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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 日本エッセイ

今日のお昼ご飯は友人にもらっていたたけのこの余りをつかって筍ちらし。

ちらし
 

魚介類は一切なしのカンタンちらしです。

 

ついでに昨日買っていた蕗を葉っぱと茎にわけて煮ました。

 

山椒の実を入れたきゃらぶきが大好きなので、蕗のシーズンには何度も作ります。

きゃらぶき
 

山椒の実は時期のとき大量に買って軽く茹でたものを小分けにして冷凍していて一年中使っています。

 

蕗の葉煮の苦みも大好きなので、必ず葉つきの蕗を買います。

 

ふきの葉

葉は少しのごま油で軽く炒めて、ちりめんじゃこやゴマ、かつおぶしを入れてお酒やだし、みりん、しょうゆで煮たもの。

 

さて、明日のお昼はなににしようかな。

 

 

 

 

 

 

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文藝春秋編『私の死亡記事』
 

 

「失踪二十年目に香港で」桐野夏生、「葬式は無用」高峰秀子、「カラス駆除中、転落死」渡邉恒雄…。「ご自身の死亡記事を書いてください」という大胆無謀な企画に各界102人が応えてできた前代未聞の書。全篇にそれぞれの人柄、人生観が窺われ、時に抱腹、時に粛然とさせられる名篇ぞろい。文庫化にあたり新たに12人が執筆・・・文庫化にあたり更に12人が追加


今から
20年前に刊行された本書。


20年という歳月を経て鬼籍に入られた方もかなりいらっしゃって、そういった意味も含めてしみじみと身に沁みる内容になっています。

阿川弘之、阿川佐和子、阿刀田高、安部譲二、嵐山光三郎、荒俣弘、安野光雅、大宅映子、萩野アンナ、長部日出雄、池部良、泉麻人、尾辻克彦、ガッツ石松、桐野夏生、金田一春彦、呉智英、児玉清、小林カツ代、佐木隆三、澤地久枝、塩田丸男、篠沢秀夫、篠田節子、関川夏央、妹尾河童、田辺聖子、土屋賢二、筒井康隆、鶴見俊輔、出久根達郎、中野孝次、夏目房之介、西部邁、馬場あき子、林望、辺見じゅん、みうらじゅん、南伸坊、森毅、山藤章二、山夏彦、米原万里、四方田犬彦、渡邉恒雄など。

わたしの興味の対象を114名の方からピックアップした一部。

死亡年齢はそれぞれ執筆者であるご本人に任されていて、土屋賢二氏135歳、辺見じゅん129歳、尾辻克彦氏と高橋睦郎氏は120歳、玄侑宗久118歳、林望氏99歳・・・

90代、80代、70代が多い中、最も若年の41歳とされた野村万之丞氏は奇しくも44歳で逝去されています。

事前に想像するに、きっとおふざけ的な死亡記事が多いんだろうなと思いきや、意外に真面目にご自身の経歴を羅列されていた方もいて、それはそれで興味深く読めました。

 

「知人の通夜葬式に何百回出たかわからない、その大半はお義理だった、せめて自分のときはひとにああいう思いはさせたくない、だから葬儀等はお断り」と阿川弘之氏。

「三十歳でテレビのニュースショーのアシスタントでデビューしたときは、愛くるしさと初々しさで「その年齢にして何たる若々しさか」と世間を驚愕させ、ポスト吉永小百合か、はたまたオードリーヘップバーンの再来かと騒がれ、国の内外を問わず、言い寄る男性はあとを絶たなかったという伝説が残っている」とは阿川佐和子氏。


「ベンチで寄り添うカップルを、背後から「
天誅」と叫んで驚かせたり、革命で日本に亡命したロシア貴族の末裔を騙って観光客に飲み代をせびったり、と奇行も多かった」と萩原アンナ氏。

「五月の連休も終わったし、明日か明後日には死のうと思う。葬式には私が愛した女たちが津波のごとく押し寄せてくるだろう。悲嘆と嫉妬の叫びで会場が混乱するのは死んだ本人としても不本意だから、整理券を出して時間差で告別するようにしてもらいたい。整理券は百枚もあれば足りるはずだ」と関川夏央氏。
なお葬儀は箪笥街独居老人会館多目的室でボランティアと町会長立ち合いのもと催され、短時間のうちに静かに終わった。慈善ナースがつくって瀕死の関川さんを大いに満足させた整理券の束は、手つかずのまま棺に入れられた。

「哲学者でエッセイストの土屋賢二さんがトライアスロンをしている途中、車にはねられて死亡した。享年は百三十五。痴情のもつれによる殺人の疑いがあり、警察では、車の運転をしていたミスユニバース日本代表の白鳥麗奈さんから事情を聴いている。臨終の言葉は「この世界と女は理解できない」だった」とは郷土の星・土屋賢二氏。

注目すべきは一昨年入水自殺をした西部邁氏のご自身による死亡記事。

「私儀、今から丁度一年前に死亡致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた2人の人間とも、一人は投身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました。自殺を選んだ理由は、自分の精神がもうじき甚だしい機能低下を示してしまう、と確実に見通されたということであります」と西部氏。

西部氏の自殺に関してはのちに自殺幇助容疑で、生前の西部氏に心酔していたという2人の方が逮捕されて話題になりました。

こうしてみると西部氏の自殺願望は長い歳月をかけて熟成され遂行の時を待っていたのですね。

自殺行為の是非、2人の信奉者に頼ることを余儀なくされた行為の是非にはさまざまな意見が飛び交い、いまもなお釈然としない思いが残されていますが、20年か、またそれ以上長く自殺という願望を抱いて生きておられた西部氏、どんなに苦しかったかと改めて思いました。

昨日の続き・・・

結婚式が行われた軽井沢高原教会は東京ドームひとつ分ほどもある自然に囲まれた軽井沢星野リゾートのなかにある教会の一つ。


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挙式が夕方から行われたので挙式後二人が外に出ると道の両側には枝が朱に色づいたサンゴミズキや桂の樹樹がライトアップされてとても幻想的でした。

黄色に染まった桂の葉はハート型をしているのでライトアップされて地面にハート形の影が浮かんで結婚式に相応しい雰囲気を醸し出していました。

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宿は広大な野鳥の森の谷あいに建ち並ぶ離れ家。

星野リゾートは全国展開しているようですが、宿泊は初めて。


軽井沢が星野の発祥の地だとスタッフの方から伺いました。



朝、散歩をしているとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてきましたが、悲しいかな、姿が見えても鳥の名前がわからず・・・格好の短歌日和なのに詠むこともできず(ーー;)

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「こんなときTさんがいてくれたらなあ」と思わず呟いたら、共に歩いていた夫が「すんません」と当意即妙の返事。

Tさんというのは地元の歌会の先輩で鳥博士といわれている男性。

どんな鳥の生態についての質問にもたちどころに答えてくださる心強い方です。


というわけで折角の風光明媚花鳥風月も歌に生かすことができず・・・


ひとえに私の知識の貧しさによるもの・・・夫のせいでは決してありません。






さて今回は穂村弘氏ほか著『話しベタですが…』のご紹介です。 


「人前で話すとお腹が痛くなる、話している途中で論点がどこかへ、単に声が小さい……
誰もが悩む「話す」という行為。
読み進めるうちに明るい兆しが見えそうな、古今の作家たちによる32篇」







【もくじ】
1.はじめまして、のハードル

他人に声をかける……穂村弘
差別される人間……町田康
近所のバーへ繰り出す……中川学
話下手の私……高浜虚子
タメ口コミュニケーション……辛酸なめ子
ガール・シヤイ挿話……牧野信一
大きなかしの木……小川未明
たばこと神様……片桐はいり
ロンドンからの電話……高倉健

2.会話はキャッチボール…?

気づかいのある人とは……安西水丸
井戸端会議……星野博美
お喋り競争……坂口安吾
246号……川上弘美
なぜ「全部愛してる」ではダメなのだろうか?……高橋秀実
ピンで語ろう……槇村さとる
僕の孤独癖について……萩原朔太郎
人前で話す……山口瞳
私はインタビューが苦手かもしれない……堀井和子
九月十月十一月……太宰治
わからないぐらいがちょうどいい……最果タヒ
言葉の力……池田晶子

3.喋るばかりが能じゃない

無口なほうですか?……村上春樹
言葉はできなくも 鼻はみごとにきく例……開高健
失敗もわるくない……温又柔
働く肉体が生み出す言葉……塩野米松
動物を“仲間"と感じる瞬間……小林朋道
寡黙と饒舌……浅田次郎
アタマはスローな方がいい!? ……竹内久美子
美しい声とは……三宮麻由子
無言の言葉……白洲正子
沈黙の世界……武者小路実篤
渾沌……森鴎外


暮らしの文藝シリーズ。

「話す」ことについてのエッセイアンソロジー。

近代文豪から現代作家まで多彩な著名人による32編。


いや~おもしろかった(^.^)


井戸端会議でのくだらない雑談ならいくらでもしゃべれるのですが・・・

いざ衆目の中で改まって話をするとなると、とたんに言葉に詰まる・・・あかんたれの私。


まさかこのような著名人も自分と同じような苦手意識があったなんて!


言葉が不鮮明で吃ったりするので座中の人々の興味をひかないばかりか不愉快な感じを与えるのでなるべく喋らないという高浜虚子


他人に声をかけるのが苦手なのに比して妻の絶妙なコミュニケーション能力に脱帽する穂村弘


母親に「お前のとりえは寡黙なこと」と言われ、5分間の沈黙で家族に心配されるという浅田次郎

理由がわからないのに自分という存在そのものがどうやら差別の対象となっているようだという町田康


黙っていろと言われたら、いつまででも黙っていられるし、それはちっとも苦痛ではないという村上春樹


親しみを込めたタメ口が苦手の敬語脳という辛酸なめ子


タバコを話のきっかけに利用してコミュニケーションをとる方法を編み出した片桐はいり
この人の文章のうまさに感嘆。


最後に言葉の力を語る池田昌子

「本当の自分とは、本当の言葉を語る自分でしかない。
本当の言葉においてこそ人は自分と一致する。
言葉は道具なんかではない。
言葉は自分そのものなのだ・・・
言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなのだ。
自分の語る一言一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っているのだと、自覚しながら語ることだ。
そのようにして、生きることだ」


さまざまな社会問題に対応して持論を展開するコメンテーターというのがテレビをつければ見られる昨今、仕事柄自分の意見を披露することに長けた人々と思いますが、それぞれに個性的で案外口下手な方もおられて、それはそれで誠実な感じがして好感度が上がったりします。


こうしてみるとあまりにもおしゃべりというのは軽佻浮薄の権化みたいな気もしますが、言葉は発しないと意思疎通は量れない・・・もはや〈男は黙って○○ビール〉というのは死語です。


なるべく上質の言葉の力を磨いて程よい程度で言葉を交換しあうことを心がけたいと思うのでした。

いままで長い間softbankだった携帯電話のキャリアをauにしました。

Auのiphone。


でも検索はあまりしない・・・というか家でipadやパソコンを使って検索をするので外でまではほとんどしないので2GBのもの。

ブログやSNSの書き込みやコメントもスマホやiphoneからという人が多いようですが、私はキーボードでの両手打ちが慣れているので、iphoneやipadはなかなかやりにくいのです。


SNSといえば、ブログとともにSNSに参加しはじめて12年近く。


これらを通して今まで知らなかった世界が広がったのでした。


なんといっても国内外に多くの友人ができたこと。


ネット上での交流は最初は恐る恐るでしたが、交流を通してその人となりがわかってくると、信頼関係が生まれ、年齢を問わず多くの信頼できる友ができたことは私の喜びとなっています。



そんな友人のひとり、UNIさんは私よりはるかに若い東京在住の方ですが、もう10年近くのお付き合い。


彼女から今日、産経新聞に毎週連載されている「産経こどもニュース」原稿が届きました。

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多方面で活躍されているUNIさんを一言でご紹介するのはとても難しいのですが、キャリアの1つ、漫画家としてのキャリアを生かしてこの世の中の出来事をテーマ別に子どもたちにわかりやすくマンガで解説しています。


今まで長きにわたって定期的に送ってくださっているニュース原稿、大人の私にもすごくわかりやすく、ずうずうしくも毎回楽しみに待っています。


今回は火山について。

世界のさまざまな火山の噴火のしくみや噴火がもたらす被害と恵みなど。


サイエンスという側面からの解説つきのマンガがとても親しみやすく、理解しやすいので子どもたちの間のみならず大人にも人気なのがよくわかります。


最初に送ってくださったのが平成18年なのでもう11年!

長く送り続けてくださるUNIさん。


本当にありがとうございます。







さて今回は新潮文庫編集部/編『あのひと 傑作随想41編』をご紹介します。


「遠くへ行ってしまった人、思い出すたび胸が熱くなる人、忘れられない人――。
森茉莉 谷崎潤一郎 星新一 白洲正子 檀ふみ 柳田邦男 江國香織 岡本太郎 瀬戸内寂聴 藤沢周平 小川洋子 佐野洋子 中島らも 三島由紀夫 内田百�� 吉行淳之介 五味太郎 中原中也 須賀敦子ほか。
万感の想いが込められた珠玉の41編。
巻頭詩・解説 谷川俊太郎」


「あのひとと呼ぶとき」谷川俊太郎

「あのひと」と呼ぶとき
その人は広くもない私の心の部屋で
背中を見せて寛いでいる
寂しげな気配はない
名を呼べば振り向くだろうが
知り過ぎているその人を
いま私は「あのひと」と呼んでしまう

私を抱きしめて時に突き放す人
あのひとにどう近づけばいいのか
いまだに私は分からない

でもあのひとは他の誰とも違う人
決して人ごみに紛れてしまわない人
墓石の名が風雨にすり減った後に
私の心の部屋に帰って来る人

あのひとと呼ぶときその人は
私だけの時のせせらぎのほとりに
いつまでも立ちつくしている

〈あのひと〉と呼ぶことで生まれる距離感は微妙だ。
例えば友人との会話で妻が夫をあのひとと言うとき、私たちは夫婦だけれど、馴れ合ってはいませんよ的なニュアンスが感じられるのではないだろうか・・・
その人との関係がどうであれ、直接名指さないことで私的な感情を抑制できるから、三人称の〈あのひと〉を使って関係を公的な場にずらそうとするのだろうが、〈あのひと〉は客観的な彼や彼女とはまた一味違う情の深さを持っている・・・
愛するあのひと、憎らしいあのひと、懐かしいあのひと、忘れたいあのひと、忘れられないあのひと・・・。



今は亡き父や母、師、かけがえのない友人など、忘れられない「あのひと」の思い出を綴った随筆集です。


谷川俊太郎氏があとがきで書かれているように「あのひと」という言葉にはある距離感を感じてしまいます。


私が亡き父母のことを呼ぶとき、「あのひと」という言い方はしないと思うとき、「あのひと」には紙一枚分でも突き放すような響きがあるのを感じてしまいます。


もちろん本書に登場する41人の著者の方々のすべてが「あのひと」という言い方をしているわけではありませんが、対象が父であれ母であれ師であれ、著名な方の場合「あのひと」という形容がふさわしいような感じも抱きました。


41編の中で心に残ったのは、「母と娘の宿縁」の瀬戸内寂聴氏、「母と私」の遠藤周作氏、「母親の中の女」の五木寛之氏、「明石の漱石先生」の内田百�闔=A「おせいさんの娘」の澤地久枝氏、「虹」の石原慎太郎氏など。


内田氏は敬愛する夏目漱石、澤地氏は友人だった向田邦子、石原氏は弟の裕次郎について描いています。


特に「虹」は石原裕次郎が亡くなる直前の話。


今、築地市場移転騒動で話題を賑わしている元東京都知事・石原慎太郎氏の弟を思う兄の切なさというものが描かれていて、氏の別の一面を見た思いがした1篇でした。

昨日は母の日でした。

母の日といえば毎年思い出すのは亡き母のこと。

存命中は誕生日と母の日には毎年プレゼントを欠かさなかったので、2つの日が近づくとプレッシャーに悩まされた日々も数知れず・・・今ではそれがとても懐かしく思えます。


私とちがって母は明治の最後の年の生まれながらおしゃれに関心が高く、デザイナーになりたかったとこっそり打ち明けてくれたこともあるほど着る物への愛着が深い人でした。


年金の多くを私たち家族のための衣服に費やし、デパートで見繕ってはいつも贈ってくれていましたが、私はそんな母の外見へのこだわりがいやで正反対になった、というかおしゃれを遠ざけていて母にきっと悲しい思いをさせたと思います。


そんな母は晩年寝たきり生活が長かったので大方のプレゼントはパジャマとかスカーフなどベッドでも楽しめるものをと心がけて・・・年2回のプレゼントを探して方々の店を歩いた思い出が母の日が近づくと蘇って切なくなります。


そんな母も亡くなって5年、相変わらずおしゃれとは縁遠い日々を過ごしている娘だなぁとあちらの世界から眺めているかもしれません。


こんなダメ娘&ダメ母である私ですが、毎年3人の子どもたちから母の日プレゼントが届いて・・・分不相応という感に苛まれつつ、心がじんわり嬉しくなります、みんな本当にありがとう!

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次男から・・・ちいさな宝石のような粒・・・大事に食べようと思いながら食べだしたら止められず結局1日で食べてしまいました^_^;
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これも次男・・・日本茶好きな父母用に京都と静岡産・・・飲み比べてと。

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長男一家より・・・黄色と緑色の箱はアスカより、ジジとババ用に。すごく難しい折り方、すごく時間がかかったそうです。
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長女から・・・メインはきっとモディリアニとドガの写真立て。モディリアニのジャンヌは母用、ドガの踊子は父用。レンピツカの画集も。あと好みのスカーフとか父好物の最中など。






さて今日は長田弘氏著『ことばの果実』のご紹介です。

  
「日々の暮らしの光景に風物詩としての彩りとアクセントをもたらしてきた果実と花実。
食卓のささやかな悦びと至福の味の記憶を綴る」


2015年5月に旅立たれた著者最後のエッセー集。


潮出版社発行の月刊誌「Pumpkin(パンプキン)」に2012年~2015年まで連載していたエッセイを一冊にまとめたのが本書、松野美穂さんによるすてきな水彩の挿画と相乗してあったかいエッセイ集になっています。

言葉のなかに実るみずみずしい果実との記憶


ことばの果実
苺/さくらんぼ/甘夏/白桃/スイカ/葡萄/柿/栗/レモン/ミカン/あんこ/グレープフルーツ/バナナ/梅の実/ザボン/トマト/オレンジ/パイナップル/柘榴/梨/メイプルシロップ/五味子/落花生/林檎

ことばの花実
オリーブ/グリーン・トマト/笹の葉/にんにく/胡椒/牡丹/茄子/唐辛子/ハラペーニョ/アスパラガス/もやし/ふきのとう/辛味大根/納豆


季節を巡る自然の風と共に旬の果物や野菜、香辛料の芳香が流れてきて私を手招きするような…そんなみずみずしくも含蓄ある内容。


例えば最初に登場する「苺」・・・
苺を一粒、左手の親指と中指で逆さに挿んで、黙ってじっと苺を見つめていた。
それだけの、ただ一瞬のこと。
早春、コーヒーハウスで、なにげなく目をあげて、視線の先に認めた、知らない若い女の人の、そのときの、その所作の印象が、そこだけ際立って、目に鮮明にのこっている。
信じられないのだが、それからもう、すでに、ざっと五十年ほどの日月が過ぎている・・・
春の日の午前、まだ人声の少ないカフェで、濃いエスプレッソコーヒーと、その店の、その日のつくりたての苺のケーキを頼んで、木のテーブルに座って、なにげなく目をあげたとき、時間がとまった。
店の奥のテーブルに一人、すっと背筋をのばした、きれいに歳をとった女の人がいた、そして、苺を一粒、左手の親指と中指で逆さに挿んで、黙ってじっと苺を見つめていた。それだけの、ただ一瞬のこと。
奇跡とはごくささやかなものだ。
朝採りの苺一粒ほどの。


私の語感を虜にしてしまう最後の2行・・・長田弘氏が好きな理由を冒頭の「苺」でもう見つけてしまうほど。


「さくらんぼ」では幼い頃短い間住んでいたさくらんぼ畑の記憶から・・・
掌のなかで、朝の透明な光を、閃光のように弾いていたさくらんぼの実。
いまならわたしは、かつての子どものわたしに言ってやれるだろう。
黒ずんで、皺だらけで、身をよじるようだった年老いた樹々が、これほどつややかな実をみのらせることができるなら、世界はまだ信じるにあたいするのだと。



「レモン」では梶井基次郎のあの有名な『檸檬』に言及して・・・
『檸檬』が書かれた大正末期にはもう世に「極くありふれて」いて、レモンはレモンで、檸檬ではなかった。
『檸檬』にはほぼおなじストーリーの習作の詩片があり、最初の一行だけ檸檬にレモンと振り仮名があって、あとはぜんぶレモンはレモン。
それが『檸檬』になるや、すべて振り仮名のない檸檬になる。
漢字畏るべし。
『檸檬』を稀有の傑作としたのは、檸檬という、きわめて稀有な漢字のレモンだった。



「梅の実」では歴史を交えて・・・
古くから、梅は愛されてきた・・・
万葉集の時代になると、もうこの国でなにより心寄せられる木の花になる。
万葉集の梅は、ぜんぶ白梅。
その清潔な白さは、いまでもなまめかしいほどだ。
梅の香が讃えられるようになるのは、万葉集のほとんどおしまいのころから。
さらに、紅梅の紅の色が賞でられるようになるのは、もっと後。
「木の花は、梅の、濃くも薄くも、紅梅」と言ってのけた、枕草子の時代になってかららしい。



「メイプルシロップ」では未知の美しい北米の森に想像の羽が広がりそう・・・
北米ニューイングランド。
明るい森のなかに小さな州が一つ収まっているようなヴァーモント州。
カナダ国境がすぐそこの、どこまでもサトウカエデの木々のつづく、森のはずれの街道沿いのシュガーハウス・・・
メイプルシロップができるのは、冬と春とが交錯する、寒暖の差が一年でもっとも大きい時節の、わずか数日。
サトウカエデの太い幹に小さな穴を開け、幹に吊り提げたバケツに流れ出る樹液を集め、きれいに煮詰める。
森の「春の歓び」とされる、そのメイプルシロップの真の味をおしえてくれたのが、森の木々の色づく葉群れが信じられないほどうつくしい秋のヴァーモントだった。
小さな壜のなかに、明るい大きな森がある。
それがわたしのメイプルシロップ。



「林檎」の思い出はきっとみんな共有できるもの・・・少なくとも私の思い出は著者と同じ・・・風邪熱とお腹下しとすりおろし林檎と母の手・・・・・・熱が下がったあと、母はかならず新鮮な林檎を擦り下ろして、それをガーゼでくるんでギュッと絞って、コップ一杯の林檎のジュースをつくってくれた。
ミキサーもジューサーもまだなかった時代。
母の手のちからはおどろくほど強く、手でしっかりと絞られた林檎のジュースは、飲み干すと、身体のすみずみまでに沁みわたってゆくような、至福の味だった・・・
時代は乏しかった。
しかし至福の味の記憶をのこすのは、むしろ乏しい時代である。



まだまだありますが、この辺で。

先日、当市北にある半田山植物園での小さな歌会に参加しました。

未だ余震が続いて不安な毎日を過ごされている被災者の方々には申し訳ないような風ひかる一日。


当地に長く住みながらこの植物園は初めて。


もう桜は終わっていましたが、山の斜面を利用した園庭にはさまざまな樹木や花が咲いていました。

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郵便の木といわれるタラヨウ(多羅葉)

やわらかな若葉が美しい季節です。







さて本日は中野孝次氏著『ローマの哲人 セネカの言葉』をご紹介したいと思います。


「2千年前に,こんなにも生き生きとした思想家がいた! 
人生,貧困,死など,誰もが一度は突き当たるテーマをとりあげ,真に自由に生きることを説くセネカ。
その文章は無類の魅力をもち,悩める人を力強く励ます。
今まで日本ではあまり知られていなかったセネカの世界を,中野孝次が一挙に書き下ろす、現代人のためのセネカ入門」


本書は古代ローマ時代のストア派に属する哲人で、ローマの第5代皇帝ネロの幼少時の家庭教師を務め、治世初期のネロ皇帝を支えたといわれるセネカ(紀元前1年頃~-紀元後65年)の言葉の中からこれぞと思い入れのあるものを集めて、中野孝次氏が現代人向けにやさしい言葉で紹介している概説書。


中野氏の死生観が色濃く投影されていますが、著者が書かれた当時の日本の不況の状況を鑑みた内容でとても読みやすく共感部分の多い作品となっています。


人の一生で誰もが遭遇する別れや死という永遠のテーマを取り上げてそれぞれの具体例を挙げ、深く考察して答えを導くというセネカの手法に中野氏がご自身の考察をするという構成。


「マルキアへの慰め」「人生の短さについて」「道徳についてのルキリウスへの手紙」「ヘルヴィアへの慰め」「幸福な人生について」「心の落書きについて」「閑暇について」「神意について」

以上の構成からなります。


誰かに起こったことは誰にでも起こりうること・・・この世界で起こっている数々の悲劇を決して他人事として捉えなければもっとお互いに安らぐことができるでしょう。


このような心構えを前提にして全章が説かれています。


例えば、「マルキアへの慰め」では、若くして息子を失った母親に対し、息子は短くとも充実した人生を送ったと説きます。

「泣いて不幸に打ち勝てるものならば、みんなで一緒に泣きましょう」と呼びかけつつ、しかしながら「悲しみは役に立つか」と問いかけながら、「無益な悲しみは止めてください」と締めくくっています。


「人生の短さについて」では、膨大な時間を浪費してなお時間が足りないと嘆く私たちに向けての警告。

人生はまだまだ続くだろうという根拠のない思い上がりを捨て、今日が貴重な最後の日と自分に命じることを説いています。


「ヘルヴィアへの慰め」では、今まで築いてきた地位や財産が一瞬に失われたとしても、それは運命がただ取り返しにきただけなのだと説きます。


「心の落ち着きについて」では、田舎からローマに出てきたばかりの親戚の若者の身の上相談に応じて書かれています。

大都会の中でもし孤立して孤独になり生きる勇気をなくしたとしても、人はその存在そのものによって他者を力づけることができるということを心するようにと説いています。


「これはお前一人の胸にしまっておけ、人に教えるなという条件つきで知恵を授けられるのなら、僕はおそらくそれを突っ返すでしょう。
どんなに善きものでも、仲間がいないのでは持っていても楽しくない」


先日来日されて話題になったウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が2012年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された「持続可能な開発会議」でのスピーチの一部「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」はセネカの箴言を引いていらっしゃいます。

痛くとも耳と心を開いて受け取るべき言葉があふれています。

機会があれば開いてみてくださいね。

月に2回の歌会を楽しんでいます。

いまのところネットを介して師にほぼ連日見ていただくというのを習慣として作歌しているので歌会に提出する5首に困ったことはないのですが、眺めれば眺めるほど自信喪失するような稚拙な短歌ばかり・・・果たしてこれが短歌と言えるのか・・・などと考え出すと提出するのが怖くなります。

説明的だったり、感情過多だったり、何が言いたいのかわかってもらえそうになかったり、時制や言葉遣いに不備があったり。。。

詠みたい事象はたくさんあるのに語彙がついていかない、常時そんなまどろっこしい感じ。


ここ数ヶ月はなるべく削って簡素にしようと心がけています。

心がけすぎてまるで小学生の作った歌のようになったり・・・つくづくと難しい。


その歌会では年に2回「樹林」という会誌を発行していてもうすぐ後半期の発行時期。

主宰していらっしゃる先生の短歌をはじめ、私たち歌友の短歌10首ずつ、それぞれの短歌の感想文、歌人の歌集の紹介文、当地の文化人への先生のインタビュー記事など、薄い冊子ながら内容はかなり充実しています。


私は今年の春から参加しているので2度目。

前回は初心者だからと外されていた歌集の紹介を今回は課せられているのでその原稿と短歌10首。

そろそろ仕上げないと。

長い歌歴の先輩の方々の中でまだまだ小さくなっている私です。






さて今回は北野武氏著『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』をご紹介します。


「二〇一八年、道徳を教科化? だけど、その前に……、
『日本人にとって、「道徳」とは何か?』
この問いに答えられる、親や教師はいるのだろうか。
まず最初に大人たちが、真面目に考えた方がいい。
稀代の天才が現代の核心をえぐる、未だ嘗てない道徳論!」


時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。
誰かに押しつけられた道徳ではなく、自分なりの道徳で生きた方がよほど格好いい。
自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。
今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。
それは、自分の人生を人まかせにするってことだと思う。



たけし独特のデカダニズムを醸し出していながらその実真面目な共感満載の内容です。


「人生をこれから始める子供に、人生を見つめさて、何の意味があるのか?」

「夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ」

「なぜ、本を読みながら歩いた二宮金次郎が銅像になって、スマホを片手に歩いている女子高生が目の敵にさらえるのか」


道徳はそもそも社会秩序を守るために作られた、つまり支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたもの、その時代時代で「道徳」というものの指標はいともあっさりと変わる、ということを土台に、支配者や国への依存心を捨てて自分の頭で則を構築せよ、というのが本書のあらましです。

子どものけんかがよくないというなら国の戦争も正しくないというべきだ、と言います。

妙に納得できるかたちで説いている本書。

文科省が2年後に「道徳」を教科の1つに加えようとする動きがあるそうですが、どのような内容なのか見てみたい気がします。

一定の価値観や規範意識を一方的にさし示す以外のどんな道徳教育を国は考えているのか。


戦前教育の一環として行われていた「修身」がGHQによって軍国主義的だという理由で強制的に止めさせられた経緯があり、その後週1時間の「道徳の時間」が設けられたそうですが、私の小中学校時代を振り返っても何を学んだのかまったく覚えていないほど影が薄い。


せっかく時間を設けるなら、教科とは関係のない、ゆとりのある時間として映画や読書を取り入れたり、戦争体験者のお話の時間を設けたり、幼児や高齢者との交流をしたり・・・そんな中で個々に自分の道徳を構築してもらえたらいいなと思えます。

道徳は時間が経てば変わりますが、その中でも他者に思いをはせる、ということができる人になればもうそれだけでもうけもの・・・たけしの言葉を借りれば。

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