神戸連続児童殺傷事件元少年Aという著者名で『絶歌』が発刊されて賛否多くの議論の的になっているようですね。
当時14歳だった少年も現在32歳、我が家の次男と同い年なので数えやすい。
以前にも書きましたが、事件が起きたとき同じ神戸在住、夫は須磨区の勤務先に通勤、同年の次男が所属していたスポーツ少年団のコーチをしていた方がA少年の父親と同じ会社の同僚として昨日まで机を並べていたとのことで、いろいろな話があっという間に広がっていったのを覚えています。
医療少年院に入院していたときの記録『少年A 矯正2500日全記録』がノンフィクション作家の草薙厚子氏によって上梓され、のちに物議を醸し出したのも記憶に新しいですが、その後の少年Aの動静についての噂はあちこちから聞こえるものの定かではないというまま時が流れ、今年に入って被害者の遺族の方へ届けられた少年Aの手紙についての報道を新聞の小さな記事で見たくらいです。
そういった流れの中での突然の出版。
真相は定かではありませんが、幻冬舎の見城社長宛に来た少年Aの手紙がきっかけで見城氏が少年Aに会い、執筆を促したそうです。
「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書く事が、僕に残された唯一の自己救済」と執筆の理由を説明しているといいます。
内容は知りませんし、読む気も、まして買う気持ちもまったくありませんが、手記というものは懺悔であれ自己総括であれ、やはり自己擁護がどんな形にしても必ず盛り込まれるのは人間として当然の行為だと思います。
過去に自分のした犯罪の結果遺族の方々がどれほどの苦しみの中に今もなおいらっしゃるかということを少しでも想像する気持ちがあれば、「僕に残された唯一の自己救済」などという自分本位の最たる理由を掲げて執筆するなどということはありえないと思います。
その「自己救済」に乗っかるかたちで社会責任もあるりっぱな出版社の社長が執筆を促すというのもまた信じられません。
明らかに見えてくるのはお金儲けの手段としか考えられないと思うのは私の了見の狭さなのでしょうか。
幻冬舎も太田出版ももう少し人の心の痛みへの想像力を養ってほしいと思うのですが・・・。
さて今日は垣根涼介氏著『迷子の王様』をご紹介したいと思います。
「迷い続け、悩み抜いたからこそ、やって来る明日がある。
大ヒットシリーズ、堂々完結!
一時代を築いた優良企業にも、容赦なく不況が襲いかかる。
凄腕リストラ請負人・村上真介のターゲットになったのは、大手家電メーカー、老舗化粧品ブランド、地域密着型の書店チェーン……
そして、ついには真介自身!?
逆境の中でこそ見えてくる仕事の価値、働く意味を問い、絶大な支持を得るお仕事小説、感動のフィナーレ!」
2005年に始まったリストラ請負人を主人公の「君たちに明日はない」シリーズの第5弾。
本書をもってこのシリーズは完了しました。
2005年『君たちに明日はない』 、2007年『借金取りの王子 君たちに明日はない2』 、2010年『張り込み姫 君たちに明日はない3』 、2011年『永遠のディーバ 君たちに明日はない4』 、2014年『迷子の王様 君たちに明日はない5』
このシリーズを通してリストラの対象になった人々、またはリストラをする立場の人々の口を通して何度か問題提起されている命題イコール著者の執筆の動機でもあります。
「あなたにとって、仕事とは何ですか?」
「この『君たちに明日はない』シリーズを書き始めたそもそもの動機は、これから先も日本の経済は、かつての『昭和』のような右肩上がりの高度経済成長の状態が復活してくることはないだろうと感じていたことから始まります。
『あなたにとって、仕事とは何ですか?』と。
これが、このシリーズのテーマとして書き続けてきたものです。
金のためか、個人の生活の安定・保障のためか、出世のためか、あるいは『大企業に勤めている』という社会的な見栄え、あるいは安心を買うためか、そういう意味を含めて個人的な金銭的・社会的な栄華を目指しているのか……ですが、日本の経済がダインサイジングを余儀なくされている今、そうした実利面だけの動機付けで仕事をするは、その時々の社会情勢や企業の業績によって賽の目がコロコロと変わるリスキーな生き方ではないかと個人的には感じています。
私の友人や知り合いの人生を長いスパンで見続けきて、しばしば感じる事は、『金儲けのためだけに仕事をしている人間は、大体の場合、いつかその金に足元を掬われる』と言うことです。
あるいは、こう言ってもいいかも知れません。
『その仕事に自分なりの意味や社会的な必然を感じている人間には、お金が目的で仕事をしていなくても、不思議と必ず後からお金がついてくる。少なくとも食うに困らないぐらいは、常に彼あるいは彼女の元に集まってくる』と言う事実です」
上記は著者の言葉ですが、いったいどれくらいの社会人が自分なりの意義や社会的必然を感じながら働いているかと思うとき、著者の言葉は単なる理想となりますが、この命題を常に頭に入れて仕事を選ぶ、切磋琢磨するということはとても大切なことだと思います。
このシリーズを総括するとこの命題を常に頭の片隅に置いて被面接者と対していた主人公・村上の成長譚ということになるでしょうか。
いくつもリストラ対象者の物語が出てきましたが、どの話もそれぞれに思い出深く、このように唐突にラストを迎えるのは一抹の寂しさがありますが、一方そろそろ店じまいする頃のような雰囲気もあったので納得感はあります。
「世の中は変わっていくものだから、自分が現状のままいたいと思っても、どうしても状況は変わっていく。
だからむしろ、その事実を受け止めて今を生きるしかないんだな」
現状を何としても維持するというスタンスを選んだ人、また方や新しい場へ移った人、それぞれ自分の置かれた現状に対して折り合いをつけることで未来に対する光を見つけられるという示唆にあふれたラストの結び方でした。
シリーズを読んでこられた方、ぜひどうぞ!
当時14歳だった少年も現在32歳、我が家の次男と同い年なので数えやすい。
以前にも書きましたが、事件が起きたとき同じ神戸在住、夫は須磨区の勤務先に通勤、同年の次男が所属していたスポーツ少年団のコーチをしていた方がA少年の父親と同じ会社の同僚として昨日まで机を並べていたとのことで、いろいろな話があっという間に広がっていったのを覚えています。
医療少年院に入院していたときの記録『少年A 矯正2500日全記録』がノンフィクション作家の草薙厚子氏によって上梓され、のちに物議を醸し出したのも記憶に新しいですが、その後の少年Aの動静についての噂はあちこちから聞こえるものの定かではないというまま時が流れ、今年に入って被害者の遺族の方へ届けられた少年Aの手紙についての報道を新聞の小さな記事で見たくらいです。
そういった流れの中での突然の出版。
真相は定かではありませんが、幻冬舎の見城社長宛に来た少年Aの手紙がきっかけで見城氏が少年Aに会い、執筆を促したそうです。
「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書く事が、僕に残された唯一の自己救済」と執筆の理由を説明しているといいます。
内容は知りませんし、読む気も、まして買う気持ちもまったくありませんが、手記というものは懺悔であれ自己総括であれ、やはり自己擁護がどんな形にしても必ず盛り込まれるのは人間として当然の行為だと思います。
過去に自分のした犯罪の結果遺族の方々がどれほどの苦しみの中に今もなおいらっしゃるかということを少しでも想像する気持ちがあれば、「僕に残された唯一の自己救済」などという自分本位の最たる理由を掲げて執筆するなどということはありえないと思います。
その「自己救済」に乗っかるかたちで社会責任もあるりっぱな出版社の社長が執筆を促すというのもまた信じられません。
明らかに見えてくるのはお金儲けの手段としか考えられないと思うのは私の了見の狭さなのでしょうか。
幻冬舎も太田出版ももう少し人の心の痛みへの想像力を養ってほしいと思うのですが・・・。

「迷い続け、悩み抜いたからこそ、やって来る明日がある。
大ヒットシリーズ、堂々完結!
一時代を築いた優良企業にも、容赦なく不況が襲いかかる。
凄腕リストラ請負人・村上真介のターゲットになったのは、大手家電メーカー、老舗化粧品ブランド、地域密着型の書店チェーン……
そして、ついには真介自身!?
逆境の中でこそ見えてくる仕事の価値、働く意味を問い、絶大な支持を得るお仕事小説、感動のフィナーレ!」
2005年に始まったリストラ請負人を主人公の「君たちに明日はない」シリーズの第5弾。
本書をもってこのシリーズは完了しました。
2005年『君たちに明日はない』 、2007年『借金取りの王子 君たちに明日はない2』 、2010年『張り込み姫 君たちに明日はない3』 、2011年『永遠のディーバ 君たちに明日はない4』 、2014年『迷子の王様 君たちに明日はない5』
このシリーズを通してリストラの対象になった人々、またはリストラをする立場の人々の口を通して何度か問題提起されている命題イコール著者の執筆の動機でもあります。
「あなたにとって、仕事とは何ですか?」
「この『君たちに明日はない』シリーズを書き始めたそもそもの動機は、これから先も日本の経済は、かつての『昭和』のような右肩上がりの高度経済成長の状態が復活してくることはないだろうと感じていたことから始まります。
『あなたにとって、仕事とは何ですか?』と。
これが、このシリーズのテーマとして書き続けてきたものです。
金のためか、個人の生活の安定・保障のためか、出世のためか、あるいは『大企業に勤めている』という社会的な見栄え、あるいは安心を買うためか、そういう意味を含めて個人的な金銭的・社会的な栄華を目指しているのか……ですが、日本の経済がダインサイジングを余儀なくされている今、そうした実利面だけの動機付けで仕事をするは、その時々の社会情勢や企業の業績によって賽の目がコロコロと変わるリスキーな生き方ではないかと個人的には感じています。
私の友人や知り合いの人生を長いスパンで見続けきて、しばしば感じる事は、『金儲けのためだけに仕事をしている人間は、大体の場合、いつかその金に足元を掬われる』と言うことです。
あるいは、こう言ってもいいかも知れません。
『その仕事に自分なりの意味や社会的な必然を感じている人間には、お金が目的で仕事をしていなくても、不思議と必ず後からお金がついてくる。少なくとも食うに困らないぐらいは、常に彼あるいは彼女の元に集まってくる』と言う事実です」
上記は著者の言葉ですが、いったいどれくらいの社会人が自分なりの意義や社会的必然を感じながら働いているかと思うとき、著者の言葉は単なる理想となりますが、この命題を常に頭に入れて仕事を選ぶ、切磋琢磨するということはとても大切なことだと思います。
このシリーズを総括するとこの命題を常に頭の片隅に置いて被面接者と対していた主人公・村上の成長譚ということになるでしょうか。
いくつもリストラ対象者の物語が出てきましたが、どの話もそれぞれに思い出深く、このように唐突にラストを迎えるのは一抹の寂しさがありますが、一方そろそろ店じまいする頃のような雰囲気もあったので納得感はあります。
「世の中は変わっていくものだから、自分が現状のままいたいと思っても、どうしても状況は変わっていく。
だからむしろ、その事実を受け止めて今を生きるしかないんだな」
現状を何としても維持するというスタンスを選んだ人、また方や新しい場へ移った人、それぞれ自分の置かれた現状に対して折り合いをつけることで未来に対する光を見つけられるという示唆にあふれたラストの結び方でした。
シリーズを読んでこられた方、ぜひどうぞ!