VINのらんどくダイアリー

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カテゴリ: な行ーその他

梅まっさかり

わたしが少女だったとき、周りの大人たちは世の中の出来事をほとんど

把握していて、困りごとの解決法や昔からのしきたりや作法などに

精通していると勝手に思い込んでいました。

 

ある年齢になって改めて周りを見回すと・・・

あれほど大人にみえた母も姉も自分とほとんど変わらない

ということに驚きました。

 

そして・・・現在、子どもたちを筆頭に若い人々から

さまざまなことを聞かれてもさっぱり答えられない自分がいて驚くばかり。

 

知っていることのあまりの少なさに唖然としてしまう。

 

「大人」が手をさしのべる?

ちょっと待ってくれ。

大人とは誰だ。

 

上記は中島らも氏のエッセー集『砂をつかんで立ち上がれ』の一文。

 

朝日新聞の「折々のことば」で紹介されていたもの。

 

人というのは、迷い、挫け、おろおろしたあげく、

「生きるというその路上において、たった一人で

ぽつんと立ちつくしている子ども」のようなものだという。

 

だから「大人」なんて存在しない。

 

「大人」とは、その「迷い子」が何をまちがえたか、

「愚鈍と忘却と教条」でみずからを弄んだ末のその「なれの果て」

でしかない・・・と続きます。

 

たしかに・・・自分を顧みてもいっぱしの〈大人〉という鋳型に嵌めるには

あまりにも稚拙という感じがして気恥ずかしくなってしまう・・・

 

中島らも氏の戸惑う気持ちがよく理解できます。

 

1984年朝日新聞に連載されていたらも氏の「明るい悩み相談室」を通して

ファンになったらも氏の生き方に興味があって、
作品を読み漁っていた時期があります。

 

本質的には繊細な男の子、過保護に育てられたお坊ちゃまを絵に描いたような・・・
尼崎の歯科医のぼんぼん、名門・灘中学に
150人中8位の好成績で合格したのは有名な話。


灘高時代になるとバンド活動、シンナー、アルコール、鎮静剤、睡眠薬、大麻などに
耽溺、急降下の成績の末お情けで卒業。


ヒッピー、フーテンなどの名をほしいままの生活の中、大阪芸大に入学し卒業と同時に
高校時代ジャズ喫茶で知り合った美代子夫人と結婚、

長男、長女の父親となります。

よく父親になったものだなぁと思ってしまう。

 

縁故入社した会社の社員として数年働いた末、コピーライターとなったあとの
破滅的生活については『バンド・オブ・ザ・ナイト』に詳しいですが、
らも氏死後美代子夫人による『
らも―中島らもとの三十五年』にも書かれています。

 


さて、らも氏について書き出すと劇団『リリパット・アーミー』時代のわかぎゑふとの
恋愛など、とめどなくなりそうなのでこの辺で本日ご紹介のレビューに移ります。

 

あふれる家

中島さなえ氏著『あふれる家』
 

中島らもを父にもつ著者が、はじめて自身の破天荒でファンキーな「家」を舞台に、世にも奇妙な小4の夏休みを描いた書き下ろし自伝的長編(「BOOK」データベースより)

 

稲葉家は、父さんと母さんと明日実の3人家族だけど、

家にはいつも人があふれている。

誰とも知らない人があふれた部屋で両親がどこで寝ているのかもわからない。でもそれが普通だと思っている。

 

わたしは小学校に上がるまで、どこの家も満員御礼で暮らしているのだと疑っていなかった。

しかし、周りの人に話を聞いたり、テレビ番組を観たりしているうち、

どうもうちは他と違って風変わりなのかもしれないと
段々気がついてきた。
他の人の家では、よく知らない大人たちに交じって、

父さんと母さんがどこに寝ているかわからない、

などということはないのだと。

 

本書は稲葉家のひとり娘である小学4年生の明日実のひとり語りで綴られた
自伝的小説となっています。

 

もうすぐ夏休みになるというのに、父さんはいつもの放浪の旅で行方知れず、
母さん事故で足を骨折し入院してしまいます。

「ユタとハルねえがいないあいだ、明日実ちゃんをどうするのか」

「ユタ」は父さん、「ハルねえ」は母さんのニックネーム。

稲葉家に何かが起こったときは、その場にいる人たちで解決するのが
稲葉家のルールだという

バンドマンのトキオ、薬剤師のアキちゃん、自動車整備工場員のモリモさん、
考古学者の天堂さん、見知らぬ外国人たち・・・

稲葉家をたまり場として集まっているこれら風変わりな大人たちのなかで
逞しく、想像力豊かな少女に育っていく明日実のひと夏の物語。

小説としてデフォルメされているとはいえ、一時期のらも家もきっとこんなだったんだろうな、
と想像できてなんとなく切なくなってしまう。

2004年に亡くなったらも。

はしご酒の末飲食店の階段から落ちて全身と頭部を強打、脳挫傷により死亡。

らもらしい最後と思えばやはり切ない。

享年52歳、早すぎる死ではありますが、あらゆることをなにものにも縛られず、
奔放に経験してきっと本望だったと勝手に思っています。

ひとり娘・中島さなえ氏の作品のレビューがあらぬ方向へ飛んでしまいましたけど、
今日はこれにて失礼します。

 

興味ある方、らも、美代子、さなえ氏のそれぞれの作品を
手に取っていただければ、と思います。

十月桜

さ別れの日は遠からじ道の辺の十月桜のうすきももいろ


 

国連で3年前に採択された「核兵器禁止条約」。

 

批准を終えた国や地域が既定の50に達したというグッドニュース!

 

来年1月22日には発効となるそう。

 

やっとここまで・・・という喜びとともの日本のことを考えると複雑な気持ちになる。

 

条約の前文には広島・長崎の被爆者に寄り添った文言に続いて、あらゆる核兵器の使用は「人道の諸原則及び公共の良心にも反する」と断じています。

 

グテーレス国連事務総長が語る「世界的な運動の集大成」と位置づけるこの条約に唯一の被爆国・日本が加わらないという・・・あり得ないこと。

 

核兵器禁止条約交渉の日本の空席に折鶴の(もだ)



抑止力というけれど、すべての国が核を持たなければ抑止力もなにもないという単純明快な結論に立ち返ってほしい・・・人間が作ったものに人間が滅ぼされるというあまりにも愚かな結果を想像して、一日も早く全世界が共に核を廃絶して平和を目指すというシンプルな道を選択してほしいと願うばかりです。 

 

陶然と那智滝ながめ「戦争」が死語となる日を夢見てゐたり

(梧桐)

 

 

影裏

さて本日は
沼田真佑氏著『影裏』のご紹介です。 

大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。交差する追憶と現実。

157回芥川賞受賞(「BOOK」データベースより)


著者について

1978年北海道生まれ、岩手県盛岡市在住

2017年レビュー作『影裏』で123文學界新人賞&157回芥川賞受賞。


2020年2月には大友啓史監督のもと、綾野剛&松田龍平のダブル主演で映画化もされたようです。

なんの先入観もなく読み始めて・・・


思わぬ深みのある作品だったので珍しく直後に
2度読みしてしまった。


勢いよく夏草の茂る川沿いの小道。

一歩踏み出すごとに尖った葉先がはね返してくる・・・

しばらく行くとその道がひらけた。

行く手の藪の暗がりに、水楢の灰色がかった樹肌が見える。


のっけから自然豊かな岩手の生田川沿いの風景が描写が続き、それが平易とはいえない技巧を感じさせる文章、生い茂った草木の間から川の煌めきが迫ってくるよう。


あらすじを要約すると、東京本社から盛岡の関連会社に出向となった主人公
・今野と、その職場で同僚となった同い年の日浅というふたりの男の交流と別れを描いた中篇小説。


一読すると釣りの雑誌に掲載されるような渓流釣りの体験記と見紛ってしまうかもしれないような作品。


ふたりの共通の趣味である酒と渓流釣りを軸に、地方の人工的な手の入っていない景色やふたりの間で交わされる会話、そして主人公・今野の視線を通して輪郭が浮きぼりにされる日浅。


ところどころに見逃すような小さな文言がさりげなく置かれていて、それが主人公の生き方に大きな影響を与えているものだったのか、と本を閉じたあとに気づく。


人間の心の内面や現代社会が抱えるテーマを巧みに取り入れた

“純文学の傑作”との呼び声が高


それが一部のこの感想を引き当てているのかもしれない。


ひとつの大きな主題になりがちな事柄を何気ない文章の間に埋もれさせるように置いて、手繰り寄せることができない読者には単なる友情物語として、手繰り寄せた読者には特別な関係性の物語として読むよう示唆しているような・・・


手練れといっても過言でない新人作家さん。


ラスト近くには東日本大震災を登場させて、そこから一気に日浅の陰の部分が詳らかになっていく・・・。


内包するものをあえて軸にすることなく小道具のように片隅に置いた物語の作り方を評価するかどうかがレビューの
★の数の多い少ないの分かれ目のような作品。


わたしはかなり高評価でありました。

まだ油断ならないコロナ禍のなか、世の中が徐々に動き始めたのはいいけど、東京では見逃せない数値の罹患者。

 

比較にはなりませんが、当地でも1人。

 

 

経済を回すためにさまざまなお店も工夫を凝らして再開しているようですが、なかなか不安は去らない。

 

わたしはといえば、仲間との卓球も外食もスタート。

 

先日は久しぶりに友人とも旧交を温めました。

 

久しぶりなのでちょっとレベルアップしたフレンチのコースランチを奮発して、溜まっていた話・・・お互いの近況の報告、政治の話、音楽の話、社会貢献の話・・・これができる若い友、楽しく過ごしました・・・どちらかがコロナだったら確実に手渡しているけど。

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小屋を燃やす
南木佳士氏著『小屋を燃やす』

 

思い起こされる幼年時代、患者の最期を看取る医療と作家業の両立の無理からの発病…その日その日を生きのびるために、畔を歩き、四股を踏む。たぶん、答えはあらかじめからだのなかに用意されていたのだろう。南木物語の終章。信州の総合病院を定年退職した。同時代の男たちとイワナをつかみ獲り、小屋を造って集い、語り、そして燃す。生死のあわいをおだやかに見つめる連作短篇集―医師として生死を誠実に見守りつづけた著者にしか描きえぬ、幽明境を異にした者たちとの饗宴。充実の最新作品集(「BOOK」データベースより)

著者について

1951年群馬県に生まれる

現在、長野県佐久市に住む

1981年内科医として難民救援医療団に加わり、タイ・カンボジア国境に赴

1981年『破水』で第五十三回文學界新人賞受賞

1989年ダイヤモンドダストで第回芥川賞受賞

2008年『草すべり その他の短篇』で第三十六回泉鏡花文学賞芸術選奨文部科学大臣賞受賞


信州の佐久で長く医療に携わっておられた著者。

芥川賞を受賞される前後からパニック障害を発症、鬱病へと移行して長く付き合いながら内科医として働いておられました。

1995年刊行の『阿弥陀堂だより』をきっかけにファンとなり読み継いできました。

特に自然豊かな信州での日常を背景に繰り広げられるさまざまな患者や周りの人々との間で交わし合うゆっくりとした滋味のある会話や人生の機微を描いたエッセイを通して、その飾らない素朴な人間性に魅力を感じていました。

 

いころ母を亡くし婿であった父の元から離れて、姉と2人で貧しく厳しい祖母のもとで長じた著者。

本書は定年後の著者の日常を描いた最新版の短篇集。

「畔を歩く」「小屋を造る」「四股を踏む」「小屋を燃やす」の4篇が収録されています。

精神的に過酷だった仕事から解放されて大好きな自然に融け込み、山に生きる男たちとゆったりとした日々を慈しみながら共有する姿を通して自分の心身も浄化されるような内容です。

なんと豊かな日常!

いままで誠心誠意与えられた仕事に向き合い、常に様々な死と直面した著者に神ともいえる大いなる自然が「ごくろうさま」と与えてくれたような珠玉の時間。

仲間ともいえる素朴な山の老人たちと釣りをしたり、山に登ったり、集って酒を酌み交わしたり、料理をしたり・・・

力を合わせて小さな小屋を造ったとき5人いた仲間はやがて3人になり・・・

あの世へ旅立った2人の仲間を携帯電話で呼び出して酒を飲んだり・・・

 

こういう文章を読んでいると、生と死の境目のなんとおぼろなことか、と感じます。

 

そして6年後、仲間とともに造った小屋を生き残った仲間とともに解体して燃やす・・・幽玄の世界の出来事のよう。

 

永遠に少年のままの仲間たちがトム・ソーヤの冒険小屋のような基地を造って、あと処理もする・・・

男の子の世界っていいな~と思えるのはこんなときです。

桜の芽

言い訳はしないでおかう公園の桜の花芽もいまだ固くて




映画『つつんで、ひらいて』を観てきました。

あふれでることばをおさえてつつむ

ひっそりと鎮ることばをやさしくつつむ

作品の行間から主張するようなことば、問いかけるような言葉、やさしい言葉、切ないことばなど数多の言葉の群れを大きくて厚いてのひらでつつみこむ作業。

それをひらくのはわたしたち読者

数多くの書籍の装幀を手掛けてこられた装幀者菊地信義氏と、本作りに情熱を注ぐ人々の姿を描くドキュメンタリー。

 

40年以上、日本のブックデザイン界をけん引してこられた装幀者仕事ぶり通して表紙に込められた菊地氏の想いを照らしています。

 

歌集として空前のベストセラーとなった俵万智のサラダ記念日をはじめ、古井由吉、大江健三郎、浅田次郎、平野啓一郎などの1万5,000冊以上もの書籍をデザインしてきたという菊地氏

 

あの本も、この本も・・・とわたしの記憶の中からカバーが立ち上がってくるよう。

 

切り貼りしたり、位置をずらしたり、大きさを変えたりなど意外にも細かい手作業の中、クローズアップされたその無骨な指先が手がける作品と徐々に呼吸を合わせていく様子はまるで手練の手品師のような指さばき。

76歳になられる氏は、あれほどの優れた作品を生み出しているのにいまだ達成感がないという。

大学1年のとき偶然出合ってこれからの歩みの指針が灯ったというモーリス・ブランショの『文学空間

そして、半世紀以上という気の遠くなるほど長い歳月を経て、再び運命のモーリス・ブランショの書物と対峙することができたのでした。

『終わりなき対話 Ⅲ 書物の不在(中性的なもの・断片的なもの)』の装幀。

書店でじかに手に取って触ってみたい・・・本への愉しみがまたひとつ増えました


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さて本日は
中島京子氏著『樽とタタンです。


あの店に来ていた人たちは、誰もがどことなく孤独だった。              小さな喫茶店でタタンと呼ばれた私が、常連客の大人たちから学んだのは、愛の不平等やしもやけの治し方、物語の作り方や別れについて。               甘酸っぱくてほろ苦いお菓子のように幸せの詰まったものがたり


ちょっと不思議な物語です。

小川洋子氏の作品と似た雰囲気の作品。


タイトルをみて、お菓子好きな方はすぐ〈タルトタタン〉を連想されたことでしょう。

リンゴをタルト生地にまぜた甘いケーキ。

昔作ったことがあったっけ。


家庭の事情で大きな樽のある喫茶店で日中を過ごすことになった女の子。

喫茶店の常連の老作家からタタンというあだ名をつけられた女の子。

3歳から12歳までの9年間、学校帰りに毎日行っていた赤い大きな樽のある喫茶店での思い出を語る連作短編集。


カフェ全盛時代のいまではほとんど見られなくなった昭和の香り漂う喫茶店でタタンが知った大人の事情や大人という存在の切なさ、優しさなどがタタンの視線を通して語られていてなんだか懐かしい物語と出会ったようなノスタルジー豊かな物語。

よかったらどうぞ。

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心地よき言葉にすがるの夜 閉ぢし手紙を幾度も開き

 
闇の中にうごめく無数の言葉たち信じたときだけ光る幾ひら

 

 

友人とドキュメンタリー映画「がんと生きる 言葉の処方箋」を観にいきました。

 

主催は「がん哲学メディカルカフェ:ひだまり」。

 

「がん哲学メディカルカフェ」というのは元順天堂大医学部教授樋野興夫が平成20年に開設された医学と哲学を結びつけた「がん哲学外来」共鳴した人々が各地で定期的に集まる場のこと


創始者・
樋野興夫氏の弛まぬご尽力で10年の間に全国的な広がりを見せています。


人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、「人生の方からは期待されて
いる存在」であると実感する深い学びの時が与えられている。

その時、「その人らしいものが発動」してくるであろう。

「希望」は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」行為を起こすものであろう。

「自分の命より大切なものがある」は、「役割意識&使命感」の自覚へと導く

 

 

またこの映画を上映するに当たっての樋野興夫氏からのメッセージ。

 

副作用はゼロ!この映画は人生を変える「言葉の処方箋」です。

がんに悩む人々が元気になるその瞬間、映画空間が明るく人々に語りかける。

 

病に苦しむ全ての人々に贈る映画。

 


人生百年時代といわれている今、生の長い道のりの間にはみんななんらかの病気を経験します。

軽重はあるものの最後には死に至る道筋での病気・・・この映画は一応「がん」という名前がついているものの、治癒が捗々しくない病気に見舞われたとき、人はさまざまな外的内的な苦しみを経験すると思います。

 

健康にあふれているときには思いもしなかった感情に押し流されそうになったり、失ってしまったものを取り返そうと必死になる期間を経て、諦めや失望、絶望を感じたり・・・・病気に限らず、一生のうちには思いもかけない険しい現実に押しつぶされそうになったりします。

そんなときのための処方箋がいっぱい詰まった映画でした。

人事を尽くして

心の中でそっと悩む

なるようにしかならないから

 

本当に大切なものは

ゴミの中にある

 

解決はできなくても

                              解消はできる

 


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今回は
中川越氏著『すごい言い訳』をご紹介します。 


人生最大のピンチを、文豪たちは筆一本で乗り切った
愛すべき文豪の「ダメぶり」と「弱さ」を読むトンデモ書簡集。              浮気を疑われている、生活費が底をついた、原稿が書けない、酒で失敗をやらかした……。                               窮地を脱するため、追い詰められた文豪たちがしたためた弁明の書簡集。    芥川龍之介から太宰治、林芙美子、中原中也、夏目漱石まで、時に苦しく、時に図々しい言い訳の奥義を学ぶ

 

後世に文豪といわれた作家たちが友人や家族、編集者などに宛てた書簡を通して文豪たちの隠れた人間性を紐解くというもの。



あの人もこの人も・・・なんと臆面のない言い訳の数々。



とてもおもしろい読み物でした
(^.^)



作品から伝わってくる人柄と言い訳文から伝わる人柄との乖離が甚だしかったのは宮澤賢治。  


このブログでも評伝的小説である
門井慶喜『銀河鉄道の父』を取り上げていたので、「雨ニモマケ・・・」のイメージからかなりかけ離れた宮澤賢治を認識してはいたのですが、本書でも三十路になりながらへ堂々と金の無心をする賢治はやはりお坊ちゃまの放蕩息子というべきか・・・などと思ってしまう。

「働けど働けど・・・」の石川啄木はわたしの好まない男性像NO1ですが、やはり作り話で同情を買い遊興のために借金を積み重ねる啄木の餌食となった親友・金田一京介には同情を禁じえませんでした。

中原中也もわたしの中で好まない系男の順位が高い人ですが、泥酔の果てに周りの人々を傷つけ、あげくの果て反省を表す「一人でカーニバル」の文言は傑作中の傑作。


また逆に様々な作品を通して誠実なイメージを抱いていた小林多喜二や吉川英治、藤沢周平はやはりそのイメージ通りという感じ。


中でも一章を別枠で設けてその存在を際立たせている夏目漱石に関しては繊細なのか大胆なのか捉えるのに迷うようなエピソードの数々に翻弄される面白さ。

 


最後にその人となりを物語っている目次-ざっと目を通すだけでも愉しい-を添付して本書のレビューを終えるとします。


第一章 男と女の恋の言い訳

フィアンセに二股疑惑をかけられ命がけで否定した 芥川龍之介
禁じられた恋人にメルヘンチックに連絡した 北原白秋
下心アリアリのデートの誘いをスマートに断った言い訳の巨匠 樋口一葉
悲惨な環境にあえぐ恋人を励ますしかなかった無力な 小林多喜二
自虐的な結婚通知で祝福を勝ち取った 織田作之助
本妻への送金が滞り愛人との絶縁を誓った罰当たり 直木三十五
恋人を親友に奪われ精一杯やせ我慢した 寺山修司
歌の指導にかこつけて若い女性の再訪を願った 萩原朔太郎
奇妙な謝罪プレーに勤しんだマニア 谷崎潤一郎
へんな理由を根拠に恋人の写真を欲しがった 八木重吉
二心を隠して夫に潔白を証明しようとした恋のモンスター 林芙美子

第二章 お金にまつわる苦しい言い訳

借金を申し込むときもわがままだった 武者小路実篤
ギャラの交渉に苦心惨憺した生真面目な 佐藤春夫
脅迫しながら学費の援助を求めたしたたかな 若山牧水
ビッグマウスで留学の援助を申し出た愉快な 菊池寛
作り話で親友に借金を申し込んだ嘘つき 石川啄木
相手の不安を小さくするキーワードを使って前借りを頼んだ 太宰治
父親に遊学の費用をおねだりした甘えん坊 宮沢賢治

第三章 手紙の無作法を詫びる言い訳

それほど失礼ではない手紙をていねいに詫びた律儀な 吉川英治
親友に返信できなかった訳をツールのせいにした 中原中也
手紙の失礼を体調のせいにしてお茶を濁した 太宰治
譲れないこだわりを反省の言葉にこめた 室生犀星
先輩作家への擦り寄り疑惑を執拗に否定した 横光利一
親バカな招待状を親バカを自覚して書いた 福沢諭吉
手紙の無作法を先回りして詫びた用心深い 芥川龍之介

第四章 依頼を断るときの上手い言い訳

裁判所からの出頭要請を痛快に断った無頼派 坂口安吾
序文を頼まれその必要性を否定した 高村光太郎
弟からの結婚相談に困り果てた気の毒な兄 谷崎潤一郎
もてはやされることを遠慮した慎重居士 藤沢周平
独自の偲び方を盾に追悼文の依頼を断った 島崎藤村
意外に書が弱点で揮毫を断った文武の傑物 森鴎外

第五章 やらかした失礼・失態を乗り切る言い訳

共犯者をかばうつもりが逆効果になった粗忽者 山田風太郎
息子の粗相を半分近所の子供のせいにした親バカ 阿川弘之
先輩の逆鱗に触れ反省に反論を潜ませた 新美南吉
深酒で失言して言い訳の横綱を利用した 北原白秋
友人の絵を無断で美術展に応募して巧みに詫びた 有島武郎
酒で親友に迷惑をかけてトリッキーに詫びた 中原中也
無沙汰の理由を開き直って説明した憎めない怠け者 若山牧水
物心の支援者への無沙汰を斬新に詫びた 石川啄木
礼状が催促のサインと思われないか心配した 尾崎紅葉
怒れる友人に自分の非を認め詫びた素直な 太宰治
批判はブーメランと気づいて釈明を準備した 寺田寅彦

第六章 「文豪あるある」の言い訳

原稿を催促され詩的に恐縮し怠惰を詫びた 川端康成
原稿を催促され美文で説き伏せた 泉鏡花
カンペキな理由で原稿が書けないと言い逃れた大御所 志賀直哉
川端康成に序文をもらいお礼する際に失礼を犯した 三島由紀夫
遠慮深く挑発し論争を仕掛けた万年書生 江戸川乱歩
深刻な状況なのに滑稽な前置きで同情を買うことに成功した 正岡子規
信と疑の間で悩み原稿の送付をためらった 太宰治
不十分な原稿と認めながらも一ミリも悪びれない 徳冨蘆花
友人に原稿の持ち込みを頼まれ注意深く引き受けた 北杜夫
紹介した知人の人品を見誤っていたと猛省した 志賀直哉
先輩に面会を願うために自殺まで仄めかした物騒な 小林秀雄
謝りたいけど謝る理由を忘れたと書いたシュールな 中勘助

第七章 エクスキューズの達人・夏目漱石の言い訳

納税を誤魔化そうと企んで叱られシュンとした 夏目漱石
返済計画と完済期限を勝手に決めた偉そうな債務者 夏目漱石
妻に文句を言うときいつになく優しかった病床の 夏目漱石
未知の人の面会依頼をへっぴり腰で受け入れた 夏目漱石
失礼な詫び方で信愛を表現したテクニシャン 夏目漱石
宛名の誤記の失礼を別の失礼でうまく隠したズルい 夏目漱石
預かった手紙を盗まれ反省の範囲を面白く限定した 夏目漱石
句会から投稿を催促され神様を持ち出したズルい 夏目漱石
不当な苦情に対して巧みに猛烈な反駁を盛り込んだ 夏目漱石   

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先ごろ恒例の終末時計が「地球最後の日」までの残り時間2分を指した写真と記事が発表されていましたね。

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(以下出典:AFP BB NEWS より引用)


米科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミックサイエンティスツ」が毎号表紙に掲げている「地球最後の日」までの時間を表示する時計がそれ。


この雑誌は原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」に参加した物理学者・ユージン・ラビノビッチらによって1945年に設立されたそうです。


終末時計は米国と旧ソビエト連邦が冷戦状態にあった1947年に残り7分で誕生。



人類が滅亡する「地球最後の日」を午前零時としてそれまでの残り時間を示す時計。


核戦争の脅威を警告するために作ったそうです。


針は情勢によって進んだり、戻ったり。
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核戦争などの危機が高まると針が進み、遠のくと戻る。


これまでに22回修正され、直近では2017年1月、残り2分半まで進みました。


核戦力の増強を唱えるトランプ米大統領就任や北朝鮮の核実験などが理由。


米ソの対立が激化した84年には破滅3分前に迫りました。


これまでで世界滅亡までの残り時間がいちばん長かったのは1991年。


米ソが軍縮条約に調印するという画期的な出来事で17分も針が戻されました。


その後はインドやパキスタンの核実験、北朝鮮やイランの核開発問題、オバマ元米大統領による核廃絶運動、更には日本の福島原発事故、ウクライナ危機などで行きつ戻りつしながら、終末へと近づいています。



加えて気候変動の危機も考慮に入れての残り2分。


昨年と同じ据え置きには各方面からさまざまな意見があるようですが、関係者は最も憂慮すべき事態であるというコメントを出していらっしゃいます。






さて本日は中山七里氏著『さよならドビュッシー』のレビューです。 


「祖父と従姉妹とともに火事に遭い、全身大火傷の大怪我を負いながらも、ピアニストになることを誓う遥。
コンクール優勝を目指して猛レッスンに励むが、不吉な出来事が次々と起こり、ついに殺人事件まで発生する……。
ドビュッシーの調べも美しい、第8回『このミス』大賞大賞受賞作」


2010年の第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作品。



何で今頃?

時代遅れも甚だしいとお思いの皆さま、その通りです。



本書をスタートに多くの作品を発表していらっしゃる中山七里氏。


著者の作品を読むのは初めて(ーー;)




趣味でピアノを再開している娘に先週与えられた練習曲がたまたまドビュッシーの「アラベスク」だったのがきっかけ・・・ちょうど図書館の返却棚にドビュッシーの名前を見つけて手に取ったらこれだった・・・という単純な理由。



「このミス」大賞作品ということで期待感大。


感想はというと・・・


ミステリ部分よりヒロインの弾くピアノ曲の表現部分がとても巧みでメロディが立ち上がって迫ってくるようでした。


著者は多分にクラシック愛好家なんだろうなと思わせる表現。



以前ベストセラーになった『蜜蜂と遠雷』を読んで以来の充実した音楽小説でした。


ミステリとしては・・・謎解きに岬洋介という絵に描いたような容姿端麗頭脳明晰のピアニストを登場させたところ・・・劇画として描けそうなイメージ。


不幸な事故で全身やけどを負ったヒロインが艱難辛苦を乗り越えて目指していたピアノコンクールで優勝。



それも身体の一部が炭化するほどの大やけどを負って日が浅い16歳の少女が短期間でここまで快復できるか、という医学的な疑問は大いに残りますが、著者のクラシック楽曲に対する精緻な分析力とピアノ演奏の描写力のすごさに感服した作品でした。

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