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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 柳美里

強い冬型の気圧配置が続き、日本列島に強烈寒波が押し寄せているという。

北海道の日本海側から山陰にかけてのニュースが駆け巡っています。

ブロ友Rさんのお住まいの新潟や歌友Fさんの福井の北陸自動車道の雪害による
渋滞のニュースが流れるたび、心配で見入ってしまいます。

一時1500台以上が立ち往生したという。

自衛隊が救助活動に当たっているそうですが、雪害で既に4人が死亡したというニュース。

「晴れの国」といわれている当地に住んでいてさえ、外出時の寒さに震えているというのに。

一刻もはやく解消しますように。

外出から帰ってきた夫とわたしの合言葉。

「家があってよかった!」

特に寒さ厳しい冬には家のある幸せが身に沁みます。

住む家がない人とある人との差ってなんだろう。。

ほんの小さなボタンの掛け違い、運命のいたずら・・・いろんな表現ができますが、
自分も立場が入れ替わっていたかもしれない、と思うと
この当たり前ではない幸せにただ感謝しかありません。

自分の手腕でもない、当たり前ではない・・・家があるということ。

ホームレスの人々のことを想像すると胸が痛みます。

身めぐりの荷を負ひ佇む公園の老ホームレスに陽だまりあれな

 

 

上野駅公園口

柳美里氏著『
JR上野駅公園口』 

 

一九三三年、私は「天皇」と同じ日に生まれた
東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのために上野駅に降り立った。

そして男は彷徨い続ける、生者と死者が共存するこの国を。

高度経済成長期の中、その象徴ともいえる「上野」を舞台に、福島県相馬郡(現・南相馬市)出身の一人の男の生涯を通じて描かれる死者への祈り、そして日本の光と闇…。

「帰る場所を失くしてしまったすべての人たち」へ柳美里が贈る傑作小説(「BOOK」データベースより)

 

 

昨年11月、本書が2020年の全米図書賞(National Book Award 翻訳文学部門)を受賞したというニュースが飛び込んできました。

 

モーガン・ジャイルズ訳 『TOKYO UENO STATION』

 

今年で第71回を迎えるアメリカで最も権威のある文学賞のひとつという全米図書賞。

 

今まで翻訳部門では1982年に樋口一葉著『たけくらべ』(ロバート・L・ダンリー訳)、
『万葉集』(リービ英雄訳)が受賞。

 

2018年に新設された翻訳文学部門では多和田葉子著『献灯使』

 

本書の受賞はこれに続く快挙だそう。

 

柳美里氏の筆力のすごさに魅了されて、過去作品をいくつも読んでいたので、
この快挙には頷けるものがありましたが、それにしてもこのようなテーマの、
しかも地方性のある物語がよく認められたなぁと驚いています。

 

どのような英訳なんだろう・・・天皇制や高度成長期の出稼ぎ労働者たちの

実態、お国言葉、前東京オリンピックの前後の日本の空気感、
そして東日本大震災などの出来事を通してひとりのホームレスを浮き上がらせる術。

 

日本語でも難しいのに・・・英訳によって別物になっているのでは?

などと思ってしまう。

 

著者が一貫して描いたテーマ。

 

「居場所のない人に寄り添う物語」

 

著者がこの物語を構想しはじめたのは12年も前のこと・・・
2006年にホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる行幸啓直前に行われる

「特別清掃」の取材を行ってからだという。

 

天皇など皇室の方々の行幸の数日前にホームレスの人々のブルーシートの

「コヤ」に直接実施日時が貼られるという「山狩り」。

 

「山狩り」・・・この言葉のもつ不遜さに怒りが湧く。

 

集団就職や出稼ぎで上京してそのままホームレスになった人々には

東北出身者が多いという。

 

取材中ある七十代のホームレスの男性が著者との間の空間に

両手で三角と直線を描いて言ったという。

 

「あんたには在る。おれたちには無い。無いひとの気持ちは解らないよ」

 

彼が描いたのは屋根と壁のある家だった・・・。

昔は家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ建て小屋で
暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスになった者なんていない。

 

高度経済成長期に出稼ぎや集団就職で多くの若者が降り立ったといわれる

北国の玄関口・上野駅。

 

本書はその上野駅周辺を舞台にがむしゃらにそして誠実に

生きてきたひとりの男の物語。

 

1933年、奇しくも現在の上皇と同じ日に生まれた男。


経済成長の波に乗ることもできず、貧しい寒村に妻子を残し出稼ぎに出て
働きづめに働いた末、ホームレスとなった男の人生。


いつも居ない人のことばかり思う人生だった。
側に居ない人を思う。
この世に居ない人を思う。

「人生は誰 もが、 たった 一人 抱え 切れ ない ほど 膨大 時間 抱え て、
生き て、 死ぬ ─ ─」

この物語の隠れた主題のひとつ・・・天皇制。

わたしたち市井に生きる人々にとっては遠い存在であるかのような天皇制。

しかしよく目を凝らせば、ひと昔前の人々だけではない、
わたしたちの心の中にも沁み込んでいるかのような特別な人を崇める気持ち。

「山狩り」によって一時的にねぐらを奪われたホームレスの人々でさえも
遠目に天皇の姿を目にすると自然に頭を垂れてしまう。

寒さに、飢えに、暴力に屈して死んでしまっても、それが自分に与えられた運命だという
諦念を抱いてしまうこの世の矛盾や理不尽。

そのような人々の心に巣食っている歪みを著者は、
津波の押し寄せる音や電車の音など、さまざまな手法で浮き上がらせています。

主人公の愛する孫と愛犬まで津波に呑み込まれて死ぬシーンはさすが
書きすぎ感が否めませんでしたが、とても読み応えのある良書でした。

ぜひどうぞ!!

ご家族が地引網に行かれたということで友人に獲れたての魚をいただきました。

エビにイカ、チヌ、シズ、アナゴ。

5才以上だと思われるチヌは切り身にするときあまりに骨が硬くて出刃包丁と金槌で格闘、アナゴを背開きにするのにまたまた摑みにくくて格闘


チヌは軽く塩をして、アナゴは白焼きできるように下拵えして、イカもそれぞれ下拵えして冷凍しました。



夕食に食べたのはエビの素揚げとシズのムニエルでしたが、新鮮で美味しかったこと!


当分豊かな在庫を楽しめそうです(*^。^*)




さて本日は柳美里氏著『ファミリー・シークレット』をご紹介したいと思います。



「柳美里が小説に閉じ込めてきた『過去』と向き合った感動ノンフィクション。
『柳美里に虐待疑惑』――臨床心理士・長谷川博一氏とのカウンセリングを受けながら、みずからの過去の闇を照らす作業に入る。
(柳美里のカウンセリングを行う長谷川博一氏は秋田連続児童殺害事件で畠山鈴香の心理鑑定を行うなど、心理療法、犯罪心理<心理学的鑑定>を専門とする臨床心理士)」



◆「肩書きも、洋服も、そして顔の皮膚さえ剥き去って、血を流し痛みにのたうちまわりながら、家族に、自分に正面から向き合う―。
ここまでしなければ“治癒”に至らないのだとしたら、精神科医として私がやって来たことはウソなのか。精神科医をやめたい、とはじめて思った」-香山リカ氏(精神科医)


◆「柳美里は『親と子』の関係を、もっとも濃密な愛情ともっとも激しい憎しみが混ざり合う戦場として描いた。一度読み始めれば、読者は目をそらすことができない。
そして、最後に、これが絶望を希望に変える戦いの記録であることに気づくのだ」-高橋源一郎氏(作家)


◆「闇は、すべての家族にある。
この本は、その闇を消し去るための光ではなくて、その闇を見るための光だ。
そしてもしそうであるなら、光が光として在るための闇、という言い方も、できるのかもしれない」-江國香織氏(作家)



◆「生きていることの意味を知れば、どう生きてゆくかを見つけるのは容易い。
柳 美里 悲しいくらいに繊細で美しい人」-土屋アンナ氏(モデル・女優)



発端は2008年、著者が日々の出来事を綴ったブログの中で当時8歳の長男の嘘の混じった言動や行動に制裁を加えた様子を赤裸々に記したことでブログが炎上、結果として児童虐待の疑いで児童相談所から福祉関係の方々が訪れました。


そのときの出来事をきっかけに、著者自らが自分の生立ちを振り返り、消し去ることのできない心の深い闇に臨床心理士・長谷川博一氏の力を借りて立ち向かった渾身の記録が本書です。


柳氏にとってそのカウンセリングがどれほど苛酷な作業であるか、事前の長谷川氏の言葉から推し量ることができます。

「二つの約束をしていただきたい。
一つは、自分の命を消さないということ。
もう一つは、ほかのひとの命を消さないということ。
約束できますか?」


著者の作品としては、長男出産に至るまでのその父である彼との不毛な不倫、そして高校中退後劇団員と主催者として東京キッドブラザーズの東由多加氏との運命的な出会いと10年にわたる同棲と度々の別れを経て彼を看取るまでを描いたベストセラー『命』に続く4部作、そしてそれ以前に書いた『家族シネマ』『ゴールドラッシュ』『石に泳ぐ魚』など、それに本書を上梓する直前に書いた『オンエア』を読んでいます。

『命』のレビューはこちらからどうぞ

『オンエア』はこちら


『命』以前と以後では著者の作品に対する私の評価は天と地ほどの開きがあり、決して好きな作家というわけではありませんが、『命』以後強く挽かれる作家の1人となったのは否めません。


長男虐待騒動に関しては新聞やテレビで取り上げていた時期に漏れ聞いたくらいでしたが、本書を通して、赤裸々に語られた著者のそれに至った心情と目を背けたくなるほどの特異な生い立ちの環境を知るに及んで、ここまで自分を曝け出した作家はほとんど記憶になく、物書きの業を一身に背負うプロという表現が浮かびました。


この物語の最後に、カウンセラー・長谷川博一氏を交えて彼女の闇の加担者である父と26年ぶりの対決をしますが、それによって彼女の心の闇がクリアになるという劇的なラストは起こりようもなくこれからも険しい人生を感じさせるラストで終わっています。


ただ私生活を公に晒すことによって読者の好奇心を引き寄せていると悪評価する向きもありますが、『命』から続くドキュメンタリー方式の作品群はそんな生易しい状態で書かれたとは決して感じられないほどの削った命がうごめいているような文章が散りばめられていたと感じたのは私だけでしょうか。


「本人は過去を忘れても、過去は本人を覚えている」


幼児期の壮絶な体験は大人になってからのトラウマとして、自分の身に起きた苛酷な体験を無意識に繰り返してしまう「再演化」という性質があるそうです。


幾多の困難を乗り越えて産んだ愛する息子さんに著者と同じ「再演化」の道を歩む人生を送らせないためにも長谷川氏のカウンセリングでの気づきが功を奏しますように。

ブログ友の日記に書かれていたディッシュが簡単でおいしそうだったのでタジン鍋で作ってみました。

タジン鍋は購入して1年ほどになりますが、我が家のは電子レンジ専用、ほかに直火とレンジ両方OKのものもあります。


モロッコやアルジェリア、チュニジアが発祥の地で、日本でもここ2、3年のうちにブームに火がついたようで、デパートやスーパーなどで大量にディスプレイしているのをよく目にしますね。


水が貴重な砂漠地方で誕生したこの鍋は水なしで調理するのが特長、独特の形のふたが食材から水分を循環させる役目を果たし素材の美味しさを生かした蒸し料理を作る鍋といわれています。


材料を揃えてレンジに入れるだけで蒸し料理ができるのでよくやっていますが、たくさんの場合はフライパンなどを利用して蒸してもOKです。



というわけで作った一品は次の通りです。   


1:温めたフライパンにオイルなしで鶏肉を皮目から焼きます。

2:くし型に切った新たまねぎと椎茸の千切りを焼き色のついた鶏肉に加え軽く炒め、クレージーソルトとブラックペッパーで味をととのえ、タジン鍋に移します。

3:一口大に切ったトマトと茹でたブロッコリーを散らし、電子レンジ500Wで15分。


ブログ友はフライパンで調理し、トマトなどからけっこう水分が出るので晩ご飯にスープとして食べて、次の昼ご飯にカレールーを入れてチキンカレーにして食べたそうです。

1度に作って2度おいしいというキャッチフレーズがぴったりですね。




さて今回は柳美里氏著『オンエア』のご紹介です。


2007年から《芥川龍》の名の覆面作家の作として「週刊現代」に連載し、途中で柳美里であることを公開して話題を集めました。


「不倫、裏切り、自殺、ライバル登場、そしてある日迎えた決定的なスキャンダル。
百名近い放送関係者への取材を通じて描ききった、フィクションでしか書けない彼女たちの真実」


タイトルから想像できるように、本書はテレビ業界において花のような存在である女子アナウンサー、放送界にいる以上誰もが1度は憧れるキャスター、そして番組を陰で支えるプロデューサーなどを軸に業界の内幕を余すところなく描いた作品です。


「空気に触れた瞬間に傷みはじめる生鮮食品のように、情報として流れた途端に古くなるニュース。
わたしが伝えるのは、かたちにならないもの、だれかの目や耳にはいった途端にかたちを変える、情報だ」


上巻ののっけからたじろぐほどの濃厚&イレギュラーな性描写が延々と続き、川上宗薫も真っ青というほどの際どさに最初から腰が引けてしまいました。

著者のインタビューによると覆面作家としての登場も、最初の過激な性描写も出版社の意図によるものだそうですが、果たしてここまでの汚いともいえる描写が必要かどうか。


あまりにも刺激的で容赦ない描写に続けてページを捲るのを躊躇うほどでしたが、そのラッシュを過ぎると虚実とりまぜたような内容にぐんぐん引き込まれていきます。


TVをつければ必ず目にする情報番組のキャスターやサブである女子アナウンサー、お天気やスポーツ担当の女子アナの存在は外見的にはとてもきらびやかです。


そのうちの3人の女子アナと1人のキャスター、そして彼らのスキャンダルを追う週刊誌の記者を軸に、その表裏の顔に容赦ないスポットライトを当てて話を展開させています。


上述のように上巻は風俗小説と紙一重でしたが、下巻は性的スキャンダルによって降板を余儀なくされ一時は自殺も考えた女子アナの再起の物語を主軸に、メインのキャスターの覚せい剤による逮捕をからませた週刊誌ネタ満載の物語を構築、現実にありそうな臨場感溢れる場面の連続で読み手の興味を誘発するテクニックはさすが。


一時はスキャンダルの渦に呑み込まれながらも自分たちの現状を厳粛に受け止め、前向きの一歩を踏み出す人、法の下で余儀なく更生を目指す人、他人のスキャンダルを利用して逞しく別の世界に船出する人などさまざまな再起のその後に光明を感じさせるところでの幕の閉め方がこのスキャンダラスな内容の作品全体のイメージを和らげているところ、柳美里の筆力を感じました。

大阪に本社のある電器メーカーに勤めていた夫は新卒で数年本社で企画を担当したのち、初めて営業マンとして赴任したのが岡山でした。


スタートの岡山には4年ほどいてその後は全国を転々と移動し現在にいたっていますが、その若い独身時代に職場でご一緒だった先輩が先日亡くなられました。


岡山は温暖で比較的災害にも縁が薄い土地柄のせいか、元職場の方々の中には岡山に縁故がなくても退職後の永住の地として岡山を選ばれている方が多く、OB会主催のゴルフ大会などの行事も多彩です。


その先輩は九州のご出身だそうですが岡山時代に職場結婚されたので、長い海外赴任の後の退職後は奥様のご実家のある当地に居を構えていらっしゃいました。


お悔やみに伺った夫は長い看病で憔悴された奥様と若き時代の思い出話を思う存分して帰ったそうです。


苦しい闘病生活でも何一つ愚痴をこぼさず最期まで痛みや苦しみを口にされなかったばかかご自分亡き後の奥様のことをとても心配されていたそうです。


先日読んだ『新・がん50人の勇気』に登場された多くの著名人と同様、その先輩の死に向かっての姿勢に胸がいっぱいになり、おのずとそばの夫に視線を移すと・・・

「すんません、痛いだの痒いだのすぐ口に出すガマンのない夫で」とわが非難を察知したなのような一言。

「闘病中はあえて私に当り散らし、不本意にも最期の最期まで痛い痒い苦しいを連発して人間味を演出することに最大限努力して範を示してくれたすばらしい夫でした、と言うから大丈夫よ」と私。


かくいう私もどうなるか正直自信がありません^^;



さて今日は柳美里氏著『声』をご紹介します。

本書に登場する東氏もまた苦しい闘病生活の中で生に対して決して諦めることなく最期まで果敢に厳しい治療に挑戦し続けた人でした。


あるSNSで親しくしていただいていて私とは全く異なる硬派の読書傾向を持つsyugenさんが著者の『命』のレビューを書かれていたのがあまりにもミスマッチで珍しく、コメントを交換しているうちに刺激されて『命』に続く一連のシリーズ『魂』『生』『声』を再読してしまいました。


そのsyugenさんの『声』のレビューはこちら→

数年前書いた私の『命』のレビューと共に読んでいただければ嬉しいです。 


さて本書『声』は『命』シリーズの最終章です。


『命』に始まる4部作は、簡単に記すと、作家・柳美里の生みの親であり、恩師、恋人であった劇団「東京キッドブラザーズ」の主催者・東由多加と柳美里、そして一時期柳の恋人だった別の男との間にできた子ども・丈陽の、東が食道ガンで亡くなるまでの壮絶かつ濃密なドキュメンタリーです。


本書『声』では、東と恋人として、恩師として、友人としての常識の範疇を越えたような奇妙な交わり方をしていた過去のさまざまな回想シーンをフラッシュバックさせるという手法を編みこみながら、彼が亡くなってから四十九日までの日々の出来事と危うい心模様を詳細に日記形式に綴っています。


柳美里に関しては複雑な生い立ちからの影響か、エキセントリックともいえる人となりや時としてマスコミの格好の俎上に上がる話題を通して拒否感を持つ方も多く過去の作品への評価も賛否両論、私も何編か読んでいますが、感覚的な共感の乏しい作品という印象を持っていました。

ですが、このシリーズではデッドラインを綱渡りするような危うさの中で浮き彫りになった命の重みともいうべき命題の前で言葉にできないような読後感を味わいました。


死に逝く人をここまで全身全霊で引き止め求める魂というものが存在することに感服です。


「私はあと二年で死んでもいいですから、東由多加を二年生かしてください。なんとか子どもと東由多加と三人で二年間生きたいです」と祈る柳に対して

「何としても子どもにヒガシさんと発音できるようになるまで生きるつもりだよ」と約束する東。


劇団主催者とその劇団の研究生として18年前知り合ったとき、柳は16歳、東は39歳。


幼稚で破廉恥な恋の鞘当てを繰り返した果てに行き着いた片方の闘病ともう片方の出産。

どのような解説や推量も当てはまらないような2人の深い絆は、もし東が元気でそして柳が不倫の子を出産していなければどのようなかたちに変質していたのか、という疑問はのみ込んだ上で、ただ圧倒されます。


ずっと在日という錘をうちに抱えながら生まれた子どもを日本人として育てるという選択をした著者ですが、このシリーズのあと五輪マラソンランナーを目指していた祖父を題材にした長編『8月の果て』を発表して祖父を通して祖国に近づいているように見受けられます。


反面、私生活では日常を綴ったご自身のブログの息子の虐待と見紛う表現が問題視されブログ炎上、それを題材に『ドキュメント「児童虐待」』を「G2」に発表するなど危うさを秘めた逞しさを感じさせる現在です。


自殺願望の強かった少女は「書くこと」で危機を脱しているように見えることは嬉しいことです。

世の中の推移もさることながら年齢や自分を取り巻く環境の変化などにより、どんどん価値観が変わり、思わぬ許容範囲が広がったり、逆に狭まったりするのを感じることはありませんか。


その中でも変貌せずに残っている芯のようなもの、それが本当の自分の姿だと再認識したりの繰り返しの日々を過ごしています。



今回取り上げる柳美里氏著『命』は2年ほど前に読んだ作品ですが、もしもっと前に読んでいたらただ単にエキセントリック&スキャンダラスな内容と捉えていたかもしれません。


妻子ある男性との恋愛の末の妊娠と別れ、10年間共棲みした師であり恋人でもあった東由多加氏の癌発病と闘病、そして出産、生まれくる命と消えゆく命のはざまで描いた問題作で、同時進行の形で「週間ポスト」に連載したものをまとめたのがこの作品です。



当時我が家は私の発病に加えて夫の癌発症で、かなりの精神的ダメージを受けていました。


夫の治療方針を求めてあらゆる情報からひとつの治療を選択しましたが、それが「命」の東氏と柳氏が選択された治療と同じものでした。


ここに出てくる癌闘病に関するあらゆる情報及び病気に関する心理状態もすべて共感できるものだったのです。


柳氏の作品は『家族シネマ』『ゴールドラッシュ』など以前に数点読んだことがありますが、破綻に繋がるような身辺の問題を多く抱えてそれが独特な形で作品に投影されているようで拒否反応が起こるような印象でしたが、この『命』に続く連作『魂』『生』『声』の4部作は内容もさることながら、柳氏の表現を借りれば、ことばが暗闇から立ち上がって迫ってくる、そんな印象でした。


文芸評論家の清水良典氏が「スキャンダルを超えて、この手記は聖なるドラマに到達してしまった」と「論座」で述べられていましたが、読破に耐えうるスキャンダラスな内容とでもいうのでしょうか。


社会通念から大きく外れてはいるものの彼女の命がけの、そして傷だらけの家族再生の物語であることにはまちがいないでしょう。



「東が癌にならなければ、わたしは堕胎していたかもしれない。

ひとつの命の終わりを拒絶した者に、どうしてもうひとつの命のはじまりを奪うことができるだろうか。

生と死がくっきりとした輪郭を持って迫ってきたとき、胎内の子と東のふたつの命を護らなければならないという使命感にも似た感情に激しく揺さぶられたのだ」


「たいせつなものは、失いかけたときにはじめて、いかに失ってはならないものだったかということを思い知らされるのだ。

・・・いま、わたしのてのひらの隙間から時間の砂がこぼれている。

・・・東もわたしも余命という言葉が嫌いだった。

余命などというものは存在しない。命ある限り、命が尽きるその瞬間まで生きるだけだ。 

一月末の明るく寒い日、東と丈晴の命のあいだで、そのどちらともに引っ張られ、千切れそうになりながら、わたしは生きていた」
         


そして時は流れて今、自殺願望が強かった危ういひとりの在日韓国人二世柳美里は、ひとりの母として危なっかしいながらも大地にやっと双葉を出したところではないでしょうか。


彼女の子育てに関してはマスコミがこぞって拾い上げるような後日談がいくらもあるようですが、それを差し引いても彼女のひたむきさには敬意を表したくなります。


そのエキセントリックな生き方は万人向けではないし、決して身内や友人には持ちたくない範疇に入りますが、少なくとも東を何とか生かしたい、共に3人で歩みたいという一生懸命さが胸にまっすぐに伝わってきたのは事実です。


この作品を通して、分類できない強い愛のかたちがある、ということに強く突き動かされました。 

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