

下手の横好きで始めた夫の油彩画歴も4年になりました。
どんなに下手でも300枚描けばそれなりに自分の個性が定着し、ある程度サマになる作品になります、と先生に言われて描き続けている夫です。
300枚に到達するにはまだ相当の年数を要するようですが、それでなくても狭いマンションの部屋がキャンパスだらけになるのはどうもという感じです。
なるべくニューキャンパスではなく古キャンを潰して描いてほしいというのが正直なところですが、夫には抵抗があるようでしぶしぶという感じで潰しています。
新しい絵が出来上がると必ず感想を聞かれるのもかなり苦痛、正直に言うと気分を害することもしばしばなので言葉選びが難しいところです。
それでも数打つうちには私の好む作品もあり、額を着飾られたら見違えるようになったわが子を愛でるように壁にかけて楽しんでいたりしています。
今週は夫の所属する会のグループ展が開かれているので会場の文化センターに行ってきました。
この会は10年以上のベテランの方が多くすばらしい絵を描かれるので、毎年会員の方々の絵を楽しみにしていますが、今年も好みの作品が数多くありデジカメで取り捲りました。
ということで他の方々の絵を優先的にアップしたいところですが、めったに覗かない夫がこのブログを見るともかぎらないので、ここでは家庭円満のためエチケットとして夫の絵を2枚アップしておきます。
1枚は静物、もう1枚は昨年行ったニュージーランドの街カフェを描いたものです。

病床にありながら今まで数多くの作品を発表してこられた生命科学者の著者ですが、徐々に衰えてきた体調のため著作が困難になった状態の平成20年、角川春樹事務所の編集者である原知子さんの提案のもと電話インタビューという形式でまとめられたのが本書です。
第一章では30年間認められなかった病の発症当時から奇跡的に一時回復され、「人生は苦なり」を受容するまでの心の変遷について。
第二章では生い立ちを通してのご両親の思い出などを語られています。
「まぎれなく私に父と母がいた満月のようなまあるい記憶」
第三章では戦時中の思い出と運命的な本との出合い、戦争が及ぼした影響などについて。
第四章ではご主人との出会いから出産、子どもを持つということの喜びについて。
第五章では「いのちの教育」と題して短歌との出合いやご主人との現在の関係、子どもや孫への託したい気持ちなどを綴っていらっしゃいます。
第六章「祈り」ではご自身の宗教観について語られています。
ナチスに処刑されたドイツの神学者・ボンヘッファーの「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という言葉にささえられて「こころの成熟」を目指す生き方の中に平安を得るというスタンスで過ごされています。
「黄昏が静かに星を産む刻に深く祈りぬ神なき世に」
重い体験をした人ならではの輝くような言葉の数々がインタビューに応じた中で煌いています。
それら私の感性に響く一部を挙げてレビューの代わりとしたいと思います。
「宇宙の中で全くの孤独、これが人間本来の姿で、当たり前だということを悟りました・・・
楽しいとか、幸せっだと感じるのはたまたま幸運なだけであって、人間本来の姿は、辛いものだと考えるようになりました」
「孤独とか、辛さを恐れなくていいと、私は思うんです。徹底的に孤独になればいい。必ず開ける時期が訪れて、明るいところに出る。私は自信を持ってそう言えるので、今悩んでいらっしゃる方があったら、むしろ徹底的に苦しんで大丈夫ですよとお伝えしたいんです」
「宗教というと特別なもののように考えますが、結局は『一元的にものを見る』ということなんですね。私たちはものごとを自己と非自己として、二元的に見ますが、実は現実の世界は一元的なものであり、自分は対象物=非自己の中の一部なんです。一元的にものを見ることを、私は宗教だと思っています・・・
自己と非自己のない、一元的な認識に目覚めて、我執を捨て、宇宙と一体になっていく段階、これが『悟り』、宗教の世界だということです」
「祈りは、人間の脳、心の中にあるのだから、大切にするべきだと思いますが、ここでは『神』という言葉を使うより、『宇宙』『大いなるもの』と、そんな感覚でとらえるほうがいいと思います・・・
日本で宗教について書かれているものは、自己をどうするかではなく、まず神、宗教ありきになっています。そのため、何かにすがって生きようとする姿勢がぬぐえない・・・
自分を癒し、救ってくれる『内なる神』を自分の中に見いだして、絶対の平安を得るかたちが理想だと思います」