VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 佐藤愛子

GW中の一日、ワイン好きの娘に誘われて当地の北に位置する新見市哲多町のワイナリーdomaine tettaを訪れました。

地道を通って九十九曲がりのような山道を走って2時間、やっと目の前が開けたと思ったらそこがワイナリーでした。
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長い日照時間と寒暖差、そして美しい自然の山々に囲まれた石灰質の土壌というワイン製造にもってこいの土や気候。
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標高400メートルの小高い山の頂上に10haのぶどう畑が広がっています。


2016年誕生という新しいワイナリー。


ぶどうの栽培から、醸造、熟成、瓶詰までを一貫して行っており、作られるワインは「テッタワイン」として全国的にも注目を集めているそうです。
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ワインといえばフランスを代表としてヨーロッパや南米などが中心でしたが、ここ10年ほどで日本産もヨーロッパなどと引けをとらないほど随分高水準になったそうです。
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このテッタワインもその道では評判が高く、製造本数が少ないことも含めて町の酒店には置いていないというもの。
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ワイナリー脇にあるレストランでランチ中販売されていない赤を試飲してみましたが、ワイン通でない私には随分尖った、しかもハーブの香りをまとったように感じました。


前の晩飲んだブルゴーニュのワインの方が好み。


娘は3種類ほどのグラスワインを試して、購入していました。


ヨーロッパや南米、そして日本の一般的なワインに比べて少々高いという印象でした。
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しかしあんな山奥のレストランで食事とワインを味わっていた人々・・・たくさんいたのには驚いたことでした(自分たちもそのうちでしたけど)。






さて今日は佐藤愛子氏著『人間の煩悩』のレビューを。 


「人生は「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか?」と思うことの連続で、あらゆる煩悩(心身をわずらわし悩ませる迷いの心)にさいなまれるが、どうすればこれらの悩みから解放されうるのか?
波瀾万丈の日々を生きてきた著者は「逃げずに受け止めることが道を拓く」と喝破する。
「苦労を引っかぶって元気よく生きる」「複雑な世を生きぬくコツ」「欲望が涸れると、らくになる」「死んでみなされ、そしたらわかる! 」等々、九十二年の人生経験から人間の本質を的確に突いた一冊」


本書は著者の半世紀以上にわたって出版された作品から興味深い名言を編集者が抜粋して章ごとに立てたもの。


2016年小学館から出された『九十歳。何がめでたい』が思わぬベストセラーになったことに便乗したような刊行。


商魂逞しい幻冬舎・・・とここまで書いてこのような過去本からの名言ピックアップは幻冬舎に限ったことではないと思い出しました。

曽野綾子氏だって田辺聖子氏だってあっちこっちからピックアップされた名言集があったな~。


ということで幻冬舎を目の敵にせず、素直に読んで素直に楽しみました。


著者のファンである私にはいつぞやも読んだ記憶があるものが多々ありましたが、何度読んでも胸がすく、というか溜飲が下がる名言が多くて満足な読後感、ただひとつ霊体験の章を除いて。


いくつか心にリンクしたものを挙げてみますね。


「イジメの効果的な解決法」

イジメ問題が起きると、なぜそうなったのかをおとなはまず考える。 
なぜ、なぜ、と考えているうちに、虐められる方もそれなりの原因を持っているということになったりする。 
しかしそれがわかったとしても、イジメの解決にはならないのである。 
「強い奴が弱い者を虐めるなんて、卑怯者のすることだ! 恥を知れ、バカモン」 
力いっぱい罵倒した方が、ああのこうのと分析批評をしているよりもずっと話が早いのではないか。
(『わが孫育て』)


「愛される老人になんかなりたくない」

ある雑誌社から電話がかかって来た…

「愛される老人になるためには、というテーマでいろんな方の意見を聞いているのですが、佐藤さんにも是非……こう申しては何ですが、そのう…老境が近づいておられるお立場からですね、是非ともご意見を伺いたいのですが…」

「愛される老人になるためには、とは何ですか!」と私は怒ったのである。

「愛される老人とはいったい誰に愛されるんです!
若者にですか? 
冗談いってもらっては困りますよ。 
若者に愛されるために、アレコレ心がけたりなんかしたくないッ!」

いっているうちに、声はだんだん大きくなって、庭を越えて近隣に響き渡ったことであろう。

相手は私の見幕にびっくりして、「はあ、つまり、そのぅ……あのですネ、つまり、あの、何です」とくり返すばかり。

「あなたのその発想は老人を侮辱しています。
なぜ、”老人に愛される若者になるためには”という発想がないんですかッ!あるいは、”若者を愛する老人になるためには”となぜ考えないんですッ!」

「はあ、なるほど」

「なるほどじゃないッ! 怪しからん! 
私はそんなことを考えてまで愛されようとは思いませんよ! 
私は孤独に徹します。 わかる奴はわかる。 わからぬ奴はわからなくていい。 
愛さない奴は愛さなくていい! 私はそう思っています。 
それくらいの気概がなくて、どうしますか。 
長い人生を苦闘して来てですよ、その果てに若者に愛されることをなぜ考えねばならんのです! 
思い上がるな、それが私の答です」

相手は閉口して引き下がった。
(『楽天道』より)


「めでたい完結は『これでおしまい』」

これでおしまい
これを私の最期の言葉として遺したい。
ゲーテは「もっと光を」といったそうだが、「これでおしまい」の方がさっぱりしていてよいではないか?
「もっと光を」はどうも未練がましくていけない。
「これでおしまい――」
そういってさっぱり死んでいければこれ以上のめでたい完結はないが、いつまでもいつまでもこれでおしまい……これでおしまい、といいつづけ、「いつおしまいになるんでしょう?」と心配されるようなことにだけはなりたくないものだと思いつつ……。
(『これでおしまい』より)

今日はトイレのお話を少し。


日本ほどシャワートイレが普及している国は世界の文明国を見渡しても見当たらないといいます。


清潔好きの日本人の気質ゆえか、シャワートイレを使いだすと海外のトイレ事情に耐えられず、ハンディシャワートイレ持参で海外に行くという人もいるそうです。


我が家は夫が電機メーカーに勤務していたということもあって一般家庭より随分早くシャワートイレを使っていました。


シャワートイレというのはINAXの商標で正式には温水洗浄便座。


日本で初めて温水洗浄便座が売り出されたのは1980年、いまから40年ほど前、TOTOが売り出したウォッシュレットだといいます。


あれよあれよという間に広がり、いまではホテルや百貨店はもちろん、さまざまな公共施設にも設置されています。



その間機器自体もどんどん進化して、便蓋や便座を人感センサーで自動開閉する機能がついて便座の前に立つと自動的に蓋が開き、立ち去ると自動的に閉まったり、座ったとたん音が流れたり・・・クラシック音楽が流れるものまであるようですね。


そこまで必要?と思うこともしばしば。


そんな本体の進化にともなって水を流す装置にもさまざまなものが登場。


用をたして立ち上がった瞬間、なにもしないのに水が流れるという優れものもあります。



一方、どんなに探しても水を流すレバーが見つからなかったことってありませんか?

私は過去に1度。


具体的な場所は忘れましたが、狭い空間で探せど探せど見つからず・・・うろたえた末やっとタンクの側面についている小さなセンサーを見つけたときにはほっとして力が抜けた思い出があります。



さて先日、私と同じような経験を書いたエッセイを深夜に読んでいて抱腹絶倒、思わず布団を被って笑いまくり(^.^)


佐藤愛子氏著『九十歳。何がめでたい』 

「待望の単行本がついに発売。実にめでたい!
大正12年生まれ、今年93歳になる佐藤さんは2014年、長い作家生活の集大成として『晩鐘』を書き上げました。
その時のインタビューでこう語っています。
「書くべきことは書きつくして、もう空っぽになりました。
作家としての私は、これで幕が下りたんです」(「女性セブン」2015年2月5日号より)
その一度は下ろした幕を再び上げて始まった連載『九十歳。何がめでたい』は、「暴れ猪」佐藤節が全開。
92年間生きて来た佐藤さんだからからこそ書ける緩急織り交ぜた文章は、人生をたくましく生きるための箴言も詰まっていて、大笑いした後に深い余韻が残ります。
ぜひ日本最高峰の名エッセイをご堪能ください」


本書が爆発的に売れてからすでに3年・・・ちょっと流行遅れの感ありですが、許されたし。

愛子ちゃん、現在96歳。


作家生活の集大成としての『晩鐘』を最後に作家生活に終止符を打つという断筆宣言されていた著者でしたが、いざ隠居生活に入ると日常にすることも思い浮かばず、半ば蟄居の退屈の中で老いと向かい合っていた・・・そんなとき編集者の執筆依頼の熱意に負けて半ばヤケクソで快諾されたという経緯。


タイトルには著者のヤケクソ感が籠もっているという・・・


2015年~2016年までの1年間『女性セブン』に連載されたエッセイに加筆修正されたのが本書だそうです。


私が長い間慣れ親しんでいた愛子節いまも健在!


自分の身体に次々に起こる「故障」を嘆き、時代の「進歩」を怒り、新聞のお悩み相談を見ては、悩める人たちを著者流の目線で切り込みながら、回答者のやさしさに感心したり・・・


猪突猛進の性癖ゆえに次々身辺に起こる艱難辛苦にも、その乗り越え方にも常人の域を超えた行動ありで大いに笑えます・・・著者のその一生懸命さが妙に笑いを誘い、そしてじんわり。


愛子ちゃんのお人柄がまっすぐ伝わってきて読者の私の心まで温かくなる本。


前述の抱腹絶倒の箇所はといえば・・・

三越でのトイレでの失敗談・・・未読の方はぜひ読んでくださればと思います。

人間の人生のライフサイクルを表す言い方はいろいろあるようですね。


古代中国の五行思想では、「春」には「青(緑)」、「夏」を「朱(赤)」、「秋」を「白」、「冬」を「玄(黒)」に当てて、それぞれ「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」というそうです。

「青春」は16歳~30代前半、「朱夏」は30代前半~50代後半、「白秋」は50代後半~60代後半、そして「玄冬」は60代後半~。


また古代インドで上層階級であるバラモンのあいだでは、理想的な人生観として四住期(マヌ法典)という考え方があり、人生の段階を4つに区分しています。


「学生期」は、子供のころから青少年にかけて、「家住期」は、一人前になって、仕事に就き、結婚して子供もでき一家を構えるころ、「林住期」は職業や家庭、世間の付き合いなどから自由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期、そして最後の「遊行期」は人生の最後の締めくくりである「死」に向かって帰ってゆく時期で、成長する中で身につけた知識と記憶を少しづつ世間に返しながら子供に還り、誕生した場所に還るということを意味しているそうです。


現在の私の立ち位置は中国の五行思想でいえば「玄冬」、インドのマヌ法典でいえば「遊行期」らしいですが、世間に返すためになる知識もほとんどなく、独りよがりの思考の中でただくるくる舞いをしているような時期、また「玄冬」というにはほろほろと過ごしているのでさほど暗いイメージでもないような・・・。


でも残り少なくなっているのは確実なので一日をこれまで以上に大切に過ごしたいとは思っています。







さて本日は佐藤愛子氏著『これでおしまい―我が老後』のご紹介です。 

「皆さん、さようなら!?
好評エッセイ20年目!
タイガー・ウッズ、知的人間、嘘つきについて。20年間「悟る」ことなき爽快な愛子節が炸裂。
元気になる大人気エッセイ集」


オール讀物で「我が老後」と題するエッセイがスタートしたのが1990年、67歳のとき。


そして刊行された『我が老後』を筆頭に、『なんでこうなるの』『だからこうなるの』『そして、こうなった』『それからどうなる』『まだ生きている』と続き、老後シリーズのとどめとして出されたのが本書『これでおしまい――我が老後』です。


本書の冒頭にある著者の愛子節・・・健在です。


「本当は連載十年、2000年を区切りに終わらせるつもりだったが、その後もうっかり2冊も出してしまい、この段階で『断乎』『やめた』。
しかし、連載やめても老後は終わらず・・・
85歳で、いよいよ『ケリをつけたくなった』」



そのあと 2014年、長い作家生活の集大成として二度目の夫・田畑麦彦氏を描いた大作『晩鐘』、2016年『九十歳。何がめでたい』を刊行。

ファンとしては嬉しいかぎりです。


愛子さん がんばれ!!


さて本書・・・

日常の暮らしぶりやエピソードなど、過去の作品で読んだ覚えがあるものが多く、繰り返し聞く昔話のような感は否めませんが、それでも何度読んでも愛子さんの男前の態度や生き方は爽快で胸が透きます。

決断力といい一本気な前進力といい、自分にないものを持ち続けてしっかり大地に足を踏ん張っていらっしゃる著者に感動を覚えます。


各章立てのタイトルにすべて「とりとめもなく」をつけ、例えば「とりとめもなくけったいな話」や「とりとめもなく笑い虫』など、著者の本領を発揮した内容で思わず笑ってしまいました。


「とりとめもなく嘘について」も痛快です。

冗談が大好きだった遠藤周作氏からの遠い昔の電話を回想したり、広島への原爆投下直後、生前嘘をつき続けてお金をせびっていた次兄の死を知らせる電報に、父・紅緑が「まだこんな嘘をつくか!」と怒鳴ったという話など、ちょっぴりの哀愁を込めて故人を偲んだ話も多く、込み入った小説や評伝を読むのとはまた違った脱力読書という感じで楽しめました♪

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スモークツリー


目覚める寸前に見た夢か、起きてからも尾を曳いています。

昨夜、というより今朝の夢。

場所は神戸・三ノ宮。

なぜか囲碁会館を探して、見つからず焦っている夢。


夫は趣味が囲碁で囲碁クラブに多いときで週に2度対戦に行き、家でもネットでやるほど熱心ですが、私はまったく・・・。


ずっとずっと昔、夫に教えてもらったことがありますが、肝心の目の作り方がどうしてもわからず、目が理解できないと陣地も取れない、ということで早々に匙を投げられた経緯があります。



なぜ夢で囲碁会館を探していたかというと、これから対戦があるから。


時間に遅れてはまずい、と焦りは頂点に・・・


現実にすさまじい方向音痴の私が夢の中でも三ノ宮の昔知っていた路地から路地をさまよっていました。


そうこうするうち突然角を曲がったところで、長男が登場、囲碁会館への道順のヒントを私に授けるのですが、それがなんとも要領を得ないヒント。


いっとき助かったと思い、そのヒントに従って行けども行けども囲碁会館には辿り着けず、途中で窮地に立たされた気持ちになり、、そうだ、こんなに苦しいのだったらもう囲碁はやめればいいんだ、、と決心したところで目が覚めました。

なんだったのか???







さて本日は佐藤愛子氏著『犬たちへの詫び状』をご紹介します。


「理想の犬とは、尻尾はキリリと右に巻き、固い結び目のような薄茶色の肛門が凛々しく締っていること、これが一番大事である。
『怒りの佐藤』は大の動物好きだが、猫っかわいがりはしない。
犬は犬らしくあれ、を信条に、ひたすら自由放任。たとえそれを他人が、無芸大食、悪臭フンプン、放浪癖と非難しようともー痛快エッセイ集」


九十歳を過ぎて執筆された『九十歳。何がめでたい』『それでもこの世は悪くなかった』が立て続けにヒット、ただいま再ブレイク中の著者。


愛子さんの昔からのファンとしてはお元気そうで嬉しいかぎりです。


本書は今から15年以上前に文庫化された動物に関するエッセイ集です。

1 犬は犬らしく生きよ(“らしさ”の習性/タロウの過去/ポチ ほか)
2 犬の事件簿(姑根性/犬たちの春/タマなしタロウ ほか)
3 動物たちへの詫び状(熱涙/権べぇ騒動/アホと熊の話 ほか)


筋の通らないことは大嫌い。

「怒りの愛子」で知られる著者は大の犬好き、動物好きのようですが、著者独自の愛し方が世間一般に認められているものとちと違う・・・そのギャップが何ともおもしろく、著者のほほえましい人間性を再確認できる作品です。


束縛されるのが大嫌いな著者は飼い犬といえど鎖で縛るのが辛いゆえに庭に放し飼いにしていると、犬がしばしば庭の外に出てご近所から苦情を言われたり、自然のままがいいと去勢手術を躊躇っているうちにどんどん子犬が産まれ、貰い手を探すのに四苦八苦したり・・・。


雑種が好きで、気に入った犬はすべてポチと呼ぶことにしているという著者。


昨今のペットブームで、犬のくせに猫かわいがりされていい気になっている犬には、「犬は犬らしく生きよ!」と喝を入れ、過度の愛情をかけ、犬を擬人化して一喜一憂する飼い主にはもの申す! と著者。

耳が痛い(――;)


著者独特の犬への一過言は、北海道のポニーや牛、そして牝馬の種付けの際のアテ馬であるドサンコにまで及び、愛子さんの優しさがチラホラ顔を出します。


人生哲学に於いて常に少数派だという愛子さん、これからもますますお元気で少数派の正義を貫いてほしいと祈っています。

以前嵌っていたビーズアクセサリー。

リングやイヤリング、ピアス、チョーカー、ネックレス、バングル、ブレスレットと何でも作っていた時期があります。

友人にあげたり、お店に置かせてもらっていた時期もあったり。


自分ではイヤリングはおろかほとんどのアクセサリーを身につけないので、無用の長物でしたが、作ること自体が楽しく、本やら材料をいっぱい買い込んで次々様々なアクセを作っていました。

今でもその名残りが押入れのダンボールに山ほど。


昨年の引越しの折、絨毯をあげたら出るわ、出るわ、小さな色とりどりのビーズがたくさん出てきました。

材料とともにあるたくさんの制作物。 44f07d1d.jpg



一生しないまましまいこんでいて、いつするの?今でしょ、と自問自答して、壁にいくつかのネックレスやチョーカーを掛けてすぐできるようにスタンバイしました。

で、最近折々に身につけて楽しんでいます。


おしゃれにはほとんど縁がない自分ですけど、自分よりはるかに高齢の方が目が覚めるようなショッキングピンクのブラウスを着て銀髪を部分紫に染めているのや、車椅子の女性の指に美しいマニキュアが施されているのを見ると、とても尊敬する気持ちになります。

何歳になろうと美しくあろうという気構えはすてきです。


少しは見習わなければ。




さて佐藤愛子氏著『幸福とはなんぞや』をご紹介します。


「佐藤愛子は傑物である。今年90歳にして、美しく凛と輝いて女のなかの女である。
波瀾万丈の人生に真正面から立ち向かい一歩も引かない。
その生き方から紡ぎ出される言葉は、ひとつずつ深く私たちの心にしみ入り、私たちを揺さぶらずにはおかない」


何と何とわれらがアイコちゃんもおん歳90歳になられるんですね。


佐藤愛子氏のみならず、ずっと愛読していた田辺聖子氏、曽野綾子氏、澤地久枝氏などお馴染みの女流作家さんたちも軒並み80歳代になられたとは!

まさに光陰矢の如し!


2度にわたる離婚と2度目のご主人・田畑麦彦氏の借金を背負っての波乱万丈の人生についてはアイコちゃんファンの方ならどなたもご存知だと思います。


本書は、海竜社が平成12年に刊行した『ああ面白かったと言って死にたい』が意外に好評だったので柳の下の2匹目のどじょう狙いで刊行したものだそうです。


この2、3年、あちこちのメディアから求められて応じたインタビュー記事からの抜粋したものに加筆したものが本書の内容。


「佐藤愛子の箴言集」と銘打ってはいますが、平たく言えばアイコちゃんのつぶやきという感じ。


そのつぶやきに人生を渡るのに手本となるヒントや現代の日本考がぎっしり詰まっていて納得の内容。


アランの幸福論が愛読書だという著者。

なるほど幸福論そのものの生き方です。


感銘を受けた言葉をいくつか拾い出してみました。


お楽しみください。


「この人生でひとつ満足だったこと、それは苦しいことから逃げなかったことです!」

「かつての日本人にあった『なんぼなんでもほっとけない』という気持ちは、『仕方がない、それぞれ自分の生活があるのだから』という合理主義によって消え去ったように見える。
そうして『仕方ない』から『当然』へと移行し、その空白は政治の責任になった。
故人の物質的安穏を守ることと引き換えに、『情』は消えたのである」


「若いころは冥土に向かう行列の一番前に親がいて、それから兄や姉、親類や友達もいて、私なんぞ後ろの方ゴチャゴチャの中にいて気楽でした。
ところがそのうち、一人二人とだんだん前がいなくなって、気がつくと、自分が先頭になっちゃっているじゃないですか。
冥土からの風をさえぎってくれる人は誰もいなくなって、今は真っ向うからの風が吹きつけてくるんですよ・・・
この気持ちは先頭に立ってみないとわからないと思いますけどね」


「老人にとってのいいことは、さまざまなことを受け入れる力をもつことや、少し離れたところから物事を俯瞰した目線でとらえることができるようになることだと思います」

「人は、かく生きてかく死んだ、それだけだ、という思いが、私の芯の部分にあるんです。
何が幸せで何が不幸かなんて、その時には分からない。
ただ、大事があれば、そこで精いっぱいがんばって生きぬく。
それが幸せだということだと思う」


「どんな死が待っていようとも、素直に受け容れることができるように、私も最後の修行をしているところなのです」


アランの幸福論よりの引用もあります。

「少しは生きる苦労があったほうがいい。
われわれも自分自身に対して目ざめさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては幸福は生まれてこない」


「たまたま道徳論を書かなければならないとすれば、わたしは上機嫌ということを義務の第一位におく」
「完全な意味で最も幸福な人とは、着物を投げ捨てるように別の幸福を投げ捨てることの出来る人だ」

良寛の箴言からの引用

「欲がなければ一切足る、求めるところあれば万事窮す」

あれもこれもと欲張ることの愚かさを伝えてくれる言葉の数々、まさに心しなければ。

先日前触れなしに次男が『モリー先生との火曜日』のDVDを送ってくれました。

今調べてみると同名の原作を読んだのが4年前。

随分前なのに今もなお忘れられない感動作!


毎年年明けに昨年1年間で読んだ本の中から「VINの読後感ベスト10」を挙げていますが、本書も2008年度のベスト10のうちの1つに挙げていました。


原作『モリー先生との火曜日』のレビューはこちら


次男によるとジャック・レモンの遺作になったこのDVD、ずっと廃盤になっていて最近再リリースされたそうです。


ジャック・レモン没が2001年でこの映画が製作されたのが1999年ですから亡くなる2年前に撮影されたものなんですね。

プライムタイム・エミー賞受賞作。


ジャック・レモンといえばすぐ思い浮かぶのが私が中学か高校のとき大学生の姉と観た「お熱いのがお好き」。


当時トニー・カーティスとのドタバタがあんなにおかしかったのに、時を経て再度観たときは何でそんなにおかしかったのか首を傾げたものでした。


当時からずっと洋画好きだったので「アパートの鍵かします」「酒とバラの日々」「おかしな二人」など数多く記憶に残っていますが、おかし味のあるじっくりした演技が魅力的な俳優さんでした。


さてミッチ・アルボムの原作もさることながら映画も負けず劣らずすばらしいものでした。


簡単にあらすじをご紹介すると、デトロイトで多忙を極めている有名なスポーツコラムニスト・ミッチ・アルボムが難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたかつての大学時代の恩師・モリー・シュワルツ教授の闘病生活を偶然TVで目にしたことがきっかけで、16年の時を経てボストンのモリーに会いに行くところから物語がスタートします。


めまぐるしい日常に身を置き、ともすれば自分を見失いがちで恋人からも去られようとしている中、分刻みの超多忙から逃げるようにモリーの元に通う日々が始まります。


毎週火曜日に行われたモリー先生の最後の授業はそんなふうにして続くのですが、ミッチ役のハンク・アザリアもマスコミに生きる人間として何より立ち止まることを恐れる軽佻浮薄とも見える時代の売れっ子スポーツコラムニストからモリーとの日々を通して自分の人生を見つめ直すにいたる心情の変化をよく好演していました。


モリー役のジャック・レモンの年老いたこと!

本当に間近な死を連想させるような切迫した演技、時折垣間見せる死への恐怖の表情などジャック・レモンの演技があまりにも自然ですばらしいものでした。


両俳優の演技はもちろんですが、「最後の授業」でモリーの口を通して語られる様々な人生の箴言を通して大変感じることの多い映画でした。


「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」
「人に触れられることは、私たちには必要なのだ」
「愛は理にかなった行動だ。素直に受け入れよう」
「人が人に依存することは、恥ずかしいことじゃない。」
「人は、愛し合わねば、死んでしまう」




さて先のシリアスな映画のご紹介のあとに似つかわしくない感じの作品で恐縮ですが、
佐藤愛子氏著『こたつの人』のご紹介です。


先日ブログ友・トコさんのレビューで興味を覚えてチェックしていたものです。

トコさんのレビューはこちら


「芦田家は、一郎・百合子の夫婦と娘の里子、一郎の妹光枝と祖母の春、5人暮らしである。春は皆から呆けていると疎んじられてはいるが、どっこい、ある秘密を握っているのだ―。表題作『こたつの人』他、じわーっと滲む笑いと悲哀、著者自信の短篇集」


本書には8篇の短篇が収録されていて、「自讃ユーモア短編集1」という副題が付いた1960年代~1970年代初頭までに書かれたものです。


それぞれに著者独特の悲哀あるユーモアというスパイスの効いた作品集。


ちょっぴりおかしく、ちょっぴり切ない作品群。



ここではベストセラー『恍惚の人』を上梓された有吉佐和子氏が絶賛されたという表題作「こたつの人」の感想を少し記して終わりにします。


簡単にあらすじを述べると、呆けたふりをして嫁の浮気を初め、自分を雑に扱う家族の言動をしっかり把握して子供だましの復讐をする折を虎視眈々と狙っているというおばあさんの話。


長谷川町子さんの「いじわるばあさん」を連想させるような陰湿味のないカラッとした復讐の様子や主人公の呆けにあたふたとしながらも呆け老人として軽視する家族の様子を喜劇風に描いています。
ともすれば深刻になりがちな呆けや嫁の浮気をかくも軽く飄々と描ける著者の筆力、作品の好き嫌いは別としてさすがと感服した作品でした。

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