VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 天童荒太

上京のつづき。

NHK全国短歌大会では特選者の付き添いというか観覧者に前列の席が用意されるので、寒い中長蛇の列に並んで整理券を調達しなくていいという特典があり、今回は当地から卓球&絵の友人3人と夫、そして現地で子どもたちが合流しました。


せっかくの東京、NHKホールだけでは、ということで汐留にあるパナソニックミュージアムで開催されている「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密 」を観てきました。


「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密 」汐留パナソニックミュージアム

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フランスの巨匠のふたりが生涯を親友として支え合ったという事実。

1890年代のパリ、国立美術学校・ギュスターヴ・モローの指導する教室で知り合ったふたり。



マティス

ルオー

ふたりの間で交わされた1906年~1953年までの長きにわたる手紙の数々が作品とともに展示されていて胸を打ちました。


その後長男の家に一泊して帰宅、途上冠雪の富士山の威風堂々!

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長男宅で

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久しぶりの駅弁




さて今回は天童荒太氏著『ムーンナイト・ダイバー』をご紹介したいと思います。

「ダイビングのインストラクターをつとめる舟作は、秘密の依頼者グループの命をうけて、亡父の親友である文平とともに立入禁止の海域で引き揚げを行っていた。
光源は月光だけ――ふたりが《光のエリア》と呼ぶ、建屋周辺地域を抜けた先の海底には「あの日」がまだそのまま残されていた。
依頼者グループの会が決めたルールにそむき、直接舟作とコンタクトをとった眞部透子は、行方不明者である夫のしていた指輪を探さないでほしいと告げるのだが…
311後のフクシマを舞台に、鎮魂と生への祈りをこめた著者の新たな代表作誕生」


3・11から5年目となるフクシマを舞台に鎮魂と生への祈りを込めて描いた作品。


「オール讀物」に掲載したものを書籍化しました。


「小説『悼む人』を書いた者として、表現者として震災にどう向き合うかずっと考えてきた」と天童氏。

「津波で海に多くのものがさらわれ、多くのものが海にある」と考えたのがきっかけと語る著者。


震災後立ち入り禁止区域となった東京電力福島第1原発の周辺海域の海へ非合法に潜り、海の底から見つけた遺品を持ち帰るというダイバーを主人公に、との構想。


津波で父と兄を失った過去をもち、ダイビングのインストラクターとして働く瀬奈舟作。


違法と知りながら人目を避けて月明かりのある夜中に海に潜り遺品を持ち帰る舟作。


「なぜ生き残ってしまったのか」

「なぜ駆られるように潜るのか」


九死に一生をえて生き残った人々の抱える罪悪感ーサバイバーギルトーという命題とともに未だ復興という言葉とは遠いところにある被災地の現状を伝えるというテーマが柱となっています。


違法と知りながら、一瞬にして海の底に沈んでしまったあの日以前の日々を取り戻すために悪戦苦闘する主人公の姿は『悼む人』の主人公とどこか同じ根っこを持っているように思います。


テーマはずばり「贖罪」。


おそらく著者の永遠のテーマの根がそこにあるからでしょう。


並行して家族や夫婦、男と女の愛がさまざまな形で描かれているのも読みどころのひとつです。


好き嫌いがあるかとは思いますが、読み応えのある作品でした。

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先日の母の日の前の数日間は数十年来の習慣で母の喜びそうなパジャマやスカーフ、帽子などに自然に吸い寄せられては改めて母の不在を思い知るということを繰り返してしまいました。


母が生存中は母へのプレゼントにばかり気を取られていて、子どもたちから私宛に母の日プレゼントが届いて初めて自分も母だったんだと妙な感覚と感謝を抱いたものですが、今年は子どもたちから届けられたプレゼントをじっくり味わうことができました。


メッセージカードに「いつもありがとう」と書かれているのを読んでなぜだか涙が出てしまったり、プレゼントをもらえるほどの母ではないという気恥ずかしさとともにありがたい気持ちでいっぱいになりました。


母もこんな気持ちで喜んでくれていたんだなあと改めて母の気持ちをなぞっています。


写真は子どもたちからのプレゼント。

昨年に引き続いて次男がプレゼントしてくれた日比谷花壇のカーネーション、とっても可愛らしいアレンジで部屋が明るくなっています。

圧力鍋は連休中に帰省した娘の相方が我が家の圧力鍋でイワシ料理にチャレンジしてくれた際パッキンが緩んでいて圧力がかからず失敗したことから新しい圧力鍋をプレゼントしてくれたものです。

新しい調理器具は主婦にとって嬉しいプレゼント、料理への意欲が涌いてきます。

最後が長男のお嫁さん・友香ちゃんからのベスト&パンツ、いつも身につけるものを送ってくれるので重宝しています。


やらなければならないことに体がついていかず心が押しつぶされそうになっているときのプレゼントは泣かせます。




さて本日は天童荒太氏著『静人日記』をご紹介します。


「新聞の死亡記事を見て亡くなった人を亡くなった場所で〈悼む〉ために全国を放浪する坂築静人。
死者の周辺の人々から疎んじられ、罵声を浴びせられることもあるが、時にはあなたの行為で救われたと、感謝されることもある――。
さまざまな死者と生者との出会いと別れを繰り返す静人。
その終わりなき旅の日々が、端整な筆致で記されていく。
直木賞受賞作『悼む人』の主人公の日記という体裁をとった異色の小説は、『悼む人』を読んだ方はもちろん、未読の方にもこの素晴らしい作品世界へのイントロダクションになることと思います」(文藝春秋社HPより)


『悼む人』のレビューはこちらから

本書は著者ご自身が『悼む人』を創作するために主人公・静人と同人化して綴った2005年12月から2006年6月までの日記、時系列としてはこの後『悼む人』に繋がるという構成になっています。


死者が生存中「誰を愛し 誰に愛され どんな事で感謝されたか」ということを確認し、記憶する旅の途中の200余篇の生と死と愛の物語。


1日の数分から数時間を静人になり3年間毎日、静人の日記を書かれていた天童氏には敬服しますが、『悼む人』同様すべてに共感できる作品とは言い難い感覚は抜けませんでした。



本書の前半は延々と続く死者への悼みの旅の記録ですが、後半からは特定の人との人間的な交流が描かれていて静人の揺れ動く心などがときとして記されていて少し救いのある内容になっています。


例えば旅先で知り合ったタキとの会話。

「悼めない場合は冥福を祈るにとどめ、悼める場合だけ悼むのは間違っているでしょうか」

「正しいか間違っているか、裁くようなことは申せません。
ただ、あなたの行為はあまりにも重く人としての分を超えている気がします。
このままでは心も体ももちませんよ。
あなただけでなく、あなたにかかわる周囲の人々をもつらくしかねないでしょう」

「わかっています。わかっているつもりです。
でも死者一名とだけ書かれた数字を見ると苦しいのです。
被害者・被災者といった代名詞のまま何も語られない命を思うと胸が詰まるのです」

「それはあなたの錯覚でしょう。
幻覚です。
断ち切ってしまわれることです」


このタキの言葉はそのまま私の感想でもあり著者の読者への投げかけでもあると思います。


人はみな解決できない苦しさを心に秘めながら周囲とのバランスを取り、自分を愛してくれる人々の気持ちに添うために、ともすれば突き動かされる自分の衝動を封じ込めて生きているのではないでしょうか。


親友が亡くなったことがきっかけで社会生活を営むことが難しくなったという設定の静人のこの行為は一見社会的に害がないばかりか尊い行為であるという認識になりがちで、その点を踏まえているからこそ天童氏は作品のテーマに選ばれたと思いますが、あえて厳しい表現をすれば神経症の青年の物語ともいえるのではないでしょうか。


厳しいレビューになりましたが、天童氏のひたむきな創作へのスタンスにはいつもながら心を打たれました。

だれでも他人から見ると首を傾げるようなこだわりを日常生活に持っているのではないでしょうか。


自分ではこだわりの少ない平均的な性格だと思っている私ですが夫から見るとかなり偏りがあるようです。

時間的なバランスが悪いのがその1つ。


集中力はあるので何かをするときはすごい集中力でやりますが、やり遂げることにこだわりを置くあまり、結果はどうでもよくなることもしばしばです。

手芸に例を挙げれば、気に入ったデザインで手縫いのポーチを作り始めると、ある期間集中していくつも作り、完成品には一切執着なく方々へ進呈し、あるときを境にピタリとやめる・・・という具合。


生涯コツコツと努力を積み重ね、それによって得たものを掌中でずっと慈しむという感覚はなく、資格を取ったとしても取った時点で自分の中でその資格の価値が消滅するという感じなのです。


こんな分析ができるようになったのは年齢を重ねてある程度冷静に自己判断できるようになってからで、若いときは自分にもっと見当外れな幻想を抱いていたような気もします。



「集中してやり遂げる」と書けばとてもすばらしい行為のようですが、畑に例をとるなら長い時間をかけて理想的な土を熟成するという長期的なプロセスを要するものは苦手です。


「完成することに対するこだわり」は概念的で表面的には目立たないので周囲が困ることもなく糾弾の対象にはなりませんが、神経症との境界線上にあるような「こだわり」を持った人もたくさんいます。



医療の対象にはならなくても1日何度も手を洗わずにはいられなかったり、外出前後には異常に火の元や戸締りが気になるのを経験している人も多いと思います。


「妄想」と「正常」の境目の線引きが気になるところですが、私たちを取り巻く「世間」の賛否の割合によって左右されるのではないでしょうか。


自分の考えや行為がまっとうであると思っていても、世間の多数が「否」と認識すればそれは単なる「妄想」や「異常」となってしまうし、逆の場合もあります。


「地球は回っている」と主張したガリレオはその時代の「世間」によって狂人扱いされたことからもわかりますが、ここで書く「世間」の常識は常に流動的で流行に流されます。



私もそんな大勢に流されやすく、そして感傷的な甘さのある「世間」の一員ですが、今回読了した作品への評価は、ググってみたところかなり少数派に属するもののようでした。


天童荒太氏著『悼む人』


先日行った図書館の返却コーナーに横たわっていた本書。

まさか予約なしでこんなに早く手に届くとは!



「この作品は、決して自分一人で書いた作品ではありません。
あとがき代わりの謝辞にもあるとおり、七年という長い歳月のあいだ、本当に多くの人々の力をお借りし、支えてもらって、ようやく書き上げることができた作品です・・・
わたし個人としては、長い年月がかかりましたが、この物語を現在の形に書き上げることができただけで、幸せでした。
本当にここまでの作品になるとは思いもしませんでした。
ここまで深い場所に潜ることができるとは思っていませんでしたし、ここまで高いところに登れるとも思っていませんでした。
今回の作品によって得られた様々な想いや風景を、読者と共有することができて、最も欲しいものはすでに得ている気持ちでいました・・・
そして、この物語の背景には、現実世界での人びとの死という重くて、とても大切な事実が横たわっています。
亡くなられたお一人お一人を、坂築静人のように悼むことはとてもできませんが、あらためてここにご冥福をお祈りいたします。         2009年1月15日 天童荒太」



1986年『白の家族』(栗田教行名義)で第13回野生時代新人文学賞
1994年『孤独の歌声』で第6回日本推理サスペンス大賞優秀作
1995年『家族狩り』で第9回山本周五郎賞
2000年『永遠の仔』で第53回日本推理作家協会賞
2000年『あふれた愛』
2006年『包帯クラブ』
2009年『悼む人』で第140回直木賞をそれぞれ受賞


天童荒太名義での実質的なデビュー作『孤独の歌声』以来、全作品を読んでいますが、本書は最も天童氏を投影した天童氏らしい作品だというのが私の感想です。


主人公は坂築静人・・・ひとことでいうなら・・・人を失う悲しみをあまりにも深く受け止めすぎて社会生活を営めなくなった青年・・・です。


命を落とした人々を悼むために全国放浪の旅を続ける青年・坂築静人を軸に、ふとしたことから彼と行動を共にすることになった夫殺しの過去を持つ奈義倖世、自分とはあまりにもかけ離れた静人の行動に興味を持ったスクープ屋の薪野抗太郎、そして末期の宣告を受けた母・巡子と彼女を取り巻く家族たちの、それぞれの視点で書かれた物語。



最初に挙げた著者の言葉から、本書に対する著者の思い入れの深さと作品が世に出てからの評価に対する満足感など、「死を悼む」という行為そのものが感傷的な面で「世間」に受け入れられるということに疑いの余地を持たない著者の純な心をうかがい知ることができます。


読みながら、ともすれば主人公・静人と著者・天童氏が二重写しになってしまったのは上述したようなことからです。


日本津々浦々で起こった不特定の人々の死を新聞を通して知り、その死の現場でその人が在りし日に誰かを愛し、誰かに愛され、そして死者がどんなことに感謝されたかを胸に刻みながら「悼む」日々を過ごす静人の行為は、他人の死をそのときのものとして自分の中で浄化できないという静人自身の「こだわり」から発したものだと思われますが、それを美しい行為として美化するという概念が著者のスタンスに流れているようで、なかなか共感が難しい作品でした。


極論ですが、「悼む」という行為はたとえ他者を犠牲にしようと崇高で、逆に「恨む」という行為は「醜いこだわり」という「世間」の常識であるという認識を基礎の創作が本書であるという感が拭えませんでした。


最初に書いた「世間」に受け入れられる「こだわり」の部類に入るのが静人の行為だとすると、静人の帰りをひたすら待っている末期がんの母親への息子としての静人の贖罪はどうなるのか。


静人は自らの自殺の代わりに全国の死者を「悼む」旅をしていると答えている箇所がありますが、旅立った母の終末を知れば静人はそれでもなお生へ向かうことはできないのではないか。



ところが宙に浮いたような静人の行為に納得できない読者は案外少なく、現在の混沌とした我勝ちな世の中で、久しぶりに浄化されたすばらしい魂を静人に見て感動したという人が多いのには正直驚きました。


静人ならず、創作のディテールにこだわりを持つ作家であることは『永遠の仔』を書き上げたあと公開された創作ノートで知っていましたが、今回も本書を完成するまでの7年の苦闘の末、450ページにわたる大作を世に出したあとの著書自身の感想は上述したとおりですが、あまりにも著者のさまざまな「こだわり」が感じられ、大勢の読者のようにピュアな主題の作品とはとうてい受け入れられませんでした。 



本書の執筆の発端について著者は「最初に『悼む』というイメージが頭の中に生まれて、それを長く熟成させたら『悼む人』が生まれた」とあるインタビューで答えていらっしゃいましたが、独り歩きした「悼む」という言葉が巨大化した作品といえるのではないでしょうか。


また静人の随行者となった夫殺しの過去を持つ奈義倖世の物語と随行から離れる前の2人の性的な関係も挿話としては理解を超えた夾雑なものでした。



一方、静人の知らないところで闘病する末期がんを病んだ母・巡子とそれを取り巻く静人の父である夫・鷹彦、静人の妹である娘・美汐、そして甥の生活者としての日常にはそこここに胸を打たれる場面があり、巡子の生き様に人間としての理想的な終末を見ることができたことはすばらしい収穫でした。


物語の最後は、去り逝く母と娘であり静人の妹・美汐の宿した子どもの誕生という神秘的ないのちの交換という感動的な場面で終わりますが、著者にはその後の静人をぜひ書いていただきたいと思いました。

   


読書が趣味の私は新聞の書評欄をいつもチェックしています。

先日片隅にトマス・ハリスの新作『ハンニバル・ライジング』の文庫化のお知らせを目にしました。


トマス・ハリスは非常に寡作な作家で、30年の作家生活で過去に4作上梓しているのみです。


パレスチナ問題を扱った第一作『ブラック・サンデー』のみが異色で、一貫してサイコ・ホラーをテーマに描かれています。


第三作目の『羊たちの沈黙』が映画化され、アカデミー賞を受賞したことで一躍有名になりましたね。

FBIの訓練生を演じたジョディ・フォスターと殺人鬼を演じたアンソニー・ホプキンスの真迫の演技が話題になりました。


新作『ハンニバル・ライジング』はアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクター博士の幼少期を描いて、彼の猟奇性の原因に迫っているようです。


戦慄するようなサイコは特に苦手ではありますが、トマス・ハリスが異常性格者の幼少をどのような物語で位置づけているのか怖いもの見たさの興味もなきにしもあらずです。



サイコ・サスペンスにちなんで、本日は天童荒太氏『孤独の歌声』をご紹介します。


1986年『白い家族』で野生時代新人文学賞、
1994年本書で日本推理サスペンス大賞、
1995年『家族狩り』で山本周五郎賞、
2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞をそれぞれ受賞されています。


『永遠の仔』は2000年に中谷美紀主演でTV化され、話題になりましたね。

また2003年から2005年にかけて『家族狩り』を大幅に加筆修正した五部作『幻世の祈り』『遭難者の夢』『贈られた手』『巡礼者たち』『まだ遠い光』が現在も静かなブームを呼んでいるようです。


このブログでも以前『包帯クラブ』をアップしています。

     
さて本書は比較的初期に書かれたもので、天童氏がサスペンス・ホラーというジャンルの小説募集に応募され、出版に至ったものです。


東京都内の狭いエリアで発生した連続殺人事件を主軸に、女性刑事、コンビニのアルバイト店員、そして犯人というそれぞれ孤独を抱える3人の過去と現在が巧みな筆で交互に語られています。


過去のトラウマからくる集団の中での深く支えきれないほどの孤独を肩に、3様の生き方をしている主人公たちの対比を描く、という著者特有の筆致がここでしっかり根を張ったように思われる作品となっています。

これは後の小説『永遠の仔』などに引き継がれている最も重要なテーマとなっているのではないでしょうか。


「家族」を離れ「家族」に戻る・・・「家族」の存在にうっとうしさを感じた若い時代を経験した人は多いと思いますが、必ず戻って受け入れてもらえる「家族」の存在は大きな幹のようにどっしりとした安定感を与えてくれます。

この安定感こそが人間を形づくるのに最も大切な要素となっていることを著者はいろいろな場で登場人物に語らせています。


このような作品を読むと、「家族」としての基盤作りの大切さを痛感します。


今からでも遅くない、心を込めて家族づくりをしなければ、と思っています。

マンションのベランダに、鳩のつがいが巣作りの床を求めてやってきました。
枯れたランの鉢のあたりを標的にしたようですが、すんでのところで追い払えました(^_^;)

以前住んでいたマンションで、卵を産んだのに気がつかず、住人の指摘で取り除くのに大変な思いをした経験があります。   
平和のシンボルといわれている鳩さん、我が家には来ないで!

ひきこもり、ニート、リストカット、家庭内暴力、拒食症などなど、いろいろな問題を抱えている若者の苦しみを主題に、小説を発表し続けている作家ですよね。  「永遠の仔」がTV化されて話題になりましたね。 

人間の抱える苦しみ、悲しみは閉じ込めてしまわないでいいんだよっていう内容かな、シンプルに言えば。   

飽食の時代、心に飢餓感を抱えている人々のよりどころとなればいいですね。

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