毎週土曜日、楽しみにしている新聞掲載の小池真理子氏のエッセイ。


藤田
宜永氏が亡くなられてからスタートしたこのエッセイも32回目。

あっという間に季節も一巡、積もった雪が甘いパウダーシュガーをまぶした
巨大なケーキのよう、と表現されている軽井沢の森に独りぽつんと
いらっしゃる姿を思い浮かべると胸を衝きます。

特にわたしの心に響いた今回のエッセイ。

年齢も環境も大きな違いがあるのにあまりにも自分自身の幼いころからの
生き方をなぞっているようで驚いてしまいました。

私は悲観的な子どもだった。

ものごとに感じやすく、身体が虚弱だったせいもある。

できるだけ冷静に最悪の事態を想定しておけば、万一の場合でも傷を最小限に抑えることができる。

やっぱりね、と思えるか、ただ驚いて絶望して慌てふためくか、
そのどちらに転ぶかで、後の人生は大きく変わる。

そういうことを幼いなりに感じとり、生きていくための指針にしていた。

ある種の自己防衛だったと思う。

思い返せば自分も幼い頃より今に至るまで同じような傾向をスタンスに生きてきた・・・

最悪の事態を想定しておくということでこれから起こるかもしれない

最悪なことに対する慣らし保険を掛けてゆくような。

 

「いま」「ここ」を大切に生きる・・・
理性ではいつも自分自身に言い聞かせながら、
つい生来の性格が頭をもたげてしまう・・・という繰り返し。

 

小池氏のエッセイには続きがあります。

 

ご夫君がいきなり肺がんの末期と宣告されたとき、

その自己防衛が生かされたといいます。

 

ほうらね、やっぱり、なるようになっちゃったね、仕方ないね、という感覚。

 

それは、不思議なことに、ぎりぎりのところで私たちを救った・・・

 

それでも必死になって祈った。

 

祈りは必ず天に届く、と素直に信じることができない天の邪鬼な私も、

祈ることをやめられなかった。

 

烈しく悲観しながらも、あるかなきかの希望にとりすがった・・・

 

平凡を絵に描いたようなと人には思われるかもしれない自分の人生でも

過去に2度真剣に祈ったことがあります。

 

そこまで真剣でなくても祈るという行為はわたしの日常に

密かに根づいています・・・

それは感謝の報告だったり、揺れるこころを鎮める

メディケーション的なものだったり。

 

つい最近も親友のガンの細胞診が出るまでの数日間、気がつけば祈っていた・・・。


うす
闇にクリスマスローズがうなだれてミレーの描きし農夫の祈り

  

無宗教のわたしは全能といわれる神の存在をこれっぽっちも信じていないのに

祈るという行為をしている自分がとても恥知らずのような、、

そんな感覚を覚えながら・・・。

 

頭の片隅では祈りが受け入れられることはないとわかっているのに。

 

小池氏のこのエッセイを読みながら、祈るという行為への対象は神のみにあらず、
その人のこころにあるのだ、ということを思ったのでした。

 

 


マジカルグラン間
柚木麻子氏著『マジカルグランマ』
 

 
女優になったが結婚してすぐに引退し、主婦となった正子。
夫とは同じ敷地内の別々の場所で暮らし、もう4年ほど口を利いていない。
ところが、75歳を目前に再デビューを果たし、「日本のおばあちゃんの顔」となる。
しかし、夫の突然の死によって仮面夫婦であることが世間にバレ、一気に国民は正子に背を向ける。
さらに夫には2000万の借金があり、家を売ろうにも解体には1000万の費用がかかると判明、様々な事情を抱えた仲間と共に、メルカリで家の不用品を売り、自宅をお化け屋敷のテーマパークにすることを考えつくが―。
「理想のおばあちゃん」から脱皮した、したたかに生きる正子の姿を痛快に描き切る極上エンターテインメント!(「BOOK」データベースより)

若い頃は売れない端役だった75歳の正子。

見染められて結婚した映画監督の夫とは紆余曲折を経て敷地内別居

長く会話もないお金もない生活を送っていた正子が尊敬する先輩の大女優の忠告を受け入れて、
脇役専門の事務所のオーディションを受け勝ち取った「ちえこばあちゃん」として再デビュー

またたく間にお茶の間の人気者となった直後、敷地内別居の夫の孤独死によって
世間から大バッシングを受け、あっという間に後ろ指を指される存在になった正子。

しかしそこからが強靭なシニアの底力を発揮してなりふり構わぬ貪欲ぶりで
周囲を巻き込んで前進していきます。

タイトルの「マジカルグランマ」の「マジカル」って??

わたしの知っているmagicalは「魔術のような」とか「不思議な」という意味だと思っていましたが・・・

「風と共に去りぬ」で問題視されていた「マジカルニグロ」からのものだという。


白人の主人公を助けるためだけに登場する黒人のキャラクター
である「マジカル二グロ」

黒人の存在価値というものをこのように表していた時代の古い固定観念。

わたしたちの中にもさまざまな固定観念があって、時代が流れてもなかなか消しようがない・・・
先日から俎上に挙げられている森喜朗氏の失言問題の裏にある女性への偏見もそのひとつ。

その偏見のやっかいなのはそれが男性だけでなく女性の中にもあるということ。

ここに出てくる「おばあちゃん」というのもそのひとつ。

多くの人々の中にはステレオタイプのシニア像というものがあって、
それからはみだすシニアは認めないばかりか攻撃してしまう。

主人公の正子も物語がスタートしたときは「古き良き日本の女性」というステレオタイプ
そのものだったのに、ストーリーが進むにつれてどんどん脱皮して
自己ファーストというスタンスで突き進む姿に思わず拍手してしまう。

けっして友人に持ちたいとは思わないし、自分ではなれるとは思わないけれど、
痛快な生き方はかなり勇ましくも清々しくて羨ましいとさえ思えました。