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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: は行ーその他

ムスカリムスカリ

3月の朝の散歩道。

 

公園をセキレイがつつつと横切ってはまたこちらに向かってくるのを繰り返しています。

 

急いでスマホを構えると素早く逃げてゆく・・・。

 

通り道のお宅の塀からのぞいている紅梅と白梅がいまを見ごろとばかり花を開いています。

 

3月は母が生まれて、そして逝った月。

 

春やよひ母が生まれて逝きし月 桃一枝と雛を飾らな

 

生前の母との触れ合いのことを思い出すたび今でも

後悔に胸が塞がります。

 

上ばかり見上げていて、ふと足元に目を落とすと

小さなムスカリのまばらな群。

 

大好きな花。

 

ほの淡き哀しみにゆく木下道こんなところにムスカリの花

 

 

 

少年と犬

馳星周氏著『少年と犬』
 

 

家族のために犯罪に手を染めた男。
拾った犬は男の守り神になった―男と犬。

仲間割れを起こした窃盗団の男は、守り神の犬を連れて故国を目指す―泥棒と犬。

壊れかけた夫婦は、その犬をそれぞれ別の名前で呼んでいた―夫婦と犬。

体を売って男に貢ぐ女。
どん底の人生で女に温もりを与えたのは犬だった―娼婦と犬。

老猟師の死期を知っていたかのように、その犬はやってきた―老人と犬。

震災のショックで心を閉ざした少年は、その犬を見て微笑んだ―少年と犬。

犬を愛する人に贈る感涙作(「BOOK」データベースより)

 

163回直木賞受賞作。

人にとって犬は特別な存在なのだということを理解していた。

人という愚かな種のために、神様だか仏様だかが遣わしてくれた生き物なのだ。
人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。

こんな動物他にはいない。(老人と犬より引用)


ほんとうにその通りだと思う。


愛犬家ならではの作品。


バーニーズ・マウンテン・ドッグという犬種に魅せられ
共に暮らし始めて
25年になる
という馳氏


現在は
4代目、5代目の二頭と
共に生まれ故郷の北海道で夏の間を過ごしているという。


本書は飼い主に多聞と名づけられた一匹の犬がバトンのように飼い主を渡り歩いて
何かを探し求めながら東北~九州まで旅をする物語。


旅の過程で、〈男〉〈泥棒〉〈夫婦〉〈娼婦〉〈老人〉〈少年〉と入れ替わっていく
飼い主。


どの飼い主も犬との出会いを天からの授かり物と受け取り、
共に暮らす短い日々を大切に慈しみながら心を通わせます。


「おまえは本当に賢いな。どんな飼い主に躾られたんだ?」弥一は訊いた。

もちろん、答えは返ってこない。

それでも、犬に話しかけ続けるのが弥一の流儀だった。

犬は言葉はわからなくても、人の意思を見極めようとする。

話しかけることで、コミュニケーションが密になり、絆が深まっていく。

いざというとき、なにより役立つのは人と犬の絆の強さなのだ。


6つの連作短篇集・・・
環境も年齢も生き方も性別も多彩なそれぞれの飼い主ながら
犬への語りかけは見事なまでに犬の心情を汲み取って優しさに満ちている。


ちょっとした難を言えば、犬との出会いのあとどの主人公にも思わぬ不幸が訪れて、
それがきっかけとなり犬との別れに繋がるというもの。


次々こんなことって起こる?という感じ・・・まるでその犬が疫病神であったかのような。

不幸の連鎖のような連作短篇集。

そういったところやあまりに犬を神格化しているところが
作為的すぎて共感し辛かった点ではありました。

それでも文中に出てくる尻尾を振ってよろこびを表すしぐさや
信頼できると思った人間に濡れた鼻づらを押し付けてくるしぐさ、
試すように見つめ続けるしぐさなど切ない描写がいっぱい。

犬好きの方、ぜひどうぞ!

ろうばい

ろうばい2
また日本の歩むべきまっとうなゆく手を照らす羅針盤のような方が亡くなられました。

半藤一利氏。


『日本のいちばん長い日』、そして『ノモンハンの夏』を読み継いで以来、
日本の突き進んだ戦争前後の歴史を徹底的に調べて
冷徹に理性的に追及するその姿勢に心を射抜かれていました。


『ノモンハンの夏』では日本軍の自己過信や優柔不断を徹底的に描き、それらの検証もなく次の太平洋戦争へとなだれ込んだ軍部の責任を忖度なく追及された姿勢。


気骨ある方々が次々に旅立たれていく心もとなさ。


「証言の垂れ流しは罪」として精査を重ねて信用できるものだけを資料として使っていた、
と長年交友のあった保阪正康氏は書いておられました。


やはり尊敬する吉村昭氏と同じ姿勢。


吉村氏もひとりの証言がどのようにすばらしくとも安直に取り上げることなく、
何人もの証言や史実と照らし合わせて念には念を入れて真実を追求して
ノンフィクションを仕上げておられたのでした。


「自分は〈絶対〉という言葉は原稿では使わない」という信念は

度々紙上でお見かけしたが、唯一使うべき〈絶対〉についても

言及されていた半藤氏。


「戦争だけは〈絶対〉はじめてはいけない」

 

心よりご冥福をお祈りいたします。




半藤

半藤一利氏著『世界は回り舞台』
 

 

文壇華やかなりし、昭和三十年代。

文士劇の黒子として活躍した若き半藤さんが、舞台裏で見た錚々たる作家の姿を、演劇歴史その他幅広い知識を惜しみなく発揮しながら、ユーモラスに描いたエッセイ集。同時にTRILOGY(三題噺)でまとめた「なんでもTRILOGY」
(1992)と直近の「それからのTRILOGY」(2010)を収録。
時代と歴史的人物を直接目撃した半藤さんならではの視点を堪能できる珠玉の1冊(「BOOK」データベースより)

 

第1章 世界はまわり舞台(「花咲かば」の巻;「杜鵑血になく」の巻;「月はくまなき」の巻 ほか)
第2章 なんでもTRILOGY(新年;松本清張;国際性 ほか)
第3章 それからのTRILOGY(芥川賞;金沢;酒を呑むこと ほか)

半藤氏といえば日本の過去の歴史を精査したノンフィクション作家というイメージが先行していますが、

本書は墨田区出身の生粋の江戸っ子の軽妙洒脱ぶりが

うかがえる楽しい読み物となっています。

 


遠藤周作氏や佐藤愛子氏、北杜夫氏などのエッセイでよく目にしていた文士劇。

 

その黒子として文士劇を支えられていたときのエピソードなど、

ユーモラスに描かれていて、それぞれの作品と乖離した当時の作家さんの

ユーモラスな実像が垣間見られて興味深かったものの、そこのところもう一歩、
いやもう百歩踏み込んでほしかった、と思う読者はわたしだけでしょうか?

 

文士劇のことを一つの記録として残しておこうと思ったが、書き進めていく

うちに、裏ばなしは結局のところ、出演された作家先生たちの

すっぱ抜きや悪口に近くなることに気づかされた。

職業上のモラルは、やはり守らねばならぬ。

それで文士劇と関係のない余計な芝居噺がどんどん入り、

意気込んだ前口上は、かくて羊頭をかかげて狗肉を売るようなものとなった。

 

上記は著者の文藝春秋新社の社員時代のお話。

 

 

話は変わりますが、昨日芥川賞&直木賞が発表されましたね。

 

本書第3章「それからのTRILOGY」に出てくる芥川賞&直木賞制定

に至る話もとても興味深かった。

 

長年、同級のよしみで深い信頼関係にあった芥川龍之介と菊池寛。

 

芥川の自殺に深い衝撃を受けた菊池寛が自ら創刊した「文藝春秋社」の賞

として1935年に設立したというのが始まり。

 

大衆文芸の新人作家に直木賞を、純文芸の新進作家に芥川賞を贈るという

「芥川・直木賞制定宣言」はこうして『文藝春秋』誌上に掲載されたという。

 

第一回芥川賞に選ばれたのが当時まったくの新人・石川達三氏。

 

有名な太宰治氏落選についてのエピソードなどの文壇内輪話が事細かく

綴られていて作家マニアには垂涎もの。

 

現在の芥川賞&直木賞に対する世間的な評価が

当時菊池寛氏が思い描いたものに近いのかどうかはわかりませんが、

少なくとも太宰治氏にとっては生きる手立てとして命に掛けて

獲りたかった重みのある賞だっただろうことがわかります。

 

それらのいきさつなど興味ある方はぜひどうぞ!

 

かなしみの病床でも

よろこびの花畑でも

こぼれ落ちたところがふるさと

 

ハンセン病のため生涯を隔離施設で過ごされた志樹逸馬氏の詩の一篇。

 

自らにそう言いきかせないと生きていかれなかった哀しみが胸を衝きます。

 

社会のひずみに埋もれて理不尽な差別を受け続けなければならなかった人生。

 

そのような理不尽な生を生きている人々や、耐えかねて自ら命を絶った人がこの世にはたくさんいると思うととても対岸の火事とは思えない。

 

森友学園への国有地売却をめぐる公文書改ざんを上司に命じられ従わざるを得なかった財務省近畿財務局の赤木俊夫さんもそのおひとり。

 

妻・雅子さんが夫の自死の原因となった真相解明をめざして国を相手に起こした裁判が話題になっています。

 

弔問に訪れた元上司の改ざんを認める音声データを流したニュースをみてやり場がない憤りを感じてしまう・・・わたしたちでさえこのような気持ちになるのだから当事者の苦しみはどんなだろう。。。

 

雅子さんが立ち上げられたオンライン署名サイトを見つけて署名したけど・・

関係者の方々に良心を取り戻してほしいと祈るばかりです。

 

 

さて本日アップする作品は過去に再読を重ねた作品。

 

 

いのちの初夜

北條民雄氏著『いのちの初夜』
 

 

二十四歳で生涯を終えた著者は、生前苦悩の彷徨を虚無へ沈めず、絶望によりむしろ強められた健康な精神を文学の上に遺した。

独英訳など海外にも知られ、強い感動を与えている

著者について

1914年朝鮮の首都京城生まれ徳島県に育つ
1932年に結婚するもハンセン病を発病して破婚
1934年東京都東村山市の全生園に入院後、創作を開始し川端康成氏に師事
1936年『いのちの初夜』で第2回文學界賞受賞&第3回芥川賞候補
1937年腸結核のため23歳で夭折
他に『癩家族』『癩院受胎』など


現在では病原菌の解明も行われ、有効な治療方法確立されて久しいハンセン病

 

不治の病とされていた昭和初期に20歳で発病した著者の心の慟哭ともいえる自伝的小説。

当時は死刑宣告にも等しいらい病という診断を受けた主人公が、ある日を境に過去の自分や家族をすべて捨て、らい患者として収容施設で生涯を過ごさなければならないという絶望的な体験の中で生と死を見つめ、その先にひとすじの光を見出そうとする内容

魂の叫びともいえるこの作品は川端康成氏の称賛と激励を受け、昭和11年「文学界」に公表、大反響を呼び文学界賞を受賞したという経緯があります

らい患者の悲惨な実態を描きながら、作品全体に煌めきが感じられる、そこがこの作品が長い間多くの読者を惹きつけてきた魅力ではないでしょうか。

「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言葉を返上したくなる、そんな作品です。

明治40年に制定され、隔離政策を柱にした「らい予防法」も、多剤併用療法でハンセン病が完治できるようになったことで1996年に廃止されました。

現在の日本ではハンセン病は完治できる病気として認められていますが、世界的にみると経済力の乏しい地域ではまだ多くの患者がいて大変な思いをしているようです。

余談ですが、昨年アフガンのジャラーラーバードにおいて銃撃に斃れられた中村哲氏もペシャワールで20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に携わっていらっしゃいました。



本書
の舞台は東京の全生園でしたが、岡山の長島愛生園が舞台になった「小島の春」はハンセン病患者救済に尽くした医師小川正子氏の患者救済の体験を記した手記昭和15年に映画化されて有名になったようです。

当時の患者の置かれた悲惨な状態に胸がつぶれると同時に、小川医師たちの献身に頭が下がる思いを抱いた作品でした。

 

1930年に日本初の国立療養所として発足した当地の長嶋愛生園。

 

瀬戸内海に面する孤島が隔離にもってこいという理由で選ばれたようです。

長嶋愛生園

 

牡蠣筏しづかに浮かぶ瀬戸内の凪ぎたる海に長島の見ゆ


いまから
30年ほど前対岸と島を結ぶ「邑久長島大橋」が架かって60年もにわたる隔離状態から開放されたのでした。

 

人々はこの大橋を「希望の橋」と呼んでいまも渡り合っています。

生きることを放棄しても、なおそこには「生命だけ」の生が燦然として続くという事実。

戦後文学が描いたさまざまな極限状況でも見ることのなかった、もう一つの極限状態、人間の真実。

それは高齢化社会の現実でもある。

夭折の作家が生きる意味を問う。(データベースより)

夏の雲

真青なる空に積雲襲ひくる熱暑に負けじと服む益気湯


とにかく暑いですね~。

 

散歩もしばらく打ち止め。

 

週一の卓球以外、おとなしくしています。

 

料理したり、ピアノを弾いたり、ブログを書いたり、片づけをしたり。

 

パソコンのフォルダに入れていた写真を一括しようと作業をしていたら、懐かしい写真が次々出てきて、意味もなく感慨に耽ったり。

 

こんなときもあったんだ・・・もっと大切に過ごせばよかった・・・など後の祭り的なことをよく考えてしまいます。

 

真夜中の不意の目覚めに湧き上がる過去完了とはいかぬ悔恨

 

ささくれた指にニベアを塗り込んでなかつたことにしたき種ぐさ

 

なかったことにしたいことは多々ありますが、発した言葉同様に自ら行ったことは決してなかったことにはならない。。。

 

これからご紹介する作品の主題のように人生をロンダリングできたらどんなにいいかしら。

 

 

 

東京ロンダリング

原田ひ香氏著『東京ロンダリング』
 

 

内田りさ子、32歳。わけあって離婚。戻るべき家を失い、事故物件に住むことを仕事にした彼女。失意の底、孤独で無気力な毎日を過ごしていた―。移り住む先々で人と出会い、衝突しながら、彼女は何を取り戻したのか。東京再生、人生再生の物語(「BOOK」データベースより)

 

著者について

1970年神奈川県生まれ

2006年リトルプリンセス2号で第34回創作ラジオドラマ脚本懸賞公募(現・創作ラジオドラマ大賞)の最優秀賞

2007年はじまらないティータイムで第31回すばる文学賞

2010年31年目のブルーテープで第31回BKラジオドラマ脚本賞佳作

 

はじめての作家さん。

 

シナリオライターとして活躍していらっしゃるようですね。

 

マネーロンダリングというのはよく耳にしますが、これは自殺とか事件のあった賃貸物件の話。

 

〈ロンダリング〉とはコトバンクによれば・・・

 

英単語launderingのことで、「洗濯する」「きれいにする」「アイロンがけする」などの意味だそうです。

 

ある事象から派生した都合の悪いものをその来歴や用途などをわからないようにして、都合のよいものに見せかけることを示すネットスラング群。

 

代表的なマネーロンダリングのほかに、本書のような住居ロンダリング、学歴ロンダリングというのもあるそうです。

 

出身大学よりもレベルの高い大学の院に進学してそれを最終学歴とすること。

 

なるほど。

 

著名人の経歴ではよく見かけますよね~。

 

 

さて本書に戻ります。

 

主人公は自身の不倫がきっかけで離婚、戻るべき場所と生きる気力まで失い、途方に暮れるりさ子。

 

高円寺の路地奥の相場不動産の相場氏との出会いによって、ロンダリングの道に踏み込むことになります。

 

不動産屋の持つ事故物件情報はその直後に借りる、または買う人にだけ説明義務があり、それ以降の住人には説明義務はないという・・・そういった法律上の決まりの盲点をついたロンダリングなる仕事。

 

一ヶ月ほど住んでロンダリングしたあとは正々堂々とした価格で新たな住人を募集できるというもの。

 

 

相場氏に雇われたりさ子やロンダリングの先輩・菅。

 

 

大都会東京ならありそうな仕事だけど、実際にあるのか?

 

りさ子は相場に請われ次々に事故物件ロンダリングの要員として駆り出されることに。

 

「いつもにこやかに愛想よく、でも深入りはせず、礼儀正しく、清潔で、目立たないように」がロンダリング要員としての必須条件。

 

しかし、周りの状況によってつい「深入り」して「目立って」しまったりさ子。


そこからりさ子のロンダリング人生が別の方向に動き出すという展開。

 

お仕事小説、またはりさ子の再生物語としても読める読後感のいい作品でした。

 

よかったらどうぞ。

6月30日は夏越大祓の日。

 

過去半年間の罪・穢れを祓い、今後半年間の無病息災を祈願するという日本古来の神事に則って茅の輪をくぐる行事が全国の神社で行われています。

 

由来は神話のイザナギノミコトの禊祓にまで遡るそうですが詳しくは知りません。

 

和歌「みなづきの なごしのはらえするひとは ちとせのいのち のぶというなり」を唱和しながら茅の輪を3回くぐるそう。

 

当地でも吉備津神社を代表に岡山神社、宗忠神社などで行われていて何度かくぐったことがありますが、疫病が蔓延している今年こそはくぐってご利益をいただきたいところでしたが、くぐらずじまい( ;∀;)

 

そんなとき京都に住む歌友RMさんが護王神社の茅の輪の写真を送ってくださいました。

 

茅の輪IMG_20200702_154729


無病息災を祈願して茅の輪をくぐられたそうです。

 

京都御所の西側にある護王神社。

平安京の建都に貢献された和気清麻呂公をお祀りしている神社だそうです

和気清麻呂といえば、岡山にある和気神社は和気清麻呂公生誕地といわれる和気にある神社。

護王神社と同じく足腰の守り神であり、猪に所縁があるといわれていて拝殿前には狛猪が鎮座していて「いのしし神社」と呼ばれていることも同じ。

親戚筋に当たるのかな?

いずれにしても

RMさんが送ってくださった護王神社の茅の輪をくぐったつもりで無病息災をお願いできました!

梅雨真中友より届きし映像の護王神社の茅の輪をくぐる

RMさんありがとうございました(^^)

 

 

 


祖国とは国語
さて本日は
藤原正彦氏著『祖国とは国語』のご紹介です。 

 

国家の根幹は、国語教育にかかっている。国語は、論理を育み、情緒を培い、すべての知的活動・教養の支えとなる読書する力を生む。国際派の数学者だからこそ見えてくる国語の重要性。全身全霊で提出する血涙の国家論的教育論「国語教育絶対論」他、ユーモラスな藤原家の知的な風景を軽快に描く「いじわるにも程がある」、出生地満州への老母との感動的な旅を描く「満州再訪記」を収録

 

新田次郎氏と藤原てい氏のご次男である著者は1978年、数学者の視点から眺めた清新なアメリカ留学記『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞されたすぐれた文筆家としても有名です。

 

20002003年に朝日新聞、産経新聞等に掲載されたエッセイをまとめたものが本書。

 

その後、2005年に刊行された『国家の品格』は200万部を超えるベストセラーとなり、翌2006年の新語・流行語大賞に「品格」が選ばれるなど大きな話題となったので覚えていらっしゃる方もおられるでしょう


『国家の品格』
では数学者の立場から「論理より情緒」・「英語より国語」・「民主主義より武士道」と説いていらっしゃいます

 

さて「国語教育絶対論」「いじわるにもほどがある」、「満州再訪記」の三部構成になっている本書


第一部では日本の国語教育の重要性を語り、第二部では著者ご夫妻のユニークな子育ての日々に触れ、第三部では著者の原点となった満州を母である藤原てい氏とともに訪れたときの記録。


ここでは第一部の「国語教育絶対論」について少し。


「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」


母国語の語彙は思考であり情緒なのである」

 

「『論理』を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の習得が大切ということになる。これは国語を通して学ぶのがよい」


「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである」


母国語だけではこのグローバルな世界では遅れを取るという焦りの下、小学校から、または幼稚園から英語教育に力を入れている昨今の風潮に逆行するような文言の数々には異論も多いと思いますが、何事にも基盤が大切という観点を通して、堅牢な国語教育という土台の上に積み重ねてこその外国語であろうと思うこともしばしば。


確かにわたしたちが受けてきた英語教育は無用の長物というようなもの。


受験などで発揮される英語の知識も実際の場ではまったく役に立たない・・・しゃべれない、聞き取れない・・・ではなんのための長きにわたる英語教育か?


こういった問題点は否めませんが、幼少よりバイリンガルを目指す昨今、肝心のルーツの根幹である母
国語が疎かになるのを危惧している著者。


世界で英語の一番下手な日本が二十世紀を通して、先進国中もっとも大きな経済成長をなしとげ、英語の一番上手なイギリスがその間もっとも斜陽だったことが忘れられている。


世界の
IT革命の大きな担い手となっているインド人技術者のほとんどが、小学校時代にパソコンなど見たことさえなかった、ということが忘れられている。

 

経済界の提言を取り入れて、英語、パソコン、株式取引、起業家精神などを小学生に教えていたら、週二十数時間という窮屈の中、国語や数学の基礎力がガタガタとなる。

 

だからすべての知的活動の根幹である国語教育に力を注ぐべきである、と続きます。

 

極論と捉えるかどうかはそれぞれの読み手の経験などを通しての判断であろうと思いますが、一理も二理もあるなぁというのがわたしの感想。

 

幼いころより日本語で書かれた本をたくさん読むことでさまざまな世界やさまざまな考え方があるということを受け取り知らず知らず情緒を磨くよすがにできる一歩になるのではないかと常々思っているわたしには通底するものがある本書でした。

コロナ渦のなか、家の中で夫との家時間がとても長い現在。


音楽が大好きな夫は一日中何かしら
CDをかけています。

 

結婚した時からの習性で、休日はずっと。

 

車でも必ずCDかFMをかけます。

 

クラシック、各種ジャズ、ポップス、映画音楽、ゴスペル、フォークソング・・・。

 

家には山ほどのレコードやCDジャケットが積み重なっていますが、すべて洋楽オンリー・・・なんという偏見、と思えるくらいに見事に歌謡曲など一枚もなし。

 

わたしの好きな音楽をかける余地がないくらいに網羅。

 

そんな父親の影響を受けたのかジャンルはそれぞれ微妙に違うようですが、子どもたちは大人になった現在も音楽、それも洋楽が大好き。

 

娘が弟である長男から時々好きなジャズをコピー&編集したCDを作成してもらっているというのを漏れ聞いて、わたしも、と長男に頼んでいたCDが送られてきました。

ラカンパネラ

世界中のピアニストによる’ラ・カンパネラ’のみのCD.。

 

公式アカウントやクリエイティブ・コモンズをこまめに拾って落とし込んでくれました。

 

嬉しいな(^^♪

 

'ラ・カンパネラ’一日中聴いていても飽きないほど好きな曲。

 

フジコヘミングのものは直接コンサートで聴いたことがありますが、その他はCDやyoutubeで聴いていました。

 

ラン・ランあり、ユン・デリあり、アリス・オットあり、辻井あり、キーシンありで最高のプレゼント!

遅い母の日プレゼントにと。

お嫁ちゃんからはとっくに好物のプレゼントが届いているんですけどね。

 

さっそく自分用のBOSEで音量を絞って聴いています。

 

夫の留守中に心ゆくまで大きな音量で聴きたい・・・コロナよ鎮まれ!

 

 

 

本日は1年ほど前からの話題作。

 

ぼくは
ブレディみかこ氏著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 

大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション」(「BOOK』データベースより)

著者について

1965年福岡市生まれ
音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住
ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始
2017年に新潮ドキュメント賞を受賞し、大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補となった『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』をはじめ、著書多数

 

イギリス南端のブライトンに、アイルランド人のと息子の3人で暮らす著者

 

市のランキングで常にトップを走っている名門校である小学校から元底辺中学校に進学した息子の、その中学校での1年半を綴ったものが本書です


「元底辺校」という言葉のイメージからはあらゆく国から集まったさまざまな人種の生徒の集まりを連想してしまいますが、イギリスでは「人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校」ということになるらしい。

 

元底辺中学校には「ホワイトトラッシュ」と呼ばれる貧しい白人の子どもだらけだそう。

 

息子の学校生活を通してイギリスが現在抱えているさまざまな問題点を日常に則して具体的にわかりやすく挙げて、息子とともにそれらに向き合い、一歩ずつ前進していくという、いわば日本人からぬ果敢な強さをもった著者に目を瞠る思い。

 

イギリス人の本音を探れば、アングロサクソン系を唯一無二の血統とし、学歴主義の最たるもののとしている中で、いかに果敢といえど筆者は愛する息子のの進学先のレベルを一気に下げて選択したのか、という疑問に答えは出ませんでしたが、結果的にこの選択によって著者の息子が得たものは計り知れなかったと思いたい。

 

歴史的に多くの移民を受け入れてきたイギリスでしたが、本音のところは純血種至上主義、自国ファーストがむき出しになったEU離脱」

かつて多くの移民を受け入れたといってもそれは低賃金で雇える労働力の導入という点においては根本的には自国ファーストは延々と続いていると思えます。

外側からの英国をなぞったわたしのイメージですが、本書を読んでますますその意を強くしました。

アガサ・クリスティなどイギリスの作家の著書を通してもデモクラシーを掲げながらも貴族的なアングロサクソン至上主義がいたるところに見え隠れするイギリスの抱えるさまざまな問題を平易な言葉で連ねていて、読んでよかったと思える作品となりました。

醜いものには蓋、というスタンスが特に嫌いなわたしにはみかこさんの息子に施した教育はすばらしいな、と思えました。

とにかく一律に表層部分を学んで、暗記して、受験戦争に打ち勝つ学力をつける・・・余分な知識は不要とばかり・・・危うい日本の将来といわざるを得ない気がします。

半面1/3の子どもが貧困層といわれるイギリス

本書によるとランチを食べることも新しい制服を調達することもできない。

こういった状況を知ると、日本の教育制度のよさもしみじみとありがたい。

ふりかえって自分の子育てを思い起こすと、ダメなことばかりやっていた気がする母だったので、子どもたちがこれを読むと、何を今更ってブーイングが来るのは必至でしょうがあえて。

悪しざまに子を叱りたる夢さめて真夜の厨で水を飲むなり

母だって長く生きていると少しは視野が広がるのです、いい方か悪い方かわからないけど。

とにかく著者の息子の日常を描くだけでこれだけ人種、貧困、さまざまな差別、政治のあり方などの問題を浮き彫りにするなんて、著者の筆力に脱帽。

まだまだ記したいことはたくさんある気がしますがこの辺で。

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