VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 井上荒野

それぞれ別の日ですが・・・

春のひと日、笠岡の竹喬美術館とベイファームに。

夏はひまわり、秋はコスモスなど四季ごとに花を楽しませてくれる笠岡湾に面した5ヘクタールの干拓地。

いま、1000万本の菜の花が満開です。

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三月の風まだ寒し干拓地に一千万本の菜の花ゆれて


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また昨日は○○年ぶりに友人3人と後楽園に。

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烏城が見えます
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まだ開花宣言されていない後楽園の標本木。

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でも園内の他の桜の木にはちらほらと2つ3つの花。

あと1週間もすれば旭川の土手も見事な桜並木となるでしょう。






さて本日は井上荒野氏著『ママがやった』のご紹介です。

「ママはいいわよべつに、刑務所に入ったって・・・
小料理屋の女主人百々子七九歳と若い頃から女が切れない奇妙な魅力をもった七つ年下の夫。
半世紀連れ添った男を何故妻は殺したのか。
或る家族の半世紀を描いた愛をめぐる8つの物語」

8つの短篇からなる連作短篇集。


79歳の母が72歳の父を殺した。

冒頭にこんな衝撃的な事件が提示され・・・当然そこに到る過程が徐々に展開されると思いきや・・・やはり荒野氏の作品だけのことはあるシュールな仕上がり。

この夫婦には娘2人と息子1人という家族・・・冒頭の一話に登場する語り部の息子の牽引のあと、二話から七話まで家族それぞれの生き様が綴られ・・・ラストの八話でやっと冒頭の一話と繋がるといったストーリー展開。

共感できる生き様の家族がひとりも登場しない不思議な雰囲気の物語。


不思議というより不穏といった方が正しいかも。


この5人で構成する得体の知れないものが家族といえるなら、家族という固体の不気味さというか、掴みどころのない薄気味悪さを感じてしまいます。


「日常を生きることの綱渡りがここには描かれている」とは池上冬木氏の読後感。


新聞等に目を向ければ、日常茶飯事とはいえないまでもおびただしい家族間殺人事件が起こっている昨今、「家族」という今までの固定観念を壊さなければ、納得できないところまで来ているのかもしれません。


すすんでお勧めしたい作品ではありませんが荒野ワールドがお好きな方はどうぞ。

お正月にテレビで「芸能人格付けチェック」というのを毎年観ています。

「ワイン」や「音感」、「味覚」などの分野に分けて、それぞれ価格的に超一流といわれるものと、方や私たち御用達の安売り店で購入できるものとを同時に出してそれぞれ芸能人たちが味わい、どちらが最高級のものかを選ぶというもの。

いつ頃からか観はじめて我が家のお正月番組の定番となりました。

そんな中前人未到の格付けチェック30連勝を果たしているのがGACKT。

味覚といい、音感といい、芸術的センスといい、文句なしにぶっちぎりです。


GACKTは歌手らしいのですが、歌も聴いたことがない私はこの番組でGACKTの感性のすごさを知りました。


「いくら魅力的でもこんな人が同居人なんてぜ~ったいいやや」と娘。

GACKTの自宅の寝室には自前の「滝」が流れているそうです(――;)

娘よ、安心して・・頼んでもぜ~ったい同居はしてくれません。


例えばお婿さんとして我が家に来たとしたら・・・想像しただけで心房細動が起こりそう(――;)

せっかく苦労して治したのに^_^;


我が家では相当力を入れたつもりの5000円のワインでもおかわりを勧めたら「いえ、もう十分に堪能させていただきました」と柔らかい言葉で断られそう。


ではどんな人がお婿さんならいいかとつらつら考えて・・・福山雅治もだめ、速水もこみちもだめ・・・美男系は軒並み気を張りそうなので・・・あとはお笑い系かしら。

お笑い系でも人柄がいいのがいいな~・・・あまり稼ぎがあると格差がありすぎてこちらが卑屈になりそうやし・・・さんまは?・・・だめだめ収入ありすぎ・・・なんてたわいのないことを考えて時間をつぶしておりました。


どれだけヒマなん?






さて本日は井上荒野氏著『そこへ行くな』のご紹介です。


「長年一緒に暮らす男の秘密を知らせる一本の電話、中学の同窓生たちの関係を一変させたある出来事…
見てはならない『真実』に引き寄せられ、平穏な日常から足を踏み外す男女を描く短編集。
第6回中央公論文芸賞受賞作」


日常に潜む目に見えないような綻びがじわじわと裂け目を広げ、気づいたときには既に手当ての域を超えている・・・こんな状況を捉えてうまい作家さんです。


しかし読後感はよくない・・・肌に馴染まない違和感が競りあがってくるのを感じながらページを捲る手が休まない・・・そんな7篇の短編集。


自分の来し方に全面的に満足している人は別として、誰しも「あのときもっと違った選択肢があったのではないか」という人生のターニングポイントの存在に苦い思いを持っていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。

私も振り返ると・・・あります。


そのときはそれ以外の選択は考えられなかったはずなのに、時を経ると「あれでよかったのか」と思える悔悟に似た気持ちに陥ります。

そんなのに似た感覚。


間違った方向に進んでいっていることがわかるのに何故か歩を止めることができない。


また自分の行動の結果ではないのに思わぬところから降りかかってくる悪意や裏切り。


それぞれの短篇に場所の名前をつけた小品にはこれでもかという日常の魔を潜ませた物語が用意されています。

確かに人生には不条理が満ちているけど、目を背けることも大切だというのを学ばせてくれた作品。


怖いものみたさで読んでみたいと思われる方、どうぞ。

何気なくテレビを観ていたら、広島カープの本拠地広島市民球場がなくなることを記念して過去に大活躍した選手として大野豊投手と津田恒美投手の軌跡をたどる番組が再放映されていました。

私は夫の転勤で広島県の西に位置する福山市にしばらく住んでいた時期があり、それがちょうど古葉監督率いる赤ヘル軍団全盛期の時代でした。

代々トラキチを受け継いでいた私たちでしたが、「郷に入れば郷に従え」とばかり俄かカープファンになり熱狂したものでした。


1970年代後半から1980年代にかけて活躍、3度目のリーグ優勝に貢献、試合連続26セーブ達成という偉業を達成した若き大野豊投手が私たちの若い時代とダブって蘇り感無量でした


ちょうど10年前「わが選んだ道に悔いはなし」という言葉を残して22年間の投手生活を終えた大野豊さんですが、高校卒業後2年間地元の信用金庫で行員として顧客に信用を売る日々の積み重ねがあればこそその後の厳しい選手生活を全うできたと語っていらっしゃった言葉が印象的でした。


もう1人は野球人生途上で脳腫瘍のためこの世を去った直球勝負の投手人生を貫いた津田恒美さん。

彼に関してはこのブログで『もう一度、投げたかった』のレビューで触れていますので読んでくだされば嬉しいです。
            http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/208


NHKスペシャルで以前観たときも涙なしでは観られませんでしたが、今回もあふれる思いなしでは観ることができませんでした。

図らずも人生の苦難に遭遇したとき投げ出すことなくやり遂げなければという大切なことをいつも教えられるのです。



さて本日は第139回直木賞受賞作品 ― 井上荒野氏著『切羽へ』です。

異能の作家といわれた井上光晴氏の長女として生まれ、児童文学翻訳家としてスタート、フェミナ賞、島清恋愛文学賞、吉川英治文学新人賞、そして直木賞受賞という充実した作家への道を着実に歩んでいる著者の簡単な経歴&『森のなかのママ』のレビューは下記に記していますのでよかったら見てくださいね。

       http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/272

「静かな島で、夫と穏やかで幸福な日々を送るセイの前に、ある日、一人の男が現れる。
夫を深く愛していながら、どうしようもなく惹かれてゆくセイ。
やがて二人は、これ以上は進めない場所へと向かってゆく。
宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった美しい切なさに満ちた恋愛小説」


本の帯のフレーズを心に留めて読み進むうち、フレーズを通して自分の思い描いていた内容との大きな落差に戸惑ったままで読了しました。

「切羽」を「せっぱ」と読み、「せっぱつまった」という熟語からくる連想が男女の行き場のない恋愛へと私の中で既成の図式ができあがっていたのでした。

ここでの「切羽」は「きりば」、「せっぱ」と読む「切羽」も「きりば」と読む「切羽」も著者が意味するところは「それ
以上先へ進めない場所」。


舞台はかつて栄えた炭鉱の跡の廃墟がある小さな島。

「切羽?」

「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。
トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」


著者の父である井上光晴氏が若き頃炭鉱夫として働いた長崎の島を舞台に、小学校の養護教諭30代のセイの一人称語りで物語が進みます。

特に何が起こるでもない島での日常で画家の夫と平穏な日々を過ごしているセイ。

そんなセイの前に音楽教師として石和という若い男が赴任してきます。

会った瞬間から惹かれあう2人の心奥深い秘め事は奔放な性を謳歌しているような同僚の女教師月江、島の老女しずか、そして夫にさえも見抜かれます。


入院中のしずかを見舞うセイに向かって老女は容赦ない言葉を投げかけます。

「昨日、あの人が来らしたよ」
「あの人?」
「そう。あんたの、いい人」


新学期が始まろうとする3月の石和の赴任から4月、別れまでの淡い水の流れのような季節の移ろいの中で1つの惹かれあう心が芽生え、その気持ちを取り出して相手、そして自分にすら問うことすらしないで終焉を迎える、ただそれだけの物語。


清冽とエロティシズムが交差してなお清々しさの残る不思議な物語といえるでしょう。

九州の土地の言葉がこの清々と流れる水のような透明なキャンパスに思わぬ豊かさと懐かしさを塗りこめているような効果、この著者の力量を感じました。


あえて書かない濃厚な感情表現を余白から読み取ることのできる、恋愛小説というにも官能小説というにも似つかわしくない、それでいて官能的で美しい物語でした。

「のろしは あがらず のろしは いまだ あがらず」

1992年にがんで亡くなられた作家井上光晴氏の墓石に筆刻された自作の詩だそうです。

戦争や差別を主題にした作品を多く遺し、異能の作家といわれた井上氏の作品は未読ですが、瀬戸内寂聴氏の仏門入りの動機となった男性として話題を呼んだことでも有名ですね。


その井上氏の長女である井上荒野氏が2008年上半期の直木賞を受賞されて、父親の光晴氏が再び脚光を浴びているという記事が出ていました。

光晴氏は生前「群像文学賞」や「太宰賞」などの選考委員を務められていましたが、芥川賞候補になったものの落選、華々しい賞とは無縁の作家でした。


本日はその井上氏の長女井上荒野氏著『森のなかのママ』をご紹介したいと思います。

1989年『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞
2004年『潤一』で第11回島清恋愛文学賞
2005年『だりや荘』で第26回吉川英治文学新人賞候補
2006年『誰よりも美しい妻』で第27回吉川英治文学新人賞候補
2008年『ベーコン』で第138回直木賞候補
2008年『切羽へ』で第139回直木賞受賞

児童文学翻訳者から出発された氏には他に光晴氏のことを描いたエッセイ『ひどい感じ 父・井上光晴』を2002年に出版していらっしゃいます。

そこでは家族の目を通した光晴氏の規格外の性格や生き方、考え方が描かれていて光晴氏研究者にとっては興味深い内容となっています。


「荒野」は光晴氏がつけた本名で、人と変わった劇的な一生を送るようにとの願いで『嵐が丘』からとられたそうです。


このたび直木賞を受賞された『切羽へ』は未読ですが、評論などによると光晴氏の故郷の南の島を舞台に宿命の出会いに揺れる男女の機微を描いた内容だそうで、「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所のことを表しているそうです。

光晴氏の次女であり荒野氏の妹さんの名前が「切羽」であることからの発想でしょうか。



さて本題の『森のなかのママ』に戻ります。

「一枚の絵」に連載していたものに加筆して単行本化し、2004年には文庫としても刊行されました。


「亡き父の個人美術館に暮らす女子大生とその母の周囲に起こるドラマを卓越した筆さばきで描いた秀作」

5年前箱根の旅館で「困った死」を迎えた高名な画家の一人娘いずみの目を通して語られる60歳になっても天衣無縫な女性の魅力を持った不思議なママとそれを取り巻く男たちの何気ない日常。


森の中にある小さな個人美術館に暮らすママを冷静な目で観察しているいずみはあることをきっかけに次第にママを見る目に変化が起きます。

もしかしたらママは自分の人生に起こった大波に呑み込まれず、どうにか渡り合うために天衣無縫さを甲羅のように身に着けていったのではないかと。

「私は、ママのほんの一部分しか見ていなかったのかもしれない。
もしかしたらママは、とってもスゴイ人なのかも」

大学生いずみに語らせた文章は簡素で少女小説のような雰囲気を醸し出しています。

物語全体が森のフィトンチッドに包まれたような、そんな心地よさを感じさせる読後感でした。

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