VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

カテゴリ: 海外ノベル

戦争を題材詩を編みつづけておられる石川逸子氏(1933年~)

1961年『狼・私たち』で第11回H氏賞1986年『千鳥ケ淵へ行きましたか』で第11回地球章を受賞された昭和後期から平成時代の代表的な詩人。

この偉大な詩人の一編に「風」という詩があるのをご存じでしょうか。

「風」  石川逸子

 

遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声を聞いた
吹いていった風)

 

近くのできごとに
おそろしく

 私たちは小さな船のようにふるえた
吹いていった風)

遠くのできごとに
立ち向かうのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向かうのは近くの私たち


(あたりまえの唄を

風がきいていった

あたりまえの苦しさを

風がきいていった)



人は自分とはかけ離れた遠い理不尽であれば正義が躍り出てきますが、
身近なことになった途端に正しい判断力を失ってしまう。


というよりなるべく自分とは無関係なこととして無意識に退けてしまう。
 

他者の痛みへの共感に対しては心の奥に知らず知らずのブレーキがかかって   
具体的な寄り添いという行為がただの感傷とか情緒で終わってしまう。


これは一般論ではなく、自分自身のこと。

繰り返し反芻しています。

 

 

幸福な王子
オスカー・ワイルド氏著&西村孝次氏訳『新装 幸福な王子』
 

 

旅に疲れたツバメが、一夜の宿にえらんだのは、黄金色に輝く〈幸せの王子〉の像の足もとでした…。ささげつくす小さな愛を描いたワイルドの名作が、今、美しい翻訳とやさしい絵でよみがえる(「BOOK」データベースより)

 


「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいい、

と思う作品があるはずである。
もし私がオスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ」

旧版で訳を担当されていた曽野綾子氏の言葉。

 


オスカー・ワイルドといえば『ドリアン・グレイの肖像』や『サロメ』で有名なアイルランドの作家、
私生活でも文学においても耽美主義を貫いて
何かと話題の多い波乱の人生を歩んだことでも知られています。



本書はあらすじを必要としないほど有名な作品。

 

持てるすべてを貧しい人々に与えてボロボロになって立つ王子の像の

足元で死んでしまったつばめ。

やがて冬になり町の人々このみすぼらしい王子つばめを溶鉱炉に入れて    
溶かし地金にしますが、どうしても溶かすことのできなかった       
王子の鉛の心臓とつばめをゴミに捨てます。
 


神に「この町で一番尊いものを二つ持ってきなさい」と命じられた天使は
   
王子の心臓とつばめの死骸を神の元に持ってきます。 



神は言います。

「お前はいいものを選んだ。私の天国の庭では、このつばめは永遠に歌い続けるだろうし、
私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共に居るだろう」


たったこれだけの小さな物語。

オスカー・ワイルドがこの物語を通して語りたかったこと・・・

というよりわたしが独りよがりに感じたこと。

 

平和は平和を叫ぶだけでは達成しない。

そのためにどれだけの犠牲を払うことができるか。

その覚悟をまっすぐに読者に問う物語・・・と思う。

 

〈情熱〉の意味を持つpassionが〈苦痛〉や十字架にかけられたイエスの

〈受難〉という意味を同時に持つということが少しわかるような物語。

 

わたし自身はといえば、究極の愛といわれるもののほんのとば口である

他者に対する同情にほんの少し手が届く程度の極めて俗っぽい人間。

 

これほどの崇高な自己犠牲への到達は逆立ちしてもとうてい叶わないけれど            せめて欲張らない人生を送りたいと思うのです。

花束 (2)

達成感なきまま今日も過ぎてゆき昨夜のポトフに火を入れなほす


届いたアベノマスク使われましたか?

使用して洗濯した友人の話だと、小さいうえにますます縮んでマスクの用を足さないほどになったと言われていました。

わたしは地元でホームレスに届けるというプロジェクトを運営していらっしゃる方に友人の伝手を頼って託しました。

手縫いの布マスクも何枚か備蓄しているし、市場でもサージカルマスクや消毒液も出回りだしたので、今のうちに秋冬に備えて手に入れておこうと思っています、置き場に困るほどではなく。

当初マイアミで開催予定だったG7、ワシントン郊外キャンプデービットに変更になり、ついにテレビ会議で開催予定となったようですが、ぜひとも安倍氏には我が国の誇る小さなアベノマスクを着けて臨んでほしいと思っています。

それからもうすぐ届くはずの特別定額給付金、先日テレビニュースの映像で観て以来頭を去らないインドの風景。

新型コロナによるロックダウンで1.4億人といわれるインド都市部の出稼ぎ労働者が失業し、貧しい故郷へ長く険しい道のりを歩いて向かっている映像。

やっと二日も三日もかけて帰り着いた故郷では貧しさゆえに食い扶持がひとり増えたとばかり歓迎されない様子もつぶさに映して胸が締め付けられるようでした。

ひとりの父親が乳飲み子のミルク代もない、と目に涙を溜めてインタビューに応じていたのが頭を去らない。

10万円がその父子に確実に届くものなら届けたい、一刻もはやくミルクを飲んでほしい・・・切に思っています。

 

ブルックリンフォリーズ
ポール・オースター氏著&
柴田元幸『ブルックリン・フォリーズ』 

六十歳を前に、離婚して静かに人生の結末を迎えようとブルックリンに帰ってきた主人公ネイサン。わが身を振り返り「人間愚行の書」を書く事を思いついたが、街の古本屋で甥のトムと再会してから思いもかけない冒険と幸福な出来事が起こり始める。そして一人の女性と出会って……物語の名手がニューヨークに生きる人間の悲喜劇を温かくウィットに富んだ文章で描いた家族再生の物語

 

仕事を辞め妻と別れ、肺がんを患い死に場所を求めてブルックリンにきた初老の男ネイサン『人間の愚行の書』を執筆中。

輝かしい学者としての将来への道の中途で挫折してしまった甥のトム。

この2人が運命のいたずらのように偶然ブルックリンのトムの勤め先の古書店で再会するところから物語がスタート。

この2人にその古書店主ハリーが加わって3人の共同生活が始まります。

そんな3人の家庭や仕事関係での挫折など悲劇的要素満載の独白で占められた前半部分ですが、そこはオースター独特のユーモアが随所に挟まれていて決してダークな彩ではないところが救い。

そんな3人の共同生活に突如現れた物言わぬ9歳のルーシーという女の子。

他にも多数の人物が登場、それぞれに絡まった関係性があり、読み手としては混乱する場面も多々ありましたが、どれもこれも愚かさから来る悲劇を抱えて右往左往しているような人々。

なのに決して悲劇的ではなく、むしろ喜劇的な要素の色の濃い作品となっています。

わたしたちの人生もきっとそんなものなんだろうな。

苦しみや悲しみが襲いかかったとき、それに真向かって対峙したり、敢えて避けたり、さまざまな手を尽くしても結果はなるようにしかならない・・・。

途上の悪あがきは離れたところから見ていたらまるで喜劇的だったりして。


本書はオースターにしては珍しくもハッピーエンド感が感じられる作品となっているものの、ラストに彼らしいびっくり箱のような仕掛けがあります。

悲劇と喜劇が凸凹に配置され、それがけっこうな味わいを醸し出した作品。

直後は愚かだと思った行為も時の経過とともに、いい方に展開することもある。

自分は人生の敗者だと思っていたのにいつの間にか勝者という立ち位置になっていた、などという人生の妙味を知らしめてくれる一冊でもあります。

人生は何歳になっても何度でもやり直しがきく

 

よかったらどうぞ。

kodemari01-1024[1]

緊急事態宣言が解除され
ました

 

いままでのトータルで日本人で感染した人は0.01%ほど。

 

このことを思うと必要以上に恐がることはないのか、とも思いますが重症化してあっけなく死ぬという事実を見せつけられるとやはり不安です。

 

特につい先日までお元気な姿でテレビに出ておられた志村けんさんや岡江久美子さんなどの著名な方がこんなに短期間に亡くなられたのを知れば恐れずにはいられません。

 

宣言が解除される前から賑わいを見せていた都会の映像をみると、罹患という可能性は同じでも人によってかなりな温度差があるのは否めないなぁと感じてしまいます。

 

ほとんどのお店や工場などが閉じられて、経済が回っていかない状態からのいち早くの脱皮は必要なのは理解していますが、まだ途上であるワクチンや決め手がいまいちの治療薬の現状や、まだまだ私たちには安易に手が届かないPCR検査も抗原検査も抗体検査などのことを考えると、緊急事態宣言解除を手放しで喜べない気がします。

 

未知のものに対する手探り状態はわたしたち市井の国民のみならず専門家も同様だと思いますが、日夜身を削ってがんばってくださっているのは報道などで伝わってきます。

 

アフリカやインドなどの衛生環境の悪いところで感染が広がっているというニュースを見ると、私たち日本人がいかに恵まれているか、必須である手洗いやうがいが心置きなくできることだけでも感謝に値します。

 

力いっぱい助けようと日夜がんばってくださってている医療関係者の方々がいること、日常生活を支えてくれているお店の人々や宅配の人々、清掃の人々・・・列挙するとキリがないほど。

 

それは政府の不手際の目立つ政策などへの不満を大きく上回るほどです。

 

昨日も定期的な診察のための4時間の病院滞在中、なんども手を洗い、殺菌ジェルで消毒し、帰宅後はシャワーへ直行・・・正直ウイルスがシャットアウトできているかは甚だ疑問ですが、精神的な拠り所としてのこれら一連の作業ができる環境にいることがなんとありがたいことかと感謝しています。

 

当地では罹患者25人、もう2週間以上ゼロが続いており、6月にはカルチャーセンターや公民館活動を再開する動きが出ています。

 

十数年続いている卓球もそろそろスタートしようか、という相談も始まりました。

 

正直ウイルスがすべて死滅したわけではないのでどうしたものか、とは思いますが、秋冬の再燃期までの息抜きに・・・衰えた機能や気力を戻そうかな、と気持ちに傾いています。

 

 

 

 

 

掃除婦
さて本日は
ルシア・ベルリン氏著&岸本佐知子氏訳『掃除婦のための手引書』のご紹介です。 

 

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。                     
夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)。                          刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)。       
自身の人生に根ざして紡ぎ出された奇跡の文学。             
死後十年を経て「再発見」された作家のはじめての邦訳作品集

2020年本屋大賞〔翻訳小説部門〕第2位。
10回Twitter文学賞〔海外編〕第1位。

アメリカ文学界最後の秘密と呼ばれたルシア・ベルリン、初の邦訳作品集!

著者について・・・ 

1936年アラスカ生まれ

鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす

3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などをして働く

いっぽうでアルコール依存症に苦しむ

20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える

90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる

2004年逝去

 

このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、
とにかく読んで、揺さぶられてください
               ――岸本佐知子「訳者あとがき」より

彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、
どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。
               ――リディア・デイヴィスによる原書序文「物語こそがすべて」(本書収録)より

 

2004年に68歳で亡くなったアメリカ人作家ルシア・ベルリンの短編集。

 

2015年にアメリカで43編を集めて編まれた作品集『A Manual for Cleaning Women』から24編を選んで邦訳されたものです。

 

年末に帰省していた娘が某サイトのポイントが期限切れになるというので買ってもらった一冊。

 

データベースに載せられていた著者の経歴をざっと見ただけで、何という波乱に満ちた人生だったのだろうと思わずにはいられません。

 

本書はその著者ご自身の荒波のような人生を色濃く投影させたような、物語という形式はとっているもののほぼノンフィクションといっていい内容です。

「むき出し」 といった言葉がぴったりの表現手法は、もちろん技巧が伴っているはずですが、無意識下の技巧と思えるほどの凹凸のあるもの。

子ども時代に焦点を当てても、鉱山から鉱山へと移動を繰り返した父親に伴って転居を繰り返した学童期、争いごとの絶えないどん底の貧しい生活から一転してのチリでの富裕生活、30歳までに3人の夫と結婚離婚し、30代で4人の息子を抱えたシングルマザーとなり、並行してアルコール依存症となった時期、またその職歴を列挙すれば掃除婦や看護師、刑務所の教師、そして大学教師という浮き沈みの激しさ。

これらアップダウンの激しい環境の中からひとつひとつを宝石のように拾い上げて紡いだ小品の数々。

どの場所から拾い上げてもまったく違った側面に出会える内容です。

ハードボイルドといっていいほどの醜く美しく純粋なそぎ落された言葉の列

ショートショートのように2ページほどの短いものから20ページほどの中編規模のものまで、時系列を無視してランダムに並べられたような作品群。

無造作という言葉がぴったりするような作品の置き方。

そして文章の置き方。

さまざまなテイストの小品に出てくるさまざまな登場人物の描写も荒々しく突き抜けているようで繊細、まるでその人物が目の前にいるように描くやり方。

そして起承転結などという甘えた文章構造は念頭にないと見紛うような構成。

きっと何ものにも寄りかからず、期待せず、自分をも信じない、そんな人生を過ごしてきた著者だろうな、という雰囲気が伝わってきます。

表紙の写真でみるととても美しい人です。

ここでどのように言葉を羅列してもこの独特の雰囲気は伝わらないと思うと、ぜひ手に取って読まれることをおすすめしたい一冊です。

岸本佐和子氏の訳も秀逸です。

ぜひどうぞ!!

ミャンマー軍の弾圧を逃れたイスラム系少数民族ロヒンギャのおよそ100万人が暮らすバングラデシュ南東部の難民キャンプで、ロヒンギャ男性1人が新型コロナウイルス検査で陽性と診断されたそうです。

ロヒンギャの難民キャンプは帆布や竹などで作った簡素な小屋形式のもので、過密状態のうえ、小屋のあいだの路地には下水があふれているという。

衛生状態も最悪な環境の中での感染。

WHOによると難民キャンプ内の医療施設で治療を受けているそうですが、どうぞ広がりませんように。

最も厳しいロックダウンを実施しているというインドでも連日約1500人の感染者が出ているそうです。


ウイルス自体は人を選びませんが、やはり衛生状態などのよくない人々への広がりや重篤化が避けられないということで、やはり社会的な格差を見せつけられる思いです。

 


そしてこのところ怒りがおさまらない事柄。

 

書くのを控えていましたが、どうにも憤りが収束しない・・。


この国の緊急事態宣言云々の非常時に火事場泥棒のごとく検察庁法改正の審議を挟みこんできた与党の厚顔。

 

紅顔〉が〈厚顔〉となる歳月にべにいろうすくなりゆくさくら

 

 

野党の猛反発を受け、与党は委員会での採決を泣く泣く見送りましたが、まだ持ち越しの段階。

 

これには日ごろ政治には疎く関心をもたなかった若いタレントの方々も素早く反応、著名人のみならず、日弁連や検察OBからも反対声明があげられている現状、当の黒川氏の心情やいかに??

 

昨日の朝日新聞の「耕論」でジャーナリストの江川紹子さんがその黒川氏の人となりについて言及していらっしゃったのが目を引きました。

 

氏は民主党政権時代も高く評価されていたという。

 

たぶん安倍政権にべったり、というのとは少し違って、おそらく上司にとことん仕える能史だろう、と結んでいました。

 

百歩譲っていつの時代にもいる忠実な執事のような人だとしてもそれが検察庁という独立した機関に所属する人となれば、仕える人に忠実というのはいかがなものか。

 

忖度なしの公正な判断あってこその検察という独立した立ち位置を国民にぜひとも示してほしいです。

 

 

 

君と選ぶ道

さて本日は
ニコラス・スパークス氏著『きみと選ぶ道』のレビューです。  


人は幾度となく人生の岐路に立ち、そのたびに選択を迫られる。もし真実の愛を貫くための、人生最大の決断の時が訪れたら…?米国No.1恋愛小説家が贈る究極のラブストーリー『きみに読む物語』の著者が描く、愛の奇蹟


本書も読書仲間の
UNIさんが送ってくださったお勧め本。


恋愛小説の名手といわれているのが頷ける作品。


ニコラススパークス
の本は『きみに読む物語』以外読んでいませんが、映画はいくつか

甘く切なくそして穏やかなラストを迎える内容は映画化にぴったりで、氏の多くの作品が映画化されています。

ケビン・コスナーとロビン・ライト・ペン主演の『メッセージ・イン・ボトル』もそのひとつ。

本書も『きみがくれた物語』と改題して2016年に公開されたそうですが、また機会があれば観てみたいと思います。


さて本書について・・・

発売と同時に全米でベストセラーとなり、2007年世界で最も売れた恋愛小説 (累計200万部超)となったそうです

等身大の恋のドラマがテンポよく展開する前半から一転して、後半では夫婦となった二人に待ち受ける過酷な現実を前に、人生でもっとも重い決断を迫られる主人公の苦悩を情感豊かに描き、心ゆさぶられる一作である。

偶然住まいが隣同士となったトラヴィスとギャビー。

あるきっかけの出会いからのテンポは軽妙で、典型的な恋の始まりを予感させるもの。

そういった男女の微妙な心象風景の描き方は巧みで、間に挟む出来事も新鮮かつ巧妙、というのがスパークスのスパークスたる所以といえます。

わたしのようなシニアには何と見え透いた、と思えるような恋の駆け引きもあるなか、乗り越えなければならないハードルを今回は女性側に与えているのもなかなかのもの。

人は幾度となく人生の岐路に立ち、そのたびに選択を迫られる。
もし真実の愛を貫くための、人生最大の決断の時が訪れたら......?


一変した出来事の前に、「真実の愛のために人はどこまでできるのか」
と何度も自問するトラヴィス。
選択肢は白か黒か、二つしかない。
トラヴィスには人生でもっとも重い、究極の選択が求められていた。

ただタイトルから導かれるような「選ぶ」に相当する岐路がこれだろうか、という疑問は持ちました。



幸せに満ちた第一部から反転して第二部での状況は確かに人生の危機といわれるようなものですが、それが二つの選択肢のうちどちらにするか迷うようなものなのか。

トラヴィスにしてみれば当然選択であろうと思われる個所、葛藤を導くような選択というのがちょっと違和感を覚えてしまいました。

物語を表題のごとくドラマティック仕立てにする技巧のように思えたのはへそ曲がりのゆえでしょうか。

内容はまったく違いますが、ずっと以前読んだ『マディソン郡の橋』をちょっと思い出しながら・・・ひさしぶりの甘めの恋愛小説でした。

ムスカリ

ほの淡き悲しみにゆく木下道こんなところにムスカリの花

岡山市に60代女性の新型コロナ罹患者が出たというニュース。

3月上旬に母娘で一週間のスペイン旅行をして帰った直後体調不良になり、帰国者感染者外来を受診して発症が確認されたという経緯だそうです。

世界的なパンデミックとなりWHOも宣言している昨今、ヨーロッパではイタリアに次いで患者数が多いスペインに旅行するとは・・・よほどニュースも新聞も見ないか、しごく楽観的な性格、それとも自分は絶対罹らないという根拠のない自信があったのか。

他の家族の方は止めなかったのか・・・など想像していますが、心情はわからない。

自分と同じ考え方が正しいとは限らないし、みんなちがってみんないい、というのはよく理解しているつもりですが、自分だけでなく他者にも及ぶ迷惑を考えながら行動しなければ、と自分にも言い聞かせる出来事でした。

 

さて今回はいま自分を含め世界中が陥っている新型コロナ騒動と似通った状況を描いていたのを思い出して再読した作品のご紹介です。

 

51fS5XEGWDL._SX346_BO1,204,203,200_[1]
アルベール・カミュ氏著『ペスト』
 

発表されるや爆発的な熱狂をもって迎えられた、『異邦人』に続くカミュの小説第二作。
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編

本書「解説」より
ペストに襲われ、外部とまったく遮断された一都市のなかで悪疫と戦う市民たちの記録という体裁をとったこの物語において、ペストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとられることができる。                    死や病や苦痛など、人生の根源的な不条理をそれに置きかえてみることもできれば、人間内部の悪徳や弱さや、あるいは貧苦、戦争、全体主義などの政治悪の象徴をそこに見いだすこともできよう。                         たしかにこの作品はそういうふうに書かれており、そしてなによりも、終ったばかりの戦争のなまなましい体験が、読者にとってこの象徴をほとんど象徴に感じさせないほどの迫力あるものにし、それがこの作品の大きな成功の理由となったことは疑いがない。
――宮崎嶺雄(訳者)

1942年発表され世界を席巻した『異邦人』のあとの第2作目として1947年に刊行されたものです。

 

カミュがノーベル文学賞を受賞する十年前の作品。

カミュといえば人間にとって超越したもの、例えば神の存在やそれを支える大いなる伝承人などを否定し、人間社会で起こる病気や災害、戦争などから派生するあらゆる不条理というものを人間というものを通して徹底的に追及した作家といえるでしょう。

加えてあらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義を否定し、サルトルと絶交したことでも有名です。

 

本書は実在の都市であるアルジェリアのオラン市を舞台に1940年代に起こった架空のペスト渦に陥った市民たちの右往左往を覚めた目でとらえた名著。

パニックやデマに振り回されて次第にエゴむき出しになっていく人々、大したことではないと自分に言い聞かせる人々、対してリウーを代表する、自分のできること、すべきことに向かい首尾一貫して冷静にペストと戦う医師や周辺の人々・・・

 

カミュはペストという人間社会の共通の敵を通して画一的でない人間の姿を徹底的に描いています。

まさに今世界中で、そして日本で起きている事態そのものといっても過言でない描写。

著者はところどころに自身の信念を織り込み登場人物のセリフを通して言わせています。

 

医師リウーは語ります。

 

「もし自分が全能の神というものを信じていたら、人々を治療することはやめて、そんな心配はそうなれば神に任せてしまうだろう」

 

「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです ・・・ 僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています」

 

いままさにこのような姿勢で新型コロナと対峙している医療関係者の方々がいらっしゃることを思わせるような言葉。

 

本書ではラストにこの物語の語り手が明らかにされるという手法。

 

普遍性のある作品として再び脚光を浴びつつあるようです。

 

よかったらどうぞ。



先日知人にいただいた夏野菜。

これにプラスタマネギをたくさん・・・いつもタマネギをよく使うので嬉しい!


今年は長雨でトマトが不作だそうです。


ご自分の畑で作られた野菜を定期的に届けてくださる知人。



サラリーマン時代は十回ほど転勤を繰り返していた夫。


最初は大阪の本社、次に岡山・・・ここで結婚、出産を経て広島、鳥取、神戸、大阪、名古屋、東京・・・という具合に。


その独身時代の岡山で仕事上お知り合いになった方。


以来、長い歳月を途切れることなくお付き合いしてくださり、30数年のブランクを経て当地に戻ったあとも家族ぐるみで親しくしていただいて感謝いっぱいです。


変わらず心を寄せてくださっていることありがたいの一言です。


家庭人としてはワガママ、頑固、理不尽で独りよがりな呆れる言動もてんこ盛り。


そんな夫なのに全国各地で共に過ごした同僚や部下の方々にはとても恵まれて各地のメンバーの方々が大阪などから今もなお、わざわざ夫に会いに当地に来てくださったり、大阪に誘ってくださって飲み会も開かれたり。


ひょっとして多重人格?と内心疑っていますが、公にしないでおこう、丸くおさまるから。


とにかく夫に代わってお礼が言いたい。





さて今回はラッタウット ラープチャルーンサップ氏著&『観光』のご紹介です。 


「美しい海辺のリゾートへ旅行に出かけた失明間近の母とその息子。遠方の大学への入学を控えた息子の心には、さまざまな思いが去来する――
なにげない心の交流が胸を打つ表題作をはじめ、11歳の少年がいかがわしい酒場で大人の世界を垣間見る「カフェ・ラブリーで」、闘鶏に負けつづける父を見つめる娘を描く「闘鶏師」など全7篇を収録。
人生の切ない断片を温かいまなざしでつづる、タイ系アメリカ人作家による傑作短篇集」


次男の本棚から抜いて持って帰った一冊。


期待せず読みましたが、思わぬ心に残る作品でした。


著者は1979年シカゴで生まれ、バンコクで育ったタイ系アメリカ人。


本書は2005年弱冠26歳のときの7篇からなる短編集。


2006年に5 Under 35賞
2010年にウィッティング賞を受賞


以降目ぼしい作品は執筆されておらず、現在はコンタクトも取れない状態という。



本書7篇はどれもタイが舞台。


タイの底辺で暮らす人々のささやかな幸せや哀しみ、怒りなどの心の微妙な襞を掬い上げひとつひとつのまったく趣の異なる物語に仕上げているところ、26歳の青年が書いたと思えないような人生の深遠が見事に描かれていて驚きます。


タイは君主制国家。


当然ながら国王を頂点の貧富の差が大きい国。


政治的には2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、軍事独裁政権が誕生以来今も継続していることは時々のニュースで流れています。



20数年前観光でタイを訪れたことがありますが、泥のような色のチャオプラヤ川に沿って水上生活者の舟がぎっしり、炊事洗濯沐浴などすべて川の水を使っていた光景を思い出します。


人々から前向きな意欲とか健全な心を奪ってしまうような南の国特有のむせ返るような熱気と湿気や底辺で暮らす人々の息づかいまでも聞こえてくるような小品。



私たちが観光地リゾート地として訪れるタイが光の部分とするなら、大部分の庶民のひたむきに生をぶつけ合っている猥雑な裏通りが影の部分。


その暗部を弱冠26歳の青年がそれぞれ違った角度から描いていることにただ驚くばかりです。



徴兵検査の話や豚が海を泳ぐシーンがあったり、タイの少年とカンボジア難民の少女の出会いなど多岐にわたった内容にはそれぞれ不思議な哀愁が漂っていて切なさで胸がいっぱいになります。


ぜひ手にとって読んでくださればと思います。

↑このページのトップヘ