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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 箒木蓬生

「人はみな前のめりに生き死んでいく今際のいまも明日の約束」

朝日歌壇で入選されていた三島市・福崎享子さんの歌です。


今でない近未来の楽しみを心の拠りどころにしている私たちの姿勢を「前のめり」という言葉で表現していて思わず共感。


運命を知るよしもない私たちの右往左往の日常は全能の神の目にはまさしくこっけいな姿として映っているでしょうが、みんな真剣なんですよね。


そういった意味で前のめりの確かな約束もない寝たきりの母の日常は見ているだけで切なくなる毎日です。


介護関係の方々や私は食欲が落ちている母にいかにして栄養価の高いものを食べさせようかと必死になり、食べてくれるとほっと安心感が広がりますが、母としてはそこまでの努力をなぜさせられる必要があるのかという疑問があるような気がします。


限りがある命とわかっていても少しでも長く生きてほしいと思うのが酷のような状況のときもあり気持が揺らぎます。


在宅を強く希望している母に合わせて考えうる限りの体勢で自宅介護していますが、果たして最後まで在宅でできるのかという不安に常時襲われます。


経験豊富な訪問担当医は「年齢を考慮してなるべく自然に反する処置はやめてそのとき、そのときで考えましょう」と言われますがそれに耐えられるかどうか。


なるようしかならないといつも自分に言い聞かせる毎日です。





さて本日は帚木 蓬生氏著『インターセックス』をご紹介したいと思います。



「『ひとは男女である前に人間だ』
インターセックスの人々の魂の叫び。
高度医療の聖地のような病院を舞台に、医療の錯誤と人間の尊厳を問う書き下ろし長編」



「インターセックス」という言葉をご存知でしょうか?

私は本書で初めて知りました。


言葉の雰囲気からメディアなどでよく目にする「性同一障害」と混同される方も多いのではないでしょうか。


「性同一障害」は生物学的な性別と自分の中の意識が一致しない状態のことを指していますが、「インターセックス」とは古い言葉で「半陰陽」とか「両性具有」、性器の形や生殖器が男性か女性の一方に分類できない人々のことを指すそうです。


英語の「インター」には「中間」という意味があり、男性と女性の中間にある性ということで名づけられたのでしょうか。



内分泌の異常や染色体の突然変異などの要因から性染色体と性器が一致しない状態ですが、細分化すると3つに分けられるそうです。

●性染色体は男性を示すXYでありながら性器の外見は女性である人
●性染色体は女性を示すXXでありながら女性性器が欠如して男性化している人
●男性器と女性器と両方持っている人


上記のような新生児が生まれる確率は1万人に100人、日本では約100万人いるといわれていますが、家族や本人にとっては恥ずべき秘め事として深く闇の中に埋もれさせているというのが現状だそうです。



これらのことが主人公である女性医師・秋野翔子や他の登場人物を通して語られていて「インターセックス」の啓蒙書と見紛うほど本書において大きな比重を占めています。



この障害を持って生まれた子どもに対する医学的な治療に関して主人公・翔子のスタンスというか信条が本書において著者のもっとも示唆したかったことであろうと思われます。


「ひとは男女である前に人間である」

「男と女に二分する方法は、全くの観念的なもので、自然界の現実を反映していない」



性染色体の示す本来の性に合わせてできるだけ早く外見の性を近づけるという従来行われる長期にわたる過酷な手術やホルモン療法が患者本人のためであるとする医師・岸川に異議を唱える翔子。


「小さい頃から、明瞭な性器を持っていることが、子供の性意識の確立には不可欠です。
セクシャル・オーガンが曖昧であれば、性意識も曖昧になってしまう」

「先生、性意識が曖昧なままだと、何故いけないのでしょうか・・・
大切なのは、その本人が誰からの強要もなく、自由にその生き方を選びとっていることです。
それは医師や医療が強制する問題ではありません」


この翔子の考え方は社会におけるマジョリティとマイノリティに関する議論に行き着くものであり、反論の余地のないほどの正論ですが、人間の心にあるマジョリティに対する安心感、マイノリティに対する疎外感などさまざまな問題を内包して複雑です。


患者である子供が大きくなる過程でそれらの複雑且つ好奇な目にさらされてもなお強く成長する子供はそんなに多くないのではないかという危惧を感じました。



このように「インターセックス」を核に据えた人間の生き方に直結する問題を提起した力作ですが、本書のもうひとつの柱である社会派医学ミステリとしての筋書きと「インターセックス」との間に関連性はほとんどないといっても過言ではありません。


「インターセックス」に関する著者の思い入れの強さは、タイトルにも表れている上にさまざまな登場人物の口から専門的で難解な解説を平易な言葉に転換して語らせている点からも伝わってきますが、過去の数件の殺人事件の真相が明らかになるクライマックスになってもこの「インターセックス」との関連性が全くないことにたいへん違和感を感じてしまいました。



インターセックスというテーマを扱うなら、ミステリの要素をすべて抜いたものにすべきではなかったかという疑問を感じたのは私だけでしょうか。


インターセックスの啓蒙書として独立させてもたいへん充実した内容であり、人間社会の多様性において多くの示唆を与えてくれる作品であると思います。

フーテンの寅さんこと渥美清さんが亡くなって今年でもうすぐ8年になります。

映画シリーズの最多記録としてギネスブックにも載っている「寅さんシリーズ」を観ていない日本人はいないと思うほど津々浦々日本国民の間では浸透していますね。

私も48作のほとんどを観ています。

マスコミに時々載る渥美清さんの人柄が大好きでした。


あまり知られていませんが、その渥美清さんは生前、朝日新聞社AERA主宰の「アエラ句会」の会員だったそうです。

「風天」という俳号で自在に詠んだ句は五七五という形にこだわらない、どちらかといえば私の大好きな山頭火や尾崎放哉の自由律のようなのびやかな句。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする

すだれ打つ夕立聞くや老いし猫

ベースボール遠く見ている野菊かな

手袋ぬいであかり暗くする

ようだい悪くなり苺まくらもと

花道に降る春雨や音もなく  (これは亡くなる1年半前、95年1月の作だそうです)


結核で片肺を失い、次々病気に見舞われながら不屈の精神で「寅さん」を撮り続けた渥美清さんらしいさらりとした句に人柄が表れていますね。



本日は箒木蓬生氏著『十二年目の映像』をご紹介します。

東京大学仏文科卒業後、TBS勤務を経て九州大学医学部を卒業、現在生まれ故郷の福岡でメンタルクリニックを開業、精神科医と作家という2本の草鞋をこなす異色の作家です。

1979年『白い夏の墓標』で直木賞候補
1975年『頭蓋に立つ旗』で第6回九州沖縄芸術祭文学賞
1990年『賞の柩』で第3回日本推理サスペンス大賞佳作
1993年『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞
1995年『閉鎖病棟』で第8回山本周五郎賞
1997年『逃亡』で第10回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。

ちなみにペンネーム「箒木蓬生」は『源氏物語』五十四帖の巻名「帚木」と「蓬生」にちなんでいるそうです。


本書は比較的初期の作品で、著者の2年間のテレビ局勤務の経験を土台にして医学色のない作品となっています。

「情報化社会の巨大組織テレビ局の裏面を撃つサスペンス」

サスペンス仕立てとなってはいますが、サスペンス色は薄い作品です。


舞台は東京の主要テレビ局、日の当たらない職場で鬱々している主人公川原の目を通してテレビの製作現場にいる体制派のプロデューサーやかつて学生運動に身を投じた体験を消化しきれないディレクターが的確に描かれています。


学生闘争が盛んだった時代の有名な東大時計台占拠闘争での安田講堂攻防戦を時計台内部から学生によって撮影されたフィルム ― 映像史上初めて権力へレンズを向けた解放区からのフィルム ― を入手したことから川原の内部で権力に向かって暴走するエネルギーが爆裂します。


テレビ局という格好の舞台でフィルムを時限爆弾としてもっとも効果的に利用する方法を自分の敗走と自覚しながらも一直線に進まざるをえなかった川原の真情が共感をもって私の心に迫ってきました。

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