VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2020年05月

コロナ渦のなか、家の中で夫との家時間がとても長い現在。


音楽が大好きな夫は一日中何かしら
CDをかけています。

 

結婚した時からの習性で、休日はずっと。

 

車でも必ずCDかFMをかけます。

 

クラシック、各種ジャズ、ポップス、映画音楽、ゴスペル、フォークソング・・・。

 

家には山ほどのレコードやCDジャケットが積み重なっていますが、すべて洋楽オンリー・・・なんという偏見、と思えるくらいに見事に歌謡曲など一枚もなし。

 

わたしの好きな音楽をかける余地がないくらいに網羅。

 

そんな父親の影響を受けたのかジャンルはそれぞれ微妙に違うようですが、子どもたちは大人になった現在も音楽、それも洋楽が大好き。

 

娘が弟である長男から時々好きなジャズをコピー&編集したCDを作成してもらっているというのを漏れ聞いて、わたしも、と長男に頼んでいたCDが送られてきました。

ラカンパネラ

世界中のピアニストによる’ラ・カンパネラ’のみのCD.。

 

公式アカウントやクリエイティブ・コモンズをこまめに拾って落とし込んでくれました。

 

嬉しいな(^^♪

 

'ラ・カンパネラ’一日中聴いていても飽きないほど好きな曲。

 

フジコヘミングのものは直接コンサートで聴いたことがありますが、その他はCDやyoutubeで聴いていました。

 

ラン・ランあり、ユン・デリあり、アリス・オットあり、辻井あり、キーシンありで最高のプレゼント!

遅い母の日プレゼントにと。

お嫁ちゃんからはとっくに好物のプレゼントが届いているんですけどね。

 

さっそく自分用のBOSEで音量を絞って聴いています。

 

夫の留守中に心ゆくまで大きな音量で聴きたい・・・コロナよ鎮まれ!

 

 

 

本日は1年ほど前からの話題作。

 

ぼくは
ブレディみかこ氏著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 

大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション」(「BOOK』データベースより)

著者について

1965年福岡市生まれ
音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住
ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始
2017年に新潮ドキュメント賞を受賞し、大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補となった『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』をはじめ、著書多数

 

イギリス南端のブライトンに、アイルランド人のと息子の3人で暮らす著者

 

市のランキングで常にトップを走っている名門校である小学校から元底辺中学校に進学した息子の、その中学校での1年半を綴ったものが本書です


「元底辺校」という言葉のイメージからはあらゆく国から集まったさまざまな人種の生徒の集まりを連想してしまいますが、イギリスでは「人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校」ということになるらしい。

 

元底辺中学校には「ホワイトトラッシュ」と呼ばれる貧しい白人の子どもだらけだそう。

 

息子の学校生活を通してイギリスが現在抱えているさまざまな問題点を日常に則して具体的にわかりやすく挙げて、息子とともにそれらに向き合い、一歩ずつ前進していくという、いわば日本人からぬ果敢な強さをもった著者に目を瞠る思い。

 

イギリス人の本音を探れば、アングロサクソン系を唯一無二の血統とし、学歴主義の最たるもののとしている中で、いかに果敢といえど筆者は愛する息子のの進学先のレベルを一気に下げて選択したのか、という疑問に答えは出ませんでしたが、結果的にこの選択によって著者の息子が得たものは計り知れなかったと思いたい。

 

歴史的に多くの移民を受け入れてきたイギリスでしたが、本音のところは純血種至上主義、自国ファーストがむき出しになったEU離脱」

かつて多くの移民を受け入れたといってもそれは低賃金で雇える労働力の導入という点においては根本的には自国ファーストは延々と続いていると思えます。

外側からの英国をなぞったわたしのイメージですが、本書を読んでますますその意を強くしました。

アガサ・クリスティなどイギリスの作家の著書を通してもデモクラシーを掲げながらも貴族的なアングロサクソン至上主義がいたるところに見え隠れするイギリスの抱えるさまざまな問題を平易な言葉で連ねていて、読んでよかったと思える作品となりました。

醜いものには蓋、というスタンスが特に嫌いなわたしにはみかこさんの息子に施した教育はすばらしいな、と思えました。

とにかく一律に表層部分を学んで、暗記して、受験戦争に打ち勝つ学力をつける・・・余分な知識は不要とばかり・・・危うい日本の将来といわざるを得ない気がします。

半面1/3の子どもが貧困層といわれるイギリス

本書によるとランチを食べることも新しい制服を調達することもできない。

こういった状況を知ると、日本の教育制度のよさもしみじみとありがたい。

ふりかえって自分の子育てを思い起こすと、ダメなことばかりやっていた気がする母だったので、子どもたちがこれを読むと、何を今更ってブーイングが来るのは必至でしょうがあえて。

悪しざまに子を叱りたる夢さめて真夜の厨で水を飲むなり

母だって長く生きていると少しは視野が広がるのです、いい方か悪い方かわからないけど。

とにかく著者の息子の日常を描くだけでこれだけ人種、貧困、さまざまな差別、政治のあり方などの問題を浮き彫りにするなんて、著者の筆力に脱帽。

まだまだ記したいことはたくさんある気がしますがこの辺で。

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緊急事態宣言が解除され
ました

 

いままでのトータルで日本人で感染した人は0.01%ほど。

 

このことを思うと必要以上に恐がることはないのか、とも思いますが重症化してあっけなく死ぬという事実を見せつけられるとやはり不安です。

 

特につい先日までお元気な姿でテレビに出ておられた志村けんさんや岡江久美子さんなどの著名な方がこんなに短期間に亡くなられたのを知れば恐れずにはいられません。

 

宣言が解除される前から賑わいを見せていた都会の映像をみると、罹患という可能性は同じでも人によってかなりな温度差があるのは否めないなぁと感じてしまいます。

 

ほとんどのお店や工場などが閉じられて、経済が回っていかない状態からのいち早くの脱皮は必要なのは理解していますが、まだ途上であるワクチンや決め手がいまいちの治療薬の現状や、まだまだ私たちには安易に手が届かないPCR検査も抗原検査も抗体検査などのことを考えると、緊急事態宣言解除を手放しで喜べない気がします。

 

未知のものに対する手探り状態はわたしたち市井の国民のみならず専門家も同様だと思いますが、日夜身を削ってがんばってくださっているのは報道などで伝わってきます。

 

アフリカやインドなどの衛生環境の悪いところで感染が広がっているというニュースを見ると、私たち日本人がいかに恵まれているか、必須である手洗いやうがいが心置きなくできることだけでも感謝に値します。

 

力いっぱい助けようと日夜がんばってくださってている医療関係者の方々がいること、日常生活を支えてくれているお店の人々や宅配の人々、清掃の人々・・・列挙するとキリがないほど。

 

それは政府の不手際の目立つ政策などへの不満を大きく上回るほどです。

 

昨日も定期的な診察のための4時間の病院滞在中、なんども手を洗い、殺菌ジェルで消毒し、帰宅後はシャワーへ直行・・・正直ウイルスがシャットアウトできているかは甚だ疑問ですが、精神的な拠り所としてのこれら一連の作業ができる環境にいることがなんとありがたいことかと感謝しています。

 

当地では罹患者25人、もう2週間以上ゼロが続いており、6月にはカルチャーセンターや公民館活動を再開する動きが出ています。

 

十数年続いている卓球もそろそろスタートしようか、という相談も始まりました。

 

正直ウイルスがすべて死滅したわけではないのでどうしたものか、とは思いますが、秋冬の再燃期までの息抜きに・・・衰えた機能や気力を戻そうかな、と気持ちに傾いています。

 

 

 

 

 

掃除婦
さて本日は
ルシア・ベルリン氏著&岸本佐知子氏訳『掃除婦のための手引書』のご紹介です。 

 

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。                     
夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)。                          刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)。       
自身の人生に根ざして紡ぎ出された奇跡の文学。             
死後十年を経て「再発見」された作家のはじめての邦訳作品集

2020年本屋大賞〔翻訳小説部門〕第2位。
10回Twitter文学賞〔海外編〕第1位。

アメリカ文学界最後の秘密と呼ばれたルシア・ベルリン、初の邦訳作品集!

著者について・・・ 

1936年アラスカ生まれ

鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす

3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などをして働く

いっぽうでアルコール依存症に苦しむ

20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える

90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる

2004年逝去

 

このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、
とにかく読んで、揺さぶられてください
               ――岸本佐知子「訳者あとがき」より

彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、
どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。
               ――リディア・デイヴィスによる原書序文「物語こそがすべて」(本書収録)より

 

2004年に68歳で亡くなったアメリカ人作家ルシア・ベルリンの短編集。

 

2015年にアメリカで43編を集めて編まれた作品集『A Manual for Cleaning Women』から24編を選んで邦訳されたものです。

 

年末に帰省していた娘が某サイトのポイントが期限切れになるというので買ってもらった一冊。

 

データベースに載せられていた著者の経歴をざっと見ただけで、何という波乱に満ちた人生だったのだろうと思わずにはいられません。

 

本書はその著者ご自身の荒波のような人生を色濃く投影させたような、物語という形式はとっているもののほぼノンフィクションといっていい内容です。

「むき出し」 といった言葉がぴったりの表現手法は、もちろん技巧が伴っているはずですが、無意識下の技巧と思えるほどの凹凸のあるもの。

子ども時代に焦点を当てても、鉱山から鉱山へと移動を繰り返した父親に伴って転居を繰り返した学童期、争いごとの絶えないどん底の貧しい生活から一転してのチリでの富裕生活、30歳までに3人の夫と結婚離婚し、30代で4人の息子を抱えたシングルマザーとなり、並行してアルコール依存症となった時期、またその職歴を列挙すれば掃除婦や看護師、刑務所の教師、そして大学教師という浮き沈みの激しさ。

これらアップダウンの激しい環境の中からひとつひとつを宝石のように拾い上げて紡いだ小品の数々。

どの場所から拾い上げてもまったく違った側面に出会える内容です。

ハードボイルドといっていいほどの醜く美しく純粋なそぎ落された言葉の列

ショートショートのように2ページほどの短いものから20ページほどの中編規模のものまで、時系列を無視してランダムに並べられたような作品群。

無造作という言葉がぴったりするような作品の置き方。

そして文章の置き方。

さまざまなテイストの小品に出てくるさまざまな登場人物の描写も荒々しく突き抜けているようで繊細、まるでその人物が目の前にいるように描くやり方。

そして起承転結などという甘えた文章構造は念頭にないと見紛うような構成。

きっと何ものにも寄りかからず、期待せず、自分をも信じない、そんな人生を過ごしてきた著者だろうな、という雰囲気が伝わってきます。

表紙の写真でみるととても美しい人です。

ここでどのように言葉を羅列してもこの独特の雰囲気は伝わらないと思うと、ぜひ手に取って読まれることをおすすめしたい一冊です。

岸本佐和子氏の訳も秀逸です。

ぜひどうぞ!!

やまぼうし

月あかりにほのかに白く浮かびつつ山法師のはな苞に寄り添ふ


「お~い、喜べ・・・待ちに待ったものが届いたよ!


 

郵便を取りに行っていた夫が戻ってきました。

 

手には角川全国短歌大賞事務局からの封筒と透明の袋に入ったアベノマスク二枚。

 

「えっ、短歌大賞受賞の金一封? 

出詠していないんだけど、どこからかわたしの歌のすばらしさをウワサに聞いて特別に表彰してくれるということかしら?」

 

んなわけないでしょ(-.-)・・・とひとりつっこみ。

 

出詠したらどうですか?といういつものお誘いの封書、当たり前だけど。

 

角川も出詠費を稼がなくっちゃね・・・出すかどうかわからないけど。

 

 

というわけで首を長~くして待っていたアベノマスク降臨!

 

内閣支持率27%に急落したというニュースを見たばかり。

 

そろそろ市場に各種マスクも出回りだしている上、家庭でも個々に趣向を凝らした手作りマスクを備蓄している頃合いを見計らったように届くとは。

 

花冷えのひと日籠りてマスク縫ふ指を巡れるラヴェルのパヴァーヌ


打つ手打つ手が後手後手の上、臨機不応変・・・こんな熟語があればですけど。

 

ステイホームを促す歌手の動画に合わせてソファで寛ぐ庶民派の様子をアップして失笑を買ったり、あろうことかこの全国緊急自粛要請中に検察庁法改正案を通そうとしたり、さすがに今まで大目に見ていた国民をも呆れさせているのではないでしょうか。

 

新型コロナの行方と同時にこの国の行方はどうなるのでしょうか?

 

 

 

 

ひこばえ下 (2)ひこばえ下 (1)

さて本日は
重松清氏著『ひこばえ 上下のレビューを少し。 



老人ホームの施設長を務める洋一郎は、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感する。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされた洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をする―



昨年、朝日新聞朝刊に連載されていたものを刊行したのが本書です。

朝日新聞デジタルに「『ひこばえ』連載を終えて」というタイトルで次の文を寄稿していらっしゃいます。

大切な人が亡くなったり遠くに行ってしまったりしたときに、よく「胸にぽっかりと穴が空く」と言われる。

その「穴」を描きたかった。

より正確に言えば、自分の胸に穿たれた「穴」と共に生きていく還暦間近のオヤジのお話を読んでいただきたかった。

それは、50代後半になり、大切な身内や友人を何人か喪ってきた自分自身にとって、最も切実な主題の一つだった。

物語執筆の背景にはご自身のご父堂の死があったそう。

2016年1月のこと。

その3か月後から早稲田大学の教壇に立ち若者に教える立場となったとき、切り株から新しいひこばえが生えてきて、親から子、年嵩のものから若輩へとバトンタッチを繰り返すということを身をもって体験したという。

わたしも周りで最後に残っていた母親を亡くし、自分の前につっかい棒のように風除けの役目を担ってくれていた存在がなくなり、いよいよラストスパートの先頭に立たされた感がしたものです。

成長途上のひこばえのような次の世代が控えているという感覚。

亡くなった父母の存在は自分の記憶が途切れたら、2度目となる本当の死を迎えてしまうのか、といった感傷も湧いてきたり・・・。

そんなことを思いながら著者の本書執筆動機を読むと大いなる共感を覚えます。

本書の主人公の洋一郎にとって小学2年のときに家を出た父の記憶はおぼろげにしかないという

そんなある日突然、洋一郎のもとに父の訃報が届くところから物語が動き始めます

洋一郎は一人暮らしだった父の部屋を訪ね、父と関わった人々に出会い、自分の中で自分のフィルターを通した父の姿を作り上げていきます

父はどんな人生だったのか。

ミステリーなら謎解きをするが、僕は謎と共に生きていく。

謎を受け入れていく小説を書きたかった


10歳で別れて以来半世紀以上も記憶の途切れた父親の足跡を辿る・・・


どれくらいの子どもが自らの意思でそういったことができるのか。

 

そんなことを考えると洋一郎に類まれなものを感じてしまいますが、あくまで小説。

 

親から子へと繋がれていく愛と呼ぶには違和感のある、しかし血族ならではの熾火のようなものがテーマの物語。

もう既に新聞で読まれた方も多いと思いますが、未読で興味ある方、どうぞ。

友人に見事な北海道アスパラガスをもらったので今日はアスパラの素揚げ。

アスパラ揚げ

半分は揚げ浸し、半分は塩とレモンで。

後者が好み。

この友人は昨年夏に突然、急性骨髄性白血病に罹患、長く入院生活を余儀なくされていました。


無菌室のガラス隔てて向かひ合ひガッツポーズを交はしぬ
友と

何か月かおきのサイクルで抗がん剤をして、合間に短期退院を繰り返し、やっと晴れてこの度退院。

退院してもまだまだ衰弱、体力も戻らず加えて独り暮らし。

普通でさえ外出も控えなければならない現状を思うと想像だに過酷な現状です。

介護施設に勤めていたので、知り合いのヘルパーさんに来てもらう手はずを整えてお弁当も宅配してもらっているようですが、心配は尽きません。

週に1,2回食べ物を届ける・・・玄関脇に置いて帰る、というのを繰り返すくらいしか手助けできないのが心苦しい。

病む友に好物あれこれみつくろひ玄関脇に置きて戻りぬ

その友人が闘病の中、北海道からのいただきもののアスパラガスのお裾分けをもって来てくれました。

まだ足元も覚束ないのに・・・なんと律儀・・・友の気持ち丸ごと感謝していただきました。

 

 

がん哲学外来

樋野興夫氏著『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』
 


メスも薬も使わず、3000人以上のがん患者と家族に生きる希望を与えたがん哲学外来創始者の心揺さぶる言葉の処方箋

1954年、島根生まれ。医学博士/順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授。一般社団法人がん哲学外来理事長。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、フォクスチェースがんセンター、癌研実験病理部長を経て現職。
2008年、提唱する「がん哲学外来」を開設。がんで不安を抱えた患者と家族に対話を通して支援する予約制・無料の個人面談を行っている。医療現場と患者の間にある「隙間」を埋める活動を続けている。著書に『いい覚悟で生きる』(


1954年島根生まれ

医学博士/順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授

2008年提唱する「がん哲学外来」を開設

 


「たった2時間の命にも役割がある」

「いい人生だったか、悪い人生だったかは、最後の5年間で決まる」

「大切なものはゴミ箱にある」

「病気になっても病人ではない」

――どんなに辛い境遇でも、困った時でも「よい言葉」を持つことでいまよりずっと楽に生きられる。3千人以上のがん患者、家族に生きる希望を与えた「がん哲学外来」創始者の言葉の処方箋

 

 

ドイツの神学者であり牧師であったマルチン・ルターの有名な言葉「たとえ世界の終末が明日であっても私は今日リンゴの樹を植える」を著者風にアレンジしているという本書のタイトルは人の生き方を示唆してとても深い言葉です。

 

本筋ではありませんが、上記のリンゴの樹の言葉は第二次世界大戦の最中ドイツ・ヘッセン教会の回状の中でマルチン・ルターが語った言葉として紹介されているそうですが、ルター研究家が調べたところルター自身が語った言葉ではないというのが今の新説だそう。

 

ただしルターの考え方生き方をよく反映している言葉なので、ルターに帰せられると位置付けられているそうです。

 

いずれにしても心に深く残る言葉。

 

 

本書は主にがん患者に向けて書かれたエッセイではありますが、社会という渦の中で出口が見つからず心が疲弊してしまっている人向けにもとても示唆のある作品であると思います。

 

とにかくわかりやすくあたたかい言葉が読み手の胸にストンと落ちてくるような内容。

2008年にたったひとりで始められた「がん哲学外来」はその後徐々に大きな広がりとなり、今ではほとんどの都道府県に置かれています。

 

検索してみたところ、当地でもキリスト教内に開かれていました。

本書では特に読書の大切さを記した箇所がいくつか見受けられます。

「よい師、よい友、よい読書ー人生の三大邂逅のうち、最後の最後に一人でできるのは読書です」

「私たちは言葉によって傷つき、言葉によって慰められます」

よい読書でよい言葉に出会い、その言葉こそが心の隙間に光を差してくれる

著者はいいます。

太陽の光や熱、空気や水のように、誰もが手に入れることのできるもの、無料、無償のものこそが真にいいものであり、本物であるという


誰でもできることこそが本物・・・功成り名を遂げるというのは本当はどうでも良いことなのであると。

 

名もなき市井の片隅にいる人でも悔いのないように日々を過ごし、自分に与えられた小さくても大切な役割を全うして、人生の最後の大仕事である死を迎える時に、周りの大切な人に対して自分の人生の総括を贈り物にするということであるという。

最後に著者がわたしたちに贈ってくださった言葉を挙げて終わりとします。

 

所詮私たちには座布団一枚分の墓場しか残らない。

 

あなたも私も最後はみな同じ場所に帰っていく。

野の花 (2)

石積みの塀の内にもはつ夏の光かげ)差しかがよふ黄の母子草


予定表がほとんど空白になってほぼ2か月。

運動不足解消にラジオ体操をしたり、近場を散歩しています。

5000歩を目指していますが、7000歩だったり3000歩だったり。

時には離れたスーパーの駐車場に車を置かせてもらって近くの遊歩道を歩いて帰りにそのスーパーで買い物をして帰ったりとか。

揃って意志薄弱夫婦の私たちはただ歩くという行為だけでは中々続かない。

先日も往復で6000歩のスーパーでのちょこっと買いを目指して家をスタート。

800歩ほど進んだところで予期しなかった雨粒がぼつりぼつりと5粒ほど落ちてきて・・・見上げれば急な曇天、本格的になっては困るので引きあげようとたちまち2人の意見は一致・・・いつもは意見が一致することなんてほとんどないのに。

安倍氏とトランプ氏のごとくすぐさま意見が完全に一致して引き返しました( ;∀;)

帰ってベランダに出てみても雨の気配なく・・・わずか1分ほどの雨粒だったような。

お天気にまで意志薄弱を嗤われているようでした。

 

 

さて本日はちょっと毛色の変わった評伝というかノンフィクション。

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梅若マドレーヌ氏著『レバノンから来た能楽師の妻』
 



 
祖国の内戦を逃れ来日した女子高校生が若き能楽師と出会う。結婚しコンピュータ・サイエンス研究の道を捨て、伝統芸能の世界に入る彼女を待ち受けていた試練とは。能の魅力を妻兼マネージャーとして国内外に発信し再び世界を駆け巡り、子育てや母を呼び寄せての介護に奔走する。自分の道を切り拓いたある女性の記録







著者について

1
1958年
レバノン、ベイルート生まれ

英国レディング大学でコンピュータ・サイエンスを学び、優等の成績で理学士の学位を取得

大阪大学大学院情報工学科入学中退、その後、東京大学大学院情報科学研究科(研究生)で研究を続ける

日本や世界各地で新作も含んだ能の舞台公演のプロデュースにかかわり、能の普及につとめる

レバノン国内の活発な芸術文化活動を取り上げたドキュメンタリー映画『明日になれば』ではプロデューサーを務め、同作品は2015年にレバノン文化省より文化推進功労賞を贈られた(「BOOK著者紹介情報」より)

 



生き方指南の師であり、読書友でもある銭ママが少し前に断捨離の一環ということでどっさり送ってくださった中の一冊。

 

元は銭パパとブログを通してのお付き合いから始まった交友も、今では銭ママとの密度の濃いお付き合いに明け暮れています。

 

なんでもかかってこい!というような銭ママの受け口の大らかな広さやオープンマインド、取るに足らない些事はもろともせず跳ね返す強さなどに惹かれて周りには自然に人が集まってくるというお人柄。

 

いわば銭ママ塾。

 

ほぼ毎日lineであーでもないこーでもないとおもしろいことやグチを言い合ってストレス解消しています。

 

わたしの年齢をかなり超えていらっしゃる銭ママの頭の中がいかにフレッシュで機知に富んでいるかを物語るものを一つご紹介しておきますね。

銭ママ

知り合いの高校一年生のボーイフレンド用に作ったそうです。

 

 

さて横道に逸れてしまいましたが、本書の著者も銭ママに負けず劣らないエネルギーの持ち主。

内戦激化の一年後に18歳でベイルートを脱出して芦屋の姉の所に移り、神戸のインターナショナルスクールに通って梅若猶彦と知り合うが、2年で中退してレバノンに帰国イエズス会の高校の3か月コースで数学を学び、イギリスのレディング大学に特例で入学。

ここでトルコ人ボーイフレンドと付き合うも信仰の違いのため結婚に至らず。

レディング大学は卒業するも、大学院は別の所に行きたくなり、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学に入学。

途中で治安のいい所に引っ越すも、ロサンゼルスが好きになれずにベイルートに戻って就職。

内戦で会社が閉鎖され、日本に戻って阪大の大学院に入学して、コンピュータ・サイエンスを学び、大阪外大で日本語の勉強も始めるが、東京に住んでいた梅若猶彦と再会プロポーズされて能楽師の妻となります

その後東大に移って勉強を続けますが、結婚後2か月で妊娠が判明

ざっとここまで書いた履歴だけでもなんとエネルギッシュな人生の選択だろう!と驚いてしまう。

「足踏み」、「躊躇」、「後悔」、「引き返し」などという言葉は著者の辞書にはないという感じ。

人生を自らの強い意思で切り開くという文言がぴったり。

それは、わたしが根っからの「闘士」だからです。

わたしの進む道は誰にも邪魔させたりはしません

プロローグ

1 レバノンとの別れ

第2章 能との出会い

第3章 梅若家の子育て

第4章 能と世界をつなぐ

エピローグ

15年に及ぶレバノン内戦や、自爆テロなど危険なイメージのあるレバノン。

わたしにはほとんどなじみがない国、反政府抗議デモとそれに伴う経済の悪化、そして宗教の違いが根っこにある内戦などの記事でしか知りませんが、一躍身近になったのはカルロス・ゴーン氏によって。
カルロス・ゴーン氏逃亡先でも有名になったベイルートは比較的安全な都市らしいですが、シリア国境付近、イスラエルとの国境が近い南部などは、危険度が非常に高いそうです。

本書ではそのレバノンの情勢や宗教の違いにも触れていて異国への興味も刺激されます。

これほどの異文化圏、しかも日本においても能という特殊な環境での結婚出産というマドレーヌ氏の苦難はある程度想像できますが、本書を読むと想像以上の大きな壁に立ち向かう様子が描かれていて、まさに彼女の果敢なエネルギーあればこそと思うばかり。

しかもただ果敢で勇敢なだけではない、異文化圏に溶け込むための忍耐強さや思慮深さ、許容量の大きさ、そして夫に対する深い愛。

どれが欠けてもこれだけのことを成し遂げることはできなかっただろうと思うとただ感嘆します。

夫婦ともども力を合わせて伝統芸能の新境地を切り開いていく物語として読んでも読みごたえがあります。

興味ある方、どうぞ。 

ミャンマー軍の弾圧を逃れたイスラム系少数民族ロヒンギャのおよそ100万人が暮らすバングラデシュ南東部の難民キャンプで、ロヒンギャ男性1人が新型コロナウイルス検査で陽性と診断されたそうです。

ロヒンギャの難民キャンプは帆布や竹などで作った簡素な小屋形式のもので、過密状態のうえ、小屋のあいだの路地には下水があふれているという。

衛生状態も最悪な環境の中での感染。

WHOによると難民キャンプ内の医療施設で治療を受けているそうですが、どうぞ広がりませんように。

最も厳しいロックダウンを実施しているというインドでも連日約1500人の感染者が出ているそうです。


ウイルス自体は人を選びませんが、やはり衛生状態などのよくない人々への広がりや重篤化が避けられないということで、やはり社会的な格差を見せつけられる思いです。

 


そしてこのところ怒りがおさまらない事柄。

 

書くのを控えていましたが、どうにも憤りが収束しない・・。


この国の緊急事態宣言云々の非常時に火事場泥棒のごとく検察庁法改正の審議を挟みこんできた与党の厚顔。

 

紅顔〉が〈厚顔〉となる歳月にべにいろうすくなりゆくさくら

 

 

野党の猛反発を受け、与党は委員会での採決を泣く泣く見送りましたが、まだ持ち越しの段階。

 

これには日ごろ政治には疎く関心をもたなかった若いタレントの方々も素早く反応、著名人のみならず、日弁連や検察OBからも反対声明があげられている現状、当の黒川氏の心情やいかに??

 

昨日の朝日新聞の「耕論」でジャーナリストの江川紹子さんがその黒川氏の人となりについて言及していらっしゃったのが目を引きました。

 

氏は民主党政権時代も高く評価されていたという。

 

たぶん安倍政権にべったり、というのとは少し違って、おそらく上司にとことん仕える能史だろう、と結んでいました。

 

百歩譲っていつの時代にもいる忠実な執事のような人だとしてもそれが検察庁という独立した機関に所属する人となれば、仕える人に忠実というのはいかがなものか。

 

忖度なしの公正な判断あってこその検察という独立した立ち位置を国民にぜひとも示してほしいです。

 

 

 

君と選ぶ道

さて本日は
ニコラス・スパークス氏著『きみと選ぶ道』のレビューです。  


人は幾度となく人生の岐路に立ち、そのたびに選択を迫られる。もし真実の愛を貫くための、人生最大の決断の時が訪れたら…?米国No.1恋愛小説家が贈る究極のラブストーリー『きみに読む物語』の著者が描く、愛の奇蹟


本書も読書仲間の
UNIさんが送ってくださったお勧め本。


恋愛小説の名手といわれているのが頷ける作品。


ニコラススパークス
の本は『きみに読む物語』以外読んでいませんが、映画はいくつか

甘く切なくそして穏やかなラストを迎える内容は映画化にぴったりで、氏の多くの作品が映画化されています。

ケビン・コスナーとロビン・ライト・ペン主演の『メッセージ・イン・ボトル』もそのひとつ。

本書も『きみがくれた物語』と改題して2016年に公開されたそうですが、また機会があれば観てみたいと思います。


さて本書について・・・

発売と同時に全米でベストセラーとなり、2007年世界で最も売れた恋愛小説 (累計200万部超)となったそうです

等身大の恋のドラマがテンポよく展開する前半から一転して、後半では夫婦となった二人に待ち受ける過酷な現実を前に、人生でもっとも重い決断を迫られる主人公の苦悩を情感豊かに描き、心ゆさぶられる一作である。

偶然住まいが隣同士となったトラヴィスとギャビー。

あるきっかけの出会いからのテンポは軽妙で、典型的な恋の始まりを予感させるもの。

そういった男女の微妙な心象風景の描き方は巧みで、間に挟む出来事も新鮮かつ巧妙、というのがスパークスのスパークスたる所以といえます。

わたしのようなシニアには何と見え透いた、と思えるような恋の駆け引きもあるなか、乗り越えなければならないハードルを今回は女性側に与えているのもなかなかのもの。

人は幾度となく人生の岐路に立ち、そのたびに選択を迫られる。
もし真実の愛を貫くための、人生最大の決断の時が訪れたら......?


一変した出来事の前に、「真実の愛のために人はどこまでできるのか」
と何度も自問するトラヴィス。
選択肢は白か黒か、二つしかない。
トラヴィスには人生でもっとも重い、究極の選択が求められていた。

ただタイトルから導かれるような「選ぶ」に相当する岐路がこれだろうか、という疑問は持ちました。



幸せに満ちた第一部から反転して第二部での状況は確かに人生の危機といわれるようなものですが、それが二つの選択肢のうちどちらにするか迷うようなものなのか。

トラヴィスにしてみれば当然選択であろうと思われる個所、葛藤を導くような選択というのがちょっと違和感を覚えてしまいました。

物語を表題のごとくドラマティック仕立てにする技巧のように思えたのはへそ曲がりのゆえでしょうか。

内容はまったく違いますが、ずっと以前読んだ『マディソン郡の橋』をちょっと思い出しながら・・・ひさしぶりの甘めの恋愛小説でした。

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