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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 澤地久枝

ヒトは自分の見たいものしか見えない

朝日新聞の〈折々のことば〉で取り上げられていた下條信輔氏の著書『潜在認知の次元』からの文言です。

 

昨今、〈正常バイアス〉という言葉がよく見聞きされるようになりました。

 

自分にとって都合の悪い情報を聞き流したり過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

Wikiによると自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となることだそうです。


人の判断には自分でも気づかない枠組みがあって、フィルターがかかって、他人の動きにもつい惑わされたり、辻褄を合わせようとしてますます自身の判断に固執して引き返せなくなることがあると指摘しています。


自分自身も胸に手を当ててみるといくつもの〈正常バイアス〉が作動していて、今の時期だと、たぶんコロナには罹らないだろう、などと根拠のない確信のようなものを持ったり・・自分も罹患しているかもしれないというつもりで行動しよう、などとカッコいいことは言っていますが、それでも今は罹患していないだろう、きっと大丈夫、まだ大丈夫・・・と思っているのが本音。


そんなことを思っているとバイアスは次々広がって・・・安全帯にいて、政治姿勢や諸々を批判したりするのも安全圏というバイアスの中での言及と思えば、なんだか自分の卑怯さが浮き彫りになります。


「九条の会」と同様に大江健三郎氏や澤地久枝氏が呼びかけ人である「戦争をさせない
1000人委員会」に賛助の寄付をしていますが、活動もせず、テレビの前で批判している自分はなにものと思ってしまう。


大江氏も年齢を重ねられマスコミなどから姿を消され、澤地久枝氏も高齢のため行動も控えめになっている昨今を思うと心細いかぎりです。


「アベ政権を許さない」のプラカードで有名になった文言は澤地氏が在りし日の金子兜太氏に依頼して揮毫してもらったもの。

様々な批判もあるようですが、澤地氏の文章が大好きなわたしは氏の著書を繰り返し読んでは、その社会の片隅に忘れられたように存在する人たちへの深いまなざしに圧倒されてしまいます。

 

作品のなかでいくつも忘れられないものがあり、それはほとんど市井の隅っこで正直だけが取り柄のように実直に誠実に、そして不器用に自身の生を全うされた名もなき人々の物語です。

 

 

忘れられたもの
澤地久枝氏著『忘れられたものの暦』 



本書は
1982年に刊行された古い著書ですが、著者の特徴が色濃く反映されたエッセイとなっていてどのページを開いても著者ご自身の誠実なお人柄がふわりと伝わってくるような文章に出会えます。

 

Ⅰ風に聴く

Ⅱわたしも旅人

Ⅲ出会いと別れ

 

大きく三部に分かれていて、その中にいくつもの小見出しがあり、それぞれ満州を起点とする著者の生い立ちや作家になるまでの道程、ノンフィクション作家としての取材先でのさまざまな出会いや短い結婚生活と不倫、友人・向田邦子氏との別れ、戦争への思いなどが著者の透明感のある文章で綴られています。

 

そのうちの一節「ひとすじの道」という小見出しで、与謝野晶子の有名な短歌が紹介されています。


劫初よりつくり営む殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ

 

歌という世界に絢爛豪華な痕跡を残した偉大な歌人ならではの歌。

 

澤地氏はこの歌に十代の頃に出会い、黄金の釘ひとつ打つような生き方をしたいという熱い自負のようなものが息づいていたと記しています。

 

それは黄金の釘という絢爛な目標というより、ただひたすら意味のある人生を生きたいと願っていたにすぎないという。

 

人生のスタート段階でのこの歌との出会いによって澤地氏はさまざまな旅を通して、社会の片隅で報われない人生をひたすら生きている人々に出会い、これらの人々こそ報われるべきであるという思いにノンフィクション作家としての目標を定めたといいます。

 

本書のほか、多くの作品を上梓していらっしゃる澤地氏。

 

もし手に取る機会があればぜひ一度読んでみてください。

今年もベランダはゴーヤやきゅうり、モロヘイヤなどの夏野菜のおかげで緑に覆われていますが、朝顔好きの夫が買ったヘブンリーブルーの朝顔の苗だけはいくら蔓が伸びても一向に花が咲きません。


ベランダの天井まで届くくらい勢いよく伸びているのに蕾すらつけない朝顔。5c7ceb86.jpg



渡した紐を伝ってゴーヤが朝顔の蔓に絡みついているのでゴーヤの花が朝顔の花のように見紛う写真の写りですが朝顔の蕾ではありません。


そんなときタイムリーに小学1年の孫娘が電話してきて夫に学校から持ち帰った朝顔の花が「昨日は3つだけだったけど今日は5つ咲いたの。SSの朝顔はいくつ咲いたの?」と夫の神経を逆撫でしていました。


苗を購入したホームセンターに抗議に行きかねないほどなので「もう少ししたら咲くんじゃないかな?」と慰めたら「気休めは止めてくれ!」と一蹴されました。


何だか別の重要案件がすんでのところでボツになったかのようなうなだれ方に呆れるばかり。



そこまで朝顔好きだったとは知りませんでしたが、仏事の本によると母の初盆に水花として供えるのに必要らしいのでどうしたものか、と思っています。





さて今日は古い作品ですが、澤地久枝氏著『石川節子 愛の永遠を信じたく候』をご紹介します。



「初恋の人・石川啄木と結ばれた節子は、誰よりも早く彼の天才を信じた人だった。
二十歳で結婚して二十七歳で亡くなった短い生涯は病気と貧困と家庭不和に脅かされ続けた。
命がけの献身によって啄木の芸術を支えながら、生活に追われて心は次第にすれ違っていく。
妻を描いて等身大の啄木を鮮やかに浮かばせる、伝記文学の傑作」



早熟の天才・石川啄木と14歳同士で恋仲となり、17歳で東京に旅立つ啄木に「理想の国は詩の国にして理想の民は詩人なり」という言葉を贈るほど啄木の才能をひたすら信じて結婚へと一途な愛を貫き、「吾れはあく迄愛の永遠性なると言ふ事を信じ度候」と揺るがぬ意思で寄り添った節子の生涯の足跡を多くの資料をもとに綿密に辿った著者渾身の記録です。



節子が揺るぎない信頼を置いていた才能を十分に開花させることなく散った啄木の一生は常に不幸の影色濃く、貧苦と病苦のうちに26歳という若き生涯を閉じますが、それは啄木自身の傲慢、身勝手に起因すること大という見方もあながち誤りとはいえない、不幸になるべくしてなった人というのがこの作品から得た感想です。



家庭の事情から20歳にならないうちから家長として一家を支える責務に押しつぶされそうになりともすれば現実から逃避しやっと得た仕事も常に長続きせず、借金を重ねる啄木を支え続ける間には夫の無責任な裏切りや理不尽な責めによって次第に心の柔らかさを失っていく節子の心情が同じ女性の立場から手に取るように実感でき、啄木に強い怒りを覚えることもしばしばでした。



多くの芸術家がそうであるように啄木がその死後に評価されたのはひたすら節子の功績によるものだったと著者は記しています。


啄木自身から「焼いてしまえ」と言われた啄木の日記には節子が目を覆いたくなる夫の心変わりなどが書かれていますが、その才を信じればこそ焼くのが忍びなく、強い意志で遺稿を整理した節子。


「文学も思想もふくめて、啄木の人生は辛うじて節子によって『完成』させられる。これが啄木と節子の結婚生活の『成果』であった」


それにしても不幸の付きまとった啄木の人生の中で最期まで彼自身が捨てずに守り続けたのは家族ではなく確固たるプライドが基盤の文学意欲と自己愛だったのではないでしょうか。


肉親や妻子への愛情や責任感をはるかに超えた啄木の自己愛がその日記での行動を通して垣間見えてきて正直、人間としての啄木には嫌悪感を覚えました。


文学という砦を取り除いたところで啄木を語ることに意味がないとは思いますが、好意的な友人知人からの数限りない借金を重ね、妻子を省みず女を買い、また金の無心を繰り返すというのは野口英世と同じような強い選民意識のなせる技と思えます。


もちろんその意識は決して根拠のないことではなく貧苦、病苦の真っ只中にいた啄木に手を差し延べた多くの文化人――金田一京助、夏目漱石、森鴎外、木下杢太郎、北原白秋――の存在からもうかがい知ることができますが。




石川啄木について書かれた本は数多くあり、そのうちいくつかは断片的に読みましたが、本書は妻の節子を著者・澤地久枝氏の視点を通して同姓の鋭い観察力で節子の内面に迫っている貴重な作品であると思います。


啄木を間に置いての嫁姑の諍い、文学という芸術と自己に淫して現実から逃避する啄木の姿など温かくも鋭い澤地氏の視線に堪能できた作品でした。

「劫初よりつくり営む殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ」

与謝野晶子の一首です。


人として生まれたからには黄金の釘を打つような生き方をしたいと思いますが、自他共にその願いが叶ったと思えるのはほんの一握りの選ばれた人でしょう。


与謝野晶子にとってはその殿堂は短歌であったし、確かな釘の手ごたえは数え切れない読者によって支えられていると思います。


殿堂にも黄金の釘にも無縁な一生を送る見通しの平凡な主婦の自分ですが、ささやかではあっても意味のある人生を送りたいという願いはいつも持っています。


私にとってのひそやかな意味ある人生とは人を裏切らない信頼される人生、ただこれだけの最低ラインを守るのも四苦八苦の狭量な自分を度々思い知る長い旅ですが、内省しながら頑張りたいと思います。




本日ご紹介するのは私が「文章にふくよかな色がある」と密かに思っている作家の古いエッセイです。


澤地久枝氏著『忘れられたものの暦』


澤地氏は私の大好きな女流作家のひとりですが、特に文章の合間から立ち上がってくるような柔らかな色のある表現に魅せられています。


著者の作品は数多く読んでいますが、このブログで取り上げているのは『家族の横顔』のみ。

      http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/114


本書は1982年刊行ということですから、著者が50歳すぎてからの作品になります。



著者がノンフィクション作家として不動の地位を築いているのは衆人の認めるところですが、市井の忘れ去られた人々にいつも温かい眼差しを注ぐ姿勢は著者の歩いてきた経歴に因があるといえます。


幼少時から思春期を迎えるまでの満州での生活と敗戦を迎えての難民生活、父親を早くに亡くし、一家の柱としての母親との生活、高校卒業と同時に中央公論社に入社、早稲田大学二文で学び、学生結婚するも短期間で離婚、卒業後能力を認められ婦人公論編集部で15年、この間たくさんの作家との交流を持ちますが、中でも直木賞作家であり、『四万人の目撃者』で日本探偵作家クラブ賞を受賞された有馬頼義氏との長い不倫の末の別れ、加えて2度にわたり受けた大きな心臓の手術など、、、ノンフィクションの対象としていつも弱者に心を添わせるスタンスはこのような経歴から生まれたのでしょうか。


1972年『妻たちの二・二六事件』
1978年『火はわが胸中にあり』で第5回日本ノンフィクション賞
1980年『昭和史のおんな』で第41回文藝春秋読者賞
1985年『滄海(うみ)よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』で第34回菊池寛賞



次は冒頭の与謝野晶子の歌を受けての文です。

「私はいかなる殿堂を思いえがいて生きているのか、はっきりと言いきれるだけのものはない。
ひとりの、ささやかなものかきとしての生き甲斐はあるけれども、それもときにはあとかたもなくかき消えて、重い鬱の心理状態に見舞われる日がある」



「結婚生活、売春、冤罪、戦争、不治の病、人との出会いと別れ、二・二六事件で遺された妻達。様々な人間の喜び、悲しみを温かな目で見つめながら、昭和という時代を描いたエッセイ」


本書には作品を上梓するまでの様々な過程で折々に感じたことを記した40数篇の文章がまとめられています。


「読みかえしてみると、心に火をもち、情念の重く、無器用で骨っぽい一人の女が、忘れられた存在を書く人間としての仕事にゆきつく、その道行きが見えてくるようなところがある」


九条の会の発起人のひとりでもある著者の戦争への怒りのすさまじさがいたるところで垣間見られます。


戦争によって打ち捨てられた多くの命に対する思いは多くの認められた作品の中に結集され花開いていますが、平和な現代においても社会の片隅に忘れられたように見捨てられた存在に対する常時変わらぬ温かい視線に私はいつも救われます。


本書の40篇近くのエッセイの中で見つけた「黒い列・別れと死」と題する小品は私の大好きな画家香月泰男氏についてのものでした。    


この一文によって、はるばる訪ねた山口県三隅町の「香月美術館」で釘付けになったシベリア抑留時代の絵が生き生きと目に迫ってくるよう。


捕虜となった日から28年間、日本に帰ってきてもシベリアから解放される日はなかったという香月画伯の心の塊を代弁するかのような著者の文章が心に沁みました。


「顔のないおびただしい死者たち。
昭和の名でよばれるこの時代ほど、数多いいのちが失われた時代はあるまい。
遠くから眺めると、無数の顔が描きこまれているのがわからない香月泰男の絵は、あまりにも数多い死者たちをもつ時代そのもののようである」

昨年6月より体調を崩し、現在闘病中の友より電話がありました。

1つの症状を抑えるための薬の副作用ともいえる別の症状がドミノ倒しのように我慢強い彼女を襲い、一時声を失っていましたが、ようやく快方に向い、電話で会話できる様子に私も少しホッとしました。


自分がどんな状況にいても周りの人への心配りを忘れない律儀で誠実な彼女に、これ以上苦難を与えないでほしいと切に祈るばかりです。


その彼女が、入院している病院で親しくされている患者さんが書かれた本がTVでドラマ化されるということを知らせてくださいました。


今晩26日夜9時からの「永遠へ」です。


ドラマはほとんど見ませんが、今晩はTVの前に座っていようと思っています。




さて、今回は澤地久枝氏『家族の横顔』をご紹介したいと思います。


著者澤地氏は中央公論社の編集者を経て、『火はわが胸中にあり』で第5回日本ノンフィクション賞、『昭和史のおんな』で第41回文芸春秋読者賞、『滄海よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』で第34回菊池寛賞を受賞されたノンフィクションを得意分野とされる作家ですね。


細やかな取材と精密を極めた聞き取り作業には定評がある、といわれています。


その澤地氏のあとがきによると、1970年代の終わりからある雑誌に連載し、時を経て加筆出版されたものだそうです。


若き日に家族制度そのものの重圧に反発しながらも、人一倍家族に愛着を持ち続けた著者は、バブル期を通して日本の「家族」そのものが変質し、特別の存在意義をもち得なくなっていく様子に胸を痛めます。


そこここで簡単に家族崩壊が起こり、「家族」という密室の中から噴出した様々な病を筆に載せることによって、「家族」の本質に迫る、という試みで書かれた本です。



ここに収録された10話の短編は、著者が関わってこられた人生相談などを参考に、虚実織り交ぜて埋め込まれています。


1994年、国際家族年の年に脱稿した著者は、これからの家族のありようにおいて、国境を越え、血縁の有無にとらわれることない新しい「家族」とのふれあいについての希望を述べられています。


でも時は流れて現在、家族病理の根はますます深くなり、そして多方面に広がりを見せているように感じるのは私だけではないと思います。


間違った方向に突き進んでいることは誰もが感じていると思いますが、どのように修正すればいいのか・・・その足がかりとなるものがこの本からほんの少しでも見つかってほしいと願っています。


収録された10話には不倫の人妻、蒸発、拒食、義理の母子、自殺、差別、未婚の女など、様々な女たちが紡ぐ人生が澤地氏の目を通して描かれています。


このようにテーマを連ねてみると、初めはほんの小さな不協和音から始まった事柄によってだんだん取り返しのつかない状況に陥った主人公が見え隠れしますが、10話の中には、周囲の強い愛の絆によって深い穴から生還した事例などもあり、そんな物語に出遭ったときには私は深く安堵しました。

みんなの手によって作られる百科事典Wikipediaのある記事に初めて投稿加筆しました(^。^)

他の事典と比較して遜色がないので、最近はよく使用させていただいていますが、投稿にあたっては著作権問題などに抵触しないよう細心の注意を払う必要があります。

大げさに書きましたが、ほんの少し加筆しただけです^_^;


きょうは「妻たちの二・二六事件」「昭和史のおんな」などでおなじみのノンフィクション作家である澤地久枝氏の本をご紹介したいと思います。



澤地久枝氏著『烙印のおんな』


この本には事件などで世間的に烙印を押された7人の女たちの人生が収録されていますが、私の心に焼き付いて離れないのは最後の章に登場する、いまは亡き加藤キクヨさんです。


キクヨの父加藤新一さんは大正4年に起きた強盗殺人事件の犯人として無期懲役に処せられた人ですが、逮捕されたその日から無実を訴え続けた人でもありました。


逮捕されたとき1歳の乳飲み子であったキクヨは、その後一家離散などの極貧辛苦の中で成長し、父が刑期を務めて帰ってからは再審への閉ざされた道を開けるべく孤軍奮闘する父の支えとなり一生を送った人でした。


私を捉えて離さないのは、これほどの苦しみの生い立ちにもかかわらず、キクヨのかげりのない天真爛漫さにあります。


この物語を書く澤地氏とのやりとりに度々覗かせるユーモア、律儀さは私の心に鞭を打つほどです。


私たちが忘れ去った心のこもった言葉遣いなど、彼女の生き方に姿勢を正さずにはいられないのです。


当時の杜撰な捜査、不確かな証拠、想像を絶する取調べなどの犠牲になった父は自由の身になってから再審請求を出しては却下、出しては却下を繰り返し、そして事件発生から61年ぶりに再審開始、ついに命尽きる2年前に無罪を勝ち取ったのでした。


父の死後、ひとり息子にも出奔され、山奥でひっそりと生きて死んでいった彼女のことがいつまでも胸の奥から離れません。

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