人は生まれてから一つの人生しか歩むことができない
こんな当たり前のことにあるとき気づいて呆然としたことが何度かあります。
あのとき選ばなかったもう一つの人生を歩んでいたら・・・というような想像はたいてい甘い感傷の呼び水的なもので、すぐ現実に引き戻されてthe endとなります。
19歳で作家としての才能をスタート、母国イギリスで次々作品を発表し「ミステリーの女王」と呼ばれ世界中から注目され始めた矢先、誰にも告げず失踪したアガサ・クリスティ。
この失踪事件は当時のマスコミに大々的に取り上げられ当時の大御所コナン・ドイルまでもが自らの推理的コメントを出すという事態に発展。
後世にまで語り継がれていますが、夫との不和が原因ということに落着。
保養地のホテルに夫の愛人の名前で宿泊していた彼女を無理やり保護して11日間の失踪の幕を閉じたのでした。
出奔の夢がふくらむ春の宵かのクリスティさへ夢を掴みき
生涯で幾度か、誰にでもこのような願望を抱いた経験はあるのではないでしょうか・・・実行に移すか否かは別として・・・。
本日は今まで築いた人生を根こそぎ捨てて新しい自分となったある男の話。
「愛したはずの夫は、まったくの別人であった。 『マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。
宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。 長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。 ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。 悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。
人はなぜ人を愛するのか。 幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。
「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品」
人は過去の記憶を切り捨ててまったく新しい人生を送ることができるのか
弁護士・城戸章良のかつての依頼人・里枝の亡くなった夫・大祐が戸籍上の人物とは違っていたという衝撃的なスタートから、その夫は誰だったのか?という謎が城戸の手によって次第に明らかになるまでが、城戸の私生活を絶妙にシンクロさせながら描かれています。
主人公である城戸の出自が帰化した在日三世であるということが城戸のバックボーンにかなりな翳を落としていて、極右排外主義の風潮に対する不安感に苛まれているという設定がかなり重要な位置を占めていて繰り返し出てきますが、この設定が果たしてこの物語に必要だったのかというのが読了後のわたしの小さな疑問としては残っています。
しかし、城戸の思考を黒子のように扱いながら進めるという物語の構成力といい卓越した文章力といい、うまい作家さんだなぁとしみじみ思いました。
先ごろ映画化されて話題になった『マチネの終わりに』とはまったく異なったテイストの良品。
城戸が決して乗り越えて向こう岸に行くことのできない柵を乗り越えていった男Xの過去をある種の羨望をもって執拗に追いかけていく過程で自分自身に何度も問いかけていく城戸の思索そのものにとても興味が惹かれる作品。
「“X”について、城戸にはやはり、どうしてもわからないことが二つあった。
彼は、自分の“X”に対する漠然とした羨望を自覚していた。
しかし、どれほど今の生活に倦んでいても、彼にはそれを完全に捨ててしまうことは、やはり、出来ないのだった・・・
“X”には、そんな風に、継続するに値する人生の喜びは一切なかったのだろうか?
もう一つ、城戸はやはり、“X”が生涯、里枝を騙し続けていたことがわからなかった。
と言うのも、城戸には、“X”と里枝との間の愛が、自分自身は決して経験することのなかった、何か極めて純粋で、美しいもののように感じられていたからだった」
愛にとって過去とは何だろうか?
城戸の繊細な思索を通して浮き彫りにされる“X”に対する共感、あるいは隔たりは、路上の影の伸び縮みのような伸縮を以ってわたしたち読者に人生の途上での事象の軽重を問いかけているようでした。
どんな平凡な暮らしにもそれぞれの歴史があり、大切にするものがそれぞれの環境や年代に応じて変化したり固定したりを繰り返してやがて終末へと進みますが、そういった大多数の人々の暮らしのなかにある日突然芽生えることもあるだろう、“X”への願望はいままで最も大切なものとして温めていたものまで放擲してしまうほどのエネルギーをもってすべてを凌駕することもあるかもしれない、という恐怖。
“X”は決して特別な存在ではなく、わたしもあなたも、何かのきっかけでなりうる可能性があるという示唆も読みとれる作品でした。