友人たちと県北の湯郷温泉に1泊してきました。

途中寄り道した湯郷ベルの練習場に隣接している公園の木々に紅葉が始まっていました。
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公園のアメリカ楓(アメリカフウ)が天に聳つ燃ゆるがごとき朱に染まりゐて
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そびらより冬の跫音近づきてまもなくすべて冬に染まらむ
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そういえばもうすぐ立冬、いよいよ本格的な冬の始まりですね。

季節の移り変わりの速いこと!

年を重ねるごとにゆったりの徒歩から速歩に変わり、今は駆け足という感じ。

次の予定、次の予定と自分自身を急かしている感もします(-_-;)


さてお昼は友人が事前に調べて予約を入れてくれていた湯郷近くのレストラン「花あかり」で。
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オーナーはシェフ歴40年の熊本の方ですが、全国で古民家を探されていたところこの農家の建物を見つけられご自分の力で改造されほっとする空間の食事処を作られたそうです。

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まだオープンされて1年とちょっと。

大盛況のようです。









さて本日は須賀敦子氏著『塩一トンの読書』をご紹介します。



「『一トンの塩』をともに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。当代無比の書評家でもあった須賀の、極上の読書日記」





「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ」

ミラノで結婚してまもないころ、私にむかって、姑(結婚した相手の母)がいきなりこんなことをいった。
とっさにたとえの意味がわからなくてきょとんとした私に、姑は、自分も若いころ姑から聞いたのだといって、こう説明してくれた。

一トンの塩をいっしょになめるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。

塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのはたいへんな量でしょう。
それをなめつくすには、長い長い時間がかかる。

まあいってみれば、気が遠くなる長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら。


読書にも同じことがいえると著者は続けています。

若い頃読んでそれなりの感想を持っていた本をある年月を経てもう一度読み返してみると、以前気づかなかったことを発見したり思わぬ深い読後感を味わうという経験をすることがよくあります。

それは歳月をかけて読み手である私自身の心情が少なからず変わったことに起因するのではないでしょうか。

人も同じで、長く受けつけなかった人と何かのきっかけで深い交流を結ぶことができたり・・・。

一トンの塩をなめるうちにある本がかけがえのない友人になるという可能性を示してくれています。


本書に登場するのは主に欧米の小説や詩集、例えばマルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』『黒の過程』、パスカル・キニャール『アルプキウス』、マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』、ジョルジュ・サンド『ジョルジュ・サンドからの手紙』、エッサ・デ・ケイロース『縛り首の丘』、アニー・ディラード『本を書く』などですが、日本の書物として司馬遼太郎の『ニューヨーク散歩』矢島翠『ヴェネツィア暮し』、谷崎潤一郎『細雪』、本城靖久『トーマス・クックの旅』なども数少ないながら取り上げられています。


著者の他の作品同様、書評であるというのを超越した静謐かつ芳醇な文章に圧倒されます。


著者が挙げた作品は2,3を除いて未読のものばかり、その2,3もはるか昔の学生時代に背伸びして読んだというお粗末さです。

私にとって不思議な吸引力によって再読を重ねてきた作品としてまず思い浮かぶのはヘッセの『デミアン』くらいですが、それも著者の奥深い探求には到底及ばない再読の仕方です。

著者が挙げていらっしゃる日本人作家の作品で唯一読んでいる『細雪』の考察の奥深さといったら!

この作品の含有する日本の過去、現在、未来への広がりという特徴を捉えて読み解くという意外な考察に感服しました。

上滑りな読書傾向の私にとって耳が痛いことばかり。


幼い頃の著者がお話をしてくれる大人に結末を尋ねてたしなめられたという逸話も耳が痛い。

「だまって聞いていらっしゃい。途中がおもしろいんだから」

まずあとがきを読んで本文に入る自分をたしなめられているような。

人生にもいえることだけど「途中」をじっくり楽しめる大人にならなければ。


ユルスナールやペソア、セース ノーテボームとともに未知の異国の土地の風に吹かれるという錯覚を起しそうな柔らかな空気に包まれた書評。

書評でありながら著者の心の軌跡を覗かせてもらったようなそんな豊潤な読書の時間でした。