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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 山田風太郎

お盆も終わりました。

マンション住まいなのでベランダで火災報知機を気にしながら小さな迎え火を焚いて、小さなお膳を用意して亡き人をお迎えする行事も終わりに近づいています。

仏教徒とはいえない上、無宗教の自分が率先してお盆行事をするなど昔は考えられませんでしたが、母が亡くなってから自然の成り行きとして行っているのがわれながらおかしい。

年を重ねたということでしょうか。

母に会いたいと思いながら。

ゆふまぐれ亡母(はは)のみ霊(たま)に届けかしベランダで焚く細き迎へ火




さて今回は終戦記念日に相応しい一冊です。

山田風太郎氏著『戦中派不戦日記』

「私の見た『昭和二十年』の記録である。
満二十三歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。
『戦中派不戦日記』と題したのはそのためだ(「まえがき」より)
激動の一年の体験と心情を克明に記録した真実の日記」


2001年夏に79歳で亡くなられた「アル中ハイマー」を自称されていた作家さん。

軍人や文化人などによるさまざまな戦争体験記、戦中日記があり、庶民としては知る由もなかった内容が明らかになり、後世の歴史的な証言として注目を集めたものがある中、本書は当時徴兵検査で肋膜炎のために丙種合格とされ入隊を免れた23歳の1人の名もなき医学生が東京で体験した戦争というものについて細かく記録したものです。


私はいままで何度か時をおいて読んでいますが、そのときどきで受け取り方に深浅があり、今年は平和への危機感ゆえか深く読むことができました。


徴兵検査から免れた医学生とはいえ愛国心に溢れていた山田青年の高揚感がまっすぐ伝わってきて胸が熱くなる個所が多々。

ひとりの青年の国に対する心の遍歴の貴重な記録。

1945年1月から敗戦をはさんで12月までの1年間がのちに読まれるという意識なしの庶民の日記として描かれています。

「一月一日 運命の年明く。
日本の存亡この一年にかかる。
祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」

「十二月三十一日 運命の年暮るる。
日本は亡国として存在す。
われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。
いまだすべてを信ぜず」


冒頭と末尾はこのように締めくくられています。

山田青年の茫然自失の姿が切ない。


山田青年に限らず、情報統制して国民全体を戦争へと駆り立て純朴な心を利用して死ぬことをも厭わない姿勢を導き実際多くの命を捨てさせた軍部上層部に激しい怒りを感じます。


本書には山田青年の目を通して市井の人々の暮らしや戦争の状況などが仔細に語られていて、本書が「民衆の記録」であるとする所以であります。

本書に繰り返し出てくる「軍国主義を骨の髄まで叩きこまれた世代」はすなわち天皇制を主軸に神風特攻隊のような精神性で戦を勝ち取ることを疑わない人々の集団の中で、客観的かつ冷静に戦局や国内の状況を見つめている山田青年は例外中の例外といっていいかもしれません。

それまで全幅の信頼をおいてきたものがある日を境に全否定されることの恐怖。


戦争末期には心の底では大本営の発表など誰も信じてはいないのに口に出すことをはばかるのみならず逆に日本は負けるはずがないと口にする欺瞞についても指摘しています。

「日本国民全員が芝居をしているようだ」


そんな山田青年をしても天皇の御名にかけても最後の一平卒まで戦い抜くべきだとの記述を通して、当時の洗脳の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。

『戦中派不戦日記』を再読し切なきまでに平和を願ふ

桜の花もやっと3分咲き、ウオーキングにいい季節になりましたね。



体調不良のためしばらく歩いていないので失った筋肉を取り戻さなければと焦るのですがなかなか思うようにいかず…自宅近くをゆっくり散策する程度。



私が信頼を寄せている鍼灸師のM先生はスポーツ鍼灸では有名な方でサッカーやマラソンなどの選手やその卵の中高生がコーチや監督に連れられて次々治療に来てメディカル鍼灸とともに寝る間も惜しんで治療されているスーパー鍼灸師。



先々月ロンドン五輪代表選考会を兼ねた大阪国際マラソンで日本歴代9位の記録で優勝、オリンピック出場が可能になった重友梨沙選手を初め地元のデパート・天満屋陸上部から輩出した歴代のオリンピック出場選手に付き添ってオリンピックに行き調整をしていらっしゃいます。



天満屋陸上部は1992年に創部して竹富監督の指導の下、2000年シドニーでは山口衛里選手、2004年アテネでは坂本直子選手、2007年北京では中村友梨香選手、そして今回の重友梨沙選手と4回連続オリンピック選手を出すほどの実力のある部、わが郷土の誇りでもあります。



友人の紹介でM先生のところに通い始めて7年あまり、初めは鍼灸なるものにいわれなき恐怖を抱いていた夫もあるとき肩と指の痛みに耐えかねてしぶしぶ治療してもらって意外や痛みもなくすぐによくなった経験から今では信頼を寄せています。



それにしても長年整形外科に通いながら症状が悪化する一方でM先生のもとに泣きつく患者さんの多いこと、驚くばかりです。


言葉を変えれば現代の医療で治らない病気の多いこと!



ピンキリの代替医療に全幅の信頼を置いているわけではありませんけど方や最新の医療機器や薬頼みの医療で発見できなかったり治療できなかったりする症状を持つ患者さんにこぞって与えられる「自律神経失調症」という病名や最悪「気のせい」と言われる患者さんにもっと真摯な態度で臨んでほしいと思える医師の存在を身近にたくさん聞いています。



最近も友人からたらい回しの信じられない実例を聞いて怒り心頭に達したばかりですが長くなるのでこの辺でレビューに移りたいと思います。




山田風太郎氏著『夜よりほかに聴くものもなし』


「東京で五十過ぎまで刑事生活一筋に生きてきた八坂は、ある日、車が母子を轢いた現場に遭遇する。
居合わせた男の証言によって過失の事故と判明し、運転していた御曹司は無罪に近い判決を受けた。
2年後、八坂は証言者が御曹司の運転手として働いているのを知る。
その哀しき理由とは…(「証言」)。
同情すべき事情、共感できる動機。
犯罪者それぞれの背景に心揺れる八坂。
だが、それでも…。
哀愁漂う連作刑事ミステリ」


2011年9月刊行の「山田風太郎ベストコレクション」のうちの1冊、著者が昭和30年代に書かれた10篇の短篇が収録されています。


詩的なタイトルと山田風太郎氏の著書というアンバランスに惹かれて手に取った作品。



解説によると「からす麦、しげった中の立ちばなし、夜よりほかに聴くものもなし」というヴェルレーヌの詩にあるフレーズから採られたというタイトル、10篇のそれぞれの内容とは直接リンクしない感じもしますが、深読みすると意味深長なタイトルでもありました。



刑事生活一筋の八坂老刑事を主人公に、長い経験に裏打ちされた刑事独特の勘と人間の本質を見抜く洞察力を通して犯人と思しき人間の深層心理に迫り事件の謎を解き明かしていきます。


10篇それぞれのラストは

「それでも……おれは君に手錠をかけなければならん」

という八坂刑事の言葉で締めくくられていますが、「それでも」までの八坂刑事が犯人の自白を導く過程でいかんともし難い運命に翻弄される人間の哀しさや業というものが著者の巧みな筆遣いで描かれていて、それでも犯人を告発しなければならない八坂刑事の悲哀をかもし出す作品となっています。



今から60年近く前の作品なりに背景に古さを感じるものの善にも悪にも変化する人間の心の奥底に潜む情念というものはいつの時代も変わりないという感慨を与えられました。



折りしも今朝の朝日新聞に日本原子力原子力開発機構への沖縄を除く各電力会社の寄付金についてのすっぱ抜き記事が出ていましたが、本書10篇の中の「ある組織」での犯人・税務署員の社会の機構への怒りが言いえて妙のようなタイムリーさで描かれていて寄付金という名目の裏に潜む人間の欲望はいつの世も連綿と続いているのだなあと一瞬怒りを忘れそうになりました。

我が家は転勤が多かったので引越しの度にたくさんの悲しい別れを経験していますが、反面そのおかげで各地に友人のいる幸せにも与っています。


長かった神戸時代、ボランティアをしていたときの友人のひとりMさんとは定期的に宅急便でお互いに読んだ本の交換をしています。


Mさんとは読む本の分野がちがうので送られてきた本のタイトルを見るのも楽しみのひとつ。


送られた本は読んだら送り返しますが、昨年末に送られてきた本の中に私へのプレゼントが2冊。


私が以前彼女に紹介して最高傑作と喜ばれた山田風太郎氏著『人間臨終図巻�U・�V』


このブログでも�T巻をアップしましたが、手持ちが�T巻だけという私のためにプレゼントしてくれたのでした。


というわけで年末からずっと他の本と併読して�U、�V巻を読み終わりました。


『人間臨終図巻�T』のレビューはこちら →


本書は古今東西の著名人923人の臨終に至る様子を中心に、生涯の際立ったエピソードなどを交えながら簡潔に描いた「奇書」ともいうべき作品であることは『�T巻』のレビューで述べたとおりです。


取り上げた著名人は軍人から政治家、芸術家、小説家、そして時を賑わした犯罪者などを網羅して、没年の順に羅列しています。


やはり胸を打つのは『�T巻』に登場するさまざまな思いを残して早世した人々― 15歳で火刑となった八百屋お七から55歳で生を閉じた大川橋蔵まで。


早すぎる死には周囲もさることながら本人の納得の範囲を超えた無念さが滲み出て深い哀切を感じてしまいます。



「没年順」という設定が本書の際立った特長ですが、それは生きた時代と場所を超えて私たちにそれぞれの死を突きつけてきます。

言い換えれば「死」は時代や国、年齢を超越した万人に共通した一大事業であるという印象を際立たせることに成功しているといえるでしょう。


本書最後の登場人物は「ギネス・ブック」に載った126歳の泉重千代さんですが、著者はその年齢に疑問視の声もあることをきちんと記しています。


「没年順」は別の意味でも読者に自分の「死」を見つめることを余儀なくさせてくれます。


それは読み手が自分の現在の年齢と同じ年齢で没した人々の死を否応なしに比較せざるを得ないからです。



最近紙上でよく目にする「メメント・モリ」はラテン語で「死を思え」という意味ですが、本書は人間として生を受けたからにはやがて平等に訪れる「死」を「生」のうちから「思う」習慣を身につけるにはよいきっかけにもなります。


そしてこの古今東西の「臨終記」の興味尽きない最大の特色は全編が山田風太郎氏のニヒリズムの色に染まっているということではないでしょうか。


没年順で著した各章の冒頭にある死に関するアフォリズムがまた圧巻ですが、それは山田風太郎氏の言葉であったり、他の人々の言葉であったりします。


例えば「七十三歳で死んだ人々」の冒頭のアフォリズムは風太郎氏の死生観をよく表わしています。

「人間は、他人の死には不感症だ、といいながら、なぜ『人間臨終図巻』など書くのかね」
「・・・・・いや、私は解剖学者が屍体を見るように、さまざまな人間のさまざまな死を見ているだけだ」 




「七十七歳で死んだ人々」の項の冒頭アフォリズムは・・・

「地上最大の当然事――他人の死。
 地上最大の意外事――自分の死」



「七十八歳で死んだ人々」の冒頭アフォリズムは著者自身の理想の死生観が出ています。

「人間は青年で完成し、老いるに従って未完成になってゆき、死に至って無となるのだ」 


最大傑作であまりにも痛烈なパンチが効いたアフォリズムは「九十五歳で死んだ人々」冒頭のアフォリズム。

「人間の死ぬ記録を寝ころんで読む人間」


まさに私です^^;


一人一人についての記述は1ページ~4ページという短いものですが、これだけの人々の生と死を集めるという偉業を考えると気が遠くなりそうです。


膨大な資料に埋もれながら事実を抜書きするだけでもその労苦は言葉にできないほどと想像しますが、それらすべてが著者の視点で書かれていることに驚きを禁じえません。


82歳の老齢で恐妻との痴話喧嘩の末最後の家出を決行して4日目に肺炎となりアスターポヴォという寒駅の駅長室で亡くなった文豪トルストイを通してみる死は悲壮であると同時に滑稽さも残しています。


生前の放埓、無慈悲な私生活のツケが重なってやってきたような久保田万太郎氏や山田耕筰氏の死、逆にこれほどまでにあっけない死を迎えられるとは生前どのようなすばらしい行為をしたのかと思わせるような理想的な死、923のそれぞれの死がこれでもかというほど迫ってきます。


著者が「最も幸福な長命者の一人」とした葦原将軍こと葦原金次郎は87歳で亡くなるまでの半世紀を躁状態精神病者として精神病院にいたそうですが、明治・大正・昭和にわたって日本中に笑いをふりまいたヒーローとして紹介されています。

彼の誇大妄想言行録は東郷元帥なみに絶えることなく新聞に報じられ日本中の笑いを誘ったそうです。

彼は「正三位葦原将軍藤原のモロミ」と号し、日章旗と自製の木製大砲をうしろに、メリヤスの股引にフロックコートを着、訪問者が身分ある人間の場合は軍服にボール紙で作った大礼帽をかぶって会見したという逸話が残っていて笑いを誘います。


この隠れた名著を有名にしたといわれる武者小路実篤の亡くなる2年前、89歳のときの文章は圧巻です。

以前も別のレコード化した文章を記したことがありましたが、ここに記すのは別の文章、彼の純粋無垢な性格がよく表れた文章、大いに笑って重い命題のレビューの最後にしたいと思います。


ゴッホの自画像についての文章

「彼はその画をかいた時、もう半分気がへんになっていたろうと思う程神経質な顔になっていたように神経質な顔をして、この顔を見ればもう生きていられないような、神経質な顔をしていた。
僕はこれでは生きていられないと思った。
実に神経質な顔をしていて、もう生きていられない程神経質な顔をしていた」


90歳のときの文章

「児島が、電車で死をとげた事を知った時も、僕は気にしながら、つい失礼してしまった。
児島にあえば笑ってすませると思ったが、失礼して、今日まですごして来たわけだ。
もちろん逢えば笑ってすませることだろうと思う。
児島とあえば笑ってすませるのかも知らないが、児島のことを思うとつい笑ってすまない顔をしてしまうかも知れない。
児島は逢えば笑ってすませる所と思うが」

「ハハのアルツ防止に」と子どもたちが買ってくれたニンテンドーDS。

ゲーム大好きな私は暇を見つけて遊びますが、その前に漢字や英単語、熟語、計算などの頭の体操をこなさなければ肝心のゲームに到達できない仕組みになっています。


ということで否応なしに漢字や英単語のトレーニングをするわけですが簡単な10問ほどの漢字を完答することができない毎日です。


読むことは何とかできてもちょっと込み入った漢字を書けといわれると全体の輪郭は浮かぶもののお手上げ状態。


日ごろ変換機能を駆使してワープロで文章を書いているツケがどんどん溜まっているという感じです。


熟語や言い回しに関しても辞書を引くことが面倒で、夫にバカ呼ばわりされるのに耐えながらも聞くことで手軽に済ませる安易な姿勢がこのような結果を招いていることは重々承知しているのですが。



単語や言い回しを自分流に勘違いして公然と使い、恥多い人生を歩んできた経験は麻生総理ならずとも誰にも多少はあるでしょうが、恥を忍んで私のとっておきの特大級をご紹介します


氏素性を表わす「出自=しゅつじ」という言葉をご存知でしょうか?

私は長い間それを「出目=でめ」と勘違いして読み取り、人との会話で何度出したことか・・・考えるだに恥ずかしいので自分の中では「なかったこと」にしています。


あるとき夫と娘の前で「○○は公家の『出目』だから・・・」と言ったときの2人の顔

疑問符いっぱいつけた顔で娘が「公家の特長は目が出ているの?」と聞き返します。

「何言ってるの、○○は公家の出身っていうこと!
『出目』という言葉も知らないの?」とそこまでは強気な私。


それでも2人のあまりに首を傾げる様子に急に不安になって辞書を引きました、もちろん「出目」で。


辞書で目的の「出目」があることを確認して我が意を得た私は意味を確かめもせず2人の前に突き出しました、してやったり顔で!

[出目=目が普通よりつき出ていること(人)]

辞書を見た2人は大笑い! それ以後ますますバカにされ続けていることは言うまでもありません。




さて今日は2001年に亡くなった娯楽小説の大家である山田風太郎氏の異色の著書『人間臨終図鑑�T』をご紹介したいと思います。

古今東西923人の著名人の死に至る様子を国や時代など関係なく死亡時の年齢順に分類した作品です。

15歳の八百屋お七から121歳の泉重千代までを�T巻~�V巻に分けて収録した超級の大作


ここでご紹介する『人間臨終図鑑�T』では15歳~55歳で亡くなった人々の臨終とその前の人生が端的な文章で綴られています。


タイトルから想像するような臨終場面のみを記したものではなく、まるで伝記の核心部分に触れるような記述を通して故人の生き様がしっかり伝わってきます。


十代で死んだ人々、二十代で死んだ人々・・・という分類の頭に付けられた著者による短い補足文や他の書物からの抜粋文が著者の死に対する、または生に対する考え方を際立たせています。


たとえば・・・

「三十代で死んだ人々 ―― 神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」

「三十二歳で死んだ人々 ―― 同じ夜に何千人死のうと、人はただひとりで死んでゆく」

「三十九歳で死んだ人々 ―― 靴ヲ痒隔テテキヲ掻ク。生ヲ隔テテ死ヲ描ク」

「五十三歳で死んだ人々 ―― 最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う」



第�T巻である本文に登場する人々は�U、�V巻に比べて年齢的にも若く、その分不本意な死を迎えた人々が多く胸に迫るものがあります。


★24歳という若さで結核のため早世した樋口一葉は森鴎外や幸田露伴から「たけくらべ」を絶賛されやっと貧しさから救われたと思うまもなくこの世を去るという薄幸の一生を送ったと著者は記しています。

一葉の死を深く悲しみ、葬式に騎馬で棺側に従いたいと申し出た鴎外に対して、妹があまりに貧弱な葬式を恥じて断ったというエピソードが盛り込まれています。


★川端康成が「千万言もつくせぬ哀切」、三島由紀夫が「壮烈な武人の死」とそれぞれ評した円谷幸吉28歳の自死にも触れています。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、モチも美味しゅうございました・・・
幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」


★26歳で貧乏のどん底で結核のためこの世を去った石川啄木一家の悲惨さには目を背けたくなるほど。
啄木とともに妻節子、老母が枕を並べて血を吐きながら寝ている陋屋へ援助の手を差し延べる金田一京助や若山牧水、夏目漱石、森田草平などの交わりにも涙を誘われます。

「死後、日本の若者たちが『啄木歌集』に捧げた印税の百万分の一でも生前に恵んでくれたら、と啄木の亡魂は歯がみしているにちがいない」と著者は結んでいます。


★特高に検挙され凄まじい拷問を受け留置場で絶命した30歳小林多喜二の遺体の思わず目を覆いたくなるほどの描写と多喜二の老母の悲痛な叫びが相まって地獄を見るようです。

「ああっ、いたましい、いたましい・・・よくも人の大事な息子を、こんななぶり殺しにできたものだ・・・おおっ、兄ちゃ、どこがせつなかった?どこが、どこがせつなかった?」


★貧窮の中でただ酒を飲むことと、血を吐くことと、絵をかくことだけが生活のすべてで終生だれにも認められない絵を遺して死んだ36歳モディリアニは死んだ直後に彼が天才であったと人々に気づかせ、棺に多くの画家や作家や女たちが続いたそうです。

それを見たピカソが「見たまえ、かたきはとれたよ」とつぶやいたと記されています。


★東京帝国大学卒でありながら人間界に暮らせない「底のぬけた柄杓」のような異様な性格のため孤独漂白の人生を送った「咳をしてもひとり」などの自由律俳句の尾崎放哉の臨終までの日々も自分が招いたとはいえ苛烈です。

小豆島の寺男として近くの朴訥な猟師の家の老婆に見守られて大正の終わる年、41歳で旅立ちました。

「しかし、彼よりも哀切なのは、彼に捨てられ、紡績工場の女工の寮母となり、放哉の死後三年十ヶ月で、チフスで死んでいった美しい妻の薫であったろう」と著者は結びます。



このように本書は万人に平等に訪れる死でありながら個別性際立ったそれぞれの死の詳細を描くことでその前提である生について深く考える機会を与えてくれます。


そして不謹慎にも私にとって最も興味深いことはそれぞれの時代に生きた著名人同士の交友関係を知ることができることです。

思わぬ交友の中で思わぬ温かい心を示しあう様子を知ることで不遇な死にゆく人への弔いともいえる行為に安堵するのです。

またそれぞれの時代時代の荒い波に呑まれるように旅立っていった人々を通して歴史の重さを知ります。


まだまだご紹介したいエピソードが満載ですが、ぜひ手にとって読んでください。


ニューメキシコ州タオス・プロブロ・インディアンに語り継がれている口承詩のひとつに「今日は死ぬのにもってこいの日」という有名な詩があります。


今日は死ぬのにもってこいの今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。



厳しい自然とともに生きるインディアンの楽天的ともいえる大らかな死生観に触れると文明の利器に囲まれた自分はうなだれるばかりです。



「死」については若い時から想像の世界の延長のように思い浮かべることはありましたが、介護している高齢の母を通して迫り来る身近な死の恐怖を自分の身にも投影している昨今です。


プロブロ族の古老のような自然と同化したような大往生はいつの時代でも何人にも理想とされています。



先日朝日新聞の「惜別欄」に掲載されていた自然農法家の福岡正信さんの死はインディアンの古老に重なるような95歳の大往生でした。


故郷愛媛県で信念の自然農法に一生を捧げ、88年には「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞されるほど自然の力を借りた農法や世界の砂漠緑化に貢献された方です。


往診の医師に「もう何もせんでいい」と点滴をやめるよう伝え、数日後「わしは今日死ぬる」と伝え亡くなられたそうです。


尊敬する作家吉村昭氏の最期もそのようでしたが、私もしっかり自分の将来を見据えなければと思います。


本日は山田風太郎氏『死言状』をご紹介します。


著者は幼くして相次いで両親を亡くし、戦時中の青春時代、敵機来襲により多くの死に遭遇したことから23歳のとき身近に「死」について考えて以来、直視しないまでも細く長い道が『人間臨終図巻』や本書へと続いたのではないでしょうか。


「臨終の人間『ああ、神も仏も無いものか?』 神仏『無い』
また臨終の人間『いま神仏が無いといったのはだれだ?』
答無し。 ―― 暗い虚空に、ただぼうぼうの風の音」


タイトル「死言状」という聞きなれない言葉から荘厳でやりきれない重々しさを連想しますが、中身の大半は著者が日々のつれづれに感じた雑感を81篇のエッセイ集としてまとめたものです。


それら小品の最後に収録されているのが「死言状」、これは著者の名著といわれている『人間臨終図巻』を執筆しているとき考えたアフォリズムに由来しています。


上でご紹介した臨終の人間との神仏の問答も著者が執筆に関して考えたアフォリズムの一篇で、著者はそれらを「風太郎死言状」と名づけていらっしゃいます。


全3巻からなる『人間臨終図巻』は古今東西900人ほどの人物の死に様を死亡時の年齢順に綴ったものです。


山田風太郎の名を世に知らしめた忍法帖シリーズに関しては未読で感想の述べようもありませんが、『人間臨終図巻』や『あと千回の晩飯』には深い感銘を受けました。


『人間臨終図巻』のレビューはまたの機会にゆっくり書いてみたいと思っています。



さて本書では「死言状」以外のエッセイはとても気楽に読めるもので、その人柄において真面目かつ幅広い魅力を感じさせる文章が詰っています。


在りし日の大先輩江戸川乱歩との交流や、時折挟まれる漱石や鴎外など文豪の逸話など興味深い話が盛りだくさん。


また突き詰めて調べることの好きな性格の延長で、仕事とは無関係にもかかわらず言葉にこだわりを持ち探求する姿はほほえましくもあります。


食に関してはかなりのこだわりを持つ氏、酒の肴にと考案された「肉トロ」、我が家でも作ってみたいと思う一品。


とろけるチーズを牛肉で包んで焼いたものに、ピーマン、トマト、キャベツなどを添えて、生ニンニクをすり、醤油をつけて食べるそう、おいしそうでしょう!


皆さんもいかがでしょうか?


ペンネームである風太郎の「風」は中学時代の不良仲間うちで使っていた符号に由来、著者は「風」そのものや組み合わせて作られる熟語のことごとくが好きで、それが長じてからも本格的にペンネームとして用いてるゆえんである、と記していらっしゃいます。


2001年没、生前自ら決めていた戒名は「風々院風々風々居士」、墓石には「風の墓」と刻まれているそうです。

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