今朝起きる直前まで見ていた怖い夢が甦ってきました。
厳しいい就職戦線の末やっと入社した第一日目の朝、意気込んで自宅から出勤するつもりが、どんな経路で行けばいいのか、果ては会社名もわからなくなり、一応出発するものの駅についてもどちら方面の電車に乗ればいいのかわからず、そうこうするうち出社時間はどんどん迫り、パニックになってもうだめだとベンチに座り込んだところで目が覚めました。
単細胞の私はすぐ何かに影響されるというのが夫の弁。
きっと昨夜再読を終えた本の内容に影響されたのでしょう。
夏樹静子氏著『白愁のとき』
先月21日、女優の南田洋子さんが亡くなられましたね。
夫君の長門裕之さんとの二人三脚の介護生活がテレビで放映されて以来、私も関心を寄せていました。
そのときの様子では認知症らしき症状が出て数年、まだ正式な診断を受けていない旨長門さんは話していらっしゃいました。
認知症には脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症に分けられるのは知られた事実ですが、洋子さんの場合はどちらだったのでしょうか。
アルツハイマー型認知症は、ドイツの精神科医アロイス・アルツハイマー氏が1907年に初めて症例報告したことにちなんでつけられたもので、現在の日本のおよそ130万人の認知症患者のうち2010年には80万人を超えるアルツハイマー病患者が出ると予測されているそうです。
女性患者が男性の2倍ということで、他人事ではない危機感を感じます。
そのアルツハイマー型認知症も大きく2つに分類できるといわれています。
そのひとつは家族性アルツハイマー病、もうひとつはアルツハイマー型老年認知症。
後者は老年期に発症するアルツハイマー型認知症のほとんどを占めるもの、前者は遺伝性アルツハイマー病と呼ばれ、完全な常染色体優性のメンデル型の遺伝パターンを示すものだそうです。
さて前ふりが長くなりましたが、今日ご紹介する『白愁のとき』は若年性アルツハイマー病に罹患した主人公の物語。
このブログでも過去に同じ若年性アルツハイマーに侵された主人公をテーマの萩原浩氏著『明日の記憶』をご紹介したことがありますが、時系列で言えば本書は『明日の記憶』を遡ること12年ほど前に書かれたものです。
本書執筆から17年の時が流れ、アルツハイマー発症の成り立ちなどの解明もかなり進んでいるようですが、未だ決定的な治療薬開発に至っていないという現状があります。
「52歳という働き盛りの造園設計家・恵門を突然襲った記憶の空白。
異常を感じ診断を仰いだ友人の医師・八木に “精神余命”があと一年であることを告知された主人公。
アルツハイマー病が原因不明・治癒不能の病であり、記憶の障害から始まって精神能力と人格が徐々に滅びていくことを知り恐怖に打ちのめされる恵門。
生への執着と死への誘惑の間で揺れ動く男の絶望と救済を、叙情あふれる筆致で描いて新境地を拓いた力作長編小説」
自分が病気に侵されているという「病識」をいつまで持つことができるか、それを失くしてまで生きたくないという苦しみと生への執着の狭間で揺れる男の深い絶望を描いて秀作です。
『明日への記憶』と決定的にちがうところは『明日・・・』が苦悩の果て病識を失う主人公とともに歩む妻との絆を中心に描いているのに対し、本書では主人公が家族に寄りかかるという姿勢を見せないという点。
本書の主人公の執着は主に仕事へのプライドや最後の恋ともいえる若い女性に向けられたり、長男に自分が病識を失った時点で殺してほしい旨依頼したりなど、物語とはいえ主人公の身勝手さに憤りを感じながら読みました。
が、『明日・・・』が主人公と家族の理想の姿を描いてやや現実感を欠いているという観点からすれば、本書はより現実的といえるかもしれません。
それにしても長寿国に突入しているわが国の現状を考えるととても身につまされる内容でした。
厳しいい就職戦線の末やっと入社した第一日目の朝、意気込んで自宅から出勤するつもりが、どんな経路で行けばいいのか、果ては会社名もわからなくなり、一応出発するものの駅についてもどちら方面の電車に乗ればいいのかわからず、そうこうするうち出社時間はどんどん迫り、パニックになってもうだめだとベンチに座り込んだところで目が覚めました。
単細胞の私はすぐ何かに影響されるというのが夫の弁。
きっと昨夜再読を終えた本の内容に影響されたのでしょう。

先月21日、女優の南田洋子さんが亡くなられましたね。
夫君の長門裕之さんとの二人三脚の介護生活がテレビで放映されて以来、私も関心を寄せていました。
そのときの様子では認知症らしき症状が出て数年、まだ正式な診断を受けていない旨長門さんは話していらっしゃいました。
認知症には脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症に分けられるのは知られた事実ですが、洋子さんの場合はどちらだったのでしょうか。
アルツハイマー型認知症は、ドイツの精神科医アロイス・アルツハイマー氏が1907年に初めて症例報告したことにちなんでつけられたもので、現在の日本のおよそ130万人の認知症患者のうち2010年には80万人を超えるアルツハイマー病患者が出ると予測されているそうです。
女性患者が男性の2倍ということで、他人事ではない危機感を感じます。
そのアルツハイマー型認知症も大きく2つに分類できるといわれています。
そのひとつは家族性アルツハイマー病、もうひとつはアルツハイマー型老年認知症。
後者は老年期に発症するアルツハイマー型認知症のほとんどを占めるもの、前者は遺伝性アルツハイマー病と呼ばれ、完全な常染色体優性のメンデル型の遺伝パターンを示すものだそうです。
さて前ふりが長くなりましたが、今日ご紹介する『白愁のとき』は若年性アルツハイマー病に罹患した主人公の物語。
このブログでも過去に同じ若年性アルツハイマーに侵された主人公をテーマの萩原浩氏著『明日の記憶』をご紹介したことがありますが、時系列で言えば本書は『明日の記憶』を遡ること12年ほど前に書かれたものです。
本書執筆から17年の時が流れ、アルツハイマー発症の成り立ちなどの解明もかなり進んでいるようですが、未だ決定的な治療薬開発に至っていないという現状があります。
「52歳という働き盛りの造園設計家・恵門を突然襲った記憶の空白。
異常を感じ診断を仰いだ友人の医師・八木に “精神余命”があと一年であることを告知された主人公。
アルツハイマー病が原因不明・治癒不能の病であり、記憶の障害から始まって精神能力と人格が徐々に滅びていくことを知り恐怖に打ちのめされる恵門。
生への執着と死への誘惑の間で揺れ動く男の絶望と救済を、叙情あふれる筆致で描いて新境地を拓いた力作長編小説」
自分が病気に侵されているという「病識」をいつまで持つことができるか、それを失くしてまで生きたくないという苦しみと生への執着の狭間で揺れる男の深い絶望を描いて秀作です。
『明日への記憶』と決定的にちがうところは『明日・・・』が苦悩の果て病識を失う主人公とともに歩む妻との絆を中心に描いているのに対し、本書では主人公が家族に寄りかかるという姿勢を見せないという点。
本書の主人公の執着は主に仕事へのプライドや最後の恋ともいえる若い女性に向けられたり、長男に自分が病識を失った時点で殺してほしい旨依頼したりなど、物語とはいえ主人公の身勝手さに憤りを感じながら読みました。
が、『明日・・・』が主人公と家族の理想の姿を描いてやや現実感を欠いているという観点からすれば、本書はより現実的といえるかもしれません。
それにしても長寿国に突入しているわが国の現状を考えるととても身につまされる内容でした。