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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 藤沢周平

友人が神戸の病院に術後検診に行くのにかこつけて同行。

三ノ宮を拠点に元町商店街をウインドウショッピング。


小さな手提げ形式のバッグを50%offで買えたりして・・・嬉しい^_^


懐かしい西村珈琲店で休憩したりおいしい中華を食べたり、久しぶりの神戸を満喫しました。


神戸行きの明け方の春雷、そして春一番がかなりの強風で吹き、気象も雨マークだったので不承不承傘を用意していましたが、どうにか持ちこたえて・・・


夫いわく私が悪天候の元凶・・・いつものセリフですけど、春一番まで呼び寄せるパワーが私に備わってきたとは!


この超能力を生かして何かビジネスができないかしら、と思うこの頃ですけど。




さて今回は季節にふさわしいタイトルの作品です。

藤沢周平氏著『早春 その他』


「主流を外れた職場、地方で入婿状態の息子、妻子持ちと交際中の娘。五年前に妻を亡くし、まだローンの残る建売の家で一人、主人公は自分の役目は終ったと感じている。
そんなある日、娘に再婚を勧められ―。
初老の勤め人の寂寥を描く『早春』。
加えて時代小説二作と、作家晩年の心境をうつしだす随想、エッセイを収録」





平成9年の1月に逝去された著者の歿後に刊行されたのが本書。

藤沢氏には珍しい現代小説ですが、初出は昭和62年1月号の「文學界」、古い作品です。


現代小説1篇と時代小説2篇、エッセイ4篇が収録されています。


ここでは主に現代小説「早春」について。


文芸評論家の桶谷秀昭氏が解説の冒頭で次のように述べていらっしゃいます。

「藤沢周平が、もしもはじめから現代小説を書き続けてゐたら、
といふ思ひがこの『早春』を読んだときに胸に浮かんだ。 
この仮定につづく結論は、残念ながらかんばしいものではない。 
彼は無名作家でをはったであらう。 
あるいは、せいぜい、目立たない心境小説の作者としてをはったであらう・・・」


『早春』は凡作である、といわれているようですが、続けて「時代小説の作者藤沢周平が生まれる原因を暗示してゐる」とも記していらっしゃいます。


たしかに時代小説家への素因というのは感じられますが、凡作というのはどうか。


社会の片隅にいる登場人物に光を当ててその人間の根底にあるペーソスを描くということにおいてはいつの時代にも共通するものがあり、著者の筆を通して著されるそれは本書においても成功していると思えます。


妻が病に倒れ、その看病のため転勤を願い出て閑職に追いやられた初老のサラリーマンの主人公。

まもなく妻が死に、長男は地方の大学を出て地元の女性と結婚、不倫相手と生活を共にするため家を出る準備中である長女との2人暮らし。


期せずして徐々に家族が自分から離れゆく過程に孤独を深めていく主人公。


もう戻ってこない早春の日々を妻との思い出を通して回想する初老の男の姿が実際の痩躯の著者と重なって味わい深い内容になっています。

よかったらどうぞ!

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋がやってきました。    


10月末の萩観光をかねた香月美術館への総勢9名の旅の行程などを計画する幹事役になりました。

Fさん、Tさんとともにここ何日か我が家で計画作り。


女性が3人集まると話の枝葉がどんどん分かれての本来の目的と関係のないおしゃべりが大半、楽しい作業でした。


手分けして旅館や観光協会など各方面に問い合わせたり、パソコンで状況を調べたり、電話や2台のパソコンが大活躍。


パソコンが普及していなかった時代はどうしていたのかと首を傾げるほど今はパソコンさえあればほとんどの情報が即座に得られて便利ですね。


ストリートビューで目的場所まで迫ることができるし、計画するだけでもう行った気になれるほど。


反面、旅への郷愁というか未知の場所に対する憧憬のようなものを温める余白のような想像力を育むことができなくなったような気もします。




本日のレビューは、死の直前まで旅に魅せられ日本全国を精力的に旅しながら数々のすばらしい歌を詠み、風のごとく逝った歌人の評伝ともいうべき作品です。


吉川英治文学賞受賞作・藤沢周平氏著『小説 長塚節 白き瓶』


「厖大な資料を綿密に検証」 ― 伊藤桂一氏評

「丹念で同時に執拗な態度」 ― 尾崎秀樹氏評

「長塚節について知りたいことは、すべてこの作品にある」 ― 井上靖氏評



昭和58年~59年にかけて「別冊文藝春秋」に連載されたものに加筆、修正、巻末に長塚節と因縁の深いアララギ派歌人でもあられる清水房雄氏と著者の往復書簡を載せて文庫化したものが本書。


正岡子規門下の歌人であり、長編小説『土』の作家として有名な長塚節の生涯を描いた評伝としてはこれ以上のものはないほど詳細を極めた作品、藤沢氏渾身の作といえます。



茨城の豪農の長男として生まれ、病身の身で農業と旅と歌に明け暮れた37年という短い生涯を長塚節の短歌を中心に克明に描いた作品です。


明治時代から大正初期にかけての長塚氏の生涯もさることながら、その時代の作家たちが生身の素顔できら星の如く登場するのも大変興味深かったです。


長塚氏の短歌の師であった正岡子規、その門下の先輩・伊藤左千夫、斎藤茂吉、高浜虚子、森鴎外、夏目漱石、与謝野鉄幹&晶子、石川啄木、高村光太郎、志賀直哉、武者小路実篤、若山牧水、佐藤春夫、北原白秋ら、文学に魅せられた近代日本文学の重鎮たちがこの作品の主人公・長塚節の歌人としての人生に何らかの形で登場します。


豪農の長男として生まれたがゆえに、家業を省みず政治に命を賭ける父親の放埓な借財によって零落した家を建て直すことに心を痛めながら、結核という不治の病と同行2人の旅に埋没し、歌人として生活人としての人生をまっとうできなかった節の切なくも儚い生涯が胸に迫ります。


歌人・節の出発点は正岡子規ですが、同門に伊藤左千夫という生涯の友の存在なしには節の歌人としての人生を語れないほど、本書では伊藤左千夫の存在が独特の輝きを放っています。


伊藤左千夫といえば代表作『野菊の墓』の清冽な内容がすぐ浮かびますが、本書に登場する左千夫は自己主張の激しい攻撃型の人間、搾乳業者として子沢山の生計を立てながら節と同じく短歌にその生涯を賭け、子規の提唱した写実の流れを継承したものの、その性格ゆえかその後のアララギ派門人たちと派手な衝突を繰り返し、関わりのあった歌人たちがほとんど彼の元を離れていったにもかかわらず、最後まで見放さなかった節同様、読者である私も意外に左千夫の印象が悪くありませんでした。


筆1本で生活することが困難だった当時の文学者たちの生活と文学との両立の悪戦苦闘の様子が伝わってくる中、節も例外ではなく豪農の跡継ぎとはいえ父の借財を返済するため竹林の栽培や炭焼きの工夫などで生計を営むことに汲々としていた様子が作品のあちこちに見られ、文学イコール命がけという形容に胸が迫ります。


「旅に淫し、旅の風物、ことに古い建築物や彫刻の美に淫しているというほかはない。伊藤左千夫が心配し節自身も言う煙霧癖は、容易ならざる相貌をみせはじめた」


旅に淫したという著者の形容ぴったりの節は友人に借金をしてまで日本全国を旅し、憑かれたように歌を詠むという暮らしの中病んだ身の療養の地として選んだ九州の旅先でついに力尽きた最期でした。



次の1文はアララギ派歌人・島木赤彦氏の答辞ですが、氏の言葉そのままの節の一生でした。


「謹みて哀悼の意を表す。長塚さんは逝かれました。三十七歳の短人生に妻子も無くして逝かれました。人間の世のなかに清鶴の如く住んで孤り長く逝かれました」 


本書に掲載された厖大な数の短歌について、不案内な私は作品をじっくり吟味するという妙味を味わえないのは残念ですが、病のために恋を諦めなければならなかった心情を詠った歌には胸がいっぱいになりました。


「暑きころになればいつとても痩せゆくが常ながら、ことしはまして胸のあたり骨あらはなれど、単衣の袂かぜにふくらみてへふは身の衰へをおぼえず、かゝることいくばくもえつゞくべきにあらざれど猶独り心に快からずもしもあらず
単衣きてこゝろほがらかになりにけり夏は必ず我れ死なざらむ」



「白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり」

これは節の歌集『鍼の如く』の中の1首ですが、本書のタイトルはここから取られたのでしょうか。 

いずれにしても鍼のように鋭利で清冽な人となりそのままの生涯を描いてすばらしい作品でした。

先日の朝日新聞にインターネット百科事典・ウィキペディアについての記事が掲載されていました。

自分も知りたい情報を手軽に閲覧できるサイトとしていつも利用していますし、過去に投稿したこともあります。


米カリフォルニア州にある非営利団体ウィキメディア財団が運営し、2001年に英語版がスタートしてから現在までに272言語版が開設されているそうです。


記事によると、ウィキペディアは投稿など編集作業は誰でもできる一方でページの「削除」や編集を止める「保護」など特別な権限を持つ管理者の存在があり、日本語版では63人が活動しているそうです。

管理者はネットの信任投票で選ばれ、職業はさまざまで大半はお互いに素顔を知らない関係といいます。

悪意のある書き込みや、根拠のない記述、誹謗中傷に即時に対応できる豊富な知識が要求されるなど報酬のないボランティアには過酷な条件ということで求められる増員には結びつかないそうです。


他言語ウィキでは政治や地理への閲覧が多いのに比して、日本版ウィキの閲覧者の8割がアニメや芸能人のページに集中しているところから日本特有なネット利用のあり方を憂慮する声も上がっているようです。


私自身は読書ブログを書いている関係で、それにリンクする作家や作品などを調べるのによく利用しますが、次々ナビしてもまったく書き込みのないところや不完全書き込み途中となっているところもかなりあるのでこれからのますますの充実を期待しています。



さて本日は藤沢周平氏著『雪明り』をご紹介します。


「貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。
深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。
武家社会の終焉を予想する武士の慨嘆。
立場、事情はさまざまでも、己の世界を懸命に生きる人々を、善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、巧みな構成と鮮やかな結末とあいまった魅惑の短編集」


味わい深い短編集。


8篇のうち、初めの2篇は市井物、終わりの2篇は武家物、その中間の4篇は武家物と市井物とが交互になった江戸時代を背景の時代物です。


作品の多くの題材を江戸時代にとる理由を著者は次のように語っていらっしゃいます。

「庶民が擡頭し、武士階級が少しずつ主役の座を滑り落ちていく。
つまり江戸時代以前四百年以来の武家支配と人間性の抑圧が終息を告げようとする壮大なドラマが、この時代の背景にある・・・
この少し先に生きた人々に対する親近感のようなものが、時代ものを書くとき、多く筆を江戸期にむかわせる理由かもしれないと思う」


本書の解説を担当された駒田信二氏の言葉を借りれば、私たち読者が藤沢作品に胸を打たれる源泉となっているのは著者が小説巧者であるということと同時に、その作品の深いところに自己投影があるというのがその理由でしょう。


切なくも胸に迫る作品をいくつか挙げてみます。


★博打打ちである主人公・市蔵がある日出会った1人の足の悪い少女を通してかつての堅気の暮らしを取り戻そうといったんは決心するものの、厳しい世間の手によって拒絶されるという人生の試練を受ける彼に更なる哀しみが襲いかかりますますの闇へと落ちていく寂寥感を見事に描いた「暁のひかり」


★主人公の博打打ち・竹う二郎と、ある偶然の出会いで彼が小さな恩義を受けた履物屋の娘・おその、そして竹二郎の従姉・おたかの3人を軸に、一世一代の行動に出た無頼の徒・竹二郎の切ないまでの深い情愛を余韻の残るタッチで描いた「恐喝」

★三十五石の貧しい下級武士の家に生まれ、実家との交際を断絶するという条件つきの破格の養子縁組で二百八十石の芳賀家に入った菊四郎が嫁いだ義理の妹・由乃の窮地を知り現在の恵まれた身分や許婚などすべてを捨て「跳ぼう」と決心するまでの心の葛藤を細やかに描いた表題作「雪明り」


人間の心の奥底に隠された情感を巧みな筆致で描いた心に沁みる短編集です。

是非どうぞ!

お互いのブログを通して親しくしていただいているSさんの日記に鹿児島名物の「いきなりだんご」が紹介されていました。


写真つきでとてもおいしそうな上手軽に作れそうだったので、クックパットのレシピURLを紹介していただいて作ってみました。

     http://cookpad.com/recipe/181349 いきなり団子


夫は粒あん系が大好きなのですが、私が少々苦手だったため今まで和菓子系は作ったことがありませんでした。


材料は小麦粉と団子粉(白玉粉または上新粉でもOK)、砂糖、塩、水、それにあずきあん、さつまいも。


トライしようと思われる方は上のURLでそれぞれの配合をご確認ください。 


小麦粉だけでもOKだそうですが団子粉を混ぜることによってもちもち感が出るそうです。


粉と砂糖、塩に水を少しずつ加えながら耳たぶの柔らかさになるよう手こねし、しばらく寝かせたあと、少しずつ手でちぎって手のひらで薄く延ばし、あんを載せた上に、皮を剥き1cmの太さに輪切りして水でアク抜きしたさつまいもを載せ、沸騰した蒸し器で15分~20分強火で蒸してできあがり。


できたてを1つずつラップに包んで冷蔵、冷凍で保存し食べるときに電子レンジにかければいつでもできたてのままのように食べられます。


これらすべてSさんの受け売りですが、和菓子初体験の私でも簡単に作れました。

食べた感想としては想像より皮の弾力が乏しかったので、少し水を多めにもっと薄く延ばすことをこの次の課題にしてみようと思っています。


さつまいもの太さによって必然的に大きさが決まるので、スマートなさつまいもを使用してかわいいサイズにすれば間食の習慣のない私も手軽につまめてgood!




さて今回は藤沢周平氏著『橋ものがたり』をご紹介します。


「微かな悲哀が、胸を染める・・・
様々な人間が日毎行き交う江戸の橋を舞台に演じられる、出会いと別れ。
男女の喜怒哀楽の表情を瑞々しい筆致に描く傑作時代小説」


「普通がいちばん」を自らの生活の信条にしていらっしゃった著者ならではの、どこにでもいるような市井の片隅で一生懸命に生きている男女が主人公の物語。


江戸時代に向こう岸とこちら岸の人々が交差する重要な接点となったそれぞれ主人公の「端」をモチーフに、主人公たちのそれぞれの人生のひと時が著者特有の情感あふれる眼差しで描かれていてどれも心に響く作品となっています。



★家の事情で女中奉公に出ることになった幼馴染のお蝶と5年後萬年橋での再会を約束した幸助の5年後を描いた「約束」
5年の間浮世の荒波に翻弄されたお蝶を丸ごと受けとめる幸助の真摯な姿が胸を打ちます。


★結婚相手が決まっていながら殺人犯・新七を行きがかり上匿ったおすみが、不実な結婚相手と全くちがう真摯な新七に徐々に傾倒していく様を描いた「小ぬか雨」


★いわくある生い立ちから逃れるように育て親の斧次郎と絶縁して永代橋を渡って新太郎に嫁いだおもんに突然ふりかかった厄難を通して初めて知ることができた夫婦の絆を描いた「赤い夕日」


★小間物屋の主人・吉兵衛の空虚な人生の悲哀を描いた「氷雨降る」
どんなに心に空洞を抱えていても生きていくのが人生であるという、当たり前のことを深く納得させてくれた作品でした。


★暗い過去を持つ隣に住む浪人・善左エ門の目を通してみた船宿の女房・お峯とその誘いで駆け落ちした若い船頭の吉蔵の2人。
人目を忍ぶ貧乏暮らしに耐え切れず旦那の元に帰ろうとするお峯を殺そうとする吉蔵に「殺すな」とかけた善左エ門の深い心情を描いた「殺すな」


しみじみとした読後感、切なくも人を信じることに前向きになれる、そんな10編でした。

昨日図書館からの帰り、すぐ前の信号待ちをしていたとき、向こうから図書館にやってきた若い女性に声を掛けられました。


「いつも図書館を利用してくださっている方ですよね。
私は司書をしているものです。
いつかゆっくりお話したいと思っていたことがあるのですが、今お時間を少しいただけないでしょうか?」


そういえば先日本をさがしているとき、うっかりマナーモードにしていなかった携帯電話が鳴り出し、とっさに受話するというマナー違反を犯し、司書の方が飛んできて注意されたことがありましたが、そのときの人が彼女だったような。


あのときのマナー違反についてもっと念入りに注意しておかないとまた過ちを繰り返しそうな人だと思われたのか、などと話の内容がわからないだけに推測が頭を駆け巡ります。


「どんなお話なのでしょうか?」と2、3度促すものの具体的なことには言及されません。


「短時間の立ち話では話せない内容なのでこれからお時間をいただけたら近くの喫茶店ででもお話させていただけないでしょうか?」

すごく真剣な様子で迫ってきます。


「もしかして宗教的な内容のお話なのでしょうか?」

「宗教と決めつけるようなものではなく、今の現状からあなたを救ったりあなたの将来の幸福にとても大切なことなんです。
いまお時間がとれないようでしたら、明日はいかがでしょうか?」


ここまできておぼろげながらアウトラインが見えてきた私は丁重にお断りしたものの、私の幸福のためにそこまで考えてくれる彼女に背を向けた行為が何だか犯罪者のような気がしました。


オウムの勧誘もこんな風に情に訴えて行われたのでしょうか。


それにしてもただ図書館で本を物色しているだけの私がそんなに窮地に立っているように見えたのでしょうか。


百点満点幸せだとはいえないまでも人が救いの手を差し延べたくなるほどの不幸を抱えているとは思っていなかったのは自分の現状への分析が甘かったといえるかも。


これからも不幸顔をして図書館で彼女と顔を合わせるのを考えると気が重いです。




さて本日は藤沢周平氏著『静かな木』をご紹介したいと思います。


「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。
城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。
ところが……。
舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。
澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。
藤沢周平最晩年の境地を伝える三篇」


本書には3篇の短篇が収録されていますが、それぞれ1997年に亡くなる前4年間に執筆されたもので、その中の一篇「偉丈夫」は最後の短篇です。


『蝉しぐれ』などでおなじみの山形の架空の海坂藩が舞台の120ページ余りの文庫本ですが、藤沢ワールドがぎっしり詰まったしみじみいい作品でした。


★大の犬好きで知られる海坂藩の近習組の岡安家岡安家の飼い犬アカが当主・甚之助の道場仲間・野地金之助らによって犬鍋にされたことに激怒した甚之助が言い渡した絶縁状によって起こった騒動の収拾を描いて見事な「岡安家の犬」


「犬の肉を食べる」という行為が江戸時代の食文化で当たり前のごとく描かれているのには驚きました。


★次男で他家の娘婿となっている邦之助が中老・鳥��郡兵衛の子息・勝弥と果たし合いをするということを聞いた父の布施孫左衛門が隠居の身ながら長年うちに秘めた武士の矜持で命をかけてとったある果敢な行動を描いた表題作「静かな木」

 
★支藩の海上藩と本藩の海坂藩の国境を巡って百年以上も続けられてきた1年に1度の論争の代表として海上藩から選ばれた片桐権兵衛の姿や顛末をユーモラスに描いた「偉丈夫」



現代の日本人が置き忘れて久しい義や情、熱き心が荒々しく表舞台に出ることなく、静かに深くうちに秘められていて、それがここぞという人生の大事にすっくと立ち上がって、そして事が収まるとまた静かに潜行する、そんな美しい日本人が描かれていて清々しい読後感です。


余談ですが著者の熱烈な読者であられる立川談四楼しの温かい目線で書かれた解説が、先に解説を読んでから本書に入るのを常としている私にとってすばらしく読み応えのあるものでした。


どの作品も人間の誠実な人生の道しるべのような藤沢作品です。

ネットでマッサージチェアを購入しました。

我が家では3代目の私専用の下僕。

2箇所の量販店でしっかり試して価格もチェック。

事前に価格.comなどで調べていた価格を提示してもまだまだ量販店の値下げ価格とは相当の開きがあるのが常で、今回も部屋に設置してもらえる量販店での購入の魅力に傾きかけた気持ちも引っ込むほどの価格の落差。


ネット商品は門口までしか配達されないという難点があり、特に大型商品の場合それがネックとなりますが、今回も夫と玄関の外でダンボールを開き、解体、やっと部屋に入れました。



実は半年ほど前ネットで購入した2代目マッサージチェアが私にとって使い勝手が悪く持て余していたところ、帰省していた娘が気に入り、送れるならお金を出して引き取るというので言葉に甘えて引き取ってもらいました。


で新たに購入した3代目、狭いマンションに合った小型でテレビ観賞用チェアとして夫の部屋の定位置に納まりました。


今度生まれ変わってアラブの石油王の正妻は無理としても末席の愛人にでもなったら、眠りにつくまで気兼ねなくマッサージしてくれるお付きの人を雇うのが肩こり症の私の究極の夢ですが、現世では叶いそうにないので当分これで折り合いをつけます。




さて本日のレビューは藤沢周平氏著『一茶』です。


故郷山形で国語と社会の教師をしていた24歳のとき結核が発見され、手術ののち6年間の療養を経て健康を回復して退院するも教員退職を余儀なくされ、業界新聞に職を得ながら執筆

1971年『溟い海』で第38回オール讀物新人賞&直木賞候補

1973年『暗殺の年輪』で第69回直木賞

1986年『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞

1994年『市塵』で第40回芸術選奨文部大臣賞&第37回菊池寛賞をそれぞれ受賞


亡くなられてもう11年が経過したのですね。



「わたしも田舎から東京に出てきて業界紙の記者をしながら、一茶のような根無し草の悲哀をたっぷり味わいました」

『一茶』を上梓するにあたってのきっかけを語られた著者の言葉です。


運命のいたずらに翻弄されるような一茶の半生にご自身のそれを重ね合わせて丹念に足跡を辿った著者の心の軌跡が読み取れるような本書執筆の動機です。



15歳で故郷柏原を離れて江戸に奉公に出されるのちの一茶こと弥太郎とそれを見送る父弥五兵衛の別れのシーンが冒頭にあり、幼少期の不遇とともにこれからの一茶の運命の変遷を感じさせる筆致に引き込まれます。


江戸に出てからの一茶は元来の労働に対する根気のなさが災いして奉公先を転々としながら故郷にも消息を絶つこと10年間。

葛飾派の俳諧師・今日庵元夢の驥尾に付して俳句を発表するようになるまでの10年間の消息はのちの一茶研究者をしてもつかめないのが通説だそうですが、その空白の10年間を著者はただならぬ思い入れの深さで肉薄、本書に結実させたと解説で藤田昌司氏が触れていらっしゃいます。


俳諧師として多少名が売れたのちの40代も豪商・夏目成美の庇護を受けて一宿一飯の綱渡り的寄食生活を余儀なくされた、現代版ホームレスとみまがう一茶に著者は自分の運命を重ねながら執筆されたようです。


「秋の風乞食は我を見くらぶる」


平安時代に基礎ができたといわれる俳諧は当時は「滑稽」を主題に気楽に読まれたそうですが江戸時代に俳聖といわれた松尾芭蕉の出現によってより確固たるものになったという歴史があります。

その後与謝蕪村、江戸末期に小林一茶へと受け継がれ、明治時代に正岡子規へとバトンタッチされ近代の俳句が確立されたのはご存知の通りです。


一茶が生きた江戸時代の俳諧は市民の間で盛りを極めた流行もので、「下句」に対して「上句」をつける遊びからどんどん逸脱してついにご法度になるほど博打化したものだったという江戸庶民文化の歴史は私にとって興味深いものでした。


あるきっかけでご法度の遊びに足を踏み入れた一茶と御家人あがりの俳諧師・露光との出会いがのちの一茶の俳諧師としての生き方を決めるきっかけになります。


俳諧の世界である程度名が知られるようになってからも一宿一飯を恃みに全国行脚しながら貧乏と寄り添っての生活の中、腹違いの弟と遺産争いの末、義母と弟の汗の結晶である田畑屋敷の半分を強引に相続、晩年に近い50歳過ぎてからの帰省と3度の結婚、3人の幼子たちに次々に先立たれるという不幸に見舞われながら65歳の生涯を閉じるまでに2万句を詠んだといわれる一茶。


「君が代やよその膳にて花の春」

「秋寒や行先々は人の家」

「古郷やよるも障るも茨の花」

「梅が香やどなたが来ても欠茶碗」


貧しい流浪の境遇をこれでもかと詠む一茶の句の中で時折顔を出す子どもへの愛着を感じさせられる句には日本中がだれでも知っている「すずめの子そこのけそこのけお馬がとおる」などを生み出した子ども目線の一茶のおもての顔がいっとき表れることもあります。


「這へ笑へ二ツになるぞけさからハ」

「目出度もちう位也おらが春」


風狂の俳人としてその俗人たる行動を徹底的に描く著者の一茶に対する厳しくも温かい目線が作品全体を貫いていて充実した作品となっています。


俳聖という呼び名にはもっとも似つかわしくないひとりの弱くも生涯を通して俳諧にとり憑かれた男の人生を丸ごと描いて秀作でした。


一茶に関しては、一茶研究に生涯を費やされた長野在住の小林計一郎氏著『一茶―その生涯と文学』、そして田辺聖子氏著『ひねくれ一茶』などがあります。


また藤沢作品とはちがった一茶が発見できるのではないでしょうか。

機会を見てアップしたいと思います。

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