お盆も終わりました。
マンション住まいなのでベランダで火災報知機を気にしながら小さな迎え火を焚いて、小さなお膳を用意して亡き人をお迎えする行事も終わりに近づいています。
仏教徒とはいえない上、無宗教の自分が率先してお盆行事をするなど昔は考えられませんでしたが、母が亡くなってから自然の成り行きとして行っているのがわれながらおかしい。
年を重ねたということでしょうか。
母に会いたいと思いながら。
ゆふまぐれ亡母(はは)のみ霊(たま)に届けかしベランダで焚く細き迎へ火
さて今回は終戦記念日に相応しい一冊です。
山田風太郎氏著『戦中派不戦日記』
「私の見た『昭和二十年』の記録である。
満二十三歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。
『戦中派不戦日記』と題したのはそのためだ(「まえがき」より)
激動の一年の体験と心情を克明に記録した真実の日記」
2001年夏に79歳で亡くなられた「アル中ハイマー」を自称されていた作家さん。
軍人や文化人などによるさまざまな戦争体験記、戦中日記があり、庶民としては知る由もなかった内容が明らかになり、後世の歴史的な証言として注目を集めたものがある中、本書は当時徴兵検査で肋膜炎のために丙種合格とされ入隊を免れた23歳の1人の名もなき医学生が東京で体験した戦争というものについて細かく記録したものです。
私はいままで何度か時をおいて読んでいますが、そのときどきで受け取り方に深浅があり、今年は平和への危機感ゆえか深く読むことができました。
徴兵検査から免れた医学生とはいえ愛国心に溢れていた山田青年の高揚感がまっすぐ伝わってきて胸が熱くなる個所が多々。
ひとりの青年の国に対する心の遍歴の貴重な記録。
1945年1月から敗戦をはさんで12月までの1年間がのちに読まれるという意識なしの庶民の日記として描かれています。
「一月一日 運命の年明く。
日本の存亡この一年にかかる。
祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」
「十二月三十一日 運命の年暮るる。
日本は亡国として存在す。
われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。
いまだすべてを信ぜず」
冒頭と末尾はこのように締めくくられています。
山田青年の茫然自失の姿が切ない。
山田青年に限らず、情報統制して国民全体を戦争へと駆り立て純朴な心を利用して死ぬことをも厭わない姿勢を導き実際多くの命を捨てさせた軍部上層部に激しい怒りを感じます。
本書には山田青年の目を通して市井の人々の暮らしや戦争の状況などが仔細に語られていて、本書が「民衆の記録」であるとする所以であります。
本書に繰り返し出てくる「軍国主義を骨の髄まで叩きこまれた世代」はすなわち天皇制を主軸に神風特攻隊のような精神性で戦を勝ち取ることを疑わない人々の集団の中で、客観的かつ冷静に戦局や国内の状況を見つめている山田青年は例外中の例外といっていいかもしれません。
それまで全幅の信頼をおいてきたものがある日を境に全否定されることの恐怖。
戦争末期には心の底では大本営の発表など誰も信じてはいないのに口に出すことをはばかるのみならず逆に日本は負けるはずがないと口にする欺瞞についても指摘しています。
「日本国民全員が芝居をしているようだ」
そんな山田青年をしても天皇の御名にかけても最後の一平卒まで戦い抜くべきだとの記述を通して、当時の洗脳の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
『戦中派不戦日記』を再読し切なきまでに平和を願ふ
マンション住まいなのでベランダで火災報知機を気にしながら小さな迎え火を焚いて、小さなお膳を用意して亡き人をお迎えする行事も終わりに近づいています。
仏教徒とはいえない上、無宗教の自分が率先してお盆行事をするなど昔は考えられませんでしたが、母が亡くなってから自然の成り行きとして行っているのがわれながらおかしい。
年を重ねたということでしょうか。
母に会いたいと思いながら。
ゆふまぐれ亡母(はは)のみ霊(たま)に届けかしベランダで焚く細き迎へ火
さて今回は終戦記念日に相応しい一冊です。

「私の見た『昭和二十年』の記録である。
満二十三歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。
『戦中派不戦日記』と題したのはそのためだ(「まえがき」より)
激動の一年の体験と心情を克明に記録した真実の日記」
2001年夏に79歳で亡くなられた「アル中ハイマー」を自称されていた作家さん。
軍人や文化人などによるさまざまな戦争体験記、戦中日記があり、庶民としては知る由もなかった内容が明らかになり、後世の歴史的な証言として注目を集めたものがある中、本書は当時徴兵検査で肋膜炎のために丙種合格とされ入隊を免れた23歳の1人の名もなき医学生が東京で体験した戦争というものについて細かく記録したものです。
私はいままで何度か時をおいて読んでいますが、そのときどきで受け取り方に深浅があり、今年は平和への危機感ゆえか深く読むことができました。
徴兵検査から免れた医学生とはいえ愛国心に溢れていた山田青年の高揚感がまっすぐ伝わってきて胸が熱くなる個所が多々。
ひとりの青年の国に対する心の遍歴の貴重な記録。
1945年1月から敗戦をはさんで12月までの1年間がのちに読まれるという意識なしの庶民の日記として描かれています。
「一月一日 運命の年明く。
日本の存亡この一年にかかる。
祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」
「十二月三十一日 運命の年暮るる。
日本は亡国として存在す。
われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。
いまだすべてを信ぜず」
冒頭と末尾はこのように締めくくられています。
山田青年の茫然自失の姿が切ない。
山田青年に限らず、情報統制して国民全体を戦争へと駆り立て純朴な心を利用して死ぬことをも厭わない姿勢を導き実際多くの命を捨てさせた軍部上層部に激しい怒りを感じます。
本書には山田青年の目を通して市井の人々の暮らしや戦争の状況などが仔細に語られていて、本書が「民衆の記録」であるとする所以であります。
本書に繰り返し出てくる「軍国主義を骨の髄まで叩きこまれた世代」はすなわち天皇制を主軸に神風特攻隊のような精神性で戦を勝ち取ることを疑わない人々の集団の中で、客観的かつ冷静に戦局や国内の状況を見つめている山田青年は例外中の例外といっていいかもしれません。
それまで全幅の信頼をおいてきたものがある日を境に全否定されることの恐怖。
戦争末期には心の底では大本営の発表など誰も信じてはいないのに口に出すことをはばかるのみならず逆に日本は負けるはずがないと口にする欺瞞についても指摘しています。
「日本国民全員が芝居をしているようだ」
そんな山田青年をしても天皇の御名にかけても最後の一平卒まで戦い抜くべきだとの記述を通して、当時の洗脳の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
『戦中派不戦日記』を再読し切なきまでに平和を願ふ