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カテゴリ: 医学系ノンフィクション

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昨夜は中秋の名月

 

 

里芋の収穫を祝って里芋やさつまいもなどの芋類供えられたところから〈芋名月〉ともいわれているそう。

 

 

今年は中秋の名月と満月が1日ずれていて今日が満月、肉眼ではまんまるで他の満月と大きさが変わらないように見えますが、今年最も小さく見える満月だそうです。

 

 

満月を眺める位置に椅子二つ夫との余生に深みゆく秋

 

ほろ酔いの夫と並びて仰ぐ月四十五億五千年前の奇蹟を思ふ

 

満月とうさぎのかたちの落雁を食みつつ幼きわたしに還る

 

 

 

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岩波明氏著『文豪はみんなうつ』
 



明治から昭和初期、文学史上に残る傑作を数多残した10人の文豪―漱石、有島、芥川、島清、賢治、中也、藤村、太宰、谷崎、川端。彼らのうち、7人が重症の精神疾患に罹患し、2人が「精神病院」に入院、4人が自殺している。

才能への不安、女性問題、近親者の死、肉親の精神疾患などに苦しみ続け、苦悩そのものを作品にした。

漱石はうつ病による幻覚を幾多のシーンで描写し、藤村は自分の父をモデルに座敷牢に幽閉された主人公を描いた。

「芥川は分裂症」などの定説を覆す、精神科医によるスキャンダラスな作家論

 


著者について


1959年神奈川県生まれ

東京大学医学部卒業

精神科医、医学博士

昭和大学医学部精神医学教室准教授。都立松沢病院、東大病院精神科などで精神科臨床にたずさわる

 


明治から昭和初期に活躍した文豪
10人の生き様を通して読みとれる精神疾患にアプローチした作品。

 

夏目漱石・有島武郎・芥川龍之介・島田清次郎・宮沢賢治・中原中也・島崎藤村・太宰治・谷崎潤一郎・川端康成10人。

 

精神に変調をきたしていた文豪といえば真っ先に漱石、太宰など思い浮かびますが、ここに挙げられた他の文豪も多かれ少なかれ精神的に重篤なトラブルを抱えた人々であったというのが現役の精神科臨床医である著者の目を通して語られています。

 

タイトルでは精神疾患をひとくくりの「うつ」で表していますが、内容的には統合失調症やパニック障害の様だったり、睡眠薬中毒の為せる症状だったりと多種多様。

 

精神的な病相はさまざまですが、さぞかし本人を支えていた周りの人々はたいへんだったろうなと同情を禁じえませんでした。

 

漱石については先ごろ、鳥越碧氏著の『漱石の妻』を読んでいたこともあり、ほとんどのエピソードは知っていましたが、それにしても幻聴幻覚の表れ方はまさに現在の統合失調症そのもの。

 

しかし著者も驚いていましたが、幻聴幻覚に振り回されながら生み出された作品は後世にも光り輝く『坊ちゃん』や『我輩は猫である』という名著。

 

なぜあのような錯乱した精神状態でこれほどの作品を生み出せたのか・・・未だに解き明かされない大きな謎だという。

 

10人の中の多数の末路は自殺に加え、精神病院に囲われたり・・・後の世に読み継がれる名作を遺しながら裏では狂気に似た苦しい生を生きていたと思うと哀れです。

 

この中のひとり、島田清次郎の項はわたしにとって特に目新しく興味深いものでした。

 

高樹のぶ子や小池眞理子、村山由佳、三浦しをんら多くの小説家を輩出した〈島清恋愛文学賞〉は知っていましたが、その元の島田清次郎については作品はおろか、その経歴も何も知らなかったのでその特異な生涯には驚きました。

 

また機会があれば生前大ベストセラーとなった自伝小説『地上』を読んでみたいと思います。

 

 

今の流行言葉でいえば、DV、モラハラ、不倫、薬物依存症、虐待、自殺未遂などなど半端ない心の深い闇を抱えた夫たち・・・10人の誰かを選べといわれても死んでも願い下げ・・・凡庸がいちばん。

 

 

てなことを強く思わせる作品でありました。

秋晴れのさわやかなお天気が続いています。

新しい薬を服用し始めてもうすぐ1ヶ月半、体感的にはすこし効いてきたような・・・。

関節の痛みとともに悩まされていた倦怠感が徐々に徐々に薄らいでいるよう。

ピーク時は朝起きぬけから横になりたい感があり、午後はソファでうつらうつらを繰り返していました。


いつもはベッドに入ってからしか本を読まないのに、ソファに寝そべる時間が長かったので読書がはかどること!

まだアップしない本がたくさん溜まっていてブログに載せるまでに内容を忘れそうなほど。

少しトンネルを抜けたという感じ。

このまま副作用なく体調が上向きになればいいな。


痛みは相変わらず、手首の痛みも続いていますが、友人たちにもっぱら食べ物を届けてもらったり助けてもらってありがたみが身にしみています。

おかずを届けてくれた友人、栗の渋皮煮を作ってくれた友人、干し柿を作ってもってきてくれた友人、栗ご飯用の栗を剥いて持ってきてくれた友人、人の身になって手を貸してくれるということに胸があつくなります。


作りたいという気持ちも徐々に復活してきているのが嬉しい(^^)


と、ここまで書いて・・・「食べるとは」という料理の基本中の基本にぶつかりました。

過日も俳優の榎木孝明さんマスコミを賑わしていた「不食」報道。

「集中力が増し、本を読むスピードが格段に速くなった。睡眠も深くなり、4時間眠ればすっきり。腰痛も消えた。理由はまだ分からない。でも、眠っていた自浄作用が一斉に目覚めた感覚。運動時も胸式呼吸が腹式に。スタミナが増しました」と願ったり叶ったりの内容。


私は服薬の関係でむかつきがある日があり、一食分抜くことは多々あります。

ダイエットや健康法の一環としてプチ断食をされている方も多いでしょう。


仏教徒の修行のための断食やイスラム教徒のラマダーンの期間の断食など有名ですが、これらの「断食」と「不食」には大きな違いがあるようです。

仏教やイスラム教における断食は宗教的な意味合いで食事を抜く行為ですが、基本的には食べたいという欲求を我慢することによって対価を得ようとするといいます。

一方不食は食べたいという欲求がなく逆に心地良い満腹感を感じるそうです。


これらは友人の荒武さんにお借りした本で知りました。


稲葉耶季氏著『食べない、死なない、争わない (人生はすべて思いどおり--伝説の元裁判官の生きる知恵)』


「食べないから健康、死なないから幸福、争わないから平和。
ベストセラー『食べない人たち』に登場する「不思議なI先生」こと稲葉耶季が遂にベールを脱いだ!
渋谷は公園通りの東京山手教会に生まれ、裁判所で判事を務めるかたわら、ヒマラヤで学校づくりに奔走し、現在は尼僧。
本能のままに行動して、すべてを実現させる生き方を余すところなく紹介した一冊。
「いまを生きる16の知恵」を収載」



1942年東京の牧師の家に生まれ、1967年東京大学経済学部経済学科卒業
1977年司法研修所をへて静岡地方裁判所判事補となり、以後名古屋、群馬などに勤務
1993年那覇地方裁判所判事
1997年横浜地方裁判所判事
1997年インド北部に「ヒマラヤ稲葉学校」を設立
1999年琉球大学法文学部教授
2006年那覇簡易裁判所判事
2009年名護簡易裁判所判事
2012年定年退官
2013年臨済宗の僧侶となる


そういえば数年前テレビでものごころついたときから食パン1枚を糧として成長しているアメリカの男子高校生と、最愛の息子の死を契機に食物を食べることができなくなり以降まったく口に入れないで生活しているアメリカの女性のドキュメンタリーを観ました。

食パン1枚の男の子は体つきもしっかりしていて同年代の男子学生となんら変わることなくスポーツ好きの好青年に成長していました。

一方長年食べ物のひとかけらも口に入れていない女性もエネルギーは枯渇することなく、むしろ澄み切った気力が溢れるようだとインタビューに応じていらっしゃった記憶があります。


そんなバカな??

最たる凡人代表の私のそのときの正直な気持ちでしたが・・・本書を読んで・・・ありうる現実に目を見開く思いでした。

これらに少しリンクしますが、私の好きな写真家であり作家である藤原新也氏が毎年3週間の冬眠生活を送っているというエッセイに出合ったことがあります。

「ある薬草を加え四年間以上熟成した蜂の子入りの蜂蜜をたらふく食う。蜂の子には微量の睡眠薬に似た成分(非常に良質な漢方)が発生していて、何日かかけて五キログラムぐらい食うとある臨界点で、徐々に眠気を催してくる。
その日から五日間断食を挙行。排便排尿し、余分なものを体外に出す。
それが終わった次の日ヨガのサマダイ手法に則して数時間かけ、呼吸と脈拍を徐々に落としていく。
意識が下降する寸前で温度湿度をしっかりと管理した薄暗い部屋(真っ暗ではいけない)に用意しておいた布団にすべり込む。
最低三週間は眠り続けるので、その間に連絡しておかなくてはならないところには連絡をとっておく。
素人は真似しない方がいい。
そのまま眠り続け永眠という事態にもなりかねないからだ・・・熊の場合は自然の食糧の粗密のサイクルにあわせた身体生理現象だが、俺の場合は心身の再生の儀式である」



また本書にも登場されている弁護士の秋山佳胤氏は2008年からずっと原則として水も食物も摂らないという不食生活を続けていらっしゃるそうです。

1日青汁1杯のみの生活を20年ほど続けていらっしゃる鍼灸師の森美智代氏、自らが実験台になって不食の実験を繰り返していらっしゃる思想家の山田鷹夫氏、オーストラリアのジャスムヒーン氏など不食者の方々が紹介されています。

「不食とは、食べるのをがまんすることではありません。
食べないほうが、心と体にとってどれだけらくで、どれだけ多くの幸福をもたらすかを知ることなのです」



著者ご自身は琉球大学法科大学院の教授をしていた2005年、5ヶ月の不食生活を通して快適な生活をしていたところ痩せたことを学生に指摘されたことから1日1食に戻したそうです。

快適な不食生活ではいっとき体重が減少しても体が慣れるにつれて元に戻るといわれているそうです。

著者は自分が痩せるのはまだ体のシステムが不食向きに変わりきっていないことを悟り、「いずれ、ときが満ちるだろう、そのときを待とう」と思ったといいます。

現在の著者の食事は、朝のお茶と少量の果物、昼の玄米ごはん少々と野菜や海草―1日200カロリー前後―だそうです。


近い将来、心身の求めに従って完全な不食生活に移行していこうとされている著者によると、基本的に不食者は大気中に存在する宇宙エネルギーであるプラーナを全身で取り入れて直接的なエネルギー源にしていると考えられているそうです。

ゾウやウシが植物しか食べないのに強固な筋肉や骨、牙を保持していられるのはなぜか、という疑問に対するカギとして「腸内細菌」を挙げていらっしゃいます。

草食動物の腸には植物からとり込んだ成分を筋肉や骨の牙の材料に変えていくバクテリアが多数存在するといいます。

このような浄化作用ができる腸内環境をつくることが超少食や不食の第一歩、それにはできるだけ化学物質を体に入れないことが重要なポイントになるといいます。


まとめれば、不食者の生命活動は、腸内細菌の作用、それが大きくかかわって起こる原子転換、プラーナの取り込みと活性化、空気成分の活用などの組み合わせで支えられているそうです。


さらに呼吸さえしない状態で一定期間生きることを証明している人々に言及されるに到ってはただただ驚くばかりです。


そういった方々を紹介しながらも著者は読者を含む私たちに、無理に流れに逆らうのではなく思うままに導かれるままに生きるのが楽であり、その人らしい人生だと思うと繰り返し述べていらっしゃいます。


インドでは死期が近づくと村々を周り食事や宿を提供してもらいながら、「もう死期が迫っているな」とわかると水だけを与えてもらいベッドに横になりながら、村人たちの楽しい話を聞きながらゆっくり息をひきとるのだそうです。

昨今、過剰な延命治療が問題になっている日本の医療のあり方について考えさせられるきっかけにもなります。


最後に付章「いまを生きる16の知恵」を挙げて終わりにします。

1.川の水のように自然の流れに沿う

2.自分の中のかすかな息吹を感じる繊細さを持つ

3.他者と同じ息吹の中で生きていることを感じる

4.興味のあることに集中する

5.不安や恐怖を持たない

6.喜びをもって生きる

7.感謝をもって生きる

8.風や太陽や月や星の語りかけを感じる

9.木や草や花や石と語り合う

10.人が喜ぶことを考える

11.心を静かにする時間を持つ

12.物をへらしてさわやかな環境にする

13.天然の環境のもとで少量の食事をする

14.ゴミを出さない

15.金や物や地位が自分を幸せにすると考えない

16.他者の生き方を肯定する

ここしばらく家でおとなしくしています。

楽しみにしていた中秋の名月は薄雲から少し顔を出したところが見えて・・・

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ささやかな平和と言はむベランダで夫と立待ちの月を仰ぎて
写真は満月の2日後の立待月・・・目視では欠けていないような見事な月でした。

そして県北へ彼岸花を見に行った友人がくれた彼岸花の見事な写真です。

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情念の炎のごとき曼珠沙華中城ふみ子の一生(ひとよ)思へり
家にいてもけっこう楽しみが見つけられます。

2週間ほど前に新しく加薬しましたが、昨日の血液検査では炎症数値は下がるどころかかなりアップ、もし効くとすれば2、3ヶ月後といわれ、それまでに肝臓や腎臓、肺などに副作用が出れば中止となるのでけっこう長い道のりを痛みと共に過ごさなければならないのか。。。。

一年越しにお会いするのをとても楽しみにしていた若いブロ友Uさんがもうすぐ来岡されるのに合わせて密かに楽しい計画を立てていたのに計画変更を余儀なくされる上にお会いできるかどうか・・・体調を恨みます。


それにしても世の中には原因を究明できない難病の多いこと。

本日ご紹介する作品の著者もその1人。

私は単純なリウマチですが、彼女の免疫疾患は私の100倍ほど複雑な症状、頼りは大量のステロイドの服用で命を繋ぐというもの。

世界的にも珍しく・・・「筋膜炎脂肪織炎症候群」と「皮膚筋炎」という全身をすべて自己免疫が攻撃する病気だそうです。





大野更紗氏著『シャバはつらいよ』


「『生存崖っぷち』の難病女子が、病院から飛び出した!
家族や友達を頼らずに、どうやって生きる?
シャバでデートしたい(?)
一心で、病院を『家出』したものの、新居のドアは重くて開かず、コンビニは遙か遠く、通院は地獄の道のり、待てど暮らせど電動車いすは来ず…。
そして迎えた2011年3月11日。
エンタメ闘病記の金字塔、『困ってるひと』から3年―――知性とユーモアがほとばしる命がけエッセイ第2弾!」




1984年、福島県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。
明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻博士前期課程。
学部在学中にビルマ(ミャンマー)難民に出会い、民主化運動や人権問題に関心を抱き研究、NGOでの活動に没頭。大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系の難病を発病する。
1年間の検査期間、9か月間の入院治療を経て退院するまでを綴った『困ってるひと』で作家デビュー。
2012年、第5回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞


第一弾『困ってるひと』のレビューはこちら →

濃い霧の中で、たった一人きりのような気持ちになります。
どう考えても悲観的にしかなりようがなく、人が生きていること自体の価値を、時に見失いそうになることもあります。
病は、人を孤独にします。
病の苦痛とは、身体が病理に侵されてゆくことに耐えることでもあり、その苦痛が「結局、誰にも伝わらない」現実と対峙することでもあります。
伝わらないとわかっているけれど、わたしは心のどこかで、あきらめきれないのかもしれません・・・
こうして周囲の景色が見えないまま、終着地点のないマラソンをずっと走り続ければ、何か、わかるのでしょうか。
それすら、まだわかりません。
「難病」を発症して、この社会の当事者になって。
とまどい、考え込んで、答えが出ないことばかりです。
とにかく、これから、探してみなくちゃと思っています・・・
もうちょっと、生きのびてみようと思います。
この先の、霧が晴れた後の景色がどんなものなのか、見てみたくて。


上述の文は著者があとがきで記されているもの。


感想を一言で言えば、驚嘆に値するほど勇気のある女性です。

全身の筋肉に絶え間なく痛みがあり、自力歩行も難しく、皮膚が擦れればすぐに傷つき、大量のステロイドと免疫抑制剤のために外界のウィルスや細菌に侵されやすい・・・そんな著者が病院という庇護から離れて独り暮らしをするというところから本書がスタートします。

想像しただけで「そりゃぁ無理でしょう」というような三段跳びどころか三百段跳びの勇断。

シャバに出て病院のすぐ近くにワンルームマンションを借りたものの歩いての通院も命がけ。


そんな山ほどの困難をただ嘆くだけではないところに本書の意義があります。

嘆きにはたゆまないユーモアが盛り込まれ、自虐あり、自分を一歩も二歩も離れて眺める冷静さ、そしてそれらを超えて、福祉の現場や国の行政の意識の低さなどに言及・・・考えはどんどん羽ばたいてできる範囲のホームページやツイッターを駆使して社会の弱者への支援要請活動へと繋いでいきます。

ナースコールはないし、病院はこの身体では信じられないほど遠く感じる。
公的制度を利用してヘルパーさんを頼みましたが、知らない人と一から人間関係を築かなくてはならないのが大変。
難病に罹った年齢が若すぎて、退院後のロールモデルがない。
今も手探りの毎日です

いますぐ必要な電動車椅子を買うのにも驚くほど複雑な手続きと驚くほどの月日を要して手に入れるなど、淡々とした筆致を通して行政への怒りが伝わってきます。

そしてまたまた驚くことにそんな中、社会福祉教育を根本から学ぼうと大学院に入学するのです。

大学院では新しい世代の感覚とナマに接することができて新鮮です。
彼らは、LGBT(性的少数者の総称)、難病、外国人、それらをいい意味で、ふつうのことと捉えている。
多様化が自明のことになってきていると感じます。
一方、そのために情報量は多くなった。かつては患者に関する情報はドクターに集約されていたけど、今は自分で集めて、自分で生き方を決めていく時代だと思います


アンビリーバボーな生き方に降参です。

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今から2年前、2011年8月15日の産経新聞に『「医療ミスで次男が死亡」政治評論家の本澤二郎さんが東芝病院を刑事告訴』と題して以下のような記事が掲載されたそうです。

―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― 

東京都品川区の東芝病院で昨年4月、入院中の次男が死亡したのは病院側の過失が原因として、政治評論家の本澤二郎さん(69)が15日、同病院の男性院長や女性看護師ら計4人を業務上過失致死罪で警視庁大井署に刑事告訴した。

東芝病院は「通常の医療の範ちゅうで、医療事故ではなかった」とコメントしている。

告訴状などによると、死亡したのは本澤さんの次男の正文さん=当時(40)。

別の病院で脳手術を受けた後、植物状態となっていたが、昨年4月7日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎の疑いで東芝病院に入院。

午後7時40分ごろ、院内の個室で死亡しているのが見つかった。
死因は、たんがのどに詰まったことによる窒息死だったが、告訴状では、看護師が約1時間40分にわたって巡回に行かず、異常を知らせる警報装置などを取り付けていなかったことが原因と主張している

―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― 


亡くなられたご次男の最初の医療ミスから植物状態になり、病院から自宅へ介護の場を移した通算10年間の経緯を克明に記したのが本日ご紹介する作品です。


その後上述のように誤嚥性肺炎治療のために入院した病院で長く続いた苦難の生を閉じられました。



本澤二郎氏著『医師失格 あるジャーナリストの告発』


「年間推定で最大4万人の命を奪っている、おぞましい日本の医療現場を、自ら息子を植物人間にされたジャーナリストが渾身の力で白日のもとに晒した10年目の真実」


東京で下宿生活をしながらの税理士資格取得のための勉強途上の27歳の健康な青年がある日、突然頭痛と手足のしびれを訴え、近くの内科で受診、大きな病院に行くよう指示されたため、千葉の木更津市の実家に「帰ってもいいか」と電話してきたのが始まり。


電話を受けた著者の妻(正文の母親)が帰るように促して、翌日近くの帝京病院に連れて行ったということから暗転が始まったようです。


最初の疑問はこの箇所。

息子の訴える頭痛と手足のしびれを重大視せず軽い気持ちで帰省を促したご両親ですが、自分なら早急に息子の元に駆けつけて大きな病院にその日のうちに連れて行ったかもしれません。


これをスタートに翌日の入院時に症状がかなりの悪化を示し始めてからは医師、看護師の診断にも唖然。


東大卒だという教授助教授のお2人が揃ってCTとMRI撮影、さらに脳血管撮影など一通りの検査をしたうえで「脳腫瘍」と断定したことにも驚きます。


突然の発熱と頭痛ならまず感染症を疑うのは医学に素人の私でも当然だと思うのですが、この本の記述が真実なら、「脳膿瘍」という可能性を早々に排除した様子で脳腫瘍の手術を1週間後に決められたそうです。


そうこうしているうちに歩行も困難になり、口から食べられなくなり・・・という時々刻々の急変を通してただ動揺するご両親にももっと迅速にできることがあったのではという気持ちが拭えませんでした。


著名なジャーナリストという著者なら調べるという行為はお手のものと思うのですが、仕事柄親密な政治家の事務所に電話して病院に手を回してもらったり。。


私事ですが、名もない庶民の我が家ですら、夫の食道がん発見の直後、迅速に子供たちと手分けして治癒への可能性を求めて著名な医師に面会を求めたり、電話で意見を聞いたりした経験があります。


コネがなくとも求める熱意があれば、超多忙の著名な医師の方々でも気持ちよく求めに応じてくださるということに驚きと敬意をもってどれだけ感謝したかわかりません。


私の上述の疑問や違和感はまったく部外者だからというのもあるかもしれません。

すでに入院を余儀なくされたのち著名な教授から診断がくだされれば、疑問に思いながらもそれに抗する手立てがないというのが現状かもしれません。


著者のご次男が受けたような医療過誤のほとんどは闇に葬られていると思いますが、医師も最善を尽くそうと努力されているなかの医療過誤、どの過ちも許されるものとは思いませんが、命の尊さを心から尊重し、素直に過ちを認める潔さをもった医師との間で培った人間関係を通して赦す気持ちも生まれるのではないでしょうか。



「医師と患者の間に人間関係は存在しない」と言われた医師がいた、とある本に書いてありましたが、たかが商品の売り買いにも人間関係が大きく左右する世の中、医師に人間性を求めるのは患者の強欲なのでしょうか。


「友人や弁護士に勧められて、謝罪をしようとしない病院から正文を転院させようと何度も試みた。
ところが、引き受けようという心優しい病院は、ついぞ現れなかった。
医療ミスの患者を快く引き受けてくれる病院は、この日本には存在しないのだ。
厚生大臣経験者の紹介でも、正文の事情を知ると、途端に『うちでは無理だ』と断られたものである。
人間の命を救済しようという熱血病院は、この日本になかったのである。
改めて病院崩壊の現実を悟らされてしまった。
こうしたことなど患者家族の苦悩は、病院も弁護士も親しい友人もなかなかわかってはくれない。わかりようがないのだ」


明日はわが身という言葉通り、お互いの保身のために医師同士の連携は他の職種より異常に強いといわれています。

今でこそ、医療過誤裁判で患者側の勝利を導いた例が見られるようになりましたが、患者側に立って証言してくれる別の医師を見つけるという作業の困難さや決着までの果てしない裁判期間、膨大な裁判費用などに慄いて安易な和解に応じる原告が多いとも聞きます。


この作品の著者はご次男が植物状態になった末の別の病院への入院での死亡に対し刑事告訴したようですが、本書の壮絶なる糾弾相手の病院とは和解で決着したといいます。


本書はジャーナリストという職業を持ちながら父親という立場で上梓されていると考えれば納得できますが、全篇を彩る冷静を欠いた感情的過ぎる表現に、共感できる事象でありながら違和感をもったのは否めません。

大切なご次男をこのような経緯で亡くされた無念はいかばかりかと深く同情しますがあまりにも一面的感情の沸きあがるまま書かれたと思えるのは残念でした。

最後になりましたが、正文さんのご冥福をお祈りいたします。

先日淡路島を震源とする地震があった前後、友人たちと3人で高松~高知~徳島にかけて旅していました。


高知のホテルで早朝、友人のひとりの携帯からの地震速報で目覚め、急いでつけたテレビで高知震度3と知りましたが、まったく揺れは感じず、次々入ってきた家族や友人たちからの安否確認メールに逆に驚く始末でした。


自宅にいた夫は長い揺れに阪神淡路大震災を思い出して不気味だったそうですが、以後余震もなくお天気にも恵まれ快適な旅でした。



高知では名物の日曜市を見物したかったのですが、曜日の都合で断念したものの、「ひろめ市場」でかつおのたたきを食べたり、徳島に向かう途中の高知県大豊町にある樹齢3000年といわれる日本一の大杉を見物しました。

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国の天然記念物に指定されているという大杉、太古の昔に須佐之男命が植えられたと伝えられているそうですが、深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根を下ろした夫婦杉のまわりの空気がしんしんと張詰めていて下下界とは一線を画した神々しさを醸し出しているようでした。


徳島では祖谷渓谷にある温泉旅館に泊まり何度目かのかづら橋を渡ったり、おしゃべりの他にも充実した旅でした。

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さて本日は酒井慎太郎氏著『肩こり・腰痛・ひざ痛知らず 99%サビない体になる』のご紹介です。


「『こり』『痛み』がなく『老いない』体とは? 効果抜群!
関節のサビを落とせば『若い』と言われ続ける人になる。
大好評! 『99%完治する』シリーズ著者最新刊。
□ 肩や首のこりがひどく、マッサージをしてもらってもよくならない
□ ほおづえをつくのがクセになっている
□ 長時間座りっぱなしで仕事をしている
□ 他人から猫背などの姿勢の悪さを指摘されたことがある
□ ちょっとした段差に足をひっかけて、転んでしまった…
心あたりのあるあなた、老化はもう始まっています!」


過日、何気なくテレビを観ていたら「予約殺到!スゴ腕の専門外来SP!!」という番組の肩こり外来の部に登場された酒井氏が酷い肩こりの出演者たちを次々に手技で治療していく様子が出ていて、思わずメモを取りました。


「神の手をもつ治療師」として注目を集めていらっしゃるそうで、あとでググってみると経営されているクリニックは予約を取るのに苦労するほど盛況とか。


ということでクリニックに行けない人たちのために家庭でできるテニスボールを使った肩こり解消法の紹介もあったので、長年の肩こり人である私は早速実践しています。


テレビを観られた方も多いと思いますが、簡単に説明しますね。

テニスボールを2つ合わせて、スパイラルテープかなければ布ガムテで離れないように固定します。8cec1257.jpg


固い床に寝て首と後頭部の境のくぼみにテニスボールを当て、上に押し上げるように圧力をかけ3分ほどじっとしているだけ、一日2、3回繰り返しますが、これで肩こりの原因となっているストレートネックが矯正されるそうです。


肩こりに悩まれている方は簡単なのでトライしてみてはいかがでしょうか。


ちなみに長年マッサージに通いつめていたという友人はやりはじめてまだ一度もマッサージに行っていないそうです。

私は、というとまだそれほどの実感はありませんが、やったあとは少し肩がすっきりするような。

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友人からわけぎをいただきました。


ちょうど冷蔵庫にタコがあったので合わせてぬたを作ろうと思っていた矢先、ブログ友の日記を訪問したらタイミングよくわけぎを使った「ひともんじぐるぐる」という九州独特の郷土料理が紹介されていたので作ってみました~。858a8a40.jpg



ネットでググってみると「一文字」や「人文字」、「ひともじぐるぐる」など呼び名はさまざまですが、どれもイカやタコなしの単独料理で供されます。


肥後細川藩の時代に財政建て直しを図って出された倹約令にこたえて考案された酒の肴というのがいわれだそうです。


ねぎとわけぎはよく似ていますが、ねぎは種子栽培、わけぎは球根栽培という大きな違いがあって。


鱗茎が株分かれして増えるため「分けとるネギ(分葱(わけぎ))」というのが名前の由来だそうです。


今が旬、いつもからし酢味噌和えにしますが、二杯酢で食べるのも大好き(*^。^*)



冬の間は枯れていた我が家の鉢植えの木の芽も新緑の芽がやわらかく芽吹いているし、筍も出回ってきたり、わらび採りシーズンも間近でワクワクする季節到来!


いずれもアクがある食材が多いので食べすぎは要注意ですけど…楽しみです♪





今回は金子哲雄氏著『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』をご紹介したいと思います。



「突然の余命宣告。
絶望の中でやがて彼は『命の始末』と向き合い始める。
その臨終までの道程はとことん前向きで限りなく切なく愛しい。
これは41歳で急逝した売れっ子流通ジャーナリストの見事な死の記録である」



昨年の10月、「肺カルチノイド」という難病により41才という若さで急逝された金子哲雄氏の発病から死までの1年半にわたる渾身の記録です。


私が初めて金子氏のことを知った最初はコメンテーターの1人として買い物の際の流通のからくりなどについて語っていらした明石屋さんまさん司会の『ホンマでっか!?TV』で。


しゃべり方に特徴があり、取り上げた話の内容も主婦向きだったので、ちょっと記憶に残った程度。


その後早すぎる死を迎えられる直前までの超人的といえる見事な生き様云々がマスコミで流れたのを通して読んでみたいなと思って。


複数の医師を通して余命ゼロ宣告を受けた金子氏はご自分の終末までと以後の葬儀までも自ら用意周到にプロデュースの上、ご自身の病気である「肺カルチノイド」という聞きなれない病気の情報を広く発信して悩む患者たちの一灯にしたいという目的を込めて、死の1ヶ月前から文字通り命を賭して書き上げたという本書・・・自ら名乗って世の中に通りよくした肩書きである「流通ジャーナリスト」を最期まで、というか死のあとまでも貫きとおした生き様のすごさにただただ頭が下がります。


病気を一部の人以外徹底的に隠し、亡くなる前日の10月1日まで酸素を吸入しながら雑誌取材に応じ文字通り死の直前まで仕事をした著者。


講談社発刊の『「値切り」のマジック』や扶桑社からの『超三流主義』、『「激安」のからくり』(中公新書ラクレ)などの著書は金子氏が幼い頃から興味を抱いて長じて手に入れた流通という分野の分析力を生かした内容のものだそうです。


遺される最愛の伴侶の奥様の生活を案じ事前に遺産の処理をしたり、ご自分の葬儀のみならず回想御礼の文言までも書き残すという用意周到のプロデュースがマスコミ上流れると、人生への悟りを開かれた聖人のような印象を受けますが、本書には度々生と死の狭間で揺れる人間らしい葛藤が描かれるくだりを読むと切なさで胸がいっぱいになります。


「なんで、治らない病気にかかるんだよ。仕事も順調なのに、なんで人生のチャンスをもらえないんだよ。なんで、すぐ死んじゃうんだよ。なんで、今すぐ死ななきゃいけないんだ。俺、なんか悪いことしたか?ねぇ、俺が悪いのか?」



本書の前半部分では著者が「流通ジャーナリスト」という天職を得る萌芽が幼い彼と母親との間で培われていった様子のほほえましい1コマが描かれていますが、後半のすさまじい闘病記にほとんどご両親が登場しないのはなぜかという点に違和感を覚えました。


最愛の妻・稚子さんとの生死をともにしたような闘病生活は同行二人という表現がぴったりの最期への伴走が描かれていて胸をあつくしますが、一方兄弟姉妹が幼くして亡くなり事実上1人っ子として大きくなった著者はご両親にとってそれは大切な息子さんだったのではないかと推察すると、ご両親の苦しみはどれほどのものだったか、とつい親目線で考えてしまう私です。


すべての方に感謝を捧げ、周りの人たちから受ける愛情への感謝もしっかりと受け取ることのできる金子氏&大変聡明な奥様であることを鑑みると、稚子さんのみへの相続対策といい、ご両親が臨終の床にも不在であったことなどへの記述に対する違和感が拭い去れないまま読了したのでした。


自分の勝手な深読みであればと思いますが、ご両親との軋轢がないことを祈らずにはいられません。

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