先日、往復交通費&旅館一泊込みで8800円という激安バス旅行企画で兵庫県美方郡にある湯村温泉に仲間8人で行ってきました。
湯村温泉といえば吉永小百合さん主演の「夢千代日記」で有名になった舞台。

古い映画ですが、胎内被爆した被爆二世の吉永演じる芸者・夢千代の物語で原作は脚本家の早坂暁さん。
温泉街を散策していると中心部である荒湯のそばに吉永小百合さんをモデルにした「夢千代の像」や、資料館とは名ばかりの夢千代関連の写真が飾られた「夢千代館」があったりと、温泉街は夢千代一色でした。
卵や野菜などを茹でたりできる町の細長い側溝にある98度の熱泉・荒湯で半熟ゆで卵を茹でたり足湯をしたりと楽しい散策。
女性、男性と部屋別に別れて女性陣のおしゃべりは止め処もなく深夜3時にやっとお開きになったので、翌日の帰路は自分も含めバスで爆睡していました。
値段の割にとても充実した2日間、最近このような安価な旅企画が増えて嬉しいことです。
さて本日は上原隆氏著『こころが折れそうになったとき』をご紹介したいと思います。
「不況に震災が重なり、『苦難』に直面する人が増え続けている。
人生の様々な苦難に遭遇した人たちへのインタビューを続けてきた著者が考える、いまを生き抜くための「すべ」とは?
先が見えない時代だからこそ、『私』を見つめ、『私から始める』ことの大切さを綴る、不思議な浸透力に満ちた一冊」
著者の他作品では『友がみな我よりえらく見える日は』と『喜びは悲しみのあとに』をそれぞれアップしていますので、よろしかったら見てください。
こうして過去の著者の作品のタイトルを見ると、それぞれのネーミングが魅力的ですね。
私を含め、何だか心を捉えるネーミングに惹きつけられて手にされた読者の方も多いのではないでしょうか。
本書も含め過去の作品集は、著者が実際に出会ったり、あるいは本を通して出会った有名無名の人々の生き方・考え方を通して著者自身の人生観を再確認するというか人生について考察していくという形式で、「ノンフィクション・エッセイ」という分野だそうです。
本書でも実際に障害を持った子どもの世話に明け暮れた人生を送られた小説家・打海文三氏や、自身の哲学的考察を著した著書『自殺という生き方』を自ら証明するために自死という道を選ばれた哲学者・須原一秀氏についての文章がたいへん衝撃的でした。
前者の打海文三氏は本書の著者の「将来、自分が歳をとったときのことを考えたら、暗たんとした気持ちにならないですか」という質問に対し、「将来のことを考えては今日は生きられない」と答えていらっしゃいます。
障害者の子どもと人生を伴走していらっしゃる方の大半は自分亡き後の子どもの将来に暗澹たる不安を抱きながら今を大切に過ごすことを命題としていらっしゃることは想像に難くありません。
「将来のことを考えては生きていけない。
昨日の小さな喜びを今日につなげ、今日の喜びを明日につなげるようにして生きて、その先に将来はある」という言葉は、人より前へというスタンスを貫こうとすれば「明日」という未来でのより進歩した自分を目標に「今日」を必死に努力する姿が賛美される現社会において、刹那的とも解釈されますが、「今日」を「明日」の手段にする生き方―言い換えれば「今日」を「明日」より軽んじる生き方―を戒める言葉として私の胸に重く響きました。
「今日」という一日が最大の幸せな日になるよう大切に過ごしたいと思いました。
湯村温泉といえば吉永小百合さん主演の「夢千代日記」で有名になった舞台。


古い映画ですが、胎内被爆した被爆二世の吉永演じる芸者・夢千代の物語で原作は脚本家の早坂暁さん。
温泉街を散策していると中心部である荒湯のそばに吉永小百合さんをモデルにした「夢千代の像」や、資料館とは名ばかりの夢千代関連の写真が飾られた「夢千代館」があったりと、温泉街は夢千代一色でした。
卵や野菜などを茹でたりできる町の細長い側溝にある98度の熱泉・荒湯で半熟ゆで卵を茹でたり足湯をしたりと楽しい散策。

女性、男性と部屋別に別れて女性陣のおしゃべりは止め処もなく深夜3時にやっとお開きになったので、翌日の帰路は自分も含めバスで爆睡していました。
値段の割にとても充実した2日間、最近このような安価な旅企画が増えて嬉しいことです。

「不況に震災が重なり、『苦難』に直面する人が増え続けている。
人生の様々な苦難に遭遇した人たちへのインタビューを続けてきた著者が考える、いまを生き抜くための「すべ」とは?
先が見えない時代だからこそ、『私』を見つめ、『私から始める』ことの大切さを綴る、不思議な浸透力に満ちた一冊」
著者の他作品では『友がみな我よりえらく見える日は』と『喜びは悲しみのあとに』をそれぞれアップしていますので、よろしかったら見てください。
こうして過去の著者の作品のタイトルを見ると、それぞれのネーミングが魅力的ですね。
私を含め、何だか心を捉えるネーミングに惹きつけられて手にされた読者の方も多いのではないでしょうか。
本書も含め過去の作品集は、著者が実際に出会ったり、あるいは本を通して出会った有名無名の人々の生き方・考え方を通して著者自身の人生観を再確認するというか人生について考察していくという形式で、「ノンフィクション・エッセイ」という分野だそうです。
本書でも実際に障害を持った子どもの世話に明け暮れた人生を送られた小説家・打海文三氏や、自身の哲学的考察を著した著書『自殺という生き方』を自ら証明するために自死という道を選ばれた哲学者・須原一秀氏についての文章がたいへん衝撃的でした。
前者の打海文三氏は本書の著者の「将来、自分が歳をとったときのことを考えたら、暗たんとした気持ちにならないですか」という質問に対し、「将来のことを考えては今日は生きられない」と答えていらっしゃいます。
障害者の子どもと人生を伴走していらっしゃる方の大半は自分亡き後の子どもの将来に暗澹たる不安を抱きながら今を大切に過ごすことを命題としていらっしゃることは想像に難くありません。
「将来のことを考えては生きていけない。
昨日の小さな喜びを今日につなげ、今日の喜びを明日につなげるようにして生きて、その先に将来はある」という言葉は、人より前へというスタンスを貫こうとすれば「明日」という未来でのより進歩した自分を目標に「今日」を必死に努力する姿が賛美される現社会において、刹那的とも解釈されますが、「今日」を「明日」の手段にする生き方―言い換えれば「今日」を「明日」より軽んじる生き方―を戒める言葉として私の胸に重く響きました。
「今日」という一日が最大の幸せな日になるよう大切に過ごしたいと思いました。