VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2020年10月

秋空

信号を待つ束の間をストレッチ台風一過秋天高し



ペペことムヒカ元ウルグアイ大統領が政界引退を発表されましたね。

 

85歳。

 

若いころ都市型極左武装ゲリラの創設メンバーだったペペ。

 

逮捕や拷問、13年間の獄中生活も経験されたが、大統領になってからの言動一致の自然と共存した清貧の暮らしぶりやその温かい人柄が全世界の人々の心を掴んでいました。

 

憎しみは愛のような炎だ。

愛は創造的だが、憎しみは我々を滅ぼす。

私の庭では、もう何十年も憎しみは育てていない。

 

貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、

無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ

 

若者たちに伝えたい。

人生の勝利とは、金を稼ぐことではない。

倒れても、何度も立ち上がりやり直すことだ。

 

ペペ、ありがとう、とつい語りかけたくなるような大きな愛を感じさせる包容力豊かな笑顔。

 

ご夫妻、そして愛犬のマヌエラとともにお元気で末永くお幸せでいてほしい。

 

 

オムライス
田辺聖子氏著『オムライスはお好き?』
 


窓際族とさげすまれ、女房、子供にいびられる中年男は卵料理に生きがいを見いだした。

シブチンでええ格好しいの妻、親爺を煙たがる子供らに囲まれて、孤独で寡黙なお父さんの胸の中の呟きが、おかしくて哀しい表題作。

やっと建てたマイホームを女房一族に占領され、挙句の果てに転勤命令。

愛家家の悲哀を描く「かたつむり」他、男権弱化の世の中で夕暮れを迎えた男女の甘くも苦い極めつきの7編

 


こんなコロナ禍の閉そく感のただ中で読むにはもってこいの作品。

 

四十代の少々くたびれた中年男のちょっとしたため息まじりの心の内を描いた7篇の物語。

 

何度読んでも、あるある悲哀の中にほのぼのも感じさせて一服のほうじ茶のような雰囲気。

 

駆け引き巧みなOLを描いても、はたまたちょっと生活と仕事に疲れた中年男を描いてもおせいさん色が冴えています。

 

現実にOL時代が長かったというその貴重な経験を通しての観察眼の鋭さには舌を巻いてしまう。

 

男たちの悲哀はもちろん現代にも通用する内容ですが、やはり今に置き換えると十年ほどプラスして読むといいかもしれません。

 

四十代が主のサラリーマンが主人公ですが、長寿年齢が伸びた今、プラスして五十代と考えるとぴったりくるような。

 

家族や仕事などたくさんの重荷を背負った男たちの丸まった背中にただよう哀愁、そしてそのため息の中にあるユーモア。

 

登場人物の間で交わされる大阪弁の間合いも絶妙。

 

古い作品ですが癒しにどうぞ。

十月桜

さ別れの日は遠からじ道の辺の十月桜のうすきももいろ


 

国連で3年前に採択された「核兵器禁止条約」。

 

批准を終えた国や地域が既定の50に達したというグッドニュース!

 

来年1月22日には発効となるそう。

 

やっとここまで・・・という喜びとともの日本のことを考えると複雑な気持ちになる。

 

条約の前文には広島・長崎の被爆者に寄り添った文言に続いて、あらゆる核兵器の使用は「人道の諸原則及び公共の良心にも反する」と断じています。

 

グテーレス国連事務総長が語る「世界的な運動の集大成」と位置づけるこの条約に唯一の被爆国・日本が加わらないという・・・あり得ないこと。

 

核兵器禁止条約交渉の日本の空席に折鶴の(もだ)



抑止力というけれど、すべての国が核を持たなければ抑止力もなにもないという単純明快な結論に立ち返ってほしい・・・人間が作ったものに人間が滅ぼされるというあまりにも愚かな結果を想像して、一日も早く全世界が共に核を廃絶して平和を目指すというシンプルな道を選択してほしいと願うばかりです。 

 

陶然と那智滝ながめ「戦争」が死語となる日を夢見てゐたり

(梧桐)

 

 

影裏

さて本日は
沼田真佑氏著『影裏』のご紹介です。 

大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。交差する追憶と現実。

157回芥川賞受賞(「BOOK」データベースより)


著者について

1978年北海道生まれ、岩手県盛岡市在住

2017年レビュー作『影裏』で123文學界新人賞&157回芥川賞受賞。


2020年2月には大友啓史監督のもと、綾野剛&松田龍平のダブル主演で映画化もされたようです。

なんの先入観もなく読み始めて・・・


思わぬ深みのある作品だったので珍しく直後に
2度読みしてしまった。


勢いよく夏草の茂る川沿いの小道。

一歩踏み出すごとに尖った葉先がはね返してくる・・・

しばらく行くとその道がひらけた。

行く手の藪の暗がりに、水楢の灰色がかった樹肌が見える。


のっけから自然豊かな岩手の生田川沿いの風景が描写が続き、それが平易とはいえない技巧を感じさせる文章、生い茂った草木の間から川の煌めきが迫ってくるよう。


あらすじを要約すると、東京本社から盛岡の関連会社に出向となった主人公
・今野と、その職場で同僚となった同い年の日浅というふたりの男の交流と別れを描いた中篇小説。


一読すると釣りの雑誌に掲載されるような渓流釣りの体験記と見紛ってしまうかもしれないような作品。


ふたりの共通の趣味である酒と渓流釣りを軸に、地方の人工的な手の入っていない景色やふたりの間で交わされる会話、そして主人公・今野の視線を通して輪郭が浮きぼりにされる日浅。


ところどころに見逃すような小さな文言がさりげなく置かれていて、それが主人公の生き方に大きな影響を与えているものだったのか、と本を閉じたあとに気づく。


人間の心の内面や現代社会が抱えるテーマを巧みに取り入れた

“純文学の傑作”との呼び声が高


それが一部のこの感想を引き当てているのかもしれない。


ひとつの大きな主題になりがちな事柄を何気ない文章の間に埋もれさせるように置いて、手繰り寄せることができない読者には単なる友情物語として、手繰り寄せた読者には特別な関係性の物語として読むよう示唆しているような・・・


手練れといっても過言でない新人作家さん。


ラスト近くには東日本大震災を登場させて、そこから一気に日浅の陰の部分が詳らかになっていく・・・。


内包するものをあえて軸にすることなく小道具のように片隅に置いた物語の作り方を評価するかどうかがレビューの
★の数の多い少ないの分かれ目のような作品。


わたしはかなり高評価でありました。

ホテルのアートフラワー

寄付、カンパ、募金、浄財。

いろいろな呼び名があります。

字面でみれば〈カンパ〉と〈募金〉は市井で暮らす庶民のわたしが気軽にできる少額の印象があるけれど、〈寄付〉になると少し額が大きそうで手に負えない感じ・・・わたしだけの感じ方かな。

わたしも夫も平均的な庶民ですが、災害などで困っている人々へのカンパはよくする方かな。

するといってもほんの少額。

以前カンパの話になったとき・・・「そんなに余裕があるのだったら私にカンパして」と言った人がいました。

余裕があるからするっていうのとは少し違う気がしますが、要するに自己満足の部分が大いにあることは否めません。

今日ご紹介する作品にあった一文。

以前「折々のことば」で鷲田清一氏も紹介されていました。

これぐらいの遊びができる程度には、貧乏も小康状態を保っていますので御安心ください。
(「のぞきの為五郎」)

本書の著者・本田靖春氏の呑み友達の為五郎。

新宿で「夜」の公園を仕切る男。

敗戦で友も家も生まれ故郷も失い朝鮮半島から引き揚げてきた植民者二世同士ということで妙に気が合ったという。

本田が病に伏して働けない時、生計の楽でない為さんが上記の手紙とともにコメを10キロ送ってくれたという逸話。

「これくらいの遊び」とはなんて心憎い言葉・・・しみじみあたたかい。

「これくらいの遊び」はこれからも細々と続けていきたいと思うのです。

 

複眼で見よ

本田靖春氏著『複眼で見よ』
 

ジャーナリズム・メディア論、“戦後”日本人論、ルポルタージュ作品など、弛緩する現代日本を屈強な筆致で突き刺す、権力と差別と慣例に抗い続けた孤高のジャーナリストが遺した視座。
今こそ読むべき、「戦後」を代表するジャーナリストの眼識(「BOOK」データベースより)

 


著者について

1933年旧朝鮮・京城生
1955年読売新聞社に入社
1971年退社しフリーのノンフィクション作家に転ずる
1977年『誘拐』
1978年『私戦』
1984年『不当逮捕』で第6回講談社ノンフィクション賞受賞
2004年死亡


骨太のジャーナリストとして名を馳せた著者も晩年は糖尿病のため両足切断などに見舞われ決して幸せな晩年ではなかったよう。

2000年から「月刊現代」で『我、拗ね者として生涯を閉ずの連載を開始、46回で中断したという。


本書は
単行本に未収録の作品一冊にまとめたエッセイ集。

第一章持続する怒りを − 拗ね者のジャーナリズム精神
第二章 植民者二世の目で − 根なし草のまなざし
第三章 「戦後」を穿つ − 単行本未収録ルポルタージュ

ノンフィクションが好きなわたしはさまざまな分野のノンフィクションを手に取りますが、ノンフィクション作家のなかでは群を抜いて骨太な書き手という印象。


今活躍されているノンフィクション作家で思い当たるのは後藤正治氏くらいでしょうか。


後藤氏は
2018年に拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』を上梓していらっしゃるのでまた機会があれば読んでみたい一冊。


本書に戻って、ジャーナリズムの原点としての志を失って骨抜きになった現状に警鐘を鳴らし、吠えている著者。

弱きものへのまなざし。

まっとうな正義感。


本書を通して感じるのはわたしたちが求めるジャーナリストとしての矜持。


六ケ所村や沖縄返還に関するルポルタージュや、中身より視聴率に拘るテレビ業界への切り込みなどは今読んでも新しい。


タイトルの「複眼」でものを見るということ・・・


学校の勉強や社会での経験によって後発的、意図的に身に着けるとうのはとても難しいのではないでしょうか。


なぜなら、複眼的にものを見るというのはもっと根源的なこと、人間の生き方のスタンスに繋がっているように思えるからです。


生まれ持った資質の上に多角的に見つめながら過ごしたさまざまな経験が積み上げられて初めて複眼的視野を得ることができる・・・というような。


政治家や企業のトップ、ひいてはすべての人が複眼的にものが見られたらもっと過ごしやすい世の中になるのではないか・・などと思いながら読み進んで・・・


読売新聞社の社会部の記者だった経験を通して指摘されている政治部記者に関する文言もするどくて溜飲が下がる思い。


政治家の懐に入ることでスクープをものにする政治部記者。


入り込みすぎて政治家の代弁者に成り下がっていることに言及。


現在さまざまなテレビ局にコメンテーターとしてお呼びがかかる元政治記者
T氏を思わず思い浮かべてしまいました(-.-)

 

風に押されし雲の流れの速きかな強きにおもねて時は流るる


いいも悪いもジャーナリストというのはつくづく覚悟のいる職業だと思う。

 

権力と差別に抗い続けた著者の眼差しが今のこの社会にあってほしいと思える一冊、ぜひどうぞ。

コキア

明日あるを疑はざりし若き日の幻想のごときコキアくれなゐ


若いころはほとんど縁のなかった病院。

 

今では3ヵ月に一度のローテーションで通っている総合病院の膠原病内科と大学病院の予防歯科、そしてインフルエンザなどのワクチン接種や風邪などのとき駆けこむ開業医。


もうすぐインフルエンザワクチン接種に行く予定。

 

なるべく行きたくないところだけどそうもいかないお年頃。

 

数時間待ちの3分診療などと言われて久しいけれど、そんなことはない、特に開業医は家族構成から趣味まで把握しておられてそれなりに会話はあります。

 

医師側からみると毎日毎日患者側からの、これでもかという訴えにうんざりするのもわかる気がする。

 

そんな気持ちを先取りしてわたし自身は自分の症状をあまりに事細かに言いすぎるのがいやなのでなるべく手短に、というのは心掛けてはいるつもりです。。。

 

大きな病院になると、方針なのかどうか、スタッフの方々が患者に対して不自然なほどの丁寧語を使うのにとても違和感があったりします。

 

例えば「患者様」「〇〇様」という呼びかけ。

 

わたしがへそ曲がりかもしれないけど、これがとてもいや。

 

丁寧語の中に潜む慇懃無礼をつい感じてしまう。

 

病院でも独立採算制が導入されて効率のよい患者受け入れに四苦八苦しているのはよく耳にしますが、表面上の言葉をどのように丁寧にしても・・・ね。

 

今回ご紹介する作品を通してそんなことを思ったのでした。

 

 

ディアペイシェント

南杏子氏著『ディア・ペイシェント』

 

病院を「サービス業」と捉え、「患者様プライオリティー」を唱える佐々井記念病院の常勤内科医になって半年の千晶。

午前中だけで50人の患者の診察に加え、会議、夜勤などに追われる息もつけない日々だった。

そんな千晶の前に、執拗に嫌がらせを繰り返す“モンスター・ペイシェント"座間が現れた。

患者の気持ちに寄り添う医師でありたいと思う一方、座間をはじめ様々な患者たちのクレームに疲弊していく千晶の心の拠り所は先輩医師の陽子。

しかし彼女は、大きな医療訴訟を抱えていた。

失敗しようと思って医療行為をする医師はひとりもいない。

しかし、医師と患者が解りあうことはこんなにも難しいのか――。
座間の行為がエスカレートする中、千晶は悩み苦しむ。
現役医師が、現代日本の医療界の現実を抉りながら、一人の医師の成長を綴る、感涙長篇(「BOOK」データベースより)

 

前作『サイレント・ブレス』がしみじみよかったので手に取った作品。

 

著者の本業が医師ということで、本書も徹底的に医師の立場から描かれています。

 

「ディア・ペイシェント」

 

「親愛なる患者さま」

 

この「ディア」を痛烈な皮肉ととるか、医師としての真摯に向き合う相手ととるか、はそれぞれの読み手によって違うとは思いますが、ここではひとりのクレーマー患者の存在によって心身共に疲弊するものの医療の真のあり方を見つめるひとりの医師の姿が描かれているので後者と受け取りたい・・・と思うのがささやかな患者側からの願望。

 

地域の総合病院に勤務する内科医・真野千晶。

 

千晶を通して現代の病院の過酷な勤務実態や患者との関係、病院という名の企業の経営努力など、さまざまな問題点が浮き彫りになっています。

 

わたしは観ていませんが、先刻ドラマ化もされたよう。

 

現在のコロナ禍の中で医療現場の過酷な状況が連日の報道で顕わになっていますが、本書もまさにそんな医療現場に焦点を当てています。

 

小説ゆえに多少のオーバーな表現はあるものの、経営を軸に考えるとき、サービス業の最たるものである病院。

 

今では患者がネットその他で病気や病院の知識を得て受診する時代、責任感や使命感だけでは患者との交流もままならなくなっているのが実情。

 

訴訟問題も避けては通れなくなり、どんどん追い込まれて果ては自殺してしまう先輩医師の姿も克明に描かれていて胸を衝かれます。

 

治すための医療だけではなく、幸せに生きるための医療を考えてきた。

 

死を納得するのは時間がかかるから、無理しないでいい。


その死が運命だったと気づくと、自分が少し楽になれる

 

医師は誠実に患者を癒し続ける人でありなさい

 

 

故郷の片隅で長く地域医療に携わってきた千晶の父の言葉が一滴の甘露となって疲弊した千晶の心にもわたしたちの心にも沁み込んできました。

 

よかったらどうぞ!

かなしみの病床でも

よろこびの花畑でも

こぼれ落ちたところがふるさと

 

ハンセン病のため生涯を隔離施設で過ごされた志樹逸馬氏の詩の一篇。

 

自らにそう言いきかせないと生きていかれなかった哀しみが胸を衝きます。

 

社会のひずみに埋もれて理不尽な差別を受け続けなければならなかった人生。

 

そのような理不尽な生を生きている人々や、耐えかねて自ら命を絶った人がこの世にはたくさんいると思うととても対岸の火事とは思えない。

 

森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざんを上司に命じられ従わざるを得なかった財務省近畿財務局の赤木俊夫さんもそのおひとり。

 

妻・雅子さんが夫の自死の原因となった真相解明をめざして国を相手に起こした裁判が話題になっています。

 

弔問に訪れた元上司の改ざんを認める音声データを流したニュースをみてやり場がない憤りを感じてしまう・・・わたしたちでさえこのような気持ちになるのだから当事者の苦しみはどんなだろう。。。

 

雅子さんが立ち上げられたオンライン署名サイトを見つけて署名したけど・・

関係者の方々に良心を取り戻してほしいと祈るばかりです。

 

 

さて本日アップする作品は過去に再読を重ねた作品。

 

 

いのちの初夜

北條民雄氏著『いのちの初夜』
 

 

二十四歳で生涯を終えた著者は、生前苦悩の彷徨を虚無へ沈めず、絶望によりむしろ強められた健康な精神を文学の上に遺した。

独英訳など海外にも知られ、強い感動を与えている

著者について

1914年朝鮮の首都京城生まれ徳島県に育つ
1932年に結婚するもハンセン病を発病して破婚
1934年東京都東村山市の全生園に入院後、創作を開始し川端康成氏に師事
1936年『いのちの初夜』で第2回文學界賞受賞&第3回芥川賞候補
1937年腸結核のため23歳で夭折
他に『癩家族』『癩院受胎』など


現在では病原菌の解明も行われ、有効な治療方法確立されて久しいハンセン病

 

不治の病とされていた昭和初期に20歳で発病した著者の心の慟哭ともいえる自伝的小説。

当時は死刑宣告にも等しいらい病という診断を受けた主人公が、ある日を境に過去の自分や家族をすべて捨て、らい患者として収容施設で生涯を過ごさなければならないという絶望的な体験の中で生と死を見つめ、その先にひとすじの光を見出そうとする内容

魂の叫びともいえるこの作品は川端康成氏の称賛と激励を受け、昭和11年「文学界」に公表、大反響を呼び文学界賞を受賞したという経緯があります

らい患者の悲惨な実態を描きながら、作品全体に煌めきが感じられる、そこがこの作品が長い間多くの読者を惹きつけてきた魅力ではないでしょうか。

「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言葉を返上したくなる、そんな作品です。

明治40年に制定され、隔離政策を柱にした「らい予防法」も、多剤併用療法でハンセン病が完治できるようになったことで1996年に廃止されました。

現在の日本ではハンセン病は完治できる病気として認められていますが、世界的にみると経済力の乏しい地域ではまだ多くの患者がいて大変な思いをしているようです。

余談ですが、昨年アフガンのジャラーラーバードにおいて銃撃に斃れられた中村哲氏もペシャワールで20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に携わっていらっしゃいました。



本書
の舞台は東京の全生園でしたが、岡山の長島愛生園が舞台になった「小島の春」はハンセン病患者救済に尽くした医師小川正子氏の患者救済の体験を記した手記昭和15年に映画化されて有名になったようです。

当時の患者の置かれた悲惨な状態に胸がつぶれると同時に、小川医師たちの献身に頭が下がる思いを抱いた作品でした。

 

1930年に日本初の国立療養所として発足した当地の長嶋愛生園。

 

瀬戸内海に面する孤島が隔離にもってこいという理由で選ばれたようです。

長嶋愛生園

 

牡蠣筏しづかに浮かぶ瀬戸内の凪ぎたる海に長島の見ゆ


いまから
30年ほど前対岸と島を結ぶ「邑久長島大橋」が架かって60年もにわたる隔離状態から開放されたのでした。

 

人々はこの大橋を「希望の橋」と呼んでいまも渡り合っています。

生きることを放棄しても、なおそこには「生命だけ」の生が燦然として続くという事実。

戦後文学が描いたさまざまな極限状況でも見ることのなかった、もう一つの極限状態、人間の真実。

それは高齢化社会の現実でもある。

夭折の作家が生きる意味を問う。(データベースより)

11コスモス222

いちめんにコスモスの咲く吉備の丘に〈霜降〉近き風の音を聴く

最近よく見かける
GAFAという言葉。

Google,Apple,Facebook,Amazonのそれぞれの頭文字を採った略語だそう。

 

ネット社会を席巻するというか世界中、果ては宇宙にまで張り巡らせたネットワークのすごさ。

わたしのように小さな島国の、地方の片隅にいてもそれを実感する日々。

卑近な例でいえば・・・

わたしはよくネットショッピングをするのですが、amazonで本を買うと必ず同じような傾向の本を勧めてくる。

最近生まれた孫のためベビー服を探しているといつの間にか赤ちゃん用の服のサイトが貼りついている。

ここのところのわたしのもっとも癒されるのは仔犬や仔猫など動物の動画を観ることなのですが、それを察してか、パソコンもipadもiphoneもすべてさまざまな動物の動画で溢れるようになってしまった・・・。

それをいいことに果てしなくわんにゃん動画をみつづけているわたしもナンなんですけど(-.-)

ということでわたしのパソコンやiphoneには犬猫ばかりかウサギやオウムまで飛び跳ねています。

さて本日は飛び切りの感動作を。 

ノースライト

横山秀夫氏著『ノースライト』
 

一級建築士の青瀬は、信濃追分へ車を走らせていた。

望まれて設計した新築の家。

施主の一家も、新しい自宅を前に、あんなに喜んでいたのに…。

Y邸は無人だった。

そこに越してきたはずの家族の姿はなく、電話機以外に家具もない。

ただ一つ、浅間山を望むように置かれた「タウトの椅子」を除けば…。

このY邸でいったい何が起きたのか?

表紙には北からのひかりの中に置かれた一脚の椅子。

あとはなにもない・・・。

横山秀夫氏・・・前作の『64』から6年という月日を経ての作品。

寡作の作家さんなので次の作を今か今かと待っている大好きな作家さんの一人。

すべての作品を読んでいますが、中でもいちばん好きなのは御巣鷹の日航機墜落事故に材を置いた『クライマーズ・ハイ』。

群馬の上毛新聞の警察回り記者として12年の経歴を持つ著者

 

その作品の多くは経験を生かした警察モノ・・・いままでテレビ化された作品も多く、テレビで知った方も多いかと思う。

 

本書はそんな著者の新境地とも見紛う作品。

 

わたしにとっては『クライマーズ・ハイ』を上回る著者の最高傑作と位置付けたいほどの重量感のある、そして深度のある作品でした。

 


わたしの読書はほとんどベッドで寝る前に読むだけというものですが、読了後しばらく呆然、そして静かな興奮の波が来て・・・寝つけませんでした。


「横山ミステリー史上最も美しい謎」


帯にあるキャッチコピーですが、この作品を「ミステリー」の枠にはめていいのか?

 

重ねて言うと・・・

 

純文学と大衆文学との境目ってなんだろう?

 

そんなことを思わせる作品でした。

 


ひとりの建築家の再生物語といったらいいか・・・語彙の乏しいわたしには適切な言葉が見当らないのがまどろっこしいばかり。

 

建築の世界にはまったく疎いのでそのサイドからの切り込みもレビューも記すことはできないのが残念ですが、本書の表紙にある古ぼけた椅子と西日。

 

これがこの物語の核となるもの。

 


住まいを選ぶとき、もっとも重視するのは南からの採光・・・少なくともわたしや夫はそれを重点に今までいくつかの住まいを選んできました。

 

しかし視点を180度転回してみると、南から射す直接的な光と違って北から射す光はかぎりなくやさしい。

 

南のガラス窓を通してみる樹々は逆光となるけれど、西からは順光。

 

まるでオセロの石の裏表のような・・・わたしたちの歩む人生の光と影のような、そんな示唆さえ感じてしまう。


この古びた椅子に由来するブルーノ・タウトというドイツ生まれの建築家の数奇な半生と並行するように、ダム屋の父とともに全国の山間を渡り歩いた主人公の貧しくも豊かな少年時代をリンクさせて物語に奥深さと厚みと余情を編み込んでいます。

つくづくうまい作家さん。

長じて一級建築士となった主人公。

その後の人生も紆余曲折があり、建築家としての苦しみもたっぷり描かれている。

そして全うできなかった家族との長い年月の蓄積も。

そんなやるせなさをすべて包んで、、それでも建築家としての矜持を以って前に進む・・・前途にいくつもの光を予感させるラストになっています。

今回は具体的なあらすじは控えます。

ぜひ手に取って読んでいただければと思う今年No.1の作品・・・わたし的にはですけど。

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