緊急事態宣言がこれからも続きそうな日々。
皆さんどのようにお過ごしでしょうか?
Stay homeがけっこう好きなわたしですが、少々停滞気味、シニアでさえこんな具合なので、遊び盛りの子どもたちはどんなにか外で思いっきりはしゃぎたいことでしょうね。
とはいえ散歩で公園を通りかかると、子どもたちが一団となって遊んでいました。
遠巻きにマスクのパパママがやはり一団となっておしゃべり。
子どもたちはノーマスク・・・いいのかしら?
夫と2人暮らしの我が家ではいつもなら、買い物がてらお昼はおそばやうどんなど気楽にお店で食べたりしていましたが、今はひたすら家で食事・・・食事時間はすぐやってきます。
夕食はそれなりの覚悟で臨みますが、昼食はとにかくの余分感・・・でもこれではいかんと発想を転換、いろんなパスタやお好み焼き、各種麺類、そして今日はたこ焼き。
2人きりのたこパはちょっと・・・としり込みしていましたが、そうも言っていられない現状・・・少しでも楽しまなければ・・・ということで。
そんな中、わたしが属している短歌誌の最新号が出来上がって送られてきました。
『樹林21号』
メンバーの方々の歌10首やそれぞれの歌の鑑賞、さまざまな歌集の鑑賞、短歌誌主宰による当地の著名人へのインタビュー、エッセイや有名歌人の詠われた歌の中から選んだ好きな一首など、盛りだくさんな内容の冊子です。
わたしも苦手ながら毎号、依頼されて歌集鑑賞やエッセイを書いています。
今回もエッセイ一本。
記録として記しておきます。
◆出詠歌10首
タイトル「歳晩の雲」
ゴーヤの実はぢけて朱き種の出づ辺野古の海の叫びのごとし
核廃絶の祈り届かぬ原爆忌 元安川に万燈ゆれて
水無月の雨に濡れたる慰霊碑をぬぐふ人あり抱く人あり
十五夜の月は昇りぬロヒンギャの難民キャンプの屋根のうへにも
権力に抗ふことのきびしさを〈シネマクレール〉の闇に観てゐる
床を拭くおそうじロボの健気さはわたしのなかの失せたるひとつ
ほめられも叱られもせず風まかせスローライフの独りのピアノ
アフガンに持てるすべてを捧げゐし中村哲氏銃弾に死す
憤りが諦めに変わるまでの間をフォルテッシモで鍵盤叩く
喜びや悲しみの記憶あまた乗せ歳晩の雲ながれゆくなり
◆エッセイ
タイトル「一玉のスイカ」
先日、アフガニスタンで生まれた男の赤ちゃんが、昨年十二
月に殺害された「ペシャワール会」代表の中村哲医師にちなん
で「ナカムラ」と名付けられたという記事を目にした。
父親は氏の活動に深く感謝し「心を受け継がせたい」と命名理由
を語ったという。
「干ばつに苦しむ村人たちを助けてくれたのは、外国の軍隊
でも武器でもなく、現地の中村医師でした・・・
国籍や宗教の違いを越えて、命がけで救いの手を差し伸べてくれ
た日本人がいたことを、私たちは決して忘れません」
中村哲氏は私が最も尊敬するおひとりである。
ペシャワール会の活動に深く共鳴して以来、一会員としてほん
のわずかではあるが支援して数年になる。
ペシャワールの荒野に育つ一玉のスイカとなれかしわたしの募金
「どの場所、どの時代でも、いちばん大切なのは命です」
「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のこ
とです」
あらゆる苦難を乗り越え、砂漠化した〈死の谷〉を〈緑の大地〉
に変えてゆく様を知ることは私にとって大きな喜びとなっていた。
四十年にわたって、戦乱の地で現地の人々の信頼のみを武器に医
療援助や灌漑水利事業に持てる力を尽くされていた途上で銃弾に斃
れた氏の理不尽な死をいまだに受け入れ難い自分がいる。
氏の座右の銘であったという〈照一隅〉を噛みしめながら、今
一度何ができるか自分なりに考えてみたい。