VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 角田光代

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4日前がわたしの誕生日。


少し前の夫の誕生日に関するブログでわが家の誕生日の掟について書きましたが、わたしにとってもついに年に一度のパラダイスがやってきました
(^.^)

夫は今日がその日というのをいつ思い出すだろうかと思いながら朝食の用意をしているとあとから起きてきた夫の「おはよう」という普通の挨拶。


あ、まだ思い出してないなと思いながら、わたしも「おはよう」。


洗顔やトイレを済ませて食卓に着いた夫が、食後のぶどうを持ってきたわたしを見てやっと思い出したよう。

なんか威圧的な顔していたかしら?


「そうだった、そうだった、誕生日おめでとう」

「ありがとう」

というわけで、食後の片付けは夫にバトンタッチ。


朝食の支度をしてしまったわたしは何だかちょっぴり損した気分。

 
昼はそうめん、ラーメン、稲庭あったかうどんのうちから選ぶように言われて、選んだ稲庭あったかうどん・・・充実とは言いがたくてネギがパラパラとあるだけだったけど手作りのお出汁がおいしかった。


Sさん、今日は誕生日だから囲碁はお休みしてね」

「そうはいきません」

ということで労働を免れたとばかりにいそいそと出かけた夫。

 

夕方帰宅した夫は事前に検索していた居酒屋に行こうと提案・・・あくまでも手料理は省くということね・・・まあいいか、わたしも夫のバースデーは外食でごまかしたから。

 

ということでまたたく間にゴクラクの時間は過ぎ去り、特筆すべきは10分ほど肩もみしてくれたこと。

 

「午後の囲碁分の4時間を明日にまわしてもいいでしょうか?」

 

「それは無理です」

こうしてパラダイスの一日はあっという間に過ぎたのでした。

とはいえ感謝感謝!

 

 

418+Usysi2L._SL500_[1]さて本日は角田光代氏著『くまちゃん』のレビューを少し。  

風変わりなくまの絵柄の服に身を包む、芸術家気取りの英之。        

人生最大級の偶然に賭け、憧れのバンドマンに接近したゆりえ。        

舞台女優の夢を捨て、有望画家との結婚を狙う希麻子。           

ぱっとしない毎日が一変しそうな期待に、彼らはさっそく、身近な恋を整理しはじめるが……。
                               ふる/ふられる、でつながる男女の輪に、学生以上・社会人未満の揺れる心を映した共感度抜群の「ふられ」小説

 



七篇の連作短篇集。


一篇の登場人物が次の篇に、その中の登場人物がまた次の篇に・・・というように数珠繋ぎのような巧みさでバトンタッチ、だんだんに時間が経過するというもの。

その七篇ともすべて失恋の話。


中には自分から見限って離れていったヒロインもいて、外見には恋人を振ったかたちにはなっていても彼女の心の中では失恋したという痛手がぬぐい切れずにもやっているという心模様。


全篇を通して感じたこと・・・

今時の若い世代の恋愛ってなんだか荒っぽい感じ。


出逢ってお互いを手探り状態で知り合うという行程がとても短く端折られていて回り道は面倒とばかりにすぐ同棲へといってしまう。


いいのか悪いのかはそれぞれ意見が分かれそうだけど、その分受けた傷も浅くて済むのかもしれないなと思ったり。

それにしてもストーリーテラーという言葉がぴったりの著者。

 

 

2度目の結婚生活を送っていらっしゃる角田氏の過去の経験も大いに反映しているのかもしれないと思えるほどリアリティさが見事。

 

 

特に世の片隅で浮き草のようにふわふわ浮遊している若者を描いて秀逸。

 

 

それぞれの人物設定が見てきたように巧みで各章の登場人物に惹き込まれて読了。

 

 


すぐ忘れてしまいそうな内容だけど、寝る前のナイトキャップがわりにどうぞ。

洗濯を干すのにも気を遣う空模様。


漢方医によると湿邪体質といわれているので湿度は私にとって大敵・・・のせいか体が重い^^;


おまけに持病の治療薬を服用していて免疫を抑えているのでリンパ球がかなり低くてウイルスやカビや細菌にはめっぽう弱い・・・らしいのですが、そんなこと気にしていたら息苦しいので気にせず過ごしています。


処方箋を持ちてゆかんか明日へとわたしを繋ぐ〈虹いろ薬局〉



今日の夕ごはん・・・久しぶりに写真を撮ったので。

なすの揚げ浸し、もやしのナムル、焼アスパラの甘だれ、キーマカレー、野菜スープ 
キーマカレーだけ写真忘れました。


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さて今日は角田光代氏著『さがしもの』です。


「『その本を見つけてくれなけりゃ、死ぬに死ねないよ』
病床のおばあちゃんに頼まれた一冊を求め奔走した少女の日を描く「さがしもの」。
初めて売った古本と思わぬ再会を果たす「旅する本」。
持ち主不明の詩集に挟まれた別れの言葉「手紙」など九つの本の物語。
無限に広がる書物の宇宙で偶然出会ったことばの魔法はあなたの人生も動かし始める。
『この本が、世界に存在することに』改題」


先日古本市場でゲットした本のひとつ。


久しぶりの角田光代氏。


本にまつわる9篇の短篇が収録されています。


「おなかが空いたってまずしくたって人は本を必要とする」

「本は開きさえすれば、即座に読み手の手を取って別世界へと連れていってくれる」


〈テレビ〉というものが〈読書〉より大きな位置を占めているように思える昨今、上記の文言はその通りと断言できなくなりましたが、私にとっては言い得て妙という感じ。


本書の著者も幼いころから本のない世界を想像できないほど本に耽溺していたようです。


自分が古本屋に売った一冊の本と二度までも外国の見知らぬ地で再会する第一話をはじめとし、本を挟んで恋人との間の違和感を埋められず別れに発展したり、開くだけでどこへでも連れてってくれるものなんか、本しかないだろう」というミツザワ書店のおばあちゃんの話、そして「さがしもの」に出てくるおばあちゃんの「悪い出来事が起きるよりも、悪いことが起きるのではないかと思う考えの方が怖い。出来事より考えが怖い。だから悪い方へ考えないようにしよう。目先のことを一つずつ片付けながら」というセリフなど、どの短篇も本好きには共感満載の、または人生の深遠を静かに語りかけているような含蓄のある内容になっています。


人生においていろんな経験と共にさまざまな記憶が脳にインプットされていますが、喜びの記憶だけでなく悲しみの記憶だってまったく持たないより持っている方が人生を豊かにするという・・・生きていて受取るものにいらないものなんてないんだな~と思いながら・・・読了。

歌会で「絵画を見て短歌を詠む」という宿題が出されたので・・・


絵画を観るのが大好きな私は10首ほど作ってそのうちの5首をピックアップして提出していたところ・・・12人のメンバーのうち、宿題をやっていたのは私を含め2人だけ。


そのひとりの方もご自分で描かれたふくろうの墨絵を観ながらの歌1首のみであとの方々はまったく関係ない日常詠や情景詠を連ねていらっしゃいました。


これにはびっくり・・・というか、かえって浮いてしまって読み上げるのも恥ずかしくてつい小さな声になってしまいました。

クリムト「ダナエ」
黄金のゼウスの雨に纏はれてほんのり染まるダナエの頬は
                  
                      

ミレー「晩鐘」夕闇にクリスマスローズのうなだれて影絵のごとき農夫の祈り


ゴッホ「タンギー爺さん」モンマルトルに小さなあかり点しけり貧しい絵描きを支へてタンギー

ゴッホ「ゴーギャンの肘掛け椅子」ゴーギャンの椅子に置かれしキャンドルの片方だけに火がともされて





角田光代氏著『福袋』 


「私たちはだれも、中身のわからない福袋を持たされて、この世に生まれてくるのかもしれない…
見知らぬ客から段ボール箱を預ったバイト店員。
はたしてその中身とは?
家を出ていった夫の同窓会に、代理出席した離婚間近の妻。
そこで知った夫の過去とは!?
自分の心や人生の“ブラックボックス”を思わず開けてしまった人々を描く、八つの連作小説集」



表題作「福袋」をはじめ、人生途上で出会う未知なる入れ物を前にした人々を描いた8篇の短編集。


「私たちはだれも福袋を持たされてこの世に出てくるのではないか。
生まれ落ちて以降味わうことになるすべてが入っている。
希望と絶望、喜びと苦悩、笑いと泣き、愛と憎しみ・・・」



希望に満ちた人生でありたいと誰しも思い、未来を担っている子どもたちには光りある人生を歩んでほしいという願いを託していますが、なかなかそうはいかないのが人生・・・



デパートなどで年末年始に限定で売り出される福袋。


見えない中身を想像しながら買う楽しみについ手が出ますが、たいていほしかったというものはなく、あっても必ずほしくなかったものとペアになっていたりして、あ~あ、買わなければよかった、などと思った経験は誰にもあるのではないでしょうか。


そんな喜びや悲哀、後悔がいっしょに入った福袋に託してそれぞれの登場人物の人生をなぞった8話。



開けるなといわれたのに我慢できずに箱を開けたようなパンドラや浦島太郎の心境がわかる・・・


パンドラの箱にはわずかな希望が残されていたし、浦島太郎が失ったものは若さだけ、年相応の命は残されたということを思うと、世の中捨てたものではないな~というほどのほんの少しの灯りもあったりして。



表紙絵を見れば、なんだか喜びに充ちているような内容を連想しますが、どの話も主人公が期待していたことがいろんな形で裏切られるような展開・・・著者のひねりに絡めとられたような読後感の短編集でした。


次々起こる新しいニュースに注目が集まって重要と思われる事柄がどんどん記憶のかなたに行ってしまっているのを痛感します。

新しもの好きの私たちの功罪でもあるのだけれど。


森友問題が尻すぼみの形で消えてしまったかのよう。


今度は存在しないとされていた陸自のイラク日報が見つかったというニュース。


政権は防衛省の体質に怒りを隠せないようですが、この隠蔽体質の根っこはどこにあるのか・・・もっと風通しのよい政治ができないものか、単純なおばさんである私は魑魅魍魎が嫌いです。






さて本日は角田光代氏著『マザコン』のレビューです。


「「あなたはマザコンよ、正真正銘の」妻に言われ、腹立ちまぎれに会社の女の子と寝てしまったぼく。
夫より母親を優先する妻のほうこそ、マザコンではないのか。
苛立つぼくの脳裏に、死の床から父が伸ばした手を拒む母の姿がよみがえり…
表題作ほか、大人になった息子たち娘たちの、母親への様々な想いを描く作品集。疎ましくも慕わしい母と子の関係―胸がしめつけられる、切なくビターな8編」


ビターというよりダークテイストの漂う短篇集。


30代の男女の目線を通して描いた母親像・・・娘であり男女の母親である私自身にとって考えさせられる作品集でした。


「母親は時に子供を溺愛し、そうかと思えば突然背を向けて興味を示さず、また人生の生き直しを巧みに期待していたり・・・つまり絶対に理解できないのが子供から見た母なのである」と著者。


本書の著者はアラフィフ世代で子どもなし・・・こういう背景を踏まえて読むとより興味深くなります。


母親像といっても明治や大正時代の母親像、昭和の像、そして平成でも若い母親が誕生していて、時代を反映してそれぞれ違った母親像が浮かび上がってきます。


家事を楽にする電化製品もなかった明治・大正時代の母親の子育ては自分の身を構う余裕もなく無我夢中という感じだったと思いますが、さまざまなことが多様化している今の社会での子育てはまた違った意味で大変そうですが、おおむね今の母親は身奇麗。


でも働きながらの子育ては本当に大変そう。


そういった意味でも母親像には時代考察も必要でしょうが、本書に登場する母親はほぼ私と同時代の昭和の母。


私自身3人の子どもたちにどのように思われているのか?


ひとりひとりに今更聞く勇気もないし、聞いたとしてもきっと内心傷つく可能性の大いにある過ちの多い子育てをしてきたので自信はありませんが、それでもそのときどきはそれしかできなかった精一杯の子育てをしたと思います。



本書を読んで子どもたちの側から見た母親像と自分自身の中で認識している母親像との間には大きな落差があるな~と思いました。


私が子どもだった頃には母親の弱い部分を露呈した涙も母親の中の女性の部分も見たくないという気持ちが強かったのを思い出します。


改めて思うと子どもというのはなんとエゴの塊か、と思ってしまう。


それが親の前で赦されるのが子どもとも言えますが。


最後にタイトルの「マザコン」について。

本書にはいろんな形のマザコンが出てきていますが、母親のことを好もうが嫌おうが、そのこだわり自体がある意味母親に捉われているということにおいて子どもは生まれたときからマザコン街道まっしぐらともいえるような気もするのです。


本書の内容からどんどん離れてしまいましたが、興味ある方は読んでみてください。

私が所属している歌会の冊子の冬号ができあがりました。dac3a9ae.jpg


7月と12月の年に2回刊行されています。


隔週で開かれている歌会。


市街地でありながら緑に囲まれたすてきな場所にあります。

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大きく開いた窓からは背の高いプラタナスの樹林が広がり、さまざまな鳥が憩ったり飛び立ったり。


西も東もわからないまま、ドキドキしながら初めて参加した昨年の4月、初めて提出した短歌。

さみどりの光あふるる教室ではじめましての〈短歌のはじめ〉



はじめの一歩は勇気が必要でしたが、先生や先輩たちに恵まれて今も続けられています。


10人ほどの小さな歌会ですが、毎年二万人以上が応募するNHK全国短歌大会で数少ない特選に選ばれて選者の方たちと舞台にたった先輩たちや、岡山市民文芸祭で市長賞に輝いた先輩たちなどがおられてとても充実しています。


ちなみに今年もメンバーのおひとりが岡山市文芸祭・市長賞を受賞されました。

とねりこの花の白きを揺らしをり二十グラムの雀の重さ  竹原省三

鳥のことならどんなことでもお答えになられる鳥博士といわれている竹原省三さん。

頼もしい先輩です。

とねりこの白い花から五十円玉二つほどの雀の重さにズームするなんてすごいな、と感嘆しました。






さて本日は角田光代氏著『坂の途中の家』をご紹介したいと思います。 

「2007年『八日目の蝉』、2012年『紙の月』、
そして2016年――著者の新たな代表作が誕生する!
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない――。
虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていくのだった。
社会を震撼させた乳幼児虐待事件と〈家族〉であることの光と闇に迫る心理サスペンス。
感情移入度100パーセントの社会派エンターテインメント!
私は、果たして、文香を愛しているんだろうか。
もちろん愛していると思っている。
いなくなったらと考えただけで胸がふさがる思いがする・・・
それでも、文香を自分より大切なものと思えるだろうか。
かわいい、かけがえのない子どもと思えるだろうか」


角田氏の作品はほとんど網羅するほどのファンですが、本書も重い主題の作品です。


著者の作品でいちばん心を奪われた『八日目の蝉』は不倫相手の嬰児を連れ去り、逃亡しながら育てるという女性を描いていましたが、本書の主人公はどこにでもいるような、2歳の娘を抱えた専業主婦の女性・山咲理沙子。


ある日理沙子が裁判員裁判の補充裁判員に選ばれたところからこの物語がスタートします。


都内に住む30代の主婦・水穂が浴槽で8ヶ月になる長女を故意に水死させたという事件。


裁判の期間中、理解ある夫の実家に子どもを預け、毎日裁判所に通いながら、水穂に関わる人々の証言に
耳を傾けるうち、徐々に水穂の境遇に自分自身を重ね、いままで深く考えなかった自分と夫の関係、子どもとの関係、義父母や実父母との関係に不安を抱くようになっていきます。


主人公の母、妻、嫁として過去に交わした会話やふるまいを通して、だんだん深みに入って追い詰められていく心情を、これでもか、というほどトレースする著者。


プライベートでは子どもを持っていない著者の、これほどまでに母親としての心理の移り変わりを丹念に描けることに今回も舌を巻く思いでした。


きっと子どもを持っていたら理性的で愛情溢れた母親になっていたはず、とどんな作品を読んでもそこに行き着きます。


横道に反れましたが・・・

本書の主人公の心理状態を追っていると・・・息苦しくなって・・・自分の夫婦関係においても子どもとの関係においても、ここまで深堀すれば、もう進退窮まるだろうという感じ。


世に言うモラルハラスメントもかくあるかなと思えて・・・。


どんな言動も受け手の受け取り方によってはどのような形にも変容するという危うさを孕んでいることを痛感させられた作品でした。


角田氏の筆力&想像力がいかんなく発揮された作品。


とにかく著者の感性がすごい!

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31日から2日にかけて次男が子犬を連れて帰省して・・

念願の小春に会えました!

8ヶ月の小春。

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われらみな慣れぬこの世を生きてゐる新しき年の〈小春〉の一歩

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わたしにもあつたらいいなこんなにも表情豊かな〈小春〉のしつぽ

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仕事の都合でギリギリまで帰れるかどうかわからなかったので、次男がネットで購入した小春用サークルが我が家に届いたのが帰省の1時間前。


リビングに小春用のサークルを設置。

その中で散歩以外はずっとおとなしくしていて、あまりのいい子ぶりに切なくなるほど。


小春のしつけに厳しい次男の目を盗んでお菓子を一粒やったら見つかって叱られたり・・・


ドッグフードを1日2回のみなんてあまりにも楽しみがなくて可哀想・・・というのは典型的なジジババの発想と電話で娘にも窘められたけど(――;)


電車や新幹線で移動中も狭いバスケットの中でがまんして、慣れない環境の我が家のサークルに入れられてもまったく鳴かない小春。

こんなに我慢強く鳴かない子犬は初めて。


まだ子犬なので遊びたくて私たちがサークルのそばを通るたびに飛びあがって遊んでほしがって・・・甘噛みがかわいい!


短い滞在なので次男に叱られるほどめちゃくちゃ触りまくって甘やかしました~。


帰京した小春はよほど疲れたのか終日寝ているよ、というメールが次男より来ました。

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しかし・・・ブログを書きながら小春の写真をアップしながら・・・なんて独善的な押し付けだろうと思いつつ・・・目を瞑ってくださいね




さて角田光代氏著『笹の舟で海をわたる』のご紹介から今年のレビューを始めたいと思います。


「終戦から10年、主人公・左織(さおり)は22歳の時、銀座で女に声をかけられる。風美子(ふみこ)と名乗る女は、左織と疎開先が一緒だったという。風美子は、あの時皆でいじめた女の子?「仕返し」のために現れたのか。
欲しいものは何でも手に入れるという風美子はやがて左織の「家族」となり、その存在が左織の日常をおびやかし始める。うしろめたい記憶に縛られたまま手に入れた「幸福な人生」の結末は――。
激動の戦後を生き抜いた女たちの〈人生の真実〉に迫る角田文学の最新長編。あの時代を生きたすべての日本人に贈る感動大作!」


『本の雑誌』が選ぶ 2014年ベスト10(ノンジャンル)の第1位 獲得! !


主人公・春日左織の22歳から67歳までの人生が、戦前から昭和という時代の移り変わりとともに描かれています。


「自由奔放で欲しいものは何でも手に入れる『戦後』を体現するかのような風美子に対し、自分で考えない、決めない左織はいわば『戦前』の精神性の象徴として書きました。
彼女には自ら幸せになりにいくという概念がなく、物事をただ受け入れていく。
左織の願う幸せとは家族が健康でいることくらいです。
いまの私たちが言う『幸せになりたい』とか『自分を変える』というのはじつは新しい考え方なのではないでしょうか」

著者がインタビューに応じて語っていらっしゃるように、凡庸な専業主婦として強固な自分の意思を押し出すことなく、しかし内面の価値観を変えることなく生きてきた佐織を主人公に、もう1人の重要な登場人物・風美子を配して、まるで笹の舟で大海を渡るような頼りなげで不確かな心模様の半生を描いています。


幼い頃疎開先で出会ったことのある風美子との運命的な再会によって義理の妹となった風美子と人生をともにするようになった佐織。


他力的に人生を受け入れてきた佐織と能動的に人生を切り開いてきた風美子。


不本意な事象に立ち向かうことなく環境や人のせいにする佐織の生き方に否定的な嫌悪感を抱きながら、それでも佐織の言動のある部分に共感する自分もいるということを確認した読後感でした。


嫌悪感を持つということは自分にもその要素があるから、というのを心理学の本で読んだことがあります。


自分の夫も娘も息子も、そして人生さえもすべて風美子に取り込まれている、という圧迫感、危機感を抱きながらも、自分で人生を開拓する意思も持たず風美子から離れられない佐織。


そんな主体のない母親のすべてを娘によって否定される佐織。


自ら呼び寄せるかのような不安の渦に巻き込まれ身動きが取れない佐織の苦しみの部分が時として共感を呼びます。


やがて人生の終盤に向って・・・

そんな自信のなさと諦めとで、風美子という存在を通してのみの人生を受け入れてきた佐織が初めて自分の意志だけで自分の老年の身の振り方を選択するところで物語の幕が閉じられます。


息苦しかった物語の終章にわずかな光明が射し込んだ作品というかたちで著者が締めくくりたかったのが理解できる作品でした。

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