VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

カテゴリ: ら行

土馬と

傷つけ合ふ人らの言葉に倦みし日は心地よきかな鳩のででつぽ


自粛期間中減少していたという自殺者が7月より増加に

転じているという記事が出ていました。

 

女性と子どもの増加率が特に顕著だという。

 

子どもの自殺予防に詳しい精神科医・松本俊彦氏によると

 「仕事といった外との交流から傷つくことが多い中高年の男性と比べ、女性と若者は身近な人間関係にストレスを感じる」傾向があるという。

 

女性の職域が人との接触を伴う医療・福祉、小売り、飲食サービスなど感染リスクに
さらされる産業に偏っているとも指摘。

 

これらの職業に従事する女性たちに相当な心理的負担が生じている

可能性をも指摘されています。

 

また休校やテレワークが実施され、「ステイホーム」が叫ばれた結果、
子どもたちが家庭内の葛藤に追い込まれたとも。

 

日頃から家庭内不和のなか、綱渡りのような日々を過ごしている子どもたちにとって、
この降ってわいたようなコロナ禍という現象によって

ますます荒廃していく親世代の環境や心の影響が計り知れないほど

色濃く反映しているのは想像に難くありません。

 

自分の非力を思い知るのはこんな時です。

 

 

理由のない場所

リー・イーユン氏著&篠森ゆりこ氏訳『理由のない場所』
 

16歳の息子が自殺した。
もう存在しない子供との対話を続ける母―底なしの喪失感を実体験に基づいて描く衝撃作。
PEN/ジーン・スタイン賞受賞。
PEN/フォークナー賞最終候補作(「BOOK」データベースより)

 

著者について

1972年北京生まれ
北京大学卒業後渡米、アイオワ大学に学ぶ
2005年『千年の祈り』でフランク・オコナー国際短編賞PEN/ヘミングウェイ賞受賞


全篇、自死した
16歳の息子と作家である母との対話からなる16篇の物語。

そこには此岸側にいる母と彼岸側にいる息子とを隔てる川も谷も何もなく、
ただ平らな世界に2人だけが存在し、2人にしかわからない膨大な言葉を交し合う
・・・そんな親子の会話が延々と続くだけ。

愛する息子を喪って永遠にハグすることも傷つけあうこともできない母の、
置き所のない底なしの喪失感が溢れていて、
こうしてレビューを書くことさえ戸惑ってしまうような内容。

訳者によるあとがきを見ると、
これは著者イーユン・リーが実際に体験したことだという。
 

過去にうつ病で2度の自殺未遂をしたことのあるイーユン・リーが

息子を自死で喪って、その数週間後に書き始めたという小説。

 

愛する者を喪った人がその深い悲しみから立ち上がるための
グリーフワークというプログラムがありますが、
これもグリーフワークの一環というべきか。

 

かつてご次男を自死というかたちで亡くされた柳田邦男氏が

その喪失までの道のりを書かれた『犠牲 わが息子・脳死の11日』と

それに続く『「犠牲」への手紙の中で記されていた一文。

 

「時間が悲しみを癒してくれる、とよくいわれる・・・
グリーフワーク(悲しみの癒しの作業)における時間の要素は絶大である。
しかし、グリーフワークとは決して悲しみを遠い過去のものとして忘れることではない・・・
連れ合いやわが子を喪った読者からの手紙には、
悲しみは何年たっても消えるものではありませんという心情がしばしば綴られている。

私自身、洋二郎の幼き日の姿や心を病んで精神科に通っていた頃の姿が
突然目の前に現れて、目まいがするほど打ちのめされることが、いまだに時折ある。

悲しみは心の深いところに根をはっているように感じる。
それでも日常は虚飾でも虚勢でもなく笑ったり泣いたり怒ったり感動したりして生きている。

悲しみをかかえながらも、フツーの平凡な日常を過ごせるようになるというのが、
グリーフワークの大事な到達点ではないかと、
この『「犠牲」への手紙』をまとめる作業を終えて、あらためて感じている」

 

言葉にできないほど深い悲しみを癒すのに

これほど膨大な言葉を必要とするのか。

 

それでもどんなに言葉を積んでも癒すことはできないだろうことは

この作品全体を通してまっすぐに伝わってくる。

 

今はもういない息子との繰り返される壮絶な口論・・・

母親のわずかな言葉尻や言葉の解釈の違いを捉えてやり込める息子。

 

こういう場ですら母親は亡き息子との甘美な思い出として

離しがたく胸に抱きしめて一日一日を生きる糧にしているのだろう・・・

 

 

「言葉は不十分。
それはそうなんだけど、言葉の影は語りえぬものに触れられることがある」

 

たとえ言葉の辿りつく先が混沌とした世界であったとしても

亡き人の何かに触れることができるかもしれない・・・

 

取り留めのない口論。

 

落としどころのない口論。

 

小さな場所を起点としてとめどなくくるくる回りつづける

回転木馬のような目的も目的地もない空間。

 

とめどなき悲しみ乗せてきしみつつ回転木馬は頭蓋を巡る


 

このひとつの場所で回り続ける儀式が著者のグリーフワークになるとは

到底思えないけれど、この喪の儀式なしではきっと

生きてはいられなかったのだと思う。

 

もはや死者から「なぜ?」という問いに対する答えは得られないと

わかっていても遺された人は生きているかぎり

空しい問いを繰り返さずにはいられないのでしょう。

 

ずっと昔読んだ宮本輝氏の『幻の光』。

 

直前まで普通に会話していた夫に鉄道自殺というかたちで先立たれたヒロインの
繰り返し繰り返し心に渦巻いていた「なぜ?」を思い出して切なかった。

 

どんなにか生き返らせて「なぜ?」の問いを投げかけて、
そしてその答えを得て納得しないと前に進めない・・・

けれどその答えは永遠に得ることができないという絶望。

 

その哀しみはきっとどんなに前進しても消えることがない・・・

そんなことを思うと自死というのは

遺された人の心も永遠に殺してしまうのだと思ってしまう。

 

子どもに先立たれるという悲しみを経験していない自分には

どのように想像しても到達できない心の深淵だけど、

ちょっと覗いただけで苦しくて切ない読後感でした。

神戸時代の友人の誘いで神戸・御影まで講演会を聴きに行ってきました。 


神戸は転勤先の1つでしたが比較的長く住んでいたので思い入れの深い土地です。


阪神大震災にも遭い家屋半壊の認定をもらった街。


特に幼児から中学校卒業まで神戸で過ごした次男は完全なる神戸っ子、その後東京に転勤していた夫を追いかける形で東京の高校に行きそのまま就職して東京在住期間のほうが長いのにいまもなおリラックスすると出てくるのは神戸弁です。



さて講演会に話を戻します。   2d3ca300.jpg



演題は「詩が開いた心の扉」。



奈良少年刑務所で社会涵養プログラムの一環として「物語の教室」の講師をされている寮氏がそこに集った少年たちとの交流を通して感じたことなどが主な内容。 da5aba66.jpg



講師は寮美千子氏。

1955年東京生れ、外務省勤務、コピーライターを経て
1985年毎日童話新人賞を受賞し作家活動に入る。
2005年『楽園の鳥―カルカッタ幻想曲―』で泉鏡花文学賞受賞。
2006年奈良市に移住し、2007年より奈良少年刑務所「社会性涵養プログラム」講師。
宮沢賢治学会会員。
他に『父は空 母は大地』(編訳)『小惑星美術館』『ラジオスター レストラン』『ノスタルギガンテス』『星兎』『夢見る水の王国』『雪姫―遠野おしらさま迷宮―』など作品多数。



内容的には主に奈良少年刑務所での涵養プログラムに材を取ったご自身の作品を中心に話を進められました。



最初は極悪な罪を犯して少年刑務所という場に収監されている少年たちにたじろいだ寮氏でしたが、月1という頻度で始めた授業が回を重ねる毎に閉ざされた少年たちの心に信じられない変化が起きたという奇跡の物語が描かれた作品。



寮美千子氏著『空が青いから白を選んだのです』

「受刑者たちが、そっと心の奥にしまっていた葛藤、悔恨、優しさ……。
童話作家に導かれ、彼らの閉ざされた思いが『言葉』となって溢れ出た時、奇跡のような詩が生まれた。
美しい煉瓦建築の奈良少年刑務所の中で、受刑者が魔法にかかったように変わって行く。
彼らは、一度も耕されたことのない荒地だった──
『刑務所の教室』で受刑者に寄り添い続ける作家が選んだ、感動の57編」 




             空が青いから白を選んだのです

タイトルになっている一行の短い詩の背景には切ない母と子の物語があります。


このように少年たちの紡ぐ詩には世の詩人のようにそれ自体では詩の形態をなしてないものもたくさんありますが、私はむしろ起承転結の優れた味わい深さを示唆する詩よりも、荒削りな言葉になっていない未発達な作品に強く心を動かされました。

                ぼくのすきな色は
                  青色です
                つぎにすきな色は
                  赤色です

詩ともいえない詩・・・これも私の心を打った詩の1つです。


自らの意思で学校を途中でエスケープしたり、親のネグレクトによって学校に行かなかったりなど様々な背景で普通の教育を受けていない子どもたちは自分たちの気持ちを相手にわかるように説明することすらできないのに、ましてや詩となると。。


上記の詩は表現したことのない少年が与えられた課題である「色」について何か表現しなければならない、という必死の気持ちが伝わって胸があつくなります。


この詩ともいえない詩になんて感想を述べればいいのか。

講師である寮氏が言葉に詰まっていると、同席していた仲間がそれぞれ口にした感想にも驚きを隠せません。

「ぼくは、Bくんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つ聞けてよかったです」

「ぼくも同じです。Bくんの好きな色を、二つも教えてもらってうれしかったです」


こんなに相手を思いやれる素朴な心を持った子がなぜ犯罪者になったんだろう、と著者と同じ感想を抱いてしまいます。


社会が悪いというのは言い訳としてシンプルで通りがいい言葉ですが、親兄弟も含め再犯を犯さなくてもすむという堅牢な受け皿を作ることの困難さは想像に余りあります。



「・・・多くの民間の人々が、ボランティアなどのさまざまな形で、受刑者の更生に協力をしている。
しかし、ほんとうの意味での更生がはじまるのは、社会に戻ってからだ・・・
一般社会からは、いまだにタブー視される傾向がることは否めない。
この詩集が。刑務所の矯正教育と受刑者理解の一助となり、一人でも多くの理解者を得て、彼らが二度と塀のかなに戻らないことを祈っている」

著者のこの言葉に賛同しますが・・・

いやぁ~、作家さんって何でも本にしてしまうんだ、というのが正直な感想。

先日、朗読会なるものに行ってきました。bed4dda9.jpg



友人が参加している朗読会を主催していらっしゃる先生の舞台朗読会。



中程度のホールを借り切っての会でしたが、会場を見渡すと200名近くの聴衆がいらっしゃいました。


吉永小百合さんなど一般的な朗読は本を見ながらですが、その方のはすべて暗誦した上で舞台に立たれるという特徴があります。



当日の出し物は連城三紀彦氏の『恋文』と野上弥生子氏の『茶料理』。



どちらも昔読んだことがありますが、短篇ながら長い作品です。



途中休憩をはさんで両作品とも45分に縮めての暗誦朗読でしたが、聴いていてもけっこう長い(^_^.)


ちょうどいい子守唄とばかり会場では居眠りしている人もかなりいたような。



私は本を読むのは好きですが、その作品が映像化したものはほとんど観ないスタンス、たいしたイメージでもないのですけど自分の中のイメージと監督や俳優を通して伝わる作品のイメージとの落差に過去何度も幻滅しているというのがその理由です。



朗読も1人の演者が対象作品をまず自分の中に取り入れ、それを自分なりに咀嚼して自分色に解釈してから放つという道順は映像化と同じようなものではないでしょうか。




今回も両作品とも既読だったので、聴きながら相当のイメージの隔たりを感じてしまいました。




パフォーマンスとしては最高でしたが、知り合いでもなく有名人でもない演者の方の朗読、聴衆の方々の求めるものは何か?



終わったあと暗誦朗読の意義について考えさせられました。




ということで今回は連城三紀彦氏著『恋文』についてのレビューです。


30年あまり前幻想ミステリの旗手として鮮烈デビューされた連城氏ももう60歳を超えていらっしゃるとは!


1978年『変調 二人羽織』で第3回幻影城新人賞
1981年『戻り川心中』で第34回日本推理作家協会賞短篇部門
1984年『宵待草 夜情』で第5回吉川英治文学新人賞
1984年『恋文』で第91回直木賞



「マニキュアで窓ガラスに描いた花吹雪を残し、夜明けに下駄音を響かせアイツは部屋を出ていった。
結婚10年目にして夫に家出された歳上でしっかり者の妻の戸惑い。
しかしそれを機会に、彼女には初めて心を許せる女友達が出来たが…。
表題作をはじめ、都会に暮す男女の人生の機微を様々な風景のなかに描く『紅き唇』『十三年目の子守歌』『ピエロ』『私の叔父さん』の5編」


初版昭和59年の作。



自分の中で連城三紀彦氏イコール恋愛小説というイメージが定着していて若い頃本書ほか1冊読んだきり


長いインターバルの後再読しましたが、好き嫌いは別にして5編とも思いのほかじっくりした味わい深い作品でした。



緻密な計算の上、構築したと思われる構成の中に読者の意表をつく展開を用意、しっかりした文章力で埋めているというのが全作品に共通した印象。



直木賞選考に当たり、「造花の美が時には現実の花よりリアリティを感じさせることがある」という選考委員・五木寛之氏の選評がぴったりという感じでした。


表題作「恋文」は10年連れ添った夫が「私はあと半年で死にます」と書かれた昔の恋人からの手紙を受け取って突然出て行くところから物語が始まります。


受け入れざるを得なかった妻の取った行動の数々を通して女の狡さ、したたかさ、そして愛の深さを塗り込めて描いていて、何とも切ない作品に仕上がっています。


タイトルになっている「恋文」に託した著者の仕掛けが現実感に乏しいけれど魅力的な造花の美ということでしょうか。



表題作を筆頭にあとの4篇とも哀しい嘘を中心に市井の名もなき人々を描きながら、それらの登場人物が取る行動はどれも凄みというか靭さ、深みがあり、平凡な私はたじろいでしまうほど。



5篇の中で秀逸だったのは自分の中では「私の叔父さん」。


あらすじは措くとして、浅はかで甘ちゃんの女たちに翻弄される男の純粋さと深さ、一途さが情緒を抑えた文で描かれていて、現実ではあり得ないと反発しながらも惹かれる作品になっていました。

↑このページのトップヘ