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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 柳澤桂子

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下手の横好きで始めた夫の油彩画歴も4年になりました。


どんなに下手でも300枚描けばそれなりに自分の個性が定着し、ある程度サマになる作品になります、と先生に言われて描き続けている夫です。


300枚に到達するにはまだ相当の年数を要するようですが、それでなくても狭いマンションの部屋がキャンパスだらけになるのはどうもという感じです。


なるべくニューキャンパスではなく古キャンを潰して描いてほしいというのが正直なところですが、夫には抵抗があるようでしぶしぶという感じで潰しています。


新しい絵が出来上がると必ず感想を聞かれるのもかなり苦痛、正直に言うと気分を害することもしばしばなので言葉選びが難しいところです。


それでも数打つうちには私の好む作品もあり、額を着飾られたら見違えるようになったわが子を愛でるように壁にかけて楽しんでいたりしています。



今週は夫の所属する会のグループ展が開かれているので会場の文化センターに行ってきました。


この会は10年以上のベテランの方が多くすばらしい絵を描かれるので、毎年会員の方々の絵を楽しみにしていますが、今年も好みの作品が数多くありデジカメで取り捲りました。



ということで他の方々の絵を優先的にアップしたいところですが、めったに覗かない夫がこのブログを見るともかぎらないので、ここでは家庭円満のためエチケットとして夫の絵を2枚アップしておきます。


1枚は静物、もう1枚は昨年行ったニュージーランドの街カフェを描いたものです。





さて本日は柳澤桂子氏著『日本人への祈り』をご紹介します。



病床にありながら今まで数多くの作品を発表してこられた生命科学者の著者ですが、徐々に衰えてきた体調のため著作が困難になった状態の平成20年、角川春樹事務所の編集者である原知子さんの提案のもと電話インタビューという形式でまとめられたのが本書です。



第一章では30年間認められなかった病の発症当時から奇跡的に一時回復され、「人生は苦なり」を受容するまでの心の変遷について。


第二章では生い立ちを通してのご両親の思い出などを語られています。

 「まぎれなく私に父と母がいた満月のようなまあるい記憶」


第三章では戦時中の思い出と運命的な本との出合い、戦争が及ぼした影響などについて。


第四章ではご主人との出会いから出産、子どもを持つということの喜びについて。


第五章では「いのちの教育」と題して短歌との出合いやご主人との現在の関係、子どもや孫への託したい気持ちなどを綴っていらっしゃいます。


第六章「祈り」ではご自身の宗教観について語られています。


ナチスに処刑されたドイツの神学者・ボンヘッファーの「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という言葉にささえられて「こころの成熟」を目指す生き方の中に平安を得るというスタンスで過ごされています。


「黄昏が静かに星を産む刻に深く祈りぬ神なき世に」


重い体験をした人ならではの輝くような言葉の数々がインタビューに応じた中で煌いています。


それら私の感性に響く一部を挙げてレビューの代わりとしたいと思います。


「宇宙の中で全くの孤独、これが人間本来の姿で、当たり前だということを悟りました・・・
楽しいとか、幸せっだと感じるのはたまたま幸運なだけであって、人間本来の姿は、辛いものだと考えるようになりました」


「孤独とか、辛さを恐れなくていいと、私は思うんです。徹底的に孤独になればいい。必ず開ける時期が訪れて、明るいところに出る。私は自信を持ってそう言えるので、今悩んでいらっしゃる方があったら、むしろ徹底的に苦しんで大丈夫ですよとお伝えしたいんです」


「宗教というと特別なもののように考えますが、結局は『一元的にものを見る』ということなんですね。私たちはものごとを自己と非自己として、二元的に見ますが、実は現実の世界は一元的なものであり、自分は対象物=非自己の中の一部なんです。一元的にものを見ることを、私は宗教だと思っています・・・
自己と非自己のない、一元的な認識に目覚めて、我執を捨て、宇宙と一体になっていく段階、これが『悟り』、宗教の世界だということです」


「祈りは、人間の脳、心の中にあるのだから、大切にするべきだと思いますが、ここでは『神』という言葉を使うより、『宇宙』『大いなるもの』と、そんな感覚でとらえるほうがいいと思います・・・
日本で宗教について書かれているものは、自己をどうするかではなく、まず神、宗教ありきになっています。そのため、何かにすがって生きようとする姿勢がぬぐえない・・・
自分を癒し、救ってくれる『内なる神』を自分の中に見いだして、絶対の平安を得るかたちが理想だと思います」

寝室にある籐のタンスがあまりにも古くて取っ手が取れ開け閉めが不自由になったのでチラシに出ていた広告の品をめざして出かけました。

行き先は先日毎日コミュニケーションが発表した2011年卒大学生就職企業人気ランキングの文系総合ランキングで堂々11位に入ったニトリ。

前年は58位だったそうなのですばらしい躍進ぶりに驚くばかり。


ちなみに文系1位は3年連続でJTBグループ、2位は資生堂、3位は全日本空輸。

理系は1位が味の素、2位パナソニック、3位がカゴメでした。


学生がニトリを選んだ理由は不況下でも業績を伸ばしているという「将来性」だそうです。


そんなことをインプットされていたせいか、久しぶりに店内に入ると以前より洗練された店内のあちこちにいる男性のスタッフが何だか賢こそうに見えてくるから不思議。


それにしても品質は定かではありませんが、ざっと見にはとてもセンスがいい上にプライスの安さには目を瞠る思い。


一昔前は家具といえば一生モノという感じで力を入れて選んでいたようですが、何十年も壊れない黒光りする家具というのも持ち重りがするような。


我が家は運良くという感じで阪神大震災で大型家具はすべて壊れて随分身軽になりました。


というわけでお買い得と書かれた手軽な29800円のタンスを購入しました。



ついでに今月は転勤や卒入学などで移動の多い月なのでbook off もかきいれどきということで久しぶりに覗いてみました。

本棚から整理した40冊あまりの手持ち本を持参して売り、代わりに10冊購入、収支は▲900円。


以前あるボランティア活動に参加していたときは事務所の一角に古本交換コーナーというのがあって書店や図書館通いも必要ないほど様々な本が活動員によって持ち込まれていたので助かっていましたが、現在は地区の公民館に小さなコーナーがあるくらい。


不要になった本をためておいてときどき公民館にも持参していますが、本のほかにも身の回りのものの気楽な交換の場が広がってほしいです。



さて本日は柳田邦男氏著『新・がん50人の勇気』をご紹介します。


「迫り来る死を前に人はいかに生きるか──昭和天皇から本田美奈子まで、
がんと向き合った作家・俳優・音楽家・学者・僧侶・企業人、
五十余名の『生と死』のかたち」


「意味のある偶然」―武満徹
試練への感謝―山本七平
人生の美学―井上靖・山口瞳・澁澤龍彦・白石一郎・手塚治虫
昭和天皇の最期
己の死をも学ばずには―丸山眞男・中川米造
女たちの生き抜くかたち―千葉敦子・宮崎恭子・森瑤子・重兼芳子・長尾宣子
書くことは生きること―米原万里・絵門ゆう子・山本夏彦・高坂正堯・米山俊直・矢内原伊作
表現者たちの流儀―野間宏・上野英信・国分一太郎・黒田清・日下雄一・五味康祐・石井眞木・青木雨彦・城達也
色即是空のかたち―高田真快・高田好胤
企業人の「生と死」―河邉龍一・河毛二郎・大川功・美川英二・森武志〔ほか〕


著者がライフワークの1つとしていらっしゃる人間の生き方シリーズのうちのガンに関する最新刊が本書です。


元NHK記者として蓄えた取材力で医療現場に取材した渾身の第1回講談社ノンフィクション賞受賞作品である『ガン回廊の朝』を発端に始まった医療への関心は年とともに深く熟成され、眼差しも医療を行う現場からやがて患者へと移行して今日に至っているように思います。


1981年に出版された『がん50人の勇気』から2009年の本書『新・がん50人の勇気』までの約30年という長い年月の間にはさまざまな人々との出会いをヒントに『「死の医学」への序章』などを上梓されたり、1995年にはご次男の自死の体験をまとめられた『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』を出版されるなど筆舌に尽くしがたい重い人生を過ごされたことが苦しみの中にいる人々に対するあふれるような共感と結びついたのではないでしょうか。


本書にはガンという死と直結した病にまっすぐに向き合って闘った人、運命に添って受け入れた人、そして周りで支え続けた人々を言葉の装飾なしで見つめ続けた記録が詰まっています。


本書執筆の動機を著者は次のように書いていらっしゃいます。

「約30年前、がんを患った著名人50人の最期の日々を描いた『ガン50人の勇気』を上梓(じょうし)しました。
その後、医療技術が発展し、がんの告知も一般的になったことで、日本人の死生観も変容しているのではないか――。
そんな視点から、あらためて50人強の人々の様々な「死のかたち」を取材しました」


30年の間には医学の進歩もさることながら医師患者双方の意識改革も進み、余命はおろか病名告知も逡巡されていた時代の前作と、大半の人が告知を受け、医師が提示した過酷な治療を拒否し、残りのQOLを充実させるという選択肢をも患者自身が選ぶことができるという多様な終末を迎えられる時代に上梓された本書の間の時代の変化は決して小さくはありませんが、底辺に流れるそれぞれの登場人物の死を迎えるまでの真摯な生き様は同じです。

残された人生を精一杯意義あるものとしてまっとうしようとする努力には言葉を超えた感動が広がります。


「豊かで深遠な死」という思いつきの表現ぴったりの多くの死の裏舞台にはもちろん語りつくせない心や体の修羅が本人にもご家族にもあったのは想像に難くありませんが、それでもじっくりした味わい深い余韻が残りました。


「死者を訪ねる旅は、生者を訪ねる旅だ。
死を考え、死の思索を究めるとは、いかに生きるかを考えることだ」


人間の精神生活に主眼を置くなら、人生後半こそ上昇を目指すべきであり、その人の生きた証が、遺された人々の心の中で生き続けるなら、人の精神的いのちは死で終わることはないという著者のあとがきを通して、限りある生を大切に生きる指針としたいと思いました。

川崎から帰省して岡山に根を下ろし、徒歩圏内にある1人暮らしの母のもとに通うようになって5年、当初杖でどうにか歩いていた母も寝たきりになって3年になりました。


現在97歳になる母は少し前まではラジオを通して社会の出来事を掌握、低金利やガソリン高騰などを口にして周囲を驚かせていましたが、ここ1年ほどは死への恐怖から精神的な落ち込みが激しくラジオを聴くということも拒否しているので、だんだん思い込みが強くなっています。


週に1度の先生の往診のあと特にひどく、無言で聴診器を当てたといっては「重病を隠している」と疑い、脈をとらなかったら「死期が迫っているので見放された」と取り付く島がないほど。


血圧も安定、血液検査の結果も良好であるという事実を見せても信じず、その対応に私を含めた周囲は振り回されています。


お盆の間付き添っていた娘が東京に帰ってからのメール。


「どんなシチュエーションでも自分の論理を展開し、他者に確固たる自信をもって訴求できる、今のビジネス界、営業力不足が叫ばれているなか、秀逸の人材やわ」


経済不況の直中サラリーマンをしている娘視線の祖母へのぴったりの観察眼には思わず笑ってしまいました。


私たちや孫である娘たちは母の望むことはすべて受け入れるというスタンスを長年とってきているので、今更急に方向転換できないという状態の現在ですが、寝たきりという状態の苦しい母の立場を思いやると、どんなワガママも聞いてあげなければと思ってしまいます。



「彼岸へと入りにくき人の苦しみにコスモスの花窓辺をゆらぐ」


生命科学者でありサイエンスライターとして多くの著書を著していらっしゃる柳澤桂子氏が一昨年老人病院に入院されたとき詠まれたものです。


まるで母のことを詠んだような歌で老年の哀しみが伝わって切なくなります。



長く病名のわからない病気に苦しんで30年、全身に麻痺がおよび、食べることも飲むこともできず中心静脈栄養に頼る生を続ける苦しみに耐えかねてチューブを抜いてほしいという願いを主治医と家族に伝えたところ、同席していた娘さんの動揺の激しさに思いとどまったという経験を通して命は自分だけのものではないと改めて気づかれたそうです。


そんな著者ですが、老人病院で死ぬに死ねない寝たきりの高齢者の本当に苦しむ死を見て死に対するこころが揺らいでいると正直な気持ちをあるインタビューで吐露されていました。



さて本日は柳澤桂子氏著『ふたたびの生』のレビューを。


本書は31歳のときの初めての入院時の1969年から筆を起こし、上述のような究極の苦しみの末、ある1人の精神科医との出会いによって痛みとしびれから開放されるという夢のような奇跡にめぐり合った1999年までを記していらっしゃいます。


奇跡を起こしてからのはじめての外出はお孫さんの七五三のお祝いの席、その1ヵ月後に息子さんたちへのクリスマスプレゼントを買うためにご主人とデパートへ。


「『二人でお茶を飲むなんて、久しぶりだね』と夫がいった。

『ほんとうに久しぶり。お茶だけのためにレストランに入るのなんて、四十年ぶりではないかしら』

店前の噴水の水を見ながら、カフェ・オ・レを楽しんだ」



ただ夫とカフェ・オ・レを飲むというだけなのに、なんと生命感あふれる喜びが伝わってくるのでしょう!


暗闇を体験してこその生への賛歌!



著者は「おわりに」で不特定の医師に対して次のような切なる願いを書いていらっしゃいます。


「私がこんなに長い期間苦しんだのは、やはり、医学がそこまで至っていなかったためであろう。
あと十年か二十年のうちには、私のような病気の診断法や治療法も確立されて、少なくとも気のせいだといって、患者の性格や日常のおこない、あるいはものの考え方を非難することのないようになってほしい」


上記には医学界に対する大変重要な示唆が含まれていますが、本書の中でもう1つの光があります。


それはどんな処置をしても痛みが止まらない慢性疼痛の患者さんへの一条の光です。


著者の奇跡の原動力となったのはある2種類の抗うつ剤と抗けいれん剤でした。


そのメカニズムを著者は科学者としての目で分析していらっしゃいますので興味と科学的な知識のある方は是非読んでみてください。


慢性疼痛といってもさまざまな原因があり、結果的に著者のように劇的な効果がない方もいらっしゃるとは思いますが、アメリカの文献にもさまざまな成功例が発表されているそうですから、苦しまれている患者さんの助けになればと祈ります。

1ヶ月ほど前に友人にもらって植えたえんどう豆の苗。

「好きなところに身を委ねてもいいよ」と支柱を格子状に立ててあげて愛情を持って見守っているにもかかわらず、「これからがんばってお世話になっている家人(私たち夫婦のこと)の恩に報いよう!」というやる気が感じられません。

つるを起こして、市柱に手を添えてあげるという超過保護なのに、ちょっと目を離すと地面に寝そべろう寝そべろうという意欲のなさ(――;)


水分も栄養も行き届いているはずなのに、家人のためにこれから子どもを生み育てようという積極性がまったく見られないのです。


横のプランターでは根だけ植えたネギが何の世話もしないのに逞しく伸びて薬味として日々私たちに献身してくれているというのに。


やはり過保護はひ弱な精神を作るのでしょうか。


私は生き物育てがとても下手です。



どうにか子育てを終えた私はときどき過去を振り返っては反省やら居直りやらで悲しくなることがあります。


でも時を戻してもらっても浅はかな私はまた同じ過ちを過ちとも認識せずに繰り返す可能性大のような気がします。



「夫も何度も離婚のことをかんがえたそうです。
けれども、私と子どもたちが食べていけないと思ってあきらめたといっています。
私との結婚を大変不幸だったと思っているということですので、私は、姿を消して、時間を逆戻りさせて、私と結婚してからの時間をすべて夫に返せたらと願いました」


何と切ない言葉でしょう。

これを書いた人は『二重らせんの私』や『認められない病』、『生きて死ぬ智慧』を初めとする多くのベストセラーを上梓されている生命科学者・柳澤桂子さんです。


原因不明の病気のために途上の研究を志半ばでやめてリタイアしなければならなかった著者ですが、その苦しみの中で考えます。

「家族を不幸にしているということと比べたら、私が研究ができないとか、どこかへ遊びに行けないとか、病気の苦しみとかいったものは、ものの数ではありませんでした」



柳澤桂子氏著『やがて幸福の糧になる』

本書では生い立ちから科学者として没頭した研究、病名の定まらない病に苦しんだ30年の中で辛かったこと、嬉しかったこと、そして思わぬ出会いで再び歩けるという奇跡を与えられたこと、次世代を担う子どもたちに伝えたいことなどが平易な文で綴られています。


他の多くの著書と部分的にだぶっている部分もありますが、何度繰り返し読んでも深く心に入ってくる内容です。


動けない長い年月を書き続けて「やっと読者が私を見つけてくれた」というような状態になるまで12年の時を要したそうです。


「書くことは生きること」


生命のすばらしさ、尊さを人々に伝えたいというひとつの願いから出発した小さな火は著者の期待をはるかに超えるほど大きなかがり火となって私たちを照らしてくれています。


「生きることは苦しいことであるという真実をはっきりと認識したときに、生きることは楽になります」


「神の前に、神とともに、神なしに生きる」というボンヘッファーの言葉に支えられたという著者。


私も著者のことばの中にたくさんの示唆をもらってその日を過ごしているひとりです。



最後に著者の短歌をいくつか。

「生きるとは待つことなりと思いつつ車椅子にて秋の野をゆく」

「今日もまたよりよき死とはと考える選ぶことなどできないものを」

「哀しみの満ちみちてくるわが内の広き隙間を心というか」

「生も死も越えたるごとき優しさに白蓮の花ほぐれゆくなり」

目覚めて何でもできそうに思う朝はすてきです。

1年のうちそんな朝は数多くはないけれど、あふれている前向きな気持ちを心という容器から少しでもこぼしてしまわないようにあわてて行動します。

といっても平凡な主婦の私がすぐ実行することといえば、料理とか暮らし方の工夫とか・・・意欲あふれる人からみたら取るに足らないことばかりなのです。


今朝はそんなちょっといい朝だったので、起きる前からいろいろやることを決めました。


まず、現実的に差し迫った確定申告。

ささやかな内職をしている分も含めてちょっとした旅行の足しになる還付金です。


そして2種類の天然酵母パン、にんじんパンとくるみパンを焼きました。


それから気になっていたこと・・・母の高額な介護費用の減免のことを聞きに市役所へ。

母に関連する気の重かった用事を3つ。


出たついでに大量に買ってきた野菜の下処理。

お昼は久しぶりにちらし寿司を作りました。


ついでに夕食の下拵え。

生きのいい豆あじを見つけたので南蛮漬けに。
5種類のきのことキャベツと豚バラで重ねなべに。
ニンジンとショウガご飯、ピリ辛コンニャク、ゴボウ&ニンジンのキンピラなどなど。


作りたくて作る食事と、仕方なく作る食事とでは雲泥の差があるような気がします。


365日が主婦の私は比較的料理が好きとはいえ、何とも面倒なことが多々ある失格主婦ですが、時間があってなおかつ前向きな気持ちのときは1日中保存食や試してみたいものなどを作っていることもあります。


というわけで今日はそんな小さな仕事に幸せを感じた日でした。




「お湯の沸く感じ、小松菜のゆだる香り、
さっと冷たい水に戻したときに沸き立つような緑-。
ゆで上がった小松菜を一本いっぽんそろえながら、
しあわせはこういうところにあるのだと思った」


「洗濯物を取り込むときは、洗濯物についたお日さまの匂いを
嗅ぐことを忘れなかった。
ここにも たくさんのしあわせがしまい込まれていた」


認められない病に苦しみながら人生の半分以上も病とともに生きてこられた生命科学者柳澤桂子さんの著書にこんな小さな幸せの言葉を見つけました。


柳澤桂子氏著『いのちのことば』


「朝の光が射しはじめ、障子が白く浮き上がったとたんに心の中に一瞬火が燃え上がった。
激しいめまいとともに悲しみはあとかたもなく吹き飛ばされていた。
目の前に赤々と続く一本の道が見え、言葉にあらわすことのできない満ち足りた気持ちに包まれた。
一転、希望と幸せの絶頂に立ったのである」


三菱化成生命科学研究所主任研究員として、ハツカネズミの先天性異常の研究が軌道に乗った40代半ば原因不明の病気で退職を余儀なくされますが、以後苦しい病床の床でサイエンスライターとしてたくさんの著書を世に出していらっしゃいます。


本書はそんな著書の中からいのちのことばを選んで、「病の章」「家族の章」「いのちの章」「心の章」「老いの章」からなる1冊の本にしたものです。


どのページを開いてもきらきらひかる言葉の数々が立ち上がってきて心の中に希望の灯火を灯してくれます。


「医師が病気として認めないということは、
病人としての権利をあたえられないばかりではありません。
苦痛を訴え、愚痴をこぼす人間として、
その品性までもが疑われるということになります」


「病気の原因が精神的なものであるといわれたことではなく、
精神的な原因で病気になるような人には
手を貸す必要がないという態度で接せられたことである」


「医師はそのひとの 人格以上の 医療はできないものである」


「もし、病気をしたことで、学んだことがあったとすれば、
何の価値もない自分であることを肯い、
何の意味もない人生を生きることを
喜びとすることを学んだことであろう」


「いのちは、それをもっている人の物ではありません。
家族も医師も友人も含め、みんなの物です」


「苦しみも悲しみも 私の心のなかにあるものである。
苦しみを苦しみにしているのは、ほかならぬこの私なのである」


「ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・・
ほんとうは 野の花のように わたしたちも生きられるのです」


「心配は自分が作り出しているものです。
嫌いだとか、辛いとか、全部私のせいなのです。
その原因を相手に求めていたのは まちがっていると気づきました」


「『自分』という考えさえも捨て去ったときに、その人にとってのまことの生が
おのずから姿をあらわしてくるように思われる。
そこには、生きる喜びが満ちあふれてくる。
空の青さに、一輪の花の美しさに、小鳥の声の澄んだ音色に、
心は深く反応するようになる。
愛に対する感受性も高まり、感応の度合いも増す」


「これから迫ってくる夫と私の老後に、万一のときに、
せめて夫の介護のできるからだになりたいと願っている。
そして、もし許されるなら、夫よりも一日でもよいから長く生きて、
この世に取り残される寂しさを
私に引き受けさせていただきたいと祈っている」

慌しい年末年始が過ぎ、やっと日常が戻りました。

溜まった新聞を整理していると柳澤桂子さんのインタビュー記事が目に留まりました。

原因不明の病気で30年近い歳月を過ごしながらもご自身の病気や研究者としての体験も含めた多くの著書を発表し続けていらっしゃる生命科学者です。

科学者として発生学の研究が充実期を迎えていた40代に病気のために退職を余儀なくされた経緯は『認められぬ病』をはじめとする著書で知ることができますが、その後も厳しい病床生活で「いのち」に関する多くの著書を生み出していらっしゃいます。

一時重篤になられた病の床で生命維持装置を外す決心をされた時期があったそうですが、娘さんの激しい動揺で思いとどまったという経験を通しての「いのち」に対する深い気づきが読み手の私の胸にまっすぐ向かってきます。


40億年近い地球での奇跡の重なりの上にいまの私たちの命があり、命は自分だけのものではないと書いていらっしゃいますが、反面最近入院された老人病院での体験を通して寝たきりの死にたくても死ねず苦しむ老人の切ない生を目の当たりして死に関しての感じ方が揺らいでいると正直に語っておられるのが印象的でした。


私には介護を必要とする97歳の寝たきりの母がいますが、上記の老人病院の方々のように死をひたすら求めている母の様子を毎日目にしていると切なさで胸がいっぱいになります。

限りある命をぎりぎりまで充実させることがどんなに難しいことかを認めざるを得ないことにたじろぐ毎日です。


このように後ろ向きになりがちな私の思考は、時として柳澤氏の言葉と重なって共感の源となったり、また氏の生き方が私の向きを変えてくれる原動力になったりもします。



さて本日ご紹介する『いのちの時』は1999年から2001年、著者61歳から63歳の小康状態の安定期に様々な新聞や雑誌に載せられた25のエッセイを一冊にまとめたものです。

あるときは科学者の目で多細胞生物である人間を分析し、またあるときは生命体の神秘を科学と対極にある宗教に絡めて語っていらっしゃいます。


二十世紀の終わりに解明されたヒトゲノムのDNAの全塩基配列解読の結果可能になった遺伝子の診断による病因遺伝子をもった障害者の問題についての著者の繰り返しの言葉はとても重いものです。
少し長くなりますが引用してみたいと思います。


「遺伝子的な障害をもった子供の数は病因遺伝子をもつ夫婦が出産をさけることなどにより減ることはあるが、なくなることはない。
遺伝子の中では、たえず一定の頻度で突然変異が起こっている。
さらに、私たちは誰でも重い病気の遺伝子を五、六個はもっているといわれている・・・
このように考えてくると、障害をもった子供は、運悪く病因遺伝子の乗った染色体を引き当ててしまったことになる。
とすると、私が悪い遺伝子を引き当てなかったのは、障害をもっている人がそれを引いてくれたからである。
私たちは障害者に感謝しなければならないし、その人たちが幸せに暮らしていけるように、できるだけのことをしなければならない。
ヒトゲノムの解読の意味を考えていって、私が到達した結論は、一層の福祉の充実が必要であるということである」


この世で起こることはすべて他人事ではなく、若いときは障害とは縁のない生活を過ごしていた人々でも晩年に障害者となることを余儀なくされることもしばしばです。


この文章と出合うことによって広い視野に立って障害というものを受け止めることができたことにとても感謝したい気持ちです。

氏の著書を読むとこんな私でも広い意味で人生を見つめる力を与えられるのです。


最後にドイツの神学者ボンヘッファー氏の「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という言葉を借りて述べていらっしゃる著者の理想の生き方を記して締めくくりたいと思います。

「謙虚に、自分を大事にして、自分の足で生きるという『神なしの境地』が私には理想の生き方です」

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