電子辞書を手に調べ物をしたり、病院などの待合室で電子ブックを読んでいる高齢者も時たま見かけるようになった昨今。



かくいう私も短歌作りの際は紙の辞書ではなく、広辞苑の入った電子辞書やipad、パソコンを使って調べたり確認したりを繰り返しています。



歌もワードで作って推敲したり、ネット上で保存しているので、PCが故障するとイコール作歌不能になります



若い人々はともかく、私の周りの友人の中にはスマホでニュースが見られるからと早々に新聞を取るのをやめている人も数人。


我が家は夫婦とも電子機器はよく使う方ですが、新聞や本は断然紙派。


夫が現役のときは新聞は2種類取っていましたが、リタイア後は家計のために1種類のみ。


夫婦とも隅から隅まで読む派。



本書を読んで、まず思ったのがこういう状態があとどのくらい続くのだろうかということ。



まだまだ紙の新聞や本があることに違和感がなく安住していましたが、そんな遠くない未来にすべてがデジタル化されてしまうかもしれない、と少し不安です。



新聞販売店の詳しい実情は知りませんが、どの新聞の販売店も苦戦を強いられているのは販売員のセールスの様子でなんとなくわかります。


本書は少し前のホリエモン率いるライブドアの大手メディアの買収劇を彷彿とさせるような内容。



新進気鋭のIT企業による新聞社買収劇の顛末を描いて読み応えのある作品となっています。


200万部の全国紙を発行する東洋新聞vs新興のIT企業インアクティブ。


実質的には東洋新聞の社会部デスクの安芸とインアクティブの陰の立役者・権藤の一騎打ちという体で物語は進みます。


おのずと弱者と強者という構図が垣間見えるところ、池井戸氏の一連の作品を彷彿とさせるところもあり、充実した作品になっています。



収束としてはお定まりの感が拭えませんが、宅配制度や記者の数など現在の新聞というものの企業としてのあり方、そして新聞が日刊新聞法で守られていることや、税金を優遇されているということなど、未知なる多くを学べた作品でもありました。

「晴れの国」といわれている当地に初雪が降りました。


朝、起き抜けにカーテンを開けると家々の屋根にうっすらと申し訳程度の雪。

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積もるまでにはいたらず、すぐ消えてしまいました。


底冷えのする京都の北、舞鶴で育った夫は雪に苦労した経験をしばしば語りますが、それでも雪が降ると胸躍って嬉しそう。

いまも舞鶴に住んでいる高齢の義兄夫婦、こんな天候のなか雪かきに不自由しているのではないかと案じています。







さて今回は三浦しをん氏著『あの家に暮らす四人の女』のレビューを少し。

「謎の老人の活躍としくじり。
ストーカー男の闖入。
いつしか重なりあう、生者と死者の声―古びた洋館に住む女四人の日常は、今日も豊かでかしましい。
谷崎潤一郎メモリアル特別小説作品。
ざんねんな女たちの、現代版『細雪』」


『風が強く吹いている』を読んで以来、目が離せなくなり著者の作品を読みまくった時期がありましたが、最近は久しぶりの本書。


現代版『細雪』といわれても・・・だいぶかけ離れた雰囲気の作品。


生涯独身率が大幅に上昇しているという日本の現状を反映するような女友達同士のシェアハウスでの物語・・・と簡単に記せばこのように表現できますが、個々にさまざまな事情を抱えて共棲みしている女たち4人の物語。



都内杉並区に在る祖父の代からの150坪の土地に立つ古びた洋館に住むのは60代後半の鶴代とその娘・佐知37歳、佐知が偶然知り合ったOLで同年代の雪乃、そして雪乃の会社の後輩で27歳の多恵美、そしてその敷地内の離れに住む得体の知れない老人・山田。


母娘以外、他人の寄り集まりのような所帯にも日々、さまざまな出来事が起こったり解決したり・・・


メンバーの1人に降りかかったストーカー問題や家屋のリフォームについて意見を交換したりとガールズトークに花が咲くあたり、何だか羨ましい暮らしぶりです。


そんななか中盤辺りから、一見SFと見紛うような展開になって・・・

唐突にカラスの善福丸が語り始めたり、河童のミイラや死んだはずの佐知の父親の霊が登場したりと奇想天外すぎて何が何だかわからない展開となりました。


こういった荒唐無稽な筋書きが好みでない私には読了がきつかった作品でした。

またあってはならないことが起きてしまいました。


千葉の小学校4年生心愛ちゃんの親による虐待死。


結愛ちゃんの虐待死があったばかりなのに。


以前から父親の虐待が児相などで認識されながら心愛ちゃんを護れなかった周囲の大人たちの責任の重さは計り知れません。


両親、学校の教師、児童相談所、市職員 市教委、県警、要保護児童対策地域協議会、そして叫び声を聞きながら耳を塞いでいた近所の大人たち・・・。


みんなみんな相応の罰があってしかるべき。



温厚な会社員という表の顔をもっていたという父親と、子どもに対する暴力が自分に及ばないことだけを砦にしていた母親。


そして学校の先生を信じて書いた秘密のアンケートをあろうことか父親に渡した市教委。


命を懸けて心愛ちゃんが発信したSOSをこれだけの大人がキャッチしながら結果的に死に至らしめたことに体が震えます。


自分の身に起きたことでないならここまでいい加減になれるものなのか。


心愛ちゃんの味わった恐怖と苦しみを関わった周りの人たちに味わってほしいとさえ思ってしまいます。



家庭という閉ざされた密室で行われる行為の怖さ。


心愛ちゃんのご冥福を深くお祈りします。




さてここからは本日ポストする作品に関連して・・・


アウシュビッツに関するもの。


いまもなお静かなベストセラーとして世界中の人々に読まれているヴィクトール・E・フランクル氏の『夜と霧』。


私もこれ以外、アウシュビッツを舞台の書物や映画などいくつも読んだり観たりしてきましたが、以前読んで心を射抜いた歌人・小池光氏の短歌を少しご紹介たいと思います。



かの年のアウシュビッツにも春くれば明朗にのぼる雲雀もありけむ

夜の淵のわが底知れぬ彼方にてナチ党員にして良き父がゐる

ガス室の仕事の合ひ間公園のスワンを見せに行つたであらう

充満を待つたゆたひにインフルエンザのわが子をすこし思つたであらう

クレゾールで洗ひたる手に誕生日の花束を抱へ帰つたであらう

棒切れにすぎないものを処理しつつ妻の不機嫌を怖れたであらう 
(小池光歌集『廃駅』より抜粋)


まだ短歌の「た」の字をたどたどしくトレースし始めた5年前。

この一連を読んだときの衝撃は忘れられません。

こんなに人の心を射抜く社会詠があるんだ・・・。


アウシュビッツで行われ続けた世にも残酷な行為を明るみにした作品は多いけれど、その行為に関わったナチ党員の背景にある普通の息子や夫、父としての生活に光を当てた作品は珍しいと思います。


やわらかい普通の暮らしと裏表にあるアウシュビッツでの仕事。


残酷な場面は一切詠んでないのに光と影の対比に驚かされました。



「集団に狂気 の行為を行わせる思想は日常 の中に生まれ、常に自分の〈日常 〉を保てる者たちによって忠実に実行される」


戦争時の行為も連合赤軍のリンチ事件もオウムによる一連の事件も同じ根っこだと思います。



さてここから本筋。

本日ご紹介するのはアントニオ・G・イトゥルベ氏著小原京子氏訳『アウシュビッツの図書係』


「アウシュヴィッツ強制収容所に、囚人たちによってひっそりと作られた“学校”。
ここには8冊だけの秘密の“図書館”がある。
その図書係に指名されたのは14歳の少女ディタ。
本の所持が禁じられているなか、少女は命の危険も顧みず、服の下に本を隠し持つ。収容所という地獄にあって、ディタは屈することなく、生きる意欲、読書する意欲を失わない。
その懸命な姿を通じて、本が与えてくれる“生きる力”をもう一度信じたくなる、感涙必至の大作!」


SNSでお知り合いになった年若いやーちゃんさんがブログで昨年の年間ベスト1に挙げていらっしゃった作品。


やっと読めました!


アウシュビッツ=ビルナケウ強制収容所三十一号棟に実在した秘密図書館の図書係の少女をモデルの物語。


実在の女性ディタ・クラウスさんへの著者の綿密な取材を通して描かれたフィクション形式の作品ですが、収容所での体験談という観点からはほぼノンフィクションといってもいいでしょう。


ディタはボロボロの本を丁寧に修復しながら図書係に打ち込んだ。
父は痩せ細って死んでいった。
病気がちの母は危うくガス室送りになるところだった。
しかし、ディダは以前読んだ「魔の山」のみずみずしい文章を思い出しは自分を励まし、教師から聴かされた「モンテ・クリスト伯」の話に精神の不屈さを学ぶ。
そして、彼女の愛読書は「兵士シュヴァイクの冒険」だった。
ユーモアによる権力への抵抗と諧謔。
明日をも知れぬ悲惨な日々のなかで本を読んでいる時だけは辛さを忘れ、希望を消さずにおれた。
彼女は本によって自らを高め、強さを身につけていく。
聡明で強い意志を持った姿には毅然とした美しさがあった。
わずか14歳の少女だというのに。



第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって連れてこられたユダヤ人たちを収容していたアウシュビッツ=ビルナケウ強制収容所。


時がいくら経過しようとここでの大虐殺の事実に償いの時効はありません。



死の足音が連日近づいてくるような地獄のような環境の中で読書というものにどれほどの意味があるのか・・・そんなことを思わずにいられなくなる作品です。



収容所での教育を禁止していたナチス監視員たちの監視の目から逃れて隠していた8冊だけの大切な本の図書係に任命されたディタの勇気と勇断と度胸が絶望の中で生きる人々の心に希望の灯を灯し続けたことは事実だったろうと確信します。



あとがきには次のような文章があります。

アウシュビッツ=ビルケナウに秘密の学校を開き、こっそりと図書館を運営するために命を危険にさらす人間がいたということを聞いても、感銘を覚えない人もいるだろう。
絶滅収容所でもっとも差し迫った問題があるときに、それは無駄なことだと考える人もいるだろう。
本では病気は治らないし、死刑執行人たちを打ち負かす武器として使うこともできない。
空腹を満たすことも、喉の渇きを癒すこともできない。
人間が生き残るために必要なのは文化ではなくパンと水だ。
しかし、ただそれだけでは人間性は失われる。
もしも美しいものを見ても感動しないなら、もしも目を閉じて想像力を働かせないなら、もしも疑問や好奇心を持たず、自分がいかに無知であるかに思いが及ばないなら、男にしろ女にしろ、それは人間ではなく、単なる動物にすぎない。


これは地球の住人である私たちみんなが読むべき作品だと思います。

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