先日友人たちと5人で尾道の「なかた美術館」に遠出してきました。
尾道の船会社の重役をされていたという故・中田貞雄氏が半世紀余りの歳月を費やして収集された200点余の絵画が会期毎に模様替えをして展示されています。
平成9年に誕生したそうですが、フランス現代具象画家ポール・アイズピリ、ピエール・クリスタン、エコール・ド・パリを中心としたフランス近代絵画、梅原龍三郎、中川一政、林武ら日本近代絵画、尾道を代表する小林和作などすばらしいコレクションの数々に圧倒されました。


梅原龍三郎 林武
特に生前の中田氏はアイズピリと親交が深かったそうでコレクションもたくさんあり、独特の明るい色調の絵画の数々が心を和ませてくれました。




さて本日は津村節子氏著『夫婦の散歩道』をご紹介したいと思います。
「夫・吉村昭と歩んだ五十余年。
作家として妻として、喜びも悲しみも分かち合った夫婦の歳月、想い出の旅路……。
人生の哀歓をたおやかに描く感動の最新エッセイ。
吉村司『母のウィンク』収録」
本ブログがご縁でお知り合いになったbayouさんからのご紹介本です。
Bayouさんも私も吉村作品のファンという共通項がありコメントにご紹介いただいた本書を読みたくてamazonで購入しました。
先にブログでご紹介した『紅梅』とともに本書も吉村氏がご逝去されたあと、奥様である津村節子氏によって書かれたものですが、小説仕立てになっている『紅梅』に比べ、本書は津村氏ご自身のエッセイである点、より身近にご夫妻の日常の息づかいが感じられます。
本書に収録されている44のエッセイは夫君・吉村氏ご逝去後2年ほどのブランクを経て奥様である津村氏が求めに応じて様々な媒体に執筆されたということで必然的に生前の夫君に触れたものが多く、そういった意味で出版社がつけたというタイトル通りですが、他に津村氏ご自身の小説家としての歩みや知己に関するエッセイも少なからず含まれていて、吉村ファンのみならず津村氏のファンの方にとっても読み応えある小品が数多くあります。
そしてエッセイのラストを飾る作品はお2人のご子息・司氏によるもので、妻である津村氏が先に芥川賞を受賞された直後、吉村氏が生活を支えるために勤めていた会社に退職願を出された経緯が書かれており、あと1年間小説に専念してみて、もし家計を全額負担することが出来なければ筆を折る覚悟である、という修羅の如く凄まじい宣言、すなわち「自分の命そのもの」であるという小説を諦めても一家の柱としての責任を果たすという責任感の強さに一家を構える人間としての潔さを見せつけられた思いでした。
妻である津村氏が受賞された芥川賞をとることができなかった吉村氏のそのときの心情を想像すると胸が詰まりますが、当時渦巻いていたであろう焦りや嫉妬をその後見事に克服されて小説家として大成されたことはそのすばらしい作品群が証明しています。
本書にはそこかしこに生前の吉村氏が息づいていて、作品でしか面識のないただの1ファンである私ですら懐かしさに胸が熱くなります。
数多くの住み替えを経て井の頭公園に隣接した地に居を構えてからのご夫妻の生活範囲。
Bayouさんのコメントで度々ご紹介いただいたエッセイに出てくる「黄色いベンチ」はその井の頭公園にあります。
どちらかが外出先から駅に着かれたと電話をすると片方が散歩がてら公園の途中まで迎えにこられるというお二人。
背もたれのところに金属製プレートが取り付けられたいくつもの黄色いベンチは一般の市民による寄贈でプレートには寄贈者の名前と、「いつまでもここに住み、元気で過ごせますように」「ここは二人の出発点です」などの思い思いのメッセージが彫られているそうです。
井の頭公園で待ち合わせるお二人は寄贈者が幸せを刻んだと思われるベンチに座るのはなぜか遠慮して、樹木を保護するための柵に座って待っていたといいます。
「柵に腰をかけている夫は、林の樹木にとけ込んでしまっていて、今も林の中で見えることがある」
「秋が深まって公園の落葉が厚く散り敷かれるようになると、夕闇が濃くなる頃、家の近くの道の曲り角に夫の姿が現れる…
その正体は人体ぐらいの太さのコンクリートの灰色の電柱で、ちょうど夫の背の高さの位置に取り付けられている緑色のプレートに黄色いペンキで通学路と書かれた文字が、眼鏡をかけた夫の顔に見えるのだ…
私は、林の中を抜けて少しずつ足を運びながら夫が見える位置を探して立ち止まり、話をする」
作家という業を背負っていたがために妻として夫の介護を十分にできなかった悔いに苛まれ続けていらっしゃるという著者。
文壇つきあいをしなかった吉村氏が唯一おつきあいのあった城山三郎氏の亡くなった奥様との歳月に触れられた『そうか、もう君はいないのか』を読んだ娘さんが「お母さんがお父さんにしてあげた一番いいことは、先に死ななかったこと」と言われたそうです。
それはそれで伴侶としての最大の功績だと思いますが、結婚当初のスタート時からの生活の苦労の数々にずっと寄り添われてこられたこと自体が偉大です。
作家同士の家庭生活の厳しさはよく聞くところですが、お二人においてはこれほどにも温かいものだったのかと感動します。
まさに津村氏の心にしっかりと生き続けている吉村氏の生前の幸せを感じて温かいものが込み上げてきます。
「そのけはいが失せたのは、いつの頃からだったろう。
けはいと言っても、建て替えてしまった家の中ではなく、夕ぐれ時に公園の柵に腰をかけていたり、百貨店で私が買物をしている間待っていたエレベーターわきの椅子にかけていたり、かれが入院していた病院の歯科へ治療に行ったときに廊下ですれ違ったりしたので
ある…
私は夫の死後、4年4ヵ月間かれに関する仕事に明け暮れしてきた。
未発表の短篇やエッセイをまとめ、ゲラに手を入れ、序文やあとがきを書き、題名をつ
け、死んでから、これほど夫の作品を読むことになろうとは、思いもかけぬことだった。
読む度にゆるぎない自分の世界を構築している作品に圧倒され、夫は夫でなくなり、作家になってしまった。
夫のけはいがなくなったのは、かれの死後続いている事務処理と、これまで読まなかった作品を読み続けたためである」
「読むたびにゆるぎない自分の世界を構築している作品に圧倒され、夫は夫ではなくなり、作家になってしまった」
夫としての吉村氏への深い愛情とともに作家である氏への深い尊敬の念に溢れたエッセイ集です。
上京の折があれば本書に繰り返し登場するお二人の日常の散歩道―吉祥寺駅~井の頭公園、弁財天、ボート池、上水べりなどをゆっくり散歩しながら四季折々の花々を味わってみたというのが今の私の小さな夢です、できたら生前の吉村氏の気配を感じながら。
尾道の船会社の重役をされていたという故・中田貞雄氏が半世紀余りの歳月を費やして収集された200点余の絵画が会期毎に模様替えをして展示されています。
平成9年に誕生したそうですが、フランス現代具象画家ポール・アイズピリ、ピエール・クリスタン、エコール・ド・パリを中心としたフランス近代絵画、梅原龍三郎、中川一政、林武ら日本近代絵画、尾道を代表する小林和作などすばらしいコレクションの数々に圧倒されました。


梅原龍三郎 林武
特に生前の中田氏はアイズピリと親交が深かったそうでコレクションもたくさんあり、独特の明るい色調の絵画の数々が心を和ませてくれました。





「夫・吉村昭と歩んだ五十余年。
作家として妻として、喜びも悲しみも分かち合った夫婦の歳月、想い出の旅路……。
人生の哀歓をたおやかに描く感動の最新エッセイ。
吉村司『母のウィンク』収録」
本ブログがご縁でお知り合いになったbayouさんからのご紹介本です。
Bayouさんも私も吉村作品のファンという共通項がありコメントにご紹介いただいた本書を読みたくてamazonで購入しました。
先にブログでご紹介した『紅梅』とともに本書も吉村氏がご逝去されたあと、奥様である津村節子氏によって書かれたものですが、小説仕立てになっている『紅梅』に比べ、本書は津村氏ご自身のエッセイである点、より身近にご夫妻の日常の息づかいが感じられます。
本書に収録されている44のエッセイは夫君・吉村氏ご逝去後2年ほどのブランクを経て奥様である津村氏が求めに応じて様々な媒体に執筆されたということで必然的に生前の夫君に触れたものが多く、そういった意味で出版社がつけたというタイトル通りですが、他に津村氏ご自身の小説家としての歩みや知己に関するエッセイも少なからず含まれていて、吉村ファンのみならず津村氏のファンの方にとっても読み応えある小品が数多くあります。
そしてエッセイのラストを飾る作品はお2人のご子息・司氏によるもので、妻である津村氏が先に芥川賞を受賞された直後、吉村氏が生活を支えるために勤めていた会社に退職願を出された経緯が書かれており、あと1年間小説に専念してみて、もし家計を全額負担することが出来なければ筆を折る覚悟である、という修羅の如く凄まじい宣言、すなわち「自分の命そのもの」であるという小説を諦めても一家の柱としての責任を果たすという責任感の強さに一家を構える人間としての潔さを見せつけられた思いでした。
妻である津村氏が受賞された芥川賞をとることができなかった吉村氏のそのときの心情を想像すると胸が詰まりますが、当時渦巻いていたであろう焦りや嫉妬をその後見事に克服されて小説家として大成されたことはそのすばらしい作品群が証明しています。
本書にはそこかしこに生前の吉村氏が息づいていて、作品でしか面識のないただの1ファンである私ですら懐かしさに胸が熱くなります。
数多くの住み替えを経て井の頭公園に隣接した地に居を構えてからのご夫妻の生活範囲。
Bayouさんのコメントで度々ご紹介いただいたエッセイに出てくる「黄色いベンチ」はその井の頭公園にあります。
どちらかが外出先から駅に着かれたと電話をすると片方が散歩がてら公園の途中まで迎えにこられるというお二人。
背もたれのところに金属製プレートが取り付けられたいくつもの黄色いベンチは一般の市民による寄贈でプレートには寄贈者の名前と、「いつまでもここに住み、元気で過ごせますように」「ここは二人の出発点です」などの思い思いのメッセージが彫られているそうです。
井の頭公園で待ち合わせるお二人は寄贈者が幸せを刻んだと思われるベンチに座るのはなぜか遠慮して、樹木を保護するための柵に座って待っていたといいます。
「柵に腰をかけている夫は、林の樹木にとけ込んでしまっていて、今も林の中で見えることがある」
「秋が深まって公園の落葉が厚く散り敷かれるようになると、夕闇が濃くなる頃、家の近くの道の曲り角に夫の姿が現れる…
その正体は人体ぐらいの太さのコンクリートの灰色の電柱で、ちょうど夫の背の高さの位置に取り付けられている緑色のプレートに黄色いペンキで通学路と書かれた文字が、眼鏡をかけた夫の顔に見えるのだ…
私は、林の中を抜けて少しずつ足を運びながら夫が見える位置を探して立ち止まり、話をする」
作家という業を背負っていたがために妻として夫の介護を十分にできなかった悔いに苛まれ続けていらっしゃるという著者。
文壇つきあいをしなかった吉村氏が唯一おつきあいのあった城山三郎氏の亡くなった奥様との歳月に触れられた『そうか、もう君はいないのか』を読んだ娘さんが「お母さんがお父さんにしてあげた一番いいことは、先に死ななかったこと」と言われたそうです。
それはそれで伴侶としての最大の功績だと思いますが、結婚当初のスタート時からの生活の苦労の数々にずっと寄り添われてこられたこと自体が偉大です。
作家同士の家庭生活の厳しさはよく聞くところですが、お二人においてはこれほどにも温かいものだったのかと感動します。
まさに津村氏の心にしっかりと生き続けている吉村氏の生前の幸せを感じて温かいものが込み上げてきます。
「そのけはいが失せたのは、いつの頃からだったろう。
けはいと言っても、建て替えてしまった家の中ではなく、夕ぐれ時に公園の柵に腰をかけていたり、百貨店で私が買物をしている間待っていたエレベーターわきの椅子にかけていたり、かれが入院していた病院の歯科へ治療に行ったときに廊下ですれ違ったりしたので
ある…
私は夫の死後、4年4ヵ月間かれに関する仕事に明け暮れしてきた。
未発表の短篇やエッセイをまとめ、ゲラに手を入れ、序文やあとがきを書き、題名をつ
け、死んでから、これほど夫の作品を読むことになろうとは、思いもかけぬことだった。
読む度にゆるぎない自分の世界を構築している作品に圧倒され、夫は夫でなくなり、作家になってしまった。
夫のけはいがなくなったのは、かれの死後続いている事務処理と、これまで読まなかった作品を読み続けたためである」
「読むたびにゆるぎない自分の世界を構築している作品に圧倒され、夫は夫ではなくなり、作家になってしまった」
夫としての吉村氏への深い愛情とともに作家である氏への深い尊敬の念に溢れたエッセイ集です。
上京の折があれば本書に繰り返し登場するお二人の日常の散歩道―吉祥寺駅~井の頭公園、弁財天、ボート池、上水べりなどをゆっくり散歩しながら四季折々の花々を味わってみたというのが今の私の小さな夢です、できたら生前の吉村氏の気配を感じながら。