VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

カテゴリ: 日本ノンフィクション

街中の小さな映画館に「なぜ君は総理大臣になれないのか」を観にいってきました。

 

きみはなぜ総理大臣になれないのか香川県高松市出身、香川一区から出馬した衆議院議員の小川淳也氏。

 

テレビドキュメンタリーや『園子温という生きもの』などを手掛けてきた大島新監督高い志を抱きながらも党や派閥に翻弄される政治家の17年間を追ったドキュメンタリー。

2003年、第43回衆議院総選挙に民主党公認で香川一区から出馬したが、自民党の平井卓也に敗れ、落選。

2005年の第44回衆議院総選挙に再び香川一区から出馬し、再度平井に敗れたが、比例ブロックで初当選

自治・総務官僚。衆議院議員5期)。元総務大臣政務官(鳩山内閣・管内閣)。立件民主党代表特別補佐、および立憲民主党香川県連合顧問。


政治家としてのスタート時
2003年の初出馬で落選した前後から折々大島新監督によって撮られ続けてきた映像。


2003年地方から地盤なしで出馬、落選の名もなき若者にズームインし、しかも17年もの間追い続けたモチベーションは何なのか?


大島新監督に聞いてみたい気がします。


志が高い

映像に映える容姿である

堅牢なる経歴


それら丸ごとのような気がしますが、いずれにしても一議員の
17年間の苦悩が描かれていて良作でした。


プロパガンダによって自らが選んだ政党や派閥争いの渦の中で翻弄される・・・


そういえば先ごろスキャンダルを起こして立憲民主党を離党した当地で選出の高井崇志議員も翻弄されたひとりだったなぁと思い出しました。


民主から民進、そしてきぼう、立憲民主の立ち上げの渦に巻き込まれたひとり。


この間のそれぞれの党のトップや派閥のトップの鞍替えなどに振り回されざるを得なかった下っ端議員の描いて余りある苦悩が胸に沁みました。


いくら志高く持ち続けていても与党野党という枠組みがある以上乗り越えられない堅牢な壁があります。


このドキュメンタリーを通して政治家にmustな資質は?と問われたら〈したたかさ〉を第一義に挙げたいほどしたたかさの必要な場。


小池氏をみれば歴然。


そういった意味でこの映画の主人公はしたたかさの欠落した真っ正直が取り柄の人間。


しかしその都度真剣に愚直に悩む姿を通して人間力が伝わってきて心を打たれます。


選挙区民ではありませんが、応援しています。

 

 

文豪と借金
さて本日は
編集部編『文豪と借金ー泣きつく・途方に暮れる・踏みたおす・開きなおる・貸す六十八景』です。

文豪といえども、お金のことになると、なりふりかまっていられない。
そんな赤裸々な姿が描かれた作品の数々、笑って読み始めていると、次第に胸を打ちます。
「ふざけたことに使うお金ではございません。たのみます」(太宰治)
「若し、無理に庵を押し出されるような事があれば、意識的に、食を絶って、放哉、死にます……」(尾崎放哉)
「何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く」(石川啄木)など
文豪五十九人の借金名言集(「BOOK」データベースより)

 

わたしのなかでの著名人のなかでのNo.1、2を争う借金王といえば・・・

野口英世と石川啄木。

残念ながらここでは野口氏は文豪ではないので挙げられていません。

生活が苦しく借金せざるを得ない著名人は多々いたと思いますが、わたしのNo.1、2の尺度は人間性を疑うような借金の仕方とその使い道。

そういった借金の仕方使い方だけでも石川啄木が群を抜いています。

逆に貸し手No.1の金田一京助の人柄の光ること光ること。

金田一京助ら友人から金を借りると、すぐさま浅草などに娼婦を買いに行ったことは広く知られています。

友人の宮崎郁雨がまとめた「啄木の借金メモ」によると60人から合計1372円の借金

貸した人の居住地別に個人名と金額が記されている宮崎の借金メモによれば、渋民、盛岡、仙台、北海道、東京と啄木の移動に連れての借金・・・動く借金王。

「このメモに現れた彼の姿の、何という見すぼらしさであろうか」と宮崎。

何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く。

    (『悲しき玩具」より)

こういう背景を知ると啄木の名歌といわれる歌がことごとく自己陶酔、自己憐憫に満ちているような鑑賞となって・・・なるべく視線から遠ざけてしまうわたしです。

他に目を引くのは太宰治。

不眠のため睡眠薬を多用していた文豪は数えればきりがないほどですが、カルモチンのオーバードーズで自殺未遂を2度起こしている太宰治はその代表格といえるでしょう。

太宰は睡眠薬だけでなく、盲腸炎が手遅れの状態で腹膜炎を併発して入院時に用いた麻薬性鎮痛薬のパビナールの中毒となったことでも有名です。

パビナール中毒が進んだため、佐藤春夫が見かねて芝の済生会病院に入院させたものの完治しないまま退院、パビナールを1日40筒も注射するという依存症に陥っていたそうです。

その代金に窮して友人という友人に借金を申し込んだという太宰。

「唐突で、冷汗したたる思いでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし。多くは語りません。生きて行くために、是非とも必要なので、ございます。五月中には、必ず必ず、お返し申します。五月には、かなり、お金がはいるのです。私を信じて下さい。拒絶しないで下さい

「ふざけたことに使うお金ではございません。たのみます」

「私の、いのちのために、おねがいしたので、ございます。
 誓います、生涯に、いちどのおねがいです・・・        切迫した事情があるのです。 一日も早く、伏して懇願申します」

そして努力の甲斐あって借りることができたあとのお礼の手紙。      

「このたびは、たいへんありがとう。かならずお報い申します。私は、信じられて、うれしくてなりません。きょうのこのよろこびを語る言葉なし。私は誇るべき友を持った。天にも昇る気持ちです」

上に挙げたお二方は代表的な借金王ですが、ほかにも川端康成、北杜夫、正岡子規など著名な方々の懐事情・・・興味ある方、どうぞ。

ずっと長年一度は行きたいと思っていた知覧に行ってきました。


次男が計画してくれていた3年前には体調が悪くなって直前中止、2年前には直前に熊本地震が起こり急遽中止、延期に延期を重ねていたもの。


今回も次男が誘ってくれての旅となりましたが、岡山の真備町などが未曾有の大災害で大変な状況にあることに加えて、7月7日に入籍したばかりの新婚夫婦との旅、いくらなんでもと固辞しましたが、ぜひ、ということで新婚夫婦に挟まれながら、非常識極まりないと周りの呆れ顔を尻目に金婚夫婦が行ってきました。


費用は次男持ちの2泊3日の鹿児島旅行(ーー;)

どこまでずうずうしいの、と諌める心の声を無視して・・・。


東京から空便で来る次男夫婦と陸路からのわれわれ、鹿児島中央駅で待ち合わせ。


レンタカーを借りてまず指宿方面へ。


途中、鹿児島黒豚シャブシャブで有名な店で昼食、しろ熊かき氷発祥の店「むじゃき」で次男夫婦がかき氷。

ecae9926.jpg
2941d5f3.jpg



その後、今回の旅の目的の知覧へ。


まず知覧武家屋敷群を見学。


国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される知覧武家屋敷群は石垣と大刈り込みの生垣が残る街並み。

91dee3e2.jpg


  

以前に行った沖縄の竹富島の町景に似ています。


2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」でのロケ地にもなったそうです。

eac6da0a.jpg


明治になって廃藩になったときに旧藩士などが買い上げて、古い時代のままの屋敷や庭園を丁寧に保存されているところや、雑貨屋やcafe、レストランなどに改装されたところもあったりで古今が入り混じったような趣。



そして主目的の知覧特攻平和会館へ。



「帰るなき機をあやつりて征きしはや開聞よ母よさらばさらばと」

昭和63年知覧短歌会の歌誌「にしき江」同人有志らが建立された平和会館の入口近くの石碑の文字を見るやいなや早くも怒りが・・・。



第二次世界大戦最中、1945年5月7日に同盟国であったドイツが降伏して連合軍の攻撃が日本に集中するようになり攻防戦が激化。


当時、沖縄を本土の最前線と考えていた日本政府が水際で連合軍を撃退するために採られた特攻作戦。


1945年(昭和20年)4月6日から第一次航空総攻撃開始、先駆けること3月26日に米軍の慶良間列島への上陸がありそれに対しての軍上層部の計画した攻撃。


特攻作戦とは重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める作戦、パイロットは必ず死ぬ・・・という作戦。


この日だけで64名が特攻戦死。


最後の特攻攻撃が6月11日。


その頃は沖縄の守備隊はほぼ壊滅状態で特攻作戦もほとんど意味をなさないと軍参謀らは知りつつ・・・。



その2ヶ月後日本軍の降伏によって太平洋戦争が終結。


館内には特攻隊員を紹介する場所として1~9コーナーまでありますが、6月初め頃は沖縄の守備隊はほぼ壊滅状態で特攻作戦も縮小されつつある時期で最後の9コーナーにあたります。


たった2ヶ月の間に失われた若い命は1037名。


死後ほぼ全員が階級特進していて・・・まやかしの匂い。


もちろん陸軍のみの話ではなく海軍でも人間魚雷などあわせて4000名以上の命が失われています。


余談ですが、当時の参謀のひとりであった陸軍航空特攻の第六航空軍司令官・菅原道大中将は「諸君は生きながら既に神である。諸君だけを行かせはしない。最後の一機で本職も必ずあとを追う」と特攻隊を送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を「卑怯者!」とののしり、指揮棒で殴ったそうです。

そして終戦になり、「最後の一機で必ず」どころか、敗戦の責任を取って自決をすすめる参謀に「死ぬだけが責任を取ることではない」という言葉を残したそうです。


1969年に執筆した「特攻作戦の指揮に任じたる軍司令官の回想」という文章では、特攻は「自発的行為」だったとし、「あの場合特攻すなわち飛行機を以てする体当たりは唯一の救国方法であり、それが我が国に於いて自然発生の姿で実現したことに意義があるのであって、功罪を論ずるのは当たらないと思う」と記したとあります。

そして96歳という長寿を全うされたそうです。

もちろん自決された参謀も絞首刑になった参謀もいましたが、菅原中将のような指揮官もたくさんいたそうです。

赦せぬと忿怒を胸に外に出づ平和会館に灼熱の陽が


特攻隊員らが出撃までの夜を日の丸に寄せ書きをしたり、故郷へ送る遺書や手紙を書いたという三角兵舎がほぼ当時のままに復元されて平和会館横の杉林の中に佇んでいます。

ab6ec517.jpg


実際の三角兵舎は幅約4m長さ約20mで黒土の土間の通路の両側に一畳幅の高さ2尺くらいの床があり、天井の中央部と両側の3ヵ所に電灯がぶら下がっていたそうですが、復元されたものは実際の寸法よりも幅は一回り大きく長さは半分ほどだそうです。

c8dd136f.jpg



天井から吊り下げられた裸電球の下、愛する人たちに最後の手紙を書いた若者たちの心情はいかに・・・言葉がありません。



知覧特攻平和会館観音堂への道の両サイドに並ぶ石灯籠。

4377c451.jpg


海に散った1036名分の慰霊灯籠を建立する計画がスタートしたのが昭和62年。

現在では1300基近くが建立されているそうです。


この名前も出身地も遺書も明らかな1036名の特攻兵士の遺影。


これはエンジントラブルや悪天候などのために3度の出撃を失敗に終って生き残らざるを得なかった板津忠正氏が不本意にも生き残った者の使命として特攻隊員の遺族を回り始めた結果の賜物でした。

板津氏は昭和48年頃から特攻隊員遺族を回りはじめ、多いときは3年間に10万kmも車で回ったといいます。

正直言って、最初は怖かった。
「なんでおまえだけ生きて帰ってきたのか!」と責められるような気がしてね。
ところが皆さん、「よく訪ねてきてくれた」と、わが子が帰ってきたかのように喜んでくれました。
一言で遺族を回るというが、それは湿舌に尽くしがたい苦労の連続であったと思う。
そもそも名簿なるものがないのだ。
進駐軍らの追及を恐れ、多くの特攻隊員は出身地を隠していた。
五十四年、定年を待たずに市役所を辞めて遺族捜しに専念しました。
私の心の支えは、特攻おばさんのトメさんでした。
挫けそうになると「あんたが生き残ったんは、特攻隊のことを語り残す使命があったからなんじゃないの」と励ましてくれました。
なんとかそのトメさんが生きているうちに、全員の遺影を集めるぞ、と頑張りました。
それがおばさんへの、知覧へのご恩返しと考えていたのです。
残念ながら、平成三年にトメさんがお亡くなりになった時は、あと三名だったんですよ。
悔しくってねぇ・・・・・・。
結局、平成七年にようやく千三十七人全員の遺影が揃ったのです


その後板津氏は平和記念会館館長に就任、遺品を寄贈されました。

私たちが平和記念会館で見たものは板津氏の汗と涙の結晶だったといえます。


陳列ケースに保管されている特攻隊員の最後の手紙には「皇國のため」という言葉がたくさん踊っていました。

天皇が統治する国。

すめらみくに。


洗脳の怖さを感じてしまいますが、そんな中で唯一といっていいほど現世への名残惜しさを婚約者に向けて正直に吐露している手紙がありました。

それが挙式を間近に控えていた穴沢利夫少尉の手紙。

・・・婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。
 「あなたの幸を希う以外に何物もない」
 「いたずらに過去の小義にかかわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
 「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」
 「あなたは、今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界には、もう存在しない」
 ――今更、何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり慾を言ってみたい。
 1 読みたい本
   「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
 2 観たい画
   ラファエル「聖母子像」芳崖「慈母観音」
 3 智恵子 会いたい、話したい、無性に。
   今後は明るく朗らかに。
   自分も負けずに、朗らかに笑って往く



今回は前書きがあまりに長くなったので、過去にアップした知覧関連の作品をご紹介して終ることにします。


水口文乃氏著『知覧からの手紙』 













佐藤早苗氏著『特攻基地 知覧始末記』 

c1789058.jpg

以前歌会のメンバーの方が提出された歌にこんなのがありました。

抽斗に見つけし肩揉み券今もまだ使へるだらうか子の帰省待つ  
後神千代子


80歳のこの方の息子さんは想像するに40歳は超えられているのでは。


笑いを誘う微笑ましい短歌ですが、子育てをされた方ならどなたも経験があるのではないでしょうか。



母の日や誕生日に子どもたちからプレゼントされた「肩たたき券」や「お皿洗い券」などなど。


子どもたちが小さい頃のお金で買えないこんな手作りの券や野の花の花束は私の思い出の中の大切な宝物となっています。



今は中学生の父となった長男も幼い頃同様な券をプレゼントしてくれた記憶がありますが、特に思い出すのは、新聞の宝石が載ったチラシを探してはどれがほしいか選んでと私に迫り、それをハサミで切り取っては 「大きくなったら買ってあげるね・・・今はこれをあげる」と。


今すでに40歳半ば・・・・・いままで買ってくれるチャンスはたくさんあったと思うのだけど。。


まだ遅くないよ・・・ダイヤモンドにしようかな ルビーにしようかな・・・。


母は待っています。







さて今日は陽信孝氏著『八重子のハミング』をご紹介します。 


「思いもよらなかった夫婦の同時発病。
夫は胃がんが発見され摘出手術。
その直後、妻にアルツハイマー病の兆候が見え始めた―。
その後、夫は三度のがん手術から生還する一方で、妻の症状には改善の兆しが見られなかった。
自らも迫り来る死の影に怯むことなく闘病、そして献身的に妻の介護を重ねる日々…。“三十一文字のラブレター”短歌約八十首を詠み、綴った、四千日余に及んだ老老介護の軌跡。
『現代の智恵子抄』とも評された話題の単行本、待望の文庫化。
二〇〇二年末に他界した愛妻を偲んだ『終章』を補記」


現在全国で上映中ということでご存知の方も多いと思います。


『陽はまた 昇る』『半落ち』の佐々部清監督が著者の陽氏と同郷という縁で、原作に惚れこみ、ご自身で資金を集めて作られた「自主的映画」が評判を呼んで全国に広がったそうです。


いつしかに訪れきたる妻の日々われに厳しきアルツハイマー

幾度もわれの帰りをたたずみて待つ妻の背に雪は積もれり

ぬいぐるみ逆さに抱きて得意げに共に歌えと我にねだれり

紙おむつ 上げ下げをする 度ごとに 妻は怒りで われをたたけり

小尿を 流しし床を 拭くわれの 後ろで歌う 妻に涙す

幼な子に かえりし妻の まなざしは 想いで連れて 我にそそげり


ご自身の胃がん発覚とほぼ同時期に現れた妻の若年性アルツハイマーの兆候。

徐々に進行していった病と共に歩んだ11年間の介護の記録。

著者は萩の中学校の校長から教育長を歴任された方。

妻の介護のため道半ばで退職され、どこへ行くにも妻と共に、講演にも妻帯して出かけられていました。

本書ではその11年に及ぶ介護中の悲惨さと共に心温まるエピソードも記していらっしゃいます。

元音楽教師だった妻が最後まで忘れず楽しんだハミング・・・著者の講演中、状況がわからない妻がそばで歌を歌っているのに合わせて会場中が唱和し大合唱になった話。

温泉地で男湯と女湯に分かれている大浴場を諦めて部屋付きのバスに入れようと決心した著者に事情を察したおかみが大浴場に一時「清掃中」の札をかけてくれて二人で入浴できた話。


外聞を考えて密かに家のうちだけで介護していたら決して味わえない人情に触れることができて、明日への生きる糧とすることができたのです。


ただいままっしぐらの高齢化社会での誰にでも起こりうること・・・介護される側になるか、介護する側になるか、また2人を囲む家族となるか・・・。


本書に登場する介護する側の夫である著者の深い愛に裏打ちされた弛まない日々の努力にはただただ敬服するばかりですが、彼らを補助する娘さんたち一家の優しさにも深く胸を打たれました。 


他人事ではないと思われる方、一度手にとっていただければと思います。

大阪市立美術館で開催されている「デトロイト美術展」の開催期間が終わりに近づいたので行ってきました。

久しぶりの大阪。

新大阪から地下鉄御堂筋線に乗り換えて天王寺で下りて公園を横切って美術館。

近くのあべのハルカスで昼食をとってゆっくり観て廻りました。

60c33d8b.jpg


17b8ab8a.jpg

開催終了が近づいているせいか目玉のゴッホの自画像の前には半端ない人、人、人。

生涯にわたって約40点の自画像を描いたといわれるゴッホの自画像。

07ef3463.jpg

束の間の平安ありや自画像のゴッホの眼に宿るやすらぎ

有名なのはゴーギャンとの諍いで耳を切り落としたあとの耳に包帯を巻いたものですが、今回の自画像はその2年前に描いたもの。

パリに移住し弟・テオとの共同生活をスタートしたときで、当時時代の最先端を走っていた印象派の画家たちーピサロやスーラ、ドガらーとの親睦を深めた時期に描かれたものだそうです。

キャンバスの下方に指を使って塗りこめたらしいゴッホの指の跡が見られて彼の制作の様子が目に浮かぶようです。


モディリアーニの首長の女性像も1点。

07e11723.jpg

当時交際中でのちに妻となる画学生のジャンヌ・エビュテルヌの肖像画、悲劇的な結末を予想させるような哀しげなジャンヌです。

セザンヌ

セザンヌの妻オルタンス。

裕福な父の援助のもと、売れない絵を描き続けていて貧しいお針子だったオルタンスとの間に息子をもうけながらも父に長く打ち明けられなかったセザンヌ。

その葛藤が表れているようなオルタンスの表情。

せめて生前に少しでも今日の盛況を垣間見せてあげたかったと思われる画家たちです。





さて本日は坂根真実氏著『エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記 解毒』をご紹介します。 

「幼少時から家族でエホバの証人に入信した女性の苦悩に満ちた半生と洗脳が解けるまでを描くノンフィクション。
DV、2度の離婚、自殺未遂、家族との断絶を経て、どん底から彼女はアイデンティティを確立していく」


エホバ・・・ものみの塔・・・というのはキリスト教の分派のカルト集団、時々来たるハルマゲドンについて書かれた小さな福音冊子がポストに入れられていたり、という貧しい知識しか持ち合わせていませんが、息子の輸血を拒否して死なせた信者である両親の記事はある種の驚愕をもって思い出されます。


著者は幼少の頃、信者であった親の意向のもと、入信を余儀なくされた「二世信者」だったそうです。


本書では前述の輸血拒否事件にも言及。

1985年に起きた「大ちゃん事件」。

日本でもエホバの証人の教義と洗脳の恐ろしさが知れ渡ったのはこの事件が報道されたことに端を発していますが、本書を通してさまざまな実態を知るにつけ、こじ付けとしか考えられない教義に縋る洗脳の怖ろしさに愕然としてしまいました。

「間もなく世界の70億人の人類は、ほとんどの人がハルマゲドンで滅ぼされ、たった数百万人のエホバの証人だけが世の終わりを生き残る」


教義の核になるものを簡素に記すとこうなるのでしょうが、幾たびも来たるべきハルマゲドンの予言を外しているにもかかわらず、上述の教義をやみくもに信じている人々がいる、ということが外の世界からみると信じられませんが、本書を通して巧妙に編みこまれたくもの巣のような組織にがんじがらめにされて身動きならない状態で自ら考える力を放棄せざるを得ない環境を構築している・・・過去に問題を起したカルト集団となんら変わらないと思ってしまいました。

元オウムの信者の中には囚人になってさえまだ麻原を偉大な師と讃えて生きるよすがにしている人もいると聞きます。


些細な「洗脳」は誰にもあると思いますが、「洗脳」というものの奥深さ、幅の広さを心して省みるということは大切な作業だと自分にも言い聞かせたことでした。

熊本を中心に九州が大変なことになっていますね。

震度7を観測した最初の地震のとき、我が家でも夫がすぐに感知して私も身構えましたが揺れがかなり長く続きました。

急いでテレビをつけると熊本が震源地とのこと。


翌朝になると被害状況が徐々に明らかになり・・・亡くなられた方々も続々と。


その間かなりの余震が続き・・・これは大変な状況だと胸が騒ぎました。


なにはともあれ福岡市近くにお住まいのブログで親しくしていただいている友人が心配ですぐブログを覗くと大きな揺れに動揺されていましたがご夫妻とも無事だということで安堵しました。


ところが・・・中一日置いて更に大きな地震・・・気象庁はこれが本震と発表。


その後も本震に劣らないほどの強い余震が続き、被災者の方々の恐怖はどんなだろうと想像すると言葉がありません。

神戸で震災を体験している私はその恐怖が手に取るようにわかって苦しいです。


事実最初の地震のあと、高齢だからと避難勧告を断って何とか持ちこたえた自宅でひっそり一夜を過ごされていた老ご夫婦が16日未明の地震で持ちこたえられず倒壊した益城町のご自宅に閉じ込められ、ご主人の方は亡くなられたそうです。

何と悲惨なこと!


そんな被災地に追い討ちをかけるようにまた雨の降るおそれがあるそうです。


どうぞどうぞこれ以上の犠牲者が出ませんようにと祈っています。


何もできない私はもどかしくテレビで情報を知るばかりですが、まずは日本赤十字社に募金をしようと思っています。





さて今回は佐藤早苗氏著『特攻基地 知覧始末記』のご紹介を少し。

「太平洋戦争末期、退勢を挽回するために最後の手段として敢行された百死零生の『特攻作戦』―投じられた海軍特攻兵7898名、陸軍特攻兵1707名、計9605名。
知覧基地を飛び立ち、開聞岳を越えて自ら肉弾となって散った若き特攻隊員たちの素顔を、証言者・新資料で捉えた感動の物語」

著者・佐藤早苗氏は画家からノンフィクション作家に転向され、『特攻の町・知覧』で日本文芸大賞ノンフィクション賞を受賞、本書はその第二弾といえる作品です。



長い間行きたいと思いつづけていた知覧。


ずっと以前約束していたのをやっと仕事の合間を見つけて次男が計画してくれ、今月下旬に行くことになっていた矢先のこの度の地震。


物理的にも心情的にも無理と判断して先延ばししました。



この知覧への旅のためにと事前に読んだのが本書。


それより遡って高倉健主演の『ほたる』を観たり、水口文乃氏著『知覧からの手紙』を読んだりと私なりに準備をしていました。


本書にはこの『知覧からの手紙』に登場する穴澤利夫少尉と婚約者の智恵子さんはじめ、愛国精神を抱いて果敢に海の藻屑となられた数名の特攻隊員の半生が描かれていますが、著者が特に力を入れておられるのが現状の靖国神社への扱いや国防の大切さというのが不自然なほど顕著に感じられてとても違和感を抱いた作品となりました。


あまり読後感がよくなかったのでこれをもってレビューとします。





足元にも春は来にけりまだ眠る欅の下に姫踊子草
春は出会いと別れの季節。

各地で卒業式の話題。

子どもたちも巣立って久しく、学校行事などに疎くなっている私ですが、ネットを見ていたらこんな画像が投稿されていました。
84ab21dd.jpg

中学校の先生の最後の時間割。

巣立つ生徒が投稿したようですが、ちょっと泣かせます。


中高の教員免許を取得しながら教員の道を選ばなかった私は結婚後の一時期家で小さな塾をしていたことがあります。

中高の生徒たち5人1組をスタートに英語を教えていましたが、徐々に人数が増え、転勤で辞めるのを余儀なくされるまでの5年間で35人ほどの大所帯となっていました。


別れは辛く身をちぎられるほどでしたが、それぞれ別の塾に紹介してその地を離れました。


その後英語が好きになって英語に特化した大学に進んだ生徒たちもいて、今でもひとりひとりの顔や特性が忘れられなく、教え子たちの手紙は私の宝物となっています。


腰掛け程度の先生だった私ですらこんなですから長く教員を勤められた方々の淋しさはどのようなものか想像に難くありません。



今日は、こんな思い出にちなんだわけではありませんが、ひとりの高一の男子生徒の自殺を巡って教師たちとその母親が闘ったすさまじい記録をご紹介したいと思います。




福田ますみ氏著『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』


「たった一人の母親が学校を崩壊させた。
不登校の高一男子が、久々の登校を目前に自殺した。
かねてから学校の責任を追及していた母親は、校長を殺人罪で刑事告訴する。
人権派弁護士、県会議員、マスコミも加勢しての執拗な追及に崩壊寸前まで追い込まれる高校。
だが教師たちは真実を求め、ついに反撃に転じた――。
果たしてほんとうの加害者は誰だったのか?
どの学校にも起こり得る悪夢を描ききった戦慄のノンフィクション」


第22回 編集者が選ぶ 雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞&新潮ドキュメント賞受賞

ひとりのクレーマー保護者の虚言によって、史上最悪のいじめ教師に仕立てられた教師が名誉を回復するまでの壮絶な闘いを描いた『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―』の著者の最新刊が本書です。


ちなみに著者は『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―』で第6回「新潮ドキュメント賞」を受賞していらっしゃいます。


東京都の元小学校教諭であられた向山洋一氏が命名されたという「モンスターペアレント」という言葉。


耳にし始めてかなりの年数がたっていると思いますが、2008年に同名のテレビドラマが放映されて更に広まったそうです。


学校などに対して自己中心的かつ理不尽な要求をする親を意味するそうですが、この種の保護者が目立って増え始めたのは1990年代後半からだそうです。


3人の子どもの母親だった私は教師に対してほとんど謝った記憶しかなく、それはそれでもっと毅然と、などと義母に言われた思い出がありますが、躾けの行き届かない自分の子どもたちのことを思うと、ただ申し訳なく頭を下げるほかなかったダメ母でした。


本書の事件の発端は2005年12月。

軽井沢に隣接している長野県御代田町の丸子実業高校(当時)に通う高校1年生の男子の自殺。母親は所属していたバレーボール部内部でいじめがあったことを苦にしていたと証言。

夏から不登校が続いており「いじめをなくしてほしい」と記したノートも証拠として提出されました。


高校側は反論しましたが、これだけを聞くといつもの学校の隠蔽と思う人々は多かったと思います。


自殺から1ヶ月後、遺族である母親が依頼した東京弁護士会所属の高見澤昭治弁護士が記者会見し校長を殺人罪および名誉棄損で刑事告訴。

その上遺族側は長野県、学校長、いじめをしたとされる上級生やその両親を相手取って1億3800万円あまりの民事訴訟を起こしました。


少年の母親は以前から少年に対する虐待やネグレクトなどが疑わしく、県教育委員会こども支援課や佐久児童相談所が母子分離措置を計画していたといいます。


それらや、母親をいやがり何度も家出をしていたという少年の行動や言動を事前の同級生たちから丹念に聞き込んだ結果、学校長を初めとする被告たちは団結し、遺族側に対し「いじめも暴力も事実無根で、母親のでっちあげ。母親の行為で精神的苦痛を受けた」などとして、3000万円の損害賠償訴訟を長野地方裁判所に提訴しました。


それからの母親のすさまじい反撃は目を覆いたくなるほどの怖ろしさ。

しかもその異常な精神状態の母親の言葉を鵜呑みにして学校側を断罪していくマスコミや弁護士たちの糾弾ぶりもすさまじい。


ひとつの事件が起これば、その表層部分を捉えて悪か善かという分類に仕分けし、そして必ず正義の味方然とした知識人たちがさまざまな媒体でコメントする、というのは日常茶飯事に見られる構図。


今までそんな多数意見に踊らされた自分というのも認識しているので、本書は久々身に沁みました。


善と悪の仕分けは一見簡単そうでとても難しい。

黒と白の二元論で押し通すことも然り。


この裁判は少年の残した遺書の長野県特有の方言の読み解きが決め手となり、学校側が母親に対して起した損害請求がほぼ認められた上、校長が母親と弁護士に対して起こした損害賠償請求も「原告校長の社会的評価を低下させ、名誉を傷付けた」として認めらるという結果に終わりました。


この事件が教えてくれたこと。

「いじめ」=「学校側の隠蔽」という構図に乗っかり、世間で弱者の味方と言われている人々―人権派弁護士や著名なライター、大手新聞社、テレビ局などが、過去の常識的な立ち位置に縛られて物事を中立の立場で冷静に判断する力を見失ってしまったことだと思います。


その発言が社会に及ぼす影響が大きい知識人たちは言うまでもありませんが、普通の一般人である私もまた固定観念に捉われることの恐ろしさを痛感しました。


正義は時として強い圧力となって人の目を曇らせ、人の心を傷つけるということ。


そして一般レベルの小さな諍いでも、一方を鵜呑みにすることの恐ろしさをしっかり胸に刻まなければ。

↑このページのトップヘ