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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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カテゴリ: 村山由佳

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ブラシノキ
トランプ大統領がメラニア夫人とエアフォースワンで来日。


令和初の国賓・・・


どうやったらトランプ氏のご機嫌がよくなるか安倍首相の腐心の甲斐あって3泊4日も。


初夏の陽気を思わせる今日は朝からゴルフ、そして夕方は千秋楽の相撲観戦。



ネットニュースを見ると警備関係で上へ下への大騒動・・・らしいですね。



イージス・アショアや長距離巡航ミサイルの導入、戦闘機F35Aやグローバルホーク、オスプレイなど米国製の高額な兵器を言うがままに購入・・・いやはや太っ腹な、そしてとても素直でかわいらしい弟分です(ーー;)


そのかわいらしさが会談に反映するかどうか疑問ですけど。



あまりにも高額な防衛費。


巨額の費用に見合う効果があるのかどうか、一主婦のわたしにはわかりませんが、アメリカへの著しい配慮、というか阿りとしか思えません。


武器も買ったときの価格の上に納入完了のあと必ずといっていいほど跳ね上がる・・・これだけのお金があれば、と思わずにはいられません。



先日も友人と電話でお互いにため息。


まず完全にコントロールされていると断言したフクシマのもろもろを何とかしてほしい!!




さて本日は村山由佳氏著『嘘 Love Lies』をご紹介したいと思います。


「どんな地獄だろうと構わない。
でも、この秘密だけは、絶対に守り通す。
刀根秀俊、美月、亮介、陽菜乃は仲のいい友達グループだった。
中学2年の夏にあの事件が起こるまでは――
恐怖、怒り、後悔、そして絶望。
生涯拭えぬ過ちとトラウマを抱えたまま、各々の人生を歩んでいた4人。
求め合う体と秘めたる想いが、さらなる苦悩を呼び、暴力の行き着く果てに究極の愛が生まれる。
著者渾身の恋愛長編!」


白の村山、黒の村山に分けられるといわれている著者の作品群。


どちらの作品も読まれている方々には通じると思いますが、本書はそのどちらの要素も微妙な配合でミックスされたような小説。


最初、表紙を一瞥したときには黒の分野だと思ったのですが、混合された色合いの充実した力作でした。


とはいえ読んでも読んでも終らない・・・


「過ちとトラウマを共にする男女4人の20年間の軌跡を描いた本作では自身初となる『ノワール』に挑戦・・・
出会いについても、死についても、今回のような形の物語を書くのは初めてで、今まで自分の中でやり切れていなかった部分を、一所懸命に石ころを拾うみたいに、集めながら進んできた気がします」
と著者。


著者の指すノワール・・・かなりを占めている裏社会を牛耳るヤクザを描いた部分は得意のナナメ読みで乗り切りました(ーー;)


中学校でたまたま席が隣り合わせになったという偶然のきっかけで繋がりあった秀俊、美月、陽菜乃、亮介という男女4人の仲良しグループ。


ある事件がきっかけでとてつもない地獄を見ることになった4人のその後の20年。


育児放棄、養父のDV、ヤクザとの絡み、純愛、その他諸々の複雑な人間模様をからみあわせて物語が進行していきます。


すさまじい暴力シーンもあり、変態的な性交シーンもあり、そしてときどき挟まれる純愛・・・



それぞれの荒波に翻弄されながら、やっとたどり着いた平穏な未来を暗示させるようなラスト。



中学2年の夏から34歳の「いま」までを4人それぞれの環境とそれに追従するような心模様を合わせて書ききった作品。


4人のうちの秀俊を中心に描いていますが、その分、他の3人の未描写の部分に心が残りました。


読みきるエネルギーのある方、ぜひどうぞ。

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ついに流行に乗ってインフルエンザA型に罹ってしまいました。

ワクチンも12月はじめには受けていました。


いままでインフルエンザになった記憶がなく、というか忘れているだけかもしれませんが、特別な強敵のような印象でしたが、急な咳の出現と38度前後の熱と体の痛み・・・といってもどこかしら関節の痛みはいつもあるので慣れっこの中、今回はこめかみの辺りが痛くて眠ることができない。


バファリンを飲んだけど効いた様子がなかったので、時間を空けて今度はロキソニンを飲んでやっと眠りました。

最初の受診ではわかりませんでしたが、2度目の受診でインフルエンザA型と出て、一回の吸入で終るインフルエンザ薬と解熱剤にカロナールをもらいました。


インフルエンザに詳しいお嫁さんのユカちゃんがインフルエンザのときの解熱剤にロキソニンは禁忌というのをあとから聞きました。


自己判断での服薬してはアウト(ーー;)


インフル=カロナール・・・覚えておかなければ。


幸い罹患していない(はず)の夫のために家中の私が触った考えうるところ・・・ドアノブや机、家具、椅子、テレビやエアコンのリモコン、パソコンのキーボードやマウスなどなど、あらゆるところを除菌しまくり、私は別部屋に篭もって・・・食事も別。


同時にかかりつけ医が夫用に予防薬を処方してくれたので服用して・・・どうやらクリアしたようでよかった(^.^)



夫には食事を作ってもらって運んでもらいお世話になりっぱなしの感謝感謝の数日間でした。


その間、私はベッド周りに本を積み上げて読みまくり・・・十冊以上・・・最後は未読本がなくなり、大好きなスー・グラフトンのキンジーシリーズを手当たり次第本棚から抜いて読みましたが、これがいちばんの妙薬・・・やはりスー・グラフトンは最高♪


また追って次々アップしたいと思います。



ということで今日はまず村山由佳氏著『ワンダフル・ワールド』から。  


「恋と呼べるかどうかもわからない、けれど決して替えのきかない唯一のものたちへの想いを、香りとともに綴った喪失と再生の物語」


「アンビバレンス」「オー・ヴェルト」「バタフライ」「サンサーラ」「TSUNAMI」の5篇。


「運命の出会いを彩る香りの物語」とのことで、香水や石鹸、アロマなど様々な香りが登場、物語に艶を添えていて・・・もう一つ惹かれること・・・様々なペットが出てきます。


 
◆独り暮らしの女性と愛するセキセイインコの物語。
不倫状態にある男性との関係に疲れていた女性の前に現れた調香師の彼。
これから深まる恋を予感させる場面で予期せぬ出来事が起こって彼への想いが一気に醒めるという結末を描いた「アンビバレンス」

 
◆同窓会で再会した元彼とのささやかながら幸せな未来が始まる予感を描いた「オー・ヴェルト」


◆パニック障害を抱えて実家の世話になっている女性が生まれつき心臓病を抱えた子犬との出会いを通して異界への鳥羽口に誘われていく過程を描いた「サンサーラ」


◆地震の余波が迫りながら間近に死が迫っている愛猫との最期の時に寄り添うことを選んだ女性を描いた「TSUNAMI」



5篇の作品は微妙に登場人物が繋がっているという小さな企みもあり、ペットを題材にしているということも加味して短篇なのに意外に奥行きの深い作品群になっています。

34度~36度あたりをウロウロしている当地、一時高知の四万十で最高記録を打ち立てた41度に比べれば平均的な暑さという感じでしょうけど、とにかく暑い!

エコなどという二文字ははるか彼方に飛んで、エアコン漬けの毎日です^_^;


この暑さの中、お盆を挟んで前後8日間、お嫁ちゃんと孫が来ていました。 4da7a793.jpg


息子はといえば、鬼の居ぬ間とばかりフットサルやらDVDの観溜め、寝溜め、マージャンとしたい放題の日々・・・だったらしい。

8歳になる小学3年生の孫・アスカ。

電話では時々話しているものの、会うのはほぼ1年ぶり。

憎まれ口をきくほどに成長しているのではと一抹の不安があったのですが、赤ちゃん時代のままのあまりの幼さに安心するやら、大丈夫かしらと不安になるやら

テレビの人気者・芦田愛菜ちゃんととても同学年とは思えない幼稚さ。


夫婦2人暮らしの日常から一転して小鳥のさえずりのようなおしゃべりが一日中響く中、日中はお買い物に行ったり、プールに行ったり、家では料理の下拵えやら、お膳立て、食器を洗ったり、お洗濯や洗濯物たたみ、お風呂掃除、家中の床の拭き掃除、植木の水遣り、ゴミ捨て、果てはトイレの掃除まで何でもできるようになって、しかもやりたくてたまらないバージョンでやってくれるのですごく楽チンでした(*^。^*)


唯一、大人3人に迫られてモジモジになったのは夜のトランプタイム。

51というゲームでは終了時、手札の数を数えるのですが、二桁三桁の足し算がすぐにできない

3人から迫られて「え~とね、え~とね…」と一向に答えが出てこないアスカに「すぐに答える!」なんて厳しい声で迫る大人たち。


「もう一度、一年生の教室でお勉強するよう先生に頼んであげようかな」

「え~、いやだ~~」

なんて言いながらへこたれないこと!


設問文の読解力がなくて、100点満点のテストで10点をもらってきてあまりの解答のとんちんかんにパパママふたりで大爆笑したことをちょっと前電話で聞いていましたが、なるほどね^_^;


担任の男先生はいつも「アスカちゃんの笑顔を見ていると癒されます」と言ってくれるそうですが、それって・・・??


3人の子供たちの成績に一喜一憂したダメ母だった私は心の中で「生きる力さえついてくれれは最高」と思っていますけど、あまりにものどかだといじめに遭わないかなど心配は尽きないのでした。





さて本日は村山由佳氏著『放蕩記』のご紹介です。


「母を持つすべての大人たちへ。自伝的長編
38歳で離婚歴のある女流作家・夏帆。
自由奔放に暮らす一方で、実は長年抱えこんできた秘密があって…。
今だから見えてきた、母娘の愛憎と家族の歴史。
共感と感動をよぶ、衝撃の自伝的長編小説」


1991年『いのちのうた』で環境童話コンクール大賞
1991年『もう一度デジャヴ』で第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞佳作
1993年『天使の卵・エンジェルス・エッグ』で第6回小説すばる新人賞
2003年『星々の舟』で第129回直木受賞 
2009年『ダブル・ファンタジー』で第4回中央公論文芸賞、第16回島清恋愛文学賞、第22回柴田錬三郎賞をトリプル受賞


2007年離婚後と離婚前という分け方は単純すぎるかもしれませんが、それ以前と以後とで大きく変化した作風については村山ファンの方ならご存知と思います。


本書は以後に書かれた『ダブル・ファンタジー』『アダルト・エデュケーション』に継ぐ第三弾といえるのではないでしょうか。


これら以後の作品は著者の私生活 ― 2007年離婚、2009年再婚、体にタトゥなど ― の大きな変動とともに生み出された作品といえます。

「変動とともに生み出された」というのは著者にとって不本意な表現かもしれません。

より真実に近づく表現では、以後も以前もどちらも著者が内包していたもので、たまたまある時期の決意によって隠された内包部分を公にしたというところでしょうか。


本書は前2作に比べ、より自伝的要素の強い長編になっています。


著者ご自身が様々な媒体を通して語っていらっしゃった母親に対する確執を主題に、ずっと秘めていた家族の歴史、あるいはご自身の秘め事を過去と現在を行き来しながら徐々に明らかにしていくという形で母娘の愛憎を生々しく描いています。


下記はあるインタビューでの会話です。

――「放蕩記」を書こうと思ったきっかけを教えてください

「ダブル・ファンタジー」を執筆中、担当の女性編集者に「なぜ、主人公の奈津はこんなにも夫のことを恐れるんだろう。若い世代にしては珍しい」と言われたのが発端です。そこで思い浮かんだのが母でした。もしかしたら、とても厳しい母に育てられたことに私の根っこがあるのではないかと。実際、最初の夫に対して私は自分を主張することができずにいたのですが、その態度はまさに母に対するそれと同じ。母には何一つ口答えできなかったんです。通過儀礼として一度は真正面から母との関係に向き合い、私の根っこにあるものを掘り下げておかないと、これから先、人間としても物書きとしても本当の意味で自立できないのではないかという気がしてきて、この作品を書くことにしました。物書きとしてこの鉱脈を見逃すわけにはいかないという思いもありました。

――常に母親の支配下にあったという感覚があるわけですね

母の呪縛にずいぶん苦しみました。小説にも書きましたが、例えば、母から性教育を受けたのは小学3年の時のこと。散歩に連れて行ったオス犬がよそのメス犬に乗っかってしまったんです。そのことを母に話したら「あんたもああやって生まれてきたんだ」と説明され、本当にショックでした。その半面、私が少しでも「女」の部分をうかがわせると執拗(しつよう)なまでに叱(しか)った。少なくとも性に対する過剰なまでの罪悪感を形成したのは母だと思います。


その母親が認知症のため娘の作品を読めなくなったという現実を踏まえてやっと描けた作品だそうです。


本書で、友人に向けて、同棲相手に向けて、あるいは独白という形で描写する母親との過去の心情風景のあまり
の激しさにはたじろぐほど。


自分自身が考える正義という大上段の理論を背景に娘を考えどおりに縛りつける母親と、何事においても反論を赦されず、内へ内へと本来の自己を埋め込んでいく様が幼少期からの振り返りを通して鮮明に描かれています。


文学的にどうか、内容としてはどうか、とても感想を書くには難しい作品でした。


家族小説の傑作という評価もありますが、主人公の成長譚とも、覗き見を刺激する私小説ともいえる作品。


私自身、片手落ち的とも取れる内容に批判がないわけではありませんが、文章的にはグイグイ読ませる筆力のある作品でした。


母の逝去後、さまざまな行事を経て先日四十九日の法要も終わりました。


その間葬儀社やお寺、仏具店の三者と接する機会が多く、無知な私たちはさまざまなにわか勉強をしましたが、結果、夫も私も自分たちのときは無宗教葬にしようということで珍しく意見が一致しました。


無宗教葬といえば10年ほど前に亡くなった夫の親友も、5年前に亡くなった夫の長兄も特定の宗教なしの自由葬でした。

特に長兄は海が大好きだったことにプラスして息子が外国船の船長という関係もあり海に散骨しました。


最近では無宗教の家族葬を選択する遺族も少しずつではありますが増えているそうです。


決して仏教徒とはいえない遺族もずっと続いている因習から必然的に先祖代々所属する宗派で葬儀をするというのが無難な選択として続けているのではないでしょうか。


夫も私もよそよそしい戒名は不要で本名のまま葬ってもらえればいいと思っています。


母までは私の責任で一文字あたりいくらという高価な戒名もつけたし金銭的にも親戚に対し恥ずかしくないようにしたつもりですが、そういう世界にどうしても馴染めないのも事実です。


ということで自由葬に関する夫との会話。

「Sさん(夫)は趣味の油絵を柩の周りに飾れるし、バックグラウンドミュージックの選択には事欠かないから自由葬の計画が容易に立てられるけど、これといって会場を飾れるものがない私はどうしたらいいのかしら」

「そうだな、、、お前の場合は崇拝する吉村昭の作品でも3行ずつ回し読みしてやるよ。
故人は『羆』にイノチを賭けていましたと」


確かに吉村昭は私が尊敬する作家さんで作品に羆関係のものが2つありますが、なんでいまこの会話に羆が出てくるのか?

それに羆にイノチを賭けているわけでもないし。


そういえば学生時代北海道旅行したときコタンの前で羆の剥製を抱くようにして撮った写真を覚えているからか。


なんだかわかりませんが、ますます私の自由葬儀はどうなるのか一抹の不安はありますが、どうせ死んだら意識がないので夫がどんなに揶揄しようと好きにしてという感じ。


夫こそ自分の葬儀では大好きなベートーベンの「英雄」やら「皇帝」をかけてほしいと言っていますが、果たして遺族として恥ずかしくてかけられるかどうか。

あまりにも生前の夫とかけ離れたタイトルは赤面の至り、私としては昔一世を風靡したクルセーダースの「帰ってきたヨッパライ」あたりがお似合いかなと思っています。





さて本日は村山由佳氏著『アダルト・エデュケーション』をご紹介します。


「ただ、恋、だったのだ。
そんな凶暴なものに、誰が抗えるだろう。
植えつけられた罪悪感なら捨てた―。
秘めた願望を実行したら、新しくなった自分を知った。
覚悟を決めた12の恋の行方。最新連作小説」


このブログで先日ご紹介した『ダブル・ファンタジー』に次ぐ性愛小説第二弾。


女性誌「GINGER」に毎月連載していた12の短篇を1冊にまとめたものです。


『ダブル・ファンタジー』でタブー視されている性愛という分野に女性目線で自ら踏み込んで固い殻を破って縛りから解放された著者の次なる物語となっています。


主人公は年齢も環境も違う12人の女性たちの常識枠をはるかに超えたさまざまな愛の形――同性愛、SM、姉弟の愛、不倫などを通しての恋愛模様――が描かれています。



「欲望に忠実になると、人生は間違いなくしんどい。
そのしんどさに耐えられる心と、生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟のある者だけが、自らのほんとうの望みに忠実になることを許されるのだ・・・
もう、この際、いっさいのエクスキューズを抜きにして、とことん傲慢に言い放ってしまおう。
肉体を伴わない恋愛なんて、花火の揚らない夏祭りみたいだ!と。
恋愛に、年甲斐や分別など邪魔なだけだ、とつくづく思う。
幾つになってしても、恋はひとつ残らず特殊で、予測不可能で、無数の<初めてのに溢れている」

あとがきにある著者ご自身の言葉です。



人間の歴史において粛々と築き上げられてきたモラルの感覚を表舞台とすれば、必ず相反するインモラルの世界も陰々と存在します。


すべての人間が同一であるはずはないし、これはマジョリティとマイノリティの世界にも通じる事実でしょう。


人は生まれてさまざまな教育を受けその過程で知らず知らずのうちにモラルとインモラルの感覚を受け継いでいくというのは一面恐ろしさを感じずにはいられませんが、極端な言い方をすれば反面そのおかげで大半の人々は犯罪とは無縁の生活を営んでいるのではないでしょうか。


一夫一妻制にしても長い歴史の中で暗中模索を繰り返しながらマジョリティの市民権を得ていると思いますが、本書で取り上げられているさまざまな性愛の形は自分の中の常識をかなり超えるものが多々あり、正直感覚的に不快なものもありましたが、上述のように自分の中の常識の範疇について改めて考える機会を与えられました。



このような常識の部分にあえて揺さぶりをかけてみたかったという著者の企みはそういった意味で成功しているといえるでしょう。


著者はこれらの物語に登場する女性の男性に対する気持ちを表現するのに「愛」のみならず「恋」という表現を使っている箇所がありましたが、「恋」というにはあまりに似つかわしくないという漠然とした反発を感じてしまいました。


1対1の世界ではどんな愛の形も許されると思いますが、不倫という形の愛にはどうしても馴染めない一般的な主婦である自分を再確認しました。


それに加えてあまりにも心の部分を置き去りにしたかに見える性愛重視の目線にどうしてもついていけない自分を感じたことを告白してレビューとします。

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母の家を片づける目的で連休中帰省した子どもたちに手伝ってもらってとりあえず懸案の大型家電を市に回収してもらってほっとしています。

年代物の冷蔵庫・洗濯機・エアコン・ブラウン管テレビの家電四品目はそれぞれのメーカーのリサイクル料金にプラスして市の回数手数料が2500円ずつかかるので4つ出すのに25000円ほどかかりました。


これからも延々と続く作業のためエアコン一台は残し、夫と次男が古いエアコンを取り外したのですが、素人のやること、最後に勢いよくフロンガスが放出してびっくり、環境を汚染してしまいました^^;


新しい家電を買っても壊れたのをすべて所狭しと置いていて手のつけようがないほどです。


高血圧を気にして一日中血圧を測っていた時期、どの血圧計も誤差が出て信用できないというので夫の勤務するーカーの血圧計を何台もプレゼントしてきたのが数えてみると9個も出てきたり。


こんな作業は別として、懐かしい母の字のおびただしいメモ書きや突然の入院に備えての入院バッグの中の細々した母の気配りを見つけたりして母の意思というか気持ちを見せつけられたときなどは切なくなるという繰り返しです。



そんな片づけを手伝ってもらったあと、趣味で最近カメラをやりだした次男の要望で倉敷に行ってきました。


連休中の倉敷は観光客でごった返していましたが、人気のフレンチレストランで予約のスキマに無理やり押し込んでもらったり散策したりして久しぶりゆっくり過ごせた1日でした。


写真は次男が撮った倉敷風景の中、気に入ったのをピックアップしました。





さて本日は村山由佳氏著『ダブル・ファンタジー』をご紹介します。


1991年 『いのちのうた』で環境童話コンクール大賞
1991年 『もう一度デジャ・ヴ』で第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞佳作
1993年 『春妃〜デッサン』(『天使の卵‐エンジェルス・エッグ』に改題)で第6回小説すばる新人賞
2003年『星々の舟』で第129回直木賞
2009年『ダブル・ファンタジー』で第4回中央公論文芸賞&第16回島清恋愛文学賞&第22回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞

「週刊文春」に連載中から話題騒然の官能小説、文壇史上稀なトリプル受賞したことでも有名になった作品です。


村山氏といえばロマンス小説&ジュニア小説作家という認識だった私は度々名前や作品を目にしても通り過ぎていました。
雑誌のインタビューなどに登場する村山氏は自然豊かな鴨川の広大な自宅の庭で美しい花々やたわわに実った果樹や瑞々しい野菜たちに囲まれて乗馬を楽しむ姿を思い浮かべる程度。


その鴨川で教師のご主人とともに自然に親しみながら執筆されているという現代人には憧憬にも似たすてきな情報がインプットされているのみでした。


本書のセンセーショナルな内容と私の頭の中にある著者とがあまりにかけ離れていたため、かえって興味を惹かれて図書館で見つけて手に取りました。



いや、はや想像をはるかに突き抜けた性愛表現過多の作品でした。


「奈津、三十五歳、脚本家。
尊敬する男にいざなわれ、家を飛びだす。
“外の世界”に出て初めてわかった男の嘘、夫の支配欲、そして抑圧されていた自らの性欲の強さ──。
もう後戻りはしない。
女としてまだ間に合う間に、この先どれだけ身も心も燃やし尽くせる相手に出会えるだろう。
そのためなら──そのためだけにでも、誰を裏切ろうが、傷つけようがかまわない。
そのかわり、結果はすべて自分で引き受けてみせる・・・」


売れっ子のシナリオライターとして活躍する奈津を支えるためテレビ局勤務という職を辞して妻をバックアップする夫との抑圧的な日常と不燃焼の性的関係に欲求不満を積み重ねていた奈津が師と仰ぎ尊敬するかなり年長の演出家とのメールでの交流をきっかけに今まで自ら自制していた女としての性に目覚めていく生々しい描写がこれでもかと描かれています。


異質とまではいいませんが私にとって想像を超えた世界の感想を書くのがかなり難しい作品。


こんなに性欲に悩む女性は生きるのに苦しいだろうなというのが単純でストレートな感想です。


他のレビューをググってみましたが賛否両論、トリプル受賞作品にしては★数が少ない評が多かったのはさもありなんという感じ。


私の評価のマイナスポイントを挙げると・・・

ここまで女性の性欲に言及した著者の勇気には敬服しますが、登場人物設定がほとんど薄っぺらく感じられたことが1つ。
例えば主人公・奈津が心酔している56歳の有名な演出家・志澤の設定があまりにも低俗で読んでいて目を覆いたくなるほど。

このような自分を過信したナルシストに奈津がこれほどまでに尊敬し溺れる心情にまったく共感がもてませんでした。

10年暮らした夫・省吾との抑圧的な生活には多少共感を覚えるものの、省吾の元を飛び出してからの奈津に対する省吾のアブノーマルな寛大さに中途半端な人物設定を感じてしまいました。


また著者は性愛をテーマにしながらプラス心の部分を描こうとの企みが見え隠れしているにもかかわらず中途半端で挫折し単なる官能小説で終わっている点も残念な1つでした。



「厳しい母親の元で性の芽生えをはしたないものとして抑えられた経緯があって、性の事を書くとか振る舞いとかいまだに罪悪感ある」

新聞のインタビューで本書執筆の動機について語られた著者のこの言葉は作中でも主人公に語らせていることを鑑みれば単純に主人公=著者の構図に傾くのは読者としては必然だと思います。

それゆえ本書を執筆するにはかなりの勇気が必要であったのが想像に難くありません。

上記のインタビュー内容は続きがあり、幼い頃著者の自慰現場を見た母親による脅しともとれる叱責がのちの著者の性への罪悪感に繋がったことに言及していて、勇気ある発言だと想いました。


今回もレビューに程遠いレビューになってしまいましたが、再度著者の小説家としての勇気に感服したというのを読後感として終わります。

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