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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 林真理子

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立待ちて居待ちて寝待つ月の夜を人恋ふごとく思うてゐたり

月に並々ならぬ興味をもったのは短歌を始めてから・・・

どちらかというと人間の内面の方へと関心が流れていた人生前半。


それが尾を曳いて・・というかさまざまな経験を経ても人間の本質は変わらないのか・・

いまだに花鳥風月に焦点を定めた自然詠は苦手分野です。


本はやたら読むけど、日本独特の情緒ある言葉は身につかず今に至っています。


Webの短歌教室の師のご指導をお願いした4年ほど前の時点で旧仮名という壁が立ちはだかって四苦八苦していた数年を経て半年くらい前から新仮名にチャレンジし始めています。


今はまだ過渡期で投稿歌は旧仮名で出詠、地元の歌会では新仮名で出詠している段階。


どちらもそれぞれの長所があって中央歌壇の歌人の方たちの中には年齢とは関係なく新仮名で詠まれる方もたくさんいらっしゃいます。


今日は旧仮名の気分。





さて今回は林真理子氏著『我らがパラダイス』をご紹介します。


「突然終わりを告げる、平穏な日々。
「貧者の逆転劇」の結末は―東京・広尾の高級介護付きマンション「セブンスター・タウン」の受付係・細川邦子(48歳)、看護師の田代朝子(54歳)、ダイニングで働く丹羽さつき(52歳)…
それぞれの家庭内で深刻な介護問題を抱える3人は、困窮していく我が身と、裕福な施設の入居者たちとの想像を絶する“格差”を前に、一世一代の勝負に出る!」


東京・広尾の高級介護付きマンション「セブンスター・タウン」を舞台の物語。


主人公の3人・・・細川邦子(48歳)、田代朝子(54歳)、丹羽さつき(52歳)


細川邦子の事情・・・
父・滋(82)の面倒をみるという約束の下、兄夫婦に実家を明け渡したのに父のぼけがはじまった途端、兄嫁が介護を放棄、家出。
結果、夫や義母の冷たい視線を浴びながら父の介護に奮闘する日々。

田代朝子の事情・・・
看護師の仕事を辞めて寝たきりの母・チヅ(78)の介護中に、リストラされた弟・慎一が転がり込んできたため母の年金と自分の蓄えで賄っていた家計は逼迫。
再び看護師の職を求めて「セブンスター・タウン」で働きはじめる。

丹羽さつきの事情・・・
独身のまま、同居する元気な両親と暮らしていたが、父があっけなくがん死。
老いがにわかに進む母。


それぞれに老いた親の介護という最優先問題を抱えた3人がセレブご用達の「セブンスター・タウン」で出会うところから物語がスタート。


前半部分は筆力のある著者には珍しく平坦な筆致で「セブンスター・タウン」のセレブ老人たちや主人公たちの背景が描かれていて、面白みの欠ける文章の連なりでしたが、後半に来て、ドドドとドタバタ喜劇と見紛う劇場型へとなだれ込んで・・・


これはこれであまりにも奇想天外で読む気を削がれてしまいました。


しかし昨今の新聞やネットなどで挙げられている貧困老人の記事を通して感じていた「格差」についての言及や介護問題に特化した内容に惹かれて最後まで読み通すことができたという作品。


著者の作品にしては少々破綻した筋立てではありますが、興味ある方はどうぞ。


ある登場人物の言葉・・・
「親のみじめさはいつか私たちにくるみじめさ…」

この言葉を身に染みて感じるのはたいてい親を見送ったあと・・・

いま私は痛切に感じています。

友人に誘われて今ホットなイケメン憲法学者・木村草太氏の講演会に行きました。

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姿勢のいいイケメンぶりをしっかり拝見^_^

現職は首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部都市教養学科法学系教授・・・ちょっと長いですけど。

東京大学法学部生時代には長谷部恭男氏のゼミにも属しておられていたそうです。

長谷部恭男氏は樋口陽一氏とともに「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人でもあり、小林節氏とともに木村草太氏もメンバーとなっていらっしゃいます。

「立憲デモクラシーの会」は安倍政権になって以来、立憲主義の擁護を標榜し、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認などに反対を表明しているのでご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。


講演は「立憲主義を守る」を基盤に、改憲派の主張の一部である押し付け憲法といわれるものが出来上がるまでのGHQと日本政府の折衝から可決までを時代を遡って示すことから、クローズアップされている憲法第九条および第十三条について述べておられました。

加えて今月半ば、福岡高裁那覇支部で判決があった「辺野古埋立承認取消違法確認訴訟について言及。

被告である沖縄県知事・翁長氏の主張(本件新施設等建設は、国政の重要事項であるとともに自治権を大幅に制限するものであるにもかかわらず、具体的な根拠となる法律がないので、憲法41条及び92条に違反している)に対し、本件施設等の建設及びこれに伴って生じる自治権の制限は、日米安全保障条約及び日米地位協定に基くものであり、憲法41条に違反するとはいえず、さらに、本件新施設等が設置されるのはキャンプ・シュワブの米軍使用水域内に本件埋立事業によって作り出される本件埋立地であって、その規模は、普天間飛行場の施設の半分以下の面積であり、かつ、普天間飛行場が返還されることに照らせば、新施設等建設が自治権侵害として憲法92条に反するとはいえない、というのが判決の主旨。

ところが沖縄県側の憲法上の主張は、「憲法92条及び41条より、米軍新基地建設には、根拠となる法律が必要である」が、「辺野古新基地建設は、それを定めた具体的な根拠法が存在しない」ため、仮に埋立を行っても、米軍基地として運用できないのだから、埋立承認は合理性に欠き、それを取り消す処分は適法である」というもの。

これを享けての上述のあまりにも論点を外した判決には開いた口が塞がらないというか、、司法のレベルを疑わざるを得ないというのに言及。


とても勉強になりました。


木村氏の講演の前にフォークシンガー・野田淳子さんのギター弾き語りがありました。

懐かしい童謡をはじめ、いくつかの歌を披露されましたが、そのうちの1つが心を揺さぶりました。

「死んだ男の残したものは」
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

谷川俊太郎氏の作詞、武満徹氏の作曲によるもの。

ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、オペラ歌手・友竹正則氏によって披露されたそうです。






さて本日は林真理子氏著『ビューティキャンプ』のご紹介です。

「苛酷で熾烈。
嫉妬に悶え、男に騙され、女に裏切られ。
ここは、美を磨くだけじゃない、人生を変える場所よ。
並河由希の転職先はミス・ユニバース日本事務局。
ボスは、NYの本部から送り込まれたエルザ・コーエン。
ブロンドに10センチヒール、愛車ジャガーで都内を飛び回り、美の伝道師としてメディアでひっぱりだこの美のカリスマだ。
彼女の元に選りすぐりの美女12名が集結し、いよいよキャンプ開始。
たった一人が選ばれるまで、運命の2週間。
小説ミス・ユニバース」


ミス・ユニバース地方予選から勝ち上がってきた12名の美女たちが集結し、ミス・ユニバースジャパンを決める大会までの2週間の「ビューティーキャンプ」と銘打った合宿の物語。


ミス・ユニバースNY本部から送り込まれ、日本のミス・ユニバース選をプロデュースするフランス人のエルザの通訳兼スタッフとしてミス・ユニバース日本事務局に転職した並河由希の視点を通してその楽屋裏が描かれています。


物語は12名の選りすぐりの美女たちが合宿の舞台となるホテルに集結するところからスタート、ラストは日本での本選でミスと準ミスが決まる瞬間で終ります。


私生活においても美への並々ならぬ関心を持ち続けていらっしゃるという著者ならではのテーマ。


12名の女の戦い、と思いきや、そういった陰湿な人間関係はほとんど描かれることなく、日本における美人の視点と海外での視点の相違、外見の美しさを当人の自信にさせないような日本独特の風土など、なるほどと思わせる個所はありましたが、概して「それが?」と思わせる内容。

しかし美の伝道師として12名をグレードアップさせるエルザの説得力には脱帽する個所が多々ありました。

あなたはもっと賢いと思ってたけど、ケンソンとやらが大好きなジャパニーズ・ガールの一人だったのね。
あなたね、モデルとして成功するのと、ミス・ユニバースになることとはまるで違うことなの。
いい、モデルは服をひきたてるのがお仕事なの。
ミス・ユニバースは、自分を自分自身でひきたててやるのが使命なのよ。
あなたは今までまるで正反対のことをしていたのよ、わかる?


ミス・ユニバースが決まるまでの舞台裏、興味がある方はどうぞ。

キュウリ取れすぎという便りがチラホラする中、我が家のベランダ菜園のキュウリ、今までに3本収穫しました(少なっ)。  4640f4c6.jpg



手塩にかけた分、期待も大で夫と話し合った結果(すごく大げさなんですけど)ぬか漬けにするにはもったいないということで、初ものはスティック状に切って味噌や塩で素材の味を十分に味わい、次は酢の物、その次はサラダと三様に食べました。


そして今日、知人からたくさんの野菜が届き、そのうちのキュウリを調理していると夫が近づいてきて意を決したように言いました。

「ウチのキュウリ、どうしてあんなにまずいのかな?」

私も最初期待に胸を膨らませて食べた瞬間、「あれ??」と思ったものの、何しろ丹精込めて育てたキュウリ、そんなはずはないと心で打ち消すものの、食べれども食べれども??という感じでした。


認めたくないものの新鮮な取れたてキュウリ特有のパリパリ感ゼロ、味自体ゼロ


ベランダからもぎたて、見た目は瑞々しく緑がヴィヴィッドで、親の欲目を割り引いてもどこへ出しても恥ずかしくない容姿なんですけどね^_^;


「Sさん(夫のこと)も感じた? 私も最初から思っていたけどわが子をけなすようで言えなかった」と珍しく意見が一致。


一生懸命の子育ての結果が見事裏切られてしょんぼりする夫婦の会話でした。



改めて農家の方の偉大さに頭が下がりました、大げさではなく。





さて今回は林真理子氏著『嫉妬』をご紹介します。


重い読み物のあとの一服のデザート、読みやすい短篇ですが、内容はタイトルどおりの主題、けっこうハードでした。


「高校時代、やけに男を魅きつけた尾高裕美に。
東京で生まれ育った美貌の同級生の吉岡暁子に。
海外生活をしてきた同僚のエイミーに…。
そのおさえても湧き上がる黒い嫉妬の感情に飲まれていく男女を鋭い筆さばきで描いた、切なくも残酷な傑作短編集」


「嫉妬」という語を見ると、「妬み(ねたみ)」と「嫉み(そねみ)」という超マイナーな心情を表す語が2つも、しかも2つとも女へんがついているところ、ちょっともの申したい感じ。


「嫉妬」は女性の専売特許ではないと思うんですけど・・・ね。


男女を問わず「嫉妬」の度合いは明らかに人によりけり、競争心の激しい人はイコール自分より先んじていると思われる人に対しての嫉妬心たるやすごそうです。


自分にはまったくない感情とは言い切れませんが、自分自身は嫉妬心が少ないほうだと自己分析。


時として他人の才能や境遇が羨ましいなと思うことはありますけど、それが「妬み(ねたみ)」と「嫉み(そねみ)」と同義語とは思わない程度。

丸ごとの自分はこの程度のモンと思っているからかもしれません。


最近、著書の『野心のすすめ』が話題になっている著者・林真理子氏。

新聞の書評によるとその中で林氏は若い人にもっと野心を抱いてほしいと記していらっしゃるそうです。


林氏の生き方を遠目に拝見したかぎりでは、夢の実現を目指しての弛まぬ努力の結果、見事に目標のものをほとんど手中に収めていらっしゃるように見えます。

作家になること、結婚すること、子どもを持つこと、ベストセラーをたくさん出すこと、文学賞を取ることなどなど。

努力の甲斐あって現在、直木賞や講談社エッセイ賞、吉川英治文学賞などの選考委員を務めていらっしゃる、押しも押されもしない流行作家となっておられます。


これら野心を着実の形あるものとしてきた姿勢が若い女性を中心に共感を呼び、『野心のすすめ』は今ベストセラーになっているそうです。



さて本書に戻ります。

2009年の作である本書は比較的新しい著書なんですね。


林真理子氏の著書は数冊読んでいますが、柴田練三郎賞を受賞した評伝『白蓮れんれん』のほかは読後に充実感はなく、本書も軽く読めるものの、後に残る余韻はありませんでした。

しかもどれもかなり後味がよくない。


他のレビューをググッてみたら、自分の心の奥底に秘めた醜い感情をこれでもかとあぶりだしているのが居心地が悪い理由の1つではないかと分析している人がいらっしゃいました。

そのとおりかも^_^;


本書に収録された6篇の主人公たちの動的&静的嫉妬心を批判することは簡単ですが、自分がその立場に立ってもなお平静で博愛的な心のままでいられるか、といえばきっぱり否定できないかもしれません。

しかし、本書に描かれている感情の中には自分には理解できない羨望や見栄が存在することも確かです。


都会に対するあこがれが強いと見受けられる著者、さまざまな作品で登場人物を通して地方出身というコンプレックスを描いていますが、自分には都会に対する羨望、地方に対するコンプレックスについては共感できないものがあります。


これらいくつもの覆いたくなるような劣等感を切り取って1つの物語に仕上げてしまう、著者の作家魂はすごいと感嘆します。

ブログ友がアップされるベランダ菜園が羨ましくて少しずつ増やしています。


昨年は引越しのためゴーヤが植えられなかったので今年はと意気込んでいますが場所を確保しなくてはならずどうなるか。


で、今植えているのはレタス、ネギ、ベンリ菜とラディッシュ。


ラディッシュは二十日大根といわれるだけあって早速収穫して酒肴のお供に。0fa2a101.jpg


梅塩をちょっぴりつけて齧るととってもおいしい!



それに友人が届けてくれた自宅の山の採れたての筍、夫が山で採ってきたわらび、そして道の駅で見つけたコシアブラ!
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                                    貴重なコシアブラは天ぷらに。

これら諸々の食材が冷蔵庫に横たわっていてとても心躍る季節、あっという間に過ぎてしまう短い季節だから貴重なんですよね(*^。^*)




さて今回は林真理子氏著『美食倶楽部』のアップです。


「ふぐの白子、蛙の煮込み、鮒鮨に鶏の水炊き。
モデルクラブの女社長・33歳の祥子の楽しみは食べること。
美食の秘密をちりばめた表題作他、広告代理店のエリートと流行作家の不倫『幻の男』、由緒ある高級住宅地を舞台にした人間洞察の傑作『東京の女性(ひと)』。
食欲、男、そしてプライドに踊る都会の女たちを描く、充実の小説集」


本書には一流といわれる店で一流の食べ物を食することに執念を燃やす33歳の独身女性を主人公の表題作「美食倶楽部」の他、漫画家として成功した遠山由香里と広告代理店に勤める妻子ある陽二との不倫の末を描いた「幻の男」、そして憧れの東京の高級住宅地にある家の2階を借りて住むことになった地方出身の真由美と婚約者の健と大家の政代の人間模様をえがく「東京の女性」の3篇が収録されています。


どの篇も20代~30代の女性が主人公ですが、それぞれ目を背けたくなる女の醜い部分を巧みに救い上げているという意味では感服でしたが、どの主人公にも共感できないもどかしさの残る、そして読後感としては何も残らない作品でした。


ただ寝ながら気楽に読めるというメリットだけ。


それに余談ですけど…私は高級食材やグルメという存在にいわれのない強い敵愾心があって

ついでにテレビで蔓延っているグルメリポーターにもついつい反発してしまいます^_^;


本書に戻って…1989年刊行ということでなんとなく納得しましたが、表題作の主人公を例にとっても33歳という年齢らしくない老成が目立って、現代とはかなりのズレを感じました。


今まで著者の作品はほとんどスルーしていましたが、「筑紫の女王」と呼ばれた歌人・柳原白蓮を描いた『白蓮れんれん』が秀逸だったのでそれ以後時に思い出して手に取りますが、期待するような充実作品には出合えないでいます。


しかし学歴や家柄などに絡め取られた女性の心の奥に潜む心理を容赦なく描く力量はすごいですね。


何の根拠もありませんが、どの主人公も少なからず著者の素顔とだぶる気がして…だからどうなの?とは思いますけど、物書きの業を感じました。

少し前内田樹氏による『下流志向 ~学ばない子どもたち 働かない若者たち』がベストセラーになりましたね。91932e64.jpg



ニート、引きこもりなどの社会現象の根幹を、子どもの最初の社会活動である家事労働の激減によるものであると分析して話題を呼びました。



かつての子どもたちは家庭でのお手伝いという形で提供した労働を親や祖父母から感謝という言葉で得ることで自我のアイデンティティが形成されていましたが、便利さが追及された結果電化製品に囲まれた家庭で子どものお手伝いは激減し、その代わり幼い頃から勉強して結果を残すことで両親や祖父母から子どもに似つかわしくないほどの小遣いをもらう家庭が多く、生まれての社会経験が労働ではなく「消費」という子どもたちが増えてきたと警告を発しています。


そんな真の労働の意義を知らない子どもたちがやがて学校や社会からドロップアウトするという現象が今の日本を彩っていると言及していますが、タイトルだけを見るとこのような現象を引き起こしている青少年が自ら進んで「下流」を「志向」しているよう感じですが、そもそも「上流」「中流」「下流」の線引きは大変曖昧であろうと思えます。



実態は別にして自分の立ち位置を「中流」と思っている日本人は私を含め多いのではないでしょうか。



そもそも上昇志向の弱い、というより目の前に置かれたプログラムをコツコツこなす意志の弱い若者たちの頭の中に自分の取った行動の結果「中流」から「下流」に転落するなどという計算が働くはずもなく結果的にそうなっているだけという気がします。




本日ご紹介するのはテーマが「下流」でも内田樹氏による作品ではなく丸ごとエンタメ小説です。



林真理子氏著『下流の宴』


2009年3月~12月末まで毎日新聞朝刊に連載された新聞小説が1冊にまとめられた作品で黒木瞳主演でTVドラマ化されました。


上流志向の強い女性を描いたらピカイチといわれる著者・林真理子氏の得意分野、一時「勝ち組」「負け組」という流行語に表わされるように、「勝ち組」に属するために努力を惜しまなかった著者ならではの作品。



上昇志向の強い人間が「勝ち組」のレッテルを勝ち取れたバブルの時代から遠く離れた現在でも、というより半ば永遠に密やかに続く「上流」への価値観を見事に浮き彫りにした作品ではないでしょうか。



主人公である福原家の主婦・由美子が、下流と見下すひとり息子の彼女に対して、多くの人々が口に出せず心で希求している欲望とか世間の物差しをここまであからさまに投げかけるシーンには驚くとともにまるで喜劇を見ているよう、著者も書くもんだなぁという感じ。



元医者の妻であるというだけの細い糸にすがって生きてきた母親のスタンスをしっかり受け継いだ由美子自身が必死に目指す「上流」への道ははからずも夫と息子によって阻まれますが、「上流のトバ口」にいると思っている由美子の心の「下流」ぶりをタイトル「下流の宴」で表わしているとしたらとても言い得て妙なタイトルであると思いました。



私自身、「上流」「下流」の言葉の含む意味や区分について真剣に考えたことはない上、そういう区分に嫌悪感がありますが、これらの言葉は人々の紡ぐ家庭や家族の歴史の中に存在するのではなく、自分の環境に満たされないものを感じている人々の心の中に存在する空虚なものであると思えます。



それぞれの幸せ感はそれを感じる人の心にだけ存在するということが年を重ねた現在理解できたことです。



将来の展望も持たず上昇志向も皆無、ただ今を流れに任せてその日暮らしをする由美子の息子・翔の生き方はもし自分の息子なら「見守ってやろう」などときれいごとの言える心境ではないでしょうけど人の意欲を引き出したり考え方を変えさせることの難しさはかろうじて知っているので、翔の父親の言葉に肯かざるを得ません。


「諦める、っていうよりも、見守るしかないっていうことだ。僕たちも考え方を大きく変えなきゃいけないんだろうなぁ」


由美子がきっぱりと下流と見なしていた翔の彼女・珠緒の国立医大合格といい、上昇志向のみで生き方を決めるような由美子の娘・可奈のスピード結婚と離婚といい、まるでブラックユーモアを本気で書いている、というような小説でした。

     
母のところに通うのに毎日のように同じような道を歩いていてもいろんな発見があります。


昨日まで営業していた店舗にシャッターが下りていて閉店の貼り紙が貼られていたり、先日まで居酒屋だった店が韓国料理の店として華々しく開店していたり。

母の住まいの周りには飲食店が多く、しかも様変わりの周期がとても速く目まぐるしいほど。



私が子どもの頃、同じ町内にあった日活系の映画館。

館主が母と親しかったので度々無料でチケットをもらっていました。


高校生になったら生意気にも観るのは洋画専門となりましたが、中学生の頃は学校から帰って石原裕次郎主演の映画を観にいくのを楽しみにしていました。



時は流れ、映画そのものが斜陽になりテレビに移行するようになって、その映画館も館主が替わり、健全な映画上映からいつしかポルノ専門の映画館として寂れた風情の中にも経営が成り立っているようでしたが、つい先ごろ前を通りかかったら完全にリタイアしていました。


活動していた頃は扇情的なポスターを見ないように、そしてこっそり入館する人々と視線が合わないように、なるべく前を通らないように努力していましたが、時代の波に乗り切れなかった残骸を見るとまた1つ時代の火が消えたような感慨を覚えています。


こうして次々様変わり、代替わりして時が経過していくのでしょうね。


風前の灯の実家の灯も、私自身もやがては消えていくのがこの世の倣いというのは理解していますが何だか寂しさを誘います。




さて今日はそんな映画界全盛時代に生きたスターを主人公とした作品です。


林真理子氏著『RURIKO』


著者へのインタビュー記事によると、以前NHKのドキュメンタリー番組「父の面影を追って 浅丘ルリ子・中国への旅」を通してルリ子さんの父親である浅井源二郎氏の生きた足跡に興味を持っていたという下地があったところ、角川歴彦氏からの提案が発端で是非書いてみたいと思ったそうです。


「お父さんが満州国の官吏だったということを知っていたので、満州映画協会理事長だった甘粕正彦と結びつけて書いてみたいと思いました」



関東大震災の混乱期、無政府主義者・大杉栄と伊藤野枝を虐殺した甘粕事件で悪名高い甘粕正彦とルリ子の父親が昭和13年に満州国外交使節団の一員として共に訪欧団に参加しているという接点に注目した著者の物書きとしての創作魂が刺激されたとあります。


それを証明するように、この作品は満州国官吏の職を得て10年になる源二郎と、溥儀が名誉総裁を務める協和会の総務部長であり満映の理事長という肩書きの甘粕との交流から筆を起こし、のちのルリ子となる4歳の信子の印象を甘粕の口からこのように語らせています。

「私はあんなに綺麗な女の子を見たことがありません・・・
私は信子ちゃんが大きくなるのを楽しみにしているのです。
信子ちゃんが成人したら、きっとこの満映のスターになってくれるだろうとね」


この導入部分で歴史上の知名度の高い甘粕正彦を登場させてルリ子の将来を暗示させるという点で著者の巧みな構成力には脱帽します。


ともすれば週刊誌ネタのゴシップの羅列と見紛うきわどさのあるその後の延々と続くルリ子自身の独白内容をこの導入部が多少なりとも和らげているという点で作品全体に与えている影響は大です。


林氏はルリ子をどのように描きたかったのか。


この作品を通して立ち上がってくるルリ子は赤裸々に男遍歴を綴っているにもかかわらず生身の人間としての実像というより、映画界全盛の黄金時代が作り上げたスターという名の虚像を描いているようです。


一読者である自分のこのような受け取り方が著者の意図と一致するものかどうか知る由もありませんが、映画の黄金時代小~中学生だった私にとって、作品に登場する若き石原裕次郎や小林旭、北原三枝、美空ひばりなどのスターの虚像を剥ぐような数々の逸話は率直にいって興味深いものでした。



ある人物の評伝を書くとき、その人物は書き手である作家の意図によって幾様にもデフォルメされますが、林氏は対象者に必要以上の思い入れを持たず、かといって負の感情を持たず、適度の距離を置いて淡々と追っていると感じさせるスタンスには共感を覚えました。


「RURIKO」という女優の息を飲むほどの表面の美を作品の骨子に据え、それゆえ存在に価値があるという論理を決して厭味とは感じさせず、しかも繰り返し繰り返し作品を通して語っているのは見事ですが、私を含めた大部分の読者はゴシップの延長としての興味で読了するのではないでしょうか。



「人物を描くうえで、いろんなアプローチ方法があると思いますが、『RURIKO』は評伝ではなく、小説家としての私が浅丘ルリ子という女優さんの半生にアプローチをした作品です」

巻末にこう記されています。

「本書は著者の取材に基づいて、実在の人物をモデルに書かれたフィクションです」

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