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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 内澤旬子

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先日病院の待合で見ていた週刊誌にさまざまな「癖」のランキングが載っていました。

ランキング入りしていたのは「足を組む」「髪をさわる」「爪を噛む」「ひとりごと」「舌打ち」「ため息」「貧乏ゆすり」などなど。

これらは周りの人々を少なからず不愉快にする「癖」ですけど、いくつかは身に覚えがありそう。

私についていうと、自分では特に「癖」とは思っていないけど周りから指摘されたものに「鼻歌」といくつかの「口癖」があります。

ずっと前から苦しいなと思うとき「ため息」の代わりにエンドレスでメロディを口ずさむという代替を意識的にしていた時期から常態化してしまった「鼻歌」。

夏休みに来ていた孫のアスカからも指摘されました。

「○○はいつもラ♪ラ~♪って歌ってるね、何の歌?」

いくつかの「口癖」については先日も友人から指摘された「最高!」「すばらしいね~」。

安上がりのアントニオ猪木みたいですが、確かに嬉しいときなんかに安易に発しています^_^;

「『最高』がたくさんあっていいね」と友人。


夫はというとランキング内のいくつかの「癖」はいうまでもなく、「癖」に分類できるかどうかわからない特殊なものに「手荷物は必ず網棚に上げる癖」があります。


なぜこんな「癖」について言及するかというと、今まで数限りない置き忘れという失敗を重ねてきたからです。


最近でこそなりを潜めていますが、過去の失敗は枚挙に暇がないほど。


先日大阪に旅行されたブログ友が阪神デパートの写真をアップしていらっしゃるのを拝見して今から15年ほど前の最大の失敗を思い出しました。


それは転勤で神戸から東京へ移動したときのこと。

神戸での引越し作業を終えて、業者さんに任せられない諸々の大切な登記簿や銀行関係のものとホテル一泊用の着替えを詰めたバッグを持ってJR神戸線に乗り、戴き物の阪神デパートでのお仕立て券付きYシャツの生地を仕立ててもらうべく途中下車して阪神デパートに行きました。

阪神デパートの地下からの入り口に入ろうとしたとき、夫の手を見ると何と手ぶら

網棚に置く際、こんな大切なものを、と一瞬思いましたが反発を恐れて何も言わなかった私も甘かったと反省するも後の祭り。

それからの駅員の方々を巻き込んでの騒動はご想像ください。


結果的に網棚にそのままあって神様仏様!と脱力感謝しましたが、その電車が折り返して京都に着くのを待ち受けて荷物を受け取り、その夜は横浜のホテルをキャンセルして京都泊まり。

予定は狂いましたが、危機一髪のドタバタ劇が無事終了、引越荷物送り出し受け取り作業以上に疲労困憊した出来事でした。

それ以後も・・・もちろんどんな小さな荷物でも夫は網棚へ上げます(――;)



さて本日は内澤旬子氏著『おやじがき 絶滅危惧種中年男性図鑑 』をご紹介します。


「頭髪の欠損や腹部の脂肪は一律に忌み嫌われ、おやじ絶滅の危機が到来!
でも、こぎれいで健康でちょいワルな中年男子ばかりになったら、反対に息が詰まりませんか?
おやじサバイブを祈念しつつ、電車で、喫茶店で、路上で遭遇した、愛らしいおやじたちを克明にスケッチしたイラストルポ」


車中やコーヒー店、街角などで遭遇したおやじたちを観察&記録したイラスト集。


10年前に遊び心で作ったミニコミ誌が基になっている本書、好調な売れ行きのため、いろんな変遷を経て講談社から刊行されたのが本書です。


デフォルメしたイラスト画に著者のコメントが付いた爆笑本。

最初から最後までおやじイラストのオンパレード。

ナンセンスもここまで、という感じの一冊ですが、おやじへの温かい気持ちを感じさせる著者のコメントの笑いのツボが絶妙です。

イラストに登場するおやじたち個々に付けられたネーミングがまたおかしくももの哀しい。


著者はあとがきで次のように述べていらっしゃいます。

「目に見える老化がはじまったとて、人はすぐ老人になれないのです。
髪は抜けてもすぐに丸禿げにはならない。
静かに待つには長大すぎる時間をかけねば、皺だらけにも総白髪にもならない。
こんなに長いものだとは思わなかった。
このグロテスクとも言いたくなる長い時間、私たちは少しずつすり減る若さを、仮に捨てたくとも捨てることもできず、抱えて生きねばならない。
醜悪? いいえ、それはやはり愛しむべきものなのだと、思いを新たにしたのであります」


くだらないと思う人には超くだらない遊び心満載の1時間で読めてしまう処分本です。

身体は
心と一緒なので
心のゆくところについてゆく。

心が 愛する人にゆくとき
身体も 愛する人にゆく。
身も心も。

清い心にはげまされ
身体が 初めての愛のしぐさに
みちびかれたとき
心が すべをもはや知らないのを
身体は驚きをもってみた。

おずおずとした ためらいを脱ぎ
身体が強く強くなるのを
心は仰いだ しもべのように。

強い体が 心をはげまし
愛のしぐさをくりかえすとき
心がおくれ ためらうのを
身体は驚きをもってみた。

心は
身体と一緒なので
身体のゆくところについてゆく。
身体が 愛する人にゆくとき
心も 愛する人にゆく

身も心も?

吉野弘氏の「身も心も」という詩です。


心と身体が一体化しているというのはよく感じることです。


緊張すると手が汗ばむし、恐い出来事に遭遇すると一瞬心臓がドキドキすることもほとんどの人が体験しているのではないでしょうか。


現代はとてもストレスフルな社会、仕事によって抑圧的な生活を余儀なくされて身体の不調を訴えているサラリーマンの話はあちこちで聞かれます。


夫はサラリーマン時代の後半激務で胃潰瘍になったし、私自身10年ほど前発症した病気もストレスが原因と医師に指摘されたことがあります。


そのとき医師によってストレスが身体に及ぼす影響&関係性を教えられました。

そのからくりを簡単に書くと…

「ストレスが大脳皮質で感知されると、大脳皮質はアドレナリンなどを分泌し、それを受けた視床下部が脳下垂体にホルモンの分泌を促す指令を出します。

脳下垂体は副腎皮質刺激ホルモンなどの各種刺激ホルモンを放出し、それを受けた副腎皮質や甲状腺、膵臓、卵巣、精巣といった内分泌腺が各種ホルモンを分泌して体の代謝を円滑にし、全身がうまく活動できるように調節します。
これらのホルモンは、外的やストレスから体を防御するために働きます。
しかしストレスが強すぎて、内分泌腺がホルモンを分泌し続けた結果、内分泌機能が働かなくなりホルモン分泌不足になると体の防御能力が落ちてしまいストレス病が起こると考えられています」


外的な大きな事象に対して直後はアドレナリンや副腎皮質ホルモンなどによって思わぬ力が与えられたかのように力強く対処できますが、しばらくするとそれらのホルモンが枯渇するので急激に心身に負荷がかかったようになるというもの。


一般的には副腎皮質から放出されるステロイドホルモンは毎日5mg程度といわれていますが、強いストレスがかかるとそれに対抗しようとがんばるのでプラス5mgほど加算されるといわれています。


ステロイド5mgが加算されるとカラ元気が出るのは体験済みなので、これらのカラクリは大いにうなずけます。


話が逸脱してしまいましたが、かように心と身体は表裏一体なんですね。



本日は冒頭の吉野弘氏の「身も心も」の内容からタイトルを拝借したという作品をご紹介します。



内澤旬子氏著『身体のいいなり』


「腰痛、アトピー性皮膚炎、ナゾの微熱、冷え性、むくみ…著者がずっと付きあってきた『病気といえない病気』の数々
ところが、癌治療の副作用を和らげるために始めたヨガがきっかけで、すっかり体質が変化し、嗜好まで変わってしまった。
不思議に仕事も舞い込むようになり、いまさらながら化粧の楽しさに目覚めてしまう。
そして乳腺全摘出を決断。
乳房再建手術の過程で日頃考えたこともなかった自分の『女性性』に向き合わざるを得なくなり―。
ベストセラー『世界屠畜紀行』の著者が、オンナのカラダとココロの不条理を綴った新境地エッセイ。
講談社エッセイ賞受賞作」


38歳のときステージ1の乳がんと診断され、2度の部分切除を経て乳腺全摘出、乳房再建と4度の手術を重ねた著者のご自身を冷静に見つめた観察記が本書です。


乳がん関係の4度の手術と聞いただけで思わず同情いっぱいになるか目を伏せるか言葉を失うか、不特定多数の人々の反応はそんなものだろうと著者はいいます。


が、この闘病を軸にしたノンフィクション作品、実に軽くて笑えて、共感の嵐なんです。



内澤旬子氏といえば、女だてらに屠畜という営みを求めてアメリカ、インド海外数カ国を回り屠畜現場をスケッチした風変わりな紀行文『世界屠畜紀行』のイメージが固定している読者の方々がほとんどではないでしょうか。


そして追加すれば本書執筆と同時進行で『飼い喰い──三匹の豚とわたし』を手がけていたというではありませんか。


『飼い喰い…』は著者が廃墟で豚を自ら飼育して屠殺し自ら食するという一連の行為を実践したリアル・タイムの記録。

人間は他者である動植物の命をいただいて命を保っている生き物である、という当たり前の事実を真正面から見据えて記録したのでした。


これらを通してみれば、果敢で男性的、そして何よりも叩いても死なないほど頑強なカラダの持ち主と想像していました。


ところが本書を読むと、物心ついた頃より元気と自覚したことがない・・・微熱、冷え性、むくみ、胃酸過多、無排卵性月経症候群、アトピー性皮膚炎、腰痛など種々の疲労症候群に悩まされていた半病人。


それら病気未満ともいわれる各種不調と共棲みしながら売れるとも思えない本の執筆のため気力と情熱のみで世界中を取材で回るという暴挙!

おまけに潤沢な取材費など皆無という超貧乏取材旅行!

無謀な人という形容がぴったり。


そうこうするうち乳がんに罹患、前後して夫との間も不穏になり、依然貧乏なまま、と列挙すると救いがたい不幸てんこ盛りですが、これが何とも乾いた筆致で綴られているので同情の入る隙間が見当たらないんです。


そして生来の運動オンチだった著者が手術後始めたヨガによってすべての悩みから開放されていく様子がこの作品のハイライトとなっていておもしろい。


化粧とは縁がなかった著者があるテレビ出演を機会に化粧を覚え、同じくテレビ出演をきっかけに仕事も激増するにつれ、元来のおしゃれ心が芽生え・・・ととんとん拍子に表の容姿がどんどん磨かれていく様が妙にかわいらしい。


本書の巻末にあるノンフィクション作家であり同じ乳がん経験者である島村菜津氏との対談での顔写真を拝見するとかなりの美形であります。


このように意志だけで生きていけると思いこんできた著者が乳がんがきっかけで不承不承「身体のいいなり」になってどんどん変わっていく様子がいかにもかわいさが溢れています。


「老いに反抗したいわけではない。
むしろさっさと老いたいのだが,結果的には大反逆しまくっていることになり,なんともあさましいなと思うけれども,スタイルが良くなればやっぱり楽しいし,なにより筋肉痛とリラックスの快感に勝る趣味が,いまのところ見つからない」 

本書は著者の生き様というか、余分な装飾はできる限り排除しながら率直に生きるという姿勢があちこちに見られ、とても心地よい作品になっています。

講談社エッセイ賞受賞作というのがうなずけます。


若い頃はすべてを頭で考え、自分の意志力で身体を支配しているつもりだったはずが、どのように意志力を発揮しても身体に限界があるということを知り、「身体のいいなり」に任せる方向へと転換していく・・・すなわち「頭の人」から「身体の人」への移行の様子が描かれているところ、艱難を乗り越えて病を克服したというような単なる闘病記とは大きく逸脱していて感銘を受ける作品となっています。

闘病記とは一線を画しているとはいうものの、入院生活や医師との軋轢など、ここはかなり筆を抑えて記していらっしゃいますが、読み応えあるポイントでもあります。


「独立した存在であるように思っていた精神も、所詮脳という身体機能の一部であって、身体の物理的な影響を逃れることはできない。私はそれをあまりにも無視して生きてきたんじゃないだろうか」


「これらの体験は私にとっては病との闘いというよりは、意志と身体の闘いであったと思う。
これからは双方並び立つうまいバランスをとるように再構築していかねばならない」


「病気とともに変化していった身体と心の一切合切を、行きつ戻りつ遡り思い出しつつ」書いてある本、ぜひどうぞ!

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