VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

2020年02月

a2f6831531a5057190464b4e7bb1e2b1-1460x820[1]

もう一度説得しようか窓の辺のラナンキュラスが光を弾く


 

新型コロナの勢いが留まることを知らない勢いですね。

当地は公には罹患者が出ていないようですが、潜在的にはいるのではないかと疑わざるをえないような状況。

世界中を網羅してパンデミックの様相になってきました。

まだ知人などに罹患した人は出ていませんが、どうなるか・・・。

先日も東京駅近くの新丸ビルに立ち寄った人が発症したというニュースがありました。

次男の仕事場が新丸ビル内にあり毎日出社しているのでジリジリ迫ってきているという感じ。

妊娠中のお嫁ちゃんがいるので次男ひとりの問題ではなくなり恐ろしいかぎりです。

厚労省を筆頭に政府首脳部の初期対応については言いたいことが山ほどありますが、こんなに広がってしまった以上、一日もはやく誰でもPCR検査ができるようになり、また重体になるまでに抑えられる治療薬、重症患者の肺に劇的に作用する治療薬など早急に確定できて使えますように。

そしてはやく収束しますように。

 

51HXM9NbVGL._SL500_[1]

吉直樹氏著『第
2図書係補佐』
 

「『僕の役割は本の解説や批評ではありません。自分の生活の傍らに常に本という存在があることを書こうと思いました(まえがきより)

お笑い界きっての本読みピース又吉が尾崎放哉、太宰治、江戸川乱歩などの作品紹介を通して自身を綴る、胸を揺さぶられるパーソナル・エッセイ集。                            巻末には芥川賞作家・中村文則氏との対談も収載

 

著者が2015年『火花』で153回芥川賞を受賞して鮮烈デビューを果たす4年前に刊行された作品。

 

趣味は散歩と読書と音楽鑑賞通算3000冊以上の本と2800枚以上のCDを持っているという極め付きの趣味人でもある売れない芸人だった又吉直樹のデビュー作といえるのが本書。



2006年3月に
できたヨシモト∞ホールに置かれていたフリーペーパーY∞H!で連載されていたものを文庫オリジナルという形で出版したものだそうです。

 

芥川賞受賞作『火花』とその2年後に刊行された『劇場』も読み、ピース又吉の芸人力より文筆家又吉の筆力の魅力に惹かれているわたしは本書を通して自分の目もまんざらでないというのを確信したのでした。

 

お笑い芸人としてネタや芝居の脚本も書くという著者ですが、本書は芸人特有の落としどころに苦慮した内容でもなく、かといって格言集的なものを狙っているわけでもなく、しかも本の紹介でありながら完全なるレビュー形式に則った内容でもなく・・・しかし全体を流れる切ないペイソスはなんなんだ、という感覚。

 


著者が大好きな作品と押す
47の作品群はけっして一律ではなく広く文学界を網羅しているにも関わらず、なべて暗い分野。

 


草食系ネクラ男子といわれるゆえん。

 


この作品群の半分以上は読んだ記憶があるものですが、本のレビューというより又吉を流れている、または流れていった過去、現在、未来に紐づけてちょっと結びつけてみた、というようなもの。

 


彼にしか書けない記憶や想像の断片に哀愁という調味料を加えたたような・・・。

 

「読書という趣味を見つけたことにより僕の人生から退屈という概念が消えました」

わたしもそのひとり、もはや趣味というよりご飯といっしょです。

今日ご紹介する本の著者・カン・ハンナさんを知ったのはNHK Eテレ「NHK短歌」の「短歌de胸キュン」コーナー。

 

Eテレで短歌番組があるのを知って、毎週観始めた4年前のこと。

 

最近のことはあまり知らないのですが、当時月一でやっていた「短歌de胸キュン」は若い愛好家のためのものとして、スピードワゴンの井戸田くんや、今は俳句の世界で名人になったフルーツポンチの村上くんなどとともにカン・ハンナさんが歌人の佐伯裕子さんと栗木京子さんのもとで学んでいくというもの。

 

数人のタレントの中では群を抜いているなあと思ったのが村上くんとカンちゃん。

 

今から考えると来日してまだ5年目くらい、角川短歌賞に応募していたのには驚くばかり。

 

その年にぽつぽつ出詠していた歌を2首、NHK短歌で坂井修一選者と伊藤一彦選者にそれぞれ採っていただき、テレビで放映されたときもカンちゃんがアシスタントとしていらっしゃいました。

 

2017年にNHK全国短歌大会で特選をいただき舞台に上がったとき、ジュニアの部の司会をしていたのもたしかカンちゃん。

 

美人で利発で一生懸命さが伝わってくるかわいい方。

 

2016年角川短歌賞佳作入選

2017年角川短歌賞次席入選

2018年角川短歌賞佳作入選

 

角川短歌賞は未発表五十首の新作から選ばれる新人賞。

 

短歌の新人賞の中では権威あるものの一つと歌壇では認識されているものです。

 

故・河野裕子さんも「桜花の記憶」で新人賞をとられたのは有名です。

 

来日5年目で角川短歌賞佳作!@@!


日本と韓国という近くて遠い2つの国の架け橋になりたいという夢を少しでも現実に近づけたいと思うとあとがきにあります。


両国を想う純粋な気持ちがいちばん伝わる場所が短歌だと信じて・・と。


「まだまだです」というタイトルに自分の気持ちを込めたという謙虚でまっすぐなカンちゃん、応援しています!


 

41v-bKdWtvL._SX343_BO1,204,203,200_[1]
カン・ハンナ氏著『まだまだです』
 

私らしく生きていくための短歌。                               詠むことで見つめ直す日本での暮らし。                           運命のように出会った短歌が私を変えた。                         私よりも私らしい本当の私が見えてくる。                          韓国から日本に来て8年。                                   角川短歌賞次席を経て堂々デビュー。                            待望の第一歌集

1981年ソウル特別市生まれ

淑明女子大学校卒業後、韓国でニュースキャスター、経済専門チャンネルMCやコラムニスト

元数学オリンピック韓国代表

2011年に来日現在、ホリプロ所属タレント

横浜国立大学大学院都市イノベーション学府博士後期課程に在学中

NHK Eテレ「NHK短歌」レギュラー出演

母国語が韓国語という特殊性を超えて多くの女性が共感する等身大の若い女性の姿が生き生きと描かれていて胸を打ちます。

異国の地で味わう独り暮らしの孤独や母への哀歌、日本での自分の立ち位置に対する不安やちょっとした喜び、恋愛など多岐にわたる内容はまるで小説を読んでいるよう。

ソウルの母に電話ではしゃぐデパ地下のつぶあんおはぎの魅力について

参拝の仕方も知らず日枝神社へ下手な日本語で神様を呼ぶ

空にいる古い木にいる川にいるニッポンの神 アンニョンハセヨ

一ページ読み終えるのに一時間ルビだらけになる『日韓関係史』

「誰よりも優しく賢く産んだのに寂しくさせる子」母がまた言う

オンドルの床じゃないこと朝ごとに揺れるベッドで布団をにぎる

韓国と日本どっちが好きですか聞きくるあなたが好きだと答える

ケータイに斉藤がいて齋藤と齊藤もいる来日六年

読み終えた『異文化理解』の中からは見つけられない日韓の距離

わけもなく横断歩道の白線を踏みたい朝と避けたい夜更け

君待てば綿雲が来る君待てばホオジロが飛ぶ来なくても飛ぶ

 

言えません 言ってしまえば楽だけど口に出したら本音になるので


泣き出していいはずだった灰色の雨に打たれてこじらせた恋

 

日本語の発音のままハングルで記すノートは誰も読めない

 

ハングルを混ぜた短歌に文学は平和であってほしいと願う

 

 

2011年、私は来日する飛行機の中で手帳に夢を書きました。

「日本で本を出版する日が来ますように。。」 

 

日本に来て8年になりました。

そしてこの8年間、本当に色々ありました。

他国で生きていくことはそんなに簡単なことではないということもたくさん実感しました。

でも心の奥には2011年に来日する飛行機の中で書いた夢をずっとずっと抱いていました。

長い旅でした。。

 

そして2019年12月10日。

私の夢が叶います。

 

第一歌集には私の8年間の物語がそのまま入っています。

短歌こそが私ですし、私こそが短歌です。

短歌に出会えて私は本当に良かったと心から思っています。

 

 

yjimageBP20AWU0

明日あるを疑はざりし若き日の幻想のごとき緋のシクラメン


 


先日畑をしている知人から冬野菜がどっさり届きました。

 

野菜があれば心が豊かになります(^^)/

 

葉野菜類は新鮮なうちに下ごしらえして、小分けにして一日二日の夕食用以外は冷凍したり、保存食を作ったり。

 

キッチンで処理中、お湯が沸く間などを利用してピアノの練習&作業を行ったりきたり。

 

 

大きな桜島大根は何等分かして友人たちに分けてもまだ残りが山ほど。

 

大根ステーキにしたり、酢の物にしたり、ふろふきにしたり。

 

大きな段ボールに詰め込まれたさまざまな野菜の陰に隠れてつぼみの菜の花があるのに気がつかず、一日たって見つけたときはすっかり満開状態。

 

こんな感じ。

てんこもり菜の花
 

これではおひたしにはちょっと無理かな?

 

せっかくだから鑑賞用に楽しみます

 












 

 

 

41pYO4vXBLL._SL500_[1]

さて本日は
梯久美子氏『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』のご紹介です。

 



戦後文学史に残る伝説的夫婦の真実に迫り、『死の棘』の謎を解く衝撃大作。

島尾敏雄の『死の棘』に登場する愛人「あいつ」の正体は?
あの日記には何が書かれていたのか。
ミホの書いた「『死の棘』の妻の場合」は、なぜ未完成なのか。
そして本当に狂っていたのは妻か夫か──。
未発表原稿や日記、手紙等の膨大な新資料によって、
不朽の名作の隠された事実を掘り起こし、
妻・ミホ生涯を辿る、渾身の決定版評伝

 

著者がその執筆に11年をかけたという長大作。

 

完成するまでには幾多の山坂があったのはひたすらミホ氏の心変わりによるものだったという。

 

あらかじめミホ伝を書きたい旨伝えると喜んで受けてくれ、取材にも積極的に応じてくれていたミホ氏があるときを境に取材を拒否、伝記を書くことも拒絶されたという。

 

結果長い中断があり、ミホ氏逝去ののち、長男の島尾伸三氏の許可を得てやっと世に出たという経緯の作品。

 

許可の際、伸三氏は「きれいごとにはしないで」という条件をつけたという。

 

父母の修羅の一部始終を見て育った伸三とマヤという兄妹ならではのこの許可に通じる文言もいくつか見られます。

 

ミホ氏の死後遺された膨大な資料を基に、『死の棘』の真実に肉薄しようとした著者の徹底ぶりはすさまじく、これぞノンフィクション作家と驚くばかり。

 

 

結果、吉本隆明氏の「聖なるひと」というミホ像に「自分を正当化するための物語をつくりあげるのが巧みなひと」と異を唱えている点が目を引きます。

 

ミホ氏がまだ存命だったなら世に出ることのなかった作品。

 


『死の棘』を通して疑問に感じるのは果たしてこれは崇高な愛の形なのかということ。

 

 

度の過ぎた嫉妬や束縛もここまでいくと狂気の世界、決してミホ氏だけの問題ではなくこれを受け入れた島尾氏あればこその形だったと思う。

 

自分の精神をオーメン的に昇華させることで自分の存在を際立たせることに腐心するミホ氏は結婚、ましてや子どもを持つべきひとではなかったと思えます。

 

2人の子どもはずっと被害者のまま、特にマヤの哀れさが心を揺さぶります。

本書によれば、ミホ氏は島尾氏の原稿をすべて熟読、気に入らない文は削らせたり、加筆させたりしていたという。

 

文才を自負するミホ氏が島尾氏と競っていたのではないだろうか、とは著者の言。

 

「狂うひと」はミホ氏を指してのタイトルではありますが、生前の島尾氏も凄まじい狂気を持ったひとだっとと思います。

 

評伝としては持ち重りするほどの大作ですが、『死の棘』以降のミホ氏を知るには最高の書。

 

読んでみようと思うエネルギーがある方、どうぞ。

漢方薬が効かなくなってQOLを確保するために化学療法に切り替えて、いままで多少の副作用には目をつぶってきて7年。

ここ2、3年服薬のあと2日ほど副作用の吐き気が徐々にひどく、気のせいと言い聞かせてみるものの倦怠感をともなうため意欲を削がれていたところ、昨日の検査結果で、ずっと基準値の中でも低い状態を保っていた肝臓のふたつの数値が6倍に跳ね上がって三桁になっていました。

薬効の裏の副作用として重篤なのは間質性肺炎や悪性リンパ腫。

腎臓や肝臓にも影響があるのはいろんな症例や病友の例などで知っていましたが、まさか肝臓?とちょっと驚き。

やっぱり吐き気あるはずだわ、と妙に納得。

自分の訴えが正しく証明されたような気分。


とりあえず減薬して様子を見るか、とドクター。

ほんとはすっきり断薬したらいいのだけど・・・。

それでは病勢がコントロールできず・・・。

わかっちゃいるけど・・・という状態の今です。

 

5164HNxHG8L._SL500_[1]

さて今回は
朝倉かすみ氏著『平場の月』です。 


「おまえ、あのとき、なに考えてたの?」                           「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね。ちょっと」                      朝霞、新座、志木――。                                      家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。                            元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。            須藤とは、病院の売店で再会した。                                中学時代のコクって振られた、芯の太い元女子だ。                         50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が累々と流れる――。                             心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説



32回山本周五郎賞受賞

161回直木賞候補

初読みの作家さん。

こんな文体なんだ・・・なかなか馴染みにくいちょっと違和感のある文体。

しっとり感がなく、乾いたような、ちょっとぶっきらぼうな文体。

それが主人公の50歳という年齢の男女という設定と合わないような・・・。

惜しくも直木賞は逃したものの、選考委員会では賛否両論あったようです。

五十代にしてはあまりに身軽な主人公の男女が終始三十代にしか見えず、この平場は結局ファンタジーかと少々鼻白んだと高村薫氏。


わたし自身の違和感を鋭く突いておられて納得。

不運のうちに生きてきた中年の男女が、少しずつ距離を縮めていく過程が、実にこまやかに描かれている。何よりも文体が素晴らしく、抑制がきいていながら不思議なリズムがかすかに聞こえてくる」 

と賛辞に近い評価を贈られたのは林真理子氏。

DV体質と知りながら略奪婚した夫に先立たれ、内心解き放された安堵感を抱きながら、堰が切れたように年下のヒモ男に貢ぎつくし家を含む全財産を失って故郷に帰って病院の売店のパートで細々とした生活を営んでいる女性という過去の設定と現在の不動の意思を持ちながら死に向かうという女性との距離があまりにも開きすぎていて、その乖離を自分の中でなかなか一致させることができない戸惑いを感じた作品。

とはいえ、それらのことは些細な違和感と思えるほど、読み進むにしたがって、終盤には切なさで胸があふれました。

「タイトルがいい」と伊集院静氏が記されていたように「平場」というタイトルが、社会の片隅で愚直に日々を過ごす登場人物たちの姿と重なって秀逸でした。


加えて各章立てのタイトル目を惹く仕掛け。

1「夢みたいなことをね。ちょっと」

2「ちょうどよくしあわせなんだ」

3「話しておきたい相手として青砥はもってこいだ」

4「青砥はさ、なんでわたしを『おまえ』って言うの?」

5「痛恨だなぁ」

6「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」

7「それ言っちゃいかんやつ」

8「青砥、意外としつこいな」

9「合わせる顔がないんだよ」

すべてが須藤が青砥に向かって言った言葉。

タイトルにはないけれどもっとわたしの心を打った言葉があります。


「青砥には十分助けてもらってるよ。青砥は甘やかしてくれる。この歳で甘やかしてくれるひとに会えるなんて、もはやすでに僥倖だ」


北方健三氏の評。

精緻な作品で、細かい描写の中に立ちあがってくるイメージが、実に秀逸であった。                                      一隅を見つめる視線を、愚直に貫いて欲しかった。                           平場とタイトルにまで出してあるが、病気、闘病、死は、平場ではないのである」

愛憎、生死、すべてくるめて人生でのその人の立ち位置がたまたま平場であったというだけで、どんな場所に立っていても逃れようのない一連の出来事として捉えると、やはり生~死への道のり自体は平場での出来事と思える自分でありました。

 

最後にデジタル大辞泉による「平場」を挙げて終わりにします。

たいらな場所・土地。
平土間」に同じ。
普通の場。
㋐競馬などで、特別レースでない一般のレース。
㋑賭け事で、普通に賭けるだけで、割り増しの賭けをしない場。
㋒芸妓などの、客と床を共にしない座敷だけの勤め。
㋓組織などにおいて、幹部や代表者でなく一般の人々の立場。

桜の芽

言い訳はしないでおかう公園の桜の花芽もいまだ固くて




映画『つつんで、ひらいて』を観てきました。

あふれでることばをおさえてつつむ

ひっそりと鎮ることばをやさしくつつむ

作品の行間から主張するようなことば、問いかけるような言葉、やさしい言葉、切ないことばなど数多の言葉の群れを大きくて厚いてのひらでつつみこむ作業。

それをひらくのはわたしたち読者

数多くの書籍の装幀を手掛けてこられた装幀者菊地信義氏と、本作りに情熱を注ぐ人々の姿を描くドキュメンタリー。

 

40年以上、日本のブックデザイン界をけん引してこられた装幀者仕事ぶり通して表紙に込められた菊地氏の想いを照らしています。

 

歌集として空前のベストセラーとなった俵万智のサラダ記念日をはじめ、古井由吉、大江健三郎、浅田次郎、平野啓一郎などの1万5,000冊以上もの書籍をデザインしてきたという菊地氏

 

あの本も、この本も・・・とわたしの記憶の中からカバーが立ち上がってくるよう。

 

切り貼りしたり、位置をずらしたり、大きさを変えたりなど意外にも細かい手作業の中、クローズアップされたその無骨な指先が手がける作品と徐々に呼吸を合わせていく様子はまるで手練の手品師のような指さばき。

76歳になられる氏は、あれほどの優れた作品を生み出しているのにいまだ達成感がないという。

大学1年のとき偶然出合ってこれからの歩みの指針が灯ったというモーリス・ブランショの『文学空間

そして、半世紀以上という気の遠くなるほど長い歳月を経て、再び運命のモーリス・ブランショの書物と対峙することができたのでした。

『終わりなき対話 Ⅲ 書物の不在(中性的なもの・断片的なもの)』の装幀。

書店でじかに手に取って触ってみたい・・・本への愉しみがまたひとつ増えました


51y39UNk7LL._SL500_[1]

さて本日は
中島京子氏著『樽とタタンです。


あの店に来ていた人たちは、誰もがどことなく孤独だった。              小さな喫茶店でタタンと呼ばれた私が、常連客の大人たちから学んだのは、愛の不平等やしもやけの治し方、物語の作り方や別れについて。               甘酸っぱくてほろ苦いお菓子のように幸せの詰まったものがたり


ちょっと不思議な物語です。

小川洋子氏の作品と似た雰囲気の作品。


タイトルをみて、お菓子好きな方はすぐ〈タルトタタン〉を連想されたことでしょう。

リンゴをタルト生地にまぜた甘いケーキ。

昔作ったことがあったっけ。


家庭の事情で大きな樽のある喫茶店で日中を過ごすことになった女の子。

喫茶店の常連の老作家からタタンというあだ名をつけられた女の子。

3歳から12歳までの9年間、学校帰りに毎日行っていた赤い大きな樽のある喫茶店での思い出を語る連作短編集。


カフェ全盛時代のいまではほとんど見られなくなった昭和の香り漂う喫茶店でタタンが知った大人の事情や大人という存在の切なさ、優しさなどがタタンの視線を通して語られていてなんだか懐かしい物語と出会ったようなノスタルジー豊かな物語。

よかったらどうぞ。

yuu0055-009[1]

満月とうさぎのかたちの落雁を食みつつ幼きわたしに還る


お正月のこと。


池田動物園付属のペットショップで見つけた柴の仔犬に目が離せなくなった帰省中の娘。

ついにもらい受けました。

生後5ヵ月のやんちゃ盛りの女の子。

くだもの王国の岡山からということで「もも」と命名。

「ミヒャエル・エンデのモモにも通じるし」と娘。

時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語だったような。

「松谷みよ子のモモもいたよね」とわたし。

「モモちゃん」シリーズ、小さいころ読んでもらった記憶のある方いらっしゃると思います。

そんな2人のモモちゃんに名前を託した娘のモモは連れ帰るための新幹線で大暴れしてドギーバッグから飛び出したそう( ;∀;)

車掌さんに叱られ、周囲の突き刺さる視線に耐え切れず、抱っこしたまま座席を離れデッキで時間をやり過ごして泣きそうだったと娘。

いまでは体重も1.5kgほど増えて娘をてんてこ舞いさせているようです。

2020年1月モモ1
22020年1月モモ

娘から
lineに送られる「モモちゃん通信」が日々の愉しみに加わりました。

 

02081097_1[1]

メイ・サートン氏著『一日一日が旅だから』
 

私から年齢を奪わないでください。                    働いて、ようやく手に入れたのですから――                 『独り居の日記』『夢見つつ深く植えよ』など、老いること・独りで暮らすことの豊かな意味を教えてくれたサートン。                         一晩で変化する季節、ゆたかで厳しい孤独、老年という地図のない冒険…。            生涯のさまざまな時期における詩人サートンのこころの歌を、500篇をはるかに超える詩作から選んだ詞花集

 




本書
1939年から1994年にかけて発表されたメイ・サートン氏の500以上の詩から訳者・武田尚子氏の好きな作品をピックアップした22篇の詩集です。

 
ある時期からレズビアンであることを公表していたサートン。

その相手ともやがて別れのときは来て独りのままの生涯を閉じたのでした。

 
22篇の小さな詩集ですが、サートンの捉えた視線の先には花や鳥などのやわらかい自然、そして肉親の死などの景色が広がっています。

 

黒い文字列のあいだからさまざまな色が浮かび上がるような作品。

 

研ぎ澄まされた観察力は年を重ねるごとに豊かさを増していったかのよう。

 

作品の行間からあふれる独りの孤独や親しい人との別れの哀しみが胸に迫ります。

 

 
訳者あとがきによれば、500篇をはるかに超えるメイの詩作のごく一端であるという22篇。

 

メイの代表作というより、ほぼ十年もメイの作品に関わってきた翻訳者の、好きな作品から選出したということらしい。

 

きっと詩の訳という道程は難行の道だったでしょう。

 

「詩の翻訳で失われるもの、それは詩そのものだ」というロバート・フロストの厳しい言葉を挙げて、その作業の苦しみを著していらっしゃいます。

 

最後にわたしの心に響いた詩を二篇。


 
「一杯の水」

 

ここにあるのは 井戸から汲んだ一杯の水

舌にのせれば 石と木の根と 土と雨のあじわい

わが最上の宝もの 唯一の魔法

きらりと冷たく シャンパンよりも貴い

いつの日か 名も知らぬ人がこの家に立ち寄り

この水に癒されて 旅路をつづけることもあるか

いつかのわたしのように 暗い混沌に沈む誰かが。

コップ一杯の鮮烈な水を 飲み干したあのとき

にがい思いにまたもや 心を曇らせていたわたしに

透明な活力が 生気を返してくれたように

 

 

「新しい地形」

 

老年とは

未知の世界の探訪

そう考えれば

なんとか受け入れられる

挫折感は道づれ

くよくよしてはいられない

笑うことは命綱

めがねを冷蔵庫で見つけるのも一興なら

椅子から立つために

意志の力をふりしぼるのも

階段を昇るなら

まず深呼吸をして

エヴェレスト登山の覚悟をきめるのも。

とはいえ

とっておきの愉しみもある

微動だにせずに半時間

わたしはひっそりと

座りつづけていられる

まるで植物になったみたいに

刻々と うつろう光を追いながら。

 

一日一日が旅だから

家はわたしの奥の細道

上り下りの坂があり

遠回りする小道もある

夕食のテーブルはおごそかに

儀式のようにしつらえて

花には水を欠かさない

ひとつひとつが大事なつとめ

わたしの心の砂時計で

きちんと図ってあるとおり。

 

そうして体を横たえれば

ひたひたとよせる追憶が

わたしの時間をみたしてゆく

八十年の生涯を

どんなにたっぷり生きてきたか

思えばめまいをおぼえるほど

追憶はあまさず心に生きている

変化してやまない大海原

その満ちる潮 また引く潮

 

ニネット・ド・ヴァロアが

詩に詠んだことばが いまわかる

「いのちは生きるだけじゃない

感じることです より深く」

詩人はこのとき九十四歳。

この旅では

これまでとちがい

わたしは 地形を学んでいる

魅力はある でも

なんとも 奇妙きわまる。

↑このページのトップヘ