VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 熊谷達也

寒さのせいか最近また不調が戻りつつあります。


漢方生薬もこれ以上ないほど様々に工夫して加法してもらっている上、信頼している鍼灸師の先生の指導の下いろいろなトレーニングも毎日怠りなくしているのに。


努力と改善はなかなか正比例にならないのが人生の常なのかなど哲学とはほど遠いため息でやりすごしています。


治療の帰り、お知らせの葉書をいただいていた銭本眞理さんの作品展を覗いてきました。



岡山北部の吉備高原で青馬窯という作陶の窯を開いて製作していらっしゃる美人の陶芸家。


青馬窯のブログはこちら


現在休止状態で多くのファンによって再開が待たれているzensanこと銭本三千年さんの娘さんでもあります。


休止中の銭本三千年さんのブログはこちら


今回はアクセサリー作家さんとのコラボということで両方楽しく眺めてきました。



で、こんなすてきな器を求めました。 e3f3b652.jpg



一見薄い青銅のような趣、私の大好きな青磁色。



そして夜、銭本三千年さんとしばらくぶりに電話でお話ができました。



IT生活からすっかり離れて自然を満喫していらっしゃる様子、ブログ続行の意欲がまだ湧かない旨話されていましたが何よりお元気そうなので安心しました。



以前のように毎日更新というスタンスを切り替えてゆっくりペースで気が向かれたときだけアップして私たちに貴重な情報を発信してほしいとお願いしましたがどうなるか。



またリアルにお会いする約束をして電話を切りました。



ご心配していらっしゃったトコさん、UNIさん、この場を借りてご報告します。





さて今回は熊谷達也氏著『はぐれ鷹』のご紹介です。


「鷹匠になることを夢見て“最後の鷹匠”に弟子入りした杉浦岳央。
だが高齢の師匠に不満と不安を覚え、早々に袂を分かつ。
雪深い月山の麓でひとり、手探りで訓練を重ねるが、猛禽類のなかでもとりわけ神経質といわれる角鷹を、岳央は操れるようになるのか―。
野生の鷹と人間の対峙を描く。
直木賞受賞作『邂逅の森』に連なる感動作」


著者は直木賞&山本周五郎賞をダブル受賞した『邂逅の森』を筆頭に自然の厳しさや野生動物と人間の対峙などをテーマの作品をいくつか上梓していらっしゃいます。


このブログでも『邂逅の森』『相剋の森』『氷結の森』という森シリーズ3部作のレビューをアップしていますのでよろしかったら見てください。




本書も森シリーズに続いて自然と野生動物、人間という三本の柱をテーマに「野生の鷹と人間の峻烈な対峙を描く」と銘打った作品ですが、今回は森シリーズに見られるような危険と隣り合わせの人間と自然との対峙を描いている臨場感溢れる熊谷作品とは様相を異にしているような・・・構成に荒さや軟弱さが見られたのは残念でした。


軟弱と思える一端は登場人物である主人公・杉浦岳央の幼馴染のテレビ局のADの女性のからみが不自然にこれでもかと長く続き、本来の鷹匠としての主人公の角鷹との対峙などの描写がかなり疎かになっている点にあるのが否めませんでした。


またラストの唐突感もさることながら、あらん限りの情熱で鷹匠の弟子になることを求めた主人公が事情があったとはいえ1年足らずで修行の道を放棄して独立するという設定にも共感できないものがありました。



とはいえ人間が手なずけることが容易でない野生の角鷹の習性やその鷹匠の生き様など私たちが目にすることのできない世界の一端を覗くことができた作品。



次の言葉は日本で最後の角鷹を扱う鷹匠、主人公が懇願して弟子入りした師匠が主人公が袂を分かって旅立つとき餞別に添えた言葉ですが、野生動物と人間の関係すべてに当てはまる言葉ですね。


「人間と鷹と一体になり得る深い愛情により、はじめて鷹の心を持って己の心とし、自己の感情を鷹に強いてはならず、鷹に通じ得ない無理を決して求めてはならず、それが唯一の鷹匠の秘伝であって、常に鷹と共に居れば、鷹は自然に鷹匠の思う通り動くものなり」


夏中楽ませてくれたゴーヤもそろそろ終わりを告げようとしています。


こうしてブログを書いているパソコンから目をあげると目の前にグリーンの葉っぱが広がっていて、その効用は計り知れないほど。


すでに根を抜いて処分した友人もいますが、我が家ではまだ毎日ゴーヤが収穫できています。


最盛期の大きなゴーヤは採れなくなりましたが、半分くらいの小さなものが毎日2,3個収穫でき、サラダやチャンプルーに事欠きません。


昨日のお昼には薄切りしたゴーヤと玉ねぎ、トマト、ソーセージを軽く炒めて塩コショウしたゴーヤスパゲティを作り好評でした。



数年前その苦さに閉口していた夫も今ではすっかり慣れ、違和感なく食べています。


これからホームセンターに石灰を買いに行きます、来年の準備のために。




さて本日は熊谷達也氏著『氷結の森』をご紹介します。


『相剋の森』『邂逅の森』(史上初の山本賞&直木賞ダブル受賞作)に続く「森」シリーズ・マタギ三部作の完結編です。

著者の簡単な経歴とともに前2作をブログでご紹介していますのでよかったら読んでください。

『相剋の森』http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/191

『邂逅の森』http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/181


本書は一応マタギ完結編となってはいますが、前2作とは内容がかなり異なります。

わずかに共通するところは主人公の柴田矢一郎が秋田県阿仁出身のマタギだったという過去があることです。


物語の舞台は樺太とロシア、時代は大正。


日露戦争から生還したあと、妻子を自殺に導いたとして主人公を姉の仇と追い続ける義弟から逃れるためマタギとして根ざしていた故郷・阿仁を捨て、サハリンで鰊漁や樵の仕事を転々とする流浪生活を送る矢一郎の壮大かつ過酷な運命を描く力作です。


追いつ追われつの逃亡劇はこの力作のほんの一部、極寒の樺太での苛酷な労働の様子、間宮海峡横断、ロシアのパルチザンとの闘いなど歴史的にも貴重な足跡に忠実に触れた冒険小説となっています。


特に主人公・矢一郎が他者との交流を拒絶しながらも温かい血潮を秘めた孤高の放浪者として描かれていて、思わず「男前!」と応援したくなるほど生一本の男の中の男として描かれています。


自身の肉体を極限まで酷使することによってのみ自分の生を確認する男の他者・特に弱きものに対する捨て身の思いやりが胸に響きます。


「約束」は必ず果たす、受けた「恩」には必ず報いるというのは人間社会のルールとはいえ、命がけでそのルールを守ろうとするのはまさしく山の神を恐れる真のマタギの精神に基づくものではないでしょうか。



本書は日露戦争のあとの日本のシベリア出兵などを歴史的背景に、当時の日本人の様子や厳しい自然に溶け込む土地の先住民・ニブヒ族の暮らしぶり、北方へ流れ着いた日本人たちの運命に翻弄されながらも抗う切なさや逞しさなど、さまざまな角度から味わえる臨場感溢れる渾身の大作。


ぜひどうぞ!

赤福の偽造につぐ偽造が次々明らかになっています。

社長の3度目の謝罪会見で初めて組織ぐるみの工作があったことを認めて謝罪されています。

返品を減らすための商品管理をコントロールするシステムの略である「コント」が社内で横行していたようです。


不二家や「白い恋人」の石屋製菓、赤福などに代表される食品業界でのこれらの偽造は氷山の一角でしょうが、食品を扱う大小企業のトップにはもっともっと厳しい品質管理に対する感覚を持ってもらいたいと思います。


私たちが食べるにあたって品質にはなんら問題ないというのであれば、解凍モノは値段を下げ、箱にはっきりその旨明記したのち、消費者の購買判断に任せたらいいのではないでしょうか。


安全なものであれば値下げを喜ぶ消費者も多いと思うのですが。。。



さて今回は再び熊谷達也氏のマタギシリーズ第一弾『相剋の森』をご紹介したいと思います。


前に読んだ『邂逅の森』の読後感がすばらしかったので、他の「マタギ三部作」を読みたいと思っていました。


著者の経歴は『邂逅の森』の書評http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/181で触れていますので、よかったら読んでください。


著者によると、本書は『邂逅の森』とほぼ同時に書かれ、3ヶ月ほど先に発表された姉妹編だそうです。


『邂逅の森』は大正時代の東北地方のマタギである松橋富治の半生を描いた作品でしたが、『相剋の森』は時代が現代に移って、東北地方の彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描います。


「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」

秋田県阿仁で行われたマタギ親睦会での都会から来た女性編集者佐藤美佐子のこの怖いもの知らずの素朴な発言が周囲のマタギを生業とする男たちの場を凍らせる場面からこの物語が始まります。


その後関係者の発した「山は半分殺(の)してちょうどいい」という言葉への興味に導かれるようにして、人間とクマ、自然を含めたマタギへの理解を深めていく過程が迫力ある筆致で描かれています。


主人公を美佐子という女性に据え、その女性の目を通して現代に生きるマタギの男たちの姿を動物愛護・自然保護団体などの主張や活動である「奥山放獣」をからめながら、法律で定められている狩猟法である「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」に縛られているマタギたちの困惑など、「自然との共生」などという生半可な言葉では対処できない厳しい現実を余すことなく描いていて圧巻です。


美佐子の問いかけに村のマタギの頭領である爺やはいいます。

「あんたの言っていることは、確かに正しい・・・
でもな、私らはの、ずっと昔から、クマ狩りでこの村を守ってきた。
クマを追って山を守り、クマを護って村を守ってきた。
クマ狩りをやめれば、私らは、村を守れなくなるのさ」


自然と人間との真の共生とは?という問いに対して著者は登場人物の大学教授を通して語らせています。

「生き物は、ほかの生き物を殺すことで生きながらえている。
互いに殺し合うのが生き物の本質なのです・・・
他者を殺す覚悟と、自己が殺される覚悟。
このふたつの覚悟がはじめにあっての共生の思想であれば、私にも頷ける。
いかにして共に生きるかの前にあるべき、いかにして共に死ぬかの思想、いわば『共死』の思想とでも申しましょうか。
これに真正面から向き合わない議論は、あまりに空虚です」


地球の自然がどんどん破壊されている昨今、原点に戻って自然について考えるきっかけを与えてくれる本でした。

誰でも自由に執筆や編集ができるオンラインの百科事典ウィキペディアを使われたことのある人は多いでしょう。


私もいつも利用していますが、先日そのウィキペディア日本語版で、複数の省庁のコンピュータから役所に都合のいい修正が行われていた実態が次々と明らかになったという記事が新聞に載っていました。


ウィキペディアに書き込みをすると日時や内容、使用したコンピュータのIPアドレスは自動記録されるそうですが、今年8月アメリカの技術者がこの記録を利用して特定の組織からの書き込みがわかるプログラムをネット上で公開したのを利用して、ネット利用者が検索した結果、官公庁や企業内のLANにつながったコンピュータから次々に内容が書き換えられている実態がわかったというものです。



宮内庁や法務省、文部科学省などがそれぞれ都合の悪いヶ所を削除したり、特定しないことを追加したりの実態が明らかになったことは驚くべきことです。



厚労省では2006年9月から書き込みできないよう省内のシステム設定を変更しているようですが、匿名だと安心しての無責任な修正は絶対やめてほしいと思います。



さて今回は久しぶりの充実した物語、熊谷達也氏『邂逅の森』をご紹介したいと思います。


史上初の直木賞&山本周五郎賞のダブル受賞の本書は、直木賞選考委員である田辺聖子氏をして「巨きな存在感のある作品、さながら、新参の霊気が読者の皮膚にも感じられるばかり、そして山の神なる老いた熊の咆哮まで耳もとでとどろくばかり・・・
その前を、静かな霧のように流れゆく一切衆生煩悩の世界。
自然と人間、人間とその時代が渦巻きもつれ、捻じ合わされて展開する・・・
私は佳き小説に邂逅したことを喜ぶ」と唸らせたすばらしい作品となっています。



著者熊谷達也氏は中学教員や保険代理店業を経て
1997年『ウエンカムイの爪』で第10回小説すばる新人賞
2000年『漂白の牙』で第19回新田次郎文学賞
2004年『邂逅の森』で第17回山本周五郎賞&第131回直木賞をそれぞれ受賞されています。



『相剋の森』『邂逅の森』『氷結の森』はマタギ三部作といわれ、神聖な山の狩人であるマタギを描いて秀逸な作品となっています。


生まれ故郷である宮城を代表とする東北地方の風土に根ざした土のにおいのする作風が魅力ある特長です。


本書は身分違いの恋によって村を追われたマタギである山の猟師富治を主人公に、大正から昭和にかけてのマタギとしての厳しい半生とともに、富治が村を追われ一時身を寄せていた銅鉱山に働く友子といわれる鉱夫たちの世界を、イクとの夫婦愛を交差させながら巧みに描いています。


山形県月山、アオシシ(ニホンカモシカ)猟「獣を殺す旅だった」という冒頭の言葉で始まる旅マタギの壮絶な自然との対峙。

「勢子っ、鳴れえぁっ!」「ほーいっ、ほぉーりゃ、ほれやっ!」「勝負!」


険しい雪の山はだに木霊するマタギ言葉が、厳しい自然と一体化した獣との命懸けの対峙場面を引き締めています。 

本書執筆にあたり、実際に新潟のマタギの頭領の許しを得てともに山に入り、巻き狩りを体験した著者ならではの迫力と臨場感に溢れています。



文藝春秋「自著を語る」コーナーで、著者熊谷氏が「『邂逅の森』が産声をあげた時」というタイトルで本書を執筆されたきっかけを書いていらっしゃいますので、興味ある方は読んでください。

    http://www.bunshun.co.jp/jicho/kaikou/kaikou.htm


「マタギの体は、半分は親がら、残りの半分は山がら貰ったものだからな。
欲を出しすぎねば、必要なものは山の神様が授けてくれるべや」



「マタギとして山に入り、山の神様に守ってもらうためには、人間の性である欲深さを封じ込め、意識や感覚をできうる限り獣の領域まで近づけなくてはならない。              
そのための女断ちであり、水垢離であり、そして、山歩きであるのだ」



マタギたちの山の神様への敬虔かつ真摯な信仰心に、安易な人生を送ってきた私はただうなだれるばかりです。


物語の最終章で繰り広げられる山のヌシ巨大なコブクマとの壮絶な死闘の末右足を失い、家で待っているイクへの思いだけで自ら殺ったクマの幻影に導かれて家路につく富治の姿は神聖なる山の神と二重写しになり、読み手である私の瞼に焼きついて離れません。


自然での人間のあるべき姿、伴侶に対する深い愛、一貫性のある筋立て、そしてエンターテインメントとしての要素、これらすべてを内包した作品でした。

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