VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2019年06月

子どものころ将来就きたかった職業とかやりたかった趣味とかを実現できた大人ってどれくらいいるのでしょう?

そもそもそんなしっかりした夢を持っていた子どもってどれくらいいるのでしょうか?


自分を振り返って小学生の頃は人の役に立てる人になりたいとぼんやり思ってはいましたが、ただの夢というくらいの幻想で、なんとなく中高へ進学、そして自分の実力に見合うかつ少し興味が持てる大学の学部にただ行っただけ。


ただ3回生くらいになって自分の夢の輪郭がだんだんはっきりしてきて、このままではなりたいものの資格が取れないので、もう一度福祉大学に入り直したいと両親に訴えたところ、家族会議を開いた末却下されました。


現在ならもっと多くの選択肢があると思いますが、当時はその道しかなかった・・・


それで諦めてある企業に就職したのでした。


いま省みて、そこまでの情熱がなかったのかもしれません。


もっと早くに賢く自分に対峙していたら努力して別の道を歩いていたかもしれないとよく思います。


でも結果的に情熱を持ち続けていられたかどうか?



結局はどんな道を選んでもひとつの道しか歩くことができないということを思うと、周りのさまざまな人の意見に耳を傾けて、そして何より自分としっかり向き合い、自分というものに繰り返し問いかけて自分を知って選択する・・・この慎重な技もひとつの方法ですが、まずは飛び込んでだめだったら引き返してみる勇気も必要だと思ったり。



子どもたちにはそうならねばならないと思うような重苦しい未来より夢物語でもいいからキラキラした未来を想像してほしい、なんて思います。



ということで本日はそんな未来への選択肢のヒントになる作品、というかマンガ。



ヨシタケシンスケ氏著『それしかないわけ ないでしょう』


 「大人になったときに未来に待っているのは、大変なことばかり。
おにいちゃんはそう言うけど、それって本当!?
それしかないわけないでしょう!
考え方ひとつで楽しい未来がたくさん見えてくるはず。
未来に不安を抱えるすべての人に読んでほしい、
ヨシタケ式「かんがえる絵本」登場! 」


未来のある子どもたちへのメッセージを託したヨシタケシンスケ氏の絵本はシリーズで刊行されていてそれぞれ人気を博しているようですが、私は本書が初めての作品です。


小学校低学年から大人まで・・・幅広い年齢で読んで楽しめる作品です。


自分の子育てのころを振り返ってみると・・・


なんだか毎日気忙しくて、子どもたちを追い立てていたような。


手っ取り早く「AとBどちらにするの?」と二択を迫っていた貧しい親。


自分の狭い価値観にただ合わせて子どもを自分が安心できるようなステレオタイプにはめ込もうとしていた・・・かもしれないと今頃反省しきり。



本書では主人公の女の子とおばあちゃんの会話がほのぼのしてとてもすてきなんです。


小学生のお兄ちゃんが妹である小さな女の子に言います。

「みらいはたいへんなんだぜ」

お兄ちゃんの話にショックを受けた女の子におばあちゃんは「未来なんてた~くさんあるんだから」と言います。


おばあちゃんの言葉に触発された女の子はいろんな未来を想像するというもの。


なんだか人生の深遠を語っているようで哲学的、しかも生きる意欲を引き出してくれるような絵本です。


お子さんと、お孫さんと共に読むのもいいかな。

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中国地方もやっと梅雨入り・・・別に首を長くして待っていたわけではないけど。

来るべきものが来ないとなんだか落ち着かない・・・

例年より19日も遅いそうです。

それと同時に台風も上陸するおそれ!


年々異常気象が顕著になりますね。


まだ入梅前の土曜日のこと。


外出からの帰り道、すごい豪雨に遭いました。


雨になるかもしれないという予報に晴雨兼用傘を持っていたので慌てて差しましたが、横殴りの雨でほとんど役に立たず。


数分で道路が水浸し・・・家まであと400mほどなのに短靴もジーンズも滴るほど。


信号の色もわからないほどでした。


やっとたどり着いて玄関でずぶぬれの靴下を脱ごうとしてもあまりの水分にふくらんで脱げず・・・浴室に直行。


やっとシャワーを浴びてひとごこちついたころ、窓越しに見るとカラリと青空。

熱帯地方のスコールに遭ったよう。

突然の雨に全身ぬれそぼつ洗われても洗われても古ぞうきん






さて本日は池井戸潤氏著『下町ロケット ゴースト』のご紹介です。 

「宇宙から人体へ。
次なる部隊は大地。佃製作所の新たな戦いの幕が上がる。
倒産の危機や幾多の困難を、社長の佃航平や社員たちの、熱き思いと諦めない姿勢で切り抜けてきた大田区の町工場「佃製作所」。
高い技術に支えられ経営は安定していたかに思えたが、主力であるロケットエンジン用バルブシステムの納入先である帝国重工の業績悪化、大口取引先からの非情な通告、そして、番頭・殿村の父が倒れ、一気に危機に直面する。
ある日、父の代わりに栃木で農作業する殿村のもとを訪れた佃。
その光景を眺めているうちに、佃はひとつの秘策を見出だす。
それは、意外な部品の開発だった。
ノウハウを求めて伝手を探すうち、佃はベンチャー企業にたどり着く。
彼らは佃にとって敵か味方か。
大きな挫折を味わってもなお、前に進もうとする者たちの不屈の闘志とプライドが胸を打つ!大人気シリーズ第三弾!!」


「下町ロケット」シリーズ第三弾。


宇宙科学開発機構の研究員だった佃航平が父の経営していた中小企業「佃製作所」の社長となり、社員たちと共に奮闘する物語。

時系列で表すと・・・
2010年『下町ロケット』
2015年『下町ロケット ガウディ計画』
2018年『下町ロケット ゴースト』
2018年『下町ロケット ヤタガラス』


先日逆順で第四弾『下町ロケット ヤタガラス』を読んだばかりで図書館で見つけた本書。


図書館まかせだとこんなことになってしまう(ーー;)


先にヤタガラスを読了していたので、前段階はこうだったんだ、という助けを借りて読み進めました。


本書ではトランスミッションのバルブに挑戦する佃製作所。


よりすぐれた品質を求めて社員一丸となりますが、コスト面で折り合いがつかず苦戦、しかし無事に発注元のギアゴースト社のコンペをクリア。


今回はそのギアゴースト社の窮地が主題。


ケーマシナリー社に特許侵害で巨額な支払いを求められたギアゴースト社の窮地を救うべく佃社長が奔走した結果思わぬ裏舞台が暴露されます。


ところが窮地を救われたギアゴースト社が佃製作所のライバル・ダイダロス社と契約するという非常事態になったところで唐突な終り方。


知りたければ続編でどうぞ!といわんばかりの終り方。


同じなら「ゴースト」と「ヤタガラス」を上下巻にしてほしかった。


刊行されたのも2018年の7月と9月ということから小学館の意図を感じてしまいました。

ネジバナ
人生100年時代といわれている昨今、100歳というとあと30年弱、気が遠くなるような長さを感じますが、今までを振り返ってみれば案外速い感覚で到達するかもと思ったり・・・。


若い頃は自分自身をもてあまして、なおかつがむしゃらでゆっくり周囲を見回すゆとりもなく過ぎ、立ち止まって自分の立ち位置など認識し出したのはつい最近のような気がします。


そんなことは自立の年齢からやっていたよ、とほとんどの人は呆れているかもしれません。



いまこうして遡ってみると、青春時代はあっという間に過ぎ、一生懸命の壮年期が終わり、夫がリタイアしたあたりからの人生の長さが身に染みています。


だいたい60歳から65歳あたりからが本勝負というところ。



人生がまんざらでもなかったかどうかは死ぬときでしかわからないというのも真実ですが、古代インドの知恵者の区分した4つの時期のうち〈林住期〉というのがいまの時期であろうと思われます。


いや、もう総決算に近い〈遊行期〉に入っています。



こんな愚にもつかないことを考えたのはこれからご紹介する作品を読んだことがきっかけ。



きたみりゅうじ氏著『人生って、大人になってからがやたら長い』 


「大人になってからの人生って、実は結構イベントが多い。
結婚したり、子どもが生まれたり、家族のために生命保険に入ったり、マイホームを購入したり。
一方で、仕事に行き詰まったり、体力の衰えを痛感したり、親の老後に備えてみたり。大変なことばかりだけど、そのぶん、大人だからこそ味わえる充実と感慨がある―。果てしなく長いように思える「大人になってからの人生」の苦労と喜びを、時にユーモラスに、時にセンチメンタルに描くコミックエッセイ」


本書は次の5つの章で構成されています。

・30歳ってすごく大人だと思ってた。
・仕事を頑張ることが大人だと思ってた。
・正解を知ってることが大人だと思ってた。
・自分はもう少し大人だと思ってた。
・少しずつ、「大人であろう」と思っている。


30代~40代の間にいらっしゃるだろう著者の視点から描いた大人の世界。


まさにインド風にいえば〈家住期〉という社会人としても家庭人としても真っ盛りの途上でのさまざまなイベント―ー結婚や出産、独立、家を買うなどなど―ーを通して味わう喜びや苦しみが著者・きたみりゅうじ氏の視点からほのぼのイラストとともに描かれています。


けっこう重い人生の命題に関する考察であったりしますが、著者独特のユーモアというスパイスにまぶされて軽い読み物となっています。

エッセイマンガといえるかな。


本書の中で若かった著者の目には「さまざまな物事の正解を知っているのが大人」だと思っていたようですが、それはとても共感できます。


私も若い頃は大人は世の中の慣習や故事、政治や経済などの仕組みをすべてクリアしているものと思っていました。


祖父母、父母、姉、先輩など私より年上の人たちは世の中のからくりを知っていて重々しい態度を取っているものと思っていましたが、「えっそんなことも知らないの?」というような事象に度々遭遇してだんだんと大人への幻想が消えたのでした。


そして今度は自分が年齢的には十二分に大人になったのに・・・あまりに無知なことが多すぎて驚くばかりです。


こんな調子なら世の中を睥睨してもいいような100歳の古老になっても世の中の常識をほとんど知らない足り苦しい人間になっている可能性はきっと大。


話が反れましたが、著者の面白いところは、大人が知っているところの「正解」とは何か、というところに思考を進めていくところ。


著者はそれを「他者に否定されてない選択肢」というふうに意識下で思っていたと記しています。


思考はそれに留まらず巡っていくのですが、そのユニークな思考回路は手にとって読んで味わっていただければと思います。


本書を読んで感じたことは、いくつになってもりっぱな大人としてのゴールは訪れないのだろうなということ、私に限ってですが。

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次から次へと事件の多い日々です。

朝の情報番組で取り上げられるのを観ていると、「どの事件?」と頭が混乱するほど。

つくづく人間というものの業の深さを感じてしまいます。


我が家の徒歩圏内でいちばん近いところにある小さなスーパー。


普段は大きなスーパーでまとめて食料品を買って車で運んでいますが、ご飯の支度などでちょっと足らないものなど走って買いにいくには便利なお店。


その横の歯科医院では土日の休診日を利用してときどき待合室を保護猫保護犬の譲渡会のために開放しています。


動物が大好きな私は、その保護猫や保護犬を見るために土曜日にその小さなスーパーに行きます。


先日も動物保護団体の大きなバンが止まっていて、ケージに入れられた猫や犬がたくさん。


これから家族の一員にしたい人たちもたくさん来られていて団体のメンバーの方々と話し合っておられました。


それぞれのケージには保護された猫や犬の知る限りの情報が掲示されていて・・・

フィラリアあり

推定2歳

エイズあり

などの情報がきちんと開示されていました。


どういういきさつで捨てられたのか・・・想像すると悲しくなります。


私も家族に迎えたいな~といつも衝動に駆られますが・・・いや、いや、この子たちの命を見届けてあげる自信がない・・・と思ってしまいます。


今の住まいはペット可のマンションですが、その前まではずっと禁ペット。


そのはるか前に住んでいた戸建てでは柴犬を飼っていましたが・・・。


次男の愛犬コハルにときどき会ったり、写真や動画で慰めてもらうとしよう。





さて今回ご紹介するのは湯川豊氏著『須賀敦子を読む』。 


「イタリアを愛し、書物を愛し、人を愛し、惜しまれて逝った作家・須賀敦子。
深い洞察に満ちた回想風エッセイは永遠の光をはなっている。
十代での受洗、渡ったミラノでの結婚、故郷夙川の家族たち……
日本とイタリアを往還し、洗練された文章で紡ぎ出された文学の香気あふれる世界。その主著五冊の精読を重ね、須賀敦子作品の真の魅力と魂の足跡を描く。
読売文学賞(評論・伝記賞)受賞」


世の中のいやな事件や不条理に心が溺れそうになると、無性に須賀敦子の文章に触れたくなります。


湯川氏は須賀敦子氏の著書『コルシア書店の仲間たち』の担当編集者だったそうです。


生前の須賀敦子氏と深い交わりのあった人。


須賀敦子氏の生前の5冊の著書について、そして氏の信仰や文学に焦点を当てての考察の書。


『コルシア…』を上梓するに当たりどれほど著者が須賀敦子氏の心に寄り添い、深く理解しようと努力したかが立ち上がってくるような作品になっています。


本書を読んだあとにまた須賀敦子氏の作品に立ち戻ってみたい・・・そんな作品です。



私がはじめて須賀敦子氏の文に触れたのは『トリエステの坂道』でした。


須賀敦子氏が敬愛していた詩人ウンベルト・サバが暮らした街についての表題作や夫君ペッピーノ氏にまつわる家族や友人たちの思い出が綴られたエッセイ集でしたが、その美しい文体とともに、一見ふんわりと包み込むようでいて硬質な毅然とした鋼のような芯を感じさせる文章にいっぺんに虜になったのでした。


それから『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『ミラノ 霧の風景』を読み継いだのでした。


透明で明るく、しかし深い哀しみがただよったような文章。


イタリアで心を通わせた人々の描写も過去の回想というかたちをとりながら今にもその人々が立ち上がって目の前に現れるような、そんな錯覚をも抱かせるようでした。


遅咲きといわれている須賀敦子氏が日本の文学界にデビューしたのは50代後半。


『ミラノ 霧の風景』は60歳。


上梓された翌年に女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞されたのでした。


日本の文学界に蜃気楼のように現れてこれらのすばらしい文章を書くまでの長い熟成の期間の須賀敦子氏に少しでも近づきたいと思う読者の方々に本書はお勧めです。


第一章 「コルシア書店の仲間たち」
第二章 「ミラノ 霧の風景」
第三章 「ヴェネツィアの宿」
第四章 「ユルスナールの靴」
第五章 「トリエステの坂道」
第六章 「アルザスの曲がりくねった道」

本書は須賀敦子氏の2冊目の著書『コルシア書店の仲間たち』から筆をおこしていらっしゃいます。


コルシア書店に集まるさまざまな人々のエピソードを語るという形態で須賀敦子氏はエッセイとしての文体を磨きそしてその美しい文体を築いたと著者は記していらっしゃいます。


十代の頃から書くということに深い思いがあったという須賀敦子氏。


「書くということは私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」という須賀敦子氏の言葉が引かれています。


そして、夫君ペッピーノを通してのナタリア・ギンズブルグ氏の『ある家族の会話』という本との出合いが文章家としての須賀敦子氏のその後に大きな影響を与えたといういきさつを知ることができます。


そして愛する夫との死別・・・。

キリスト者としての須賀敦子の生き方・・・。


ぜひぜひ手にとってほしい評論です。

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ストロベリームーン
昨日は父の日。

事前に娘から父の日プレゼント(沖縄発アグー豚)が届く旨連絡がありました。

父には内緒ということで、夫には伝えていませんでした。


ところが・・・娘からlineにそのプレゼントの写真とメッセージが送られてきて・・・


きちんと届け先を書いたはずなのに自宅に届けられたそう。



「沖縄からわざわざ岡山を飛ばして東京まで運ばなくても、ドライバーも少しは考えてくれてもいいんじゃないの?父の日なんだから」と無茶ぶりな怒り。

「あんたが超有名芸能人か女首相だったらね・・・家族構成も知っていてドライバーも忖度して岡山で荷おろししてくれたかも」

「やっぱり有名にならないとだめだね~」

そんなことよりしっかり届け先書いたか確認してくだされ。


電話で残念ないきさつを聞いた夫は「そっちでオレのかわりに堪能して・・・こちらは喜んでいただければなによりでございます」と。





さて本日は相場英雄氏著『血の雫』をご紹介します。 


「東京都内で連続殺人事件が発生。                        
凶器は一致したものの被害者同士に接点がなく捜査は難航する。           
やがて事件は、インターネットを使った劇場型犯罪へと発展していく――。       
前代未聞の「殺人ショー」に隠された犯人の真の目的とは。              
地道な捜査を続ける刑事たちの執念と、ネット社会に踏みにじられた人々の痛みが胸に迫る社会派ミステリ」  


                             
デビュー当時から著者の作品はほとんど読んでいますが、読むたびに筆力が充実、社会派小説家としての地位も不動になった感がする著者。



専門学校を卒業後、入社した時事通信社で市場データの編集業務を担当したのち記者職に転じ経済部記者として活動
2005年『デフォルト 債務不履行』で第2回ダイヤモンド経済小説大賞(現・城山三郎経済小説大賞)受賞2012年『震える牛』
2013年『血の轍』が第26回山本周五郎賞候補
2017年『不発弾』が第30回山本周五郎賞候補



新聞やインターネットを利用した劇場型連続殺人事件を舞台に姿の見えない犯人を追う刑事たちの苦闘と次第に明らかになる犯人像と事件の哀しすぎる動機を描いた物語。


SNSはさまざまな人々が自由に自分の意見を発信できる開かれた場所・・・といえばプラス面に焦点を当てたものですが、その裏にある陰湿な事象―無責任な拡散行為や一方的な誹謗中傷といったものに対する手立てがほとんどないという無法地帯になっていることも確かです。


二言目には炎上という言葉が躍っているネット社会。


顔が見えないということを強みに個人に対してあらゆる言葉の攻撃を仕掛けた結果、攻撃された側がIPアドレスをつきとめて裁判に持ち込んだというケースも聞いたことがあります。  



本書はそんなネット社会ならではの憎しみの連鎖によって起こった事件。



共通項のほとんどない3人の男女を殺した犯人とそれを追う刑事たち。



本書の主人公になるのはその担当刑事のひとり。


ある子どもの誘拐事件を捜査中、聞き込み中ある高校生の善意のネットへの拡散によって顔がネットにあげられて結果的に子どもが殺されたため日本中の非難を浴びて心身に打撃を受けて療養、やっと捜査一課に復帰したばかりのベテラン刑事の田伏。


その相方にブラックIT企業のSEから警察に転職した若き長峰。



長嶺の知識を借りながら、被害者の共通項を探り、ツイッターの裏アカウントを見つけたことから徐々に犯人像へと迫っていく過程にドキドキが止まりません。



それぞれ、美しい自称モデル、温和なタクシードライバー、定年退職後ボランティアとして地域の通学路をパトロールしている老人という表の顔をもつ3人の裏アカでの罵詈雑言の激しさはたじろぐほど。


そして行き着いた先にある原発事故被害地福島。



この後半部分が著者の筆の冴えどころ。


福島出身の元刑事・猪狩を登場させることで、猪狩の目と口を借り原発事故以前以後の福島を語らせているところ、東日本大震災に関する著者の一方ならない思いが散りばめられていて胸を衝きます。


現地へ何度も何度も足を運んだことをうかがわせる筆致。



ネットニュース編集者の中川淳一郎氏との対談で本書について語っている一部です。

中川氏 : 今のネットの異様な空気というか、政治をめぐる激しい対立っていうのは、やっぱり東日本大震災の福島から始まっているような気がします。
実は、『血の雫』の真の読みどころは、この七年間のネットの変遷を物語の中に凝縮させて、きっちり押さえているところだと思います。

相場氏 : ありがとうございます。
政府が堂々と国民に嘘をついたというトラウマから、まだみんな立ち直っていないんですね。
七年経った今でも、政府発表の情報を信じず、冗談みたいなガセ情報を得意げに語っている人たちがいる…。


本書に先がけること2013年に刊行された『共振』も原発事故を扱った作品です。

興味ある方は読んでいただければと思います。
 

ずっと前、このブログにアップしたデイヴィッド・S・キダー氏&ノア・D・オッペンハイム氏著小林朋則氏訳『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』。



娘に送ったいきさつはさておき、毎日1ページを娘がLineに送り返し、二人で共有するという作業もそろそろ終わりに近づいています。


送られた1ページ分の記事に対し、興味があろうがなかろうがお互いにちょっとしたコメントを書き合うということで定着性の悪い海馬にインプットするという作業。


それでも少し前の記事はよほどの興味がないかぎり忘れているという海馬の貧しさ。


ほぼ西洋の古典に拠る芸術系の教養が主なので、やはりなじみが薄いというのもありますが、興味を惹かれるのはたいてい1ページの末尾にある〈豆知識〉・・・これが肩の張る仕事のあとのちょっとブレイクのようないい感じ。


ちょっとしたこぼれ話。



ちなみに昨日の1ページは「正義」。

どう行動するのが〈正義〉だろうか?という問いかけに、古今の哲学者がさまざまな説を唱えているようです。

この問題を扱ったもっとも古い最初の哲学者はプラトンだそう。

正義にかなう社会とは世界の真の本質を理解している哲人王によって厳格に組織、統治された社会のことだとプラトンは考えていたそうですが、近代の哲学者ジョン・ロールズは、真に正義にかなう政治制度とは合理的に行動する人が「無知のヴェール」に覆われた状態で選ぶことのできた制度だといっているそうです。

なんのこっちゃ???


頭が混乱するような、そんなこんなももうすぐ終り・・・長かったような短かったような1年・・・もし日本の歴史などの教養を身につけることのできる一日1ページがあったら次にチョイスするのにな~と話しています。



何か超簡単に教養らしきものが身につく第二弾はないかしら?





さて今回は萩原浩氏著『あの日にドライブ』です。


「牧村伸郎、43歳。
元銀行員にして現在、タクシー運転手。
あるきっかけで銀行を辞めてしまった伸郎は、仕方なくタクシー運転手になるが、営業成績は上がらず、希望する転職もままならない。
そんな折り、偶然、青春を過ごした街を通りかかる。
もう一度、人生をやり直すことができたら。
伸郎は自分が送るはずだった、もう一つの人生に思いを巡らせ始めるのだが…」



エリート街道まっしぐらだったメガバンクの行員であった主人公の上司へのある一言がきっかけで退職、資格を取るまでのほんの腰かけのつもりで始めたタクシー運転手の日々を綴った作品。


前職場だった銀行、そして現職場のタクシー業界・・・著者の並々ならぬ取材力にはいつもながら驚かされます。


どの業界も厳しさにおいては五十歩百歩、サラリーマン生活の悲哀を感じてしまいます。


かつての夫、今の娘や息子たち。

言うに言えない苦労をしているんだろうな。



本書はかつてエリートバンカーだった頃の順調だった幻想が捨てきれず、タクシードライバーとしてさまざまな苦労をしながら、大学時代の同窓会開催のハガキがきたことをきっかけに時計の針をどんどん過去へと戻していく想像の世界を描いています。


もし銀行を辞めるきっかけとなったあの一言をがまんしていたら?

もし銀行ではなく興味があった出版業界に就職していたら?

もし学生時代付き合っていた彼女と結婚していたら?


想像はどんどん膨らみ、離婚の末実家に帰っているという情報を得て、流しの合間に元カノの家を密かに張り込んだり、憧れていた出版社を覗いてみたり・・・


そんな夢は現実に面と向ったとき、たちどころに崩れていくのを目の当たりにした主人公がやっと現実の得がたさを知るというもの。


もし人生の大半をやり直そうとすれば、今まで積んできたものを捨て、もう一度積み直すための膨大なエネルギーを考えると、たいていの人は怖気づいてしまいます。


そういったエネルギーを費やしても自分が望んだ結果が得られるという保証は約束されないだろうという中ですべてを捨てて新しい一歩を踏み出すことは並大抵ではないでしょう。


それでも捨てたいと思うほどの過去もあると思いますが、主人公はいまさらながら自分を包んでくれている家族などの存在のかけがいのなさに気づいたところでこの作品は終ります。


幸せの青い鳥は身近にいた・・・。


お仕事小説としてもかなりの高レベルな作品でありました。


さくさく読めるエンタメ小説、どうぞ。

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