VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: ま行ーその他

しばざくら
お互いを知り合うにはまず言葉。

発する言葉のかけらからさまざまな人となりが伝わってくるし、伝えることもできる。

堅牢な反対意見をもっていても、お互いに手繰っていくうちに
わずかな糸口がみえることもあると思う。

そういった努力を一足飛びに飛ばして持てる権力で高圧的に推し進めるという事例を
みていると怒りが湧いてくる昨今。

大きな事例のうちのひとつは辺野古への埋め立て。

もうひとつは原発処理水の海への放出。

事故以来、溶け落ちた核燃料を冷やす注水など汚染水は増え続けている。

汚染水に含まれるほとんどの放射性物質はALPS(アルプス)と呼ばれる装置で取り除き
処理水にしているそうですが、どうしても取り除けないトリチウム。

そのトリチウムを含む処理水を溜めている一千基のタンク。

東電によると来年秋にはタンクが満杯になるという。

ならばどうするか・・・海への放出以外の道は難しいのは承知しているけれど
やはり政府や東電の威圧的な態度や説明説得不足を思ってしまう。


基準値以下にトリチウムを含む処理水を薄めて海へ、ということで
人体や魚類に盈虚はないと言われてはいるけど・・・

今月やっと本格操業への移行期間に入ったばかりという地元で生きる漁師の方々の
これまでの苦難の道のりをみてきただけに、
風評被害を懸念する地元民の心情が痛いほどわかって苦しい。

わたしは消費者として早くから三陸のワカメなど積極的に買って陰ながら応援していますが、
例えば不都合が起きたときのさまざまな政府の対応に安心感を持てないことを通して
不安が増す地元の方々の気持ちがよく理解できる。

辺野古も同じ。

そこに住む住民の民意を蔑ろにすることが許されるのかと思ってしまう。

最大限に安心感のある対話を心掛けてほしいと思うのです。

                   闇の中にうごめく無数の言葉たち信じたときだけ光る幾ひら

たべる生活

群ようこ氏著『たべる生活』
 

栄養バランスを考えつつも、料理に手間をかけるのは苦手──
「最小の労力で最大の効果」をテーマとして掲げつつ、日々の食、だしと道具の関係から夏バテ、糖質制限、外食、子どもの食育まで──。

生活の中で「食」と「健康」を明るく考える大好評エッセイ! (「BOOK」データベースより)

 

著者の作品は初。

 

こんなエッセイを書く人だったのね。

 

多くの読者がおられるようですが、わたしにはちょっと合わなかった。

 

食の本ということでどんな内容かなと手に取ったけれど、著者の思い込みというか、「最小の労力で最大の効果」をあげる食生活にうるおいが感じられなくて、しかも同じことの繰り返しのエッセイの連なりに最後まで斜め読みするのが精一杯でした。

 

文筆業の合い間に料理をするってやはり大変なんだなぁ。

 

ついつい最低限の栄養を考えての献立・・・無理もないかな、なんて思いながら読了。

 

「食」エッセイと銘打っているのがなんだかなぁと、いうのが正直な感想でした。

なの花

陽が大地を溶かすとみゆるまでに那岐の麓を菜の花おほふ



最近、〈一日一捨〉というのをやっています。

 

まさかこんな言葉があるとは思わなかったけれど・・・念のために検索してみたら
・・・あった!

 

人気ミニマリスト・すずひさんの整理術で使った言葉だとか。

 

びっくり・・・ここ2か月ほど毎日一個捨てるということを繰り返して
どんどん軽くなっていく爽快感を味わっていて、〈一日一捨〉いい言葉だなぁ
と自画自賛していたのに、世間では既に多くの人が使っていた言葉だなんて!

 

このようにわたしは昔からいつも流行に10歩も20歩も遅れてしまう"(-""-)"

 

まあいいか。

 

今日は箸類の整理。

 

我が家は箸にすごいこだわりがあります。

 

その昔、小さな民芸店で見つけた手作り竹箸。

 

竹職人の方が自ら削って作っているという竹箸、
その頃
50膳ほど束にして安価で売っていたのを見つけて買って以来、
家族、親戚、友人、知人すべてが虜になってしまった・・・
どれくらいその店に通って買い続けたかわからないほど。

 

月日がたって、その老竹職人の方が退いて、その竹箸は消えてしまいました。

というかわたしたちが買い占めしぎたせいかも。

 

以来、義姉が別の竹箸を削ってみたり、わたしや友人が各地の箸売り場を覗いたり、
検索したり、カッパ橋に行ったり・・・。

 

たまにネットで理想の竹箸に出合っても、一膳の値段が手が出ないほどの高さ。

 

まさに芸術品と紛うほど。

 

そんなこんなで各地で似たようなものがあれば買って集めたりもらって
溜まりに溜まった大量の箸。

 

たとえ薄く塗っていても塗り箸はだめ重いのはだめ先が細くないとだめ(1.5mm以下)という具合
・・・思い切って大量に処分。

 

辛うじて残っていた忘れがたみのような一膳を写真に撮ってみました。

箸

えっ、こんな変哲のないもの?と驚かれるかもしれないけど、ネット深掘りに自信のあるわたしが断言・・・どこにもありません。

 
一膳1500円ほどで売っているお店はありましたけど。

こんなのが安価であったらぜひ教えてください。



いのちの停車場

南杏子氏著『いのちの停車場』
 

東京の救命救急センターで働いていた62歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。
「命を助ける」現場で戦ってきた咲和子にとって、「命を送る」現場は戸惑う事ばかり。
老老介護、四肢麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女…
現場での様々な涙や喜びを通して咲和子は在宅医療を学んでいく。

一方、家庭では、骨折から瞬く間に体調を悪化させ、自宅で死を待つだけとなった父親から「積極的安楽死」を強く望まれる(「BOOK」データベースより)

最近、立て続けに読んだ著者の作品・・・

サイレント・ブレス』と『ディア・ペイシェント』。

 

深い学びがあったので図書館の棚の本書に手が伸びました。

 

6篇の連作短篇集。

 

本書が吉永小百合主演で映画化されるというのをメディアで見ばかり。

 

ちょっと年齢的に合わないかな?

大学病院救急医療センターに池袋の事故現場から次から次に担ぎ込まれた患者たち
一刻一秒を争う張り詰めた救急現場からスタートする本書

その過剰な受け入れが発端で責任を取るかたちで大学病院を辞めた咲和子。

同じ医学に携わっていた父親の独り暮らしの老後を支えたいということもあり、
ふるさと金沢で幼馴染の開いている訪問診療を手伝うことになります。

同じ医療とはいえ、今まで咲和子が力を注いていた医療は患者の命を救うことが最優先のもの。

しかし第二の職場での医療はいかにして患者の最期を悔いのないものにするかを目的の終末医療。

最近でこそ日本でも〈死〉というものと真向かって
終末医療を行うホスピスなどが全国的な広がりを見せていますが、
ほんの少し前までは〈死〉というものはなるべく直視せずに
過ごしていこうという風潮が主流でした。

人生100年時代に突入して高齢者が増え続けるにつれて
医療費の膨らみは留まることを知らない昨今、
病院のベッド数も少なく、今後は在宅医療が増えるだろう
というのは関係者ではなくても予測できること。

かかりつけ医と患者、家族が三位一体で立ち向かわなければならないという
現実も迫ってきているのではないでしょうか。

本書は『サイレント・ブレス』に続いて、医療従事者や家族など看取る側とともに
看取られる患者側の求める積極的安楽死をも扱った問題作。

 

人は生まれたからには必ず死ぬという事実。

 

家族のことのみならず、自分の身に置き換えても、
死に向かうものの意思を最大限に尊重してほしいと思うのです。

 

日本のみならずまだ多くの国では医師の倫理観も含め
膨大な問題を内包している安楽死に関する問題提起の物語でもあります。

よかったらぜひどうぞ。

銀杏の落葉1

木枯らしに落葉逃げゆく吹きだまり踏めば足裏のかすかにぬくし

 

アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイ氏の言葉につぎのような一文があります。


為し得ることが非常にたくさんあるように思えるから不安なのであり、

できることが何もないから退屈なのである。

 

したいこと、すべきことがありすぎると疲弊、混乱して夜になるとやり残したことのもやもやが不安というカタチで跋扈してくるし、やりたいと思うことが浮かんでこないときのもやもやは〈退屈〉という言葉では表せない無力感や虚無感があったりして・・・いくつになっても生きることはやっかいだなって思ってしまう。

 

そういえば茨木のり子さんの詩にこんなのもあります。

 

廃屋

人が 棲まなくなると
    家は たちまちに蚕食される
    何者かの手によって
    待ってました! とばかりに

    つるばらは伸び放題
    樹々はふてくされていやらしく繁茂
    ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
    頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
    あっというまに草ぼうぼう 温気にむれ
    魑魅魍魎をひきつれて
    何者かの手荒く占拠する気配

    戸さえなく吹きさらしの
    囲炉裏の在りかのみ それと知られる
    山中の廃居
    ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
    波の底にかつての関所跡を
    見てしまったときのように

    人が家に 棲む
    それは絶えず何者かと
    果敢に闘っていることかもしれぬ

 

家でさえ役目を終えるとたちまちこんな状態になる・・・。

 

人間だって必要とされなくなっても何かしら役目を探し出して自分に課し生きていく、ということをやっていかないと廃屋、ではない廃人となるのもすぐかなと思うこの頃。

 

虚無感をなるべく寄せつけないように。

 

今回はちょっと癒しの作品を。

 


人生はワンチャンス!

水野敬也
氏&長沼直樹氏著『人生はワンチャンス!』

夢をかなえるゾウ著者らによる、1年半ぶりの新刊。犬のカワイイ写真で癒されながら、人生で役立つ「大切な教え」が学べ、さらに1ページ1ページが切り離せるので部屋に貼ったりプレゼントしたりできる、まったく新しいタイプの自己啓発書です(「BOOK」データベースより)



youtubeで動物の動画を観るのを愉しみのひとつとしている自分にとっても、動物好きにとっても見逃せない一冊。

人生をより積極的に楽しむツールとしての一言アドバイスとともにかわいい犬たちの写真が次々と目を愉しませてくれる作品。

一日一項目で65の「仕事」も「遊び」も楽しくなる方法。

偉人たちの名言―といっても短いシンプルなセンテンスにエッセンスが詰まった文―がユーモラスな犬たちの写真とぴったりとコラボしていてとても癒されます。

猫派の人たちにも同じ著者の方々の『人生はニャンとかなる!』が出ていますよ(^^)

コキア

明日あるを疑はざりし若き日の幻想のごときコキアくれなゐ


若いころはほとんど縁のなかった病院。

 

今では3ヵ月に一度のローテーションで通っている総合病院の膠原病内科と大学病院の予防歯科、そしてインフルエンザなどのワクチン接種や風邪などのとき駆けこむ開業医。


もうすぐインフルエンザワクチン接種に行く予定。

 

なるべく行きたくないところだけどそうもいかないお年頃。

 

数時間待ちの3分診療などと言われて久しいけれど、そんなことはない、特に開業医は家族構成から趣味まで把握しておられてそれなりに会話はあります。

 

医師側からみると毎日毎日患者側からの、これでもかという訴えにうんざりするのもわかる気がする。

 

そんな気持ちを先取りしてわたし自身は自分の症状をあまりに事細かに言いすぎるのがいやなのでなるべく手短に、というのは心掛けてはいるつもりです。。。

 

大きな病院になると、方針なのかどうか、スタッフの方々が患者に対して不自然なほどの丁寧語を使うのにとても違和感があったりします。

 

例えば「患者様」「〇〇様」という呼びかけ。

 

わたしがへそ曲がりかもしれないけど、これがとてもいや。

 

丁寧語の中に潜む慇懃無礼をつい感じてしまう。

 

病院でも独立採算制が導入されて効率のよい患者受け入れに四苦八苦しているのはよく耳にしますが、表面上の言葉をどのように丁寧にしても・・・ね。

 

今回ご紹介する作品を通してそんなことを思ったのでした。

 

 

ディアペイシェント

南杏子氏著『ディア・ペイシェント』

 

病院を「サービス業」と捉え、「患者様プライオリティー」を唱える佐々井記念病院の常勤内科医になって半年の千晶。

午前中だけで50人の患者の診察に加え、会議、夜勤などに追われる息もつけない日々だった。

そんな千晶の前に、執拗に嫌がらせを繰り返す“モンスター・ペイシェント"座間が現れた。

患者の気持ちに寄り添う医師でありたいと思う一方、座間をはじめ様々な患者たちのクレームに疲弊していく千晶の心の拠り所は先輩医師の陽子。

しかし彼女は、大きな医療訴訟を抱えていた。

失敗しようと思って医療行為をする医師はひとりもいない。

しかし、医師と患者が解りあうことはこんなにも難しいのか――。
座間の行為がエスカレートする中、千晶は悩み苦しむ。
現役医師が、現代日本の医療界の現実を抉りながら、一人の医師の成長を綴る、感涙長篇(「BOOK」データベースより)

 

前作『サイレント・ブレス』がしみじみよかったので手に取った作品。

 

著者の本業が医師ということで、本書も徹底的に医師の立場から描かれています。

 

「ディア・ペイシェント」

 

「親愛なる患者さま」

 

この「ディア」を痛烈な皮肉ととるか、医師としての真摯に向き合う相手ととるか、はそれぞれの読み手によって違うとは思いますが、ここではひとりのクレーマー患者の存在によって心身共に疲弊するものの医療の真のあり方を見つめるひとりの医師の姿が描かれているので後者と受け取りたい・・・と思うのがささやかな患者側からの願望。

 

地域の総合病院に勤務する内科医・真野千晶。

 

千晶を通して現代の病院の過酷な勤務実態や患者との関係、病院という名の企業の経営努力など、さまざまな問題点が浮き彫りになっています。

 

わたしは観ていませんが、先刻ドラマ化もされたよう。

 

現在のコロナ禍の中で医療現場の過酷な状況が連日の報道で顕わになっていますが、本書もまさにそんな医療現場に焦点を当てています。

 

小説ゆえに多少のオーバーな表現はあるものの、経営を軸に考えるとき、サービス業の最たるものである病院。

 

今では患者がネットその他で病気や病院の知識を得て受診する時代、責任感や使命感だけでは患者との交流もままならなくなっているのが実情。

 

訴訟問題も避けては通れなくなり、どんどん追い込まれて果ては自殺してしまう先輩医師の姿も克明に描かれていて胸を衝かれます。

 

治すための医療だけではなく、幸せに生きるための医療を考えてきた。

 

死を納得するのは時間がかかるから、無理しないでいい。


その死が運命だったと気づくと、自分が少し楽になれる

 

医師は誠実に患者を癒し続ける人でありなさい

 

 

故郷の片隅で長く地域医療に携わってきた千晶の父の言葉が一滴の甘露となって疲弊した千晶の心にもわたしたちの心にも沁み込んできました。

 

よかったらどうぞ!

とうがらし
肉親の死に際に立ち会えたか否かということが人生の重大なことのひとつと受け取る人が多い気がします。

 

わたし自身はその瞬間よりそれまでのその人との間で育んできた過程こそ大切なことと思っているひとりです。

 

わたしには実父母、養父母、義母がいましたが、実母ひとりを除いて全員の死の瞬間に立ち会うことができました。

 

それぞれの父母の介護を子どもたちがローテーションを組んでしていた最中の出来事。

 

ちょうどわたしの番で病院に泊まり込んでいたときに4人がそれぞれ臨終を迎えたのでした。

 

結婚を機に肉親と遠く離れたところで生活していたわたしにとってそれらの人々の死の床にいられたということは奇跡に近いことだったので今でもその巡りあわせをとても不思議に思っています。

 

そのとき主になって介護をしていた人でなく、遠地から駆けつけて数日を共に過ごしていたわたしがその瞬間に立ち会ったのは何だか申し訳ないような筋違いのような気持ちになったのを今でも覚えています。

 

看取りに至るまでの介護は生半可なことではできないからです。

 

ただひとり100歳で亡くなった養母は長い間わたしが主となって介護をしていたのでそれなりの納得の看取りではありました。

 

人間のみならず命あるものの生死はどうしても避けて通ることができないこと。

 

長寿の時代になったとはいえ、長短に関わらず必ず誰にも等しく来る終末。

 

長い間公に語られるのはタブーとされていた死というものに切り込んだキュプラ―・ロス氏は『死ぬ瞬間』を皮切りに生涯に死をテーマにした20冊もの著書を刊行しました。

 

今から半世紀以上前に読んだ『死ぬ瞬間』はわたしにとって深く心に残る作品のひとつとなっています。

 

今でこそ耳慣れた言葉となっている「死の受容」―否認・怒り・取引・抑うつ・受容―への過程。

 

すべての人々がこの過程を通るとは限らないと著者ご自身も書かれていますが、共感できる道筋ではあります。

 

最後に残された人間の大仕事。

 

厳しくて孤独な作業人生のはじめとおわりに吐く息ふたつ

 

 

 


サイレントブレス
南杏子氏著『サイレント・ブレス
―看取りのカルテ』
 

 

大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷”を命じられた37歳の水戸倫子。
そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。

命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。
けれども、いくつもの死と、その死に秘められた切なすぎる“謎”を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けすることも、大切な医療ではないかと気づいていく。

そして、脳梗塞の後遺症で、もう意志の疎通がはかれない父の最期について考え、苦しみ、逡巡しながらも、大きな決断を下す(「BOOK」データベースより)

 

著者について

1961年徳島県生まれ
2016年『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』で小説家デビュー
2018年『ディア・ペイシェント』
2020年『いのちの停車場』
現在、都内の終末期医療専門病院に内科医として勤務中


本書は
6篇の短篇が収録された連作短篇集。

死は「負け」でなく「ゴール」

誰もが避けては通れない、愛する人の、そして自分の「最期」について静かな答えをくれる、
各紙誌で絶賛された現役医師のデビュー作。
2018年6月21日のNHK「ラジオ深夜便」にて紹介され、話題沸騰中!

主人公は大学病院外来で診療に携わったのち在宅の終末医療を行うクリニックに異動を命じられた医師・水戸倫子。

著者ご自身の医師としての経験が色濃く投影された作品となっています。

タイトル「サイレント・ブレス」について著者は次のように書いていらっしゃいます。

静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。

多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。

人生の最終章を大切にするための医療は、ひとりひとりのサイレント・ブレスを守る医療だと思うのです。

「医療ミステリ」と銘打っていますが、本書の場合「ミステリ」という後付けはまったく不要の作品。

 

ここに取り上げられているのは乳がん、筋ジストロフィー、膵臓がんなどを患う患者の終末に在宅を願う背景はさまざまですが、そこに至る患者たちの心の変遷を丁寧に描きながら、その患者に寄り添っていこうと尽くす主人公をはじめ、「むさしクリニック」の人々、そして主人公・倫子の恩師である大学病院の教授の存在が、もうすぐ消えることを余儀なくされている患者の微かな命のひかりにそれぞれの輝きを添えていて、暗闇の中の一灯となるような作品でした。

日本のホスピス普及や終末期医療の充実先駆けとなられたアルフォンス・デーケンこの9月6日に死去されましたが、氏の提唱されていた死をタブー視するのではなく、最期まで心豊かに生きるために死と向き合う「死への準備教育」はその後多くの心ある医療者の心を動かし、日本全国にホスピスを設置する原動力になりましたね。

 

このブログでもターミナル医療の先駆者・故柏木哲夫氏や老年医学にご尽力された故日野原重明氏、鎌田實氏、徳永進氏など多くの医師をご紹介しましたがつい先頃ご紹介した樋野興夫氏もそのおひとり。

 

3時間待ちの3分診療」などと陰で言われている昨今、上に挙げた医師たち、そして本書の主人公・倫子の存在はわたしたちの暗くて細く行き場のない終末期に灯をともしてくれる存在です。

わたしは読了後、この作品を参考に断捨離の一環として前々から気がかりだった〈リヴィング・ウィル〉をやっと作成することができました。

ぜひどうぞ!

烏城を望む

田町橋、()(けん)(ぼり)橋、(いづ)() 渡りて幼きわれに会いにゆく


追憶はままごと遊びのおちやわんに五歳のわたしが盛る〈赤まんま〉


母の介護のため故郷である岡山に戻ってほぼ20年。


それまで夫の転勤に伴って各地をウロウロ、子どもたちが高校までは一緒に移動。

 

そんな家族総出での移動を〈フン族大移動〉と名づけてそれぞれの土地を楽しんで今に至ります。

 


生まれてからずっと故郷に住み続けている人もたくさんいらっしゃると思いますが、長く故郷を離れて戻ってきてみると、時代とともに開発が進んだり、実家の様相が変化したり、幼いころ親しんでいた町では新旧の交替が著しかったりでかなり自分の中の故郷のイメージと乖離していることばかり・・・当たり前ですけど。

 

わたしが育ったところは市の中心街で、繁華街にも駅にも近くそれなりに賑やかでしたが、それでも幼いころは近くの街川で蛍が見られたものです。

 

今では車の往来も激しく、いくら川辺の水質や水草などの環境をよくしても人工光を嫌う蛍が育つはずもなく、市中の街川にもう一度蛍を戻すという市の計画は頓挫したようです。

 


今では父母も逝き、姉や弟も亡くなって、わたしのなかの故郷はほぼ全滅。

 

6年間通った小学校も随分前に廃校になり、その跡地には大きな病院が建っていたり・・・。

 

故郷といえないような故郷がいま住んでいるところです。

 


さて今日ご紹介する作品はそんな故郷に関するもの。

 

 

故郷のわが家
村田喜代子氏著『故郷のわが家』
 


六十五年前に生まれた家を処分するため、故郷に戻ってきた笑子さん。

彼女の胸にさまざまな過去が夢うつつに去来する。

家族もなく独りで世界中を旅しつづける男。

亡くなった恐竜ファンの兄さん。

ガダルカナルへの遺骨収集団に参加する村の青年。

人工羊水に浸るヤギの胎児――現代における故郷喪失を描く連作短篇集
63回 野間文芸賞受賞作品」(「BOOK」データベースより)

 

 

著者について

 

1945年北九州市生まれ

1977年『水中の声』で第7回九州芸術祭文学賞最優秀賞

1985年個人誌「発表」を創刊

1987年『鍋の中』で第97回芥川賞

1990年『白い山』で第29回女流文学賞

1992年『真夜中の自転車』で第20回平林たい子文学賞

1997年『蟹女』で第7回紫式部文学賞

1998年『望潮』で第25回川端康成賞受賞

1999年『龍秘御天歌』で第49回芸術選奨文部大臣賞

2010年『故郷のわが家』で第63回野間文学賞受賞

 

本書は2010年に発表された9篇の連続短篇集。

 

「新潮」に2007年~2009年にかけて連載されていたものを一冊にまとめたもの。

 

大分の久住高原に独り残っていた母親が亡くなり故郷の我が家を売ることになり、東京から愛犬フジ子を連れて帰ってきた65歳の笑子。

 

一人称形式のですます調で進む物語はまるで独り語りの芝居を観ているよう。

 

故郷の生家の処分のため何か月もかけて少しずつ少しずつ大きな古い家の片づけをする笑子。

 

その間に起こるさまざまな出来事や、現実と過去の回想の狭間でのひとり遊びを描いて秀逸の作品。

 

いまでいうつぶやきというところ。

 

著者特有といえるひとつの想像から時代を超えて伸びていく枝葉がとても興味深く知らず知らず惹き込まれていきます。

 

適度なユーモアと適度な哀愁を含んだ文章。

 

実家の整理という過程を通して、さまざまな思い出と一つ一つ決別していく笑子さんの姿は、何年も前の自分の姿でもあったなぁと感慨を以って読了しました。

 

ちがうところは笑子さんが雄大な九州の久住高原の山懐に抱かれながら思い出と現実の間で揺れていたのとはちがい、わたしは街中の変哲のない実家の整理だったこと。

 

それなりに山ほどの思い出の処分には気持ちが揺れましたけど。

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