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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 五木寛之

ストロベリー

ストロベリームーンが見えるよ!」のこゑ届き七百キロを隔てて仰ぐ


横田滋氏が亡くなられたというニュース。

マスコミにも登場されなくなって数年たつのである程度現在の病状は想像していましたが、改めてその死を伝えられると悲しみが押し寄せてきます。

あの温和な表情に隠された深い絶望。

日銀のサラリーマンだった氏。

転勤先の新潟市で娘さんの突然の失踪という不幸に遭われたとき40代だったという。

わたしの友人であるGさんがご主人の転勤先の新潟市で横田早紀江氏と数年を絵画教室でともに学ばれていたときの出来事だったそうです。

最初は雲隠れのように忽然と姿を消しためぐみちゃんをみんなで手分けして捜していたそうですが、時の経過とともに拉致ということが判明してからのご夫妻の長い長い道のりはご存じの通りです。

拉致被害者家族会の初代代表として全国を講演活動していらっしゃった40年。

その活動は精力的でしたが、ご夫妻の40年は時が止まったままの哀しみの期間だったと思います。

わたしも友人を通して何度も署名したことがありますが、この理不尽に怒りを超えて絶望に近いものを抱えて動向を見つめていました。

せめて早紀江氏のご存命中にどうぞめぐみちゃんと会えますように。

国務大臣時代に拉致被害者の帰国に貢献したとして、それを武器に政治家としての階段を昇りつめたといわれている安倍首相。

そのときの帰国者である拉致被害者家族連絡会の元副代表・蓮池透氏が数年前出版された著書にそのときの裏事情が書かれていましたが、定かかどうかはわかりません。

その後の首相の対北朝鮮に対する姿勢は及び腰しかみえないのはわたしだけでしょうか?

政策のトップに立たれる方はまず、さまざまな事象が自分、もしくは最愛の人の身に起きたことという原点に返って想像力を働かせてほしいと思います。

 

さて今回は最近再び注目されている作品のレビューを少し。

昨日久しぶりに行った書店の店頭に山になって並んでいました。

大河の一滴
五木寛之氏著『大河の一滴』
 

なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった―。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」と。この一冊をひもとくことで、すべての読者の心に真の勇気と生きる希望がわいてくる感動の大ロングセラー、ついに文庫で登場(「BOOK」データベースより)

 

20年以上前に書かれた本書。

 


静かなロングセラーを重ねていましたが、世界中を巻き込んでのパンデミックを通して、荒ぶる心を鎮める本書のような内容の作品が求められている昨今に再び注目されているようです。

 

わたしも久しぶりの再読。

 

ラジオ深夜便でも著者の訥々とした語り口に惹かれたリスナーは多かったと思いますが、本書も平易な文章で読みやすい内容になっています。

 

著者が信奉している親鸞が到達したという自然法爾の紹介からスタートしていますが、思ったほど宗教色の濃さが感じられないところが多くの読者を惹きつける要因になっていると思えます。

 

たちの生は大河の流れの一滴にすぎない。

無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして海へとくだっていく。

 

善人であれ悪人であれ、著名人であれ、名もなき人であれ、金持ちであれ、貧しい人であれ、すべての人間は海から生まれ、また死んで大河の一滴として海に還る・・・この持論を核に幼少時の過酷な体験を通して辿りついた無常論に言及したエッセイ集になっています。

 

人間の一生は本来苦しみの連続であるはっきりと覚悟すべきなのだ

 

なにも期待していないときこそ思いがけず他人から注がれる優しさや小さな思いやりが早天の慈雨として感じられるのだ

 

辛いときこそユーモアを持つ。

笑いは極限状態で人間の魂を支える大切なもの

 

シンプルに記せば、ネガティブ思考の薦めの書とでも表せるかと思います。

 

枕辺に置いておくと暗闇で喘ぐとき支えになるかもしれない一冊、よかったらどうぞ。

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卓球の仲間6人で忘年会を兼ねて天橋立観光&カニ一泊旅行に行ってきました。


メンバーの日ごろの行いがよかったのか、小春日和のお天気に恵まれた観光日和。

 

天橋立観光が初めての人が3人。

 

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わたしはといえば、半世紀ほど前、まだ1歳に満たなかった娘を抱っこして傘松公園から股のぞきした写真が残っています。



天橋立は
宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州

成立ちについては諸説あるようですが、2万年前に宮津湾が完全陸地化したのち、約78千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされています


神話の世界では
「丹後国風土記逸文」という書に詳しく書かれているそうですが、簡略が許されるなら、国を造ったイザナギが天に通うために造った梯子がいる間に倒れて現在の天橋立になったそう。
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道の両脇には約
5000本
の松が植えられていて、松並木を挟んで約4キロの遊歩道が続いています。

天橋立は龍の形に例えられますが、頭から尻尾までの距離がこれです。

途中に昭和天皇行幸の歌碑、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑、与謝蕪村の句碑などがあり、ゆっくり左右の見どころを味わいながら歩けば40分から1時間、ちょうどいい散歩コースですが、時間の都合もあり今回は遊覧船を利用。

内海の阿蘇海を巡って頭⇔尻尾を往復する遊覧船で12分。

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尻尾の部分に上陸して、伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれる古社元伊勢籠神社に参拝。
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ケーブルカーで傘松公園に行き、有名な股のぞきをしたり・・・。
IMG_3975賑やかな愉しい旅となりました。


 

 

 


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さて本日は五木寛之氏著『林住期』のご紹介を少し。 

 

林住期こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。   私はそうは思わない。                       前半の五十年は、世のため人のために働いた。            五十歳から七十五歳までの二十五年間、後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。     林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。      古代インドの思想から、今後の日本人の生き方を説く、世代を超えて反響を呼んだベストセラー(「BOOK」データベースより)



今からほぼ
10年前の、著者70代後半の著書。

人生の分け方にはいろいろあるようですが、主に中国とインドのそれが有名ですね。

 

中国の五行思想では・・・

    青春:誕生~25歳頃まで

    朱夏25歳頃~60歳頃まで

    白秋60歳頃~75歳頃まで

    玄冬75歳頃~

 

古代インドは・・・

    学生期(がくしょうき):誕生~25

    家住期(かじゅうき)25歳頃~50歳

    林住期(りんじゅうき)50歳頃~75歳

   遊行期(ゆぎょうき)75歳頃~

 

本書ではこの「林住期」を取り上げています。

 

「学生期」や「家住期」に培った学校、職場、家庭などの人間関係のしがらみから解放されて、身辺を徐々にシンプルにして、他者のためでなく自分のために自分と対座して過ごす・・・いわば人生の実りの時期と位置づけています。

 

10年前の著書ゆえか、現在の人生構築を鑑みると50歳というのは早すぎる感はありますが、一挙に飛び越えることはできないことから、少しずつ心構えと具体的な準備に勤しんで迎えるべし、ということでしょう。

 

最も輝く人生の時期である「林住期」を迎えるために重要な健康について・・・うつ病への対処法や呼吸法についても言及していらっしゃいます。

 

現在のわたしはこの「林住期」の裾野にいますが、子育てや親の介護などもろもろの縛りから解放されてやっと手に入った自由をどのように扱うか、という命題に直面したとき、一夜にしてうまく扱えるわけではないことに気づきます。


「学生期」
「家住期」を土台として少しずつ少しずつ構築してこそ豊かな「林住期」が迎えられるというのは周囲を見ていての実感です。

ここには魔法の絨毯などはない。

発想を変えるだけで世界が変わる、などという提言もない。

地味で、つつましい日常の努力のつみかさねが重要なのだ。

そして大事なことは、人は努力しても必ずそれが酬われるとは限らない、と覚悟することだろう。

寿命には天命ということがある。

どんなに養生につとめても、天寿というものを変えることはできない。

人生は矛盾にみちている。

不条理なことが無数にある・・・

「苦」の世界のなかで、「歓び」を求める。

真の「生き甲斐」をさがす。

それを「林住期」の意味だと考える。

そのための準備が大切なのだ。

 

人生は苦渋に満ちている、というのは言いすぎだと思いますが、著者が言及されているように不条理に満ちあふれているというのは真実であろうと思われます。


不条理も条理も丸ごとこの世なり土手に赤白曼珠紗華の群


そんな中でも身の丈に合った生き甲斐や小さな歓びを見つけて一日を大切に過ごす。


わたしの「林住期」への日々の心構えはそんなところ・・・かな。


もっとも心構えであってなかなか実行は難しい日々であります。

私は自分では絵を描けませんが観るのは大好きです。

かなり好き嫌いが固定していてどんな大家が描かれた評判の絵でも自分の好みではない絵には心が動かされません。


いままで心が動かされた絵の数々をふり返ってみると、その奥に画家の苦悩の顔が見えるような、そんな絵に惹かれます。


貧しさと不遇の中で死んでいったモディリアニの絵にしばしば登場し、モディリアニの死後2日後お腹にモディリアニの2人目の子どもを宿したまま飛び降り自殺した妻のジャンヌ・エビュテルヌの肖像画を通して見え隠れする不遇の哀しみや、28歳の若さで夭折したオーストリアの画家・エゴン・シーレの愛人といわれたヴァリーの肖像画を眺めていると観ている側の私の胸も哀しみに囚われるほど、惹きつけられます。


退廃と官能の画家といわれたエゴン・シーレは人間の欲望をむき出しにしたような構図を描き、そのあからさまな作品に眉を顰める人々もいますが、好んで描いた娼婦の顔からうかがえる深い哀しみにやはり心が揺さぶられます。


この異色の天才画家と称されるシーレの絵と最初に出合ったのはある文庫本によってでした。





五木寛之氏著『哀しみの女』
我が家のエゴン・シーレ

「一枚の絵に導かれてあなたの運命が静かに変わっていく・・・。
年下の恋人・章司と暮らす和実は、異端の画家エゴン・シーレの作品『哀しみの女』に強く惹きつけられる。
描かれていたのはシーレのモデルで愛人だったヴァリー。
この女性の人生に、和実は自分の運命を重ね合わせていく。
大人の女の愛を描いた恋愛小説」


シーレの28歳年長の師であったクリムトにより自らのモデルであり愛人であったヴァリーを譲られたシーレはその後数年ヴァリーと同棲生活を送り、多くの作品のモデルとしたあと別の女性との結婚でヴァリーと決別するというエピソードを通して、ヴァリーの生涯に焦点を置いて日本を舞台に恋愛小説として書き上げた作品。


哀しみの女・ヴァリーの気持ちはもはや知るよしもありませんが、 まっすぐ射るように画家を見つめる視線の奥に私は深く潜行した絶望的な哀しみを感じてしまいます。

その哀しみを掬い取ったのがこの作品。


不遇時代を陰で支え続けた妻や恋人を、名を遂げたあと棄てる例は世間では珍しくありませんが、この作品では売れない画家のために尽くすひとりの女性の徹底的に犠牲的な生き様を描いています。


あまりにその犠牲的な考え方を「真実の愛」という美辞で著すのは簡単ですが、マゾ的な境遇に自分を置いたときにのみ自分の存在を確認できるという穿った見方をしてしまうほど。


「章司は一人では生きてゆけない人間だけど、私はたぶんひとりで生きてゆけると思うの」

恋人に新しい彼女ができたとき、主人公の和美が自分自身に上記の台詞を何度も言い聞かせ納得しする場面がヴァリーと二重写しになり涙を誘います。


自分にはとうていまねできないほどの激しい自己犠牲の物語に圧倒されました。

夫の勤務の関係で移動が多かったので腰を落ち着けた仕事に就けなかった私はかれこれ30年の間内職を続けてきました。


通信教育会社F社を初めZ社の通信講座の添削を25年ほど、また重なる期間がありますが、現在まで続いていた編集会社M社の中高の学参の作成・校正の仕事を20年ほど。


全国どこに移動しても宅急便で送られてきて、締め切りまでに送り返すというシステムが長く続いた要因でした。


添削員は辞めて5年以上になりますが、校正の仕事は好きだったこともあり現在まで続けていましたが、最近は細かい活字の間違いを正すための視力も心もとなくなり、何より文法やスペルのミスを厳しく見つけてやるぞというモチベーションがダウン、この辺でそろそろという心境になりました。


夫に相談しても自分次第といわれ、長く迷っていましたが何事も引き際が肝心と思い至り、先日仕事の新たなオファーが来たのをきっかけにM社の担当者の方に伝えました。


「今回もせっかくオファーをいただきましたが、この辺で老兵は消えるべく決心しました・・・
今まで長きにわたり本当にお世話になりありがとうございました。
なお遊びについては生涯現役、everytime OKですのでぜひ岡山にお越しの節はご一報を!」


長いお付き合いのある担当者の方には温かい言葉で熱心に引き止めていただき、また脳細胞活性化のために続けるべきとの周囲の声もありますが、ボケ防止に続けるには厳しい仕事内容、仕事に対して失礼だという気持ちがあります。


現状のまま永遠に続くことなどないということを心に留める出来事でした。




さて今回は大塚初重氏&五木寛之氏著『弱き者の生き方』をご紹介します。


日本考古学界の第一人者である大塚氏と作家・五木氏の長い対談記録。


「『人間って、地獄に落とされたとき逆に、笑いがこみ上げてくるものですね』
引き揚げ者の作家・五木寛之と、撃沈された輸送船の生き残り、考古学の泰斗・大塚初重の二人が、時に泣き、時に怒り、そして感動を共有した。
戦後最悪のいま、地獄を見てきた二人が“弱き者”へ贈る、熱く、温かい、生き延びるためのメッセージ」



五木寛之氏によるまえがきより・・・

「私はこれまで、ずいぶん多くの人々と対話を重ねてきた。しかし、今回の大塚初重先生との対話ほど、よく笑い、かつ深く感動した機会はなかったように思う。それは圧倒的な体験だった」


大塚初重氏によるあとがきより・・・

「対談中に私の目が曇り、五木さんの声の震える瞬間があった。私は作家・五木寛之さんの言葉や文章力や考え方に、幼き日からの人間形成の道のりが確かによみとれると思った」



五木氏はほとんどの方がご存知なのでここでは省き、大塚氏の経歴を簡単に記します。


現在明治大学名誉教授で83歳になられる大塚氏は昭和20年海軍一兵曹として乗船した輸送船が2度にわたり撃沈され漂流、文字通り九死に一生を得る体験をして復員後、明治大学夜間部で働きながら苦学し博士課程終了。
日本考古学界の第一人者として、登呂遺跡や綿貫観音山古墳をはじめ、多くの発掘を手がけていらっしゃいます。


東シナ海で撃沈された船底からワイヤーにぶらさがり燃え上がる船底から命がけの脱出中、自分の脚につかまって助けを求めた仲間を自分が助かるために瞬間的に炎の中に蹴落とし脱出したという背負うには重すぎる過去と共に、自分の命は仲間の犠牲の上に生かされているという思いで過ごしていらっしゃる様子が五木氏との対話からひしひしと伝わってきて思わず姿勢を正すほどでした。



また五木氏に関しては以前2度講演を聴いた経験や数多くの著書を読んでイメージしていた姿からは遠い作家五木氏の原点の姿勢が立ち上がってきて改めて真摯な人間性に圧倒される思いでした。


父親の仕事の関係で生後まもなく朝鮮に渡り12歳で終戦を迎える前後、目の前で母親をソ連兵に足蹴にされ、自らの手で死体を荼毘に付すなど言語を絶する12歳の痛々しい体験が五木氏の口から淡々と語られて大塚氏ならずも息を呑むこともしばしば。


できることなら消し去りたかった記憶、封印していた重い過去を、あえて今明かす両氏の思いが胸につきささります。


 「ほんとうに明るく生きるためには、暗さを直視する勇気をもたなければいけない、ほんとうのよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないかと思うんです」 -五木氏


「生きていくってことは苦しいことが多いけど、たまにちょこっといいこともある、そのときは、つきなみなようだけど、生きているっていいなと思いますね」 -大塚氏


長く自分を「病めるもの」「悪人」としてうしろめたい思いを隠して生きてこられたという五木氏が、「微笑みながら夜を往く人」という感の大塚氏との対話を通して大きな光を与えられた、という言葉が印象的でした。

The time flies like an arrow.

「光陰矢のごとし」をとみに実感しているここ数年です。

年末まであとわずか、日頃はのらくらですが私としては珍しく大車輪!

母の介護の日課に加えて我が家と母の家の片付けと料理に明け暮れる毎日です。

年末年始ラクをしたいという不純な動機で、冷凍&保存できるものなどを作っては保存という作業を繰り返しています。

ところがそんなここ1週間の間に2度も火災報知器を作動させてしまいました

このマンションに引っ越して4回、鳴り響く警報に慣れるどころかパニック状態でoffを押せども押せども解除できないのもいつものこと、しばらくすると警部保障の方が駆けつけてこられました。


日本酒やワイン、みりんなどのアルコール含有物系に反応するのは知っていて用心していたのに・・・

ここ1週間のうちの1回目は「大根、しょうゆ、砂糖、しょうが、梅干」という材料にどう反応したのか、警備員の方も首を傾げるばかり

2回目の昨夜は電子レンジで煮豚をしていたとき・・・しょうゆと日本酒とみりんの調味料液で低温長時間レンジの最中。

換気扇は「強」にしていたのですが、あまりに寒いしうるさいので「弱」にした途端 (-_-;)

寒い中駆けつけてくださった警備保障の方に平身低頭


「私みたいなバカな主婦いないでしょう?何度も本当に申し訳ありません」

「いえいえ、今の時期おかげさまで商売繁盛、西に東に走り回らせていただいています」

こわくてごまめも作れません(-_-;)



さて今回は古~いところで五木寛之氏著『冬のひまわり』です。

リニューアルされたポプラ文庫を見て手に取りました。

恋愛小説はあまり好きな分野ではありませんが、前回の『切羽へ』に続き、著者の「思い入れ深い恋愛小説」レビューをほんの少し書いてみます。


「夏が巡るたび、深まる想い—。
20年にわたる男女の愛の軌跡を、透明なタッチで描いた恋愛小説」

舞台は鈴鹿サーキット、現在老朽化による死亡事故多発で名物F1は富士スピードウエイに移行していますが、そのF1華やかりし頃よりもっと以前八時間耐久オートバイレースが最大のフェスティバルだった頃の物語です。

その3日間の若者の熱狂を集めた鈴鹿サーキット場の中でもある特定の場所 ― 走っているライダーたちは見ない、勝者だけが幻のように見る、という伝説の場所・・・背後に海の見える観客席のある場所 ― 鈴鹿で初めてに出会い、その後逢瀬の場所として年に1度のその場所での再会にすべてをかける透と麻子の物語。


「走る側の連中はレースに熱中している。
スタンドの観客たちはみな見ることに熱中している。
だが、ぼくたちは走るためにでもなく見るためにでもなく鈴鹿へいく・・・
みんながコースに集中している中で、ぼくらだけはそうじゃない。
お互いに、お互いだけをみつめあっている」

お互い幾多の人生の変遷を経てもなお通い続ける鈴鹿への思いに20年というときを経て、ひとつの答えを導きざるをえなかった麻子の哀しみと安堵がまっすぐ読者の胸に向かってきます。


「決断」とはいくつかの選択肢から1つを選ぶという行為だと思いますが、裏を返せば多くのものを捨て去ることでもあります。

深い悲しみと前向きな勇気が必要とされる決断というものをしっかり見せてもらいました。

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