
東北旅行の続き・・・1ヶ月先には零れ落ちるが如くの記憶を堰きとめるために少しだけ記録しておきたいと思います。
快適だった一日目に反して二日目、三日目は終日降ったり止んだりの空模様、特に二日目の八幡平では頂上に向かう中腹から濃いガスが出現して、前の車のテールランプがやっと見えるくらいの危ない走行、周りの景色を見る余裕なんてとんでもないという状態でした^^;
やっと麓に下りたときは命拾いしたような気分。

8名が2台の車に分乗してのドライブ、複数の命を預かったドライバーの方、ほんとうにお疲れ様でした。
数年前北海道・十勝平野を横断中、今回よりもっと濃いガスに遭遇、前の車のランプもまったく見えない五里霧中の中、娘の運転で走ったことがあります。
あのときの恐怖に比べたら少しましかな、という程度でしたが恐かった!
三日目、旅の最終日もあいにくの小雨、角館では武家屋敷資料館や現存する武家屋敷のひとつ・石黒家の暮らしぶりを見学、お昼は楽しみにしていた稲庭うどんを食べました。




そしてこの旅行の私の秘かな目玉・阿仁マタギ資料館に行くことができました!


志茂田景樹氏の『黄色い牙』や熊谷達也氏の『邂逅の森』、『相克の森』の舞台となった秋田の険しい深山に位置する阿仁町。
米代川の支流、阿仁川の源流を目指して遡ったところに分岐する打当川の行き止まりの小さな小さな集落、マタギの里。
明治から大正、昭和にかけて日本の山深い僻地で狩猟を生活の糧としていたマタギたちの実態は上記の直木賞2作品のみならず、吉村昭氏の『羆嵐』や『熊撃ち』でも詳しく描かれています。






吉村作品でのマタギは北海道に棲む巨大な羆と対峙しますが、上記2作品のマタギはツキノワグマやアオシシ(ニホンカモシカ)を狩りの対象としています。


阿仁マタギ資料館ではマタギの歴史や熊の仕留め方などの資料、仕留めに用いた鉄砲などとともに、志茂田景樹氏の『黄色い牙』の原稿や直木賞受賞記念品などの興味深い展示の数々がありました。

まさか行けるとは思わなかった阿仁の里、忘れえぬ旅となりました。

「呆けてしまった母の姿に、分からないからこその呆然とした実存そのものの不安と恐怖を感じ、癌になった愛猫フネの、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるみ、その静寂さの前に恥じる。生きるって何だろう。
北軽井沢の春に、腹の底から踊り狂うように嬉しくなり、土に暮らす友と語りあう。
いつ死んでもいい、でも今日でなくていい」
著者の文章のなんと直截的かつ歯切れのよさ!
特段変化に富んだ内容のエッセイではないのに、笑えたり、じんわりした切なさがあったり。
あるときは認知症の母堂を通して、あるときは飼い猫を通して、近い将来来る自らの老いと死に向き合ったり。
決して上品とは言い難い著者の言動の数々が人間の真実を突いていて胸がすく思い。
このような文章に出合うと、きらびやかに、またはクールを装って、または教養深さを装って、または上品を装って飾った文章がなんぼのモンと思えてきます。
「六十三年の私の人生をちらっとふり返ると、あっという間だった様だし、もううんざりかんべんして下さい 長すぎましたよと思うのと一緒くたで、短かったのか長かったのかわからない。
今日まで十分だったと思え、今日死んでも丁度いいと毎日思う」
私もちょうどそんな感じ。
いつの間にか年を重ねて、今の自分をどこか高みから眺めてみると、現在の立ち居地が理解できずきょとんとしている感じといったらいいでしょうか。
人や動物の生死に関する記述がそこここにあり、まして書いた本人がすでに旅立っているとなれば、読み人である私の感慨も一入です。
「私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
ほとんど一日中人間の死に方を考えた。
考えるたびに粛然とした。
私はこのような畜生に劣る。
この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。
その静寂さの前に恥じた。
私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった」
著者の最期の病床に寄り添ったわけではありませんが、様々な媒体を通して知ったところによると、フネに恥じない死に方だったと想像します。
「世の中をはたから見るだけって、何と幸せで心安らかであることか。
老年とは神が与え給う平安なのだ。
あらゆる意味で現役でないなあと思うのは、淋しいだけではない。
ふくふくと嬉しい事でもあるのだ」
きれいごとだけでない人間が抱えている闇をしっかりした観察眼で眺め、湿り気のない文章で著せる才能には感服します。
幼なじみの訃報に接した自分の姿の観察眼もするどい。
「一カ月前床をたたいて泣いたのに、今、私はテレビの馬鹿番組を見て大声で笑っている。
生きているってことは残酷だなぁ、と思いながら笑い続けている。
日常に還ることが生きていくこと、そして強さ、と取れないこともない。かし、私には笑顔の底に、大事なものをひとつまたひとつと剥ぎ取られていく悲しみが見えてならない」
悲しいのにお腹がすく、悲嘆に暮れながら面白いことに反応して笑う・・・誰が責められよう、人間の真実の姿です。
本書の冒頭は88歳になる痴呆の母親との禅問答のような会話で始まります。
年齢を聞かれて4歳と答える母親を前に著者の思索が深く人間を探求します。
「今思うと、十代の私は自分の事以外考えていなかったのだ。
共に生きている同時代の人達以外に、理解や想像力を本気で働かそうとしていなかった。
しかし自分が四十になり五十になると、自分の若さの単純さやおろかさ、浅はかさを非常に恥じる様になり、その年になって小母さん達の喜びや苦しみや哀しさに共感し、そして、人生四十からかも知れないと年を取るのは喜びでさえあった。
そして四十だろうが五十だろうが、人は決して惑わないなどという事はないという事に気がつくと、私は仰天するのだった。
なんだ九歳と同じじゃないか。
いったいいくつになったら大人になるのだろう・・・
そして、六十三歳になった。
半端な老人である。
呆けた八十八歳はまぎれもなく立派な老人である。
立派な老人になったとき、もう年齢など超越して、『四歳ぐらいかしら』とのたまうの
だ・・・
呆けたら本人は楽だなどと云う人が居るが、嘘だ。
呆然としている四歳の八十八歳はよるべない孤児と同じなのだ。
年がわからなくても、子がわからなくても、季節がわからなくても、わからないからこそ呆然として実存そのものの不安におびえつづけているのだ。
不安と恐怖だけが私に正確に伝わる。
この不安と恐怖をなだめるのは二十四時間、母親が赤ん坊を抱き続けるように、誰かが抱きつづけるほか手立てがないだろうと思う。
自分の赤ん坊は二十四時間抱き続けられるが、八十八の母を二十四時間抱き続けることは私にはできない。
そしてやがて私も、そうなるだろう。
六十三でペテンにかかったなどと驚くのは甘っちょろいものだ」
いやはや人間への観察力の鋭さに頭が下がります。