
5年前から所属している地元の歌会に変化が起きています。
当地は「龍」という大きな結社があるのに加えて、「未来」や「かりん」、「塔」などの全国的に有名な結社に入っておられる方も多々いらっしゃるようですが、縛りを好まない私はどこにも属さず、ネットで指導をしていただけるすばらしい師に巡り会い、作歌スタート時より現在まで6年間作歌の基礎を一から教えていただいています。
そのうち地元の近くで「龍」所属の方が小さな歌会を開いていらっしゃることを知り、月2回のペースで参加していますが、ここに来てその方が独立して結社のようなものを立ち上げられることになりました。
あれよという間に会則なども示され、中央歌壇との繋がりのある主宰者の方がより充実をということで歌誌も年2度の刊行からひとつ増えて年3度刊行することになったという・・・
主宰者の方と知己のある中央歌壇の歌人の方々にも目を通していただける歌誌をということで、いままでのように気楽に自分の歌を載せていただくというスタイルではなくなりそう・・・
自分自身は年齢的にも将来を見越してのステップアップなどの望みもなく、ただ気ままに自分の感覚で気に入った歌だけ詠むというスタンスなので戸惑いの中にいます。
その創刊号に載せるべくある歌人の歌論の原稿を依頼されて、強く辞退を申し出たものの結果的に受けざるを得なくなった私。
このブログのように無責任に書きっぱなしにはできない・・・そのレビューの向こうにはその歌人を含む中央歌壇の方々の強い視線があると思うと引き受けるわけにはいかないと自分にしては最大の勇気を振り絞って長時間攻防しましたが・・・。
押され弱く前向きではない自分・・・とにかく目立ちたくない、隅っこにいたら安心な自分だなあとあらためて再確認しているところ。
気が弱いなぁと家族には呆れられています。

「年齢を重ねるほどに、みずみずしい作品を発表したアメリカの詩人・小説家、メイ・サートン。
1995年に83歳で亡くなるまで、その創作意欲は衰えをみせなかった。
さかのぼって1960年代の後半、はじめて小説のなかで自分の同性愛を明らかにしたサートンは、大学の職を追われ、折しも愛の関係のおわりと父親の死の直後で、失意の底にあった。
やがて彼女は、世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめることで新しい出発をしようと、まったく未知の片田舎で生活をはじめる。
その頃の一年間の記録である。
ニューイングランドの自然と動物たち、大切な友人との交流、詩作、読書、生と死をめぐる万感が、無垢な感性と作家の思索をとおして文字になり、さらに、創造の時空としての孤独を見つめる穏やかな文章の水面下には、恐れ、悲しみ、喪失と、女性に禁忌とされてきた怒りの爆発を直視する「戦士」がいる。
50冊以上の作品を世に送り、その精神のたたずまいに感応する読者を各世代に獲得しているサートンの代表作」
随分昔に読みましたが、最近ある媒体で著者の名前を目にして懐かしくなり現在の自分がどう受け取るだろうか、という興味もあり、再読してみました。
メイ・サートンというとすぐ孤独という語が浮かんでくるほど、深く孤独を見つめつづけた作家であろうと思います。
孤独というものをここまで深く追求しつづけて潰えた著者・・・このように書くととても惨めな生き方を貫いたような印象を受けますが、逆境のなかでこそ煌くことのできる精神を保ち続けた作家といえるのではないでしょうか。
人はひとりで生れてひとりで死ぬ
というわけで「人」と「孤独」とは切っても切れない関係。
「孤独」をタイトルに冠した小説やエッセイは現在に至るまで多くの人々によって綴られています。
ガブリエル ガルシア=マルケス氏の『百年の孤独』、、最近では下重暁子氏の『極上の孤独』や五木寛之氏の『孤独のすすめ』が書店の店先に積まれています。
「孤独」をテーマの詩や小説になるともっともっと・・・。
どんな小説を読んでも登場人物のだれかに必ず孤独の色濃い影を感じます。
「執着は、その主体が無私であってさえ、他の人間にいくばくかの負担を与える。
負担にならぬような、軽い、空気のようなやり方で、どうやって人を愛することができるのだろう?」
ニューイングランドの豊かな自然に囲まれながら個という自分と対峙する著者の折々のつぶやきや自分に対する問いかけの数々がまっすぐに胸の中に入ってきます。
目覚めて朝の光があると感謝し、それを浴びることの歓び、厳しい自然のなかでも季節の花々がつつましく咲く様子、その庭に挨拶に来る鳥たちとの触れ合い・・・方や対峙するような感情の激しい迸りに自ら振り回され磨耗したり・・・
なんと人間味ある描写だろう。
LGBTの社会運動が活発化した昨今ですが、それでも寛容とはほど遠い環境で喘いでいる人たちがいるのを見聞きするにつけ、現代からおよそ60年ほど前に自らの小説で自身の同性愛を公にした著者。
その後のバッシングはすさまじく大学に得ていた職も奪われたといいます。
時を同じくして恋人に去られこれ以上失うもののない状態で綴られた日記・・・そういう背景を踏まえて読めばより深く多くのものを受け取れると思います。
「ここでの孤独は私の命そのものだ」
「退屈とパニックは、孤独な人間が戦わなくてはならない二つの悪魔」
まだまだ多くの飾りといえるものを持っている私には著者の真の孤独には辿り着くことができませんが、終盤へ到達するまでの道しるべとっしてこれからも繰り返し読み継ぎたいと思える作品でした。