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カテゴリ: 吉村昭

むらさきしきぶ
コロナ禍も下火になるどころか広がりを見せています。

 

気温や湿度が下がると罹患率がアップするという検証が示されたりすると、若者と違って重症化を免れないだろうシニア層にとっては戦々恐々としてしまう。

 

岡山県でも10月に入って県北でクラスターがいくつか発生、あれよという間に罹患者が急増加して、それが岡山市に波及、市内の病院の職員らに罹患者が出ています。

 

波がひたひた押し寄せてくる感じ。

 

第一波のときとちがって、外出も外食もしているし、友人たちとも会っているという点では私たちも慣れっこになったような。

 

GoToTravelとかGoToEatを推奨する国の政策の影響も大いにあるでしょう。


アクセルとブレーキ同時に踏むごとし
"GoToTravel""StayAtHome"

 

 


さて先日の天声人語で紹介されていた「めっちゃ医師」こと笠原良策の生涯を描いたノンフィクションのご紹介です。

 


雪の花
吉村昭氏著『雪の花』
 

 


数年ごとに大流行して多くの人命を奪う天然痘。

それに絶対確実な予防法が異国から伝わったと知った福井藩の町医・笠原良策は、私財をなげうち生命を賭して種痘の苗を福井に持ち込んだ。

しかし天然痘の膿を身体に植え込むなどということに庶民は激しい恐怖心をいだき、藩医の妨害もあっていっこうに広まらなかった……。
狂人とさげすまれながら天然痘と闘った一町医の感動の生涯BOOK」データベースより)

 

 

1796年にジェンナーによって行われた人類初の種痘を日本に根付かせるのに多大な貢献をした福井藩医・笠原良策の物語。



若い頃不治の病といわれた結核で胸郭の大手術を受け九死に一生を得た著者はとりわけ医学と医学史に足跡を残した人々への関心が深く、医学に材をとった多くの作品を残
していらっしゃいます


その中で天然痘を扱った作品としては本書のほかに『北天の星』『花渡る海』があり「天然痘三部作」といわれ広く読まれています。


本書は昭和46年に刊行された『めっちゃ医者伝』を加筆改題したもの。

改題される前のタイトルの「めっちゃ」は「アバタのある人」を表わす越前の方言だそうです。


本書の主人公である笠原良策の全人生を賭けた種痘に対する情熱は本書を読んでいただければわかりますが、14世紀にヨーロッパの人口の3分の1を奪ったといわれるペストに始まる脅威の第二の伝染病として17世紀から18世紀にかけてヨーロッパを震撼とさせた天然痘

 

この天然痘を撲滅するきっかけを掴んだのがジェンナー。

そのジェンナーの創始からわずか18年後にロシアから初めて牛痘の痘苗を持ち帰ったにもかかわらず藩の無理解のために行われずじまいだったという芸州の水主・久蔵を描いたのが『花渡る海』

 

その8年後ロシアからの牛痘を使って初めて種痘を行った中川五郎治の物語『北天の星』に

詳しく描かれています。


 

中川五郎治死去によって種痘術は誰にも受け継がれることなく絶えたことで多くの人々が犠牲になったのは日本にとって大きな損失と言えるでしょう。


再び本書に戻ると・・・

時は鎖国時代、長崎経由で入ってきた種痘に成功したという噂を耳にした福井の笠原良策種痘の材料である牛痘苗を入手するために命がけで福井藩主・松平春嶽に意見書を申請しますが、申請を受けた下級の役人たちの一存で握りつぶされるという悲劇に遭います。


国民の真実の声を藩主に届けるのがいかに至難の業かという事実。

現代の政治事情と
重なってふつふつと怒りが湧いてきます。


数年の後、福井藩上層部の口利きでやっと念願の牛痘苗入手に成功、京都で入手した痘苗を福井まで運ぶシーンはまさに圧巻。

途中子どもたちを順番に待機させ、痘苗を絶やさないように次々種痘を植え付けながらリレー方式で京都から雪深い北陸の峠を越える6日間の行程は文字通り死闘ともいうべき凄まじさ!


そこまでして命を賭して持ち帰った種痘の技術ですが役人のみならず漢方医や民衆の無理解が彼の前に巨大な壁のように立ちはだかってしまう。

再び最後の手段として松平春嶽の力を借りての触状により良策の種痘所は正式に藩の公の機関としてやっと民衆に開かれたという


「天然痘での死者をなくしたい」という一念から始まったこの闘いはその後日本中に広まり、天然痘撲滅に大きな貢献をしたのでした


現在世界中に網羅している新型コロナとは比べようもないほどの伝染力を持つ天然痘

 

1796年のジェンダーの種痘発見をスタートに瞬く間に世界中に広がり、その間さまざまな人々の尽力と犠牲のもと、1977年エチオピアで最後の患者が発生して以来3年後の1980年WHOが根絶宣言を出したのでした。

こうして人類発生以来の死闘にピリオドが打たれました。


先駆者の汗と涙の上に私たちの現在があるという当たり前の事実を吉村流の徹底した取材の跡が瑞々しい文体で私たちに突きつけてくれた作品。

 


例え新型コロナウイルスに打ち勝つ手立てができたとしても、これからも
人類と新たな伝染病との闘いは繰り返されることが宿命であることは間違いないと思えます。

本書の舞台となった時代にはほとんどの民衆が神仏に祈ることしか術がなかった時代を経ての今があることを思うと過去の歴史に謙虚に学ぶことを疎かにはできないと思うのでした。

 


福井平野を一望する足羽山山頂に立つ笠原良策の顕彰碑には「疫鬼を駆逐し、嬰児を育て」とあるそうです。


朝の某情報番組のコメンテーターの方がテレビとしての情報の提供の仕方と視聴者としての情報の捉え方について問題提起をされていました。


マスコミは視聴率という命題の下に番組や情報を提供するのを旨としているのは周知の事実。


背後に控えているスポンサーといわれる企業なしでは民放の経営は成立たちませんが、受け取る側の視聴者の興味に阿るやり方がほぼ提供の多くを占めているという指摘には私たち視聴者の受け取る姿勢にも反省の余地があると認めざるを得ないなあと思いました。


テレビや新聞の報道を受け取る私たちも目や耳や脳をもっともっと成熟させて視野を広げる必要があるのではないかと思ったこと。



自分や自分を取り巻く狭い狭い範囲にだけ想像力を広げるのは努力しなくてもできると思いますが、さしずめ今は自分とはかけ離れていて関わりがない、これからもなさそうだという事柄にも想像力を広げてみるという努力が大切かな~と反省。





さて本日は久しぶりに私の尊敬する作家の作品を挙げてみます。



吉村昭氏著『深海の使者』

「太平洋戦争が勃発して間もない昭和17年4月22日未明、一隻の大型潜水艦がひそかにマレー半島のペナンを出港した。
3万キロも彼方のドイツをめざして…。
大戦中、杜絶した日独両国を結ぶ連絡路を求めて、連合国の封鎖下にあった大西洋に、数次にわたって潜入した日本潜水艦の決死の苦闘を描いた力作長篇。
昭和17年秋、新聞に大本営発表として一隻の日本潜水艦が訪独したという記事が掲載された。
当時中学生であった著者は、それを読み、苛酷な戦局の中、遥かドイツにどのようにして赴くことができたか、夢物語のように感じたという。
時を経て、記事の裏面にひそむ史実を調査することを思い立った著者は、その潜水艦の行動を追うが……
戦史にあらわれることのなかった新たなる史実に迫る」


第二次世界大戦中、日独伊三国同盟を結んでいた日本。



三国同盟とはいうものの、海図を見ればわかるように日独と日伊を結ぶ距離は果てしなく遠く密なる連携を取ることが至難の業という状態だった中、日独間の唯一の連絡手段だった潜水艦で片道3ヶ月かけて行われました。



本書は死と隣り合わせの無謀とも思える航海の困難と苦闘を描いた記録です。


書き手は吉村昭氏。


終戦後、潜水艦の乗組員のなかのわずかな生存者やその関係者たちを探し出し、乏しい資料と著者ご自身の足と目で得た証言を照らし合わせるという緻密なトレースの結果生み出された、著者でなければ書けなかったであろう作品です。



貧しい想像力だけでは読みきることのできない作品。


本書の見開きに第二次世界大戦当時の世界の海図が掲載されています。


それを見ると・・・ただでさえ英米と独伊の間には海軍力に格段の差がある上に、連合国の封鎖下にあった大西洋が広がり、距離的にあまりにも遠すぎて日常的に必要な物資を送るということの困難さは想像を超えたもの。


さまざまな試行錯誤をするもほとんどすべて失敗の連続だったようです。


どれだけ人命を失ったことか・・・


本書は三国同盟を維持するための試行錯誤の連絡の手段として使われた潜水艦の辿った壮絶な実話です。



本書でも吉村昭氏の史実を突き詰める取材力のすさまじさとともに、無謀な日独の軍上層部の使命に殉じた乗組員やその家族の様子など淡々として事実を述べる筆致にはただ敬服するのみでした。



どんなに考えても無理な同盟が引き起こした悲劇。


無理な開戦が引き起こした悲劇。



特に日独を隔てるインド洋から喜望峰を大きく迂回して2か月以上の航海を続けなければならなかった閉鎖状態の艦内の描写はあまりにも息苦しく、本を閉じてやっと呼吸が楽になるのを実感したほどでした。


ぜひ、とお勧めしたいところですけど興味ある方はどうぞ。

朝日新聞のbe版で長く続いて掲載されている「悩みのるつぼ」。

いままでさまざまな著名人が読者からのお悩み相談に応じていらっしゃいますが、今でも懐かしいな~と思い出すのは「明るい悩み相談室」だったころの中島らもさん、そして車谷長吉さん・・・どちらも故人になってしまいましたが、肩の力の抜けたような思わぬ角度からの回答に思わず前のめりなったこともしばしば。


現在は評論家・岡田斗司夫さん、社会学者・上野千鶴子さん、歌手・美輪明宏さん、経済学者・金子勝さんの4人が回答者。


昨日の岡田さんへのお悩み相談に注目。


30代の男性担任にえこひいきされているのが原因で学校へ行きたがらないという高校生の息子さんをもつ40代のお母さんからの相談でした。

息子さんにだけニックネームをつけて授業中に誉めまくるという教師、何度やめるようにお願いしても聞いてくれないという悩み。


この内容を見てはるか昔の自分の中学1年生のときのことを思い出しました。

内気で大人しかった中学時代。


理科を担当していた新任の男性教師があまりにも私に注目して、私にだけニックネームをつけ、私の席の横に立ち、頭に手を置いて誉めまくりながら授業をする・・・当時の私は小さな胸を痛めて辛くてたまりませんでした。

クラスメートの目が気になって・・・今なら不登校になっていただろうほど。


相談者の息子さんはお母さんに相談しているようですが、私は母に相談するという選択肢も持たず、ひとりで苦しんでいました。


特別理科が得意でもなく成績もよかったとは記憶していませんが、質問も私に集中し、答えられたら不自然なほど誉める。

ちなみにその教師がつけたニックネームは「こけしちゃん」。


長じて、同級生と思い出話に花が咲くとき、クラスメートのほとんどが、「私」=「その教師」というほど目立っていたエピソード。



目立つことが大嫌いで今でも極力隅っこで小さくなっているのが落ち着くのに、本当に恥ずかしい人生のひとコマでした。






さて本日は吉村昭氏著『履歴書代わりに』のご紹介です。 


「吉村昭の世界を一冊に。
単行本未収録エッセイ集。
歴史証言者の、こだわりの世界と記録の軌跡」


遺稿となった『死顔』を遺して2006年7月31日に79歳で逝去された吉村昭氏。


私だけでなく多くの吉村ファンはもうこれで氏の作品を読めないのかと思うと淋しさも一入でした。


その後奥様の津村節子氏が夫君の闘病から死に至るまでを『紅梅』に、そして死後2年ほどのブランクを経て執筆されたという生前の吉村氏に触れたエッセイ集『夫婦の散歩道』がそれぞれ上梓され、私たちファンは改めて吉村氏の深い人間性に触れることができたという経緯があります。


そして2011年に刊行された本書。


単行本未収録エッセイ集ということで、内容的には他のエッセイ集と重なる部分もありますが、若かりし頃の吉村氏が息づいていて、久しぶりに氏の作家としての愚直なまでの生き方に改めて触れることができました。


取材に当たっての思わぬ人々との触れ合い、特に著者が第二の故郷というほど好きな長崎での逸話など、著者の足跡を辿って長崎を旅してみたいと思うほど長崎が生き生きと描かれています。


ご両親のこと、ご兄弟のこと、ご自身の病気のことなど、いずれも他の著書で読んだことがある内容でしたが、改めて作家・吉村昭が誕生するまでの軌跡を見るようでしみじみと読みました。


興味ある方はどうぞ!

俳優の福山雅治さんと吹石一恵さんご夫妻が暮らす東京・渋谷区内のマンションの部屋に不法侵入したとしてこのマンションのコンシェルジュの女性が逮捕された事件がありましたね。

帰宅された吹石さんと鉢合わせしたそうな・・・。

女性はすぐ逃げて吹石さんに怪我はなかったそうですけど。

報道によると福山さんはマンション側に自宅の鍵を預けていたということ。


鍵を預かってもらうという行為とともに方や住人の鍵を預かるという管理会社の行為に驚きました。


30数年転勤を繰り返して、戸建て3ヶ所、マンション14ヶ所を渡り歩いた経験から・・1ヶ所だけ住民の鍵を預かる方式の管理会社がありましたが、その場合でも、厳重に特別な袋に鍵を入れ口を封印していました。

あとの13ヶ所のマンションはいわずもがな。


どれも管理のしっかりしたマンションでしたが、住民からの申し出があっても絶対鍵は預かってくれません。


状況によって預かってほしいなと思うときが度々あるんですけどね。


もちろんコンシェルジュの常駐している福山さんのマンションと私たち庶民の住むマンションとでは比較にならないのは承知していますが、まして厳戒態勢の高級マンションならなおさらのこと、コンシェルジュの方が鍵を自由に操れるのか???

管理人さんでさえ軽々しく扱えないのに。


疑問符で頭がいっぱいの事件でした。






さて今回は久々にわが愛する吉村昭氏の古い作品です。

吉村昭著『蚤と爆弾』

「ハルピン南方のその秘密の建物の内部では、おびただしい鼠や蚤が飼育され、ペスト菌やチフス菌、コレラ菌といった強烈な伝染病の細菌が培養されていた。
しかも、俘虜を使い、人体実験もなされた。
大戦末期、関東軍による細菌兵器開発の陰に匿された、戦慄すべき事実とその開発者の人間像を描く異色長篇小説」

1989年刊行(底本1970年)の本書。

私自身もさまざまな小説などのなかで知っているだけですが、悪名高き731部隊の設立から壊滅までを描いた小説。


同じ731部隊を題材にした森村誠一氏の有名な作品『悪魔の飽食』はノンフィクション仕立てとなっていますが、本書はあくまでも小説として書かれています。


しかし、やはり吉村作品、ノンフィクションの『悪魔の飽食』と比べても決して劣らない事実への追及の結果がこの作品にも結実しています。


ちなみに『悪魔の飽食』に先駆けること10年前に書かれたものです。


感情を排し、冷徹かつ公正な視点で事実のみを追い求めるという姿勢がそこここに見られてさすが吉村作品。


舞台は第二次世界大戦末期、ハルピン南部に建設された関東軍防疫給水部。


実在の石井四郎軍医中将の等身大を曽根二郎という主人公に置き換えて、目的のためなら手段を選ばない冷徹さと実行力で、医学の発展と戦勝国になるという2つの大義名分の下、捕虜を使っての生体実験とともに細菌兵器の開発へと突き進んでいく狂気の道程が淡々とした筆致で描かれています。


京大出身のため東大閥の医学界では成功しないことに絶望して軍医の道に進んだ曽根はスタート段階では戦場での疫病対策や浄水の確保のための濾水機を発明、多くの兵士たちを赤痢などの伝染病から救いました。

このように功なり名を遂げながら、思考を逆方向へ転換させ細菌兵器開発へと突き進んだ曽根の存在はやはり戦争の申し子といえるのではないでしょうか。

戦いの中ではだれでも狂気を持ちうる可能性はゼロと言い切れないことは様々な戦争の歴史が証明しています。


戦後、曽根は自らの研究施設を跡形もなく消して、あろうことかその研究成果と引き換えにアメリカ軍と取引をするというあざとさで戦犯からも逃れ、過去を秘匿して一般市民として生を全うしたそうです。


自らの罪に怯え戦々恐々と暮らした元731隊員との対比が際立つあざとさこそ許せない気がします。


決して読後感が爽やかな作品ではありませんが、興味ある方はどうぞ。

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季節外れの台風が去りましたが、被害はいかがだったでしょうか?

お見舞い申し上げます。

我が家ではベランダのゴーヤの支柱が倒れたのと強風に煽られてリビングに飾ってあった1hourの砂時計が粉々になったくらい、いつも災害から免れる当地で申し訳ないと思うほどです。


さて言葉が自由に羽ばたく昨今、○○ガールという言葉をよく見かけます。

山ガール、森ガール、囲碁ガール、虫ガール、珍しいところで歴女の流れをくむ御朱印ガールというのもあるそうです。

造語がどんどん増えていってそのうち定着したものは広辞苑に乗るのでしょうか?

上記の○○ガールのうち、その昔の私はさしずめ虫ガールだったかもしれないなと。

マンション暮らしの現在は虫にはほとんど縁がありませんが、若い母だったとき野生児の長男の影響で文字通り虫とともに過ごしていた時期があります。

後ろに小さな山を背負って蛇やムカデなどの出現が日常だった自然豊かなところに住んでいて家中虫だらけの生活。

網戸で蝉や蝶、蝉を羽化させたり、かいこやトカゲを飼ったり、カブトムシやクワガタは年中を通して卵~成虫という過程で飼育していました。

今でもトカゲを手に乗せることができるし、青虫の背中も撫でられます。

ヤモリも平気・・・自慢になりませんけど。

長男は4歳くらいでもう田んぼの中から両手にあまるほどの大きな食用蛙を何匹も捕まえていました。

小さな蛇を首に巻いて帰ったのを見て卒倒しそうになったこともあります。

長じて・・・お嫁ちゃんに聞いたのですが、ゴキブリが苦手でお嫁ちゃんに叩いてもらうとのこと・・・呆れました。

3歳くらいのころ耳鼻科の待合室でゴキブリを捕まえて自動車に見立ててブーブーといいながら動かして遊んでいて周囲を飛びのかせたこともあったのに(――;)



さてまた話は変わり、先日衆院特別委員会で強行採決された安保関連法案ですが、法案成立を阻止できるチャンスは残されてます。

成立するには同一の会期内に衆議院と参議院の両方を過半数の賛成で通過する道のりともう1つは参議院が衆議院から法律案を受け取って60日以内に議決しないときに衆議院の3分の2以上の賛成で再議決する道のりがあります。

衆議院特別委員会で強行採決されて本会議で採決されても、参議院で可決されなければ法案成立しないのと、参議院で可決しないまま60日経ったとしても、衆議院で再議決しない限り成立はしません。


9月27日までというこの臨時国会の会期中に議決できなかった場合は廃案となるそうです。

 
既に参議院に送られましたが会期末となり「継続審議」になった場合、次の国会では衆議院はもう一度最初から審議をやり直すことになります。

まだまだ反対の声を届ける時間が残されています。

学生の方々も本気モードに突入したようで頼もしく応援しています。


主婦である私も微力ながら拡散や署名を続けたいと思います。





さて本日は久しぶりの吉村昭氏、最晩年の連載随筆をまとめた作品です。

吉村昭氏著『回り灯籠』


「『この世を飛び去るに及んできれいに死を迎えたい』
自らが描き続けてきた歴史上の人物のように、潔く死と向きあった作家・吉村昭。
死生観や取材の思い出などを綴った最後の連載随筆をまとめた一冊。
城山三郎との対談も収録」


作家と作品とは別個に評価するというのも1つの評価方法としては正しいと思いますが、作家あっての作品という意味において吉村氏は私の最も尊敬する作家さんです。


断捨離を視野に入れてあまり本を残さないというのを実行している私ですが、吉村作品はほとんどを網羅して本箱に並んでいます。

この作家にしてこの作品ありという作品の数々。


本書はくだけたエッセイ集ですが、締め切りに遅れたことがないという吉村氏の実直かつ高潔という気風がそこここに表われていて心温まる一冊になっています。


『大黒屋光太夫』を執筆の折に編集者に漏らした「書き終えるまで死にたくないと何度も思った」という言葉は出版の際キャッチコピーとして出版社に使われたそうですが、すべての作品、特に長編小説の執筆中にはいつも感じていたことといいます。


地道に史実を追い続け、取材を重ねて数多くの作品を上梓された著者、1つの長編を書き上げるための取材の綿密さは類を見ないというのは有名な話ですが、事実を書くということに対してご自分に課した鉄則の厳しさに関してはいくつかのエッセイで目にしているので史実に基づく吉村作品に対する読者の信頼度はとても深いのではないでしょうか。


「勝者の歴史」というエッセイの中で、明治維新によって敗者である幕府が全否定されたあと、ずっとあとになって修正されつつあるという例を示し、第二次世界大戦の総括について「勝者によって形作られた歴史の縄でくくられて、身動きすることもできないでいるが、その歴史に客観的な解釈が下されるのは、百年後か、それとも二百年、三百年たってからか・・・ゆがめられた歴史、自国の歴史すら修正されることは容易ではなく、歳月という時間の流れにたよるほかはない」と記していらっしゃいます。


一時的な感情を排して一歩退いて冷徹に全体を見渡す目にとても優れていながら、人間的な滋味のある著者。


学習院大学時代には古典落語研究会を立ち上げ寄席を開催したというエピソードを記した「志ん生さん」も興味深く、そういえば燻し銀のようなユーモアのセンスも感じられたなぁと懐かしくなりました。


そしていちばん心に残ったのは「大地震と潜水艦」。

『関東大震災』を執筆されるときの取材で目にした震災の記録に載っていた挿話としてイギリス人脚本家・スキータレツの手記を通して日本人の気質に触れておられます。

「日本人の群衆は、驚くべき沈着さをもっていた。
庭に集まった者の大半は女と子供であったらが、だれ一人騒ぐ者もなく、高い声さえあげず涙も流さず、ヒステリーの発作も起こさなかった。
すべてが平静な態度をとっていて、人に会えば腰を低くかがめて日本式の挨拶をし、子供たちも泣くこともなくおとなしく母親の傍らに坐っていた」

外国人の目を通して日本人の実直な姿が描かれていますが、戦時中に松山沖で事故のため沈没した潜水艦が、戦後引き上げられたとき乗組員が眠っているようにそれぞれベッドの上で横たわっていたが、外国の潜水艦が沈没して引き上げられたとき、我先に脱出しようと争った後があり凄惨なものだという話とともに吉村氏は日本人を次のように総括しています。

「イギリスの脚本家の手記に見られる日本人たち。
それは私自身でもあるような気がする」

その通りのご自分で選ばれた覚悟の旅立ちでした。


確かに20年前の阪神淡路大震災でも4年前の東日本大震災でも同じような姿がそこここで見られました。


阪神淡路大震災の被災者だった私も半斤の食パンをダイエーで買うときも長い列に、被災者同士慰め合いながら4時間並んだことを思い出しました。


誇るべき日本人の気質、どんな状態のときも冷静な粘り強さと礼儀正しさは9条とともに日本の誇るべき財産だと思いました。


今吉村氏がご存命だったら、平和が傾きかけている現在の日本丸をどんな目で眺めていらっしゃるでしょうか?

衆院を強行突破した特定秘密保護法案。  ce923145.jpg


事前内閣官房が受け付けたパブリックコメントでは8割弱が反対という世論に加えて、可決の前日の公聴会では参考人7人全員が法案に懸念を突きつけたばかりという状況の中、審議入りからたった20日での可決には驚きを通り越して唖然としてしまいます。

また審議中の参院の特別委員会で自民党出身の中川委員長が野党側の反対を職権で押し切り、地方公聴会を4日午後にさいたま市で開くことを決めるという暴挙。

もの言えば唇寒しというのを実感します。

いったいどのようにしたら民意が反映されるのでしょうか。


ここ1週間ほどかけて丁寧に読んだ沖縄戦を扱った作品の軍国主義時代の背景と何ら変わらない今日の偽民主主義・日本に憤りを感じています。


吉村昭氏著『殉国 陸軍二等兵比嘉真一』

「『郷土を渡すな。全員死ぬのだ』太平洋戦争末期、沖縄戦の直前、中学生にガリ版ずりの召集令状が出された。
小柄な十四歳の真一はだぶだぶの軍服の袖口を折って、ズボンの裾にゲートルを巻き付け陸軍二等兵として絶望的な祖国の防衛戦に参加する。
少年の体験を通して太平洋戦争末期のすさまじい沖縄攻防の実相を迫真の筆致で描く長篇小説」

1967年に刊行された本書、著者はまだアメリカの占領下にあった返還前の沖縄に1ヶ月近く滞在して取材されたそうです。

沖縄戦の悲劇を後世に伝えたいという動機に動かされて現地で多くの人々に会い、取材を進める中、本書のモデルとなるK氏に話を聞く機会を得た著者。


「周囲の人々がほとんど死んで私だけが生きていることが申し訳ない」と語るK氏の言葉に滲む複雑な感情に強い共感を覚えたという同世代の著者との出会いが壮絶な沖縄戦を後世に伝える本書を生み出したという意味では2人の出会いは運命の邂逅だったといえるでしょう。


「アジア太平洋戦争中日本における最大の地上戦」といわれた「沖縄戦」の只中、壮絶を極める第一線に出ることもなく洞窟から洞窟へと移りながら生き延びた真一の目を通した壮絶極まる戦場の様子が冷徹な筆遣いで描かれています。


間近に迫るアメリカ軍の砲弾や銃撃によって洞窟の中は日々負傷兵で溢れ、排泄物や化膿した傷口からわく蛆やハエの発する悪臭のすさまじさが淡々とした筆致から伝わってきて思わず身震いするほど。


戦いが激化するにつれ増え続ける死体がやがて真一少年の中で単なる物体と化すほどに凄惨な戦場の様子が著者の容赦ない筆でこれでもかと描かれています。


敵兵の目を欺くため昼は腐臭ただよう死体の下に潜り込んで死体と同化し暗闇を待って歩き続ける真一。


純真無垢な愛国心をもったまま、絶望的な戦況にもかかわらず大本営参謀の楽観的な情報をひたすら信じて。


見回す限りただあるのは地表をおおう死体の群れ、その間を縫うようにして歩き続ける真一。

「死からひとり取り残されてしまった悲しみが、胸にあふれた。
銃の引金をひかず手榴弾を投げることもせず、しかも傷さえ負わない自分にとって、この戦争はいったいなんだったのだろう。
自分の体は、ただ戦場をうろついただけで終わってしまった。
涙が、あふれ出た。
神州不滅……という言葉が、胸の中に湧いてくる。
自分に残されていることは、国頭地区にたどりついて壮烈な死を遂げることだけだ」


犬死ではなく戦いに挑んだ末の名誉ある戦死を切望しながら彷徨いつづける姿が痛々しくも神々しい。


「真一は、なるべく小さいものをえらぶことにつとめたが、軍服はどれもだぶだぶで、仕方なく袖口を追って着用しなければならなかった。  
ズボンも裾の方をかなり折ってゲートルを巻きつけた」ほどに小柄で幼さを残す真一少年の純粋無垢な忠誠心、愛国心の見事さとそれに呼応する軍国日本を先導する上層部の人々の狂気ともいえる突き進み方の凄まじさに、適切な言葉での感想が見つからないほどの生々しさに衝撃を受けました。


著者の外面的リアリズムが余すところなく発揮されている作品でした。


余談ですが、14歳の少年をここまで追い込んだ国家、それ自体は国民ひとりひとりの集まりであるのに一部の選ばれた人々によって狂気の集団となることの怖ろしさは言葉では言い尽くせないほど。


これほどの苦難の道のりを経てやっと手に入れた平和をみんなの叡智を集めて持続しなければと願います。

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